対物防衛と「不正」の侵害——飼い犬に襲われたら、正当防衛か
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第6章 違法性 ⑧/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——前回の到達点
図:今日の問い
散歩中に見知らぬ家の飼い犬にいきなり飛びかかられて、とっさに傘で叩いて追い払った——よくある場面ですね。実は、この問い、答えが割れます。正当防衛だと考える説と、緊急避難だと考える説の、両方があります。今日、その理由を説明します。前回は「急迫」、つまり時間の条件を詰めました。今日は、時間の条件の続きです。相手の側の条件、「不正」と「侵害」を見ていきます。そして、守られる側の条件、「自己または他人の権利」も見ます。この4つが揃えば、正当防衛の「侵害の側」の条件は、全部です。
残りの3つを取りに行く
図:6つの要件、残りはここ
前回、36条1項を6つに割りましたね。前回は、そのうち急迫だけを詰めました。今日は、不正と侵害、自己または他人の権利を、まとめて片づけます。侵害と自己または他人の権利は、実は軽いんです。この2つは、争いがほとんどありません。定義を確認すれば、それで終わります。「不正」です。これが今日、いちばん深いところまで潜ります。
「不正」=違法
図:「不正」の中身
「不正」の意味は、実は一語で言えます。「不正」の意味は、違法、それだけです。構成要件に該当していて、違法性阻却事由も無い行為。ある行為が、その犯罪の型に当てはまることです。今は、それだけ分かれば十分です。これが違法な行為、つまり「不正」です。具体で考えましょう。帰り道、Aがいきなり見知らぬBに殴りかかられたとします。理由なく殴る行為は、暴行罪の構成要件に該当します。殴られたAには落ち度が無く、Bの側にも違法性を消す事情がありません。違法な行為だから、「不正の侵害」に当たります。必要な範囲でなら、はい。
図:正対不正、正対正
ここで、前回少し触れた対比を、もう一度使います。Bのように不正な側から侵害を受けたとき、正の側が反撃するのが正当防衛です。一方、無関係な第三者を巻き込んで危難を避けるのが、緊急避難です。だから、正当防衛のほうが広く認められます。
「不正」は責任まで要らない
図:違法性と責任、別の関門
ここで、以前学んだことを、思い出してください。違法性の判断と、責任の判断は、別の関門でしたね。何が違ったか、思い出せますか?違法性は、行為そのものを見る話で、責任は、その人を責められるか、という話でした。違法性は、法益、つまり法律が守ろうとしている利益を、侵害しているかを客観的に見ます。行為者を非難できるかは、まだ関係ありません。「不正」は、違法性の話でしたね。「不正」かどうかを見るときも、責任は問いません。歩道で、まだ是非の分別がつかない幼い子どもがいました。遊びのつもりで振り回した棒が、通りがかりのAの顔に当たりそうになりました。
Aは、とっさにその棒を払いのけました。幼い子どもは責任無能力者ですから、非難はできません。「だから不正の侵害とは言えない」、そう思いますよね。でも、そこが今日の軸です。「不正」は、責任の話ではなく、違法性の話でした。子どもの行為も、客観的に見れば、Aの身体という法益を侵害する危険を生じさせています。責任を問えるかどうかとは、別の関門で判断します。責任無能力者による侵害でも、「不正の侵害」たりえます。正当防衛の相手になります。ただし、どんな場面でも払いのけていいわけではありません。同じ子どもでも、Aから離れた場所で棒を振り回していただけなら、Aの身体に危険は生じていません。責任は要りません。でも、客観的に法益を侵害していることは、やはり要ります。
この軸は、この先も繰り返し出てきます。
対物防衛①——2つの前提
図:対物防衛、2つの前提
冒頭の問いに、戻りましょう。動物は、刑法上は「物」です。刑法の扱いとしては、物です。だから、動物の攻撃が「不正」と言えるかが、正面から問題になります。ただ、この対立に入る前に、必ず潰しておく前提が2つあります。1つ目は、その動物が、飼われている動物かどうかです。
条文刑法261条
刑法261条(器物損壊等) 前三条に規定するもののほか、他人の物を損壊し、又は傷害した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
もし野良犬のような、誰の所有物でもない動物だったら、どうなるでしょう。この条文の「他人の物」に当たりません。傷つけても、そもそも器物損壊の構成要件に該当しないんです。違法性を阻却するかどうかという議論に、入る余地自体がありません。2つ目は、飼い主に故意・過失があるかどうかです。例えば、飼い主が目を離した隙に、犬が飛びかかってきたとします。犬を放し飼いにしないよう見張る注意義務を、飼い主が怠っていた、ということです。その不注意自体が、Aへの侵害を作り出したと評価できます。だから、犬への反撃は、実質的には飼い主自身の不正の侵害への反撃なんです。
対物防衛を持ち出す必要すらありません。飼い主がきちんと管理していた飼い犬が、突然暴れて襲いかかった場合です。この2つの前提を両方クリアして、はじめて対物防衛の対立が問題になります。この2つの前提を押さえて整理できるかどうかが、答案の実力差になります。
対物防衛②——2つの説
図:「不正」をどう読むか
では、本題です。動物の攻撃は、「不正」と言えるでしょうか。「犯罪をするのは人間だけで、動物には無理」——その直感を、そのまま説にしたのが否定説です。「不正」は、犯罪が成立するときの違法性を意味します。そして、法規範というルールは、人間にだけ向けられています。イメージで言うと、そうです。ルールブックは、人間の選手にだけ配られています。動物の行動には、ルール違反という発想が成り立ちません。動物の攻撃は「不正」ではないので、緊急避難として処理します。ただ、この否定説には、弱点があります。
緊急避難は、正当防衛より要件が厳しくなります。義務の衝突を扱った回で、少し触れましたね。あの回で、名前だけ渡した2つです。ほかに方法が無かったといえるか——補充性。守った利益と壊した利益がつり合っているか——法益権衡。だから、否定説を採ると、襲われた側の保護が薄くなります。そこで出てくるのが肯定説です。肯定説は、「不正」を犯罪成立要件としての違法性とは考えません。正当防衛の入口を開くための、もっと一般的な違法性で足りると考えます。イメージで言うと、審判は選手じゃなくても、反則かどうかを判定できますよね。動物の攻撃も、その性質自体を客観的に見れば、危険な行為です。
動物の攻撃も「不正」たりうるので、正当防衛として処理します。ただ、2つの説が争っているのは、違法という言葉をどこまで広く読むか、それだけです。責任無能力者の話は、違法から責任を外して読みました。こちらは、犯罪の成立要件の外まで広げて読みます。学説が2つあるから覚える、ではありません。1本の物差しの、当てる範囲が割れているだけです。ここで、1つ考えてみてください。Aが、その場を離れる余地があったのに、傘で犬を叩いて撃退したとします。否定説と肯定説、どちらのほうが、正当防衛の成立に有利だと思いますか?
緊急避難のほうが要件が厳しいので、逃げられたなら、そちらのほうが不利だと思います。答え合わせをしましょう。
図:同じ事実、割れる展開
否定説を採ると、この場面は緊急避難として処理されます。緊急避難には、補充性が要ります。ほかに方法が無かったか、が問われます。成立しにくくなります。肯定説を採ると、この場面は正当防衛として処理されます。正当防衛に要るのは、相当性です。必要最小限度だったか、が問われます。逃げられたという一事だけで、崩れることはあまりありません。だから答案では、どちらの説に立つかを、まず宣言します。否定説のほうが、説明はやや短く済みます。「不正」をそのまま使えるからです。肯定説なら、この説特有の言葉を、まず説明する必要があります。
どちらの説でも書けます。ただ、その先の展開が変わることを、覚えておいてください。
図:論文で書くときの流れ
この対立、論文でもよく問われます。事案から問題提起・規範・あてはめまでの流れは、専用の論文動画にまとめてあります。今日は、対立の中身が分かれば十分です。
「侵害」と「自己または他人の権利」
図:「権利」の意味と広がり
次は「侵害」です。ここは、争いがほとんどありません。
⭐ 論文で書く規範:「侵害」の意味 現実に法益を害する行為はもちろん、まだ実害が生じていなくても、その危険を生み出す行為も含まれる。 (規範(通説で立てる))
実際に傷つける行為も、傷つける危険を生じさせる行為も、「侵害」です。当たれば実害、当たる前でも身体への危険が生じています。どちらも「侵害」です。ここは、これで十分です。最後は、「自己または他人の権利」です。条文には、「自己又は他人の権利」とあります。正当防衛は、自分の身を守るためだけの制度ではありません。誰かが襲われているのを見て助けに入る場合も、正当防衛として成立します。ここでいう「権利」は、狭い意味の権利には限りません。法律上保護に値する利益、つまり法益を意味する、と広く読みます。
個人の法益はもちろんです。
判例最判昭24・8・18 刑集3巻9号1465頁/判旨の要旨
最高裁判所——「権利」の意味と、法益の広がり 「権利」とは、狭い意味の権利に限らず、法律上保護に値する利益、つまり法益を意味する。判例は、個人の法益だけでなく、国家や社会全体の利益のためにも正当防衛が問題となりうるとしつつ、それは国家・公共団体の機関による有効な対応を期待できないほど、極めて差し迫った場合に限られる例外であり、原則は公的機関の役割だと釘を刺している。
国家や社会のためなら、いつでも正当防衛できるわけではありません。判例は、ここに厳しい歯止めをかけています。国家や社会の利益を守るのは本来、警察など公的機関の仕事です。だから、公的機関に頼れないほど差し迫った場面でなければ、この理屈は使えません。実際にこの事件でも、その例外には当たらないとして、正当防衛も緊急避難も認められませんでした。たとえば、冒頭の犬が、Aだけでなく、通りかかった大勢の人にも襲いかかろうとしていたとします。警察を呼ぶ余裕もないほど差し迫っていれば、犬を追い払う行為はその場の人たちの安全、つまり社会の利益を守る行為だと言えます。
前回、正当防衛は法秩序の保全に積極的に協力する行為だから違法性が阻却される、という話をしましたね。その考え方どおり、正当防衛は不正な侵害から法秩序そのものを守らせる制度でもあるんです。ただし、公的機関に代わって動けるのはあくまで例外的な場面に限られます。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点
今日を、振り返りましょう。「不正」は一語で言えば、違法でした。違法性は責任とは別の関門なので、責任無能力者による侵害でも、「不正」たりえます。対物防衛は、前提を2つ確認したあとで、説が分かれるんでしたね。同じ事実でも、採った説で展開が変わりました。「侵害」は、法益への実害か、その危険を生じさせる行為でした。「権利」は法益を意味し、他人のためでも成立します。ここで、1つ確認しましょう。責任無能力者が刃物を振り回し、通りかかったAに切りつけようとしていたとします。これは「不正の侵害」と言えますか?
客観的に見て、Aの身体への危険が生じていれば、責任能力の有無に関わらず「不正の侵害」と言えます。冒頭の問いにも、答えが出せますね。どちらの説でも書けますが、その先の展開が変わることを、覚えておいてください。「防衛するため」、つまり防衛の意思と、「やむを得ずにした」、相当性を見ていきます。
参照条文
- 刑法261条