出版の事前差止め(後編)
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ゼロから憲法 論文/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
設例

今日は、発売前の本を、裁判所が止められるか。この答案を、最後まで書き切ります。題材は、町の水道工事の入札を追ったルポ書籍です。出てからなら、事後の責任の話です。出る前に止めるなら、表現が読者に届く前に、その途を閉ざします。この重さが、今日の答案の芯になります。まず事実です。E町は、町営水道の配水管更新工事の入札を行いました。予定価格は4億8,000万円で、入札までは非公表です。ある業者、以下、落札業者が、4億7,600万円で落札しました。町民の間では、予定価格が事前に漏れたのではないか、という声が出ました。フリーライターのAは、約1年かけて取材し、ルポ、E町の水の行方、を自費で出版することにしました。初版は3,000部で、印刷は終わり、発売予定日も決まっています。けれど、内容はまだ誰にも公表されていません。Aは情報公開請求で、過去5年の同種工事の落札額が、いずれも予定価格の98%を超えていることも確かめました。

本の中の、2つの記述を見ます。1つ目は、第3章の記述です。水道課長Cは、入札の約2週間前、落札業者の営業担当者に予定価格を教えた。根拠は2つあります。落札業者の元従業員Dの証言と、Dが保管していた、営業担当者作成の社内メモです。Dは、入札の二、三週間前、営業担当者が役場近くの喫茶店で課長と会い、帰社後に予定価格を社内で共有した、と述べます。社内メモは、入札の約3週間前の日付で、予定価格と同額の数字と、水道課長より、という書き込みがあります。営業担当者は、Aの取材申込みに応じませんでした。第3章は、さきほどの落札額の推移を示し、予定価格の事前公表などの制度改善を提案する内容です。Cを攻撃する言葉は使っていません。AはCと面識がなく、私的な争いもありません。2つ目は、第5章の記述です。Cは30代のころ、適応障害で約1年休職し、精神科に通院していた。Aは、元同僚ら複数の人に確かめ、事実のとおりだと確認しています。Cも、事実であることは争いません。Cは治療を終えて10年以上、職務に支障なく勤務しています。この事実は、職場の同僚にも町民にも、明かしていません。Aは、1つ目の記述の背景として、頼まれると断れない人柄を示すために書いたと説明しますが、1つ目の記述と結びつける取材上の根拠はありません。
事実のとおりの記述でも差止めの問題になるのか。そこが、今日の分かれ目です。先を続けます。Cは、1つ目の記述は名誉権を、2つ目の記述はプライバシー権を侵害するとして、Aを相手に、各記述を含むAの本の出版・販売・頒布の差止めを命じる仮処分を、裁判所Bに申し立てました。仮処分とは、正式な裁判の結論を待たずに、裁判所が急いで出す仮の命令です。Bは、審尋の期日を開きました。審尋とは、裁判所が当事者から言い分を聞く手続です。Aは取材資料を提出して主張しました。Cは、入札の約2週間前の日は出張中だったとする記録と、予定価格を教えたことはないとの陳述書を提出しました。

関係を図にします。差止めを判断する裁判所がB、本を出すライターがA、申し立てた水道課長がC、Aの取材先の元従業員がDです。BからAへ、差止めの仮処分。CからBへ、申立て。AからCへ、2つの記述でCを指摘。DからAへ、証言と社内メモです。問いは一つです。Bが、Cの申立てを認めて、各記述を含むAの本の出版等を差し止めることは、憲法21条1項に照らして許されるか。CとAは私人どうしです。けれど、差止めを命じるのは裁判所Bで、公権力が表現を止める場面です。だから答案では、私人どうしの争いに憲法がどう及ぶか、という論証から入る必要はありません。裁判所が表現を止める以上、表現の自由との調整が要る、という一点で進めます。
条文日本国憲法21条
憲法第21条 第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。 ② 検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。
1項が表現の自由を保障します。出版も、一切の表現の自由に含まれます。2項前段は検閲の禁止で、今日は、これにあたるかどうかを一つの段で確かめます。
差止めの根拠
図:問い|Cは何を根拠に出版の差止めまで求められるのか
最初の段です。問いです。Cは、何を根拠に、出版の差止めまで求められるのでしょうか。少し考えてみてください。憲法にも民法にも、人格権の明文はなく、差止めの明文もありません。だから答案では、根拠から書きます。

上の段に問題提起、真ん中に規範、下にあてはめがあります。真ん中の規範を、区切って読みます。中身は、以前の回で見た、新しい人権を認める物差しと同じです。答案の形で、もう一度通します。1つ目の区切りは、「明文にない権利であっても保障する必要性が高い」です。時代とともに必要な権利は増えます。条文に書いていないから保障しない、では足りません。2つ目の区切りは、「あらゆる権利を人権として保障するのは人権の価値の希薄化を招き妥当でない」です。何でも人権にすると、本当に守るべきものの重みが薄まります。だから絞ります。絞る物差しが、3つ目の区切り、「個人の人格的生存に不可欠な利益」です。人格権は、人格的価値に関わる利益を守るもので、この物差しに乗ります。だから、13条後段で保障されます。
条文日本国憲法13条
憲法第13条 第十三条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
13条後段の、幸福追求に対する国民の権利が、人格権の受け皿です。
判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)
北方ジャーナル事件(名誉権に基づく差止めの根拠) 「……人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを求めることができるものと解するのが相当である。けだし、名誉は生命、身体とともに極めて重大な保護法益であり、人格権としての名誉権は、物権の場合と同様に排他性を有する権利というべきであるからである。」
規範の4つ目の区切り、排他性を有する権利、が、この判決と同じ中身です。ポイントは、排他性です。物権、つまり所有権のように物を直接的かつ排他的に支配する権利と同じように、他人の侵害を退けられる力があるから、起きたあとの賠償だけでなく、いま行われている侵害の排除と、これから起きる侵害の予防、つまり差止めまで求められます。発売前の本にも差止めが届く根拠は、将来生ずべき侵害を予防するため、の部分です。ただし、届くことと、認められることは別です。認められる要件は、このあと順に見ます。名誉もプライバシーも、人格的価値に関わる利益という点では、同じです。答案では、名誉もプライバシーも、人格権として、同じ根拠に乗せます。あてはめです。1つ目の記述は、Cが入札前に予定価格を教えたという指摘で、公務員としてのCの社会的評価を低下させます。名誉です。2つ目の記述は、Cが適応障害で休職し通院していた、という、他人にみだりに知られたくない私生活上の事実です。プライバシーです。そして、Aの本は実名です。E町の住民が読めば、Cその人と分かります。したがって、Cは人格権に基づき、侵害行為の差止めを求める地位にあります。ここは、短く通します。
検閲か事前抑制か
図:問い|裁判所が発売前の本を止めるのは検閲にあたるのか
ここで復習です。前編で見た、検閲にあたらないとしても、事前抑制は、どんな要件のもとでだけ許されるのでしたか?厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる、でした。今日は、その一文を、裁判所が止める場面に持ち込みます。問いです。裁判所が発売前の本を止めるのは、検閲にあたるでしょうか。少し考えてみてください。見た目は似ています。けれど、検閲は、行政権が主体の話です。本件は、どうでしょう。

規範を、区切って読みます。1つ目の区切りは、「個別的な私人間の紛争について、司法裁判所が、当事者の申請に基づいて判断するものであるから、検閲にはあたらない」です。特定の2人の争いを、裁判所が、申立てがあって初めて判断します。書籍一般を網羅的に審査する、行政の仕組みとは、性質が違います。
判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)
北方ジャーナル事件(検閲にあたらない) 「……仮処分による事前差止めは、表現物の内容の網羅的一般的な審査に基づく事前規制が行政機関によりそれ自体を目的として行われる場合とは異なり、個別的な私人間の紛争について、司法裁判所により、当事者の申請に基づき差止請求権等の私法上の被保全権利の存否、保全の必要性の有無を審理判断して発せられるものであつて、右判示にいう「検閲」には当たらないものというべきである。」
判決が、この理由を述べています。行政機関が、内容を網羅的に審査する場合とは異なる、という書き方です。前編で練習した、外れる要素を一つ特定する言い方なら、外れるのは主体です。判断するのは行政機関ではなく、司法裁判所です。答案では、この一点を特定して書けば足ります。2つ目の区切りは、「しかし、出版物の頒布等の事前差止めは事前抑制にあたり」です。検閲でないから自由に止めてよい、とはなりません。厳格かつ明確な要件のもとにおいてのみ許容されうる。これが、事前抑制の扱いです。厳格かつ明確な要件、とは、絶対に禁止という意味ではありません。要件が厳しく、しかも明確に定まっていて、それを満たすときだけ許される、という意味です。あてはめです。本件の仮処分は、Cの申立てに基づき、裁判所Bが、差止請求権の存否と保全の必要性を判断するものです。保全の必要性とは、正式な裁判の結論を待っていては間に合わないか、です。個別的な私人間の紛争についての司法判断で、書籍一般を網羅的に審査する仕組みではありません。したがって、検閲にはあたりません。ただし、差止めは、発売前にAの本の内容が読者に届く途を閉ざします。事前抑制にあたり、厳格かつ明確な要件を満たす場合にだけ許されます。
侵害される権利によって、変わります。記述ごとに、分けて検討します。
名誉に基づく差止め
図:問い|公務員の職務を指摘する本の事前差止めは原則どう扱われ例外はどんなときか
ここが、今日いちばん厚く書く段です。1つ目の記述、名誉に基づく差止めです。問いです。公務員の職務を指摘する本の事前差止めは、原則どう扱われ、例外はどんなときでしょうか。少し考えてみてください。公務員を論じる本は簡単に止めない、しかし明らかに誤った本は止める。この2つの要請を、条件の形にしたものが、規範です。順に見ます。

規範を、区切って読みます。1つ目の区切りは、「公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為は、一般に公共の利害に関する事項であり、その事前差止めは、原則として許されない」です。公共の利害に関する事項とは、社会全体が判断の材料にすべき事柄です。公務員の仕事ぶりは、まさにそうです。入口は、許されない側にあります。2つ目の区切りは、例外です。「その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であって、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、例外的に許される」です。係り方を、整理します。まず、前半の中は、又は、でつながっています。真実でない、専ら公益を図る目的でない、のどちらかが明白であれば、前半は満たします。そして、前半と、後半の重大な損害の虞は、かつ、でつながっています。両方必要です。この2つを、1つ目の要件、2つ目の要件と呼びます。明白、という言葉は、真実でない、の側にも、専ら公益を図る目的でない、の側にもかかります。疑わしい、では足りません。
判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)
北方ジャーナル事件(原則と例外) 「出版物の頒布等の事前差止めは、このような事前抑制に該当するものであつて、とりわけ、その対象が公務員又は公職選挙の候補者に対する評価、批判等の表現行為に関するものである場合には、そのこと自体から、一般にそれが公共の利害に関する事項であるということができ、前示のような憲法二一条一項の趣旨(前記(二)参照)に照らし、その表現が私人の名誉権に優先する社会的価値を含み憲法上特に保護されるべきであることにかんがみると、当該表現行為に対する事前差止めは、原則として許されないものといわなければならない。ただ、右のような場合においても、その表現内容が真実でなく、又はそれが専ら公益を図る目的のものでないことが明白であつて、かつ、被害者が重大にして著しく回復困難な損害を被る虞があるときは、当該表現行為はその価値が被害者の名誉に劣後することが明らかであるうえ、有効適切な救済方法としての差止めの必要性も肯定されるから、かかる実体的要件を具備するときに限つて、例外的に事前差止めが許されるものというべきであり、このように解しても上来説示にかかる憲法の趣旨に反するものとはいえない。」
理由づけが、大切です。判決が引く21条1項の趣旨とは、公共の事柄についての表現は、国民が国の進み方を決める材料になるので、特に重要な権利として守られる、ということです。だから、公務員への批判は、名誉を守る利益に優先する社会的価値を含みます。例外が開くのは、その価値が、被害者の名誉に劣後することが明らかで、しかも差止めの必要性もあるときです。真実でないことが明白なら、守る価値が薄い。専ら公益のためでないことが明白でも、同じです。そして、重大で回復困難な損害があって初めて、止める必要が出ます。3つ目の区切りは、手続です。
判例最大判昭和61年6月11日(大法廷)
北方ジャーナル事件(手続) 「……事前差止めを命ずる仮処分命令を発するについては、口頭弁論又は債務者の審尋を行い、表現内容の真実性等の主張立証の機会を与えることを原則とすべきものと解するのが相当である。」
差止めを求められた側、債務者に、真実かどうかを主張立証する機会を与えるのが原則です。一方の言い分だけで止めると、真実の本が止まりかねないからです。民事保全法23条4項に、口頭弁論か、債務者が立ち会える審尋の期日を経ること、という趣旨の定めがあります。事後の責任では、公務員についての事実なら、真実だと証明できれば、責任を負いません。刑法230条の2が定める道です。証明できなくても、確実な資料、根拠に照らして、真実と信じたことに相当の理由があれば、故意や過失がないとして、責任を免れます。こちらは条文の要件ではなく、以前の回で見た、夕刊和歌山時事事件の判例の物差しです。この判決も、事後のこの物差しは、事前に止めるかを考えるときにも考慮を要する、と述べています。そのうえで、事前差止めは、それより絞られます。問うのは、Aが真実を証明できるかではなく、真実でないことなどが明白か、です。

あてはめです。順番は、原則の入口、1つ目の要件、2つ目の要件、手続です。まず入口です。Cは公務員です。1つ目の記述は、入札での予定価格の取扱いという、Cの職務上の行為への指摘です。入札は町の公金を使って行われ、その公正にかかわります。公共の利害に関する事項です。したがって、事前差止めは、原則として許されません。次が本番です。1つ目の要件の、真実でないことが明白か。板の表を使います。左が、Aの資料です。Dの証言は、入札の二、三週間前、喫茶店で会った、という内容です。社内メモは、入札の約3週間前の日付で、予定価格と同額の数字と、水道課長より、の書き込みがあります。右が、Cの反証です。出張記録は、入札の約2週間前の日は出張中だった、というものです。陳述書は、教えたことはない、というものです。突き合わせます。出張記録は、約2週間前の、その一日の不在を示すにとどまります。Dの証言は、二、三週間前と幅があり、会った日が、その一日とは限りません。メモの日付は約3週間前で、これも別の日です。つまり、出張記録は、証言とメモそのものを否定していません。陳述書は、否認の主張にとどまります。
出張記録が示す一日については、Cは会えなかったといえます。けれど、Aの資料が指す日は、その一日に限られていません。この点は、あとの反論で、もう一度見ます。評価です。Aの資料は具体的で、Cの反証はそれを覆していません。したがって、記述が真実でないことが明白とは、いえません。逆に、社内メモが後から作られたものだと分かり、証言の幅の期間ずっとCが出張していたと示せれば、真実でないことが明白に近づきます。本件は、そこまで届いていません。続けて、専ら公益を図る目的のものでないことが明白か。第3章の中身は、落札額の推移と、予定価格の事前公表などの制度改善の提案です。AはCと面識がなく、私的な争いもありません。Cを攻撃する言葉も使っていません。専ら公益を図る目的でないことが、明白とはいえません。したがって、1つ目の要件を満たしません。2つ目の要件です。仮に事実無根なら、Cは課長としての信頼を失い、本が流通した後は、その回復が難しいでしょう。2つ目の要件は、満たしうるといえます。けれど、1つ目と2つ目は、かつ、でつながっています。1つ目を欠く以上、例外にはあたりません。ここは短く、しかし必ず書きます。手続です。裁判所Bは審尋の期日を開き、Aは取材資料を出して、真実性と目的を主張立証する機会を得ました。手続の要請は、満たされています。論点は、実体の要件に絞れます。

Cは、こう反論するでしょう。出張記録で、会っていないと示した。切り返しは、先ほどの突き合わせです。一日分の記録は、二、三週間前という証言の幅と、約3週間前のメモの日付を、覆しません。もう一つ。本が出れば、課長を続けられない。切り返しは、その重大さは、2つ目の要件の話で、1つ目の要件が先に欠ける、です。結論です。1つ目の記述に基づく差止めは、原則として許されず、例外の要件も満たしません。認められません。
プライバシーに基づく差止め
図:問い|2つ目の記述は真実なのに差止めの判断に入るのはなぜか
次は、2つ目の記述です。問いです。2つ目の記述は、真実です。それでも、差止めの判断が必要なのは、なぜでしょうか。少し考えてみてください。以前の回でも見たとおり、名誉とプライバシーでは、真実性の向きが逆になります。名誉毀損は、真実であれば、表現の自由が勝ちやすい。プライバシーは、真実であるからこそ、保護が要ります。他人に知られたくない私生活の事実は、事実であるほど、傷が深いからです。だから、名誉の、真実でないことが明白か、という要件は、プライバシーの物差しの中には入りません。別の物差しで、量ります。

規範を、区切って読みます。1つ目の区切りは、「両者の優劣を抽象的に決することはできない」です。人格権は、一度傷つくと回復が難しい。表現の自由は、民主主義社会で優越的な地位にある。どちらが上とは、言えません。だから、名誉のような、原則と例外の型に割り切らず、場面ごとの事実で量ります。2つ目の区切りは、「侵害行為の対象者の社会的地位や侵害の性質を考慮しつつ、双方の不利益を比較衡量して決すべきである」です。社会的地位とは、その人がどこまで公の関心に服する立場にあるか、です。公務員でも、職務と関係のない事柄までは及びません。比較衡量とは、C側の不利益と、A側の不利益を、事実で並べて、重さを比べることです。真実かどうかは、この秤に載りません。
判例最判平成14年9月24日(第三小法廷)
石に泳ぐ魚事件(原審が掲げた比較衡量の定式) 「……どのような場合に侵害行為の差止めが認められるかは,侵害行為の対象となった人物の社会的地位や侵害行為の性質に留意しつつ,予想される侵害行為によって受ける被害者側の不利益と侵害行為を差し止めることによって受ける侵害者側の不利益とを比較衡量して決すべきである。そして,侵害行為が明らかに予想され,その侵害行為によって被害者が重大な損失を受けるおそれがあり,かつ,その回復を事後に図るのが不可能ないし著しく困難になると認められるときは侵害行為の差止めを肯認すべきである。」
この判決が掲げる定式です。ここでも、比較衡量の中身は、被害者側と侵害者側の不利益です。3つ目の区切りは、差止めが認められる場面の絞りです。要るのは3つ。侵害が起こると明らかに見込まれること。被害者が重大な損失を受けるおそれがあること。そして、あとから元に戻すことが、できないか、著しく難しいこと。3つとも、かつ、でつながり、全部そろって初めて認められます。事前差止めの重大性に鑑みた、絞りです。気をつけてください。名誉の、原則と例外の2つの要件と、この3つの要件は、別の物差しです。名誉の要件を満たして差止めが認められる、という話ではありません。同じ文の中には、並べません。射程も、一つ言っておきます。この判決は、雑誌にすでに載った小説について、その後の出版等を差し止めた事案です。以前の回で、出す前に止めた実例として見たのは、この出版の差止めのことです。ただ、雑誌での公表そのものは、もう済んでいました。一度も公表されていない本に、この式がそのまま及ぶかは、判決上、明らかではありません。それでも答案では、この式で量ります。3つの要件は、厳しく、しかも明確に定まっていて、前の段で見た、厳格かつ明確な要件のもとでのみ許される、という事前抑制の条件に合う形をしているからです。そのうえで、本件の本は未公表です。予測に基づく判断になることを、1つ目の要件、侵害行為が明らかに予想されるか、のところで織り込み、予測の確かさを、事実で言います。
次の判決文で、被上告人とあるのは、小説のモデルにされ、差止めを求めた側の人です。
判例最判平成14年9月24日(第三小法廷)
石に泳ぐ魚事件(あてはめで拾う事実の手本) 「被上告人は,大学院生にすぎず公的立場にある者ではなく,また,本件小説において問題とされている表現内容は,公共の利害に関する事項でもない。さらに,本件小説の出版等がされれば,被上告人の精神的苦痛が倍加され,被上告人が平穏な日常生活や社会生活を送ることが困難となるおそれがある。そして,本件小説を読む者が新たに加わるごとに,被上告人の精神的苦痛が増加し,被上告人の平穏な日常生活が害される可能性も増大するもので,出版等による公表を差し止める必要性は極めて大きい。」
この部分は、一つ前の段階の裁判所、原審の判断を、最高裁が判決の中で掲げた部分です。ここは、規範の出典としてではなく、事実のどこを拾うかの手本として使います。拾うのは、3つです。社会的地位、公共の利害に関する事項か、被害の広がり方。
判例最判平成14年9月24日(第三小法廷)
石に泳ぐ魚事件(結論の部分) 「原審の確定した事実関係によれば,公共の利益に係わらない被上告人のプライバシーにわたる事項を表現内容に含む本件小説の公表により公的立場にない被上告人の名誉,プライバシー,名誉感情が侵害されたものであって,本件小説の出版等により被上告人に重大で回復困難な損害を被らせるおそれがあるというべきである。したがって,人格権としての名誉権等に基づく被上告人の各請求を認容した判断に違法はなく,……」
結論の部分では、公共の利益に係わらない、プライバシーにわたる事項で、公的立場にない人物だから、重大で回復困難な損害のおそれがある、とされています。あてはめでは、この順に事実を置きます。

あてはめです。まず、社会的地位と、侵害の性質です。Cは公務員ですが、広く知られた公人ではありません。住民の選挙で選ばれた者でもありません。職務上の行為は批判の対象になりますが、私的な健康状態にまで公共の関心が及ぶ地位とは、いえません。2つ目の記述は、病名、休職の期間、通院を、具体的に記しています。他人にみだりに知られたくない私生活上の事実です。Aが事実だと認めても、結論は動きません。プライバシーは、真実であるからこそ守られる利益で、真実であることは、差止めの判断を左右しないのです。公共の利害に関する事項かどうかも、見ます。Cは治療を終えて10年以上、職務に支障なく勤務しています。1つ目の記述との結びつきは、Aの推測にとどまり、取材上の根拠がありません。したがって、公共の利害に関する事項では、ありません。次に、双方の不利益です。C側は、同僚にも町民にも明かしてこなかった事実が、E町で広く知られ、平穏な日常生活や職場生活を送ることが困難になります。Aの本を読む者が増えるごとに、被害は広がります。A側は、2つ目の記述を除いても、第3章の入札の指摘と、制度改善の提案は、そのまま読者に伝わります。2つ目の記述は、Aの本の主題に不可欠ではありません。差止めによるAの不利益は、小さいといえます。したがって、Cの不利益のほうが、上回ります。最後に、3つの要件です。1つ目、侵害行為が明らかに予想されるか。Aの本は印刷を終え、発売予定日も決まり、記述の内容も確定しています。事前抑制は予測に基づく判断になりますが、本件では、予測の余地は小さいといえます。
2つ目、重大な損失を受けるおそれか。病歴が町に知れ渡れば、Cは平穏な生活を送れなくなります。3つ目、回復を事後に図るのが不可能または著しく困難か。いったん流通した本の回収は難しく、広まった情報は、金銭の賠償では戻りません。3つとも満たします。

Aは、こう反論するでしょう。Cは公務員だから、私生活も批判を受ける。切り返しは、公務員でも、職務と関係のない病歴は、公共の利害に関する事項ではない、です。もう一つ。1つ目の記述の背景を示すために必要だった。切り返しは、結びつける根拠がなく、除いても主題は伝わる、です。結論です。2つ目の記述に基づく差止めは、認められます。
書き分けと結論

結論です。鎖を通して確認します。差止めの根拠は、人格権と、その排他性。仮処分は、検閲ではないが、事前抑制。名誉では、公共の利害に関する事項は原則として許されず、例外は、真実でないことなどの明白性と、重大で回復困難な損害。プライバシーでは、比較衡量と、3つの要件です。

名誉とプライバシーを、表で並べます。名誉の問いは、原則禁止から入って、例外が開くかです。プライバシーの問いは、双方の不利益の比較衡量です。真実性の働きが、書き分けの要です。名誉では、真実でないことが明白かが、例外の入口で、真実性が結論を左右します。プライバシーでは、真実であっても侵害になり、真実性は秤に載りません。公共性も、位置が違います。名誉では、公共の利害に関する事項かが、原則の入口です。プライバシーでは、比較衡量の中の一つの事情です。1つ目の記述の差止めは、認められません。2つ目の記述の差止めは、認められます。裁判所Bが、2つ目の記述の部分の出版等を差し止めることは、21条1項に反しません。けれど、1つ目の記述の部分を差し止めることは、21条1項に反します。
完成答案
図:完成答案|第1の1 人格権に基づく差止請求、問題の所在と規範
ここまでを、答案の形にしました。こちらが完成答案です。動画を止めて見てみてください。最初の板は、人格権を13条後段で保障し、排他性から差止めを求める地位を導く段です。
図:完成答案|第1の1 あてはめと結論
2つの記述を人格権の侵害に当て、差止めを求められると結ぶ段です。
図:完成答案|第1の2 検閲にあたるか事前抑制にあたるか、問題の所在と規範
検閲の定義と、事前抑制の規範を置く段です。
図:完成答案|第1の2 あてはめと結論
検閲でなく、事前抑制と書き、要件は侵害される権利で変わると予告する段です。
図:完成答案|第2の1と2 名誉権に基づく差止め、問題の所在と規範
名誉の原則と、例外の、又は、と、かつ、の係り方を見てください。
図:完成答案|第2の3 名誉権に基づく差止め、原則と真実でないことの明白性
今日の本番の前半です。真実でないことが明白かを、証言とメモ、出張記録の事実で突き合わせて言い切る段です。
図:完成答案|第2の3と4 公益目的から手続まで、結論
公益を図る目的、重大な損害のおそれ、手続と進めて、名誉では止められないと結ぶ段です。
図:完成答案|第3の1と2 プライバシー権に基づく差止め、問題の所在と規範
プライバシーの差止めの規範を、比較衡量と3つの要件で置く段です。
図:完成答案|第3の3の1 社会的地位と侵害の性質
プライバシーは真実でも侵害になる、と、社会的地位と侵害の性質で書く段です。
図:完成答案|第3の3の2と3 双方の不利益と3つの要件
今日の本番の後半です。双方の不利益を比べ、3つの要件を当てる段です。
図:完成答案|第3の4と第4 結論
名誉との書き分けで閉じる段です。ご自身の答案と見比べてみてください。今回は、差止めの根拠から、事前抑制、名誉、プライバシーの順に書きました。名誉では、真実でないことなどが明白で、重大な損害のおそれがなければ止められません。プライバシーは、比較衡量で止められます。
参照条文
- 日本国憲法21条
- 日本国憲法13条