憲法ゼロから憲法#55

教育を受ける権利と旭川学力テスト事件

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26条の構造(権利の条文にある義務)

26条の二階建て(一階=1項・すべて国民に教育を受ける権利/二階=2項・前段が保護者に普通教育を受けさせる義務、後段が義務教育の無償)

1項の権利と2項の義務

結論26条は、1項が権利、2項が義務と無償という作りです。

理由子どもは、自分一人では学ぶ機会を作れません。

誰かが学校に通わせる手続をして、初めて1項の権利が意味を持ちます。

2項は、1項を働かせるための仕掛けです。

26条|第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)1項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。

義務を負うのは誰か

定義普通教育とは、小学校・中学校・高校で行われる、専門教育ではない一般的な教育です。

結論2項前段で義務を負うのは保護者であり、子どもではありません。

注意「子どもの義務教育」という言い方は、この主語のずれを覆い隠します。

  • 具体例:子どもが学校に通えない事情があるとき、問われるのは、保護者が義務を果たそうとしているかです。子ども自身が怠けているかという話にはなりません。

26条|第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)2項:すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

権利の主体と学習権

26条1項の主語は「すべて国民」です。
では、この権利はとくに誰にとって重要で、誰に向けられた権利なのでしょうか。

権利の主体

結論主体は老若男女を問わずすべての国民ですが、性質上とくに重要なのは子どもです。

理由大人は、自分の意思で学ぶ場所を選び、学び直すこともできます。

子どもは、自分一人では学ぶ機会を作れません。

そのため、26条は子どもの学習権を中心に読むべきだと考えられています。

学習権(旭川学力テスト事件)

定義学習権とは、みずから学習できない子どもが、学習要求を満たす教育を大人一般に対して要求する権利です。

結論旭川学力テスト事件で、最高裁は26条の背後に次の観念があると述べました。

  • 固有の権利:国民各自が、一個の人間として、また一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有することです。
  • 子どもの権利:みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを、大人一般に対して要求する権利を有することです。

理由国だけに向けた権利だと、親も国も動かないときに、子どもが誰にも教育を求められなくなります。

大人一般に向けられているので、そうした穴が生まれません。

注意要求の受け手は、国だけではありません。

親・私学・教師・国と、学習権を満たせる立場にある大人がみな受け手になります。

「誰の権利か」が定まると、「誰が教える中身を決めるか」も絞られます(第5〜7節)。

旭川学力テスト事件最高裁判所大法廷判決国の権能(必要かつ相当と認められる範囲)一般に社会公共的な問題について国民全体の意思を組織的に決定、実現すべき立場にある国は……あるいは子ども自身の利益の擁護のため、あるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるため、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についてもこれを決定する権能を有するものと解さざるをえず、これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないのである。学習権(大人一般に対して教育を要求する権利)この規定の背後には、国民各自が、一個の人間として、また、一市民として、成長、発達し、自己の人格を完成、実現するために必要な学習をする固有の権利を有すること、特に、みずから学習することのできない子どもは、その学習要求を充足するための教育を自己に施すことを大人一般に対して要求する権利を有するとの観念が存在していると考えられる。

26条の法的性格(社会権的側面と自由権的側面)

26条は、子どもの学習権を中心とする権利です。
では、この権利は国に対して何を求める権利なのでしょうか。

26条の法的性格の階層図(社会権的側面=国に制度の維持と条件整備を求める・教育基本法と学校教育法が具体化/自由権的側面=①使わせろ ②やめろ)

社会権的側面

定義国に「動いてくれ」と求める側面です。

  • 制度の維持:学校という制度を作り続け、維持することです。
  • 条件の整備:教員の配置や施設の整備など、学べる条件を整えることです。

条文この側面を具体化しているのが、教育基本法と学校教育法です。

  • 教育基本法:教育がめざす目的や理念を定める法律です。
  • 学校教育法:学校の種類や仕組みそのものを定める法律です。

自由権的側面

定義国に「余計なことをするな」と求める側面で、次の2つに分かれます。

  • ①使わせろ:すでにある学校や制度を、正当な理由なく使わせないことを許さない権利です。
  • ②やめろ:ある中身の教育を強制されない(その排除を求める)権利です。

具体例それぞれ次のような場面です。

  • ①:正当な理由もなく退学させたり、通わせなかったりすることです。
  • ②:特定の立場だけを唯一正しいものとして教え込み、それ以外の見方を教えることを禁じる教育の強制です。

注意①と②は、向きが逆です(①は入口、②は中身の問題です)。

②は、旭川学力テスト事件の「越えられない線」(第7節)と同じ内容を指します。

教育内容の決定権(二つの極端な考え方)

26条は、子どもの学習権を保障しています。
では、教える中身は、誰が決めるのでしょうか。

国家教育権説と国民教育権説の対比表(決める主体・危うさ)と最高裁の評価

国家教育権説と国民教育権説

定義教育内容の決定権をめぐり、次の2つの考え方がありました。

  • 国家教育権説:国が決めるという考え方です。
  • 国民教育権説:親を中心とする国民全体が決めるという考え方です。

注意「国民」教育権説は、国が決める説ではありません。

名前だけ見ると逆に思えるので、中身で覚えます。

旭川学力テスト事件の評価

結論最高裁は、2つの見解はいずれも極端かつ一方的で、いずれも全面的には採用できないとしました。

理由それぞれに危うさがあるからです。

  • 国家教育権説:時々の政治の考え方が、教室にそのまま持ち込まれます。
  • 国民教育権説:全国的な教育の水準を、誰も確保できなくなります。

注意どちらか一方が全部決めるという発想そのものを、最高裁は採りませんでした。

旭川学力テスト事件最高裁判所大法廷判決二つの見解の排斥(ともに極端かつ一方的)当裁判所は、右の二つの見解はいずれも極端かつ一方的であり、そのいずれをも全面的に採用することはできないと考える。

旭川学力テスト事件の答え(親・私学・教師の教育の自由)

最高裁は、2つの極端な考え方をともに退けました。
では、その代わりにどのような答えを置いたのでしょうか。

旭川学力テスト事件の三段の階層図(①親・私学・教師にそれぞれ教育の自由・ただし教師の自由は完全ではない/②国は必要かつ相当と認められる範囲で教育内容を決定する権能/③26条・13条により国家的介入は許されない)

三段構えの答え

結論最高裁の答えは、次の三段です。

  • ①教育の自由:親・私学・教師には、それぞれ教育の自由が認められます(ただし教師の自由は完全ではありません)。
  • ②国の権能:国も、必要かつ相当と認められる範囲で、教育内容を決定する権能を持ちます(第6節)。
  • ③越えられない線:子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げる国家的介入は、26条・13条の規定上からも許されません(第7節)。

注意教育内容を決める権限は、誰か一人が独占するのではなく、分け合われています。

なぜ責任から自由が出てくるのか

結論親・私学・教師の教育の自由は、学習権を満たす責任の裏返しとして認められます。

理由学習要求を満たすとは、その子に何をどう教えるかを選ぶことです。

選ぶ余地がなければ、責任を果たしようがありません。

責任と自由は、表と裏で一組です。

具体例それぞれの自由は、次のような場面です。

  • 私学:独自の教育方針を掲げ、それに沿ったカリキュラムを組む自由です。
  • 親:その子の体調や性格に合わせて、家庭でどう学ばせるかを決める自由です。

教師の教授の自由の根拠(23条)

結論判例は、小中高の教師にも、23条(学問の自由)を根拠に、一定の範囲で教授の自由を認めています。

注意大学の教員と根拠条文は同じでも、認められる理由と広さが違います。

  • 大学の教員:学問の自由の一部として、研究者自身の自律から認められます。
  • 普通教育の教師:子どもの学習権を満たす責務の裏返しとして語られます。
  • 学説:26条に根拠を求める見方(学習権を実質化する権利)や、23条と26条の両方に求める見方もあります。

23条|第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)学問の自由は、これを保障する。

教師の自由が完全でない3つの理由

結論普通教育の教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないとされました。

理由最高裁は、大学との違いとして次の3つを挙げました。

  • 批判能力:大学の学生は教授内容を批判する能力を一応備えていますが、児童生徒にはその能力がありません。
  • 学校選択の余地:子どもの側に、学校や教師を選択する余地が乏しいです。
  • 全国的な水準:教育の機会均等をはかるうえで、全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があります。

具体例大学のゼミでは、教員が読む文献も進め方も自分の判断で決められます。

中学校の理科の教師は、検定教科書と学習指導要領という共通の枠の中で、教え方を工夫する自由を持つにとどまります。

注意この3つは、教師の自由を限定する理由です。

国に権能を認める理由(第6節)とは、別に述べられています。

旭川学力テスト事件最高裁判所大法廷判決教師の教育の自由の限界(批判能力・学校選択・全国水準の三つの理由)大学教育の場合には、学生が一応教授内容を批判する能力を備えていると考えられるのに対し、普通教育においては、児童生徒にこのような能力がなく……普通教育においては、子どもの側に学校や教師を選択する余地が乏しく、教育の機会均等をはかる上からも全国的に一定の水準を確保すべき強い要請があること等に思いをいたすときは、普通教育における教師に完全な教授の自由を認めることは、とうてい許されないところといわなければならない。

国の権能(必要かつ相当と認められる範囲)

教師の自由だけでは、足りないところが残ります。
では、国はどのような理由で、どこまで教育内容を決められるのでしょうか。

教育内容決定権の配分図(親・私学・教師=学習権を満たす責務・教師は不完全/国=必要かつ相当な範囲で権能)

国の権能とその理由

結論国は、必要かつ相当と認められる範囲において、教育内容についても決定する権能を持ちます。

これを否定すべき理由ないし根拠は、どこにもみいだせないとされました。

理由判旨は、国に権能を認める理由を2つ挙げています。

  • 子ども自身の利益の擁護:ある学校が理科の授業をほとんどしなくても、その子はあとから自分で取り返せません。
  • 社会公共の利益と関心:子どもの成長は、その家庭の中だけで完結しないからです。

注意国が出てくる理由も、子どもの学習権を満たすという目的から来ています。

決める側の都合ではありません。

「必要かつ相当」の範囲

結論判例は、この範囲そのものを、数字や一覧で定義していません。

注意外側の枠(越えられない線)は、はっきり示されています(第7節)。

越えられない線(国家的介入の限界)

国は、必要かつ相当な範囲で教育内容を決める権能を持ちます。
では、その権能にも越えてはいけない線はあるのでしょうか。

教育内容決定権の外周の関係図(国の内側=必要かつ相当な範囲にとどまり許される/外側=誤った知識や一方的な観念の押しつけで26条・13条により許されない)

国家的介入の限界

結論子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は、憲法26条、13条の規定上からも許されないとされました。

  • 判旨の例:誤った知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを、強制することです。

理由誤った知識の押しつけを許すと、子どもの学習権を満たすどころか、子どもを国家の統制の対象にしてしまいます。

26条の目的そのものを裏切ることになります。

具体例線のどちら側かは、次のように分かれます。

  • 外側(許されない):特定の立場だけを唯一正しいとして教え込み、それ以外の見方を教えることを禁じる教育を、国が強制する場合です。
  • 内側(許される):全国どこでも一定の学力を身につけられるよう、学習指導要領で教える単元の範囲を示す程度の場合です。

注意この線は、条文のどこにも書かれておらず、最高裁が判例で示した線です。

分かれ目は、特定の結論を押しつけるか、共通の土台を示すだけかです。

この線は、第3節の自由権的側面②と同じ内容を指します。

旭川学力テスト事件最高裁判所大法廷判決越えられない線(国家的介入の限界)子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入、例えば、誤つた知識や一方的な観念を子どもに植えつけるような内容の教育を施すことを強制するようなことは、憲法二六条、一三条の規定上からも許されないと解することができる。

13条|第三章 国民の権利及び義務(10〜40条)すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

学習指導要領の法的拘束力(伝習館高校事件)

国の権能は、「必要かつ相当と認められる範囲」という抽象的な言葉で示されました。
では、この権能は、現実にどのような形で働いているのでしょうか。

学習指導要領

定義学習指導要領とは、学校教育法施行規則にもとづいて、教育課程の基準を定めたものです。

  • 委任の系列:法律(学校教育法)→省令(学校教育法施行規則)→告示(学習指導要領)です。
  • 公示するのは:文部科学大臣です(判決当時は文部大臣)。

注意学習指導要領が「目安」か「法規」かで、外れたときの評価が変わります。

  • 目安にすぎない場合:守らなくても直ちに違法にはならず、望ましくないという評価にとどまります。
  • 法規としての性質を持つ場合:外れること自体が違反であり、違法という評価につながります。

伝習館高校事件

事案高等学校の教師が、学習指導要領の定める内容から外れた授業を行ったとして、懲戒免職の処分を受けました。

結論最高裁(第一小法廷)は、高等学校学習指導要領は法規としての性質を有するとした原審の判断を、正当として是認しました。

  • 憲法との関係:そう解することが23条・26条に違反しないことは、旭川学力テスト事件の判決の趣旨とするところだと述べました。

理由この判決自身は、理由を述べていません(原審の判断を是認しただけです)。

法規といえる理由は、次の2点から整理できます。

  • 中身の面:学習指導要領は、国が必要かつ相当な範囲で教育内容を決定する権能を、現実に実行する手段です。
  • 形の面:法律→省令→告示という委任の系列に支えられています。

注意処分(懲戒免職)の重さが妥当だったかは、同じ日に出た別の判決で扱われた、別の論点です。

伝習館高校事件最高裁判所第一小法廷判決学習指導要領の法規性(旭川学力テスト事件への明示引用)高等学校学習指導要領(昭和三五年文部省告示第九四号)は法規としての性質を有するとした原審の判断は、正当として是認することができ、右学習指導要領の性質をそのように解することが憲法二三条、二六条に違反するものでないことは、最高裁昭和四三年(あ)第一六一四号同五一年五月二一日大法廷判決(刑集三〇巻五号六一五頁)の趣旨とするところである。

義務教育の無償の範囲

26条2項後段は、「義務教育は、これを無償とする」と定めています。
では、無償になるのはどこまでなのでしょうか。

義務教育の無償の範囲の表(授業料=憲法26条2項後段により無償・判例で確定/教科書等=法律による上乗せ・立法政策の問題)

義務教育の無償が争われた判決

事案教科書代なども、憲法上の無償に含まれるはずだと主張して争われました。

結論最高裁(大法廷)は、26条2項後段の無償とは授業料不徴収の意味だとしました。

  • 対価:無償の意義は、国が普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことです。教育提供に対する対価とは、授業料を意味します。
  • 教科書など:教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償とすることを定めたものではないとされました。
  • 費用の軽減:国が負担をできるだけ軽減するよう配慮することは望ましいが、立法政策の問題で、憲法の規定するところではないとされました。

理由教科書や学用品まで含めると、どこまでが必要な費用か、際限なく広がってしまいます。

そこで、「対価」がはっきり指す授業料に絞り、それより上は財政の状況を見て法律で判断することにしました。

義務教育の無償が争われた判決最高裁判所大法廷判決授業料不徴収の意味憲法二六条二項後段の「義務教育は、これを無償とする。」という意義は、国が義務教育を提供するにつき有償としないこと、換言すれば、子女の保護者に対しその子女に普通教育を受けさせるにつき、その対価を徴収しないことを定めたものであり、教育提供に対する対価とは授業料を意味するものと認められるから、同条項の無償とは授業料不徴収の意味と解するのが相当である。……憲法の義務教育は無償とするとの規定は、授業料のほかに、教科書、学用品その他教育に必要な一切の費用まで無償としなければならないことを定めたものと解することはできない。……国が保護者の教科書等の費用の負担についても、これをできるだけ軽減するよう配慮、努力することは望ましいところであるが、それは、国の財政等の事情を考慮して立法政策の問題として解決すべき事柄であつて、憲法の前記法条の規定するところではない。

教科書の無償と憲法

結論教科書が無償なのは、憲法の要請ではなく、法律による上乗せです。

条文実際にこの政策を形にしているのは、義務教育諸学校の教科用図書の無償措置に関する法律などです。

具体例教科書無償の法律を廃止しても、26条2項違反にはなりません。

政策として妥当かは、別の問題です。

注意制服代や修学旅行の積立金なども、この条項からは無償になりません。

憲法が保障する最低ラインは授業料で、そこから上は法律の判断です。

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