おとり捜査
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骨格対象者の権利を侵さない捜査が、なぜ違法になりうるのか
- 1 当たるか:決め手は、捜査側から相手への働き掛けの有無だけ(強弱は見ない)。無ければおとり捜査ではない(なりすまし捜査のように、判例の物差しを借りて慎重に見た下級審はある→第6節)。
- 2 任意処分か:取引に応じるかを最後に決めるのは本人 → 任意処分(学説の一般的な理解)。否応なく実行させられた場合は別。
- 3 適法か(判例):少なくとも①直接の被害者がいない薬物犯罪等 ②通常の捜査方法のみでは摘発困難 ③機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者、がそろえば適法(十分条件)。
- 大麻樹脂事件=他の手法では検挙が困難(②)なうえ、被告人は「既に…買手を求めていた」(③)。
- 4 適法か(有力説):対象者側に侵害が無い → 左の皿を国家の寄与度に載せ替える。原則違法、必要性と権衡すれば例外的に適法。補充性は必須。
- 5 型:機会提供型・犯意誘発型の二分だけでは決めない。型の違いは、有力説でいえば働き掛けの強度の中で量る、と整理できる。
- 6 なりすまし捜査(下級審):働き掛けは無いが判例の物差しを借り、必要性がほとんど無いとして違法 → 証拠排除 → 無罪。
- 7 違法なら:学説の多数=証拠排除。最高裁は、誘惑者が捜査機関だという一事では、犯罪の成立も、公訴提起の手続の違反・公訴権の消滅も認めなかった。
⚠ 3要件を外れたら即違法、ではない/判例は「型」の語も天秤も使っていない/「第三者の法益を害する犯罪なら直ちに違法」は有力説の言葉で、判例の要件の読みではない
判断の順序と、1段目:働き掛けがあるか
4段の順に問います。1段目は、捜査側から相手への働き掛けがあるかだけで決まり、強弱はここでは見ません。
| 段 | 問い | 使う道具・結論 |
|---|---|---|
| 1段目 | 「おとり捜査」に当たるか | 判例の定義。働き掛けの有無 |
| 2段目 | 強制処分か任意処分か | 原則任意処分(第2節) |
| 3段目 | 任意処分として適法か | 判例の3要件=そろえば適法(第3節)/学説(有力説)の天秤(第4節) |
| 4段目 | 違法なら、どう扱うか | 学説の多数は証拠排除(第7節) |
- 落とし穴:働き掛けの強弱を1段目に使うこと。働き掛けがあれば、強くても弱くても1段目は「当たる」で決まります。強さが問題になるのは、2段目(否応なく実行させたか)や、有力説の天秤の②(第4節)などです(違法の重さ=第7節でも効く)。判例の3つの事情には、強さは挙がっていません。
(1) 定義の4つの部品
- 捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者:捜査官本人でなくてもよく、民間の協力者が動いても当たります。
- その身分や意図を相手方に秘して:買手のふりをする(身分)、検挙するつもりを隠す(意図)。判文は2つを並べており、両方を隠しているのが通常です。
- 犯罪を実行するように働き掛け:1段目の分かれ目です。
- 犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙する:捕まえ方まで定義に入っています。
- 注意:これは手法の説明です。判例が「任意捜査として許される場面」として示したのは、第3節の3つです。
大麻樹脂事件最高裁判所決定おとり捜査の定義おとり捜査は、捜査機関又はその依頼を受けた捜査協力者が、その身分や意図を相手方に秘して犯罪を実行するように働き掛け、相手方がこれに応じて犯罪の実行に出たところで現行犯逮捕等により検挙するものであるが
(2) 働き掛けの有無で分ける
| 張り込み(接触なし) | 買手を装う(働き掛けあり) | |
|---|---|---|
| 捜査機関Aがしたこと | Bが買手Cと落ち合う現場に張り込み、取引の瞬間を押さえた | 身分を隠して買手を装い、Bに「分けてほしい」と持ちかけ、持参したところで検挙した |
| AからBへの矢印 | 無い | 1本ある |
| 評価 | おとり捜査ではない。ふつうの任意捜査として判断(第4節の表の左列) | おとり捜査 |
- 争いのある境界:仮睡盗(酔って眠っている人から財布などを抜き取る窃盗)の犯人を捕まえるため、警察官が自ら酔客を装い、被害者役になる場合です。働き掛けがあるとする見解と、無いとする見解に分かれます。言葉で持ちかけなくても、捜査官が自ら被害者役を演じて手を出しやすい状況を作ること自体を働き掛けとみるか、の違いです。
- 例:公園で、私服の警察官がベンチで寝たふりをし、脇に財布を置いた。声は一切掛けていない → 働き掛けがあるかは見解が分かれる場面です。
- 広島高裁の判決は、警察官に占有の意思がなかったとはいえないとして、被告人を有罪にしました。おとり捜査に当たるかは判断していません(答えたのは窃盗罪の成否)。
- 例:この判決を「おとり捜査を適法と認めた判例」と読むのは誤りです。有罪になったことと、捜査のやり方が適法と認められたことは別の問いです。
(3) 働き掛けの無い捜査:泳がせ捜査(コントロールド・デリバリー、CD)
- 中身:薬物や拳銃などの不正取引を知りながらすぐには検挙せず、十分な監視のもとで運ばせて追跡し、関わった人物を特定して検挙する手法です。
- おとり捜査との違い:犯罪はすでに動いており、捜査側が持ちかけて始まったものではありません。見張る・つける・追う任意捜査の延長で、適法性は一般の任意捜査と同様に判断されます(解説書)。
- 例:宛先の決まった荷物を運ばせて追うだけならCDです。捜査員が買手を装って送り手に「もう1箱送ってくれ」と注文すれば、その2箱目には働き掛けがあり、おとり捜査の問題になります。
| ライブCD | クリーンCD | |
|---|---|---|
| 運ばせる物 | 薬物や拳銃をそのまま | 抜き取って無害な物に入れ替えて |
| 可能にする条文 | 麻薬特例法3条(上陸の手続の特例)・4条(税関手続の特例) | 麻薬特例法8条・銃刀法31条の17 |
| 条文の中身 | 入国や通関の場で止めるはずの人・物を、散逸を防ぐ十分な監視体制の確保を条件に通す | 無害品を規制薬物や拳銃等として輸入・譲受け・所持などした者を処罰する |
- 8条:薬物犯罪を犯す意思で、物を規制薬物「として」扱う行為を、それ自体として処罰する規定です。無害品を薬物とみなす規定ではありません。だから中身を入れ替えても、受け取った者を検挙できます。
- 例:税関検査で、宛先の決まった荷物から覚醒剤が見つかった。中身を無害な粉に入れ替えて配達させ、受け取った者を検挙した → 捜査側は誰にも犯行を持ちかけていない=クリーンCD。受け取った者は、8条2項の対象になりえます。
8条(規制薬物としての物品の輸入等)(抜粋)|麻薬特例法 第三章 罰則(5〜15条)2項:薬物犯罪(規制薬物の譲渡し、譲受け又は所持に係るものに限る。)を犯す意思をもって、薬物その他の物品を規制薬物として譲り渡し、若しくは譲り受け、又は規制薬物として交付を受け、若しくは取得した薬物その他の物品を所持した者は、二年以下の拘禁刑又は三十万円以下の罰金に処する。
2段目:任意処分か(許す条文は無い)
対象者は自分の意思で取引に応じているので、重要な権利・利益を実質的に侵害・制約するとはいえず、任意処分と理解するのが一般です。
- 出発点:刑訴法には、おとり捜査を許す規定がありません。強制処分なら許されないので、任意捜査として許されるかが問題になります。
- 物差し:強制処分=相手の意思に反して、重要な権利・利益を実質的に侵害・制約するもの(通説的な見解の定式)。元は、意思を制圧して身体・住居・財産等に制約を加える行為かを問うた最高裁決定の言葉です。
- 当てはめ:取引に応じるかの最終判断は本人が下しています → 任意処分。
- 除かれる場合:働き掛けが強度で、否応なく犯罪を実行させられたといえる場合は、強制処分となりえます。
- 例:薬物に関わったことのない人に、捜査員が家族の借金を盾に「運ばなければ取り立てを止めない」と迫り、運ばせた → 否応なく実行させた場合に近づきます。強制処分と言い切れるかは事実次第です。
- 除かれる場合:働き掛けが強度で、否応なく犯罪を実行させられたといえる場合は、強制処分となりえます。
- 捜査官の譲受けを許す規定:法令で認められた者以外が麻薬や拳銃を譲り受けることは、それ自体が犯罪です。ただ、次の法律は、許可を受けた捜査官が譲り受けられると定めています。
| 条文 | 誰が | 何を | 許可するのは |
|---|---|---|---|
| 麻薬及び向精神薬取締法58条 | 麻薬取締官・麻薬取締員 | 麻薬を譲り受ける | 厚生労働大臣 |
| あへん法45条 | 麻薬取締官・麻薬取締員 | あへん・けしがらを譲り受ける | 厚生労働大臣 |
| 銃刀法27条の3 | 警察官・海上保安官 | 拳銃等・拳銃部品を譲り受け・借り受ける/拳銃実包を譲り受ける | 都道府県公安委員会 |
| 覚醒剤取締法 | ― | 同じ種類の規定は無い | ― |
- 譲受けの規定は、おとり捜査の根拠になるか:おとり捜査を想定した規定とも考えられますが、中身は、許可を受けた捜査官に犯罪が成立しないとするだけです。ここから直ちにおとり捜査を許すのは困難とされます(解説書)。
- 目印:58条などの譲受け規定は、許可を受けた捜査官を処罰しない根拠です。おとり捜査そのものが許されるかは、197条1項の任意捜査として別に判断します(第3節)。
58条(麻薬取締官及び麻薬取締員の麻薬の譲受)|麻薬及び向精神薬取締法 第四章 監督(50条の38〜58条)麻薬取締官及び麻薬取締員は、麻薬に関する犯罪の捜査にあたり、厚生労働大臣の許可を受けて、この法律の規定にかかわらず、何人からも麻薬を譲り受けることができる。
3段目①判例:「少なくとも」3つそろえば適法
最高裁は、3つの事情がそろう場合は197条1項の任意捜査として許されるとしました。そろわない場合の結論は示していません。
- 3つの事情
- 直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査であること
- 通常の捜査方法のみでは摘発が困難であること
- 機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者が対象であること
- 「少なくとも」:3つがそろえば適法、という十分条件です。「そろわなければ違法」という必要条件ではなく、3つより広い場合を最高裁は否定していません。
- 例:「3つの1つでも欠ければ違法」と書く → 誤りです。判例は、欠けた場合の結論を示していません。
- そろわないとき:判例は答えていません。解説書は、判例の3つとは別に有力説の天秤(第4節)を示し、設問も3つを経ずに初めから天秤で当てはめています。答案で「そろわなければ天秤」とつなぐのは、一つの書き方にとどまります。
- 判文に無いもの:「機会提供型」「犯意誘発型」の語は全文に1度も出てきません。有力説の天秤(第4節)も使っていません。
大麻樹脂事件最高裁判所決定許容される3つの要件少なくとも、直接の被害者がいない薬物犯罪等の捜査において、通常の捜査方法のみでは当該犯罪の摘発が困難である場合に、機会があれば犯罪を行う意思があると疑われる者を対象におとり捜査を行うことは、刑訴法197条1項に基づく任意捜査として許容されるものと解すべきである
197条(抜粋)|刑事訴訟法 第二編 第一審 第一章 捜査(189〜246条)1項:捜査については、その目的を達するため必要な取調べをすることができる。ただし、強制の処分は、この法律に特別の定めのある場合でなければ、これをすることができない。
(1) 大麻樹脂事件:「困難な状況」と「既に買手を求めていた」
事実大麻樹脂事件(最決平16・7・12)
- 被告人は、あへんの営利目的輸入や大麻の営利目的所持等で懲役6年等の前科があり、服役後に退去強制され、偽造パスポートで再び不法入国していました。
- 捜査協力者は、被告人と大阪刑務所で服役中に知り合った人物です。弟が被告人の依頼で大麻樹脂を運んで検挙されたことを恨み、被告人が薬物を持ち込んだら逮捕するよう、麻薬取締官事務所に求めていました。
- 被告人の側から協力者に、大麻樹脂の買手の紹介を電話で頼みました。それまで協力者から取引の働き掛けはありませんでした。事務所は住居や隠し場所をつかめず、おとり捜査を決めました。
- ホテルで、被告人は「東京に来れば売れる」と答えました。麻薬取締官は東京行きを断り、大阪に持って来れば2kg買うと示しました。交通費の負担の申出は、被告人が「ビジネスであるから」と断りました。
- 翌日、被告人は運び役に大麻樹脂約2kgを持たせて運び入れ、あらかじめ発付されていた捜索差押許可状による捜索を受け、現行犯逮捕されました。
| 判文が挙げた事実 | 対応する事情 |
|---|---|
| 住居や隠し場所が分からず、ほかの手法での検挙が困難だった | ②通常の方法では摘発困難 |
| 被告人は既に大麻樹脂の有償譲渡を企てて買手を求めていた | ③疑われる者(②の困難さと並ぶ理由) |
- 「仕向けたとしても」:取引の場所を用意し、2kg買うと示して持参させたのは取締官の側です。それでも、②の困難さに加え③があるので、適法とされました。働き掛けがゼロでなければ違法、ではありません。
- 判例の3つに強さの要素は無く、強さを要素として量るのは有力説の天秤(第4節②)です。判決は、働き掛けの強さそのものには触れていません。判例の3つの中で強い働き掛けが響くとすれば、それが「もともと買手を求めていなかった」という事実の表れとして③を崩す場合などが考えられます(ノートの整理。下の上告趣意の例)。
- 上告趣意:執ように働き掛けられ断り切れずに調達した、おとり捜査は憲法13条・31条に違反する、という主張でした。最高裁は、原判決の認定に沿わない事実関係を前提とするとして退け、そのうえで職権で適否を判断しました。
- 上告趣意は、関わりたくなかったのに押されて断り切れなかったという主張で、第5節の犯意誘発型に当たるという趣旨と読めます。それが言えるかは、誰が先に持ちかけたかなどの事実で決まるので、型の争いは法廷では事実認定の争いとして現れます。
- 例:最初の電話が協力者の側から何度も持ちかけたものだったら → 理由の1つの「既に買手を求めていた」が崩れます。上告趣意は、取締官や協力者の側から執ように働き掛けられたと主張しましたが、原判決の認定に沿わないとして退けられました。
- 結び:収集された証拠の証拠能力(法廷で事実認定の材料に使える資格)を肯定した原判断を、正当として是認しました。
大麻樹脂事件最高裁判所決定あてはめ麻薬取締官において、捜査協力者からの情報によっても、被告人の住居や大麻樹脂の隠匿場所等を把握することができず、他の捜査手法によって証拠を収集し、被告人を検挙することが困難な状況にあり、一方、被告人は既に大麻樹脂の有償譲渡を企図して買手を求めていたのであるから、麻薬取締官が、取引の場所を準備し、被告人に対し大麻樹脂2㎏を買い受ける意向を示し、被告人が取引の場に大麻樹脂を持参するよう仕向けたとしても、おとり捜査として適法というべきである
(2) 事情③と②を事案に当てる
| 兆候あり | 兆候なし | |
|---|---|---|
| Bの状態 | すでに複数の知人に声を掛け、買手を探して回っていた | そうした兆候がまったく無い |
| Aの働き掛け | その情報を得て、買手のふりで1回だけ声を掛けた | 半年かけて友人として近づき、生活の苦しさに付け込んで繰り返し頼み込んだ |
| ③疑われる者 | 当たる | 疑う材料が無く、当たらない |
| 働き掛けの強度(有力説の②。判例の3つには無い) | 小さい | 大きい |
- ③の判断の材料:第6節の判決は、捜査の時点で観察されていた行動(深夜の徘徊・車内をのぞく等)から、疑ったことに「一応の理由がある」として③を認めました。
- 例:10年前に薬物の前科があるだけで、最近の取引の兆候が何も無い人に持ちかけた → ③に当たらない方向に動きます。前科がどこまで効くかは言い切れません。
- ②摘発困難:張り込み・尾行などふつうの方法で検挙できるなら、②は満たされません。
- 例:売人の自宅も取引場所も分かっていて、張り込めば受け渡しを現認できるのに、買手を装った → ②を満たさず、判例の3つからは許容の根拠が出ません(有力説なら⑦補充性を欠く)。
3段目②有力説:天秤の左の皿を載せ替える
対象者の権利侵害が見つからないので、国家が守るべき法益を自ら害することへの寄与度を左の皿に載せます。原則違法で、必要性と権衡するときだけ例外的に適法です。
- 問題:対象者は自分の意思で実行しているので、権利・利益の侵害・制約がありません。侵害の程度と必要性を比べる比例原則が使えないのでは、という指摘があります。
- 意思決定の自由の侵害とみる見解:最後に決めたのが本人である以上、決める自由の侵害・制約は認めがたい、と批判されています。
- 有力説:測る対象を、対象者の権利から国家の行為へ移します。おとり捜査で国家は、本来守るべき法益(薬物事犯なら公衆の健康)を自ら害し、またはその危険を作り出しています。
- 問題にするのが国家自身による法益の侵害・危険なので、出発点は違法の側に置かれ、必要性と権衡するときだけ例外的に許される、という組み立てになります(表の「向き」)。
| ふつうの任意処分 | おとり捜査(有力説) | |
|---|---|---|
| 左の皿 | 対象者の権利・利益への侵害・制約の程度 | 国家が法益侵害またはその危険を作り出すことへの寄与度 |
| 右の皿 | 捜査の必要性。代わりの手段があれば必要性を下げる事情 | 捜査の必要性。代わりの手段が無いこと(補充性)は必須 |
| 向き | 原則適法。限度を超えると違法 | 原則違法。権衡すれば相当性あり=例外的に適法 |
- 権衡・相当性:権衡=左右の皿がつり合うこと(国家の寄与度が、捜査の必要性に見合う程度にとどまること)。つり合えば、手段として行き過ぎていない=相当性がある、とされます。
(1) 天秤に載せる7つの要素
| 左の皿:国家の寄与度 | 右の皿:捜査の必要性 |
|---|---|
| ① 法益侵害の性質:直接の被害者を生む犯罪か | ④ 重大性・密行性:重大で、表に出にくい犯罪か |
| ② 働き掛けの強度:どれだけ押したか(対象者の犯罪性向も見る) | ⑤ 組織性:背後の組織が重大性を高める |
| ③ 危険除去の態勢:検挙に失敗して危険物が流れない備えがあるか | ⑥ 同種事犯の防止:また同じ犯罪に及ぶおそれ(犯罪性向) |
| ⑦ 補充性:おとり捜査以外の手法が無いか |
- ①法益侵害の性質:殺人・傷害・窃盗など、第三者の生命・身体・財産を害する犯罪をさせるなら、直接の被害者を生むので直ちに違法です。許されるのは、直接の被害者のない薬物・銃器・わいせつ物関連に限られます(有力説)。
- つまり①は、まず入口の線引きとして効き、通った後の重さは主に②③で量る、と整理できます(ノートの整理。解説書は①も左の皿の要素として当てはめています)。
- 判例の事情①は十分条件の一部です。「欠けたら違法」は判例ではなく、有力説のこの要素から出てくる話です。
- 例:捜査員が相手に「あの店の前の自転車を持ってきてくれたら買う」と持ちかけた → 店の客という第三者の財産を害する窃盗=①で直ちに違法(有力説)。
- ③危険除去の態勢:検挙に失敗すると、持ち込ませた危険物が世に出回ります。それを確実に取り除ける態勢が無いほど、国家が危険を作り出す度合いは大きくなります。
- 例:売人に本物の拳銃を持参させる取引を設定したのに、現場は1人で、逃げ道も押さえていなかった → ③の備えが無く、左の皿が重くなります。
- ⑦補充性:働き掛けで犯罪を実行させる以上、真に必要でやむをえない場合に限るべきなので、代わりの手法が無いことが必要とされます。
- 判例との関係:大麻樹脂事件は、この天秤で国家の寄与度を量ったのではなく、3つの事情で適法としました。答案では「判例は3つの事情で適法とした」「有力説では天秤で量る」と主語を分けて書き、判例の結論を天秤の結果として説明しません。
| 対象者の犯罪性向が大きいと | 左の皿(②働き掛けの強度) | 右の皿(⑥同種事犯の防止) |
|---|---|---|
| 効き方 | 強度は一般に小さくなる=左を軽く | 防ぐ必要が大きくなる=右を重く |
- 対象者の犯罪性向は、②と⑥の両方に効きます(上の表)。
- 例:自分から買手を探して回っていた組織の売人と、一度だけ自分用に買ったことがある学生 → 売人は左を軽く右を重くし、学生はどちらも逆に動きます。
二分説:型だけでは決めない
機会提供型なら適法・犯意誘発型なら違法、という二分だけで決めるのは、今では妥当でないと考えられています。
- 機会提供型:もともとやる気のあった相手に、やる場面を差し出しただけの場合です。
- 犯意誘発型:やる気の無かった相手に働き掛けて、その気を起こさせ、実行させた場合です。
| かつて(二分説) | 今 | |
|---|---|---|
| 扱い | 2つの箱に仕分け。米国の「わなの抗弁」に準じた学説で、有力だった | 型だけで判断しない。有力説では、②働き掛けの強度という要素の1つ=目盛りの付いた1本の物差し |
| 限界 | 区別が明確でない場合がある。程度の差はあれ、どちらも捜査側が押した結果として犯罪が起きている | ― |
- 判例との関係:判例は型を採るとも採らないとも言っていません。そもそも触れていません。
- 使い方:言葉の意味は覚えます。ただし、型だけで結論を出しません。
- 例:薬物に興味を口にしていたが、入手の当てが無く何もしていなかった人に、捜査員が入手先を紹介し、代金も立て替えると申し出た → 犯意がもともとあったとも、誘発されたとも言えます。型では決まらず、有力説なら、働き掛けの強さ(②)と犯罪性向の程度で測ります。
判例の物差しを借りた下級審:なりすまし捜査
働き掛けの無い「なりすまし捜査」でも、鹿児島地裁加治木支部は判例の事情を借りて判断し、必要性がほとんど無いとして違法としました。証拠を排除し、被告人は無罪です。
事実なりすまし捜査の事件(鹿児島地加治木支判平29・3・24)
- 車上狙いの疑いがある男について、警察官らは、男のよく通る場所に軽トラックを無人・無施錠で、窓も少し開けて止めました。車内の見えやすい位置に、発泡酒などを置きました。
- 男が運転席のドアを開け、発泡酒1箱を持ち出したところで現行犯逮捕しました。発泡酒は、捜査にあたった警察官の所有でした。
- なりすまし捜査:相手には声を掛けず、手を出しやすい状況をひそかに作って待つ捜査です(裁判所が「仮に」付けた呼び名)。判決は、おとり捜査は相手への犯罪実行の働き掛けを要素とし、なりすまし捜査はそれを要素としない点で区別しました。
- 声を掛けずに待つ点は第1節(2)の仮睡盗と似ていますが(仮睡盗では見解が分かれる)、判決は、仮睡盗をめぐる見解の対立には触れていません。ただし判決は、捜査官自身が被害者役になる場面も含めて、働き掛けの無い型として扱っています。
- 判断の枠組み:判決は、なりすまし捜査を任意捜査の一類型とし、必要性と態様の相当性などを総合して判断するとしました。判例の事情は、その必要性・相当性の判断を具体化する物差しとして借りています。
- 借りた理由:本来犯罪を抑止すべき国家が犯罪を誘発する面があり、捜査の公正を害する危険をはらむ点が共通するからです。
- 借り方:判例の事情を、(a)疑われる者を対象にしていること、(b)直接の被害者がいない薬物犯罪等で、通常の方法では摘発が困難なこと、の2つに組み直しました。判断の厳格さに多少の差はありうるが、なお有用、としています。
- (a)疑われる者:当たる。深夜の徘徊、自販機の釣り銭口に手を入れる、車内をのぞく、夏なのにマスクとフード、手袋・懐中電灯の携帯などから、捜査の時点で判断したことに一応の理由がある、としました。
- 犯罪傾向:早晩別の車上狙いをするはずといえるほど強くない → 実行が促進された面が多分にある → 必要性と相当性は特に慎重に判断する。
- (b)の前半(直接の被害者がいない薬物犯罪等か):判決は独立には当てはめていません。必要性の検討の冒頭で、密行性が高く犯罪事実の把握すら困難な薬物犯罪等とは異なり、車上狙いは被害者の申告等で発生をほぼ確実に把握できる犯罪だ、と対比しています(前半の考慮をここに取り込んだ、と読めます)。
- (b)必要性:ほとんど無かった。
- 車上狙いは、被害の申告で発生をほぼ確実に把握できます。住居が分かり、行動の時間・範囲は限られ、移動は徒歩か婦人用自転車でした。屋外でドアを開ける犯行で、現認も十分可能でした。被害額は少額、手口は単純でした。
- 結論:必要性がほとんど無い以上、態様のいかんにかかわらず、任意捜査として許される範囲を超え違法です。
- 排除の前提:違法な捜査で得た証拠でも、違法があれば必ず排除されるわけではありません。判例(違法収集証拠排除法則)は、令状主義の精神を没却するような重大な違法があり、証拠として許すことが将来の違法捜査の抑制の見地から相当でないときに、証拠能力を否定します。鹿児島の判決は、違法の重大さと将来の抑制の見地の2つで判断しました。
- 違法は重大:逸脱の程度が大きい、国家が犯罪の発生を促進した、手っ取り早く検挙しようとした重大な過失、重大な犯罪ではない、捜査書類に書かず公判でも否認した=司法審査を潜脱する意図、を挙げました。将来の違法捜査の抑制の見地からも、証拠の許容は相当でないとしました。
- 被害届・捜索差押調書・実況見分調書・現行犯人逮捕手続書を排除 → 自白を補強する証拠が無い → 無罪(自白しか証拠が無いときは有罪にできない=319条2項)。
- 注意:被害品は警察官の物でしたが、「窃盗だから直ちに違法」という運びではありません。決め手は必要性の欠如です。
- ほかの裁判例:窃盗や風営法違反の事件でおとり捜査を行い、不適法・不相当とされたものもあります(福岡地裁小倉支部の命令、大阪高裁の判決)。
4段目:違法だったら、どうなるか
最高裁は、誘惑者が捜査機関だという一事では、犯罪の成立も、公訴提起の手続の違反・公訴権の消滅も認めませんでした。学説の多数は、証拠の証拠能力を否定して対処します。
| 立場 | 中身 | 評価 |
|---|---|---|
| 最高裁(最決昭28・3・5) | 誘惑されて犯意を生じ、または強めた者が実行した場合、誘惑者が捜査機関だという一事で、構成要件該当性・違法性・責任を阻却し、公訴提起の手続規定に違反し、公訴権を消滅させるとはできない | ― |
| 無罪説 | 無罪にする | 採れない。自らの意思で犯罪に出た以上、犯罪の成立に疑いはない(解説書) |
| 公訴棄却説(338条4号) | 違法なおとり捜査で実行させた犯罪を起訴したこと自体を、公訴提起の手続の瑕疵とみる | 解説書の見立て:犯罪性向が乏しいのに捜査側が強く働き掛けたような、違法が極めて重大な事案に限られる |
| 免訴説(337条) | 違法なおとり捜査をした国家は処罰適格を欠く → 公訴権が消滅した場合に準じて打ち切る | 同上 |
| 証拠排除説 | 得られた証拠の証拠能力を否定する | 多数 |
- 公訴棄却・免訴:どちらも、有罪・無罪を判断せずに手続を打ち切る裁判です。公訴棄却のうち、ここで問題になるのは、公訴提起の手続が規定に違反して無効なとき(338条4号)です。免訴は、確定判決を経た、時効が完成したなど、もう処罰を求められない場合に言い渡す判決です(337条)。
- 例:「違法なおとり捜査だから公訴棄却」とだけ書く → 不十分です。最高裁は、誘惑者が捜査機関だという一事では公訴提起の手続の違反を認めていません。公訴棄却・免訴は学説の主張で、解説書も極めて重大な事案に限られるとみています。
338条(抜粋)|刑事訴訟法 第二編 第一審 第三章 公判 第五節 公判の裁判(329〜350条)左の場合には、判決で公訴を棄却しなければならない。四 公訴提起の手続がその規定に違反したため無効であるとき。
- 2段目とは別の線:2段目は、意思に反して重要な権利・利益を制約したか(否応なく実行させたか)を見ます。ここで見るのは違法の程度です。任意処分のままでも、違法の重さは別に問題になります。
- 大麻樹脂事件の位置:適法としたうえで、証拠能力を肯定した原判断を是認しただけです。違法だった場合の扱いには触れていません。
- 排除から無罪になった例:第6節の判決です。犯罪の成立を否定した無罪説ではなく、証拠を排除した結果の無罪です。
- 例:「違法なおとり捜査で無罪になった判決がある=無罪説」は誤り → 鹿児島の判決の無罪は、証拠を排除して補強証拠が無くなった結果です。