殺意の認定と殺人予備・未遂
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第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
この3つは、どれも「人を殺した」といえるか
図:手を下していない人と、何もしなかった人と、当たらなかった人
続けてください。いい3つを並べましたね。199条は「人を殺した者は」としか書いていません。そのままの言葉を当てると、3つとも外れそうに見えます。結論を先に言います。3つとも、刑法は捕まえています。1つめと2つめは199条の「殺した」の中に入り、3つめは、その手前に置かれた別の条文が受け止めます。広いというより、形を問うていない、と言ったほうが近いです。今日はそこを見ます。母体から体の一部が露出した時点で始まり、心拍・呼吸・瞳孔反射の3つがそろって元に戻らない形で止まった時点で終わる。誰に向けた行為かは、これで決まりました。
前回は、条文を保護法益・客体・行為・結果・主観・未遂予備の6つに割って読み、最初の2つを埋めました。今日はその続きで、3つめの行為、5つめの主観、6つめの未遂・予備を埋めます。4つめの結果は、人の死そのものですから、行為のところで一緒に片づきます。さきほどの1つめと2つめの質問は行為のところ、3つめの質問は未遂のところで答えが出ます。順番に潰していきましょう。
「殺した」——やり方は限定されていない
図:結果だけを書き、手段は問わない
6つの問いの3つめ、行為に進みます。199条が書いているのは「人を殺した」の一言だけです。どんなやり方かは、一言も書いていません。書いていないということは、どんなやり方でもいい、ということですか。そう読みます。人の死という結果を、自分の行為によって引き起こしたといえるなら、手段は問いません。典型は作為です。刺す、撃つ、毒を盛る。このあたりは迷いません。何もしないことによっても、殺人罪は成立しえます。ただし誰でもよいわけではありません。結果の発生を防ぐべき立場にあった人が、あえてそれをしなかった場合に限られます。総論の不作為犯で立てた枠組みでいえば、1つめに法的な作為義務があること、2つめにその場で結果を防ぐことが可能で容易だったこと、この2つがそろって初めて、作為で殺したのと同じに見られる、という話でした。
2つ並べてみましょう。自分の乳児にミルクを与えず、死なせる目的で放置した親は、防ぐべき立場にある人が、あえてしなかった場合にあたります。一方、道で倒れている見ず知らずの人を、助けずに通り過ぎただけの通行人は、そもそも防ぐべき立場に立っていません。同じ「助けなかった」という結果でも、防ぐべき立場に立っていたかどうかが分かれ目です。なお、防ぐべき立場にある人が放置した場合に、殺人罪になるのか、それとも人を保護すべき者が遺棄した場合の罪にとどまるのか、という切り分けがあります。これは遺棄の罪を扱う回で正面から比べます。
図:事情を知らない他人を、道具のように使う
もう1つ、自分の手を下さない形があります。事情を知らない他人を、道具のように利用する場合です。Aが、毒を入れたカプセルを、いつもの薬だと偽ってBに手渡したとします。Bはそれを本当に薬だと信じて、CにCの服用時刻に飲ませ、Cが死亡しました。BはCを殺すつもりなどまったく持っていません。分かっていないBは、Aの手の延長として動いたにすぎません。ですからAは、自分でCに毒を飲ませたのと同じように評価されます。これが総論で見た間接正犯の形です。殺人罪でも、この形はそのまま使えます。含みます。作為でも、不作為でも、他人を道具にした形でも、人の死という結果を自分の行為によって引き起こしたといえるなら、199条の行為にあたります。
殺意は、どうやって認定するのか
図:殺意と傷害の故意の区別
6つの問いの5つめ、主観に入ります。殺人罪の故意、つまり殺意です。ここで最初に確認しておきたいのは、必要とされる強さです。「必ず殺してやる」というほどの強い決意までは要りません。結果の発生を確定的に望んでいなくても、死ぬかもしれないと分かったうえで、それでもかまわないと受け入れていれば足ります。総論で見た未必の故意です。足ります。境目を2つ並べます。刃物で相手の胸を強く刺せば死ぬかもしれない、と思いながら、それでも刺した場合は殺意ありです。これに対し、肩を殴ればけがはするだろうが、まさか死ぬとは考えていなかった場合は、殺意はなく、傷害の故意にとどまります。
同じ暴力でも、行為者が頭の中で何を受け入れていたかが分かれ目です。そして、殺意が無いまま人を死なせた場合には、傷害致死という別の条文が受け皿になります。その比較は、傷害の罪を扱う回で行います。
図:内心は語らせるのではなく、外に出た事実から読む
頭の中のことですよね。本人が「殺すつもりはなかった」と言い続けたら、どうやって決めるんですか。そこが実務でいちばん争われる点です。内心は直接見えませんから、外に出た事実を積み上げて読み取ります。よく使われる手がかりは、大きく5つあります。1つめは、凶器の種類と使い方です。鋭利な刃物を使ったのか、素手だったのか。どれだけの力で振るったのか。2つめは、傷の部位と深さです。頭、首、胸、腹といった、命に直結する部位を狙っているかどうか。傷が深いほど、殺すつもりはなかったとは言いにくくなります。3つめは、攻撃の回数と執拗さです。一度きりか、相手が倒れた後も繰り返したのか。4つめは、動機と経緯。そこに至るまでにどれだけの対立があり、どれだけの準備があったか。5つめは、犯行の前後の言動です。凶器を前もって用意していたのか、倒れた相手を救おうとしたのか、それとも放置して立ち去ったのか。
見ます。ただし注意していただきたいのは、どれか1つで決まるわけではない、という点です。首を狙っていれば必ず殺意あり、というような単純な公式にはなりません。全部を合わせて、その人がその瞬間に何を受け入れていたかを読み取ります。そしてこの読み方は、総論で学んだ故意の中身を、具体的な事案の上で動かしているだけです。新しい規範が増えたわけではありません。殺人罪では、この認定が事実上いちばんの勝負どころになる、と押さえておいてください。
準備の段階——殺人予備罪
図:準備しただけの段階にも、網がかかっている
最後に、6つの問いの6つめ、既遂の手前です。まず、着手よりさらに前の段階から見ます。201条を読みます。
条文刑法201条
刑法201条(予備) 「第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。」
罰せられます。予備というのは、実行の着手より前の、犯罪の実現に向けた準備行為のことです。殺すつもりで包丁を買いに行く、相手の帰宅時間を調べて下見をする。こうした段階です。どこまでが予備なんですか。頭の中で考えているだけでも、ですか。そこは線が引かれています。心の中で計画しているだけでは予備になりません。外に現れた準備行為が必要です。殺す目的で凶器を買い、被害者の自宅を下見したのなら予備にあたりますが、殺してやりたいと思い続けているだけでは、まだ201条は動きません。刑法は、心の中そのものを裁く仕組みを持っていません。外に出た行為を捉えます。さて、ここで1つ確認です。総論で予備罪を見たときに出てきた、自己予備と他人予備という区別、思い出せますか?
自分が実行するつもりで準備するのが自己予備、他人に実行させるつもりで準備するのが他人予備、でした。では201条は、そのどちらを捕まえているでしょうか。
図:「第199条の罪を犯す目的で」——誰が犯す目的か
条文の言葉に戻ります。「第199条の罪を犯す目的で」。ここでいう目的は、誰が199条の罪を犯す目的でしょうか。条文の目的を素直に読めば、その準備をしている本人が犯す目的だと読むのが自然です。ですから201条は自己予備に限る、とするのが多数説です。Aが、自分でCを殺すつもりで凶器を買い、Cの自宅を下見した。これは201条にあたります。その場合、201条の予備そのものには当たらない、というのが多数説からの帰結です。条文が求めているのは自分が犯す目的だからです。それだと、けしかけた側がすり抜けてしまいませんか。そこは別の道具で拾います。Bが自分でCを殺すつもりを持っていて、Aがそれを知ったうえでBと一緒に準備をしたのなら、話は変わります。総論の共犯で確定させたとおり、殺す目的は65条の身分にあたります。そして201条は、その目的が無ければそもそも罪が成り立たない類型——身分の有無が罪の成立そのものを決める、真正身分犯です。65条1項の「共犯」には共同正犯も入りますから、目的を持たないAにも、殺人予備罪の共同正犯が成立しえます。
予備罪そのものには当たらなくても、65条1項の共同正犯の道から捕まえられます。ここは、条文の読み方と共犯の道具が組み合わさる場面なので、自己予備に限るという結論と、それでも65条1項の道が残るという結論を、セットで覚えてください。
図:刑を免除できる——思いとどまる余地を残す
201条のただし書も見てください。情状により、その刑を免除することができる、とあります。「できる」という文言が大事な読みどころです。必ず免除されるのではなく、免除するかどうかは裁判所の判断に委ねられています。必ず免除される仕組みではありません。なぜ、こういう規定が置かれているんですか。予備の段階は、幅がとても広いからです。凶器を買っただけの者と、もう相手の家の前まで行っている者とでは、既遂までの距離も、生み出している危険もまるで違います。そのうえ、準備したあとで思いとどまる人もいます。その全部を一律に扱うと、重すぎる場合が出てきます。だから、免除という出口を残しました。
準備したあとでやめた場合は、中止未遂の話にはならないんですか。そこは注意が要ります。中止未遂の規定は、犯罪の実行に着手した者を前提にしています。まだ着手していない予備の段階には、文言の上では届きません。判例も、中止未遂の規定を予備罪に準用することを認めていません。学説には準用を認めるべきだという立場もありますが、判例の立場を前提にすれば、やめた事情は201条ただし書の免除で考慮する、という受け止め方になります。やめた人の受け皿は、この201条ただし書に用意されています。そう理解しておくと、ただし書が置かれている意味がつながります。
着手した段階——殺人未遂罪
図:死ななくても罰する。その入口が「着手」
予備の次は未遂です。203条を読みます。
条文刑法203条
刑法203条(未遂罪) 「第百九十九条及び前条の罪の未遂は、罰する。」
203条は、199条の未遂と、202条の未遂の両方を罰しています。202条は、自殺に関与する行為と、本人の同意を得て殺す行為を定めた条文です。その中身は次の回で扱います。未遂というのは、実行に着手したけれども結果が発生しなかった場合です。ですから、どこからが未遂かという問いは、どこから着手といえるか、という問いになります。同じ物差しを使います。その行為によって、結果が発生する現実的な危険が生じたといえる時点が着手です。これを殺人罪で当ててみましょう。
図:拳銃を買った段階と、狙いを定めた段階
殺すつもりで拳銃を手に入れ、相手の行動パターンを調べた。この段階はどちらでしょうか。準備は整っていますが、死という結果に向けた現実的な危険は、まだ生じていません。では、その相手を物陰から見つけ、照準を合わせて引き金に指をかけた。この段階はどうですか。もう、あとは指を動かすだけですよね。これは着手だと思います。あとは引くだけという状態になれば、結果に向けた危険は現実のものになっています。ここから先は未遂です。そして弾が外れて相手が無事だったなら、殺人未遂罪が成立します。撃つ前と撃つ直前とで、201条の予備と203条の未遂に分かれます。もう1つ、手元を離れる形も見ておきましょう。毒を入れた食品を相手の家に送った場合です。この場合、相手のもとに届いて、口にしうる状態になった時点で、危険が現実のものになったと評価されます。
自分の手を離れてから危険が生まれる場合もあります。共通しているのは、行為者の手元で何をしたかではなく、結果に向けた現実的な危険がいつ生じたか、を見ている点です。この物差しは各論のどの条文でも変わりません。今日はそれを殺人罪で1回動かした、ということです。43条本文により、刑を減軽することができます。ここも「できる」です。必ず軽くなるわけではありません。
図:準備・着手・結果——3つの段階と、それぞれの条文
段階を並べておきます。外に現れた準備をした段階が201条の予備で、2年以下の拘禁刑。実行に着手して結果が生じなかった段階が203条の未遂で、43条本文により減軽できます。人が死ねば199条の既遂で、死刑、無期、または5年以上の拘禁刑です。段階が上がるにつれて刑がはっきり重くなっていくこと自体が見どころです。どの犯罪にも予備罪があるわけではありません。予備を罰する条文が置かれているのは、生命に向けられた罪のように、守るべき利益が特に重い場面に限られます。完成の手前から段階的に網をかける、という設計そのものが、この法益の重さを表しています。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点
今日を振り返ります。前回引いた2本の線で、199条の客体は決まっていました。今日埋めたのは、その先の行為と主観、そして完成の手前です。並んでいます。まず行為です。199条は「人を殺した」としか書いていません。ですから形は問いません。刺す、撃つ、毒を盛るといった作為はもちろん、何もしないことによっても成立しえます。誰の不作為でもよいわけではない、という点が要点です。結果の発生を防ぐべき立場にあった人が、あえてしなかった場合に限られます。乳児を放置した親と、道で倒れている人の横を通り過ぎた通行人とでは、立っている位置が違いました。
薬だと信じている介助者に毒入りのカプセルを渡した場合、飲ませた本人には何の故意もありません。渡した側は、自分の手で飲ませたのと同じように評価されます。自分の手でなくてもよい、というところまで「殺した」は届きます。殺意は、未必の故意で足ります。「必ず殺してやる」という確定的な意欲は要りません。死ぬかもしれないと分かったうえで、それでもかまわないと受け入れていれば足ります。逆に、まさか死ぬとは考えていなかったのなら、傷害の故意にとどまります。内心は直接見えませんから、外に出た事実から読み取ります。凶器の種類と使い方、傷の部位と深さ、攻撃の回数と執拗さ、動機と経緯、そして犯行の前後の言動。この5つが主な手がかりでした。
どれか1つの事情だけで決まる公式ではない、という点が大事な注意です。首を狙っていれば必ず殺意あり、という単純な当てはめにはなりません。最後が、完成の手前の2段階です。201条の予備は、外に現れた準備行為を捉えます。頭の中で考えているだけでは足りません。法定刑は2年以下の拘禁刑で、情状により刑を免除することが「できる」。必ず免除されるわけではありませんでした。「第199条の罪を犯す目的で」を素直に読めば、自分が犯す目的だからです。ただし、殺人の目的を持つ者と共同して準備した場合には、目的を持たない者も65条1項によって殺人予備罪の共同正犯となりえます。この2つはセットで覚えてください。
結果に向けた現実的な危険が生じた時点からです。拳銃を手に入れて下見をした段階はまだ予備、照準を合わせて引き金に指をかけた段階から未遂。生命という重い法益は、完成の手前から段階的に守られている——これが今日の背骨です。
図:同意があった場合の条文——202条へ
最後に1つだけ、残していた宿題があります。本人が同意していた場合です。そこには202条という別の条文が用意されていて、刑は199条よりずっと軽くなります。軽くはなっても犯罪であることに変わりはありません。そうすると、次の問いが出てきます。どこまでが「同意した」といえるのか。死ぬということの意味を分かっていなかった場合はどうか。追い詰められた末に頷いただけの場合はどうか。同意の中身によって202条にあたるか199条にあたるかが変わる、そこが分かれ目になります。
参照条文
- 刑法201条
- 刑法203条