不作為・身分犯と教唆・幇助
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第9章 共犯 ㉔/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
見ていて止めなかった人は、何の共犯になるか
図:何もしなかった人が、共犯になる
前回まで、教唆犯と幇助犯の意義と成立要件、そして片面的・過失による、といった特殊な場面を見てきました。今日はその第2弾です。前回は、唆す側・手伝う側の主観、つまり故意があるかどうかが軸でした。今日は軸が変わります。関与の形、不作為かどうか、そして身分があるかどうかです。こんな場面を考えてみてください。夜間の倉庫警備を契約で任されている人が、同僚が商品を盗み出そうとしているのに気づきながら、門の鍵をかけないまま持ち場を離れました。何も手を出していないのに、この人は窃盗の共犯になるでしょうか。
なることがあります。何もしないことでも、唆したり手伝ったりしたことになる場合があるんです。今日はその境目を、教唆・幇助の定義に立ち返って確かめていきます。
不作為による教唆・幇助——する側が動いていない場合
図:教唆は否定、幇助は肯定——なぜ割れるか
まず、教唆・幇助という行為そのものが不作為である場合です。何もしないことで唆した、何もしないことで手伝った、という場面ですね。教唆は否定が有力、幇助は肯定が通説です。「教唆」という言葉の意味に立ち返ってください。教唆とは、唆して決意を生じさせることでした。何もしないことは、この「唆す」という言葉の中身に当てはまりません。だから、不作為による教唆は否定が有力です。幇助とは、正犯の実行を容易にすることでした。教唆より広い言葉です。法的な作為義務を負う人が、何もしないことで正犯の実行を容易にすることは、現にありえます。だから不作為による幇助は肯定が通説です。ただし、何もしなければ何でも幇助になるわけではありません。構成要件的同価値性、つまり作為義務と、作為の可能性・容易性が必要です。以前、不真正不作為犯のところで見た物差しを、そのまま使います。
図:警備員は、義務があって何もしなかった
冒頭の場面に戻ります。この人は、契約で倉庫の施錠を任された、法的な作為義務を負う立場でした。同僚が盗み出そうとしているのに気づきながら、鍵をかけずに持ち場を離れています。鍵をかけないという不作為が、実行を容易にしたと言えれば、構成要件的同価値性が認められ、不作為による幇助犯が成立します。仮に、たまたま倉庫の前を通りかかっただけの通行人が同じ場面を見ても、その人には施錠する法的な作為義務が無いので、何もしなくても幇助犯にはなりません。義務があるかどうかが分かれ目です。判例にも、似た場面を扱ったものがあります。選挙の管理を任された立場の人が、違法な投票が行われているのを目撃しながら制止しなかった事案で、不作為による幇助犯が認められています。
不作為犯に対する教唆・幇助——される側の犯罪が不作為犯
図:今度は、正犯の犯罪自体が不作為犯
今度は逆です。唆す側・手伝う側の行為は普通に作為でも、唆される側・手伝われる側がやっている犯罪そのものが、不作為犯である場合です。ここで効いてくるのが、以前見た65条の考え方です。不真正不作為犯は、法的な作為義務を負う人しか犯せない犯罪、つまり真正身分犯だと捉える筋があります。作為義務という身分が無ければ、その犯罪自体が成立しないからです。65条1項のその筋をそのまま使うと、作為義務を持たない人でも、その不作為犯を唆したり手伝ったりすれば、教唆犯・幇助犯になります。教唆・幇助とも同じ処理で、結論は肯定です。
不作為犯を真正身分犯として扱うことに、争いが無いわけではありません。有力に唱えられている筋ですが、断定はできません。不作為犯を身分犯と見るかどうか自体に議論の余地があるので、「妥当な考え方」として押さえておいてください。
図:唆した側に義務が無くても、教唆犯になる
別の場面で確かめます。入院患者の栄養剤の投与を担当する看護師には、法令や契約上の作為義務があります。相続で利益を得たい人が、その看護師に「今日は投与しなくていい、様子を見よう」と持ちかけ、看護師がそれに従って投与をやめ、患者が死亡しました。看護師には作為義務がありますけど、持ちかけた側には無いですよね。それでも教唆犯になるんですか。なります。持ちかけた側に作為義務は無くても、看護師の不作為による殺人を、真正身分犯だと捉えるなら、65条1項によって、義務の無い人でも教唆犯として成立します。
山場①——「する側」か「される側」か
図:名前は似ているが、何が違うか
ここで一度、聞いてみます。不作為による教唆・幇助と、不作為犯に対する教唆・幇助、名前は似ていますが何が違うと思いますか?やってみます。不作為による、のほうは、唆す側・手伝う側の行為が不作為かどうかの問題。不作為犯に対する、のほうは、唆される側・手伝われる側がやっている犯罪が不作為犯かどうかの問題。不作為が、どちらの立場にあるかの違いです。1本の軸、不作為なのは「する側」か「される側」か、これだけで名前の混同は解けます。
図:する側/される側——4マスの弁別板
この4マスを見てください。不作為による教唆は否定、不作為による幇助は肯定、不作為犯に対する教唆は肯定、不作為犯に対する幇助も肯定です。否定になるのは、この4マスのうち1つだけです。否定されるマスを、さっきの警備員で確かめておきましょう。まだ盗む気のなかった同僚に、警備員が鍵をかけずに立ち去って見せることで、盗もうという決意を新しく生じさせた——これを「唆した」と呼べるでしょうか。決意を生じさせる働きかけが無い以上、唆したとは呼べない——そこが、不作為による教唆が否定される理由です。同じ警備員でも、すでに盗む決意を固めている同僚の実行を鍵をかけないことで容易にした場合は、幇助として肯定されます。決意を生じさせる側に回った瞬間、何もしないことでは足りなくなるんです。
なぜ、そこだけ否定なんですか。「教唆」という言葉の意味が、もともと狭いからです。それは、する側の行為そのものの問題であって、される側、つまり正犯の犯罪が不作為かどうかとは、まったく関係ありません。だから、する側が不作為の場面でだけ、教唆という言葉の狭さが効いてきて、そこだけ否定になります。される側が不作為の場面では、語義の話ではなく身分犯の話にすり替わるので、教唆でも幇助でも同じように肯定されます。
身分犯と教唆・幇助——65条の4パターン
図:65条、もう一度使う
ここからは、教唆・幇助という関与の形ではなく、身分そのものが絡む場面です。65条1項は真正身分犯について、身分の無い者も共犯としてこれに加功しうることを定め、2項は不真正身分犯、つまり以前見たとおり、身分が無くても犯罪自体は成立するけれど、身分があると刑が重くなったり軽くなったりする犯罪ですね、これについて、身分の無い者には通常の刑を科することを定めていました。この役割は前に立てたとおりなので、ここでは受けて使います。
条文刑法65条
刑法65条 1項「犯人の身分によって構成すべき犯罪行為に加功したときは、身分のない者であっても、共犯とする。」 2項「身分によって特に刑の軽重があるときは、身分のない者には通常の刑を科する。」
これを、教唆する側・幇助する側に身分があるかどうか、問題となる身分が真正身分か不真正身分か、この組み合わせに当てはめると、4つのパターンに分かれます。
図:(1) 非身分者が不真正身分者を唆す
(1)です。賭博をたまに打つだけの人が、常習的に賭博を行っている人を賭場に誘いました。誘った側には常習性という身分が無く、誘われた側にはあります。65条のどちらが効くんですか。2項です。身分の無い者には通常の刑を科する、とありました。誘った側は身分が無いので、通常の刑、つまり単純賭博罪の教唆犯として扱われます。誘われた側自身は、身分があるので常習賭博罪です。
図:(2) 不真正身分者が非身分者を唆す
(2)です。今度は逆に、常習的に賭博を行っている人が、賭博をしたことの無い人を初めて賭場に誘いました。ここも2項が効きます。ただし今度は、誘った側自身が身分を持っているので、誘った側には不真正身分犯、つまり常習賭博罪の教唆犯が成立します。誘われた側は身分が無いので、単純賭博罪です。2項は、身分の無い者には通常の刑、と言っているだけなので、身分がどちら側にあるかによって、誰が軽くて誰が重いかが入れ替わります。この結論自体は、判例・多数説として確立しています。この後、その据わりの悪さを一段深く見ますが、結論そのものは動きません。
図:(3) 非身分者が真正身分者を唆す
(3)です。たとえば、公務員の権限を持たない民間人が、審査の権限を持つ税関職員に、賄賂を受け取るよう持ちかけました。収賄罪は真正身分犯です。ここでは1項が効きます。身分の無い者であっても共犯とする、とあるので、持ちかけた民間人にも、身分が無いまま、収賄罪の教唆犯が成立します。
図:(4) 真正身分者が非身分者を唆す——不成立
最後に(4)です。審査の権限を持つ税関職員Xが、権限を持たない知人Yに、輸入業者からの謝礼を代わりに受け取ってXへ渡すよう頼みました。Yが金を受け取るという行為は、公務員でなければ成立しない収賄罪の構成要件に、そもそも当てはまりません。正犯にあたるはずのYの行為が、犯罪として成立していないんです。だとすると、Xは教唆犯になれないんですか。なれません。共犯が成立するには、正犯の行為が構成要件に当てはまり、かつ違法であることまで必要でした。制限従属性説ですね。Yの行為はそもそも収賄罪の構成要件に当たらないので、Xが従属する先が無いんです。
Xが何の罪にも問われないわけではありません。Yが事情を知ったうえで一緒に受け取りに協力していたなら、Xは、以前65条と共同正犯を見た回で扱った真正身分犯の共同正犯として処理されます。Yが何も知らない道具として利用されただけなら、以前見た間接正犯です。教唆犯・幇助犯という形では処罰できませんが、共同正犯か間接正犯という別の枠で、処罰の空白は生じません。
山場②——4パターン表
図:(4)だけが不成立になるのはなぜか
共犯従属性説は、共犯は正犯に寄りかかって成立する、という考え方でしたね。そのうち、正犯がどこまで犯罪の要件を満たしている必要があるかを要素従属性と呼び、通説の制限従属性説は、構成要件該当性と違法性まで要る、としていました。(4)で効いているのは、こちらの要素従属性のほうです。ここでもう一度聞きます。(1)から(4)のうち、(4)だけが不成立になるのはなぜだと思いますか。65条を読めば分かることでしょうか。考えてみます。65条自体は、身分の無い者に共犯が成立するとして、その扱いをどう決めるかの条文ですよね。でも(4)は、そもそも共犯が成立するかどうかの手前で止まっている。だから65条の問題じゃなくて、共犯従属性説の問題だと思います。65条は「共犯が成立するとして、どう扱うか」を決める条文であって、「そもそも共犯が成立するか」を決める条文ではありません。(4)だけが不成立になる理由は、65条ではなく従属性から出ています。
では、さっきの税関職員Xと知人Yで考えてみてください。Yが実は同じ審査部署の職員だったらどうなるでしょう。Yにも公務員という身分があれば、Yの受け取り自体が収賄罪になり、Xが従属する先ができるので、Xは普通に教唆犯になります。Yに身分があるかどうかだけで、成立と不成立が入れ替わります。(4)が不成立になるのは、Xの身分の話でも65条の話でもなく、相手側の行為が犯罪として成立しているかという手前の話だからです。
図:縦=身分の有無、横=真正/不真正——4パターン表
この表にまとめます。縦軸が、教唆・幇助する側に身分があるかどうか、横軸が、問題となる身分が真正身分か不真正身分かです。(1)から(3)までは、身分の組み合わせに応じて1項か2項がそのまま適用されます。(4)だけは、適用する条文そのものが無く、従属性の問題として処理されます。
深さの一押し——(2)への批判
図:(2)の処理、本当にそれでいいのか
最後に、(2)の処理には、以前から指摘されている据わりの悪さがあります。試験では判例・多数説の処理で足りますが、なぜ据わりが悪いのか、一度見ておくと2項の理解が深まります。65条2項の文言をもう一度見てください。「身分の無い者には通常の刑を科する」、これは非身分者側の扱いを定めた言葉です。ところが(2)では、この条文を使って、身分のある常習者自身の扱いを決めています。2項が書いているのは「身分の無い者には通常の刑」だけですよね。そこからどうして、常習者の側の刑が出てくるんですか。そこが一歩目です。2項は名宛人を「身分の無い者」と書くだけで、身分のある者をどう扱うかは何も書いていません。それでも(2)で常習者を常習賭博罪の教唆犯として重く扱うには、「通常の刑で済むのは非常習の側だ」という線引きを引いて、その残りとして常習者の扱いを決めるしかありません。つまり、暗に「非常習性」という状態そのものを、裏返しの身分として扱っていることになります。身分が、常習性という性質そのものではなく、重く罰したいかどうかで決まってしまいかねない、という指摘です。
反論するのが難しい指摘でもあります。かといって、常習者を非常習者と同じ通常の刑で済ませるのも、実態にそぐいません。試験では判例・多数説に従って処理してよいですが、この据わりの悪さを知っておくと、論文でも一段深い論証が書けます。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点——2本の軸
今日を振り返ります。不作為なのが「する側」か「される側」かで、名前が似た2つの場面を区別しました。する側が不作為なら、教唆は否定、幇助は肯定でしたね。される側が不作為、つまり正犯の犯罪自体が不作為犯なら、不作為犯を真正身分犯と捉えて、65条1項で教唆も幇助も肯定でした。もう1本の軸、65条の4パターンでは、(1)と(2)は2項、(3)は1項、そして(4)だけは適用する条文そのものが無く、従属性の問題として不成立になりました。冒頭の警備員は、なぜ鍵をかけなかっただけで幇助犯になるんでしたか?契約上、施錠する法的な作為義務を負っていたからです。義務がある人が、その義務を果たさないことで、実行を容易にすれば、構成要件的同価値性が認められて、不作為による幇助犯が成立します。義務が無い通行人なら、同じことをしても幇助犯にはなりません。
参照条文
- 刑法65条