共犯の処罰根拠——惹起説(因果的共犯論)
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第9章 共犯 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
導入——貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか
図:貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか
刃物を「貸しただけ」の人がいます。刺したのは別の人で、貸した人は現場にもいません。それでも、その人は殺人の共犯として罰されます。今日は、なぜそれで罰せられるのか、という問いに正面から答えます。前回は、共犯の全体の地図を見ました。その中で、教唆犯と幇助犯は「自分では実行行為をしていない」という共通点を持つ、狭義の共犯だと確認しましたね。今日は、その先です。実行行為をしていない人間を罰する以上、そこには正当化の理屈が要ります。その理屈を、共犯の処罰根拠と呼びます。先に答えを言っておくと、鍵は「結果を引き起こした」という因果性です。そして、その違法性をどこから持ってくるかで、結論が変わります。
教唆犯・幇助犯は、何をしていないのか
図:教唆・幇助は、実行行為をしていない
条文刑法61条1項
刑法61条1項(教唆) 人を教唆して犯罪を実行させた者には、正犯の刑を科する。
条文刑法62条1項
刑法62条1項(幇助) 正犯を幇助した者は、従犯とする。
教唆は61条1項、幇助は62条1項です。実行行為そのものをしていない、という点が今日の出発点です。教唆は唆しただけ、幇助は容易にしただけ。実行行為は、あくまで正犯がやっています。それなのに、教唆には正犯と同じ刑まで科されます。共同正犯にも、もちろん処罰根拠の議論はありますが、それは共同正犯の要件を扱う回に送ります。今日の主役は、あくまで狭義の共犯、つまり教唆犯と幇助犯です。
責任共犯論——「堕落させた」という発想
図:責任共犯論——正犯を堕落させたから、罰する
処罰根拠として、まず出てくる考え方が責任共犯論です。正犯に犯意を生じさせて、いわば堕落させたこと、あるいは、すでに堕落した心情に同調したことに、共犯の責任の根拠を置く見解です。直感的には、分かりやすい発想ですよね。唆した側が悪い、というのは、素朴な感覚に合います。ここで、以前見た話を思い出してください。刑法は、法益の侵害を離れて、人の心の中だけを罰するでしょうか?罰しませんでしたよね。行為無価値論でも、結果を捨てるわけではない、と習いました。この講義が採る行為無価値論も、法益の侵害やその危険を違法性の中身に含めます。刑法は、法益の侵害を離れて、内心や人格そのものを罰するわけではありません。ところが責任共犯論は、「堕落させたか」という、正犯の内心の変化を根拠にしています。これでは、法益の侵害から離れてしまいます。
もう一つ理由があります。「堕落させたかどうか」は、あくまで正犯の主観の問題です。共犯自身の行為に、どんな違法性があるのかを、これでは説明できていません。誰の、何を罰しているのかが、ぼやけてしまうんです。だから、責任共犯論は通説にはなりません。
因果的共犯論(惹起説)への転換——「引き起こした」から罰する
図:内心を見るか、結果への因果性を見るか
そこで、発想を切り替えます。共犯も、正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられるんだ、という考え方です。これを、因果的共犯論、または惹起説と呼びます。これが通説です。教唆も幇助も、正犯の実行行為を介して、最終的には法益侵害という結果に因果的につながっています。その因果のつながりこそが、共犯を罰する根拠だ、というわけです。刃物を貸した人は、自分では刺していません。でも、その刃物が実際に使われて人が死んだのなら、貸すという行為から結果まで、因果のつながりがあります。惹起説は、そのつながりに罰する理由を見出します。
物理的因果性と心理的因果性
図:AがBに解錠道具を渡す——2つの因果性
惹起説の中身をもう少し掘ります。「因果性」と一口に言っても、その中身は2種類あります。物理的因果性と、心理的因果性です。惹起説は、共犯の行為が結果に対して現実に因果性を持ったことを求めます。物理的な経路だけしか因果性として数えないと、実際には結果に影響を与えているのに、その因果性を見落としてしまう場合が出てくるからです。心理的な後押しも因果性の一種として認めることで、その見落としを防いでいます。たとえばこうです。Aが、特殊な解錠道具をBに渡します。Bが実際にその道具を使って、他人の家に侵入して盗みを働いたとします。この場合、Aの提供が、Bの実行行為に物理的に寄与しています。これが物理的因果性です。
Aが道具を渡すと申し出たけれど、Bは結局、その道具を使わずに、別の方法で侵入したとします。物理的な経路には乗っていません。それでも、「いざとなれば、あの道具に頼れる」という安心感が、Bの決意を後押ししていたとしたら、どうでしょうか。実行経路には乗らなくても、心理面での後押しという形で、結果に対する寄与が残ります。結果につながる経路が、物理的な経路である必要はありません。心理面での後押しが結果に働いているなら、それも因果性として数えます。これが心理的因果性です。物理的因果性は幇助、心理的因果性は教唆と機械的に1対1で対応させないでください。因果性の中身の話であって、教唆・幇助という行為の型を決める話ではありません。教唆にも幇助にも、どちらの因果性が働く場面もありえます。
惹起説の3つの立場——違法性を、どこから借りてくるか
図:違法性の出どころを比較する——共犯側スイッチと正犯側スイッチ
ただし、「結果を引き起こしたから罰する」という発想は、一枚岩ではありません。共犯の違法性を、どこから持ってくるのかで、3つの立場に分かれます。これは、違法性の回で見た「違法性の中身は何か」とは別の軸で、「誰の行為の違法性を根拠にするか」という話です。ここが、今日いちばん大事な軸です。違法性の出どころに、2つのスイッチがあると考えてください。1つは共犯側スイッチ、共犯行為それ自体に独自の違法性を認めるかどうか。もう1つは正犯側スイッチ、正犯行為の違法性を、共犯の違法性の根拠として借りてくるかどうか。この2つのスイッチの、どちらを入れるかで、立場が分かれます。たとえば、こんな設例で考えてみましょう。Aが、窃盗をする気の無かったBに「あの家は今、留守だ」と唆し、Bが実際にその家に侵入して窃盗を実行したとします。この設例を、3つの立場それぞれに当てはめてみます。
⭐ 論文で書く規範:純粋惹起説 共犯の違法性は、共犯行為それ自体の違法性にもとづく。 (惹起説の一類型・共犯側スイッチのみ)
1つ目、純粋惹起説です。共犯の違法性は、共犯行為それ自体の違法性にもとづく、と考えます。共犯側スイッチだけを入れる立場です。さっきの設例なら、Aが唆した行為自体に独自の違法性があると見て、Bの実行行為とは切り離してAを処罰できると考えます。正犯側のスイッチは使いません。共犯行為そのものに、もう違法性が備わっていると考えるので、正犯行為がどうであるかは、共犯の違法性を左右しません。
⭐ 論文で書く規範:修正惹起説 共犯の違法性は、正犯行為の違法性にもとづく。 (惹起説の一類型・正犯側スイッチのみ)
2つ目、修正惹起説です。共犯の違法性は、正犯行為の違法性にもとづく、と考えます。正犯側スイッチだけを入れる立場です。共犯行為それ自体には、独自の違法性を認めません。さっきの設例なら、Bの窃盗という実行行為に違法性があるので、その違法性をそのままAに借りてきて処罰する、と考えます。共犯の違法性を、正犯からまるごと借りてくる、というイメージです。
⭐ 論文で書く規範:混合惹起説(通説) 共犯を処罰するには、自分の関与そのものの違法性と、正犯が実行した行為の違法性が、ともに必要になる。 (惹起説の一類型・通説・両方のスイッチ)
3つ目、混合惹起説です。これが通説です。共犯を処罰するには、自分の関与そのものに違法性があることと、正犯が実行した行為に違法性があることの、どちらも欠かせない、と考えます。2つのスイッチを、両方とも入れる立場です。なぜこれが通説なのかは、このあと2つの場面で確かめます。さっきの設例なら、Aが唆した行為自体の違法性と、Bの窃盗という実行行為の違法性、その両方があってはじめてAを処罰できる、と考えます。この軸さえ持てば、あとの場合分けは、暗記ではなく、その場で導けるようになります。
山場——正犯なき共犯・共犯なき正犯で3説を試す
図:2つの問題設定——スイッチのどちらかが欠ける場面
ここからが、今日の山場です。3つの立場が、本当に違いを生むのかを、2つの場面で試します。1つ目は正犯なき共犯、正犯行為に違法性がない場面。2つ目は共犯なき正犯、共犯行為自体に独自の違法性がない場面です。片方ずつスイッチを欠けさせて確かめます。まず1つ目の設例です。Aが、Bに対して、自分で自分を傷つける行為、つまり、自傷行為を唆したとします。
図:設例①——Aが、Bに自傷行為を唆す
Bが自分で自分を傷つける行為そのものは、他人の法益を侵害するものではないので、違法性がありません。つまり、正犯行為に違法性がない場面です。これが正犯なき共犯です。Aが唆したこと自体の違法性をどう扱うかが、まさに3説の分かれ目です。ここで、あなたに聞きます。純粋惹起説は、共犯側スイッチだけを見る立場でしたね。この場面で、純粋惹起説はAを処罰できると考えるでしょうか、できないと考えるでしょうか?純粋惹起説は、共犯側スイッチだけで決まるので、正犯行為に違法性が無くても関係ありません。Aの共犯行為自体に違法性がある以上、結論は肯定です。
修正惹起説は、正犯側スイッチだけを見る立場でした。この場面では、正犯行為、つまりBの自傷行為に違法性がありません。正犯側スイッチが入らないので、結論は否定です。混合惹起説は、両方のスイッチが要る立場です。正犯側スイッチが欠けている以上、共犯側スイッチがどれだけ入っていても、結論は否定です。
図:設例②——被害者A自身が、Bに傷害を頼む
2つ目の設例です。被害者本人であるAが、Bに対して「自分に重い傷害を加えてほしい」と頼み、Bがその頼みどおりに実行したとします。Bの実行行為には、重い傷害という結果が伴い、違法性があります。重い傷害については、本人の頼みがあっても違法性は失われないと考えるのが一般的です。承諾があれば必ず許されるのではなく、傷つける部位や程度、やり方まで見て判断する、と承諾の回で見ましたね。一方、Aは、自分自身の法益を差し出す形で関与しているにすぎません。Aの行為自体に、独自の違法性はあるでしょうか。自分の体のことだから、Aが独自に何か悪いことをしたようには見えませんね。Aの行為自体には、独自の違法性がないと評価される場面です。これが共犯なき正犯です。もう一度、3つの立場に当てはめてみましょう。純粋惹起説は、共犯行為自体の違法性で決まりましたね。Aの行為自体に、独自の違法性が無いとすると、結論はどうなりますか?
純粋惹起説は、共犯側スイッチが入らない以上、結論は否定です。では、修正惹起説はどうでしょうか。修正惹起説は、正犯側だけを見る立場でした。Bの実行行為には違法性があるので、正犯側スイッチは入ります。修正惹起説は、正犯行為の違法性をそのまま借りてくるので、Bに違法性がある以上、Aも処罰できるという結論になります。では、混合惹起説は。両方のスイッチが必要な説なので、共犯側スイッチが欠けている以上、こちらの場面でも否定という結論になります。
図:3説を比較する——6マスの結論表
整理すると、こうなります。正犯なき共犯では、純粋惹起説が肯定、修正惹起説が否定、混合惹起説が否定。共犯なき正犯では、純粋惹起説が否定、修正惹起説が肯定、混合惹起説が否定です。混合惹起説だけが、両方とも否定になります。混合惹起説は、共犯側スイッチと正犯側スイッチの、両方が入っていないと処罰を認めません。つまり、どちらか一方が欠ける場面では、必ず否定側に転びます。両側から絞る説だということが、この2つの場面ではっきり見えます。6マスを、そのまま読み替えてみてください。純粋惹起説だと、自分を傷つけること自体は罰しないのに、唆した人だけは罰することになります。正犯の側が違法でないのに、共犯だけが違法、という食い違いです。修正惹起説だと、自分の行為には悪さが無い人まで、正犯の違法性だけを理由に罰することになります。どちらも、片側に行き過ぎています。両方のスイッチを要求して、その行き過ぎを両側から止める。だから、混合惹起説が通説なんです。共犯を罰する根拠は結果を引き起こした因果性にあり、その違法性をどこから持ってくるかで、結論が変わる。今日の答えは、ここに集まります。
6マスの結論そのものを、答案に正面から書く機会は、それほど多くありません。ただ、この6マスは、それぞれの説の中身を本当に理解できているかを試す、いい試験紙になります。軸さえ持っていれば、暗記しなくても、その場で導けるはずです。
見通し——因果性は、この先の共犯論の土台になる
図:因果性は、この先の共犯論の土台になる
今日見た「因果性」という発想は、この先の共犯論全体の土台になります。たとえば、共犯関係をいったん結んだあと、それを解消できるかという問題は、因果性を途中で切れるかという形で問われます。幇助が結果に対してどこまで因果性を持つか、共謀の内容が実行行為のどこまで及ぶか、といった論点も、同じ因果性の発想の応用です。今日の話に加えて、もう一つだけ触れておきます。混合惹起説は、正犯行為の違法性が要ると言いました。この考え方は、共犯が成立するために、正犯側にどこまでの成立が必要かという、次の問いにそのままつながります。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点
今日を振り返ります。責任共犯論は、正犯の内心に着目する見解でしたが、法益の侵害から離れてしまうため、通説にはなりませんでした。通説は因果的共犯論、つまり惹起説で、共犯も正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こしたから罰せられる、という発想でした。その惹起説も、違法性の出どころで、純粋・修正・混合の3つに分かれ、両方のスイッチを要求する混合惹起説が通説でした。正犯なき共犯・共犯なき正犯では、混合惹起説だけが両方とも否定でした。軸さえ持っていれば、その結論はその場で導けます。ここで、もう一度聞きます。混合惹起説が、正犯なき共犯でも共犯なき正犯でも否定という結論になるのは、なぜでしょうか?
両方のスイッチが必要な説なので、どちらの場面でも、片方のスイッチが欠けてしまうからです。冒頭の問いに戻ります。刃物を貸しただけの人が、なぜ罰せられるのか。答えは、正犯と一緒に、法益侵害という結果を引き起こした、その因果性にあります。ただし、その因果性を、共犯側から見るか、正犯側から見るか、両方から見るかで、学説の立場が分かれるんです。
参照条文
- 刑法61条1項
- 刑法62条1項