民法ゼロから民法#34

錯誤の2類型と「重要」性

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第1章 民法総則 ㉞/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

錯誤とは何か

錯誤の定義を2段で示す板(認識にズレがある/しかも本人がそれに気づいていない)+契約を壊す理由の多くは「相手が悪い」の中で錯誤だけが「自分が悪い」 図:錯誤の定義を2段で示す板

  • 認識にズレがある
  • しかも本人がそれに気づいていない
  • 契約を壊す理由の多くは「相手が悪い」の中で錯誤だけが「自分が悪い」

通貨を書き間違えた発注も、高速道路の計画を信じた土地の購入も、どちらも民法でいう錯誤に当たります。錯誤とは何かを、先に定義します。意思表示をするときの認識にズレがあって、しかも本人がそのズレに気づいていないこと。これが錯誤です。気づいていない、というのが山場です。実は、契約を壊す理由の多くは、「相手が悪い」という形をしています。たとえば、相手にだまされて契約した場合。これは「だました相手が悪い」と言えます。「脅した相手が悪い」と言えます。相手と口裏を合わせて、通じ合ったうえで嘘の契約書を作った場合も、悪いのは仕組んだ側です。

自分の頭の中だけで、勝手に思い違いをしています。錯誤だけは、悪いのが自分なんです。気づいていないから、自分では直しようがありません。たとえば、契約書にサインした後になって初めて「あれ、自分は何か勘違いしていたかもしれない」と思い当たる。そういう順番です。だから、悪いのは自分なのに、それでも一定の場合には契約から抜けられます。だました側もおどした側もいないのに、それでも救う理由がどこにあるのか。この「自分のミスなのに救われる理由」を、最後まで手放さずに見ていきます。

意思表示は四つの段でできている

意思表示の4段階を椅子の売却で通す板(動機/効果意思/表示意思/表示行為)+法が受け取るのは効果意思から先だけ 図:意思表示の4段階を椅子の売却で通す板

  • 動機
  • 効果意思
  • 表示意思
  • 表示行為
  • 法が受け取るのは効果意思から先だけ

ここで、意思表示がどうやってできているかを見ておきます。今日、この先ずっと使う道具です。隣に越してきた友人に、椅子を一脚売ることにしました。この一つの出来事を、四つの段に割ってみます。まず、そうしたいと思う理由があります。新しい生活を応援したい、という気持ちです。これを動機と呼びます。次に、椅子を売ろう、と決めます。これが効果意思です。それから、それを「売ります」と言おう、と思います。これが表示意思です。実感がわきにくいのは、普段この二つがほぼ同時に起きるからです。決めた瞬間に、あえて黙っておくこともできます。値段の相談が片づくまで言わずにおこう、と思うこともある。決めることと、言おうと思うことは、時間差がありうる、別の段なんです。

最後に、実際に「売ります」と言います。これが表示行為です。ここで、大事な線を引きます。法が受け取っているのは、効果意思から先だけです。法は、動機を受け取りません。動機は、法の外側にある個人的な事情です。動機は、相手からは見えないからです。友人には「応援したい」という気持ちまでは伝わりません。伝わるのは「売ります」という言葉から先だけです。ここで、買う側から見た景色も確かめておきます。友人には、あなたの気持ちの動きは見えていません。「五万円で売ります」という言葉だけです。友人からすれば、それがすべてです。応援したい気持ちも、迷った過程も、届いていません。

だから法も、相手に届く部分、つまり効果意思から先だけを受け取ります。見えているところしか、法は拾わないんです。では、冒頭の二つの勘違いを、この四段階に置いてみます。通貨を書き間違えたほうは、どこでズレたでしょうか。「千ドル」と言うつもりだったのに「千ユーロ」と言ってしまった……最後の、表示行為の段です。法が受け取っている部分そのものが、壊れています。高速道路のほうは、どこでズレたでしょうか。土地を買おうと決める、いちばん手前の理由です。動機の段、つまり法の外側でズレています。法が受け取っていない場所でズレたから抜けにくい。そこが今日の軸です。同じ「勘違い」でも、どの段でズレたかによって、法から見えるか見えないかが分かれます。この続きを、条文で確かめます。

効果は無効から取消しへ

無効と取消しの違いを対比する板(無効=本人の意思にかかわらず最初から効果を生まない/取消し=抜けるか続けるか本人が選べる)+守られる側に選択権を渡した 図:無効と取消しの違いを対比する板

  • 無効=本人の意思にかかわらず最初から効果を生まない
  • 取消し=抜けるか続けるか本人が選べる
  • 守られる側に選択権を渡した

錯誤があったとき、契約がどうなるかを条文で見ます。実は、この効果は改正で変わりました。昔の条文では、錯誤による意思表示は無効とされていました。本人の意思にかかわらず、契約は最初から死んでいます。ここで、具体的に考えてみます。さっきの椅子の売り主が、後になって自分の勘違いに気づいたとします。でも、値段も相手も気に入っていて、このまま契約を続けたいと思いました。無効は、本人の希望とは関係なく、最初から効果が無い扱いになります。続けたくても、契約自体が無かったことにされてしまいます。友人はすでに椅子を持ち帰っていますが、それも法律上は「そもそも売り買いなど無かった」ことになり、話がこじれます。

そこが、昔の条文の弱点でした。今の条文では、取消しに変わっています。取消しは、抜けるか続けるかを、本人が選べます。勘違いに気づいたあとで、それでもこの契約を続けたいと思えば、続けられます。だから、守られる側に選択権を渡す形に変わりました。条文を見てみましょう。

条文民法95条1項

民法 第九十五条(錯誤)第1項 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。 一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤 二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤

もし、どこかで「錯誤無効」という言葉を見かけたら、それは改正される前の条文の話です。この柱書には、もう一つ大事な言葉があります。「重要なもの」です。まず、一号と二号に分かれていることを見てください。

二種類の錯誤——どこでズレたか

一号と二号を対比する表(意思不存在の錯誤=言葉そのものがズレた/基礎事情の錯誤=言葉の手前の思い込みがズレた)+判別の一問を冒頭①②に当てる 図:一号と二号を対比する表

  • 意思不存在の錯誤=言葉そのものがズレた
  • 基礎事情の錯誤=言葉の手前の思い込みがズレた
  • 判別の一問を冒頭①②に当てる

一号は、意思表示に対応する意思を欠く錯誤です。これを意思不存在の錯誤と呼びます。出した言葉と、出すつもりだった言葉が、ズレている場合です。「千ドル」と出すつもりが、「千ユーロ」と出てしまっています。二号は、法律行為の基礎とした事情についての認識が真実に反する錯誤です。これを基礎事情の錯誤と呼びます。こちらは、言葉は思ったとおりに出ています。ズレているのは、その手前の思い込みのほうです。ズレていたのは、そこに至る前提でした。この二つを見分けるために、一つの問いを渡します。口から出たものは、出すつもりだったものと同じか。

同じなら、一号ではない、ということですね。これで、必ずどちらかに落ちます。実際に、冒頭の二つに当ててみましょう。まず①、通貨を書き間違えたほうです。では、この通貨を書き間違えたほうは、一号でしょうか、二号でしょうか。一号です。言葉そのものが壊れています。では②、高速道路の土地です。では、この土地のほうは、どちらでしょうか。二号です。この問いひとつで、どちらの類型かが判定できます。いい問題です。五万円で売るつもりで、そのとおり「五万円で売ります」と言った。ただ、相場は本当は一万円だった。この場合ですね。今の問いに当てはめてみてください。

では、一号でしょうか、二号でしょうか。ズレていたのは、値段を決めるときに前提にしていた相場のほう……二号ですね。金額が絡むと一号に見えますが、判別は金額かどうかでは決まりません。ズレた場所がどこかだけで決まります。

山場——「重要」性は二重の絞り

「重要」性が二重の絞りであることを示す板(主観的因果性=その錯誤がなければ本人は意思表示をしなかった/客観的重要性=一般人もしなかった)+両方そろって初めて「重要」 図:「重要」性が二重の絞りであることを示す板

  • 主観的因果性=その錯誤がなければ本人は意思表示をしなかった
  • 客観的重要性=一般人もしなかった
  • 両方そろって初めて「重要」

論文で書く規範:「重要」性の二重の絞り その点について錯誤がなければ表意者は意思表示をしなかったであろうこと(主観的因果性)と、一般人も同様に意思表示をしなかったであろうこと(客観的重要性)の両方がそろって、初めて95条1項柱書の「重要なもの」といえる。 (大判大正7年10月3日(民録24輯1852頁)参照)

ここから、一号でも二号でも共通してかかる関門に入ります。柱書にあった「重要」性です。条文は「取引上の社会通念に照らして」とも言っていました。その取引をする人たちの、ふつうの感覚から見て、という意味です。定式はこうです。その点について錯誤がなければ、表意者は意思表示をしなかったであろうこと。これが主観的因果性です。表意者というのは、その意思表示をした本人の側のことです。意思能力のところで、一度出てきました。そして、一般人であっても同様に意思表示をしなかったであろうこと。これが客観的重要性です。この両方がそろって、初めて「重要」といえます。

片方ずつ落として、実際に動かしてみましょう。

片方ずつ落とす思考実験の板(主観だけで判定する世界=どんな思い込みでも通り相手はいつ壊されるか分からない/客観だけで判定する世界=本人にはどうでもよかった勘違いで契約が壊れる) 図:片方ずつ落とす思考実験の板

  • 主観だけで判定する世界=どんな思い込みでも通り相手はいつ壊されるか分からない
  • 客観だけで判定する世界=本人にはどうでもよかった勘違いで契約が壊れる

まず、主観だけで判定するとします。中古の自転車を買った場面を考えます。買った後になって、サドルにある小さな傷が、なぜか虫の噛み跡のように見えて気になり出しました。本人はこう言います。「この傷に気づいていたら、絶対に買わなかった」。もし主観だけで判定するなら、それだけで取り消せることになります。ここで、売った側の身にもなってみてください。自転車を売った代金は、もう別の支払いに使ってしまいました。しかも、いつ言われるかも分かりません。半年後かもしれないし、一年後かもしれない。売った側は、いつまでも代金を安心して使えなくなります。

どんな些細な思い込みでも通ってしまうと、相手はいつ契約を壊されるか分かりません。取引そのものが成り立たなくなります。次に、客観だけで判定するとします。同じ自転車で考えます。買うときに、色を深緑だと思い込んでいました。実際には、黒に近い濃紺でした。色というのは、契約の内容として、一般的に見れば軽くない要素です。ところが、この人は、もともと自転車の色にはこだわりがありませんでした。深緑でも濃紺でも、どちらでもよかったんです。実際、届いた自転車を見ても、特に気にする様子もなく、そのまま毎日乗り続けていました。

もし客観だけで判定するなら、そうなります。本人にとってはどうでもよかった勘違いで、契約が壊れてしまいます。売った側からすれば、何も悪いことをしていないのに、突然、理屈だけで取り消されるわけです。だから、両方を掛け合わせます。本人にとって決定的で、しかも他人が見ても無理はない。その勘違いだけが残ります。

両方がそろう例を冒頭の発注ミスで当てはめる板(主観的因果性=取り違えが無ければその金額で発注しなかった/客観的重要性=一般の人でも支払う額が変わると分かれば送らない) 図:両方がそろう例を冒頭の発注ミスで当てはめる板

  • 主観的因果性=取り違えが無ければその金額で発注しなかった
  • 客観的重要性=一般の人でも支払う額が変わると分かれば送らない

では、両方そろう場合を、具体的に見ておきます。冒頭の、千ドルと書くつもりで千ユーロと書いてしまった発注です。その取り違えが無ければ、担当者はその金額で発注することはありませんでした。ここが主観的因果性です。一般の人でも、支払う額が変わると分かっていれば、そのまま送りはしません。そこが客観的重要性です。両方そろうので、この勘違いは「重要」の関門を越えます。冒頭で「抜けやすい」と言ったのは、ここまで通るからです。定式に戻して言うと、表意者は意思表示をしなかったであろうという主観的因果性と、一般人も同様に意思表示をしなかったであろうという客観的重要性、この二つの軸が両方そろって、初めて「重要」と呼べる勘違いになります。悪いのが自分でも救われるのは、どこでズレたかと、どれだけ重いか——この二つがそろったときだけです。

具体化——代金・目的物

意思表示の不可欠の内容を軽く示す板(売買の代金・目的物555条/賃貸借の賃料・目的物601条は一般に重要)+その先は実務科目で学ぶ 図:意思表示の不可欠の内容を軽く示す板

  • 売買の代金・目的物555条
  • 賃貸借の賃料・目的物601条は一般に重要
  • その先は実務科目で学ぶ

「重要」性が具体的にどこで働くか、軽く見ておきます。売買であれば、代金と目的物。賃貸借であれば、賃料と目的物。別の話ではなく、同じ話です。代金や目的物を取り違えていれば、本人はその契約をしませんでしたし、一般の人でも同じです。主観的因果性と客観的重要性が、そろって満たされやすい形なのです。こういう、契約の骨組みそのものについての勘違いは、一般に「重要」といってよいものです。何を、いくらで約束したのかが決まらなければ、そもそも何を約束したのかが分からなくなります。だから、これらは意思表示にとって欠かせない内容として扱われます。

賃貸借でも考え方は同じです。何を、いくらで借りるのか。骨組みは売買と同じ形をしています。ここから先、どこまで細かく確定していればよいかという話は、実務科目で学びます。今日は、骨組みが重要になりやすいということだけ、押さえておいてください。

山場——相手が誰かは重要か

契約類型ごとに相手の同一性が重要かどうかを分ける表(無償契約=重要になりやすい/有償契約=重要性が否定されがち/保証契約=重要)+主役が何かで決まる 図:契約類型ごとに相手の同一性が重要かどうかを分ける表

  • 無償契約=重要になりやすい
  • 有償契約=重要性が否定されがち
  • 保証契約=重要
  • 主役が何かで決まる

もう一段、深いところへ行きます。「相手が誰か」を勘違いした場合です。これが「重要」といえるかは、契約の種類で答えが割れます。同じ「人を取り違えた」でも、割れます。まず、工具をただで貸すとします。「あの人が使うなら」という気持ちで、無償で貸しました。ところが、あとになって、実は借りたのが思っていた人物とは別人だったと分かりました。もし借りたのが最初から別人だと分かっていたら、そもそも貸さなかったはずです。なぜかというと、ただで渡すという決断そのものが、相手が誰かによって決まっているからです。対価をもらわない以上、渡す理由は「その人だから」以外にありません。

無償契約では、相手の同一性は重要になりやすいです。次に、同じ工具を、代金を払って買うとします。今度は有償契約です。売ってきたのが思っていた相手と違ったとしても、良い工具が手に入るなら、目的は達せられます。お金を払っている以上、欲しいのは物であって、相手そのものではありません。だから、有償契約では、相手の同一性が重要とされにくくなります。もう一つ、まったく別の場面で見てください。今度は、保証契約です。無償とも有償ともまた違う理由で「重要」になります。ある人が、友人から「実は、事業のために銀行から百万円を借りたい。もし返せなくなったときのために、保証人になってほしい」と頼まれて、引き受けたとします。保証人は、他人が借金を返せなくなったとき、代わりに全額を背負います。自分は一円も受け取りません。

もし、保証人になった後で、実は借金をしている本人が、思っていた友人ではなく、その友人の知らない別の人物だったと分かったらどうでしょうか。誰の借金か分からないまま百万円を背負わされていた——だからこそ、誰の借金を背負うのかが、契約のすべてです。無償契約が「渡す理由」を相手に置くのに対して、保証契約は「背負う理由」そのものを相手に置いています。保証で言えば、この「借金をしている本人」のことを、主たる債務者、短く主債務者と呼びます。主債務者が誰かの同一性は、重要と解されています。そこが弁別のしどころです。決め手は、その契約が何を主役にしているかです。「重要かどうか」は、事項の名前では決まりません。契約が何を主役にしているかで決まります。

到達点

到達点をまとめる板(錯誤とは何か/どこでズレたか/どれだけ重いか)+ただし思い込みの側にはこれだけでは足りない 図:到達点をまとめる板

  • 錯誤とは何か
  • どこでズレたか
  • どれだけ重いか
  • ただし思い込みの側にはこれだけでは足りない

今日の道のりを、一本にまとめます。錯誤とは、勘違いに自分で気づいていない意思表示でした。だまされたのでも、脅されたのでもなく、悪いのは自分でした。そのうえで、抜けられるかどうかは、二つの物差しで決まります。一つ目は、どこでズレたか。言葉そのものか、その手前の思い込みかです。二つ目は、その勘違いがどれだけ重いか。本人にとって決定的で、他人が見ても無理はないかです。この二つの物差しを、掛け算のように当てはめていきます。ただし、思い込みのほうでズレた場合には、これだけでは足りません。その続きは、また別の機会に。

参照条文

  • 民法95条1項

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