錯誤と第三者
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第1章 民法総則 ㉟/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
取消しは時間を巻き戻す
図:遡及効を一言で示す板(取消し=最初から無かったことになる)
今日の事案を、もう一度置いておきます。Aは、自分の土地の土が汚れていると思い込んで、ほとんど値段のつかない金額でBに売りました。Bは、その土地をCに転売します。そしてAは、思い込みを理由に、AB間の売買を取り消します。まず、思い込みが重要だと認められれば、契約を取り消せることは、もう確認済みです。今日は、その先——取り消すと何が起きるのか、を条文で確認します。
条文民法121条
民法 第百二十一条(取消しの効果) 第百二十一条 取り消された行為は、初めから無効であったものとみなす。
これを遡及効といいます。時間を巻き戻す効果です。取消しは、「この意思表示は、そもそも本人の意思に基づいていなかった」と扱う制度です。だから、効力を認めない起点も、最初にまで遡ります。「今からやめる」のではなく、「そもそも無かった」という扱いです。この効果を、AとBの売買にそのまま当てはめてみます。AB間の売買が最初から無かったことになるので、Bは最初から土地の持ち主ではなかったことになります。Bから買ったCは、持ち主でない人から買った、ということになります。原則どおりに突き進むと、そうなります。他人のものを売られた買主にすぎず、所有権を取得できません。
何も悪くないCが、いきなり丸損になる——ここが、今日の出発点です。この結論が厳しすぎるからこそ、法律は例外を置きました。その例外が、95条4項です。
山場——95条4項というブレーキ
図:「対抗できない」の意味を示す板
- 取消し自体は有効
- 相手によって主張できるかが分かれる
条文を、そのまま見てみます。
条文民法95条4項
民法 第九十五条(錯誤)第4項 4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
この「対抗することができない」という言い回しは、正確に理解しておく必要があります。「対抗することができない」は、取消しそのものが無くなる、という意味ではありません。取消しは、依然として有効に成立しています。変わるのは、その第三者との関係だけです。Aは、その第三者に対しては、取消しを持ち出せなくなります。対抗できない、とは、主張できない、という意味です。もう少し具体的に言います。Aは、Bに対しては、今でも取消しを主張できます。AとBの間では、取消しは普通に効いています。Aは、Bに払った土地の代金を返してもらえますし、Bに土地の返還を求めることもできます。
Aが取消しを持ち出せる相手と、持ち出せない相手が分かれます。これが「対抗することができない」の実質です。これを、Cとの関係で具体的に言い直します。Cとの関係では、AB間の売買は、有効なまま続いているものとして扱われます。だから、BからCへの転売も、他人物売買にはなりません。Cは、土地を失わずに済みます。95条4項は、遡及効という巻き戻しの力を、第三者との関係だけで止めるブレーキです。
山場——趣旨から全部を導く
図:趣旨から適用範囲と定義を導く板
- 趣旨=遡及効から第三者を保護
- ①取消し前だけ
- ②第三者の定義=当事者・包括承継人以外・意思表示の後の新たな独立の利害関係
このブレーキが、なぜここに置かれているのか。趣旨から確認します。95条4項が置かれている理由は、取消しによって時間が巻き戻ることの影響から、第三者を守るためです。この趣旨一つから、二つのことが導けます。一つ目です。適用されるのは、取消し「前」に現れた第三者だけです。巻き戻しに巻き込まれるのは、その時間の中に立っていた人だけだからです。取消しのあとに現れた人は、そもそも巻き戻しに巻き込まれていません。二つ目です。「第三者」の定義そのものも、ここから導けます。
⭐ 論文で書く規範:「第三者」の定義 当事者およびその包括承継人以外の者であって、錯誤による意思表示の後、新たな独立の法律上の利害関係を有するに至った者
一つだけ、言葉を開いておきます。包括承継人とは、相続人のように、当事者の立場をまるごと引き継ぐ人のことです。この起算点を「取消しの後」と読んでしまうところが、間違えやすい罠です。定義の起算点は、意思表示の後です。取消しの後ではありません。適用範囲の条件は、取消し前に現れたことです。定義の起算点は、意思表示の後に利害関係を持ったことです。この二つは、別の話です。「取消しの後に利害関係を持った者」と誤って覚えてしまいます。そうなると、範囲も定義も、両方ずれます。ここは、はっきり分けて持ち帰ってください。
図:取消し前にCが現れる関係図(AB間の取消しがCに対抗できない)
では、Cに当てはめてみます。一つ目の場面——BがCに転売したのは、Aが取り消す前でした。Cは、AB間の売買の当事者ですか?Cは、Aや Bの包括承継人ですか?そして、Cが土地を買ったのは、Aの錯誤による意思表示——つまりAB間の売買——のあとです。Cは、95条4項の「第三者」に当たります。そして、この場面では、Cが現れたのは取消しより前でした。だから、適用範囲にも入ります。ここで、たとえば当たらない例も見ておきます。もし、Aが取り消す前に亡くなり、Aの子がAの立場をそのまま引き継いだとします。包括承継人は、定義から最初に除かれています。Aの子は、Aの立場そのものを引き継ぐだけで、新しく利害関係を持ったわけではありません。
もう一つ、別の当たらない例です。Bにお金を貸しただけの人がいたとします。担保は取っていません。この人は、この土地そのものについて、新しい権利を持っていません。単にBの財産全体を当てにしているだけです。土地について新しく独立した権利を持ったかどうかが、境目です。Cのように土地そのものを買った人や、土地に抵当権の設定を受けた人なら当たります。ただの一般債権者は当たりません。もう一つ、境目を見ておきます。善意無過失、というところです。Cが、土地の登記を確認して、近所にも聞き込みをして、何も怪しい様子がなかったとします。
普通に確認すべきことを確認していれば、無過失といえます。一方、Cが、近所の人から「あの土地は、何かいわく付きらしい」という話を聞いていたのに、値段が安いからと確認もせず即決した場合はどうでしょうか。知らなかった、という意味では善意かもしれません。ですが、確認する機会があったのに確認しなかった、という点で、過失があると評価されやすくなります。境目は、そこにあります。あとは、Cが実際に善意無過失かどうかで、Cが守られるかどうかが決まります。
山場——なぜ無過失まで要るのか
図:帰責性の大小と保護要件の比較表
- 93条2項
- 94条2項
- 95条4項
- 四行目は「?」で伏せる
表意者にひどい不注意があれば、原則として取り消せない——あの壁ですね。その壁を越えて、無事に取り消せたとします。今日は、その先です。取り消す前に現れていた第三者との関係で、何が要求されるのか。なぜ、95条4項は、善意だけでなく無過失まで要求するのでしょうか。他の条文と並べて、比べてみます。93条2項です。心裡留保——わざと本心と違うことを言った場合の第三者保護です。ここは善意で足ります。94条2項です。通謀虚偽表示——相手と示し合わせて、ありもしない売買を装った場合の第三者保護です。ここも善意で足ります。95条4項——今日の錯誤です。ここは、善意に加えて無過失まで要ります。
そこは、わざと空けてあります。最後に、めたんさんに埋めてもらいます。物差しは一本です。取り消す側——表意者の落ち度が大きいほど、第三者は守られやすくなります。わざと本心と違うことを言った人は、自分で状況を作り出しています。示し合わせて嘘の売買を装った人も、同じです。自分で仕組んだ人には、あとから被害者ぶって第三者を切り捨てる資格がありません。第三者は、善意でありさえすれば守られます。一方、錯誤は、ただの勘違いです。Aは、だますつもりも、仕組むつもりもありませんでした。だからこそ、第三者を守るハードルは、厳しくしてあります。善意だけでなく、無過失まで要ります。
図:落ち度の大小と保護の厚みを結ぶ物差しの板
- 自分で仕組んだ=落ち度大→第三者は善意で足りる
- ただの勘違い=落ち度小→第三者は善意+無過失
そこは、Cの側から見ると、また違う景色になります。Cは、Aの勘違いに、まったく関与していません。Cから見れば、Bとの間で普通に土地を買った、それだけです。Aも悪くない、Cも悪くない。この構図では、どちらを優先するかを、条文が決めないといけません。五分五分に見えて、実はもう一つ、非対称な事情があります。勘違いは、Aの頭の中で起きたことです。売る前に土を調べていれば、Aは自分で確かめられました。確かめる手がかりを持っていたのはAだけで、Cには、Aの頭の中をのぞく方法がありません。その意味で、Aは事の発端に立っています。Cは、あとから来ただけです。
だからこそ、Cの側に、善意無過失という高いハードルが置かれています。Cがこれを満たしているうちは、Aは取消しを持ち出せません。Cが少しでも不注意だったなら、そこはAの言い分を通してよい、というバランスです。この一本の物差しだけ、持ち帰ってください。「無過失が要る」を暗記するのではなく、物差しそのものを分かってください。今、条文を見ないまま、自分で結論を出しましたね。それが、96条3項です。だまされた側の落ち度も比較的小さいので、第三者には善意と無過失の両方が要ります。
図:四行目を埋めた比較表(96条3項=善意+無過失)
これで、四行が埋まりました。
登記は要るか
図:登記の要否・両論を並べた板
一つ、薄く触れておきます。94条2項などと同じように、95条4項でも、登記が要るかどうかが問題になることがあります。95条4項で登記まで要るかどうかは、見解が分かれています。一方の考え方は、表意者の落ち度が比較的小さいことを重視します。だから、権利を守るための登記が必要だとします。別の考え方は、95条4項の条文には登記という言葉が出てこない点を重視して、登記は不要だとします。試験では、他の論証と矛盾しない限り、どちらで書いてもかまいません。大事なのは、両方の考え方があり得ると知っておくことです。
山場——取り消した後に現れた人
図:取消し後の対抗関係を示す板(登記の先取り合戦)
では、いよいよ二つ目の場面です。BがCに転売したのは、Aが取り消したあとでした。95条4項は、使えません。95条4項の趣旨は、遡及効から第三者を守ることでした。取消しのあとに現れたCは、そもそも遡及効に巻き込まれていません。では、Cはもう守られないのでしょうか。そうではありません。土俵が変わります。Aが取り消すと、土地の所有権は、Aのもとに戻ってきます。この動き——取消しによって権利が戻ってくること——を、復帰的物権変動と呼びます。Bを起点にすると、Aへ戻る動きと、Cへ売った動きの二つが出ています。一つの土地が、Bから二方向へ譲られたのと同じ形です。そして、これを二重譲渡と同じ形で捉えます。177条を見てみます。
条文民法177条
民法 第百七十七条(不動産に関する物権の変動の対抗要件) 第百七十七条 不動産に関する物権の得喪及び変更は、不動産登記法(平成十六年法律第百二十三号)その他の登記に関する法律の定めるところに従いその登記をしなければ、第三者に対抗することができない。
図:取消し後にCが現れる関係図(AとCの対抗関係)
Aのもとに戻ってきた権利と、Cが手に入れた権利。どちらが勝つかは、どちらが先に登記を備えたかで決まります。取消しの後に現れた第三者との関係は、もう主観の勝負ではありません。先に登記を備えた方が勝つ、という勝負です。具体的に言うと、Aが先に登記を戻していれば、Aが勝ちます。Cが先に登記を備えていれば、Cが勝ちます。Cがどれだけ善意無過失でも、関係ありません。ここでは、Cの心の中は問われません。登記を備えたかどうか、それだけです。取消し前なら、善意無過失という主観の勝負。取消し後なら、登記という対抗要件の勝負。これが、冒頭の二人のCの運命を分けていたものです。
遡って無権利になるはずの人と、実際にはそこにいた人。この二つをどう折り合わせるか、実は理論的な難しさがあります。ただ、方向だけは見えます。Aが取り消しても、登記の上では、まだBが持ち主のままです。Cは、その登記を見て買うことになります。だから、勝ち負けも登記という同じ土俵で決める——今日はここまでを持って帰ってください。その先——遡って無権利になるはずのBからの譲渡を、どういう理屈で二重譲渡と同じ枠に入れるのか——は、物権変動と対抗要件の道具をそろえてからでないと、言葉の上の説明で終わってしまいます。だから今日は、答えを出しません。持ち帰るのは、その問いです。答えは、また別の場面で、じっくり扱います。
短答で拾える二つ
図:身分行為の例外と和解の板
最後に、短答で拾える知識を、二つ確認します。一つ目です。95条は、身分行為には、原則として適用されません。結婚や離婚のような、身分関係を作る行為です。こうした行為は、財産のやり取りではなく、本人がどう生きるかを決める領域です。だから、取引の相手の信頼を守るために作られた95条は、原則として持ち込まれません。ただし、財産分与や相続放棄のように、財産に関わる行為には、例外的に適用されます。財産分与も相続放棄も、身分に関わる場面で行われますが、実際に動くのは財産です。判例も、財産上の行為として、95条の適用を認めています。二つ目です。争いを解決するための和解契約でも、錯誤を理由に取り消すことは、原則として認められません。
和解は、争いを終わらせるための契約です。あとから錯誤を持ち出せてしまうと、争いが蒸し返されてしまいます。だから、原則として主張できません。判例も、この考え方に立っています。
到達点
図:到達点をまとめる板(巻き込まれているか否かが分かれ目)
今日の道のりを、一本にまとめます。取消しは、時間を巻き戻します。巻き戻された時間の中に立っていた人は、落ち度が小さいぶん条件が厳しくなります。善意で、かつ過失がないことを満たして、初めて守られます。巻き戻しの外にいた人がしていたのは、登記の勝負です。先に登記を備えた方が勝つ、という勝負でした。巻き込まれているか、いないか。それが、すべての分かれ目でした。
参照条文
- 民法121条
- 民法95条4項
- 民法177条