中止未遂①——43条ただし書と「自己の意思により」
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第8章 未遂 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——怖くてやめたのは、自分の意思か
図:Aは、手を止めて逃げた
Aは、Bを刃物で刺しました。まだ致命傷ではありません。Bの傷口から血が流れるのを見て、Aは手を止めて、逃げました。やめた理由が「かわいそうになった」なら、どうでしょう。「怖くなった」なら、どうでしょう。「人が来たから」なら、どうでしょう。先に答えの方向を言っておきます。どんなやめ方が「自分の意思」と言えるかは、なぜ中止未遂を必ず軽くするのか、その根拠の選び方で決まります。今日は、この「自分の意思により」の中身を見ます。その前に1つ、前回の確認です。43条の本文とただし書、条文の言い方はどう違いましたか?
本文は「減軽することができる」で任意的減軽、ただし書は「減軽し、又は免除する」で必要的減免でしたね。本文の対象は、前回見たとおり、邪魔が入るなどして遂げられなかった障害未遂でした。今日は、ただし書の側、自分でやめた中止未遂そのものに入ります。
今日の地図——中止未遂の成立要件
図:中止未遂が成立するための4つの要素
43条ただし書によって中止未遂が成立するには、4つの要素が要ります。1つ目、犯罪の実行に着手していること。2つ目、自己の意思により、つまり任意性があること。3つ目、犯罪を中止したこと、中止行為です。4つ目、結果が発生しなかったことです。中止行為と、結果が発生しなかったこととの間に、因果関係まで要求する見解もあります。今日は、2つ目の任意性までです。「自己の意思により」とは何かを、じっくり見ていきます。そのために、まず考えなければいけないことがあります。なぜ、中止未遂だけがこれほど強い効果を受けるのか、という根拠の話です。
なぜ必ず軽くするのか——中止未遂の法的性格
図:必要的減免の根拠、3つの説と組み合わせる見解
条文刑法43条
刑法43条(未遂減軽) 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。
もう一度、条文を見てください。ただし書は、「減軽し、又は免除する」です。要件を満たせば、裁判所の裁量ではなく、必ずこの効果が生じます。なぜ中止未遂にだけ、必ずこの効果が生じるのか。そこに答えるのが、中止未遂の法的性格という議論です。ここでの選び方が、この先の任意性の物差しをそのまま決めます。1つ目、刑事政策説です。中止を寛大に扱うことで、犯罪の完成を未然に防ぐ政策的な考慮に根拠を置きます。「後戻りのための橋を用意する」という言い方をされることもあります。中止すれば得になると教える発想に見えますが、条文をもう一度見てください。「減軽し、又は免除する」であって、「刑を免除する」だけではありません。不可罰にはしていないんです。行為者に「戻れば無罪になる」というほど強い動機を与える設計にはなっていません。
そもそも中止未遂の規定を知らない人には、寛大に扱うという動機づけが働かない、という点も刑事政策説への批判として指摘されます。2つ目、違法性減少説です。中止によって結果発生の具体的な危険性が減る、つまり違法性が減少する点に根拠を置きます。この説には批判があります。行為者が結果を防ごうと真摯に努力したのに、第三者の救助など別の原因で結果が防がれた場合は、行為者の中止で危険が減ったとは言いにくくなります。だから、違法性減少説だと、こういう場合に中止未遂の成立を認めにくくなるんです。3つ目、責任減少説です。自己の意思により中止したことで、行為者に対する非難可能性が減少する点に根拠を置きます。
過剰防衛の回では、恐怖や興奮で行き過ぎたことを強く非難できない、という話でした。こちらは、自分でやめたことで非難が減る、という話です。名前は同じでも、減る理由の中身が違います。4つ目、1つ目から3つ目の説は互いに排斥し合うものではなく、複数の根拠を組み合わせて理解する見解も有力に主張されています。刑事政策説と違法性減少説には、今見た弱点がありました。それに、条文がわざわざ「自己の意思により」と、やめた人の内心を要件にしているのは、その人を責める程度が下がることに目を向けている、と読むと素直です。だから、責任減少説を軸に据えると説明がつきやすいんです。ただ、過剰防衛の回で責任減少説が通説だと見たのは、過剰防衛の減免根拠についての話でした。中止未遂の減免根拠は別の議論で、どの説が多いかも別に数えます。こちらでは、4つ目に見た組み合わせる見解も有力です。今日は、この責任減少説を軸に、次の任意性の話を進めます。
図:根拠が、物差しを決める
そして、ここが今日の核心です。責任減少説を選ぶと、任意性の基準もそのまま決まってきます。非難可能性が減ったと言えるやめ方かどうか、これが物差しになるんです。図書館で考えてみます。「自分から返しに来たら延滞金を免除する」というルールがあるとします。免除の理由が「本が早く戻れば、他の人が困らないから」なら、督促状を見て渋々返しに来た人も免除してよいことになります。理由が「自分から反省して返しに来たのだから、責めるまでもない」なら、督促状を見て渋々返した人は外れます。理由を変えると、「自分から」に当たる範囲も一緒に動くんです。中止未遂でも同じで、なぜ必ず軽くするのかを決めないと、どんなやめ方が「自分の意思」かは決まりません。
「自己の意思により」——任意性の判断基準
図:「自己の意思により」、4つの学説の比較
では、責任減少説を選ぶと、任意性の基準は具体的にどう決まるのか。非難は、その場にいた行為者本人に向けられるものです。だから、非難可能性が減ったかどうかを見るなら、世間から見てどうかではなく、行為者本人が、その事情にどれだけ強く追い詰められたかを見る方向に流れます。この方向を軸に、4つの学説を見ていきます。まず主観説です。犯罪の完成を妨げる外部的な事情が、やめる動機に影響していないかどうかを基準にします。影響を受けずにやめた場合にだけ、任意性を認めます。人の意思決定は、たいてい何らかの外界の刺激をきっかけに生まれます。だから、この基準は狭すぎるという批判があります。次に限定主観説です。責任減少説を徹底して、悔悟・同情・憐憫といった、広い意味での後悔に基づいてやめた場合にだけ、任意性を認めます。
広義の後悔とは、悔い改める気持ちだけでなく、相手を気の毒に思う気持ちも含めた、犯行をやめる方向へ自分から向かう心の動きのことです。ただ、条文は「自己の意思により」としか書いていないのに、後悔という中身まで求めるのは、文言から離れすぎているという批判があります。3つ目、客観説です。行為者が認識した外部的な事情が、一般人にとって通常やめさせる障害になる性質のものかどうかを基準にします。ですが、「自己の意思により」という、行為者本人を基準にする文言と、一般人基準は相容れない、という批判があります。最後に折衷説です。外部的な事情を、行為者本人がどう受け止めたかを基準にします。その事情が、行為者にある程度必然的・強制的にやめる決意をさせたと言えるかどうかで判断します。
行為者本人を基準にする点で主観説に近く、外部的な事情の影響を無視しない点で客観説にも近いので、折衷説と呼ばれます。法的性格を責任減少説に置くと、見るべきは一般人ではなく行為者本人なので、客観説とは向きが合いません。行為者本人を見る説のうち、主観説は狭すぎ、限定主観説は条文の文言から離れすぎます。残る折衷説がこの筋にいちばん素直に乗るので、有力と考えられています。
フランクの公式
図:フランクの公式——できたのに、しなかったか
⭐ 論文で書く規範:フランクの公式 「しようと思えばできたが、しなかった」場合は中止未遂、「したかったが、できなかった」場合は障害未遂。 (1つの説の別名ではなく、主観説・折衷説と親和的な見分け方の目安)
中止未遂と障害未遂を見分ける、もう1つの物差しです。「しようと思えばできたが、しなかった」なら中止未遂、「したかったが、できなかった」なら障害未遂とする考え方です。どれか1つの説の別名ではありません。行為者本人が「まだできた」と思っていたかどうかを見る道具なので、行為者本人を見る主観説とも折衷説とも相性がよく、どちらの説明にも使われます。だから、独立した見分け方の目安として覚えておいてください。冒頭のAの場面で、やめた理由だけを変えて考えます。刺し続けようと思えば続けられたのに、「もうやめよう」と自分で手を止めたなら、「しようと思えばできたが、しなかった」の側です。逆に、人が来て「続けたいのに、このままでは続けられない」と思って手を止めたなら、「したかったが、できなかった」の側、障害未遂です。
同じ事案に4説を当てる
図:設例①——流血を見て、怖くなってやめた
ここまでの4つの説を、同じ設例に当てて、結論がどう分かれるか見てみましょう。設例①です。Aは、Bを刃物で刺しましたが、致命傷ではありません。Bの傷口から血が流れるのを見て、Aは驚き、怖くなって手を止め、逃げました。主観説なら、流血という外部的な事情の影響を受けているので、任意性は否定です。限定主観説なら、悔悟や同情のような広義の後悔ではなく、恐怖による中止なので、これも否定です。客観説なら、流血は一般人にとって通常の障害となる事情と言えるので、否定です。折衷説なら、流血という事情が行為者にある程度強制的にやめさせたと言えるので、これも否定です。
この設例は4説とも一致します。ですが、次の設例は違います。
図:設例②——泣いて頼まれて、かわいそうになってやめた
設例②です。Aは、Bを刃物で刺そうとしたところ、Bが「やめて、許して」と泣いて頼んだのを見て、かわいそうになり、犯行をやめました。主観説は、外部的な事情の影響を受けた時点で一律に否定するので、ここでも否定です。ですが、限定主観説だと、同情という広義の後悔に基づいているので、肯定になります。客観説はどうでしょう。一般人にとって、泣いて頼まれることが「通常の障害」と言えるかは評価が割れます。一般に、犯行を諦めさせるほどの強い障害とまでは言えないと見るなら、肯定に傾きます。折衷説なら、Bの様子を行為者がどう受け止めたか次第ですが、必然的・強制的にやめさせられたとまでは言えず、同情という動機で自発的にやめたと評価できるので、肯定に傾きます。
主観説は、外部的な事情の影響を受けた時点で一律に否定してしまうので、こういう場面まで拾えなくなる、というのが「狭すぎる」という批判の中身です。
図:設例③——サイレンが聞こえて、捕まるのを恐れて逃げた
最後に、設例③です。Aは、Bを刃物で刺そうと構えたところで、遠くからパトカーのサイレンが聞こえ、捕まるのを恐れて逃げました。4説とも任意性は否定です。フランクの公式で言えば、「したかったが、できなかった」に当たり、障害未遂の場面です。
図:3つの設例、結論の一覧
こうして並べると、説によって答えが変わるのは設例②だけです。外部的な事情がはっきり強制的な場面や、逆に、外からのきっかけが何もなく自分から思い直した場面では、説による違いが表に出にくいんです。設例②のように、外部的な事情と本人の心の動きが両方絡む場面で、説の違いがはっきり出てきます。では、今日の軸だった責任減少説とはどうつながるのか。責任減少説は、やめたことで行為者を責める程度が下がったかを見ます。設例②のように、相手を気の毒に思って自分から手を止めた人は、責める程度が下がったと言いやすい。設例①や③のように、流血への恐怖や捕まる不安に押されてやめた人は、そうは言いにくい。根拠が、そのまま線の引き方を決めているんです。
判例ではどう扱われたか
図:判例も、同じ場面を扱う
判例大審院判決 昭和12年3月6日(要旨)
中止未遂の任意性が争われた事案(流血を見た場面) 人を殺そうとして短刀で相手の胸を刺したが、血がほとばしるのを見て、それ以上の実行をやめた。大審院は、流血を見てやめるのは思いがけない障害によるものだとして、中止未遂を認めなかった。
判例も見ておきます。人を殺そうとして短刀で相手の胸を刺したものの、血がほとばしるのを見て、それ以上の実行をやめた、という事案です。設例①とよく似た場面です。大審院は、流血を見てやめるのは思いがけない障害によるものだとして、中止未遂を認めませんでした。ただし、判決は学説の名前を挙げてはいません。判決が示したのは、外からの障害がないのに、内側の理由で自分からやめた場合が中止未遂だ、という物差しです。流血という外の出来事がきっかけでやめたので、任意性を否定したんです。この物差しが今日のどの説に当たるかは、学者の間でも評価が分かれています。設例①のように、流血を見て怖くなってやめた場面は、今日の4説でも任意性の否定に傾きやすい場面です。ただ、この判決は行為者の恐怖には触れず、流血そのものを障害と見ています。そこは設例①と分けて覚えておいてください。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点
今日を振り返ります。中止未遂の成立要件のうち、任意性までを見ました。法的性格は、刑事政策説、違法性減少説、責任減少説、組み合わせる見解の4つでした。責任減少説を軸にすると、説明がつきやすいという評価が有力でした。その責任減少説の筋から、任意性の基準も行為者本人を見る折衷説が有力になる、という流れでした。同じ設例でも、選ぶ説によって結論が変わることも、3つの設例で確認しました。フランクの公式は、「できたのにしなかった」かを見る目安で、特定の1つの説の別名ではありません。冒頭のAとBに戻ります。流血を見て怖くなってやめた、という設例①のような場面は、実は4説とも任意性を否定する場面でした。かわいそうになってやめた設例②だと、説によって結論が変わります。
参照条文
- 刑法43条