刑法ゼロから刑法#57

期待可能性——違法性か責任か、どの枠で処理するか

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第7章 責任 ⑨/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——条文の無い理由で、なぜ罪が消えるのか

拳銃を突きつけられた店員、もう一度 図:拳銃を突きつけられた店員、もう一度

責任の章も、いよいよ最後の要素です。以前、拳銃を突きつけられ、家族を人質に取られた店員の話をしましたね。3つ目の要素、期待可能性が無かったからでした。今日は、その中身を詰めます。実は、期待可能性という言葉そのものを正面から定めた条文は、刑法にありません。今日は、まずそこから見ます。条文が無いのに、なぜ責任を消せるのか。答えを先に言うと、根拠は条文ではなく、責任という考え方そのものです。そして、その力が強すぎることへの、裁判所の警戒までを、1本の線でつなぎます。そのうえで、最後に、これまで見てきた事実の錯誤・法律の錯誤・誤想防衛・誤想過剰防衛・緊急避難を、期待可能性という新しい軸も混ぜて、選び分ける練習をします。

期待可能性の意義——責任主義からの導出

期待可能性の定義 図:期待可能性の定義

まず、定義を固めます。行為者本人に、その場の具体的な事情を前提として、違法な行為を思いとどまり、適法な行為を選ぶよう期待できること。これを期待可能性といいます。明文の規定はありませんが、責任能力、責任故意・責任過失に次ぐ第3の責任要素であり、その不存在は超法規的責任阻却事由と解するのが通説です。法律の規定によって認められる責任阻却事由ではなく、条文の外側から、解釈によって認められる責任阻却事由、という意味です。

非難可能性からの1本道 図:非難可能性からの1本道

責任とは、非難可能性でした。非難できるのは「違うようにできたはずだ」と言えるときだけです。だとすれば「違うようにできたはずだ」と言えない以上、非難はできません。これは条文が定めているからではありません。責任という概念そのものから、論理的に導かれる帰結です。

非常口の喩え——考え方は正しい、でも危うい 図:非常口の喩え——考え方は正しい、でも危うい

消防法は、非常口の基準を建物ごとに細かく定めています。でも、条文がどれだけ細かくても、想定外の形の建物は必ず出てきます。そのとき「本当に出口が無かったのなら、逃げなかった人を責められない」という考え方自体は、消防法に書いていなくても当然に成り立ちます。これが、責任主義から期待可能性を導く部分です。消防法そのものが骨抜きになります。同じ危うさが、期待可能性にもあります。だからこそ、①本当に他の道が無かったかを誰の目で判定するか、②その判定を裁判所がどれだけ慎重に扱うか、という2つの問題が出てきます。

まず①、判断基準の争いから見ていきましょう。

判断基準——3説の比較とあてはめ

判断基準3説の比較 図:判断基準3説の比較

その前に、1つ思い出してもらいます。以前、店員の話で、期待可能性は何を見て判断すると言いましたか。怖さの感覚の強さでしたか、それとも現実の選択肢の有無でしたか?現実の選択肢の有無だったと思います。怖さの感覚の強さでは判断しない、という話でした。何を見るかは、そこで決まっています。今日の3つの説が争うのは、その選択肢の有無を、誰の目で見るか、です。行為者標準説、平均人標準説、国家標準説の3つです。まず、自説である行為者標準説です。行為者本人の能力や、置かれた具体的な事情を基準に、その人に現実の選択肢があったかを見る立場です。

そこが強みです。ただし弱点もあります。行為者の能力を下げて見るほど、期待可能性は否定されやすくなり、基準が緩みすぎる恐れがあります。次に平均人標準説です。行為者の置かれた具体的な状況に、通常人・平均人を置いた場合に、適法行為が期待できたかを基準にします。基準が客観化され、恣意的な拡大を防げるのが強みです。ただし、非難されるのは行為者本人なのに、平均人に何ができたかで判断するのは、責任判断の本質、つまり行為者個人への非難とずれる、という弱点があります。国家標準説です。国家、つまり法秩序が、行為者にどこまで適法行為を期待していたかを基準にします。法秩序の側から線を引きやすいのが強みですが、基準が抽象的で、実質的に国家が処罰したいかどうかで結論が左右されかねない、という弱点があり、支持は多くありません。

同一設例へのあてはめ 図:同一設例へのあてはめ

同じ場面に、3つの基準を当ててみます。Aは、持病で通院中の経理担当者で、以前から同じ組織に脅されてきました。今回、代表者から「帳簿を書き換えろ、断れば分かっているな」と一度だけ告げられ、帳簿を改ざんしました。行為者標準説なら、Aが持病で通院を続けなければならず、その土地を離れにくいこと、以前から同じ組織に脅され続けてきたこと、というA本人の事情のもとで、Aに現実に選べる道が残っていたかを見ます。そこまで数えれば、Aには実質的に他の道が無かった、と評価されやすくなります。平均人標準説だと、Aの持病という個人的な事情は基準から外れ、Aと同じ立場に置かれた平均的な人なら、警察に相談するなど、他の道を探せたはずだ、と評価されやすくなります。

国家標準説だと、経理担当者という立場に国家が期待する適法行為の水準を基準に、脅されたという理由だけで帳簿の改ざんを免れさせるべきではない、という結論に傾きやすくなります。

行為者標準説との接続 図:行為者標準説との接続

矛盾しません。むしろ、行為者標準説はその言い方と地続きです。行為者本人の能力や具体的事情を基準にするというのは、本人がどれだけ怖がっていたかという主観の強さを直接測ることではありません。その人の立場に立ったときに、現実に選べる道が本当にあったかを、客観的に見るということです。ここを取り違えると「怖ければ何でも許される説」に聞こえてしまいますが、そうではありません。さっきのAでも、以前から脅され続けてきた事情が無く、組織の手が日常に及んでいなければ、どれほど怖がっていても、相談する道は残っています。そのときは、行為者標準説でも期待可能性は認められます。これが、さっきの「緩みすぎる」という弱点への答えにもなります。

実定法上の現れ——4つの条文に、指をさす

条文の中の期待可能性 図:条文の中の期待可能性

判断基準の争いは、条文が無い場面で「本当に他の道が無かったか」を測る話でした。一方で、期待可能性そのものを正面から定めた条文はありませんが、その考え方が、個別の条文の中に類型化されて現れている場面がいくつかあります。1つずつ、文言のどこが効いているかを見ていきましょう。

条文刑法104条

刑法104条(証拠隠滅等) 他人の刑事事件に関する証拠を隠滅し、偽造し、若しくは変造し、又は偽造若しくは変造の証拠を使用した者は、三年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。

まず104条です。証拠隠滅等の罪ですが、条文をよく見てください。そこが要です。他人の証拠を隠滅すれば処罰されますが、自分自身の刑事事件の証拠を、自分で隠滅しても、この条文では処罰されません。自分が処罰されそうな場面で、証拠を残しておけと期待するのは酷だ、という考え方が「他人の」という一語に現れています。ここは、自分の事件については、そもそも構成要件の対象から外れているので、成立の余地自体がありません。

条文刑法105条

刑法105条(親族による犯罪に関する特例) 前二条の罪については、犯人又は逃走した者の親族がこれらの者の利益のために犯したときは、その刑を免除することができる。

次に105条です。親族による犯罪に関する特例で、犯人やその親族が、犯人の利益のために証拠隠滅などをしたときに、刑を免除できる、という規定です。親族間の情の深さから、通報したり隠さずにいたりすることを期待しにくい、という考え方の現れと読めます。そこが大事な違いです。104条は「他人の」という限定で、自分の事件はそもそも罪自体が成立しません。これに対して105条は、犯罪はいったん成立したうえで、裁判所が刑を免除できる、という任意的な規定です。期待可能性が完全にゼロとまでは言い切れず、乏しい、という程度にとどめているからこそ、免除するかどうかを裁判所の判断に委ねる書き方になっています。

条文刑法36条2項

刑法36条2項(過剰防衛) 防衛の程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

次に36条2項です。以前、過剰防衛の減免根拠を、恐怖や興奮による多少の行き過ぎは強く非難できない、という責任減少説で説明しましたね。その「強く非難できない」という部分が、まさに期待可能性が乏しいことの表れです。

条文刑法37条1項

刑法37条1項(緊急避難) 自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。ただし、その程度を超えた行為は、情状により、その刑を減軽し、又は免除することができる。

37条1項のただし書も、同じです。過剰避難の任意的減免も、期待可能性の乏しさと結びつけて理解できます。よく見ましたね。105条には減軽という選択肢が無く、免除するかしないかの二択です。これに対して過剰防衛・過剰避難は、期待可能性がゼロではなく減っている場面なので、免除まで届かなくても、刑を軽くするという中間の答えを持てるようにしてあります。同じ期待可能性の考え方でも、条文の作り方によって、消え方の強さが変わっています。

第五柏島丸事件と最高裁の姿勢

第五柏島丸事件——圧力の構造 図:第五柏島丸事件——圧力の構造

ここまでの4つは、立法者が先に条文へ落としてくれた場面でした。では、どの条文にも当たらない場面を、裁判所はどう扱うのか。非常口の喩えの、2つ目の問題です。まず、第五柏島丸事件です。小型の発動機船に、定員を大きく超える乗客が乗り込み、転覆・沈没して、多数の死傷者が出ました。船長Aは、定員を超える乗船に抗議していましたが、船主はこれを聞き入れず、定員超過での乗船を命じていました。そこに、乗客が殺到する事情も重なりました。

判例大判昭8・11・21

第五柏島丸事件——過失責任を認めたうえでの減軽 過失責任自体は認めたうえで、乗客殺到の実情、船主が船長の抗議を容れず多数乗船を命じていた事情、船長個人には避けがたかった事情を考慮し、刑を軽くした。

大審院は、船長Aの過失責任自体は認めました。そのうえで、乗客が殺到した実情や、船主が抗議を聞かなかった事情、船長個人には避けがたかった事情を考慮して、刑を軽くしました。そこが大事な点です。「期待可能性を理由に無罪にした事件」ではありません。過失は認めたうえで、刑を軽くする、という方向の結論です。大審院自身が、判決文の中で期待可能性という言葉を使って理論を展開したわけでもありません。責任を認めた以上、船長にはまだ選べる道が残っていた、という評価です。ただ、その道は、船主の命令と乗客の殺到で大きく狭められていました。だから非難はできるけれど、その程度は下がる。さっき条文で見た過剰防衛・過剰避難と同じ、期待可能性がゼロではなく乏しい場面の扱いです。

最高裁の姿勢——理論の当否には、踏み込まない 図:最高裁の姿勢——理論の当否には、踏み込まない

もう1つ、最高裁の判例も見ておきます。三友炭鉱事件と呼ばれる、炭鉱の労働争議の中で、線路に座り込んで石炭の運搬を止めたことが、威力業務妨害罪に問われた事件です。原審は、被告人には期待可能性が無かったとして無罪にしました。検察官は、期待可能性が無いとなぜ責任が無くなるのか、その法律上の根拠を原判決が示していない、と主張して上告しました。

判例最判昭31・12・11 刑集10巻12号1605頁

期待可能性の性質づけ——超法規的責任阻却事由 期待可能性の不存在を理由として刑事責任を否定する理論は、刑法上の明文に基くものではなく、いわゆる超法規的責任阻却事由と解すべきものである。従つて、原判決がその法文上の根拠を示すことなく、その根拠を条理に求めたことは、その理論の当否は別としても、なんら所論のような違法があるものとはいえない。

最高裁は、期待可能性の不存在で責任を否定する理論を、刑法上の明文に基づくものではなく、超法規的責任阻却事由と性質づけました。そのうえで、原審が根拠を条文ではなく条理に求めたことは、違法ではないとしました。理論を認めて無罪にしたわけではありません、そこが違います。最高裁は「その理論の当否は別としても」と述べて、理論そのものが正しいかどうかには立ち入りませんでした。上告を退けた結果、無罪は維持されましたが、最高裁が理論を正面から採用して無罪にした、とは言えません。最高裁は別の点で、この行為は、違法に威力を用いて業務を妨害したとまではいえない、と判断したからです。

「本当に出口が無かった、という考え方自体が正しいかどうか」には、最高裁は答えを出さなかった、ということです。無罪は残しても、その考え方にお墨付きを与えることは、しなかったわけです。明文の無い制度に、正面からお墨付きを与えると、刑法の規範性が弱まりかねないからです。誰もが「自分には無理だった」と言えば罪を免れる、という状態になれば、刑法の言葉自体が意味を失います。条文が無いのに責任を消せる理由と、その力が強すぎることへの2つの歯止め。冒頭で言った1本の線が、ここでつながりました。

期待可能性の錯誤——誤想防衛と同じパターン

期待可能性の錯誤——誤想防衛との対比 図:期待可能性の錯誤——誤想防衛との対比

最後にもう1つ、期待可能性の錯誤を見ておきます。はい、でも新しい枠組みではありません。誤想防衛は、侵害という事実が無いのに、あると誤信して防衛行為に出た場合でしたね。期待可能性の錯誤も、同じパターンです。期待可能性を否定する事情、つまり他に道が無い状況が、現実には無いのに、あると誤信した場合をいいます。経理担当のJを考えます。Jの職場には、実際には社内の相談窓口があり、通報しても不利益を受けない仕組みが整っていました。ですが、Jは以前どこかで聞いた別の会社の噂話から、通報すれば自分の家族に危害が及ぶはずだと思い込み、通報せず不正経理に加担しました。

誤想防衛が、現実には無い侵害をあると誤信するのと同じ形で、Jは、現実には無い「道が無い状況」をあると誤信しています。多数説は、その誤信が真にやむを得ないものだったと言えるなら、期待可能性の判断の一部として責任が阻却されうる、と解しています。ただし、Jの場合は、噂話という不確かな情報だけを根拠にしており、社内の窓口という現実の道を確かめてすらいません。これでは「真にやむを得ない誤信」とは言いにくく、簡単には責任は阻却されません。ただ、誤想防衛と違うところが1つあります。誤想防衛では、思い込みに落ち度があっても責任故意は消え、過失犯の検討に移りました。期待可能性の錯誤では、思い込みが真にやむを得ないときに限って責任が消えます。

誤想防衛の回の物差しを思い出してください。侵害があると思い込んだ人には、悪いことをしている場面が見えず、規範に直面しない。だから責任故意が消えました。Jは違います。不正経理に加担していることは、はっきり分かっています。規範には直面しているので、責任故意は残ります。見誤ったのは、他に道があったかどうか、という期待可能性の判断の材料だけです。だから、故意の問題にはせず、期待可能性の判断の中で、その誤信が真にやむを得なかったかを問うことになります。誤信の形は同じでも、責任が消える線は、こちらのほうが絞られています。

弁別演習——第7章の枠を、選び分ける

選び分けの4つの問い 図:選び分けの4つの問い

第7章の締めです。ここまで見てきた枠を、事例を使って選び分けます。今日は、まずあなたに答えてもらいましょう。見るべき問いは4つです。①何を見誤ったか。人か物か、のような構成要件に当たる事実そのものか、それとも許されるかという評価か。②侵害・危難は現実にあったか。あると思い込んだだけなら誤信の系列へ、そもそも侵害・危難の場面でなければ④へ進みます。③侵害・危難を前提にして、反撃や避難の程度は相当か過剰か。④全部分かっていて、それでも他の道が無かったか。この順番で確認していきます。

1問目・2問目——何を見誤ったか 図:1問目・2問目——何を見誤ったか

1問目です。Cが、暗がりで、人を人形だと見間違えて蹴りました。構成要件に当たる事実そのものを誤信しているので、①の入口で事実の錯誤に入ります。侵害の有無を見るまでもありません。目印は「人形だと思った」という、事実そのものの取り違えです。評価や解釈は一切出てきていません。2問目です。Dが、自転車の鍵を外している相手が持ち主かどうか分からないと分かったうえで、疑わしい以上は実力で排除してよいはずだと考え、相手を突き飛ばしました。惜しいですが違います。Dは、相手が持ち主かどうか分からないと自分でも分かったうえで動いています。侵害があるとかないとか、事実を誤信してはいません。誤っているのは「疑わしければ実力で排除してよい」という考え方のほうです。

事実の認識に誤りは無く、評価だけを誤っているので、①の入口で法律の錯誤に入ります。1問目との違いは、事実そのものを取り違えたか、事実は合っていて規範の理解を取り違えたか、という1点です。

3問目・4問目——夜道と路地 図:3問目・4問目——夜道と路地

3問目です。Eが、夜道で、道を尋ねようと手を上げて近づいてきた人を、殴りかかってきたと思い込み、その腕を軽く払いのけました。②で侵害が無いと分かり、③で過剰性も無いので、誤想防衛にとどまります。目印は「軽く払いのけた」という、反撃の程度が相当な範囲に収まっている点です。4問目です。Fが、暗い路地で、傘を振り上げただけの相手を、殴りかかってきたと誤信し、金属バットで頭部を殴りました。さっきと同じ誤想防衛ではありません、そこが分かれ目です。侵害を誤信したところまでは同じですが、傘を振り上げただけの相手を、金属バットで頭部を殴るという反撃は、誤信した侵害を前提にしても程度が超えています。

②で侵害が無く、③で過剰性がある、誤想過剰防衛です。3問目との違いは、反撃の程度が相当か過剰か、その1点だけです。

5問目・6問目——隣家の火事 図:5問目・6問目——隣家の火事

5問目です。Gの隣の家から深夜に火が出て、中から助けを求める声が聞こえました。玄関は炎でふさがっていたので、Gは隣家の窓ガラスを1枚割って中に入り、住人を助け出しました。②で危難が現実にあり、③で程度も相当なので、緊急避難が成立します。目印は、玄関が使えず窓を割るしかなかったこと、そして、壊した窓1枚と助けた命の釣り合いです。6問目です。同じ火事で、炎がHの家にも迫ってきました。Hは自分の家の古い家財を運び出そうとしましたが、通り道はそこしか無く、そこに置かれていた隣人の高価な美術品を、どかす余裕も無いまま外へ放り投げて壊しました。

②で危難が現実にあり、③で程度が過剰なので、37条1項ただし書の過剰避難です。5問目との違いは、守ったものと壊したものの釣り合いが取れているか、その1点です。

7問目——社長の命令と、荷崩れ 図:7問目——社長の命令と、荷崩れ

最後、7問目です。運送会社の運転手Iは、社長から、荷台に積める量を大きく超えて荷を積み、そのまま出発するよう命じられました。Iは危ないと抗議しましたが聞き入れられず、代わりの運転手もいないまま出発し、途中で荷崩れを起こして、通行人にけがをさせました。社長に追い込まれていても、それだけで緊急避難とは言えません。そこが今日のヤマです。この順番で見ます。まず①、事実も、許されるかの評価も、Iは取り違えていません。次に②。緊急避難は、生命・身体・自由・財産に対する現在の危難を避けるための行為でした。Iが受けていたのは社長の命令で、差し迫った危難ではありません。侵害・危難の場面に、そもそも当たらないんです。

緊急避難なら、行為そのものが許され、違法性が消えます。期待可能性の不存在は、行為は違法のまま、その人を責められるかという、責任の側の話です。違法性か責任か、はここで分かれます。ただし、第五柏島丸事件と同じく、道が狭められていても残っていたなら、無罪ではなく刑を軽くする方向になりますし、最高裁がこれを正面から採用して無罪とした例は無い、ということも忘れないでください。

判断順序フロー——第7章の総まとめ 図:判断順序フロー——第7章の総まとめ

最後に、今日使った判断の順序を、1枚のフローにまとめます。①何を見誤ったか。構成要件に当たる事実そのものなら事実の錯誤、許されるかの評価なら法律の錯誤です。②現実に侵害・危難があったか。あると思い込んだだけなら誤信の系列に、そもそも侵害・危難の場面でなければ④に進みます。③侵害・危難を前提にして、程度は相当か過剰か。誤信の系列なら、過剰で誤想過剰防衛・誤想過剰避難、相当で誤想防衛・誤想避難です。現実に侵害・危難があった場合は、相当なら正当防衛・緊急避難、過剰なら過剰防衛・過剰避難です。④そして最後、全部分かっていて、それでも他の道が無かったか。無ければ、期待可能性の不存在です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。期待可能性は、責任=非難可能性という定義から、条文が無くても導かれる考え方でした。「違うようにできたはずだ」と言えなければ、非難できません。その考え方が強すぎるからこそ、誰の目線で判断するかという3説の対立と、最高裁が理論の当否には踏み込まない慎重な姿勢が、同じ危うさへの2つの応答として存在していました。そして最後は、事実の錯誤・法律の錯誤・誤想防衛・誤想過剰防衛・緊急避難・過剰防衛・過剰避難・期待可能性の不存在を、1本のフローで選び分けました。これで、第7章は締めくくりです。

次章では、未遂、つまり修正された構成要件を見ていきます。

参照条文

  • 刑法104条
  • 刑法105条
  • 刑法36条2項
  • 刑法37条1項

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