死んだことにされた人が、帰ってきたら——失踪宣告の取消しと遡及効の制限
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第1章 民法総則 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
取消しは、勝手には起きない

さて、夫が役所の窓口で、こう言ったとします。「私は、生きています」。ここで、一つ思い出してほしいことがあります。生きていると分かっても、それだけでは覆らない、と言って終わった話を、思い出せますか?ですから、窓口で生きていると言うだけでは——宣告は、消えません。もう一度、家庭裁判所に動いてもらいます。取消しの、審判です。要件は、二つあります。一つ目。生きていること、または違う時に死んだことの証明。二つ目。本人、または利害関係人の請求。前回のとおりです。宣告で、権利を得たり、義務を免れたりする人ですね。ここで、一つ確かめたいことがあります。検察官は、この取消しを請求できるでしょうか。
うーん……前回、失踪宣告のときは——検察官は、入らなかった気がします。理由も覚えていますか。えっと……守っているのが、公益じゃなくて——私的な利益だから、でしたっけ。取消しでも、事情は同じです。守られているのは、残された配偶者や相続人の利益。公益では、ありません。だから、検察官はここでも入りません。そして、もう一つ大事な点があります。この二つの要件が揃ったとき——家庭裁判所は、取り消さなければなりません。裁量では、ありません。要件さえ揃えば——家庭裁判所に、選ぶ余地は、ありません。想像してみてください。生きていることが証明されても——家庭裁判所の判断次第で、宣告が残ってしまうかもしれません。
新しい仕事の契約も、新しい家を借りることも——いちいち、支障が出てしまいます。本人の権利が、不当に縛られ続けます。だから、要件が揃えば、選ぶ余地なく、必ず取り消されます。
原則——さかのぼって、なかったことになる
図:夫から妻への相続と妻から買主への売買が取消しにより両方とも崩れる関係図
では、実際に取り消されると、何が起きるのか。そもそも、宣告というのは——「一応、死んだことにしておく」という、扱いに過ぎません。生きていたと分かった以上——法律関係は、本来あるべき姿に、戻すのが筋です。だから、取消しの効果は、さかのぼります。一段ずつ、順番に追いかけてみましょう。まず一つ目。宣告そのものが、最初から無かったことになります。二つ目。夫が死んでいなかった以上——妻の相続も、最初から始まっていなかったことになります。三つ目。相続が始まっていなかった以上——妻が、家と預金を受け取る理由も、無かったことになります。
それでも、原則をそのまま貫くなら——もらう理由が無かった、という扱いになります。ここで、四つ目です。もらう理由が無かった以上——妻は、そもそも家の所有者ではなかった、ということになります。ここまで来ると、家を買った人にも——影響が、及びます。五つ目です。妻が所有者でなかった以上——買った人は、所有者でない人から、家を買ったことになります。六つ目です。所有者でない人からは——所有権を、譲り受けることが、できません。買った人は、家の所有権を、取得できていないことになります。知らずに買っただけの人が——一方的に、家を失うことになります。
原則を、そのまま貫けば——そうなります。ここで、もう一つ考えてみてください。もし、ここで遡及させなかったら、どうなるでしょうか。夫は、本当は死んでいませんでした。それなのに、その誤った前提の上に積み重なった——相続や再婚を、法がそのまま認め続けることになります。だから、原則は、さかのぼるしかありません。この、困った状態に——民法は、答えを持っています。
例外——信じて動いた人の足元は、崩さない
図:32条1項後段が働いた後は妻から買主への売買だけが残り買主の足元は崩れない関係図
この、困った状態を——もう一度、整理してみましょう。買った人は、知らずに買っただけです。なのに、遡及効を貫くと、その人が——一方的に、損をすることになります。もう一つ、考えてみてください。もし、こういう理不尽が、いつでも起きうるとしたら——この先、失踪宣告のあとに家を買おうとする人は——どう思うでしょうか。そうなると、宣告のあとの家は、怖くて買えません。誰も、失踪宣告のあとの取引を、信用できなくなります。だから、民法は、線を引きました。原則をそのまま貫くのでもなく——かといって、全部を守るのでもなく——信じて動いた人の足元だけは、崩さない。
条文を、見てみましょう。
条文民法32条1項
民法 第三十二条(失踪の宣告の取消し)第一項 失踪者が生存すること又は前条に規定する時と異なる時に死亡したことの証明があったときは、家庭裁判所は、本人又は利害関係人の請求により、失踪の宣告を取り消さなければならない。 この場合において、その取消しは、失踪の宣告後その取消し前に善意でした行為の効力に影響を及ぼさない。
ここが、今日のいちばんの核心です。宣告のあと、取消しの前に——善意でした行為は、影響を受けない。覚えていますか。善意とは、何でしたか。知らないこと、でしたよね。優しい心とか、そういう意味じゃなくて。知らないのが善意、知っているのが悪意です。ここでいう善意は——「夫が生きていることを、知らなかった」ということです。だから、この後段が働きます。買った人は、家を失わずに済みます。相続の矢印は、崩れたまま。でも、妻から買主への売買だけは——そのまま、残ります。では、もう一度、自分の言葉で言ってみてください。
宣告のあと、取消しの前に、知らずにした行為なら、そのまま有効です。
その善意は、誰の善意か

さて、ここで、条件を一つ変えてみます。もし、妻が、夫が生きていることを——知っていたとしたら、どうでしょうか。たとえば、妻のもとに、風の噂が届いたとします。「あの人、生きているらしい」。妻は、それを聞いて、慌てました。もし本当なら、家は返さなければならないかもしれない。そこで、噂を確かめる前に——急いで、家を売ってしまいました。知っていながら、知らない人に売ったとします。少し考えてみましょう。もし、買った人の善意だけで足りるとしたら——知っている妻は、どう動くでしょうか。生きていると知っている人が——知らない相手にだけ、売り抜ければ——いつでも、逃げ切れることになります。
帰ってきた夫の保護が、まるごと抜け落ちます。正直に名乗り出るより——黙って売り抜けたほうが、得になってしまいます。それでは、本末転倒です。この抜け道が、一つでも開いていたら——32条1項後段は、機能しなくなります。この、買う側の善意だけで足りるとする考え方は——相手方善意説と、呼ばれます。でも、今見たとおり、抜け道が残ってしまいます。だから、古い判例は、こう考えました。
判例大判昭和13年2月7日(民集17巻59頁)
双方が善意でなければならない——善意の範囲を絞った判例 民法三十二条一項後段にいう善意は、直接取得者と第三者の双方が備えていなければならない。

妻も、買った人も——両方が、善意でなければなりません。どちらか一方でも悪意なら——この後段は働かず、原則どおり巻き戻ります。この、双方に善意が要るとする考え方を——双方善意説と、呼びます。判例と通説の立場です。今、見た抜け道を、ふさぐためです。では、逆のパターンも、考えてみましょう。妻は、何も知りませんでした。でも——買った人のほうが、実は、夫が生きていることを——知っていたとしたら、どうでしょうか。この場合も——この後段は、働きません。双方というのは——どちらか一人でも欠けたら、成立しない、ということです。
面白い言い方で、まさにそのとおりです。両方そろって、初めて働きます。
後から来た、悪意の人

では、今度は、別の場面を考えてみましょう。妻も、買った人も、善意——さっき見た、後段が働く場合です。その人が、家をさらに、別の人に売ったとします。この、転売で買った人のことを——転得者と、呼びます。そして、今度の買い手は——「あの夫、生きているらしい」と、知っていました。知っている人まで守らないとすると、同じ家の持ち主は、誰になるのでしょうか?実は、家は、夫のもとには戻りません。ここで、一度整理しましょう。最初の買い手が、家を手に入れた時点で——もう、権利関係は、確定しています。32条1項後段が、一度働いた以上——その後に、誰が何を知って買おうと——確定した権利は、動きません。
あとから来た人の心の中身は、関係ありません。今の持ち主が、確定的に持ち続けます。最初の買い手が悪意だった場合は、話が変わります。最初の時点で、後段はそもそも働きません。原則どおり、巻き戻ってしまいます。最初の一歩で、善意かどうかが——決まってしまいます。もし、逆の考え方を取ると——何が起きるか、一緒に見てみましょう。買い手ごとに、結論が変わるとしたら——同じ家の持ち主が、買い手が変わるたびに——コロコロ変わることに、なってしまいます。いつ、権利が覆るか分からない家に——お金をかける人は、いません。
図:買い手ごとに結論が揺れる相対的構成と善意の買主の時点で確定する絶対的構成の対比板
だから、判例・通説は、こう考えます。一度確定した権利は、後から来た人の心の中身では動かさない。この考え方を、絶対的構成と呼びます。反対に、買い手ごとに結論を変える考え方もあり——そちらは、相対的構成と呼ばれます。判例・通説が取るのは、絶対的構成のほうです。少し直感に反しますが——理由は、法律関係を早く、簡明に確定させるためです。一度、区役所の窓口で受理された届出のようなものです。あとから来た人が「実は知っていました」と言っても——受理そのものは、覆りません。転売が重なっても、同じことです。何度、手が変わっても——一度確定した権利は、動きません。
実は、この発想——買った人が知らなければ守られる、という考え方は——この先、別の場面でも、もう一度出てきます。通謀虚偽表示という、94条2項の話です。今日は、名前だけ覚えておいてください。登記を信じたこと自体は、守られない——そういう話でした。今日守っているのは、登記ではなく——家庭裁判所の宣告を信じたことです。信頼を守るのは、こうして場面ごとに置かれた、個別の条文だけなんです。
再婚は、どうなるのか

では、今日、二つ目の問いに進みましょう。妻の再婚は、どうなるのでしょうか。考え方は、今までと、同じです。まだ、結婚一年目の、あの二人です。妻と、再婚した相手——両方が、善意だったとします。この場合は——後の婚姻だけが、残ります。前の婚姻は、復活しません。では、逆の場合を、見てみましょう。もし、妻か再婚相手の、どちらか一方でも——夫が生きていることを、知っていたら。さっきの、家の場合と、同じ発想です。この場合は——前の婚姻が、復活します。しかも、後の婚姻も、それだけでは無効に、なりません。夫が、二人いる状態に、なります。
少し、想像してみてください。妻は、前の夫とも、後の夫とも——同時に、婚姻関係にあることになります。戸籍のうえでも、宙ぶらりんの状態に、なります。どちらの婚姻も、消えていない以上——二つとも、法律上は生きています。では、なぜ、こんな不自然な結果を、受け入れるのでしょうか。もし、いつも後の婚姻だけを残すとしたら——どうなるか、考えてみてください。信じて動いた人だけを守る、という枠組みが——崩れてしまいます。では、逆に、いつも前の婚姻を復活させるとしたら。さっきの家族と、同じです。何も知らずに、ここまで生活を築いてきた人たちを——理由もなく、壊すわけにはいきません。だから、双方が善意かどうかで——線を引くしか、ないんです。この、その後の後始末——前の婚姻を終わらせる理由になり——後の婚姻を、取り消す理由になります。詳しくは、別の回で扱います。今日、持ち帰ってほしいのは——さっきと同じ枠組みが、身分行為にも使われている、ということです。
この一本の見方が——場面を変えても、そのまま使えます。
32条1項後段は、誰を守っているのか

さて、ここまでで、一つ目と二つ目の問いに——答えが、出ました。家を買った人は、守られました。妻の再婚も、場合分けができました。そこで、一つ確かめておきたいことが、あります。32条1項後段は、そもそも、誰を守っている規定でしょうか。買った人を守る規定——そう見えますが、条文は、人を守るとは、書いていません。では、妻自身は、この後段で守られるでしょうか。実は、妻については——守られるものと、守られないものが、分かれます。理由を、考えてみましょう。もう一度、条文の言葉に、戻ります。「善意でした、行為」。
ここでいう行為とは——直接取得者と、第三者の、あいだの取引を指します。妻と、買った人の、あいだの売買——この「行為」を、守っています。後段が守るのは、人ではなく——行為の効力です。この売買で、家が買った人に移った——その効力は、そのまま残ります。残らないのは、妻が家と預金を手に入れた、そのもとのほうです。相続は、妻が誰かと取引をした——という出来事では、ありません。ただ、法律の上で、受け取っただけです。手に入れた原因が、自分でした取引か、そうでないか——そこが、決定的に違います。買った人は、宣告を信じて、自分から動きました。妻のほうは、相続で、棚から落ちてきたものを、受け取っただけです。相続そのものについては、妻は、宣告を信じて、何かをしたわけでは、ありません。だから、相続で受け取った分は、この後段の対象には、なりません。
この分かれ目が、今日、いちばん誤解されやすい点です。もし、ここで妻まで守ってしまったら——どうなるか、考えてみましょう。妻を守るということは——妻が、家と預金を、まるごと保持し続けられる、ということです。相続で受け取った分まで、守られてしまうと——さっき見た、原則、あの「さかのぼって、なかったことになる」が——ほとんど、意味を失います。だから、後段が守るのは——宣告を信じて、した取引の効力だけ、なんです。では、妻は、全部返さなければ、ならないのでしょうか。返す範囲を決めるのは——別の条文です。今日は、そこまでは踏み込みません。
今日の地図(保存版)

では、今日、見てきたことを、まとめましょう。取消しの効果は、原則、さかのぼって——なかったことに、なります。ただし、例外があります。宣告を信じて動いた人の足元——そこだけは、崩しません。ただし、善意は——売る側と、買う側、双方に要ります。でないと、知っている人が逃げ切ってしまいます。同じ家の持ち主が——買い手ごとに変わってしまっては、困るからです。再婚も、同じ枠組みで決まります。双方が善意なら、後の婚姻だけが残り——一方でも悪意なら、前の婚姻が復活します。今日、出てきた答えは、全部——最初の一つの見方から、出てきています。原則は、巻き戻る。例外は、信じて動いた人を守る。
家はどうなるか、再婚はどうなるか、妻はいくら返すのか——この三つの問いのうち——一つ目と、二つ目には、答えが出ましたね。家は、買った人のもとに残りました。妻の再婚も、場合によって決まりました。買った人は、守られました。では、家を売った妻自身は——いくら、返すのでしょうか。その問いの答えは、まだ出ていません。
参照条文
- 民法32条1項