刑法ゼロから刑法#121

真実性の錯誤と侮辱罪

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第14章 個人的法益③|秘密・名誉・信用・業務 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の結びから

真実だと信じていたのに証明できなかったら、どうなるのか 図:真実だと信じていたのに証明できなかったら、どうなるのか

前回は、230条の2の3つの要件をすべて満たせば、名誉毀損罪は成立しないという話をしました。最後に1つ、宿題を残しましたね。そこで今日の問いです。新聞記者が、政治家の汚職について、確実な資料に基づいて取材しました。ところが裁判になってみると、真実であることを完全には証明しきれませんでした。この記者に、名誉毀損罪は成立するでしょうか。もう1つ、別の問いも立てておきます。Aが、Bについて「Bは頭が悪い」とだけ言いました。具体的な事実は何も示していません。この場合、名誉毀損罪と侮辱罪、どちらが成立しうるでしょうか。

真実性の錯誤——問題の所在

230条の2は使えなくても、誤信していたことが故意に影響しないか 図:230条の2は使えなくても、誤信していたことが故意に影響しないか

230条の2を使って不処罰になるには、真実であることの証明が必要でした。証明できなかった以上、230条の2はそのままでは使えません。230条の2という関所そのものは通れません。ただ、ここで別の問いが立ちます。記者は、確実な資料に基づいて、真実だと信じて書いていました。この誤信していたという事実が、名誉毀損罪の成立に何の影響も及ぼさないのか。これが真実性の錯誤とよばれる問題です。分かれ目は、230条の2を何を消す規定だと捉えるかにあります。違法性を消すと捉えるか、処罰だけを消すと捉えるかで、誤信の扱いが変わってくるのです。試験対策上は、2つの立場からの処理を押さえておけば十分です。前回扱った230条の2の法的性質のうち、判例・通説にあたる違法性阻却事由説からの処理と、もう1つ、処罰阻却事由説からの処理です。結論を先取りすると、記者のように確実な資料に基づいていた場合、どちらの立場に立っても不処罰に近づきます。違うのは、そこにたどり着くまでの道筋です。まずは違法性阻却事由説から見ていきます。

違法性阻却事由説からの処理——3つのステップ

①錯誤の種類を決める→②誤認識の対象を引き直す→③政策的な歯止めをかける 図:①錯誤の種類を決める→②誤認識の対象を引き直す→③政策的な歯止めをかける

前回見た3つの立場のうち、230条の2を「違法性を消す規定」と読む、判例・通説の立場からは、真実性の錯誤を3つのステップで処理します。①のポイントは、性質決定の連動です。230条の2が違法性を消す規定だと解釈した以上、そこで生じる錯誤も、違法性阻却事由の錯誤という同じ引き出しに入ることになります。ここで思い出してほしいのですが、以前、誤想防衛のところで、違法性阻却事由の錯誤が起きたとき、責任故意はどうなると学びましたか?違法性を消す事実に気づけなかった場合には、責任故意が阻却される、という自説でした。事実の錯誤説です。以前学んだとおり、違法性を消す事実に気づけなかった以上、そこに向けるべき責任非難自体が成り立たない、というのが事実の錯誤説の理屈でした。真実性の錯誤でも、この同じ枠組みを流用するのが、①のステップです。

「証明があった」は裁判の事由なので、行為時には誤認識できない 図:「証明があった」は裁判の事由なので、行為時には誤認識できない

②誤認識の対象です。ここで少しつまずきやすいところに入ります。230条の2は「真実であることの証明があったときは」と規定しています。これは、裁判が終わって初めて確定する事由です。行為の時点で、行為者は「証明があった」という裁判の事由を誤認識しようがありません。正当防衛の「急迫不正の侵害」のような、行為の時点で存在する事由とは違うのです。そこで行うのが、読み替えです。230条の2にある「真実であることの証明があった」という条文の文言を、行為の時点でも存在しうる実体面の事実に読み替えます。読み替えた先にあるのが、「事実が証明可能な程度に真実であること」です。問われるのは、裁判で証明されたかどうかではなく、行為の時点でその事実が、裁判になれば証明できるだけの確かさを備えていたかどうかです。記者に即して言えば、行為のときに問題になるのは「裁判で証明できた」かではなく、「手元の資料に、裁判になれば証明できるだけの確かさがあったか」だけになります。

誤信していれば常に許すと、調べもせず軽信した者まで救ってしまう 図:誤信していれば常に許すと、調べもせず軽信した者まで救ってしまう

③最後に、政策的な制限です。②までの理屈だけを貫くと、証明可能な程度に真実だと誤信さえしていれば、いつでも責任故意が阻却されることになります。調べもせずうわさを鵜呑みにしただけの軽信でも、誤信でさえあれば救われることになってしまいます。これでは、名誉の保護という230条の2の趣旨が崩れます。そのため、政策的な観点から要件を積み増し、確実な資料・根拠に基づく誤信であった場合に限って、責任故意の阻却を認めます。ここで、実際の裁判所がどう判断したのかを見てみましょう。

判例最高裁判所大法廷判決 刑集23巻7号975頁(夕刊和歌山時事事件)

真実性の誤信と故意(判旨) 「たとい刑法二三〇条ノ二第一項にいう事実が真実であることの証明がない場合でも、行為者がその事実を真実であると誤信し、その誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは、犯罪の故意がなく、名誉毀損の罪は成立しないものと解するのが相当である。」

前回、この事件の趣旨説示の部分、230条の2は人格権としての名誉の保護と、憲法21条による正当な言論の保障との調和を図ったものだ、という部分を読みました。今日読んだのは、その調和の趣旨から導かれる、真実性の錯誤についての判示そのものです。この判決自体が「違法性阻却事由の錯誤だから」と理屈を明言しているわけではありません。前回お話ししたとおり、判例が違法性阻却事由説に立つと理解されているのは、あくまで趣旨からの読み方でした。判決が示したのは「確実な資料、根拠に照らし相当の理由があるときは故意がない」という基準そのものです。①から③は、この基準を学説の側から説明する筋道です。

発展——インターネット個人利用者にも基準は緩まない

新聞記者でなくても、個人の発信でも、基準は同じまま緩まない 図:新聞記者でなくても、個人の発信でも、基準は同じまま緩まない

ここで1つ、発展として押さえておきたい判例があります。今読んだ夕刊和歌山時事事件は、新聞記者による報道が舞台でした。では、個人が自分のホームページで発信した場合はどうでしょうか。個人だと確実な調査は難しいのではないか、という点がまさに争われた事件があります。ある人が、自分のホームページで、あるフランチャイズ展開の会社について、その会社が虚偽の広告をしているかのような内容を掲載しました。この人は、一市民としてインターネットの個人利用者に求められる水準の調査はしたと主張し、個人の発信なら基準を緩めるべきだと争いました。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集64巻2号1頁

インターネット個人利用者の表現と相当の理由(判旨) 「インターネットの個人利用者による表現行為の場合においても、他の場合と同様に、行為者が摘示した事実を真実であると誤信したことについて、確実な資料、根拠に照らして相当の理由があると認められるときに限り、名誉毀損罪は成立しないものと解するのが相当であって、より緩やかな要件で同罪の成立を否定すべきものとは解されない。」

この決定は、先ほどの夕刊和歌山時事事件を明示的に引用したうえで、インターネットの個人利用者による発信であっても、他の場合と同じ基準がそのまま及ぶとしました。より緩やかな要件で足りるとはしなかったのです。インターネット上の情報は、不特定多数がすぐに見られ、被害が一気に広がりうる場所です。個人の発信だからといって、見る側が一律に信頼性の低い情報として受け取るとも限りません。だからこそ、確実な資料・根拠という歯止めは、誰の発信であっても変わらないのです。この人は、有罪のままでした。登記簿や雑誌記事、ネットの書き込みなど資料は集めていましたが、一方の立場から作られた資料が混じり、会社の側に事実を一度も確かめていませんでした。これでは確実な資料、根拠に照らした相当の理由があるとはいえない、とされたのです。裏を返せば、個人の発信でも、相手方に確かめるなどの確かな裏付けがあれば、記者と同じように故意が否定されうるということです。

処罰阻却事由説からの処理——原則と例外

原則は不阻却、例外として35条の正当行為で違法性が阻却される 図:原則は不阻却、例外として35条の正当行為で違法性が阻却される

もう1つの立場、230条の2を「処罰だけを外す規定」と読む見解からは、まったく違う道筋になります。原則側の結論から言うと、真実だと思い込んでいたという事情は、故意の有無には響きません。故意が向けられるべき対象は、構成要件に該当する事実と、違法性を否定する事実だけです。処罰阻却事由は、犯罪の成立を認めたあとで刑だけを外す事情であり、以前見た親族間の窃盗の刑の免除と同種のものなので、そもそも故意の対象になりません。確実な資料に基づいて真実だと信じていたとしても、原則の枠内では処罰されてしまいます。ただし、例外が用意されています。確実または相当な資料・根拠に基づく言論であれば、真実性の証明に至らなくても、35条の正当行為——第6章で扱った、社会の中で正当なものとして許容される行為——にあたるとして、違法性が阻却されるのです。十分な調査を尽くした言論は、真実の証明までいかなくても、表現の自由のもとで社会が許容すべき正当な言論活動だと評価できる、という理屈です。230条の2という専用の通路は使えなくても、正当行為という別の入り口から不処罰にたどり着く組み立てになっています。

230条の2の性質決定は、故意阻却の余地を認める見解と違法性阻却の余地を認める見解に呼び分けられる

そうではなく、呼び方の整理です。ここまで見てきた、230条の2を違法性阻却事由と解する判例・通説の立場と、処罰阻却事由と解する前田などの立場、この2つを、錯誤が起きたときに何が消えるかという観点から呼び直すと、故意阻却の余地を認める見解と、違法性阻却の余地を認める見解になります。違法性阻却の余地を認める見解は、230条の2を処罰阻却事由と解したうえで、確実または相当な根拠に基づく言論を35条正当行為に乗せる、先ほど見た考え方そのものです。もう一方の、故意阻却の余地を認める見解は、判例や旧団藤説が採るもので、230条の2を構成要件該当性阻却事由か違法性阻却事由と解したうえで、「真実であることの証明があった」という文言を、「事実が証明可能な程度に真実であったこと」という実体面の要件に引き直します。この証明可能な程度の資料・根拠という要件は、政策的に加えられたものだと説明されます。この根拠づけが分かりにくいという批判もありますが、政策的な観点から必要だという反論もあります。

証明可能な程度に真実だと誤信した以上、その人は犯罪を基礎づける事実そのものを認識していないことになる、という理屈です。この位置づけを構成要件の側に置くのが旧団藤説で、構成要件的故意が欠けることになります。違法性の側に置くのが判例の立場で、責任故意が欠けることになります。実は、この判例の置き方こそ、さきほど3つのステップで見た違法性阻却事由説そのものです。記者に当てはめると、確実な取材によって証明できるだけの確かさがあると信じていた以上、故意が欠けることになります。混同しないでください。厳格責任説・制限責任説・法効果制限的責任説は、違法性阻却事由の錯誤一般について、責任説という前提に立ったときの学説地図でした。今ここで見ているのは、230条の2という個別の規定の性質決定をめぐる、別の対立です。名前が似た議論が出てきますが、土俵が違います。

2つの見解の差異——頭の体操

阻却される中身が違う——責任故意か、違法性か 図:阻却される中身が違う——責任故意か、違法性か

ここまでで、2つの見解の処理を見てきました。答案で長く展開する機会は多くありませんが、頭の体操として、両者の違いを2点だけ整理しておきます。阻却される中身が違います。違法性阻却事由説からは責任故意が阻却され、処罰阻却事由説、つまり違法性阻却の余地を認める見解からは、違法性が阻却されます。同じ不処罰でも、消えているものが違うのです。2点目は、確実な資料・根拠に基づいていたと誤信していたが、実は客観的にはそこまで確実ではなかった、という場合の処理です。違法性阻却事由説からは、確実な資料・根拠という要件は、責任故意阻却のための政策的な歯止めであって、それ自体は故意の対象ではありません。ですから、この点の誤信は犯罪の成否に影響しません。処罰阻却事由説からは、確実な資料・根拠に基づくことは、35条正当行為による違法性阻却の要件そのものです。だから、この誤信は改めて違法性阻却事由の錯誤として問題になり、事実の錯誤説に立てば、そこでも責任故意が阻却されます。

違法性阻却事由説からは、3つのステップを経て責任故意が阻却され、名誉毀損罪は成立しません。処罰阻却事由説、つまり違法性阻却の余地を認める見解からは、35条の正当行為として違法性が阻却されます。理論構成はそれぞれ違いますが、確実な資料に基づいていたという前提がある限り、どちらの見解に立っても、記者は不処罰に近づきます。

侮辱罪へ——橋渡し

事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪の出番になる 図:事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪の出番になる

ここまでは、具体的な事実を摘示した場合、つまり名誉毀損罪の枠の中の話でした。では、事実をいっさい示さずに、人を侮辱した場合はどうなるでしょうか。冒頭のもう1つの問いですね。「Bは頭が悪い」とだけ言った場合です。そこで扱う規定が、231条の侮辱罪です。名誉に対する罪の最後の1つとして見ていきましょう。

231条 侮辱罪 全文

事実を摘示しなくても成立するので、名誉毀損罪とは別の受け皿になる 図:事実を摘示しなくても成立するので、名誉毀損罪とは別の受け皿になる

まず、231条を全文で読みます。

条文刑法231条

刑法231条(侮辱) 「事実を摘示しなくても、公然と人を侮辱した者は、一年以下の拘禁刑若しくは三十万円以下の罰金又は拘留若しくは科料に処する。」

この条文は、名誉毀損罪の230条とよく似た作りをしています。成立には「公然と」人を侮辱すれば足り、名誉毀損罪とは違って「事実を摘示」する必要がありません。親告罪にあたる点は、あとでまとめて確認します。インターネット上の誹謗中傷が深刻化したことを背景に、2022年、令和4年6月に公布された刑法の改正で法定刑が引き上げられ、この部分は同じ年の7月から施行されました。いま見えている「拘禁刑」という表記は、同じ改正で懲役と禁錮を一本化した部分が、2025年、令和7年6月に施行されたことによるものです。一つの改正でも、部分ごとに施行の時期が違うことがあります。

公訴時効は法定刑の重さで区分が決まるので、法定刑が拘留・科料だけだったころは1年でしたが、改正後は3年に伸びています。インターネット上の匿名の発信では、発信者を特定するだけでも時間がかかります。時効が短いままでは、特定できたころには手遅れになりかねません。時効が伸びたことで、そうした事案にも対応しやすくなっています。この改正前の法定刑の軽さが、あとで見る保護法益の対立にも関わってきます。

保護法益をどう見るかで、名誉感情のない存在への成否が変わる 図:保護法益をどう見るかで、名誉感情のない存在への成否が変わる

231条が守っているものは何か、ここにも学説の分かれ目があります。外部的名誉説は、前々回230条のところで確認した外部的名誉——社会がその人に与えている評価——を、名誉毀損罪と侮辱罪のどちらの保護法益とも考える立場で、判例・通説がこれにあたります。この立場が根拠に挙げるのは、どちらの条文も「公然と」という同じ要件を掲げている、という点です。法定刑の差について、外部的名誉説は、事実を摘示するほうが社会的評価をより確実に傷つけるからだ、と説明します。一方、有力な二元説は違う見方をとり、名誉毀損罪の保護法益は外部的名誉、侮辱罪の保護法益は名誉感情——本人が自分自身に対して抱く評価——だと考えます。この見解を支えていたのが、改正前の侮辱罪の法定刑が拘留・科料だけという極端な軽さだった、という事実です。保護される利益の重さ自体が違うからこそ、法定刑もそこまで軽かったのだ、という説明が成り立っていました。改正によって法定刑が引き上げられ、名誉毀損罪との差は縮まりましたが、この二元説には、どちらの条文も公然性を要求している以上、公衆の前での評価という点は共通するはずだという批判、そして単なる主観的な感情は法的保護に値しないという批判が向けられています。3つ目の総合説は、名誉毀損罪も侮辱罪も、外部的名誉と名誉感情の両方を保護していると考える立場です。前々回、230条について、名誉感情も保護法益に含めるべきだという少数説を見ましたが、その考え方を侮辱罪にも同じように当てはめる立場です。

他人がつける通知表と、自分の自己採点――どちらを保護しているのか 図:他人がつける通知表と、自分の自己採点――どちらを保護しているのか

イメージをつかむために、たとえておきます。外部的名誉は、周囲がその人に対して実際につける通知表のようなものです。名誉感情は、本人が自分自身につける自己採点だと考えてください。この違いが、次に見る場面で効いてきます。幼児や精神障害者、あるいは会社のような法人には、自分自身をどう評価するかという名誉感情があるといえるでしょうか。

名誉感情をもたない存在に、侮辱罪は成立するか 図:名誉感情をもたない存在に、侮辱罪は成立するか

学説の違いがはっきり表れるのが、名誉感情をもたない幼児や精神障害者、あるいは法人に侮辱罪が成立するかどうかという場面です。外部的名誉を保護法益に含む外部的名誉説と総合説では、名誉感情をもたない存在への侮辱罪も成立の余地があります。それに対して、侮辱罪の保護法益を名誉感情だけに絞り込む二元説では、名誉感情をもたない存在に対する侮辱罪は成立しないことになります。

判例最高裁判所第一小法廷決定 刑集37巻9号1341頁

法人に対する侮辱罪 「刑法二三一条にいう『人』には法人も含まれると解すべきであり……本件B株式会社を被害者とする侮辱罪の成立を認めたのは、相当である。」

この決定で最高裁は、法人を被害者とする侮辱罪の成立を認めました。231条にいう「人」に法人も含まれる、という判断です。外部的名誉説とこの結論はうまくかみ合います。法人に自己採点にあたる名誉感情を想定するのは難しくても、社会からの評価——通知表にあたる外部的名誉——であれば、法人にも観念しうるからです。

行為——名誉毀損罪との区別

判例・通説では、具体的な事実を摘示したかどうかが区別基準 図:判例・通説では、具体的な事実を摘示したかどうかが区別基準

侮辱罪の行為内容は、事実を摘示せずに、公然と人を侮辱することです。具体的な事実の摘示があれば、それは侮辱罪ではなく名誉毀損罪の領域になります。判例・通説である外部的名誉説に立つ限り、両罪を分けるのはこの一点、具体的な事実の摘示の有無だけです。「事実を摘示しなくても」という文言をどう読むかも、学説によって分かれます。外部的名誉説では、両罪の保護法益が同じである以上、区別は行為態様の違いに求めることになり、この文言は「事実を摘示しない場合には」という意味で読まれます。事実を摘示すれば名誉毀損罪、摘示しなければ侮辱罪、という振り分けになります。これに対して二元説は、保護法益そのものが違う以上、この文言を「摘示の有無を問わない」という意味に読みます。事実を摘示していてもいなくても、名誉感情が害されていれば侮辱罪の成立を認める、という立場です。

「頭が悪い」というのは、具体的な事実ではなく、評価そのものの表明です。日時や場所を伴う具体的な出来事を何も示していません。ですから、名誉毀損罪ではなく、侮辱罪が成立しうる場面です。

親告罪

侮辱罪も親告罪、告訴がなければ公訴を提起できない 図:侮辱罪も親告罪、告訴がなければ公訴を提起できない

最後に、手続の面です。前々回の232条で見たとおり、名誉に対する罪の章の罪は親告罪なので、侮辱罪も、告訴がなければ起訴できません。

今日の地図(保存版)

性質決定が処理の分岐点、区別基準は事実摘示の有無の一点 図:性質決定が処理の分岐点、区別基準は事実摘示の有無の一点

今日の内容を整理します。真実性の錯誤は、230条の2をどう性質決定するかで処理が分かれる問題でした。判例・通説である違法性阻却事由説からは、違法性阻却事由の錯誤にあたると位置づけたうえで、誤認識の対象を実体法的表現に引き直し、確実な資料・根拠に基づく誤信だけを政策的に保護し、責任故意を阻却します。処罰阻却事由説からは、原則として故意は阻却されず、確実または相当な資料・根拠に基づく言論だけが、35条の正当行為として違法性阻却にたどり着きます。インターネットの個人利用者であっても、確実な資料・根拠に照らし相当の理由があるという基準は、緩まないんでしたね。そして、事実を摘示せずに人を侮辱した場合は、侮辱罪が受け皿になります。保護法益をめぐって外部的名誉説・二元説・総合説の対立があり、名誉毀損罪との区別は、判例・通説からは、具体的な事実の摘示があったかどうか、この一点でした。これで第14章のうち、名誉に対する罪の3本立てが終わりました。なお、この学説対立を答案でどう展開するかは、論文で論点になりうる箇所です。

冒頭の記者は、確実な資料に基づいていたので、どの見解でも不処罰に近づく。Bについて「頭が悪い」とだけ言った場合は、事実の摘示がないので侮辱罪が成立しうる。両方とも、今日の話で答えが出ましたね。

参照条文

  • 刑法231条

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