刑法ゼロから刑法#60

実行の着手(後編)——他人・距離・不作為が挟まるとき

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第8章 未遂 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

導入——手の届かないところで起きること

Bは、まだ何も渡していない 図:Bは、まだ何も渡していない

Aは、警察官を名乗り、Bに電話をかけました。「犯人がBの名前を言っている」「今すぐ預金を全部下ろした方がいい」といった作り話を重ねました。Bはこれを信じて、言われたとおりに預金の払戻しに向かいました。警察官を装ってBのもとへ現金を受け取りに向かっていたAの仲間Cは、その途中で発見されて確保されました。「渡してください」とも、まだ言われていません。それでも、詐欺は始まっていたと言えるのか。先に答えを言うと、始まっていました。なぜそう言えるのかを、今日見ます。前回は、行為者自身の一歩で完結する場面、窃盗や放火を見ました。今日は、行為者の手と結果のあいだに、他人・距離・不作為が挟まる場面を見ます。同じ物差しを使いますが、今日はもう1つ、問いを付け加えます。「行為者がもう何もしなくても、結果に向かって進む状態になったのは、いつか」。この問いで、4つの場面を1本につなぎます。

間接正犯の着手時期——学説3つ

間接正犯、覚えていますか 図:間接正犯、覚えていますか

間接正犯を覚えていますか。他人を道具として利用し、実行行為を行う場合でしたね。今日は、その間接正犯で、いつ着手が認められるかを扱います。行為者が道具を使い始めた時点か、道具が実際に動いた時点か、まさにそこが割れています。3つの学説があります。

間接正犯3説と、同一設例への当てはめ 図:間接正犯3説と、同一設例への当てはめ

まず利用者標準説です。利用者が被利用者を犯罪に誘い込む行為を始めた時点で、着手を認めます。被利用者は道具のような存在だから、利用行為そのものに、もう結果発生の現実的な危険が認められる、という考え方です。次に、判例が採っているとされる被利用者標準説です。被利用者が実行行為を開始した時点で、着手を認めます。被利用行為は、被利用者自身の意思に基づいて行われます。だから利用行為の時点では、まだ危険は現実になっていない、という批判が利用者標準説に向けられます。最後に個別化説です。間接正犯にはいろいろな態様があり、利用行為の開始で危険が生じる場合もあれば、被利用者の行為開始で初めて危険が生じる場合もある。だから一律にどちらかを基準にするのは不当で、個々の具体的な事案に照らして、現実的な危険が生じた時点で着手を認めます。

1つの設例に3説を当てはめて、違いを見てみましょう。Aが、事情を知らないBに毒入りの菓子を渡し、Bを介してCに食べさせようとしたとします。Bは、菓子に毒が入っていることを知りません。だから客観面・主観面の要件はAだけが満たし、間接正犯が成立しうる場面です。利用者標準説なら、AがBに菓子を渡した時点で着手です。被利用者標準説なら、BがCに菓子を渡す、つまりBが実行行為を始めた時点です。個別化説は、この設例だけでは時点を1つに決めません。Bがどういう立場かで変わります。

なぜ一律に決められないか 図:なぜ一律に決められないか

なぜ個別化説が説得力を持つのか、考えてみます。間接正犯には、被利用者が善意でそのままほぼ確実に実行してしまう型があります。この型なら、利用者が道具を使い始めた時点で、もう危険は現実的です。一方で、被利用者が途中で気づいて捨ててしまうかもしれない、被利用者の行動しだいで結果に届くかどうかが変わる型もあります。間接正犯という1つの概念のなかに、性質の違うこの2つの型が両方含まれています。だから、どちらか一方の行為を機械的に基準にするのは、うまくいきません。菓子の設例に戻します。Bが何も疑わず、受け取ったらそのままCに渡すしかない立場なら、Aが菓子を渡した時点で、Aがもう何もしなくても結果に向かって進む状態です。個別化説では、そこが着手です。反対に、Bが途中で怪しんで捨てるかもしれない立場なら、Aが渡しただけではまだ進むとは言えません。BがCに菓子を差し出す時点まで待ちます。個別化説は、前回の物差し、現実的な危険が生じた時点で線を引く、を間接正犯にそのまま当てた考え方です。判例は被利用者標準説の言い方をとることが多いとされますが、個別化説の発想は、その背後にある考え方として押さえておく必要があります。

実行行為性と着手時期——問う次元が違う

実行行為になりうることと、危険が現実になったこと 図:実行行為になりうることと、危険が現実になったこと

ここは、問う次元が違うと整理すると分かりやすくなります。他人を一方的に支配・利用し、正犯意思を持って実行する、これが満たされれば、間接正犯という実行行為になりうる、という一般論でした。ですが、実行行為になりうることと、もう危険が現実になったことは、別の問いです。結果が発生していれば、間接正犯として実行行為性が認められれば、既遂として処理できます。ですが、結果が発生していない、つまり未遂が問題になる事案では、別に、いつ危険が現実になったかという着手時期も検討する必要があります。だから、未遂の事案では2段階の検討があります。さっきの菓子で言えば、Cが食べて亡くなったなら、どの説でも既遂で、着手の時点は争いになりません。Cが口にせずに済んだとき初めて、3説のどれで時点を決めるかが答えを分けます。

1段目は実行行為になりうるか、2段目はいつ危険が現実になったかです。

離隔犯——郵送された毒物は、いつ着手か

発送時点か、到達時点か 図:発送時点か、到達時点か

次は離隔犯です。行為者と結果のあいだに、距離が挟まる場面を見ます。Aが、毒物を混ぜた砂糖をBに郵送しました。Bはそれを受け取りましたが、食べなかったため、死亡という結果は生じませんでした。着手の時点の候補は、Aが郵送の手続を終えた発送の時点、Bのもとに届いた到達の時点、この2つです。発送してしまえば、あとは郵便が運ぶだけで、行為者はもう何もしていないので、発送時点で着手にしてもよさそうに見えます。そう考えたくなりますが、判例はそう判断しませんでした。

判例大審院判決 大正7年11月16日(要旨)

離隔犯——郵送された毒物、到達した段階 行為者が、毒物を混ぜた砂糖を、郵便で名宛人のもとへ送った。名宛人はこれを受け取ったが、食べなかったため、死亡結果は生じなかった。この事案で、名宛人が毒物入りの砂糖を受け取った時点、つまり到達した時点で、殺人罪の実行の着手が認められた。

判例は、Bのもとに毒物入りの砂糖が届いた時点で、殺人罪の実行の着手を認めました。発送しただけでは、砂糖が確実に相手に届くとは限りません。郵便の途中で事故が起きて届かないこともありえます。また、届いたとしても、相手がすぐに口にするとは限りません。届いた時点でいつでも口にできる状態になっていること、そこが決め手です。相手の手元に届き、いつでも口にできる状態に置かれて初めて、死亡結果に向かう現実的な危険が具体化する、という判断です。発送しただけの段階では、その危険はまだ仮定の話にとどまっています。郵便を、Aの意思どおりに動く道具のように見れば、受け取る側の動きで時点を選んだ点が、被利用者標準説と同じ発想になります。ただ、この事案で挟まっているのは、道具にされた他人ではなく、郵便による距離です。離隔犯の到達時点の先例として押さえてください。

特殊詐欺の着手——電話のうそだけで、もう始まっているか

一連のうそが、結果に向かう道筋になる 図:一連のうそが、結果に向かう道筋になる

続いて特殊詐欺です。冒頭のAとBの場面、覚えていますか。Bは前日、別の作り話にだまされて、現金100万円を渡していました。その翌日、警察官を名乗る人物から電話がありました。「犯人がBの名前を言っている」「今すぐ預金を全部下ろした方がいい」「前日の100万円を取り返すので協力してほしい」——そう告げられました。Bはこれを信じて、預金の払戻しに向かいました。さらに別の電話で、同じく警察官を名乗る人物から、「僕、向かいますから」と、訪ねてくることを告げられました。そして、警察官を装って現金を受け取る役のCが、Bの自宅へ向かいました。

Cは、自宅に着く前に、本物の警察官の職務質問を受けて確保されました。この事案で、詐欺罪の実行の着手が認められるかが争われました。

判決が見た3つの点 図:判決が見た3つの点

判例最高裁判所第一小法廷判決 平成30年3月22日

詐欺罪の着手——現金交付を求める文言が無い段階 このような事実関係の下においては、本件嘘を一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる。

判決は、こう述べました。本件のうそを一連のものとして被害者に対して述べた段階において、被害者に現金の交付を求める文言を述べていないとしても、詐欺罪の実行の着手があったと認められる、というものです。理由をたどってみましょう。前回、密接性という道具を見ました。必要不可欠か、障害となる特殊の事情がないか、時間的場所的に近接しているか、でしたね。前回は、性犯罪や放火のように、先の行為と後の行為が分かれる場面で、密接性の考え方が効いてくると言いました。ただ、この判決の法廷意見は、密接という言葉を一度も使っていません。次の3つの点から判断しています。1つ目、うその内容です。預金を引き出させるうそは、Bが現金を渡すかどうか決める前提として、計画のうえで用意されたものでした。2つ目、うそは段階を踏んで重ねられ、預金を下ろして自宅に置かせる文言や、間もなく警察官が訪ねるという予告のように、現金を求める行為に直接つながるうそが含まれていました。3つ目、Bはすでに前日の100万円の被害に遭っていました。この状態でうそを信じさせることは、Cが着けばすぐに現金を渡してしまう危険を、著しく高めるものでした。

うそを言った段階で、もう結果に向かう道筋ができあがっていました。残っているのは、訪ねてきたCが求めるだけ、という段階まで来ていました。だから、渡してくださいという文言が無くても、着手が認められました。では、渡してくださいと言うまで着手を認めずに待つと、どうなるか。待つと、Cが玄関で一言言う直前に確保された場合、ここまでBを動かし切っていても、詐欺としては未遂にもなりません。危険はもうそこまで来ているのに、文言の有無だけで処罰が決まってしまう、そこが困る点です。電話でうそをつけば、いつでも詐欺の着手になるとまでは言えません、そこは注意が必要です。この事案のうそは、現金を交付させるという結果に直接つながる内容で、しかも一連のものとして重ねられていました。条件抜きに、うそをつけば常に着手になる、という話ではありません。なお、この判決には、密接性という観点に触れた補足意見も付いています。これは法廷意見とは別の、1人の裁判官の考え方です。法廷意見と混ぜて覚えないようにしてください。

不作為犯における実行の着手時期

不作為犯の回で見た絞り、覚えていますか 図:不作為犯の回で見た絞り、覚えていますか

不作為犯の回で見た、不真正不作為犯が成立するための絞り、覚えていますか?構成要件的同価値性です。上位の判断で、中身は、①法的な作為義務の存在と、②作為の可能性・容易性でした。着手の前に、まずこれが要ります。この同価値性が認められて、初めて実行行為性が認められます。今日は、その先の着手の話です。不作為には、2つの場合分けがあります。

危険はいつ生じたか——2つの場合分け 図:危険はいつ生じたか——2つの場合分け

1つ目は、不作為によって初めて、結果発生の現実的な危険が生じる場合です。Aが、日々の世話が必要な、同居している高齢のBへの食事の提供をやめたとします。では、やめた直後に、もう着手になるか。やめた直後は、まだ着手にはなりません。やめた直後は、まだBの体力はある程度保たれています。危険はまだ現実的ではありません。何日かたってBが衰弱し、自分で食べ物を取りに行けなくなった、そのように生命の危険が具体化した時点で、初めて着手が認められます。2つ目は逆に、不作為より前から、既に危険が生じている場合です。Aが、火の手が回り始めた自室にいる同居のBを見つけたのに、消火も通報も避難誘導もせずに立ち去ったとします。

この場面では、火が既に、Bに向かう危険を生じさせています。Aが何もしなかった、その不作為の時点で、速やかに着手が認められます。Bが弱るまで待つ、とはなりません。Aが立ち去った時点で、Aがもう何もしなくても、火はBに向かって進んでいます。そこでまだ着手ではないとすると、既に始まっている危険を見逃すことになります。作為の場合と同じ物差し、現実的な危険がいつ生じたかを使っていますが、不作為の場合は、危険の発生源が不作為そのものにあるか、不作為より前からあるかで、探す場所が変わります。

構成要件的結果の不発生と、未遂犯の効果

結果が出なくても、因果関係が無くても未遂 図:結果が出なくても、因果関係が無くても未遂

未遂が成立するには、もう1つ要件があります。43条の「これを遂げなかった」、構成要件的結果が発生しなかったことです。では、結果が出なければ、それだけで未遂か。結果犯では、そう考えてよい場面が多いです。ただし、因果関係が否定される場合も、忘れないでください。以前、実行行為と結果のあいだに因果関係が認められて、初めて既遂になると言いました。だから、結果が現に生じていても、因果関係が否定されれば、未遂として扱います。因果関係の回で、Aに襲われて逃げたBが、帰り道に落ちてきた資材で亡くなった例を見ました。Aは殺人未遂でしたね。住居侵入のような、結果という要素の無い挙動犯では、構成要件的行為をやり遂げなかったことが、これにあたります。結果の不発生の話は、ここまでにします。

44条・43条本文を、もう一度 図:44条・43条本文を、もう一度

では未遂犯の効果を、条文で確認します。44条から見ましょう。

条文刑法44条

刑法44条(未遂罪) 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

未遂の全体を見た回で読みましたね。未遂を罰するのは、各本条に規定がある罪だけです。

条文刑法43条本文

刑法43条本文(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。

「減軽することができる」、この言葉が今日の核心です。裁判所の裁量に委ねる、任意的減軽です。今日、着手が認められた場面はすべて、この43条本文の対象、障害未遂、つまり自分の意思でやめたのではなく、邪魔が入るなどして遂げられなかった未遂にあたります。43条には、ただし書があります。

本文とただし書、言い方の違い 図:本文とただし書、言い方の違い

「ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。」これがただし書です。本文の「減軽することができる」ではなく、「減軽し、又は免除する」。言い方が違う、そこが重要です。本文は裁判所の裁量、ただし書は、要件を満たせば確定的に効果が生じる、必要的減免です。今日は、本文とただし書で、条文の言い方がこれだけ違うことだけ、押さえておいてください。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。行為者がもう何もしなくても、結果に向かって進む状態になったのは、いつか。この問いで、4つの場面を見ました。間接正犯には、利用者標準説・被利用者標準説・個別化説の3つがあり、判例は被利用者標準説をとるとされますが、背後には、事案ごとに危険の生じた時点を探す個別化説の発想がありました。離隔犯は、発送時点ではなく、届いていつでも口にできる状態になった時点でした。特殊詐欺は、現金の交付を求める前でも、この事案のうその内容と重ね方、そして前日の被害のあとで現金を渡してしまう危険が高まっていたことから、着手が認められました。不作為犯は、危険が不作為によって生じるか、それより前から生じているかで、着手の時点の探し場所が変わりました。最後に、43条本文が任意的減軽、ただし書が必要的減免という違いも見ました。冒頭のAとBに戻ります。現金を求める文言はまだ無くても、一連のうそがBを動かし切っていました。だから、詐欺は既に始まっていました。

参照条文

  • 刑法44条
  • 刑法43条本文

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