憲法ゼロから憲法#71

司法権の限界と統治行為——裁けるのに裁かない領域

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第4章 統治 #71/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

司法権の限界とは何か——3つの入口

司法権の限界——3つの入口(①憲法上の限界/②国際法上の限界=治外法権等・この回では扱わない/③性質上の限界=事柄の性質上、審査に適さない) 図:司法権の限界——3つの入口

  • ①憲法上の限界
  • ②国際法上の限界=治外法権等・この回では扱わない
  • ③性質上の限界=事柄の性質上、審査に適さない

裁判所は、一切の法律上の争訟を裁判する権限を持っています。ただし、法律上の争訟にあたる場合でも、事柄の性質上——裁判所の審査に適さないと認められる場合があります。これを、司法権の限界と呼びます。まず、限界の全体像を確認しましょう。一つ目、憲法上の限界です。憲法自身が、明文で例外を定めている場合です。国際法上の限界です。外国の元首や大使に対する治外法権などですが——この回では扱いません。名前だけ、押さえておいてください。性質上の限界です。事柄の性質上、審査に適さないと考えられる場合です。今日、たっぷり見ていくのは、この三つ目です。

今日の地図——今日あつかう4つ(①憲法の明文=55条・64条/②自律権に属する行為/③立法・行政裁量に属する行為/④統治行為/①だけ憲法上の限界、②〜④は性質上の限界) 図:今日の地図——今日あつかう4つ

  • ①憲法の明文=55条・64条
  • ②自律権に属する行為
  • ③立法・行政裁量に属する行為
  • ④統治行為
  • ①だけ憲法上の限界、
  • ②〜④は性質上の限界

今日あつかうのは、四つです。今日の地図です。さっき三つに分けたうちの三つ目——性質上の限界の中身を、一つ目の憲法上の限界と合わせて見ていきます。この四つのうち一つ目だけが憲法上の限界——残りの三つが性質上の限界です。一つ目、憲法の明文——議員の資格争訟と、裁判官の弾劾です。二つ目、議院や内閣の自律権に属する行為です。三つ目、立法裁量・行政裁量に属する行為です。四つ目、統治行為です。でも、根っこにある問いは同じです。なぜ、裁判所ではなく、他の機関が決めるのか。この問いを軸に、四つを順番に見ていきましょう。

①憲法に明文がある場合——議員の資格争訟と裁判官の弾劾

55条・64条が言っていること(議員の資格争訟=各議院が裁く/裁判官の弾劾=弾劾裁判所が裁く/どちらも審査対象外であるだけでなく、通常裁判所にはこの裁判を行う権限そのものが無い) 図:55条・64条が言っていること

  • 議員の資格争訟=各議院が裁く
  • 裁判官の弾劾=弾劾裁判所が裁く
  • どちらも審査対象外であるだけでなく、通常裁判所にはこの裁判を行う権限そのものが無い

一つ目は、憲法自身が、あらかじめ担当を指定している場合です。たとえば、大きな会社を思い浮かべてください。就業規則に、あらかじめこう書いてあるとします。「懲戒処分は、人事委員会の専権とする」。憲法にも、これと同じ形の定めが二つあります。一つ目、五十五条です。条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 55条

日本国憲法 第五十五条 両議院は、各々その議員の資格に関する争訟を裁判する。但し、議員の議席を失はせるには、出席議員の三分の二以上の多数による議決を必要とする。

ある議員について、本当に議員としての資格があるのか、疑いが生じた場合の裁判です。各議院が、自分の議員の資格を、自分で裁きます。資格が無いと決めるだけでなく、議席そのものを失わせるには——出席議員の三分の二以上という、特別多数の議決が要る、という定めです。もう一つが、六十四条です。条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 64条

日本国憲法 第六十四条 ①国会は、罷免の訴追を受けた裁判官を裁判するため、両議院の議員で組織する弾劾裁判所を設ける。 ②弾劾に関する事項は、法律でこれを定める。

こちらは、裁判官を辞めさせるかどうかの裁判です。両議院の議員で組織する、弾劾裁判所が担当します。裁判官どうしが、仲間の裁判官を裁く形になってしまうからです。憲法は、あえて国会の中に、専門の裁く場を作りました。弾劾の具体的な手続きは、別の法律に委ねられている、という意味です。ここで、絶対に取り違えないでほしいことがあります。この二つは、「裁判所の審査の対象から外れる」というだけではありません。通常の裁判所が、この裁判そのものを行う権限を、そもそも持っていないんです。「対象外」と「権限が無い」は、違います。対象外というだけなら、権限はあるけれど使わない、とも読めます。でも実際には、権限そのものが、最初から通常の裁判所には無いんです。

この二つを、必ずセットで覚えておいてください。

②自律権に属する行為——警察法改正無効事件

警察法改正無効事件の請求構造(住民→大阪府へ警察費支出の差止め請求/裁判所は議事手続の当否には立ち入らず両院の自主性を尊重) 図:警察法改正無効事件の請求構造

  • 住民→大阪府へ警察費支出の差止め請求
  • 裁判所は議事手続の当否には立ち入らず両院の自主性を尊重

二つ目は、議院や内閣の自律権に属する行為です。組織の中の進め方は、その組織自身に任せる、という発想です。「自律解散」とは、別の話です。自律解散は、衆議院が自分の決議で解散できるか、という問題——こちらの自律権は、内部の手続に裁判所が立ち入るか、という問題です。さきほどの会社のたとえで言えば、各部署の会議をどう進めるかは——他の部署はもちろん、社長も口出ししません。ここで一度、手を止めましょう。前回の内容を思い出してください。住民訴訟は、法律上の争訟にあたる訴訟でしたか?それとも——あたらないのに、法律が特別に認めた訴訟でしたか?

あたらないのに、法律が特別に認めた入口——それが客観訴訟でした。今日の事件も、その住民訴訟という形で起こされます。ただし、今日の主役は、その入口を通った先にある、もう一つの壁です。ある国会で、警察法の改正案が審議されていました。会期を延長する議決の成立過程に、手続上の疑義が生じたんです。ただ、両院の議決を経て、適法に公布されたとされました。そして、延長後の国会で、改正警察法が可決されたんです。この改正法にもとづく警察費の支出について——大阪府の住民が、支出の差止めを求める住民訴訟を起こしました。争ったのは、会期延長の議決が本当に有効だったかどうかです。

そこは、判旨をそのまま読んでみましょう。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和37年3月7日

警察法改正無効事件 「同法は両院において議決を経たものとされ適法な手続によつて公布されている以上、裁判所は両院の自主性を尊重すべく同法制定の議事手続に関する所論のような事実を審理してその有効無効を判断すべきでない」

議事手続がどうだったかという事実そのものを、裁判所は審理しません。もし裁判所が、議事の進み方を一つ一つ洗い直せるとしたら——国会の内部運営に、裁判所が介入することになってしまいます。それは、三権分立のバランスを崩す危険があります。ここで一つ、射程を確認しておきます。自律権が及ぶのは、あくまで内部の手続についてです。改正された法律の中身そのものが違憲かどうかは、また別の話です。「議院や内閣に関する話は、何でも審査対象外」ではありません。

③立法裁量・行政裁量に属する行為

立法裁量・行政裁量(憲法→法律→行政という具体化の階層/複数の選択肢が許容される以上、選ぶのは立法権・行政権の裁量/裁量権の濫用・逸脱があれば違法と判断できる) 図:立法裁量・行政裁量

  • 憲法→法律→行政という具体化の階層
  • 複数の選択肢が許容される以上、選ぶのは立法権・行政権の裁量
  • 裁量権の濫用・逸脱があれば違法と判断できる

三つ目は、立法裁量・行政裁量に属する行為です。憲法は、法律に具体化を委ね、法律は、行政に具体化を委ねます。この階層を降りるたびに、複数の合理的な選択肢が出てきます。新商品のデザイン案を、どの色にするか、というような場面です。複数の合理的な候補があるなら、どれを選ぶかは担当部署に任されます。何を選んでもいい、というわけではありません。誰が見ても不合理な案なら、上司は差し戻せます。憲法や法律の具体化も同じです。原則として、選ぶ側の裁量に委ねられます。ただし、その裁量権の濫用や逸脱があれば、裁判所は違法だと判断できます。

濫用・逸脱があれば、通常どおり審査されます。この考え方は、行政事件訴訟法三十条にも表れています。条文の存在を、押さえておいてください。中身は、また別の機会にします。

④統治行為とは——今日の四つ目

統治行為とは(直接、国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為/例=日米安保条約の締結/法律上の争訟にあたる場合であっても司法審査の対象から除外される) 図:統治行為とは

  • 直接、国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為
  • 例=日米安保条約の締結
  • 法律上の争訟にあたる場合であっても司法審査の対象から除外される

四つ目、統治行為です。ここからが、今日の本体です。直接、国家統治の基本にかかわる、高度に政治性のある国家行為をいいます。例えば、日米安保条約の締結です。その中身は、別の回に譲ります。今日は、この後の判例で名前だけ使います。統治行為は行為そのもの。統治行為論は、その行為について裁判所が判断を控える、という考え方です。こうした統治行為については、法律上の争訟に——あたる場合であっても、司法権の限界にあたり、審査の対象から外れます。「あたる」のに審査しない——この一字が、今日いちばん覚えてほしいところです。要件を満たしていない、から審査しないのではありません。要件を満たしている、それでも審査しない、という話です。

今日の4つ——なぜ他に委ねるのか(①明文=憲法自身が指定・憲法上の限界/②自律権=自主性の尊重/③裁量=裁量の承認/④統治行為=民主的基盤の差/②〜④は性質上の限界/同じ問いに答え方が違う) 図:今日の4つ——なぜ他に委ねるのか

  • ①明文=憲法自身が指定・憲法上の限界
  • ②自律権=自主性の尊重
  • ③裁量=裁量の承認
  • ④統治行為=民主的基盤の差
  • ②〜④は性質上の限界/同じ問いに答え方が違う

ここで、四つを一枚の表に並べてみましょう。会社のたとえで言えば、これが最後の一つです。会社の存続を左右するような大方針——本社の移転や、合併に応じるか——そうした判断は、監査の役割を持つ部署ではなく——株主に選ばれ、株主に対して責任を負う経営陣が決める領域だとされています。理由は、この後の論拠のところで詳しく見ます。四つとも、法律上の争訟にあたるのに、裁判所は裁かない場面でした。次は、この四つ目——統治行為の中身を、判例で見ていきましょう。

砂川事件——変則型の統治行為論

砂川事件——変則型(日米安保条約の合憲性が争点/一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは司法審査権の範囲外/留保があり、審査しうる余地を自分で残す) 図:砂川事件——変則型

  • 日米安保条約の合憲性が争点
  • 一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは司法審査権の範囲外
  • 留保があり、審査しうる余地を自分で残す

統治行為論が最初に登場したのは、砂川事件です。日米安保条約の合憲性が争われた事件です。事案の詳しい中身は、別の回に譲ります。今日は、統治行為論の骨組みの部分だけを見ます。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和34年12月16日

砂川事件 「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」であり、その判断は「第一次的には……内閣および……国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきもの」

「範囲外」とした理由は、まずは内閣と国会の判断に従い、最終的には主権者である国民の政治的批判に委ねるべきだから、です。そのうえで、前半の言い回しに戻りましょう。そこが、今日いちばんの急所です。よく見てください。「認められない限りは」ということは——一見して極めて明白に違憲無効だと認められる場合は、話が別だということです。この判決は、審査しうる余地を、自分で残しています。だから、変則型と呼ばれます。

苫米地事件——純粋型の統治行為論

苫米地事件の請求構造(元衆議院議員→国へ歳費の支払い請求/前提として、解散は無効であり議員の地位は失われていないと主張) 図:苫米地事件の請求構造

  • 元衆議院議員→国へ歳費の支払い請求
  • 前提として、解散は無効であり議員の地位は失われていないと主張

もう一つ、内閣による衆議院の解散が争われた事件があります。事案を見てみましょう。ある衆議院の解散について、当時、衆議院議員だった原告が——この解散は憲法に違反し、無効だと主張しました。原告の主張では、解散によっては議員の身分を失わない、ということになります。そこで、任期満了までの歳費の支払いを求めました。図のとおりです。では、裁判所の判断を見てみましょう。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和35年6月8日

苫米地事件 「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」は「たとえそれが法律上の争訟となり、これに対する有効無効の判断が法律上可能である場合であつても、かかる国家行為は裁判所の審査権の外にあり」、その判断は「主権者たる国民に対して政治的責任を負うところの政府、国会等の政治部門の判断に委され、最終的には国民の政治判断に委ねられている」。「この司法権に対する制約は、結局、三権分立の原理に由来し……司法権の憲法上の本質に内在する制約と理解すべきものである」

内閣が衆議院を解散したとき、その解散が有効かどうかを裁判所は判断できるのか——持ち越していたこの問いに、これで答えが出ました。そのうえで、この判旨には、もう一つ見るべきところがあります。そこが、砂川事件との決定的な違いです。この言い方の後に、留保が続いていませんね。苫米地事件には、その逃げ道がありません。

砂川と苫米地——留保の有無(砂川=一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、の留保がある/苫米地=法律上可能である場合であつても、に留保が無い) 図:砂川と苫米地——留保の有無

  • 砂川=一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、の留保がある
  • 苫米地=法律上可能である場合であつても、に留保が無い

砂川事件は「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは」——審査しうる余地を、自分で残していました。苫米地事件は、法律上の判断ができる場合であっても、と言い切っています——この一文に、審査しうる余地は残されていません。ここで、一度確認させてください。この二つの判決、どちらが「例外の余地」を自分で残しているでしょうか?該当する言い回しを、指せますか?この一点の差が、変則型と純粋型を分けています。呼び方としては、砂川を変則的統治行為論、苫米地を純粋な統治行為論と言います。「高度の政治性」という理屈は同じでも——どこまで踏み込むかは、判決によって違います。

統治行為論の論拠——なぜ、その機関に委ねるのか

民主的基盤の比較(国会=国民の直接選挙・43条1項/内閣=国会の指名と国務大臣の任命・67条68条1項/裁判所=内閣の任命と最高裁の指名・6条2項79条1項80条1項で国民も国会も関与しない) 図:民主的基盤の比較

  • 国会=国民の直接選挙・43条1項
  • 内閣=国会の指名と国務大臣の任命・67条68条1項
  • 裁判所=内閣の任命と最高裁の指名・6条2項79条1項80条1項で国民も国会も関与しない

そこには、はっきりした理由があります。国会は、国民による直接選挙で選ばれた議員で構成されます。四十三条一項です。内閣も、同じです。内閣総理大臣は、国会の議決で指名され——その総理大臣が国務大臣を任命して、内閣を組織します。六十七条、六十八条一項です。裁判所は、対照的です。最高裁判所の裁判官は、内閣が任命します。六条二項、七十九条一項です。それ以外の裁判官は、実質的に最高裁判所が指名します。八十条一項です。裁判所は、民主的基盤が非常に弱い組織なんです。会社のたとえで言えば、株主に選ばれていない立場です。

民主的基盤が強く、国民に政治的責任を負う国会・内閣が——統治行為を担当する適任者であり——民主的基盤が弱く、政治的責任を負わない裁判所は、適任者ではない。これが、統治行為論の論拠です。

統治行為論の適用範囲——例外中の例外に絞る

統治行為論——例外中の例外に絞る(①他の理論で説明できるなら使わない=苫米地の解散も解散事由は内閣の裁量論、閣議決定は内閣の自律権で説明できないか検討する/②精神的自由権・選挙権が争点なら使えない) 図:統治行為論——例外中の例外に絞る

  • ①他の理論で説明できるなら使わない=苫米地の解散も解散事由は内閣の裁量論、閣議決定は内閣の自律権で説明できないか検討する
  • ②精神的自由権・選挙権が争点なら使えない

「高度に政治性がある」と言えば何でも審査から外れる——そこが、最大の誤解です。統治行為の概念は、実はとても曖昧です。みだりに認めると、法の支配そのものが崩れる、という批判があります。だから、例外中の例外として、適用範囲を限定的に解するのが妥当とされています。二つの絞り込みがあります。一つ目です。他の理論で、司法権の限界を説明できる場合には、統治行為論を用いません。ある行為を統治行為と呼ぶ前に、問いを二つに割ってみてください。「なぜ、その決定をしたのか」という動機の問いと——「どうやって、その決定にたどり着いたのか」という進め方の問いです。

何を選ぶかは裁量の話、どう進めるかは自律の話でした。この二つの問いを、苫米地事件の解散にあてはめてみましょう。解散する理由が妥当だったかどうかですから、内閣の裁量論で説明できないか。閣議決定の進め方が適法だったかどうかですから、内閣の自律権で説明できないか。さっき見た、二つ目と三つ目の道具ですね。まず、これらで説明できないかを検討します。それでも説明しきれない、政治性の核心そのものについて——はじめて、統治行為論を使います。統治行為論は、民主政の理論を論拠にしていましたね。だとすれば、民主政を支える人権が争点の事件には——統治行為論を使えません。

精神的自由権と、選挙権です。政治について自由に語れること、そして代表を選べること——民主政という仕組みを動かしている、回路そのものだからです。この二つが争点になっているのに、統治行為だから審査しない、とは言えません。その場合は原則に戻って、裁判所が通常どおり審査します。この二つの絞り込みを、必ずセットで覚えておいてください。ちなみに、統治行為論は、答案でも問われる論点です。今日は、その中身を理解することに絞りました。

今日の地図(保存版)

今日の到達点(①今日の4つ——明文(憲法上)/自律権・裁量・統治行為(性質上)/②砂川は変則型、苫米地は純粋型/③統治行為の適用範囲は2つの限定で絞る/④55条64条は審査対象外かつ裁判を行う権限自体が無い) 図:今日の到達点

  • ①今日の4つ——明文(憲法上)/自律権・裁量・統治行為(性質上)
  • ②砂川は変則型、苫米地は純粋型
  • ③統治行為の適用範囲は2つの限定で絞る
  • ④55条64条は審査対象外かつ裁判を行う権限自体が無い

今日の内容を、まとめておきましょう。一つ目。司法権の限界には、今日あつかった四つがありました。憲法の明文、自律権、裁量、そして統治行為です。このうち一つ目の憲法の明文だけが憲法上の限界——残りの三つが性質上の限界です。四つとも、なぜ裁判所ではなく他の機関が決めるのか、という——同じ問いへの、答え方の違いでした。二つ目。五十五条と六十四条は、審査の対象外というだけでなく——裁判所自身が、その裁判を行う権限そのものを持っていませんでした。三つ目。砂川事件と苫米地事件を比べました。砂川は「認められない限りは」という留保があって、変則型。苫米地には留保が無くて、こちらが純粋型です。

四つ目。統治行為論の適用範囲は、二つの限定で絞られていました。他の理論で説明できるなら使わない。精神的自由権や選挙権が争点なら使えない。国の機関どうしの話は、これで一区切りです。大学や、政党、地方議会——そうした「小さな社会」の中の争いは、どうでしょうか。そこは、この先で見ていきましょう。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 55条
  • 日本国憲法 64条

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