刑事訴訟法ゼロから刑事訴訟法#11

容ぼうの撮影——「私的領域」で引かれる線

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第2章 捜査 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

撮る捜査の法的性質——検証・実況見分と同じ

写真・ビデオ撮影を検証・実況見分と同じ性質として位置づけ、承諾の有無で分かれる3つの方法を示す一覧板

まず、そもそも、写真やビデオで撮る捜査は、「新しい種類の捜査」なんでしょうか。実は、そうではありません。人が、目や耳で感じ取ったことを、記録に残す行為——これを、法律は、検証、または実況見分と呼びます。写真・ビデオ撮影も、検証・実況見分と、同じ性質の行為です。撮影と、この2つとで、違うのは、記録の残し方だけです。調書に文字で書き残すか、写真やビデオで残すか——その違いだけです。令状が要るか、要らないかで、分かれます。ここで、これまで見てきた枠が、そのまま使えます。強制処分にあたるなら、検証として、検証許可状が要ります。任意処分なら、実況見分として、令状は要りません。

実務では、通常、3つの方法のどれかが使われます。1つ目、相手の同意・承諾を得るか、そもそも同意が要らない、公道のような公共の場所で、任意捜査として撮影する。2つ目、同意が得られなければ、検証、または、捜索・差押えとして、令状を得てから撮影する。3つ目、すでに存在している画像を、押収する。相手の意思に反しない形で取るなら領置、反しても取るなら差押え——この章の最初の回で、分けた2つです。問題になるのは、この3つの、どれにも当てはまらない場合です。同意もない、令状もない——それでも、撮影してしまう場合です。

ここで、条文を見てみましょう。

条文刑訴法218条1項・4項

刑事訴訟法第218条1項・4項——検証の原則と、無令状撮影の唯一の例外 1項 検察官、検察事務官又は司法警察職員は、犯罪の捜査をするについて必要があるときは、裁判官の発する令状により、差押え、捜索、電磁的記録提供命令又は検証をすることができる。この場合において、身体の検査は、身体検査令状によらなければならない。4項 身体の拘束を受けている被疑者の指紋若しくは足型を採取し、身長若しくは体重を測定し、又は写真を撮影するには、被疑者を裸にしない限り、第一項の令状によることを要しない。

そして4項が、唯一の例外です。ただし、条件が付いています。身体の拘束を受けている被疑者——つまり、すでに逮捕された人だけが、対象です。無令状で撮影できると、正面から認めた条文は、これだけです。それ以外の撮影は、条文の外にあります。そこが、まさに、今日の入口です。前回、197条1項のただし書きで見た、強制処分法定主義——法律に定めがない強制処分は、できません。だから、無令状の撮影は、任意処分でなければならない、ということになります。

京都府学連事件——「決めていない」宙ぶらりん

撮影が強制処分か任意処分か、まだ答えが出ていないという問いの形だけを示す板 図:撮影が強制処分か任意処分か、まだ答えが出ていないという問いの形だけを示す板

最初に手がかりを置いたのは、1つの条文でした。

条文憲法13条

憲法第13条 すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。

この問いに、初めて答えたのが、この条文を根拠にした、ある有名な判例です。学生のデモ行進を、警察官が撮影した事件です。京都府学連事件と呼ばれています。この条文を根拠に、最高裁は、ある自由を認めました。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和四四年一二月二四日(刑集二三巻一二号一六二五頁)

京都府学連事件——認めたもの 個人の私生活上の自由の一つとして、何人も、その承諾なしに、みだりにその容ぼう・姿態(以下「容ぼう等」という。)を撮影されない自由を有するものというべきである。 これを肖像権と称するかどうかは別として、少なくとも、警察官が、正当な理由もないのに、個人の容ぼう等を撮影することは、憲法一三条の趣旨に反し、許されないものといわなければならない。

かみ砕くと、「正当な理由もなく、勝手に顔や姿を撮られない権利」です。誰にでも、これがある、と、最高裁は認めました。ここからが、今日の核心です。最高裁は、この自由を認めただけです。この撮影が、強制処分にあたるのか、任意処分にあたるのか——そこは、一言も、言っていません。強制か任意かという、いちばん知りたいところが、この判例には、書かれていません。

京都府学連事件が「認めた」自由と、「決めていない」強制・任意の区別を、左右に並べる図

認めたのは、「みだりに撮影されない自由がある」ということだけです。決めていないのは、「その自由を害したら、強制処分になるのか」です。決めなかったのには、理由があります。この判決が置いたのは、出発点です。「そういう自由がある」——まず、そこを立てました。入口を決める材料も、その先で使う基準の形も、このあとの裁判例が、何十年もかけて、動かしていきます。この宙ぶらりんを、この先、埋めていきます。

線は「場所」で引かれる——予想の答え合わせ

駅前の広い通り・誰でも入れる店の中・自宅の窓の内側の3つの場面を再掲し、結論は伏せたまま答え合わせを予告する板

駅前の通り、誰でも入れる店の中、自宅の窓の内側——この3つの場面、覚えていますか。

判例最高裁判所第二小法廷決定・平成20年4月15日(刑集62巻5号1398頁・百選8)

最高裁の決定——「受忍せざるを得ない場所」 いずれも、通常、人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所におけるものである。

宙ぶらりんを埋めるヒントは、この自由の中身にあります。この自由は、プライバシー、あるいは、人格権の1つと理解できます。「重要な権利・利益」にあたるかどうかを、さらに、確かめる必要があります。ここで、別の決定を見てみましょう。強盗殺人事件の捜査で、防犯ビデオに写っていた人物と、被告人が同じ人物かどうかを確かめるため、捜査機関が、被告人を撮影した事件です。今、見てもらった一節が、その判断の手がかりです。撮影されていたのは、公道と、誰でも入れるパチンコ店の中です。こういう場所は、他人から見られること自体、通常、我慢するしかない場所だ、と言っています。

この一節は、こう読めます。公道や、誰でも入れる店の中は、私的領域ではない。だから、私的領域に侵入されない権利——これを実質的に侵害・制約してはいない、と読めます。

公道・誰でも入れる店の中は任意処分、自宅の窓の内側は強制処分——場所で結論が反転する帰結図

だから、任意処分にあたる、ということです。③の自宅の窓の内側は、そうはいきません。誰にも見られない前提で過ごす場所——プライバシーの正当な期待が立つ場所です。私的領域の、いちばん分かりやすい例です。自宅の中にいる人を、外から気づかれないように、密かに撮影するなら、結論は逆になります。そこで侵されるのは、私的領域に侵入されない権利。重要な権利を、実質的に侵害し、制約したことになります。強制処分にあたります。「場所」1つで、駅前の通りと店の中の結論に対して、自宅の窓の内側だけ、結論が反転します。これが、今日、最初に渡す線です。

重大事件の捜査だったとしても、結論は変わりません。ここは、しっかり確認しておきたいところです。この判断は、類型的に行われます。事案ごとの、捜査の必要性の大小は、関係ありません。「重大な事件だから、自宅の中でも撮っていい」——それは、通りません。その考慮は、入口では、しません。前回、同じ形のミスを、1度、確認しましたよね。同じ理由です。類型的な判断に、個別の必要性を混ぜると、判断がぶれてしまいます。場所が選ばれたのは、いま出た「類型的」という言葉のせいです。類型的に判断するなら、捜査機関の見立てや、事件の重さで答えが動かない材料が、要ります。

その人が今どこにいるかは、外から見て、誰にでも同じように分かります。測る人が変わっても、動きません。だから、入口の材料に、「場所」が選ばれます。

「令状を取ればいいのでは」——制度の穴

検証許可状を取ってから撮影する、という素直な発想を示す図(令状→撮影の流れだけ・まだ「穴」は書かない) 図:検証許可状を取ってから撮影する、という素直な発想を示す図

では、実際に、この入口を突破する道具が、ないか、考えてみましょう。

条文刑訴法110条

刑事訴訟法第110条 差押状又は捜索状は、処分を受ける者にこれを示さなければならない。

検証許可状を取る——それは、自然な発想です。写真撮影は、検証の性質を持ちますから、令状の種類としては、合っています。ところが、これには、大きな壁があります。令状には、執行のルールがあります。今、見てもらった110条です。この110条は、本来、差押状・捜索状のルールですが、222条1項が、これを、検証にも持ち込みます。だから、検証許可状も、執行のときに、相手に見せなければなりません。密かに撮る、その瞬間に、令状を見せなければなりません。密かに撮る、という行為の意味そのものが、消えてしまいます。相手に気づかれた瞬間、もう、それまでと同じようには撮れません。

検証許可状という道具は、あるのに、この捜査には、使えません。ここに、この論点の切実さがあります。もう1つ、別の角度から、考えてみましょう。公道で、Xを、1分だけ撮影する場合と、同じ公道で、Xを、何か月も撮り続ける場合。期間が長くなれば、Xの行動パターンが、丸ごと分かってしまいます。これも、私的領域に踏み込んだのと、同じじゃないですか。でも、情報が積み重なれば、話は違うのでは、と思いませんか。

入口の箱と、その先の箱を左右に分け、撮影時間の長短がどちらに入るかを問いかける図 図:入口の箱と、その先の箱を左右に分け、撮影時間の長短がどちらに入るかを問いかける図

何か月も撮り続けたら、もう私的領域に入り込んだのでは——そう感じるのは自然です。でも、これは、預けておいてください。答えは、この先で出します。今、覚えておいてほしいのは、「場所」と「時間」は、別の箱で効くかもしれない、ということだけです。「入口」の話は、場所で終わっています。時間が効くとしたら、別の段階のはずです。この先を見ながら、考えてみてください。

入口を抜けた先——任意処分としての適法性

入口(該当性の判断)を抜けた先に、もう1段(適法性の判断)が控えている、という二段構えを示す図 図:入口を抜けた先に、もう1段(適法性の判断)が控えている、という二段構えを示す図

さて、ここまでの話を、もう一歩、進めてみましょう。

判例最高裁判所第二小法廷決定・平成20年4月15日(刑集62巻5号1398頁・百選8)

同じ決定の続き——任意処分としての適法性 捜査機関において被告人が犯人である疑いを持つ合理的な理由が存在していたものと認められ、かつ、前記各ビデオ撮影は、強盗殺人等事件の捜査に関し、防犯ビデオに写っていた人物の容ぼう、体型等と被告人の容ぼう、体型等との同一性の有無という犯人の特定のための重要な判断に必要な証拠資料を入手するため、これに必要な限度において、公道上を歩いている被告人の容ぼう等を撮影し、あるいは不特定多数の客が集まるパチンコ店内において被告人の容ぼう等を撮影したものであり、いずれも、通常、人が他人から容ぼう等を観察されること自体は受忍せざるを得ない場所におけるものである。 以上からすれば、これらのビデオ撮影は、捜査目的を達成するため、必要な範囲において、かつ、相当な方法によって行われたものといえ、捜査活動として適法なものというべきである。

3か所だけ、見てください。「合理的な理由」「必要な限度」「相当な方法」。この3つです。まず、確認したいのは、ここまでは、「入口」の話だった、ということです。私的領域かどうかで、強制か任意かが決まる——ここまで、でした。任意処分だと分かっても、それで終わりではありません。その先に、「では、その任意処分は、適法か」という、もう1段の検討が、待っています。今、見てもらったのが、その続きの部分です。

論文で書く規範:撮影が任意処分として適法であるための3要件 ①撮影する合理的な理由の存在/②目的を達するため必要な限度であること/③撮影方法の相当性 (規範(最決平20・4・15))

任意処分だからといって、無制限に撮っていいわけではありません。この3つが、そろって、はじめて適法です。ただ、この3つの形に、最初から、なっていたわけではありません。ここからが、今日、いちばん深いところです。

基準が、現実に追いつかない——3つの場面で予想する

犯行後に撮る場面A・犯行前から回しておく場面B・まだ犯人と決まっていない人を撮る場面Cを並べたボード

3つの場面を、用意しました。今の基準ができる前、つまり、昔の考え方で、それぞれ、適法だったかどうか、考えてみてください。場面A、犯行の後、逃げていく犯人を、撮影する。場面B、まだ何も起きていないけれど、犯行が起きそうな現場に、あらかじめカメラを回しておく。防犯カメラのような形です。場面C、まだ、この人が犯人だと決まっていない段階で、その人を撮影する。昔の基準では、A・B・Cのうち、どこまでが、適法だったと思いますか。実際、昔の基準は、Aのような場面を想定して、作られていました。では、実際の裁判例を、見ていきましょう。

要件はどう緩んだか——①の欄だけが書き換わる

京都府学連・最判昭61 → 山谷ビデオカメラ事件(東京高判昭63)→ 屋外駐車場の事件(東京地判平17)→ 最決平20 と4段に並べ、①の欄だけが書き換わっていくことを示す表

最初の段階、京都府学連事件と、もう1つ、自動速度監視装置による写真撮影を認めた判例が、示した基準は、3つの要件でした。①現に犯罪が行われている、または、行われた後まもない——現行犯性。②証拠保全の必要性・緊急性。③撮影方法の相当性。ところが、次に出てきたのが、防犯ビデオを使った事件です。犯行が起きる前から、あらかじめカメラを回しておく、場面Bにあたります。だから、この裁判例は、①を書き換えました。「現行犯性」ではなく、「その場所で、犯罪が発生する、相当高度の蓋然性」——高い確率で起きそうだ、で足りる、としました。

②は、「あらかじめ証拠保全の手段をとっておく必要性・緊急性」——「あらかじめ」が付け加わりました。③は、変わりません。撮影方法の相当性は、そのままです。次に出てきたのが、ある地方裁判所の判決です。屋外駐車場で、火をつける事件が、繰り返し起きていた場面です。近くにいる、疑わしい人の家の前を、あらかじめ、ビデオで撮影していました。この判決は、①を、さらに書き換えます。「相当高度の蓋然性」ではなく、「罪を犯したと考えられる、合理的な理由」——これで足りる、としました。この結果、大事な帰結が出てきます。撮影される人が、実は犯人ではなかった場合でも、撮影の時点で、合理的な理由さえあれば、適法になりうる、ということです。

そして、最後に、さっきの最高裁の決定です。①は、「合理的な理由」のまま。でも、②から、ある言葉が、消えます。「緊急性」です。それまで、②には、必ず「緊急性」という言葉が、付いていました。この決定は、それに触れていません。緊急性は、必要性が特に高いことを、示す一例にすぎない——不可欠の要件ではない、と考えられたからです。整理すると、①の欄が、「現行犯性」→「相当高度の蓋然性」→「合理的な理由」と、緩んできました。②の「緊急性」は、最終的に、なくても構わない扱いになりました。③の、撮影方法の相当性だけは、最初から最後まで、一度も、変わっていません。

防犯カメラのように、犯行の前から回しておく撮影を、適法にする必要が、実務に出てきたからです。基準が、現実に、追いついていく形で、動いてきました。この歴史を見せたのには、理由があります。覚えてほしいのは、この4段全部ではありません。覚えるのは、最後に見た、この決定の3要件、1つだけで十分です。3つの要件がたどってきた歴史は、なぜ、その1つの形に、たどり着いたかを、理解するためのものです。今、いちばん汎用性が高いのは、この最後の形です。答案では、この形を使ってください。

学説——比例原則の天秤

左の皿に容ぼう等を撮影されない自由の侵害・制約の程度、右の皿に捜査の必要性を乗せた天秤の図

ここまでの3要件は、最高裁自身が、「任意捜査だ」と、はっきり言っているわけではありません。ただ、学説は、一般に、これを任意捜査と理解して、その適法性を、比例原則で判断すべきだ、としています。天秤を、思い浮かべてください。左の皿には、「みだりに容ぼう・姿態を撮影されない自由への、侵害・制約の程度」を乗せます。ここに乗る要素は、1つだけです。①具体的な撮影方法。右の皿には、「捜査の必要性」を乗せます。こちらは、3つです。①犯罪の重大性。②嫌疑の程度——その人がやったと疑うだけの根拠が、どれくらいあるか。③証拠としての重要性——ほかの方法で、代わりが利かないかどうかです。

でも、左の皿が1つで、右の皿が3つなのは、誤植ではありません。撮影方法という、手段の相当性を、1点で測る。必要性の側は、3点で、総合的に見る。この非対称さ自体が、比例原則の構造です。権利・利益の侵害・制約の程度と、捜査の必要性を、天秤に乗せて、釣り合いを見る。この釣り合いそのものを、相当性と呼びます。これが、比例原則です。

2つの「相当性」を混同しない

撮影方法の「相当性」と比例原則の「相当性」を、何を比べているかで対比する表 図:撮影方法の「相当性」と比例原則の「相当性」を、何を比べているかで対比する表

ここで、注意してほしいことが、1つあります。「相当性」という言葉が、今日、2つの意味で出てきたのに、気づきましたか。1つは、平成20年の③、撮影方法の相当性。もう1つは、今の、比例原則の「相当性」です。そこが、危ないところです。この2つは、中身が違います。撮影方法の相当性は、「撮影の必要性という目的」と、「撮影方法という手段」——この2つの権衡です。平成20年の3要件のうち、③にあたる、1つの要素です。釣り合いです。目的の大きさに対して、手段が強すぎないか——それを、権衡と言います。こちらは、「権利・利益の侵害・制約の程度」と、「捜査の必要性」全体の権衡です。天秤そのものの、呼び名です。

撮影方法の相当性が崩れれば、それは、天秤の左の皿を、重くする形で、反映されます。包み込む関係であって、並び立つ、別々の言葉では、ありません。参照している基本書も、この2つを混同しないよう、名指しで注意しています。試験で、実際に効く弁別です。相当性を欠く、と判断されやすい例も、確認しておきましょう。必要性がないのに、漫然と撮影を続ける。情報が積み重なって、生活状況が分かってしまうほど、長期間、撮影する。事件と無関係な、通行人や車まで、撮影する。長期間、特定の人を、ズームアップして、監視・追跡する場合も、同じです。これらは、いずれも、撮影方法の相当性を、欠くと判断されやすい典型です。

写真とビデオ、そして時間の長さの答え合わせ

該当性の判断では写真とビデオを区別しないが、比例原則の個別判断ではビデオが侵害の程度を大きくすることを示す図

もう1つ、確認しておきたいことがあります。写真と、ビデオの違いです。「入口」——強制処分かどうかの、類型的な判断では、区別する必要は、あまりありません。私的領域かどうかで、決まるからです。比例原則で、個別具体的に、適法性を検討するときです。ビデオは、連続した映像に加えて、音声まで記録されます。写真より、プライバシー・人格権への、侵害の程度が、大きくなります。写真で足りるなら、写真を使うべきです。承諾もなく、無令状で、ビデオ撮影をするなら、それを正当化できるだけの、捜査の必要性が、求められます。ここで、答え合わせをしましょう。「同じ公道で、1分撮る場合と、何か月も撮り続ける場合」——覚えていますか。

何か月も撮り続ければ私的領域に入り込んだのと同じでは——その気持ちは、分かります。でも、答えは、違います。入口——該当性は、場所で決まります。何か月続けても、公道は、公道のままです。私的領域には、なりません。時間の長さは、効きます。ただし、効く場所が、違います。撮影時間の長さは、適法性——今、見てきた、相当性の判断で、効きます。情報が積み重なって、生活状況が把握できるほど長期にわたる撮影は、さっき見た、相当性を欠く典型例そのものでした。この弁別ができれば、今日の骨組みは、もう、身についています。

あてはめ——同じ形の事案を、比例原則で解く

天秤の左右に、撮影方法の相当性と、犯罪の重大性・嫌疑の程度・証拠の重要性を書き込んだあてはめ図

最後に、これまでの道具を使って、実際に、あてはめてみましょう。事案は、さっきの最高裁の決定と、同じ形です。強盗殺人事件の捜査で、公道と、パチンコ店内で、被告人をビデオ撮影しました。まず、左の皿です。撮影方法は、執拗なものではなく、明らかに必要性が認められない、とまでは言えません。だから、侵害・制約の程度は、大きくありません。次に、右の皿です。①強盗殺人という、重大な事件です。②被告人には、相応の嫌疑がありました。③同一性の確認に必要な証拠は、ビデオ撮影でなければ、得られません——不可欠です。連続した映像でなければ、精密な対照が、できないからです。

撮影の必要性——ビデオ撮影である必要性も、認められます。左は軽く、右は重い。天秤は、右に傾きます。だから、この撮影は、適法です。今日、渡した2段階——「入口」と「その先」、両方を、実際に、通してみました。これが、この論点の、答案の骨格です。

今日の地図(保存版)

今日渡した5つ——法的性質・京都府学連の宙ぶらりん・場所の線引き・任意処分の3要件と変遷・比例原則と2つの相当性——を1枚にまとめた図

今日、渡したものを、振り返りましょう。1つ目、撮影は、新しい捜査ではなく、検証・実況見分と同じ性質でした。無令状で撮れると認めた条文は、218条4項——身柄拘束中の被疑者だけ、という、狭い例外だけでした。2つ目、京都府学連事件は、「自由」は認めましたが、強制か任意かは、決めていませんでした。3つ目、その宙ぶらりんを埋めたのが、「場所」でした。公道や、誰でも入れる店の中は任意処分。自宅のような私的領域は、強制処分。この判断は、類型的で、必要性は関係ありませんでした。4つ目、その先の適法性です。合理的な理由・必要な限度・相当な方法、この3要件です。この形にたどり着くまでに、①の欄が、現行犯性から、合理的な理由まで、緩んできた歴史がありました。

5つ目、学説が示す比例原則の天秤と、2つの「相当性」の違い。ここまでが、今日、渡した骨組みです。「録る」捜査とは、相手が知らないうちに、会話を録音する捜査です。それと、もう1つ。今日、私的領域という言葉を、何度も使いました。実は、この言葉は、まだ、全部を使い切っていません。私的領域に侵入されない権利には、GPSを使った捜査のように、気づかれないまま、私生活を継続的に把握する捜査も、関わってきます。その中身は、「録る」捜査を挟んだ、次の次の回で、判例の言葉まで、確定させます。今日は、「場所」で線を引く感覚だけ、持ち帰ってください。

参照条文

  • 刑訴法218条1項・4項
  • 憲法13条
  • 刑訴法110条

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