刑法ゼロから刑法#80

予備罪の共同正犯

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第9章 共犯 ⑰/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の受けと、今日の問い

前回の予告と、今日の問い 図:前回の予告と、今日の問い

この回は、予備罪の共同正犯を扱います(不作為犯の共同正犯は次回)。2人がそれぞれ殺人の目的で一緒に準備をしただけで、まだ誰も実行に着手していないとき、2人は「共同して犯罪を実行した」と言えるのか——これがこの回の問いです。結論は、2人とも殺人予備罪の共同正犯になります。以下、予備罪とは何だったかを確認したうえで、その理由を1本の筋でたどります。

予備罪の受け——自己予備と他人予備

自己予備と他人予備 図:自己予備と他人予備

予備罪は、特定の犯罪を実行する目的で、その準備行為をすることを罰する犯罪です。自分で実行する目的で準備することを自己予備、他人に実行させる目的で準備することを他人予備と呼びます。他人予備も予備罪になるかには対立があり、以下でその結論を示します。

条文刑法201条

刑法201条(殺人予備) 第百九十九条の罪を犯す目的で、その予備をした者は、二年以下の拘禁刑に処する。ただし、情状により、その刑を免除することができる。

結論を決めるのは、「第百九十九条の罪を犯す目的で」という書き方です。

他人予備は原則として不成立——結論

他人予備は原則として予備罪不成立 図:他人予備は原則として予備罪不成立

201条の「その罪を犯す目的で」は、文理上、自分が殺人罪を犯す目的、と読むのが自然です。だから、多数説は、他人予備の場合には予備罪はいっさい成立しないと考えます。他人に人を殺させるつもりで凶器を用意しただけの人は、201条の予備には当たらない、ということです。自分では実行しないというだけで、201条の予備罪にはならない。条文がそう書かれている以上、そう読むことになります。ただし、すべての予備罪が同じ書き方ではありません。内乱予備罪や外患予備罪のように、「〜の罪を犯す目的で」という限定が付いていない予備罪については、他人予備も含みうるとする見解もあります。

問題の所在——予備行為は60条の「実行」か

一部実行の全部責任の根拠は、何だったか 図:一部実行の全部責任の根拠は、何だったか

前提として、共同正犯が一部実行の全部責任という重い効果を負わされる根拠を確認しておきます。それは、相互利用補充関係のもとで、結果に物理的または心理的な因果性を及ぼしていることです。この根拠を踏まえて、次の設例を考えます。

AとBが、それぞれ殺人の目的で、一緒に刃物を買った 図:AとBが、それぞれ殺人の目的で、一緒に刃物を買った

AもBも、自分の手でその人を殺すつもりで、2人そろって刃物を買いに行ったとします。AにもBにも、1人ずつ見ても殺人予備罪が成立することに、争いはありません。問題は、この2つの予備罪が、共同正犯の関係に立つかです。このように全員に単独犯として予備罪が成立する場面では、共同正犯を認めても結論の重さはあまり変わりません。それでも、共同正犯になるかどうかの理屈そのものが、後で述べる実益の場面の前提になります。

条文刑法60条

刑法60条 二人以上共同して犯罪を実行した者は、すべて正犯とする。

この2つの予備罪が共同正犯の関係に立つかは、60条の「実行」に、予備行為が含まれるかという問題に置き換わります。ここに、否定説と肯定説の対立があります。

否定説——予備行為は実行行為ではない

否定説の理由——実行行為の概念が空疎になる 図:否定説の理由——実行行為の概念が空疎になる

否定説は、予備行為は実行行為ではないので、予備罪の共同正犯は成立しないと考えます。理由は、実行行為という概念が、殺人罪や窃盗罪のような基本的構成要件、つまり本来の犯罪行為の類型に裏打ちされて初めて中身を持つ、という点にあります。予備のように定型性が希薄な行為、つまり刃物を買う、下見に行くといった、それだけ見ても殺人の形をしていない行為まで実行行為に含めてしまうと、実行行為という概念そのものが空っぽになってしまいます。

条文刑法43条

刑法43条 犯罪の実行に着手してこれを遂げなかった者は、その刑を減軽することができる。ただし、自己の意思により犯罪を中止したときは、その刑を減軽し、又は免除する。

条文刑法44条

刑法44条 未遂を罰する場合は、各本条で定める。

否定説の根っこは、43条にも「実行」という言葉が使われていることです。43条の「実行」が指すのは、199条の殺人罪のような、本来の構成要件に当たる行為だけです。もし予備行為まで実行行為に含めてよいなら、同じ理屈で43条の「実行」にも予備行為が含まれることになり、「予備罪の未遂」という、体系上ありえないものが出てきてしまいます。だから、条文の言葉の読み方を法律全体でそろえるなら、60条の「実行」も、43条の「実行」と同じ意味に絞るべきだ、というのが否定説の発想です。

肯定説——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪

肯定説の理由——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪 図:肯定説の理由——予備罪も条文に置かれた1つの犯罪

これに対して肯定説は、予備罪の共同正犯を認めます。否定説は、実行行為の中身を支えられるのは、殺人罪のような基本的構成要件だけだと考えました。肯定説は、そこを考え直します。201条は、未遂の章で見たとおり、199条にぶら下がる形の従属予備罪です。それでも201条は、殺人の目的で準備をする、という行為の型を条文に書き込み、刑罰を定めています。条文が行為の型を定めて罰している以上、その型に当たる行為は、殺人予備罪という罪の実行行為と見てよいはずです。ここで言っているのは、153条のような独立予備罪だという意味ではありません。従属予備罪でも、処罰規定として置かれた1つの犯罪だ、という意味です。

肯定説でも、予備罪の未遂は認めません。予備行為を、60条の「実行」には入れても、43条の「実行」には入れないからです。この読み分けが許される理由は、次の節で説明します。

山場——同じ「実行」でも、条文の役割が違う

43条の「実行」と60条の「実行」、同じ意味だと思いますか? 図:43条の「実行」と60条の「実行」、同じ意味だと思いますか?

鍵になるのは、43条の「実行」と60条の「実行」が同じ意味でなければならないか、という問いです。答えは、同じ意味である必要はない、です。

43条と60条——同じ「実行」でも、担っている仕事が違う 図:43条と60条——同じ「実行」でも、担っている仕事が違う

同じ漢字が使われているので、同じ意味にそろえたくなります。しかし、2つの条文で「実行」が担っている仕事を比べると、違いが見えてきます。43条の「実行」の仕事は、予備と未遂の間に線を引くことです。この線を予備の側にずらして、予備行為まで含めてしまうと、否定説が心配したとおり、予備罪にまで未遂が生まれるという、体系の壊れた話になります。だから、43条の「実行」は、本来の構成要件に当たる行為だけに絞っておく必要があります。60条の「実行」の仕事は、共同正犯として全部の責任を負わせてよい根拠を示すことです。その根拠は、相互利用補充関係のもとで結果に因果性を及ぼしたことにありました。予備罪も条文に書き込まれた1つの犯罪である以上、それを共同で実現する行為は、この因果性の物差しに乗ります。43条と60条は、そもそも別の質問に答えている言葉です。「予備と未遂の境界はどこか」と、「共同正犯になるための行為とは何か」は、別の問いですから、答えがそろう必要はありません。学校の「出席」で考えてみてください。遅刻かどうかを決めるときは、チャイムの瞬間に教室にいたかで線を引くので、1分遅れた人は入りません。一方、文化祭の準備に何人来てくれたかを数えるときは、途中から来た人も出席に数えます。同じ「出席」でも、線を引く仕事と、人数をそろえる仕事とでは、数える範囲が違います。

だから肯定説は、43条の「実行」は本来の構成要件に当たる行為に絞りつつ、60条の「実行」には、条文に1つの犯罪として置かれた予備罪に当たる行為も入れてよい、と考えます。冒頭のAとBは、それぞれ殺人罪を犯す目的で一緒に刃物を購入していて、これは共同で行われた予備行為なので、60条の「実行」にあたります。したがって、AB2人には、殺人予備罪の共同正犯が成立します。ただし、同じ刃物の購入でも、43条の「実行」には当たりません。ですから、2人がこの段階で捕まっても、殺人未遂にはならず、殺人予備罪の共同正犯にとどまります。

論文で書く規範:肯定説(予備罪の共同正犯の成否) 予備罪は、201条のように各本条が1つの犯罪として定めている以上、その予備行為も、その罪の構成要件を実現する実行行為と見てよい。43条の「実行」は予備と未遂の間に線を引く言葉、60条の「実行」は共同正犯として全部の責任を負わせる根拠を示す言葉で、役割が違うから範囲をそろえる必要はない。よって、予備行為も60条の「実行」にあたり、予備罪の共同正犯は成立する。 (規範(対立型・肯定説/最決昭37・11・8参照))

実益はどこに出るか

実益が出るのは、目的を持たない者が加わったとき 図:実益が出るのは、目的を持たない者が加わったとき

この回の設例のように、AもBも自分で実行する目的を持っている場面では、共同正犯を認めても、各自が予備罪の責任を負うという結論の重さ自体は、あまり変わりません。実益が出るのは、自分では実行せず、他人に実行させる目的で、準備行為だけに加わった人がいる場合です。単独犯としては他人予備、つまり原則不成立のはずのその人に、共同正犯という形で予備罪の責任を負わせられないか、という問題になります。また、共謀した仲間から実行の着手より前に抜ける場面(着手前の共犯関係の解消)では、抜けた人(離脱者)には仲間が実行した犯罪の未遂や既遂は成立しないが、その犯罪に予備罪の処罰規定があるなら、予備罪、またはその共同正犯が成立しないかを別途検討します。この検討も、「予備罪の共同正犯はありうる」という結論を前提にしています。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

他人予備は、原則として予備罪が成立しません。201条のように「〜の罪を犯す目的で」と書かれた予備罪は、文理上、自己予備の場合に限られるからです。各自に単独で予備罪が成立する場合、予備罪の共同正犯は成立します(肯定説)。予備罪も条文に書き込まれた1つの犯罪である以上、その予備行為も実行行為と見てよいからです。ポイントは、「同じ言葉だから同じ意味のはず」という思い込みを外して、条文ごとの役割から読むことです。

43条の「実行」と60条の「実行」が同じ意味である必要はありません。43条の「実行」は予備と未遂の間に線を引く言葉、60条の「実行」は全部の責任を負わせる根拠を示す言葉で、そもそも別の質問に答えているからです。答える問いが違う以上、範囲がそろわなくても、何もおかしくありません。

参照条文

  • 刑法201条
  • 刑法60条
  • 刑法43条
  • 刑法44条

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