刑法ゼロから刑法#90

共犯の錯誤②

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第9章 共犯 ㉗/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた

迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた 図:迷っていると思って声をかけたら、相手はもう決めていた

同僚のBは、会社の倉庫にある備品を持ち出すことを、前の晩、すでに一人で決めていました。そのことを知らないAは、Bがまだ迷っていると思い込み、「今夜なら警備が手薄だから、やってしまえ」と声をかけます。Aの主観は教唆のつもりですが、客観的に見ると、様子が違います。今日は、共犯の形そのものがズレる場面と、間接正犯とのあいだでズレる場面を、まとめて片づけます。

異なる共犯形式のあいだで起きるズレ

声をかけたAは、何罪か 図:声をかけたAは、何罪か

条文刑法61条1項(既出の再掲)

刑法61条1項(教唆) 「人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。」

条文刑法62条1項(既出の再掲)

刑法62条1項(幇助) 「正犯を幇助した者は、従犯とする。」

この先の話の前提になるので、共犯の形の重さを、まず条文から確認します。教唆犯は、61条1項により、正犯と同じ刑を科されます。これに対して幇助犯は、62条1項により従犯とされ、さらに次の条文が効きます。

条文刑法63条

刑法63条(従犯減軽) 「従犯の刑は、正犯の刑を減軽する。」

63条により、従犯の刑は正犯の刑より軽くなります。教唆犯は正犯と同じ重さ、幇助犯はそこから減軽される軽さ——幇助犯が一段軽いことは、条文そのものから出てきます。その上で、自ら実行に加わる共同正犯と、他人に決意させるだけの教唆犯とでは、関与の深さから前者が重いと評価されます。あわせて、共同正犯・教唆犯・幇助犯という重さの順に並びます。冒頭の場面に戻ります。Aは、Bを唆して決意させようとしましたが、Bはすでに決意していました。教唆とは、まだ犯意の無い相手に、犯意を生じさせる行為をいいます。Bにはすでに犯意があったのですから、客観的に見ると、Aの声かけは、すでに決意している者の実行を後押ししたにすぎません。

主観と客観が、教唆犯と幇助犯という異なる共犯形式のあいだでズレています。教唆犯と幇助犯は、61条と62条という別々の枠です。ここでズレているのは、殺人罪や窃盗罪といった犯罪の種類ではなく、共犯の形という、いわば修正された構成要件のほうです。同じ枠の中で揺れているだけの錯誤とは違い、枠そのものをまたいでいるので、抽象的事実の錯誤として扱い、単独犯のときと同じ法定的符合説の考え方に乗せます。共同正犯・教唆犯・幇助犯は、さきほど確認した順で重く、前回は、保護法益や行為態様の共通性を基礎に、実質的な重なり合いが認められる限度で成立を認めましたね。教唆も幇助も、他人の犯罪の実行に関わって、それを促すという点では共通します。違うのは、犯意を生じさせたのか、すでにある犯意の実行を後押ししただけなのか、という関与の深さだけです。共通する土台があるからこそ、浅い方の限度でなら、重なり合いを認めることができます。

論文で書く規範:【論文で書く規範】共犯形式が異なる主観と客観のあいだでズレた場合、共同正犯・教唆犯・幇助犯のうち軽い方の限度で重なり合いが認められ、その限度で犯罪が成立する。 (規範(通説で立てる))

教唆と幇助を比べると、幇助のほうが軽い共犯形式です。したがって、軽い方である幇助犯の限度で重なり合いが認められます。

結論——Aには幇助犯が成立する 図:結論——Aには幇助犯が成立する

結論として、Bには窃盗罪の単独正犯、Aには窃盗罪の幇助犯が成立します。逆に、Aが幇助のつもりで声をかけたのに、実はBがまだ決意していなかった、という場合も考えられますが、同じ理屈で、軽い方である幇助犯の限度にとどまります。共同正犯とのあいだでズレる場合も同じです。主観と客観、どちらが重くても、軽い方の限度で認める——この一言に尽きます。

間接正犯と教唆との錯誤

意思の無い道具のつもりだったが、相手は自分の意思で動いた 図:意思の無い道具のつもりだったが、相手は自分の意思で動いた

ここからが、今日いちばんの山場です。Aは、幼い子どものように振る舞うBを見て、意思疎通ができない者だと誤って思い込みました。Aは、Bを自分の手足のように使うだけの道具のつもりで、「あの家に火をつけてこい」と指示します。ところが実際のBは、指示の意味を十分に理解したうえで、自分の意思で放火を実行しました。間接正犯のつもりだったのに相手に意思があった——たしかに、教唆と幇助のズレとは種類が違います。以前、間接正犯を扱った回で見たとおり、間接正犯という形自体は、条文に直接書かれていません。他人を、意思の無い道具として利用し、自分の手を汚さずに結果を実現する場合を、正犯として扱う考え方です。これに対して教唆犯は、意思のある他人に働きかけ、その他人自身の意思によって実行させる場合でした。荷物の配達で考えてみましょう。中身を理解したうえで自分の意思で運んでもらったなら、それは「お願いして運んでもらった」。中身が分からないまま渡された物をただ運ばせたなら、それは「自分の手足として運ばせた」。頼む側が相手のタイプを見誤っても、起きたことは「他人に荷物を届けさせた」という1つの絵のままです。

「他人を利用する」点で、2つは重なる 図:「他人を利用する」点で、2つは重なる

どちらも、自分では直接手を下さず、他人を介して犯罪を実現する、という点では、同じ絵の中にいます。この「他人を利用する」という共通の性質のところで、間接正犯と教唆犯は法定的に重なり合っていると考えます。

論文で書く規範:【論文で書く規範】間接正犯と教唆犯は、他人を利用して犯罪を実現する点で法定的に符合しており、その重なり合う限度である教唆犯が成立する。 (規範(通説で立てる))

通説は、この重なり合いを根拠に、教唆犯の限度で成立を認めます。これに対して、少数説は、間接正犯として処理すべきだと主張しますが、実際にはBが自分の意思で行動している以上、Aが道具のように一方的に支配していたとは言えない、と批判されます。結論として、Aには放火罪の教唆犯が成立します。

逆に、教唆のつもりが、実は道具だった場合も同じ 図:逆に、教唆のつもりが、実は道具だった場合も同じ

この逆の場合も考えられます。Aは、Bが自分の意思で判断してくれると思い、放火を教唆するつもりで指示しました。ところが実際のBは、重い知的障害により、指示の意味を理解しないまま、言われるがまま実行していました。主観が教唆犯で客観が間接正犯という、さきほどとは逆向きのズレですが、使う道具はまったく同じです。他人を利用する点で符合しているので、重なり合う限度である教唆犯が成立します。主観と客観、どちらが間接正犯でどちらが教唆犯でも、結論は変わりません。

途中で、相手が気づいてしまったら

最初は道具のつもり、途中から自分の意思で動いた 図:最初は道具のつもり、途中から自分の意思で動いた

もう1つ、今日の山場を見ます。医師のAは、実は毒物であるものを治療薬と偽って、看護師のBに渡し、患者に注射するよう指示しました。Bは、注射の途中で、渡されたものが毒物だと気づきましたが、患者への日頃の恨みから、そのまま注射を続け、患者を死亡させてしまいます。Bが情を知る前は、Aの行為は間接正犯的な性質を持ちます。Bが情を知った後は、教唆犯的な性質を持ちます。1つの行為の中で、性質が入れ替わってしまう——では、Aの行為は、全体として、どちらと評価すべきでしょうか。

客観的にみれば、教唆行為があったと言えるか 図:客観的にみれば、教唆行為があったと言えるか

少数説である間接正犯説は、毒物を渡した誘致行為そのものが実行行為であり、途中で情を知ったことは、因果関係の中の軽微な錯誤にすぎない、と考えます。ですが、この立場には弱点があります。Bが情を知ってなお注射を続けたことは、Aの誘致行為から通常予想される経過とは言えません。相当因果関係の範囲を逸脱していると評価すると、間接正犯としての実行行為性が、途中で切れてしまいます。それでは、患者が実際に死亡した結果を、うまく説明できません。

論文で書く規範:【論文で書く規範】利用者と被利用者の行為を全体としてみれば、客観的に教唆行為があったと評価できる。 (規範(通説で立てる))

そこで通説は、Aの行為を、渡した瞬間だけで切り取らず、Bが情を知って以降も含めて、全体として通しで評価します。全体としてみれば、客観的に教唆行為があったと評価できる——この規範から、これは、さきほど見た、間接正犯のつもりが客観は教唆だった場面として処理します。Aの主観は間接正犯、行為を通しでみた客観は教唆犯だからです。結論として、Aには殺人罪の教唆犯が成立します。Bが最初から毒物だと見抜いていた場合は、そもそも「途中で気づいた」という時間差の問題ではなく、最初から、さきほどの、間接正犯のつもりが客観は教唆だった場面として処理すれば足ります。時間差があるかどうかだけが、2つを分ける違いです。

間接正犯と幇助犯との錯誤

同じ道具が、もう一度そのまま効く 図:同じ道具が、もう一度そのまま効く

最後に、間接正犯と幇助犯とのあいだのズレです。Aが間接正犯のつもりで動かしたら、客観的には幇助犯にあたる行為だった、という場合も考えられます。その逆も同じです。たとえば、さきほどの放火の場面で、Aが、意思の無い道具として使うつもりでライターを黙って置いてきただけで、Bは自分の意思で、その火種を使って火をつけた——Aの客観的な行為は、実行を容易にしただけの幇助です。他人を利用する点で重なり合うという物差しは、相手が教唆犯でも幇助犯でも変わりません。重なり合う限度である幇助犯が成立します。論証を新しく立てる必要はなく、さきほどの筋がもう一度そのまま効くだけです。

第9章の締め——ズレて見えたら、何から確認するか

「思っていたことと起きたことがズレている」——さて、何から確認する? 図:「思っていたことと起きたことがズレている」——さて、何から確認する?

ここまで、共犯のズレをいろいろ見てきました。ここで第9章の最後に、答案でこの手の場面に出会ったとき、何から確認すればいいのか、1つの手順にまとめます。前回の内容で、共謀の射程は、何を基準に判断しましたか?たしか、結果が、当初の共謀の範囲内といえるかどうか、という物差しでした。では、共犯関係の解消は、何を基準に判断しましたか。

3つの入口を、問う順番で並べる 図:3つの入口を、問う順番で並べる

共謀の射程は、結果が当初の共謀の範囲内といえるか。共犯関係の解消は、因果性が遮断されたか。この2つの物差しを使って、問う順番を作ります。まず①、結果は、当初の共謀の範囲内といえるか。範囲の外に、新たな決意や別の機会が挟まっていれば、共謀の射程の問題です。次に②、範囲内だったとして、共犯関係はその後も抜けずに維持されていたか。ここに疑わしい形跡があれば、共犯関係の解消の問題です。そして③、共謀の範囲内で、共犯関係も維持されていたとして、単に認識した犯罪事実と実現した犯罪事実が、形式や構成要件のレベルだけでズレている——ここまで来て初めて、共犯の錯誤の問題になります。

この順番には、理由があります。③の錯誤は、共犯関係が生きていて、結果も当初の共謀の範囲内にある——その前提のうえで、形だけがズレている場面です。前提のほうを先に確かめないと、そもそも共犯として問えない場面なのに、形のズレだけを論じてしまいます。では、実際に振り分けてみましょう。1つめ。共謀の射程を見た回の場面です。二人が窃盗だけを共謀していたのに、一方が現場で被害者に暴行を加えました。もう一方は、そのことを知りません。これは、3つのどれですか。範囲の外に新たな決意が入り込んでいるので、問い①で止まります。共謀の射程の問題ですね。2つめ。共犯関係の解消を見た回で使った場面です。凶器を仲間に渡した者が、実行の着手前に「抜ける」と伝え、仲間も了承しましたが、仲間はそのまま実行しました。

抜けた形跡があるので、共犯関係の解消の問題になります。3つめ。今日の冒頭のAです。Bはすでに決意していたのに、Aはまだ迷っていると誤信して声をかけました。範囲も抜けも問題なく、形だけがズレている——共犯の錯誤の問題です。共謀の射程・共犯関係の解消・共犯の錯誤——この3つは、どれか1つに排他的に切り分けるものではなく、この順番でチェックしていく手順そのものが答案の入口になります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点 図:今日の到達点

今日を振り返ります。異なる共犯形式のあいだでズレた場合は、軽い方の限度で重なり合いを認めます。間接正犯と教唆・幇助とのあいだでズレた場合は、他人を利用する点で符合し、やはり軽い方、あるいは重なり合う形式の限度で成立します。そして、似た見た目を持つ3つの論点に出会ったら、範囲内か、抜けたか、形式だけズレたかの順で確認していきます。Bはすでに窃盗を決意していました。Aの主観は教唆のつもりでしたが、客観的には、すでに決意している者の実行を後押ししたにすぎません。教唆と幇助のうち、軽い方である幇助犯の限度で重なり合い、Aには窃盗罪の幇助犯が成立します。

参照条文

  • 刑法61条1項(既出の再掲)
  • 刑法62条1項(既出の再掲)
  • 刑法63条

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