過失犯(予見可能性の程度・信頼の原則)の書き方
造園会社の従業員の甲が、作業手順の見回りと大声の合図を怠ってケヤキを伐倒し、囲いの内側に入っていた隣人の乙に幹を当てて骨折させ、甲がその存在を知らなかった丙に枝先を当てて死亡させた事例で、過失の2段(予見可能性と結果回避義務)のどちらで論点が立つかを人ごとに拾い、答案に書き切る回。乙については予見可能性を認めたうえで信頼の原則を問題提起し、①信頼の存在は認められるが、甲自身が相手方の行動に関わる規則である合図の手順に違反しているため②信頼の相当性が否定され、結果回避義務は否定されない。丙については存在を知らなかった被害者への予見可能性の程度を問題提起し、一般人を結果回避へと動機づける程度の予見可能性が必要で、およそ人の死傷についての予見可能性があれば足りるとして、予見可能性を肯定する。甲には乙に対する業務上過失致傷罪と丙に対する業務上過失致死罪(刑法211条前段)が成立し、1個の伐倒行為によるので観念的競合(54条1項前段)となる。合図をしていれば信頼の相当性が認められ結論が変わることも確かめる。
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事例
図:甲・乙・丙の一日の経過
今日は、1つの事件を最後まで書き切ります。舞台は、三方を住宅に囲まれた住宅街の空き地です。そこに、高さが約15メートルのケヤキが1本立っています。これを伐採するのが、造園会社の従業員の甲です。木を切るのは、甲の毎日の仕事です。登場するのは3人です。甲と、隣の家に住む乙、そして裏木戸が空き地に通じる別の家に住む丙です。乙も丙も、大人です。会社の作業手順が、3つ決まっています。1つ目は、切る前に、木が倒れる側をロープで囲むこと。2つ目は、切る直前に、囲いの内側を見回って人がいないか確かめ、いれば作業を止めること。3つ目は、切る直前に、「倒します」と大声で2回、合図をすることです。朝、甲は道路寄りに、三角コーンとトラロープで簡単な囲いを作りました。立入禁止の囲いです。作業の音を聞いて、乙が様子を見に来ました。甲は乙に、「危ないので、囲いの外にいてください」と頼みます。乙は「わかりました」と答えて、囲いの外へ下がりました。
ところが、昼前です。甲は道具を取りに、少し囲いを離れました。そのあいだに、乙は写真を撮ろうと、ロープをくぐって囲いの内側に入ります。さらに、囲いの奥の藪では、裏木戸から入った丙が、逃げた飼い猫を探してしゃがんでいました。藪の中の丙は、木の根元に立つ甲からは見えません。囲いの内側を見回れば見える位置です。戻ってきた甲は、「乙はまだ外にいるはずだ」と思いました。そして、囲いの内側を見回りませんでした。面倒に思って、手順にある大声の合図もしませんでした。そのまま、根元からチェーンソーを入れます。丙が入っていることは、知りません。
図:乙の場面:囲いの内側にいた乙に幹が当たる
結果を、図で整理します。まず乙の場面です。ケヤキは、予定どおり空き地の奥へ倒れました。幹が乙に当たって、乙は骨折します。全治は約3か月です。甲は、乙が外にいるはずだと思っていましたが、実際の乙は、囲いの内側にいました。
図:丙の場面:甲の知らない丙に枝先が当たる
次に、丙の場面です。同じ伐倒で、枝先が丙の頭を打ちました。丙は亡くなります。図でも、甲から丙へ、知っているという線は引けません。甲は、丙の存在そのものを知らないからです。問いは、これだけです。甲の罪責を論じなさい。乙と丙で、論点の出どころが違います。順番に確かめていきます。
罪名と条文の特定——人ごとに分けて、要件を順に
図:業務上過失致死傷罪の要件、乙と丙は人ごとに分けて検討する
答案は、人ごとに分けて書きます。被害者が2人いて、論点の出どころもそれぞれ違うからです。順番は、乙、丙とします。木の伐採は、自動車の運転ではありません。そこで、自動車の運転による事故のための特別な法律ではなく、刑法の条文を考えます。人を死傷させていて、注意が足りなかったことが原因です。ですから、過失の罪です。仕事として木を切っているので、業務上過失致死傷罪を考えます。
条文刑法211条
刑法211条(業務上過失致死傷等) 業務上必要な注意を怠り、よって人を死傷させた者は、五年以下の拘禁刑又は百万円以下の罰金に処する。重大な過失により人を死傷させた者も、同様とする。
成立要件は、条文どおりです。業務上必要な注意を怠ったこと、よって、つまり因果関係があること、そして人を死傷させたことです。条文を読めば出てくるので、覚えるものではありません。要件を、上から順に見ていきます。最初は、業務です。業務とは、人が社会生活上の地位に基づき反復継続して行う事務であって、人の生命・身体に危害を加えるおそれのあるものをいいます。毎日の仕事として繰り返していて、人に危害を加えうるもの、と読めば足ります。甲は、造園会社の従業員として、木の伐採を毎日おこなっています。倒れる木は、人の生命・身体に危害を加えるおそれがあります。ですから、業務に当たります。ここは争点ではありませんから、答案でもこの程度で済ませます。本当の勝負は、その次の「注意を怠り」です。ここは、条文の言葉だけでは決められません。「注意を怠り」の中に、2つの段が入っています。1段目が予見可能性で、2段目が結果回避義務です。予見できたからこそ、結果を避けるために何かすべきだった、と進みます。この2段のどちらで引っかかるかを、事実から探します。まず、乙です。
乙の項——予見可能性を認め、信頼の原則を問題提起
図:乙:予見可能性は認める、しかし甲は乙が外にいると信頼していた
乙について、まず1段目の予見可能性です。甲は、乙が現場に来ていたことを、知っています。朝、自分で声をかけたからです。乙が囲いの内側に入れば、倒れるケヤキに当たって、死傷しうる。乙が来ていると分かっている場面なら、一般人でも、これは予見できます。ですから、予見可能性は認めます。答案でも、ここは短く認めて先へ進みます。乙が外にいると思っていたことで、予見可能性が無くなるとは扱いません。甲は、乙が現場に来ていることも、内側に入ればどうなるかも、分かっていました。外にいるはずだ、と思っていたのは、予見の有無の話ではなく、避けるために何をすべきだったか、の話です。つまり、2段目の結果回避義務の問題です。結果回避義務とは、結果を避けるために、何をすべきだったかということです。この事例では、切る前に囲いの内側を見回り、人がいれば作業を止める義務です。甲は、乙を信頼していたから、この義務を負わないのではないか。そこが問題になります。答案では、こう立てます。予見可能性は認められる。もっとも、甲は、乙が囲いの外にとどまるであろうと信頼していた。そこで、信頼の原則により結果回避義務が否定されないかが問題となる。この一続きを、板に出しました。
規範——信頼の原則
図:規範の前に、思い出す
規範に入る前に、1つ思い出してください。以前の回で、予見できても、結果回避義務が否定される場合を見ました。信頼の原則は、その中でどんな位置づけでしたか?予見はできても、相手が決まりを守ると信じてよい場面では、避けるべき義務までは負わない、という位置づけでした。1段目を通っても、2段目で止まる場合があるのでしたね。その代表が、信頼の原則です。なぜ、予見できても義務を負わないのか。相手の不適切な行動まで、いつも見越して備えよと求めたら、人と手分けして動くことができなくなるからです。
⭐ 論文で書く規範:信頼の原則 この点、信頼の原則とは、行為者が、相手方が適切な行動に出るであろうことを信頼し(①信頼の存在)、信頼することが社会通念上相当といえる場合(②信頼の相当性)には、相手方の不適切な行動と相まって結果が生じても、結果回避義務が否定されるという原則である。 (規範(通説で立てる))
図:規範カード|信頼の原則
規範です。条文に書いていない基準を、解釈で立てるものですから、成立要件とは別のものです。先ほどの要件は、条文を読めば出てくるものでした。この信頼の原則は、学説が立てた基準です。規範にある「相まって」とは、相手の不適切な行動と、重なって、ということです。結果は、行為者の行為だけで起きたのではありません。相手の不適切な行動が重なって起きました。それでも、行為者が結果回避義務を負わない場合がある、と言っています。条件は、2つです。1つ目は、行為者が、相手は適切に行動するだろうと、実際に信頼していたこと。これが信頼の存在です。2つ目は、その信頼が、社会通念上相当といえること。世間の常識に照らして、筋が通るかどうか、ということです。これが信頼の相当性です。2つとも満たせば、結果回避義務が否定されます。規範を言えるだけでは足りません。この規範は、あてはめで勝負が決まります。次に、乙の場面で、2つの条件を順に当てます。
あてはめ——信頼の存在と信頼の相当性
図:乙:信頼の存在で拾う事実
1つ目の条件、信頼の存在から確かめます。事実を拾います。朝、甲は乙に、囲いの外にいてほしいと頼みました。乙は、わかりました、と答えて外へ下がりました。そのあと甲は道具を取りに離れ、戻ってきます。戻った甲は、乙はまだ外にいるはずだ、と思いました。
図:乙:信頼の存在は認められる
評価します。甲は、乙が囲いの外にとどまるであろうことを、実際に信じていました。ただの期待ではありません。乙とのやりとりが、土台にあります。ですから、信頼の存在は認められます。ここで、一度立ち止まってください。甲は確かに、乙を信じていました。それでも、信頼の原則が使えないとしたら、何が足りないのでしょうか?2つ目の条件、信頼の相当性が残っています。ここが、本番です。
図:信頼の相当性が崩れる3つの類型
信頼の相当性は、崩れる類型があります。表にしました。1つ目は、相手方が、幼児・高齢者・酩酊者などの場合です。規則を守って適切に行動することを、期待できないからです。2つ目は、行為者自身が、相手方の行動に関わる規則に違反している場合です。相手方の行動に関わる決まりを自分で破っておきながら、相手方が規則を守ることだけを信頼するのは、相当でないからです。3つ目は、行為者が監督者である場合です。監督者は、現場の人に決まりを守らせる立場ですから、安易に適用すべきではありません。ただ、安全教育や指示を尽くしていれば、現場を信頼してよく、監督者にも及びます。
真ん中の、行為者自身が、相手方の行動に関わる規則に違反している類型です。乙は大人で、酔ってもいません。そして甲は、自分が守るべき作業手順を、破っています。甲は、見回りの手順も破っています。ただ、見回る義務があるかどうかは、この原則でこれから決めようとしている問いそのものです。ですから、相当性で見るのは、もう1つの手順、合図のほうです。
図:乙:信頼の相当性で拾う事実
事実を拾います。作業手順は、切る直前に、倒します、と大声で2回合図することを定めていました。甲は、面倒に思って、合図をしませんでした。囲いはロープ1本で、乙は簡単に中へ入れました。そして乙は、合図がなければ、これから切り倒すことを知りようがありませんでした。
図:乙:違反した決まりは、乙の行動に関わる
評価は、3つに分けます。1つ目です。大声の合図は、近くにいる人に、倒れる範囲から退避する機会を与えるための手順です。つまり、乙の行動にまさに関わる決まりで、甲が果たすべき注意の中身そのものです。2つ目です。決まりを破りさえすれば、相当性が崩れる、というわけではありません。破った決まりが、相手方の行動に関わるかどうかを見ます。今回は関わります。しかも乙は、決まりが破られたことを知りようがありませんでした。合図がなければ、乙には、これから木が倒れるとは分からないのです。以前の回の、右折した運転者の判例でも、被告人自身に交通法規の違反がありました。それでも判例は、その違反は注意義務があるかどうかとは関係がない、として、信頼の原則を使っています。
乙の行動が不適切だったことは、規範の中で、あらかじめ織り込まれています。相手方の不適切な行動と相まって結果が生じても、と書かれていました。問われているのは、その不適切な行動を当てにしてよい立場に、甲がいたかどうかです。3つ目です。自分は、退避の機会を与える手順を怠っておきながら、乙が囲いの外にとどまることだけを当てにする。これは、社会通念上相当とはいえません。約束を守った人だけが、相手の約束を当てにできる、ということです。
図:乙:信頼の原則は適用されず、結果回避義務は否定されない
要件に当てます。信頼の相当性は認められません。ですから、信頼の原則は適用されません。結果回避義務は、否定されません。そうすると、甲には、切り倒す前に囲いの内側を見回り、人がいれば作業を止める義務がありました。人に当たると予見できた危険だからこそ、それを避ける行動が求められます。甲は、見回りませんでした。義務に違反しています。最後に、「業務上必要な注意を怠り」に戻して締めます。甲は、業務上必要な注意を怠ったといえます。「注意を怠り」という要件の、2段目の中で論じて、最後に「注意を怠り」に戻します。この戻し方が、答案の型です。
乙の因果関係と結論
図:乙:因果関係と結論
因果関係は、短く流します。確かめるのは2つです。1つは、その行為が無ければ結果も無かった、という関係です。これを条件関係といいます。甲が切り倒さなければ、乙は負傷しませんでした。2つ目は、行為が持っていた危険が、そのまま結果として現れたか、危険の現実化です。乙は伐倒の前から囲いの内側にいて、倒れる木が人に当たる危険が、そのまま乙の傷害として現れています。ですから、「よって」も認められます。人を傷害した結果もあります。乙については、甲に、業務上過失致傷罪が成立します。
丙の項——予見可能性の程度を問題提起
図:丙:甲は丙の存在を認識していなかった
次は、丙です。業務に当たることは、乙の項で済んでいます。ですから答案では、前記のとおり、と書いて先へ進めます。丙で問題になるのは、「注意を怠り」の1段目、予見可能性です。乙の項では、出ませんでした。乙が来ていることを、甲は知っていたからです。丙は違います。甲は、丙が囲いの奥の藪にいることを、知りませんでした。それなのに、丙の死亡という結果について、予見可能性があるといえるのか。この点を、予見可能性の程度の問題として、取り上げます。存在を知らない人の死傷は予見できない、という感覚は、予見可能性を、丙という特定の人に結びつけて考えているために生まれます。何についてどの程度の予見が要るのか、ここが論点です。答案では、こう立てます。甲は、丙が藪にいることを認識していなかった。そこで、丙の死亡結果についての予見可能性があるといえるか。予見可能性の程度が問題となる。
規範——予見可能性の程度
図:予見可能性の程度:下限と上限の2本の線
丙の項の規範に入ります。これから出すカードは、2つの文でできています。1つ目の文が下限、2つ目の文が上限を決めています。
⭐ 論文で書く規範:予見可能性の程度 予見可能性は結果回避義務を導くものであるから、一般人を結果回避へと動機づける程度のものが必要である。 そして、構成要件的結果の発生を予見できれば動機づけには十分であるから、およそ人の死傷についての予見可能性があれば足りると解する。 (規範(通説で立てる))
図:規範カード|予見可能性の程度
規範です。こちらも、条文に書いていない基準を、解釈で立てるものです。1つ目の文は、予見可能性の下限を決めています。予見可能性は、結果回避義務を導きます。ですから、一般人に、結果を避けようと思わせる程度のものが要ります。漠然とした不安感では足りません。これは、以前の回で見た、漠然とした不安感で足りるとする危惧感説を、退ける線です。2つ目の文は、上限を決めています。構成要件的結果とは、条文が書いている、死傷という結果のことです。この結果の発生が予見できれば、結果回避へ動かすには十分です。倒れる木が人に当たると分かれば、それだけで見回ろうと思えます。当たるのが誰かまで分からなくても、取るべき行動は変わらないからです。ですから、およそ人の死傷についての予見可能性があれば足りる、と解します。
同じ構造の、2文でできています。1つ目の文で、ここより緩いとだめ、という線を引きます。2つ目の文で、ここまでは要らない、という線を引きます。この2本の線に、事実を当てはめます。
図:被害者の存在を認識していなくても、成立を妨げない
この結論は、以前の回で見た、荷台の同乗者の判例でも確認できます。
判例最決平元・3・14 刑集43巻3号262頁
認識していない同乗者の事例 被告人において、右のような無謀ともいうべき自動車運転をすれば人の死傷を伴ういかなる事故を惹起するかもしれないことは、当然認識しえたものというべきであるから、 たとえ被告人が自車の後部荷台に前記両名が乗車している事実を認識していなかつたとしても、右両名に関する業務上過失致死罪の成立を妨げないと解すべきであり、これと同旨の原判断は正当である。
見るのは、後半です。被害者が乗っていることを認識していなかったとしても、業務上過失致死罪の成立を妨げない。つまり、特定の被害者の存在を知らなくても、成立は妨げられません。この一点だけ、確認しておきます。事案そのものは、ここでは扱いません。判例が言っているのは、この結論までです。下限と上限という規範の組み立ては、学説のものです。
あてはめ——下限と上限
図:丙:下限で拾う事実
下限から確かめます。事実を拾います。現場は、三方を住宅に囲まれた、住宅街の空き地です。作業の音を聞いて、近所の人が様子を見に来ることがあります。現に朝、乙が来ました。高さ約15メートルのケヤキは、倒れれば人に当たって、死傷させうる大きさです。そして囲いは、ロープだけで、人は入ろうと思えば入れました。
図:下限と上限、規範の語と事例の事実と結論
評価します。ここで見るのは、甲に見えていた危険が、漠然とした不安にとどまっていたのか、ということです。甲に見えていたのは、「何か起こるかもしれない」という程度のものではありません。倒れる木が、囲いの内側にいる人に当たって、死傷する。そこまで具体的に見えていました。現に乙が来ていますから、人が近づくことも、現実に見えていたのです。そうすると、一般人を、見回りへと動機づけるに足りる危険が見えていた、といえます。下限は満たします。たとえば、周りに家も人通りもなく、人が来ることが考えにくい山奥で切る場合です。何かが起こるかもしれない、と漠然と思うだけなら、見回ろうとまでは思えません。今回は、そこから遠く離れています。次に、上限です。甲は、丙が裏木戸から入り、猫を探して藪にしゃがんでいることを、知りませんでした。評価します。丙という特定の人の存在や、どこから入ったか、何をしていたか。ここまでは、予見できていなくても構いません。要るのは、およそ人の死傷についての予見可能性です。ですから、甲が丙の存在を認識していなかったことは、妨げになりません。
厳しいように見えるのは、丙の存在まで予見できたかどうかを、問うからです。実際に問われるのは、倒れる木が人に当たって死傷する危険を、見ていたかです。その危険を見ていたなら、誰がそこにいるかは、結果回避義務を負うかどうかを左右しません。ですから、丙の死亡結果についての予見可能性は、認められます。
図:丙:結果回避義務は前の項を援用、注意を怠り
結果回避義務は、乙の項を援用します。前記のとおり、甲には、切り倒す前に囲いの内側を見回り、人がいれば作業を止める義務がありました。丙は、見回れば見える位置にいました。見回りをしていれば、丙の姿を確かめて、伐倒を止められたはずです。甲は、これを怠りました。ですから、業務上必要な注意を怠ったといえます。甲は、丙について信頼の原則を主張できません。信頼するというのは、相手が適切に行動するだろうと思うことです。存在を知らない人を、信頼することはできません。ですから、丙には、信頼の原則は使いようがないのです。因果関係は、乙と同じく短く流します。甲が切り倒さなければ、丙は死亡しませんでした。条件関係があります。倒れる木の枝が人に当たる危険が、そのまま丙の死亡として現れました。「よって」も認められます。丙については、甲に、業務上過失致死罪が成立します。
否定の対比——設例を1か所だけ変える
図:合図をしていたら、結論はどう変わるか
否定に転ぶ条件も、見ておきます。乙の場面で、1か所だけ変えます。甲が、手順どおり、倒しますと大声で2回、合図をしていたとします。ほかは同じです。それでも乙は、囲いの内側に入っていました。結論は、変わりますか。変わります。同じ順番で見ます。1つ目の条件、信頼の存在は、認められたままです。2つ目の信頼の相当性が変わります。合図によって、甲は、乙に退避の機会を与えています。決まりを果たしたうえで、乙も決まりを守るだろうと信頼したのですから、その信頼は相当です。見回りをしなかった点は、変わらず残ります。ただ、見回って人がいれば止める義務を甲が負うかどうかは、いま信頼の原則で決めようとしている問いそのものです。その義務を怠ったことを、相当性を崩す理由に使うと、答えを先に決めてから問うことになります。ですから、相当性では見回りを数えず、乙の行動に関わる合図の決まりを見るのです。そうなると、信頼の原則が適用されて、見回る義務は否定されます。合図の決まりは果たしていますから、ほかに怠った注意もありません。甲は「注意を怠り」にあたらず、乙に対する罪は成立しません。
1つ目の条件だけでは、足りません。2つ目で分かれます。効いているのは、甲自身が、決まりを果たしているかどうかです。ただし、今日の事例の甲は、合図をしていません。ですから、結論は肯定のままです。この先の罪数と結論は、肯定で書きます。
罪数と結論
図:乙に致傷罪、丙に致死罪、両罪は観念的競合
結論です。甲には、乙に対する業務上過失致傷罪と、丙に対する業務上過失致死罪が成立します。どちらも、刑法211条前段です。被害者は2人ですが、甲の行為は、1個の伐倒です。1つの行為で、2つの罪に当たっています。これを観念的競合といいます。
条文刑法54条1項
刑法54条(1項) 一個の行為が二個以上の罪名に触れ、又は犯罪の手段若しくは結果である行為が他の罪名に触れるときは、その最も重い刑により処断する。
乙の致傷と丙の致死は、1個の伐倒行為から生じました。ですから、刑法54条1項前段の観念的競合になります。最も重い刑で処断されます。結論は、何罪が成立して、どういう関係に立つか、まで言い切ります。
まとめ
図:規範カード|信頼の原則
最後に、規範カードに戻ります。1枚目は、乙の項で使った、信頼の原則です。予見可能性を認めたあとの、結果回避義務の段で問題提起をして、規範、あてはめ、そして「注意を怠り」に戻す。今日書いた順番が、カードの上から下へ並んでいます。
図:規範カード|予見可能性の程度
2枚目は、丙の項で使った、予見可能性の程度です。被害者の存在を知らなかった、という事実から問題提起をして、下限と上限で事実を書き分けました。同じ「注意を怠り」の中でも、論点が出るのは、乙では2段目、丙では1段目です。事実を読んで、どちらの段で引っかかるかを探すことが、出発点でした。
図:完成答案:第1 乙に対する罪責
こちらが完成答案です。乙について、まず問題の所在と、信頼の原則の規範です。動画を止めて、見てみてください。
図:完成答案:第1 乙に対する罪責(続き)
乙の続きです。信頼の存在と相当性を分けてあてはめ、因果関係と結論まで書いています。こちらも止めて、確かめてください。
図:完成答案:第2 丙に対する罪責
続きの、丙の罪責です。問題の所在と、予見可能性の程度の規範を書いています。こちらも止めて、確かめてください。
図:完成答案:第2 丙に対する罪責(続き)
丙の続きです。予見可能性のあてはめが、下限と上限の順で書かれていて、結論まで続きます。こちらも止めて、確かめてください。
図:完成答案:第3 罪数
最後に、罪数です。観念的競合まで書いて、答案が完結します。こちらも止めて、確かめてください。
参照条文
- 刑法211条
- 刑法54条