原因において自由な行為の当てはめ——酔う前にどこまで決めていれば、完全に罰せられるのか
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第7章 責任 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——酔ったあとで決めた場合はどうなるのか
図:同じ結果、正反対の結論
前回の最後に、Dの話を保留にしました。覚えていますか。前回は、根拠論、つまりなぜ完全な責任を問えるのかという理屈までを固めました。今日、それも含めて全部回収します。ただ、その前に、もう1人の人物を考えてみましょう。酒を飲む前には何も決めておらず、酔ってから初めて「殺してやる」という気持ちが芽生えた人がいたとします。結果だけを見れば、同じです。ですが、この2人には、決定的な違いがあります。それが分かれば、今日の中身の半分は終わったようなものです。順番に見ていきましょう。
今日の位置
図:根拠論の上に積む5本の柱
前回、原因において自由な行為には、3つの説の対立がある、と整理しました。ただ、今日はその対立を、もう一度説明することはしません。今日は、修正説を足場にします。適用の要件を説明するときは、「修正説に立った場合」という前提から入ります。修正説がいちばん広く適用を認める立場だからです。適用の範囲を測る要件を学ぶには、いちばん見晴らしのいい場所に立つのが早いんです。要件のほかに、要件が及ぶ限界、二重の故意の要否、過失犯の場合、そして実行行為の途中から責任能力を失った場合、これを全部見ます。ですが、背骨は1本だけです。今日は、その1本を最初に渡しておきます。
原因行為の時点の故意と、結果行為の時点の故意が、どこまで重なっているか。今日は、この1本だけで全部を測ります。
適用の要件——ものさしは「故意の連続」
図:要件は2つ、中心は故意の連続
前回、修正説では何を根拠に完全な責任を問えると説明しましたっけ?結果行為が、責任能力ある状態での意思決定の実現過程だと言えれば、完全な責任を問える、という話でした。今日は、その「実現過程だと言えるか」を、具体的にどう判定するかに入ります。修正説に立った場合、要件は2つです。1つ目は、原因行為・結果行為・結果の間の因果関係。2つ目は、原因行為の時点の故意と、結果行為の時点の故意が一致していること。これを故意の連続と呼びます。二元説の責任連関と、近い発想です。前回の二元説は、原因行為の時点に抱いていた故意や過失が、結果行為でそのまま実現されていることを責任連関と呼びました。今日は、この2要件を、修正説の当てはめとして使います。この2つの要件をどう書くかは、論文で問われる場面になりえます。
今日の中心は、ほとんど故意の連続です。因果関係は、通常の犯罪と同じ判定なので、今日は深入りしません。
図:Dで確認する故意の連続
Dの例で確認しましょう。Dは、飲む前、正常な判断力があるうちに、何を決めていましたか。刺す、という決意でした。つまり、原因行為の時点で、Dにはすでに殺人の故意がありました。刺した瞬間も、Dは殺意を持って刺しています。これが、故意の連続がある、という状態です。だから、Dには殺人罪の完全な責任を問えます。冒頭のDは、ここで決着しました。飲む前に刺す決意を固めていた以上、Dは殺人罪の完全な責任を負います。酔ってから初めて殺意を持った人は、原因行為の時点、つまり飲み始めた時点で、何も決めていませんでした。
故意が無い以上、結果行為でどれだけ強い殺意があっても、比べる相手がありません。この場合、原因において自由な行為は、そもそも及びません。責任無能力の原則どおり、心神喪失なら不可罰、心神耗弱なら刑が減軽される、という結論に戻ります。冒頭で渡したものさしは、これでした。原因行為時の故意と結果行為時の故意が、どこまで重なっているか。重なり方には、いくつかパターンがあります。順番に見ていきましょう。
故意の連続が無い場合——法理は万能ではない
図:重ならなければ、法理は届かない
ここで、Fという人物を考えます。Fは、コンビニで万引きをするつもりで、景気づけに酒を飲みました。ところが、飲み過ぎて心神喪失の状態になり、そのまま通りがかりの人を刺し殺してしまいました。ここで、原因において自由な行為を使って、Fに殺人罪の完全な責任を問えますか。結果行為の時点には、殺意があります。ただ、原因行為の時点、つまり飲み始めた時点の故意は、何でしたか。万引き、つまり窃盗の故意です。窃盗の故意と、殺人の故意。この2つは、一致していますか。窃盗の故意と殺人の故意は一致しませんから、故意の連続が認められません。原因において自由な行為は、殺人については適用できません。
責任無能力の原則どおり、心神喪失下でなされた殺人行為として、不可罰になります。
図:なぜ、不都合に見えても法理は届かないのか
その納得できない気持ちを、もう少し掘ってみましょう。なぜ、納得できないんですか。その疑問は、実は前編で立てた責任主義に、いちばん近いところにあります。覚えていますか。責任主義とは、行為者を非難できるのは、違うようにする力とチャンスがあったときだけ、という考え方でした。では、Fに、殺人について非難できますか。飲み始めた瞬間のFに、「人を殺すという選択を、止められたはずだ」とは言えません。殺すという選択自体が、まだ存在していなかったからです。もし、ここで無理に殺人罪の完全な責任を問うと、何が壊れると思いますか。
「本人が選んでいなかったことについても、結果が重ければ重い罪を負わせる」ということになってしまいます。それは、責任主義が禁じている結果責任そのものです。この法理は、責任主義を破ってまで、国民の感覚に応えるための道具ではありません。だからこそ、故意の連続というものさしで、厳格に線を引きます。この法理は、「自分で招いた責任無能力を理由に、何でも重い罪を問える」という万能の道具ではありません。原因行為の時点で決めていなかったことについてまで、酔ったあとの結果を全部背負わせるのは、筋が違います。思い出してください。今日のものさしは何でしたか。
原因行為時の故意と、結果行為時の故意が、どこまで重なっているか、でした。重なりがゼロなら、ものさしの目盛りもゼロです。国民の感覚に反するように見えても、法理が届く範囲には限界があります。では、重なりが「一部だけ」ある場合は、どうなるでしょうか。
部分的な故意の連続——重なった限度でだけ
図:一部だけ重なれば、その限度で
今度は、Gという人物を考えます。Gは、相手を殴ってやろうと思って酒を飲みました。殴る程度のつもりで、殺すつもりはありませんでした。ところが、酔い過ぎて心神喪失の状態になり、殴っているうちに殺意が芽生えて、そのまま刺し殺してしまいました。結果行為の時点には、殺人の故意があります。ここで、原因行為時の故意と、結果行為時の故意を比べてみましょう。完全には一致していません。ですが、さっきのFの場合と、決定的に違う点があります。暴行の故意は、殺人の故意に、含まれていますか。殺人の故意は、暴行の故意を、中に含んでいます。
ここでは、重なっている部分、つまり暴行の限度でだけ、故意の連続を認めます。重なった限度でだけ、法理を適用してよい、という考え方です。暴行の限度で故意の連続が認められるので、暴行罪の結果的加重犯である、傷害致死罪が成立します。殺人罪にはなりません。結果行為時の殺意は、心神喪失下で初めて生まれたものなので、そこには連続がありません。実は、これと同じ考え方を取った裁判例があります。
図:実際にあった裁判例
判例名古屋高等裁判所 昭和31年4月19日判決(高等裁判所刑事判例集9巻5号411頁)
暴行の限度で故意の連続を認めた裁判例 原因行為の前に、それによって暴行を加えるかもしれないと予見しながら容認していたが、結果行為の時点の殺意は心神喪失下で形成されたため法律上認定できないとして、暴行の限度で故意の連続を認め、暴行罪の結果的加重犯である傷害致死罪の成立を認めた。
この事件は、あえて「判例」ではなく「裁判例」と呼びます。最高裁の判例ではなく、高等裁判所の裁判例だからです。骨格は同じです。原因行為の前に、暴行を加えるかもしれないと分かっていながら、それでもよいと考えていた。故意の種類を見た回のとおり、結果が起きるかもしれないと認識したうえで、それでもかまわないと認容している場合ですね。そして、結果行為の時点の殺意は、心神喪失の状態で初めて生まれたので、法律上、認定できないとされました。裁判所の実務でも、同じ発想が採用されています。
完全に重なる場合——対象がずれても
図:相手が違っても、中身は同じ
最後にもう1パターン、確認します。原因行為の時点でAさんを殺そうと決めて飲酒を始めたのに、酔って心神喪失の状態になり、実際にはBさんを殺してしまった場合です。ここで、故意の連続は認められますか。思い出してください。人を狙って攻撃したら、狙っていない別の人に当たってしまった場合、故意はどう扱いましたか。法定的符合説では、「人を殺す」という認識があれば、相手が誰であっても、故意は認められる、という話でしたね。法定的符合説に立つ限り、Aさんを殺す故意と、Bさんを殺す故意は、どちらも「人を殺す」という中身では同じです。
だから、この場合も、故意の連続は認められます。Bさんへの殺人罪について、完全な責任を問えます。ここで1度、整理しましょう。
5類型のまとめ
図:故意の連続のまとめ
表にする前に、1つ確認します。窃盗の故意で酒を飲み、酔った勢いで人を殺してしまった場合、この法理は使えますか。少し考えてみてください。では、今日出てきたパターンを、まとめて表にします。表を見てください。原因行為時の故意が「なし」でも「窃盗」でも、結果行為時が「殺人」なら、故意の連続は×です。1行目が冒頭の、酔ってから初めて殺意を持った人、2行目がFです。どちらも結果行為時の殺人と重ならないので、結論は同じく不可罰です。次に、原因行為時も結果行為時も「殺人」なら、故意の連続は○です。原因行為時がAさんを殺す故意、結果行為時がBさんを殺す故意の場合も、法定的符合説に立てば○。
そして、原因行為時が「暴行」、結果行為時が「殺人」の場合は、暴行の限度で○。この表さえ持っていれば、原因行為時と結果行為時の故意を当てはめるだけで、結論が出せます。
二重の故意の要否
図:酔うこと自体にも故意が要るか
ここまでは、「結果についての故意」の連続だけを見てきました。ですが、もう1つ、争いのある論点があります。「自分がこれから心神喪失や心神耗弱に陥ること」自体についても、故意が必要か、という論点です。酔うこと自体についての故意を、二重の故意と呼びます。Dが、「酔えば刺すかもしれない」と分かっていて飲酒したとしても、酔うこと自体は、成り行きで、深く考えていなかったとします。ここには、2つの立場があります。必要説は、結果についての故意だけでなく、自分が酔うこと自体についての故意も必要だとします。
この法理は、責任能力を失った状態でした行為に、完全な責任を問う場面です。原則の例外を認める以上、入口は絞るべきだ、という発想です。酔うこと自体まで分かっていて飲んだ人に限れば、自分で自分の判断力を壊したという非難が、はっきり立ちます。もう1つは、不要説です。結果行為が、責任能力ある状態での自由な意思決定に基づいていればそれで足りる、とします。不要説のほうが有力です。修正説が完全な責任を問える理由は、結果行為が責任能力ある状態での意思決定の実現過程だという点にありました。その理屈から出てくるのは、結果についての故意の連続だけです。酔うこと自体の故意は、その理屈のどこからも出てきません。
不要説からは、酔うこと自体を意図していなくても、飲む前に刺す決意さえ固めていれば、完全な責任を問えます。必要説からは、酔うこと自体まで計算していないと、法理が使えなくなります。ここは、覚える対象というより、対立の構造を押さえておいてください。
過失犯の場合——法理はほとんど要らない
図:飲酒すること自体が、もう不注意
ここまでは、故意犯の場合でした。過失犯の場合は、少し事情が変わります。Hという人物を考えます。Hは、酒を飲めば正常な判断ができなくなり、誰かを傷つけるかもしれないと分かっていました。それでも飲酒し、心神喪失の状態になって、人を死なせてしまいました。殺すつもりは無かったので、過失犯として考えます。過失犯は、ここが故意犯と違います。過失犯では、この法理を持ち出す必要が、ほとんどありません。過失犯の成立要件を、思い出してください。何が必要でしたか。注意義務違反ですね。過失の構造を見た回で、注意義務とは、予見可能性を前提とした結果回避義務のことだ、と整理しました。予見できたかは前提で、中心は、結果を避ける行動をとったかどうかでしたね。Hの場合では、「酒を飲めば人を傷つけるかもしれない」と分かっていたのに飲んだこと、それ自体が結果回避義務に違反しています。
原因行為と結果行為を分けて、故意の連続を調べる必要もなく、普通の過失犯の枠組みだけで処理できてしまいます。だから、過失犯の場合には、原因において自由な行為の法理の出番は、ほとんど無いんです。故意犯では原因行為時の故意を探す必要がありますが、過失犯では、飲酒という行為自体を注意義務違反として直接評価できてしまうからです。
実行行為の途中から心神喪失になった場合
図:途中から責任能力を失うと、境目が溶ける
最後に、もう1つのパターンを見ます。実行行為の途中で、責任能力を失った場合です。さっきまでは、原因行為(飲酒)と結果行為(刺す)が、はっきり分かれていました。たとえば、Iが素面で相手を殴り始め、殴っている途中で酩酊が進み、心神喪失になっても、なお殴り続けた場合です。原因行為と結果行為の境目そのものが、あいまいになります。暴行についての故意の連続は、容易に肯定できます。殴るという同じ動作が、責任能力があるうちも無くなってからも、途切れずに続いているからです。別々の行為として、故意を比べ直す必要がありません。
殴っている途中で、殺意が芽生えた場合を考えます。ここで、時間軸が2パターンに分かれます。実は、ここで使っているものさしも、今日ずっと使ってきたものと同じです。殺意が生まれた瞬間に、責任能力があったかどうか。それによって、「その殺意が、責任能力ある状態での意思決定と言えるか」が決まります。責任能力がある状態で生まれた殺意は、酔う前のDの決意と、扱いは変わりません。だから、そのまま連続を認められます。心神喪失になったあとで生まれた殺意は、責任能力を失った状態で初めて抱いたものです。原因行為の時点には存在していなかった故意を、あとから足しているのと同じことになります。
結局、実行行為の途中から責任能力を失う場合も、特別な新しいルールが要るわけではありません。故意の連続という同じものさしを、あてる場所が変わるだけです。
図:殺意が生じたのは、心神喪失の前か後か——2つの場合の違い
表で見比べてみましょう。まず、パターン①です。
図:時間軸①——殺意が心神喪失の前
1つ目は、心神喪失になる前に、殺意が芽生えたパターンです。暴行の故意で殴り始め、まだ正常なうちに殺意が芽生え、そのあと心神喪失になり、死亡、という順番です。だから、この殺意も、責任能力ある状態での意思決定です。この場合は、殺人罪が成立します。
図:時間軸②——殺意が心神喪失の後
2つ目は、心神喪失になったあとで、初めて殺意が芽生えたパターンです。暴行の故意で殴り始め、心神喪失になり、その状態で初めて殺意が生まれ、死亡、という順番です。この殺意は、責任能力を失った状態で、初めて生まれています。責任能力ある状態での意思決定とは言えません。だから、この殺意については、法理は及びません。連続が認められるのは、暴行の限度までです。この場合は、暴行罪の結果的加重犯である、傷害致死罪にとどまります。殺意がどちら側で生まれたか、その一点が、この2つの時間軸を分けます。ものさしは、今日ずっと1つのままでした。
今日の地図(保存版)
図:今日の1本のものさし
今日を振り返ります。冒頭のDは、飲む前にすでに刺す決意を固めていたので、殺人罪の完全な責任を負います。適用の要件は、因果関係と故意の連続の2つ。特に故意の連続が、今日の中心でした。暴行の故意で殺人に至った場合は、暴行の限度で傷害致死罪。これは実際の裁判例にもある考え方でした。過失犯では、飲酒すること自体を結果回避義務違反として構成できるので、法理の出番はほとんどありません。これで、原因において自由な行為の根拠論と適用論が、両方そろいました。原因行為時の故意と、結果行為時の故意が、どこまで重なっているか。それだけ覚えておいてください。