刑法ゼロから刑法#81

目的のない者と予備罪・不作為犯の共同正犯

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第9章 共犯 ⑱/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと今日の問い

前回の結論と、今日の問い 図:前回の結論と、今日の問い

前回、予備罪の共同正犯はそもそも成立しうると結論づけました。ただしその設例は、AもBも、それぞれ自分で殺す目的を持って一緒に準備していた場合でした。この回は、自分では目的を持たない者が準備行為に加わった場合を扱います。予備罪の共同正犯を認める実益が出るのは、この場面です。

設例——目的を持たない者が準備行為に加わる

Aは目的を持たず、Bは殺す目的を持つ 図:Aは目的を持たず、Bは殺す目的を持つ

自分では人を殺す目的を持たないAが、殺す目的を持つBと相談したうえで、Bのために拳銃を渡したとします。Bには、単独でも殺人予備罪が成立します。201条の「その罪を犯す目的で」は、自分が殺人罪を犯す目的と読むのが自然なので、他人予備には予備罪が成立しないと考えるのが多数説です。だから、Aに単独犯としての殺人予備罪は成立しません。問題は、それでもAに、共同正犯という形で予備罪の責任を負わせられないかです。

第1段——予備罪の共同正犯はそもそも成立するか

第1段——予備罪の共同正犯は成立しうる 図:第1段——予備罪の共同正犯は成立しうる

まず前提を確認します。予備行為は60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯は、そもそも成立しえます。43条の「実行」は予備と未遂の境界線を引く言葉、60条の「実行」は共同正犯を基礎付ける言葉で、別の仕事をしているからです。ここは前回の結論をそのまま使います。

第2段——Aに目的が無い、目的は身分に含まれる

目的も身分に含まれる 図:目的も身分に含まれる

ここで問題になるのは、Aには「目的」が無いという点です。目的犯の「目的」が身分に含まれるかには争いがありますが、判例は含まれるとする立場です。目的も、犯人の特殊な状態の一つだから、身分にあたるという立場です。以前見た判例の定義では、身分は、犯罪行為に関する犯人の特殊な地位または状態のすべてで、継続性までは求められていませんでした。Aに当ててみます。拳銃を用意して渡すという外から見える行為は、Aが自分で使うつもりでも、Bに使わせるつもりでも、同じです。違うのは、自分で殺す目的を持っているかどうかという、その人の内側の状態だけで、それによって、この罪がその人に成り立つかどうかが分かれます。公務員という資格があるかどうかで収賄罪が成り立つかが分かれたのと、同じ働き方です。だから、目的を身分と見てよいわけです。目的が身分に含まれるなら、Aの問題は「目的が無い」という個別の問題ではなく、「身分犯の共同正犯が成立するか」という、すでに扱ったことのある問題に置き換わります。

第3段——殺人予備罪は真正身分犯、65条1項でAにも共同正犯

第3段——殺人予備罪は真正身分犯 図:第3段——殺人予備罪は真正身分犯

条文刑法199条

刑法199条 人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の拘禁刑に処する。

条文刑法201条

刑法201条 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

条文刑法65条

刑法65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」

殺人予備罪は、201条を見れば分かるとおり、殺人罪を犯す目的を持つ者にしか成立しません。目的を持たない者には、そもそもこの罪が成立の入口にすら立ちません。目的があるかどうかで罪の成立そのものが決まる以上、殺人予備罪は真正身分犯にあたります。65条1項の「共犯」には、共同正犯も含まれるという結論を、以前確定させました。身分のない者も、身分のある者の行為を利用して、結果に因果性を及ぼしているからです。この理屈をそのまま持ち込めば、Aは、Bの殺人予備罪という真正身分犯に加功、つまり手を貸して加わっているので、65条1項によって、Aにも殺人予備罪の共同正犯が成立します。

2項は、身分が刑の重さだけを動かす場合の規定です。以前見た、営利の目的があると麻薬輸入の刑が重くなる規定が、そちら側でした。営利の目的が無くても輸入の罪自体は成り立ち、目的は重さだけを動かします。これに対して殺人予備罪では、殺す目的が無ければ、罪そのものが成り立ちません。同じ「目的」でも、成立を決めるなら1項、重さだけを動かすなら2項です。この場面は前者なので、1項の話になります。

論文で書く規範:肯定(目的を持たない者と予備罪の共同正犯) 予備行為も60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯は成立しうる。Aに欠けている「目的」は、判例によれば65条の身分に含まれる。201条の罪は殺す目的を持つ者でなければ成り立たないので真正身分犯であり、65条1項の「共犯」には共同正犯も入る。よって、目的を持たないAにも、65条1項により殺人予備罪の共同正犯が成立する。 (規範(集積型・最判昭42・3・7、最決昭37・11・8参照))

判例——目的を持たない者に共同正犯を認めた例

毒物を用意して手渡した者の責任 図:毒物を用意して手渡した者の責任

同じ型を、実際に共同正犯と認めた最高裁の決定があります。道具立てはAとBの場面とは違って毒物ですが、法律構成は同じです。

判例最決昭37・11・8(裁判要旨)

決定(目的を持たない者と殺人予備罪の共同正犯) 殺人の目的を有する者から、これに使用する毒物の入手を依頼され、その使途を認識しながら、右毒物を入手して依頼者に手交した者は、右毒物による殺人が予備に終つた場合に、殺人予備罪の共同正犯としての責任を負うものと解すべきである。

この人自身は自分で殺す目的を持っていませんが、殺す目的を持つ依頼者のために毒物を手渡した点で、AがBに拳銃を渡した場面と同じ構造です。だから、殺人予備罪の共同正犯という同じ結論になります。ここまでで、場面1は決着です。

場面2への橋——不作為犯の共同正犯

同じ道具は、別の場面にも当てられるか 図:同じ道具は、別の場面にも当てられるか

今使った道具は、「足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せる」というものでした。次に、この道具が目的以外の場面、すなわち不作為犯の共同正犯にも当てはまるかを見ます。

各自が作為義務を持つ場合——争いなし

CとDが、そろって作為義務を持つ 図:CとDが、そろって作為義務を持つ

乳児の親であるCとDが、殺意を持って、そろってミルクを与えず餓死させたとします。CにもDにも、以前確認した法的な作為義務があります。この場合、CとDの両方に不作為犯の共同正犯が成立することに、ほとんど異論はありません。各自がそもそも作為義務を持っている以上、これまでどおりの共同正犯の枠組みで足ります。

一部の者のみが作為義務を持つ場合——問題の所在

Eは作為義務があるが、Fには無い 図:Eは作為義務があるが、Fには無い

では、母親Eと、同居しているだけで法的な作為義務を持たない第三者Fが、共同して乳児にミルクを与えなかったとします。このとき、Fにも不作為犯の共同正犯が成立するかが、ここでの問題です。

否定説と肯定説

否定説——実行行為の観念が広がりすぎる 図:否定説——実行行為の観念が広がりすぎる

否定説は、作為義務の無い人にまで「一緒に実行した」と認めてしまうと、実行行為という枠がどこまでも広がってしまう、と心配します。Fには、そもそも動かなかったことを「実行」と呼べるだけの立場が無い、という発想です。たとえば、母親と示し合わせてミルクをやらないことにうなずいただけの同居している人が、自分では何の義務も負っていないのに、母親と並んで殺人を実行した者として扱われることになります。義務を負う人に限って「実行」を認めてきた枠が、義務の無い人にまで広がる、というのが否定説の心配です。

肯定説——不作為犯も真正身分犯と見る 図:肯定説——不作為犯も真正身分犯と見る

これに対して肯定説は、不作為犯は作為義務を持つ者にしか成立しない以上、これも真正身分犯だと見ます。真正身分犯だと見れば、あとは65条1項に乗せるだけです。作為義務を持たないFも、作為義務を持つEの行為を通じて、乳児の生命に因果性を及ぼしているので、65条1項によって、Fにも不作為犯の共同正犯が成立する、と考えます。

論文で書く規範:肯定(作為義務を持たない者と不作為犯の共同正犯) 不作為犯は、作為義務を持つ者でなければ成り立たない真正身分犯と見ることができる。そう見れば、作為義務を持たない者が、作為義務を持つ者と共同して不作為犯を実現したときも、65条1項により不作為犯の共同正犯が成立する。これに対しては、義務の無い者にまで共同の実行を認めるのは実行行為を広げすぎる、という反対がある。 (規範(判例なし・学説対立=自説は肯定説))

肯定説を支えるのは、共同正犯の責任の根拠です。以前、65条1項の「共犯」に共同正犯が入る理由として、根拠は自分の手で実行行為をやることではなく、結果に因果性を及ぼすことにある、と確認しました。そうであれば、F自身に実行と呼べる立場が無くても、それは責任を否定する理由にならない、というのが肯定説の答えです。

山場——2つの場面を同じ道具で処理する

場面1と場面2を並べる 図:場面1と場面2を並べる

場面1と場面2を表に並べます。場面1では欠けている要素が目的、場面2では作為義務です。目的は判例により、作為義務は肯定説に立てば、どちらも身分に含まれると解され、その身分が無ければ罪が成立しない点で、どちらも真正身分犯にあたります。だから、どちらも65条1項に乗り、欠けている要素を持たない者にも共同正犯が成立します。ただし、この「身分と見る」こと自体を疑う見方も残っています。身分といえば、通常は公務員のような、ある程度続く資格が想定されます。これに対して目的や作為義務は、その場かぎりの心の中の事情や立場なので、それまで身分と呼ぶのは言葉を広げすぎではないか、という疑いです。それでも、以前見た判例の定義は、身分に継続性までは求めていませんでした。この立場に立てば、2つの場面の答え方は同じです。足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せる、ということです。なお、作為義務を持たない者の関与が、共同正犯にまでは至らず、幇助にとどまる場合や、不作為による幇助という論点は、この回の対象外です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

目的を持たない者にも、殺人予備罪の共同正犯が成立します。作為義務を持たない者についても、肯定説に立てば不作為犯の共同正犯になります。目的の場面も作為義務の場面も、足りない要素を身分と見て、65条1項に乗せるという、同じ道具で処理しました。目的を持たないAに殺人予備罪の共同正犯が成立するまでには、3つの段がありました。1つ目は、予備行為も60条の「実行」にあたるので、予備罪の共同正犯はそもそも成立しうること。2つ目は、目的は身分に含まれるので、身分犯の共同正犯の問題になること。3つ目は、殺人予備罪は真正身分犯なので、65条1項の「共犯」に入る共同正犯として、Aにも成立すること、です。

参照条文

  • 刑法199条
  • 刑法201条
  • 刑法65条

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