刑法ゼロから刑法#97

殺人罪と「人」の始期・終期

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第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

「人を殺した者は」の「人」とは誰か

条文が一文字も書いていない語に、線を引く 図:条文が一文字も書いていない語に、線を引く

前回で、刑を言い渡し、その刑をどう執行するかまで見終えました。今日から各論に入ります。今日扱う最初の犯罪は殺人罪です。その殺人罪の条文は、驚くほど短い一文から始まります。「人を殺した者は」。では、1つだけ伺います。ここでいう「人」は、いつから人で、いつまで人なのでしょうか。いつ……生まれたときから、亡くなるときまで、ではないんですか。そう答えたくなりますよね。ところが、「生まれた」のはどの瞬間なのか、「亡くなった」のはどの瞬間なのか、条文には一文字も書いてありません。解釈で決めます。しかも、ただの言葉遊びではありません。線をどこに引くかで、成立する罪そのものが入れ替わります。

今日の結論を先に言ってしまいます。「人」は、母体から体の一部でも外に出た時点で始まり、心拍・呼吸・瞳孔反射の3つが元に戻らない形で止まった時点で終わります。この線の手前にある攻撃は別の罪、線の向こう側にある行為もまた別の罪になります。そしてこの「生命をどこまで守るか」という発想は、既遂の手前にも伸びていきます。準備しただけの段階、着手したけれど死ななかった段階にも、刑法は網をかけています。今日はその全体を、1本の時間軸の上に並べます。

総論から各論へ——読み方が変わる

個人的法益・社会的法益・国家的法益(各論の3層) 図:個人的法益・社会的法益・国家的法益(各論の3層)

本題に入る前に、読み方が変わることだけ確認しておきます。これまでの総論は、どんな犯罪にも共通する問いを扱ってきました。構成要件に当たるか、違法か、責任があるか。着手したのか、共犯か、何罪として処断するか。どの犯罪にも使える道具箱を作ってきた、という感じでしたね。総論はどんな犯罪にも使える道具箱を作ってきました。各論の仕事は、その道具箱の中の「構成要件該当性」という引き出しを、条文ごとに具体的に埋めていくことです。この条文は何を守っているのか、誰に対する、どんな行為を、どこまで禁じているのか。それを1つずつ読みます。

そして各論の条文は、何を守っているかによって大きく3つの層に分かれます。一人ひとりの利益を守る個人的法益に対する罪、社会全体の安全や信用を守る社会的法益に対する罪、国家の働きを守る国家的法益に対する罪です。しかも個人的法益の中でも、生命はいちばん基本的な利益です。命が失われれば、自由も財産も意味を持ちません。だから各論は、生命に対する罪から始まります。

条文を割る6つの問い(保護法益/客体/行為/結果/主観/未遂・予備) 図:条文を割る6つの問い(保護法益/客体/行為/結果/主観/未遂・予備)

読み方の型も先に示しておきます。各論の条文は、この6つの問いに割って読みます。守っているものは何か。向けられる相手は誰か。どんな行為か。何が起きたら完成するか。主観は何が要るか。そして完成の手前をどこまで罰するか。この順に埋めていけば、条文が1つ読めたことになるんですね。今日は殺人罪という最初の条文で、この型を実際に動かしてみます。特に2つめの客体で、大きく立ち止まることになります。

殺人罪の条文と、法定刑の幅

死刑から5年の拘禁刑まで——選べる幅がとても広い 図:死刑から5年の拘禁刑まで——選べる幅がとても広い

では199条を読みます。

条文刑法199条

刑法199条(殺人) 「人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。」

はい、199条は本当に一文だけです。禁じている行為は「人を殺した」こと。それしか書いていません。まずは法定刑を見てください。上は死刑、その下に無期拘禁刑、そして有期の拘禁刑は5年以上です。そのままではできません。有期拘禁刑の上限は20年ですから、法定刑の幅は5年から20年、それに無期と死刑が加わります。ここまで広い幅を持つ条文は、そう多くありません。なぜそんなに広いんですか。同じ「人を殺した」の一語に、まるで性質の違う事案が全部入ってくるからです。金銭目的で計画的に殺した事案も、長年の介護に疲れ果てた末の事案も、条文の上では同じ199条です。条文が要件を一言しか書かない代わりに、その幅を量刑の側で吸収している、と考えてください。

殺人罪で執行猶予がつくことはないんですか。そこを考える前に1つ、前回の復習です。執行猶予をつけられるのは、言い渡される刑がどこまでのときでしたか?たしか、3年以下の拘禁刑のときでした。そしてこの回答が、そのまま今の問いの答えになります。刑の適用の回で見た酌量減軽——条文の定める減軽事由が無くても、事件の情状を見て裁判所が独自に刑を下げられる仕組みです——を使うと、有期拘禁刑の下限は2分の1になります。5年が2年6か月まで下がりますから、3年以下という執行猶予の枠に届きます。はい、下限が5年でも、酌量減軽まで含めれば執行猶予の余地が残る、という設計です。ただし、そこまで下げるにはよほどの事情が要ります。下限が5年という数字そのものが、この条文の守っている利益の重さを表しています。

生命は、本人が投げ出しても保護がなくならない 図:生命は、本人が投げ出しても保護がなくならない

次に、6つの問いの1つめ、保護法益です。199条が守っているのは、人の生命です。これは個人的法益、つまり一人ひとりの利益です。財産ならそのとおりです。ところが生命は違います。本人が「殺してほしい」と真剣に頼んだとしても、頼まれて殺した者が不可罰になることはありません。違います。財産は、持ち主が自由に処分してよいものとして扱われます。売ることも、捨てることも、譲ることもできます。しかし生命は、失えば取り返しがつかず、それ以後その人が何かを決める余地そのものが消えてしまいます。だから刑法は、本人の同意があってもなお、保護を手放しません。

頼まれて殺した場合も、まったく同じ199条なんですか。そこは同じではありません。同意があった場合には202条という別の条文が用意されていて、刑がぐっと軽くなります。軽くはなるが、犯罪でなくなるわけではない——この形が「生命は処分できない」という考え方の現れです。202条の中身は別の回で扱います。

「人」はいつから人になるか

3つの候補——一部露出・全部露出・独立呼吸 図:3つの候補——一部露出・全部露出・独立呼吸

ここからが今日の山場です。6つの問いの2つめ、客体です。199条の客体は「人」。では、その人は、いつから人なのでしょうか。生まれた瞬間、としか言いようがない気がします。でも「生まれた瞬間」って、どこですか。そこが問題です。出産は一瞬の出来事ではありません。頭が出て、肩が出て、体が出て、へその緒が切られて、泣き声を上げる。この一連の流れのどこかに線を引かなければ、条文は動きません。大きく3つあります。体の一部でも母体の外に出た時点とする一部露出説。体が全部外に出た時点とする全部露出説。そして、自分の肺で呼吸を始めた時点とする独立呼吸説です。判例も通説も、いちばん早い一部露出説を採っています。

「攻撃できるかどうか」で考えると腑に落ちます。母体の中に完全に収まっている間、外の誰かがその子だけを狙って直接手を下すことはできません。手を出そうとすれば、必ず母体を通ることになります。ところが、体の一部でも外に出た瞬間、その部分は母体という壁の外側に置かれます。

扉の外に出た手は、もう扉の内側の守りにはいない 図:扉の外に出た手は、もう扉の内側の守りにはいない

エレベーターで考えてみてください。扉が閉じている間、中にいる人を外の誰かが直接殴ることはできません。扉という壁が守っているからです。ところが、扉が開いて手が一本だけ外に出た瞬間、その手は外にいる人間から直接つかまれうる状態になります。体の残りがまだ中にあっても、ですか。関係ありません。外に出た部分については、もう扉の内側の守りは届いていないからです。母体と胎児の関係も同じ構造です。一部でも露出すれば、そこは母体を介さずに攻撃が届く場所になります。だからその時点から、母体とは別の、独立した生命として守る必要が生じる——これが一部露出説の理由です。

判例大判大正8年12月13日 刑録25輯1367頁(判示事項「一部露出したる胎児と殺人罪の客体」)

一部露出した胎児は、殺人罪の客体たる「人」か 胎児が母体から一部露出した後は、これに対する侵害は、殺人罪の客体である「人」に対する侵害となる。

判例も、一部が露出した時点で人になるという立場を古くから採っています。決め手は今の点です。残りの2説を採ると、まだ外から直接殺せる状態になっているのに、殺人罪の客体ではない、という空白が生まれてしまいます。そういう帰結になります。独立呼吸説だと、その空白はさらに長くなります。生まれてすぐ呼吸を始められない子もいますから、いちばん保護が必要な瞬間に保護が届かないことになりかねません。民法の「出生」とは基準が違います。民法で権利能力が認められる出生は、全部露出した時点と解するのが通説です。同じ「生まれる」でも、問うていることが違うからです。民法が知りたいのは、誰がいつから権利や義務の主体になるかで、相続や財産の帰属をはっきりさせる必要があります。

これに対して刑法が知りたいのは、いつから直接の生命侵害がありうるかです。守るべき対象が攻撃にさらされた瞬間を捉えたい。目的が違うので、答えも違ってよい。他の科目と食い違っているように見えたら、問いの中身を比べてみてください。

線の手前は堕胎罪、線の向こうは殺人罪 図:線の手前は堕胎罪、線の向こうは殺人罪

この線を引くと、すぐ隣の罪との境界が同時に決まります。ここで一度立ち止まります。分娩がまだ始まらず、胎児が完全に母体の中にいる段階で薬物を用いて死亡させた場合と、頭が出た直後にその頭部を殴って死亡させた場合とで、問題になる罪はどう変わると思いますか?前は「人」になる前だから殺人罪ではなくて……堕胎罪の問題ですか。あとは「人」になったあとだから、殺人罪ですね。同じ子に向けた行為でも、線の手前なら堕胎罪の問題にとどまり、線の向こうなら殺人罪の客体になります。堕胎罪は212条以下に置かれていて、法定刑は殺人罪よりずっと軽い。つまりこの線は、罪名だけでなく刑の重さまで動かします。

変わります。だからこそ、どの説を採るかを言い切るだけでなく、なぜその時点なのかを説明できる必要があります。ここは論文で論点になりうるところです。堕胎罪そのものの中身は、別の回で扱います。

「人」はいつまで人であり続けるか

3つがそろって、元に戻らなくなった時点 図:3つがそろって、元に戻らなくなった時点

次は終わりの線です。人は、いつまで「人」であり続けるのでしょうか。亡くなるまで、ですよね。でもまた同じ話で、「亡くなる」がどの瞬間かという問題になりそうです。ここでも条文は何も書いていません。従来から通説とされ、実務の基本になっているのが三徴候説です。挙げるのは3つ。心拍の停止、呼吸の停止、そして瞳孔反射の喪失です。目に光を当てると瞳孔が小さくなる反応のことです。これが失われ、瞳孔が開いたまま戻らない状態を指します。大事なのはここからです。この3つが、そろって、しかも元に戻らない形で止まった時点を死とします。

そろって、というのは、3つ全部ということですか。全部です。1つが止まっただけでは足りません。総合判定説とも呼ばれるのは、3つを合わせて判定するという意味です。

3系統の非常電源——1系統落ちただけでは、まだ止まっていない 図:3系統の非常電源——1系統落ちただけでは、まだ止まっていない

建物の非常電源で考えると分かりやすくなります。独立した電源が3系統あるとします。1系統が落ちても、残りの2つが生きていれば、建物の機能はまだ取り戻せます。3系統すべてが落ちて、しかも二度と復旧しないと分かって初めて、その建物は止まったと扱われます。心臓が止まっても、処置によって再び動き出すことは現にあります。そこで死と決めてしまえば、まだ助かるはずの人を法律上いないことにしてしまいます。だから、3つがそろって、しかも不可逆であることを要求します。この「元に戻らない」という部分が、三徴候説のいちばん効いている条件です。

3つのうち1つで足りると覚えるのは危ないです。そこは正確に押さえてください。

脳死は、臓器移植の場面のために置かれた取扱い 図:脳死は、臓器移植の場面のために置かれた取扱い

脳死という言葉をよく聞きますが、あれは死ではないんですか。待っていました。脳死を人の死と解すべきだ、という主張は学説として存在します。脳の機能が元に戻らない形で失われれば、その人らしい働きはもう戻らない、という考え方です。ただ、刑法の解釈として一般に採用されているわけではありません。あります。臓器の移植に関する法律です。この法律の6条2項は、「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう、と定義しています。それなら、法律が脳死を死と認めていることになりませんか。ここが大事なところです。この定義は、臓器の移植という限られた場面のためのものです。本人が生存中に書面で意思を表示していたことや、遺族が拒まないことなど、法律が定める要件を満たした場合に、臓器を摘出できるようにするために置かれています。

刑法上の「人の死」の定義を、一般的に脳死へ置き換えたものではありません。この限定を外して覚えてしまうと、「脳死になった人に何をしても殺人罪にはならない」という誤った結論に行き着きます。そこは切り離してください。決め手は、死の時点を判定しなければならない場面の広さです。殺人罪か死体損壊罪かという問いは、いつ、どの人の身体について起きるか分かりません。ところが脳死の判定は、本人が書面で意思を示していたことや遺族が拒まないことといった要件がそろった、限られた場面でしか行われません。そこでしか下されない判定を、刑法全体の死の基準に据えることはできない。だから刑法は、心拍・呼吸・瞳孔反射という、その場で誰にでも確かめられる3つの徴候を基準に使い続けています。

終わりの線の向こう側は、死体損壊罪の領分 図:終わりの線の向こう側は、死体損壊罪の領分

始まりの線と同じで、終わりの線も、引いた瞬間に隣の罪との境界になります。線の向こう側、つまり死亡後の行為は、もう「人」に向けられた行為ではありません。死体に向けられた行為として、190条の死体損壊罪の問題になります。変わります。呼吸がほぼ止まっていても心拍が残っている段階で首を絞めれば、客体はまだ「人」ですから殺人罪の問題です。死亡を確認したうえで遺体を傷つけたのなら、死体損壊罪の問題になります。190条の法定刑は3年以下の拘禁刑ですから、重さもまるで違います。

胎児・人・死体——1本の時間軸で並べ直す 図:胎児・人・死体——1本の時間軸で並べ直す

ここまでを1本の時間軸にまとめます。母体の中にいる間は胎児で、堕胎罪の領分です。体の一部が露出した時点から「人」が始まり、199条の客体になります。そして心拍・呼吸・瞳孔反射がそろって不可逆的に止まった時点で「人」が終わり、その先は死体として扱われます。殺人罪の客体を決める作業は、そのまま隣の罪との境界を決める作業でもある。各論の条文は、こうして互いの領分を分け合っています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——条文を割る型と、2本の線 図:今日の到達点——条文を割る型と、2本の線

今日を振り返ります。まず各論の読み方でした。条文は、保護法益、客体、行為、結果、主観、そして未遂・予備という6つの問いに割って読む。今日はその型を、最初の条文の上で動かしました。総論で作った道具箱は手元に置いたまま、条文ごとの中身を埋めていく作業でしたね。199条は「人を殺した者は」の一文だけでしたが、守っているのは人の生命で、法定刑は死刑、無期、または5年以上の拘禁刑。本人が同意していても、犯罪でなくなることはありませんでした。個人の利益でありながら本人が手放せない、そこが生命の特徴です。そして客体である「人」には、2本の線が引かれていました。始まりは、母体から体の一部が露出した時点。理由は、その瞬間から母体を介さずに直接攻撃が届くようになるからでした。

終わりは、心拍、呼吸、瞳孔反射の3つがそろって、しかも元に戻らない形で止まった時点です。1つ止まっただけでは足りない。ここは正確に押さえてください。脳死については、臓器の移植に関する法律が定義を置いていますが、それは移植の場面に限った取扱いで、刑法上の死の定義を一般的に置き換えたものではありませんでした。そして、この2本の線を引くと、その手前と向こう側に別の罪が現れました。手前は堕胎罪、向こうは死体損壊罪です。客体の範囲を決める作業は、そのまま隣の罪との境界を決める作業でもある——これが各論の条文の並び方そのものでした。

出てきます。ただし、今日埋まったのは6つの問いのうち、保護法益と客体までです。残りはまだ手つかずです。「殺した」という行為にはどんな形があるのか。本人が語らない殺意を、どうやって認定するのか。そして、人が死ぬ前の段階、準備しただけの段階と、着手したけれど死ななかった段階を、刑法がどこまで捉えているのか。ここまで進めば、殺人罪の条文が一通り読めたことになります。

参照条文

  • 刑法199条

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