憲法ゼロから憲法#46

財産権は何を守るのか——二十九条一項と二項

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第3章 人権各論 ㊻/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

なぜ「侵してはならない」だけでは終わらないのか——財産権の沿革

財産権の考え方の移り変わり(絶対不可侵→社会問題の深刻化→ワイマール憲法「所有権は義務を伴う」→広範な制限) 図:財産権の考え方の移り変わり

一項と二項の関係を理解するために、少し、歴史をたどりましょう。もともと財産権は、国家が絶対に手を出せない、不可侵の権利だと考えられていました。近代の初め、財産権は、自由権の中心でした。国が奪えないものとして、扱われていたのです。ところが、資本主義が進むにつれて、格差が、深刻な社会問題になっていきます。そこで、社会国家という考え方が広がります。国が、格差を放置せず、積極的に是正する役割を持つべきだ、という考え方です。この流れの中で、有名な言葉が生まれます。「所有権は義務を伴う」——ドイツのワイマール憲法の言葉です。

自分の財産だからといって、好きに使ってよいわけではありません。使い方には、社会的な責任が伴う、という考え方です。たとえば、広い土地を持つ地主がいたとします。「自分の土地だから」と言って、周辺住民の生活環境を壊すような使い方をする。そんな自由は、今日では、当然には認められません。この考え方が広まった結果、財産権は、広範な制限に服するようになりました。この歴史の流れが、二項の「法律でこれを定める」という書き方に、そのまま表れています。では、一項の方を、詳しく見ていきましょう。

一項の一階——今持っている中身を、あとから動かすな

一項の一つ目の意味(現状保障の定義+境界ペア=著作物保護期間の遡及短縮/これから発生する権利のルール変更) 図:一項の一つ目の意味

  • 現状保障の定義+境界ペア=著作物保護期間の遡及短縮
  • これから発生する権利のルール変更

一項が守っているものの、ひとつ目は、現状保障と呼ばれています。今、法律によって認められている、財産権の具体的な中身。それを、あとからの法律で、勝手に変更することを、禁止する、という意味です。なぜこれが必要なのか、考えてみましょう。もし、法律でいったん認めた財産権の中身を、政府が後から都合よく変えられる。そんなことができてしまえば、財産権の保障は、絵に描いた餅になってしまいます。だから、いま持っている権利の中身自体を、事後の変更から守る必要があるのです。具体例で、考えてみましょう。ある著作物について、法律で保護される期間が決まっているとします。もし、法律を改正して、既に発生している財産的な価値のある権利を、遡って消してしまったら——

一方で、これから新しく生まれる権利についてだけ、ルールを変える場合はどうでしょうか。その場合は、まだ発生していない権利の話です。現状保障が直接、問題にする場面ではありません。「もう持っているもの」を動かすかどうかが、境目です。

現状保障に、抜け道はないのか

事後法による変更の流れ(当初のルール→事後法での変更→公共の福祉適合性の審査→合憲) 図:事後法による変更の流れ

ここで、一つ、考えてみてください。今持っている財産権の中身は、法律でも、絶対に変えられない。本当に、そうでしょうか。もし本当に絶対だとしたら、社会の変化に合わせて、制度を作り直すことすら、できなくなります。抜け道は、実は、あります。戦後の農地改革を巡る事件を見てみましょう。国は、農地改革で、多くの農地を買収しました。そのうち、自作農づくりに使わないことになったものは、もとの持ち主が、国から買い戻すことができました。その買い戻しの値段は、当初のルールでは、国が買収したときの対価と同じ額でした。ところが、その後にできた法律で、この買い戻しの値段が、時価の七割に引き上げられました。

もとの持ち主は、これを財産権の侵害だとして、争いました。最高裁の答えは、こうです。

判例最大判昭和五十三年七月十二日(民集32巻5号946頁・大法廷)

国有農地売払対価事件 — 現状保障の抜け道 「法律でいつたん定められた財産権の内容を事後の法律で変更しても、それが公共の福祉に適合するようにされたものである限り、これをもつて違憲の立法ということができないことは明らかである。」

事後の法律で変更しても、公共の福祉に適合するようにされたものである限り、違憲にはならない——そう述べています。決め手になっている理由を、確認しておきましょう。二項が、そもそも「財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める」と規定しています。一項の現状保障も、この二項の枠の中にあります。だから、公共の福祉に適合する形での事後の変更は、許される、という理屈です。結論として、この事件は、合憲とされました。ここが、この論点の、いちばん大事な急所です。「一項で守られている」と聞くと、つい、何があっても動かせない、と考えたくなります。ですが、現状保障については、それは、正確ではありません。

一項の二階——法律でも動かせない核心

一項のもう一つの意味(私有財産制の制度的保障+境界ペア=生産設備の強制国有化/営業許可制の導入) 図:一項のもう一つの意味

  • 私有財産制の制度的保障+境界ペア=生産設備の強制国有化
  • 営業許可制の導入

では、一項が守っているものの、もう一つを見ましょう。一項は、個々人の財産権だけでなく、私有財産制という「制度」そのものも、保障しています。制度的保障と呼ばれるものです。人権とは何かを扱った回で、制度そのものを守る理論として、詳しく見ましたね。今日は、財産権で、その核心が何かを、考えてみましょう。通説によれば、私有財産制の核心は、生産手段の私有。つまり、工場や、機械や、原材料といったものを、個人が所有できる、ということです。もし、一項が個々人の財産権だけを守るにとどまるなら、法律で、「今後、生産手段は、一切、個人が持てない」。そんな制度自体を作ることまで、許してしまいかねません。

だから、制度の核心部分は、法律によっても変更できない。そういう、一段深い保障が、別に必要になるのです。具体例で、境目を見ておきましょう。特定の産業の生産設備を、すべて強制的に国有化したとします。その業種では、誰も工場や機械を個人所有できない、とする法律です。これは、違憲になります。一方で、特定の業種に、営業許可制を導入する法律はどうでしょうか。条件を満たさないと、開業できない、というだけの規制です。こちらは、規制にとどまり、合憲もありうる場面です。もう一つ、大事な帰結を、確認しておきましょう。この核心を変えるには、通常の法律では足りません。憲法そのものを改正しない限り、社会主義体制のような形に移行することは、許されません。

一項の地図——二階建てのまとめ

一項の二階建て(一階=現状保障・抜け道あり/二階=私有財産制の制度的保障・抜け道なし) 図:一項の二階建て

  • 一階=現状保障・抜け道あり
  • 二階=私有財産制の制度的保障・抜け道なし

ここで、一項の中身を、一枚の地図に、まとめておきましょう。一項は、二階建てです。一階は、現状保障。今持っている中身を、あとから法律で変えるな、という歯止めです。ただし、公共の福祉に適合すれば、変更してよい、という抜け道があります。二階は、私有財産制の制度的保障。生産手段の私有という核心は、法律でも侵せません。こちらには、抜け道がありません。なぜ強さが違うのか、考えてみましょう。一階が守っているのは「その人が、今持っている財産」という、個人のレベルの話です。二階が守っているのは「私有財産制という仕組みそのもの」という、もっと大きなレベルの話です。

仕組みそのものという土台が崩れてしまえば、個人の財産権を積み上げる場所自体が、無くなってしまいます。だから、土台の方——二階は、より固く守られているのです。具体的な言い方で、対比してみましょう。「今持っている家を、国が勝手に取り上げる」ことは、一階の問題です。理由次第では、正当化されうる。「そもそも、家を個人が持てない社会にする」ことは、二階の問題です。どんな理由があっても、正当化されません。これで、一項は、終わりです。次は、二項に入ります。

二項——条例でも財産権を制限できるか

条例による制限を認める通説の理由(理由①=93条2項・94条参照の民主的立法/理由②=地域特性への機動的対応) 図:条例による制限を認める通説の理由

  • 理由①=93条2項・94条参照の民主的立法
  • 理由②=地域特性への機動的対応

二項は、財産権の内容は法律でこれを定める、と規定しています。ここで、一つ、問題になります。地方自治体の条例で、財産権を制限することは、できるのでしょうか。文言だけを見ると、確かに、条例では制限できないように読めます。ですが、その前に、二項が、なぜ「法律で」と書いたのかを、考えてみましょう。財産権の中身を、誰かが勝手に決めてよいことにはしない。国民から選ばれた代表が、議論して決める。それを求めた言葉です。だからこそ、通説は、条例による制限も、許されると解しています。理由は、二つあります。一つ目。条例は、住民が選んだ議会が作る、民主的な立法です。憲法自身が、地方自治について定めた条文で、この点を認めています。二つ目。地域ごとに、特有の事情があり、それに応じた財産権の規制が必要な場面があります。

たとえば、ある地形に特有の災害リスクへの対応。これは、全国一律の法律より、その土地の条例の方が、機動的に対応できます。「法律」を国会が作る法律に限定してしまうと、こうした地域の対応ができなくなります。地方議会も、住民の代表で選ばれた、民主的な機関です。条例による規制を、一律に排除する理由は乏しい——これが、通説の立場です。この問題が、実際に争われた事件があります。次に、見てみましょう。

奈良県ため池条例事件——判決は、何に答えたのか

ため池条例事件の事案の構造(住民たちが堤とうで耕作を続けた/条例が使用行為を禁止・処罰) 図:ため池条例事件の事案の構造

  • 住民たちが堤とうで耕作を続けた
  • 条例が使用行為を禁止・処罰

奈良県の条例に、ため池の堤とうを使用することを禁止する規定がありました。ため池は、大雨などで堤とうが壊れると、下流に大きな被害をもたらします。この土地の住民たちが、堤とうで農作物を作り続けたことから、条例違反で起訴されました。この人たちは、条例が財産権を不当に制限していると主張して、争いました。最高裁の答えは、こうです。

判例最大判昭和三十八年六月二十六日(刑集17巻5号521頁・大法廷・事件番号昭和36年(あ)第2623号)

奈良県ため池条例事件 — 保障の範囲外という理路 「ため池の破損、決かいの原因となるため池の堤とうの使用行為は、憲法でも、民法でも適法な財産権の行使として保障されていないものであつて、憲法、民法の保障する財産権の行使の埒外にあるものというべく、従つて、これらの行為を条例をもつて禁止、処罰しても憲法および法律に牴触またはこれを逸脱するものとはいえない。」

ため池の決壊の原因となるような使用行為は、そもそも、憲法や民法が保障する、財産権の行使の範囲の外にある——そう述べています。では、なぜ、範囲の外だと言えるのでしょうか。堤とうを畑として使って得られる利益と、決壊したときに下流で失われる生命や財産。この二つは、くらべものになりません。そこまで危険な使い方まで、財産権の中身に含めて守る理由は、ありません。判決自身も、災害を未然に防ぐという、やむを得ない必要から来ることであって、堤とうを使う権利を持つ人は、公共の福祉のため、当然これを受忍しなければならない責務を負う、と述べています。だから、そもそも範囲の外なのだ、という理屈です。

そこが、この判決の切り口です。ここで、注意してほしいことがあります。この判決の主な理由づけは「そもそも保障の範囲外だ」という筋道です。「条例だから制限できる」という一般論を立てて、答えたわけではありません。ただし、判決は、条例の側にも触れています。結びで、地域ごとの事情から、条例で定めるのが適切な事柄がある、としたうえで、この条例は、二十九条二項に違反して条例では定められない事項を定めたものではない、と述べています。少なくとも、条例だから駄目だ、とは言っていません。実は、この判決には、少数意見がついています。今でいう反対意見にあたるものです。そちらは、法律、または法律の委任を受けた条例でなければ、財産権の内容は制限できない、と述べています。

判決の理由づけの重心(主たる理路=「保障の範囲外」/結びでは条例による規制を否定していない) 図:判決の理由づけの重心

  • 主たる理路=「保障の範囲外」
  • 結びでは条例による規制を否定していない

ここは、資料によって、書き方が分かれるところなので、整理しておきましょう。この判決を、条例によって財産権を制限できることを認めた判例だ。そう説明する資料があります。一方で、判決の中心にある理由づけは、あくまで「範囲外」の筋道でした。だから、そこまで一般化して読むかどうかは、資料によって書き方が分かれます。答案では、まず「範囲外」の筋道で決着した判決だ、と押さえてください。そのうえで、結びで条例による規制を否定していない、と付け加えられれば十分です。通説の考え方は、この判決とは別に、一般論として確立されたものです。この判決は、そこに正面から答える形ではなく、別の入り口から結論を出しました。

二項の実質面へ——前回の道具を、また使う

いま使う道具の再掲(人権の性質・重要性/規制の態様・程度/立法の目的=再定義せず財産権に当てはめる) 図:いま使う道具の再掲

  • 人権の性質・重要性
  • 規制の態様・程度
  • 立法の目的=再定義せず財産権に当てはめる

ここまでは「誰が」財産権を制限できるか、という、形式の話でした。ここからは「どこまで」制限してよいか、という、実質の話に入ります。ここで使う道具は、前回、手に入れたものと同じです。人権の性質・重要性。規制の態様・程度。そして、立法の目的。この三つを、総合して見ます。定義し直すことはしません。財産権に、そのまま当てはめます。そして、財産権のところでも、目的だけを見て決めるやり方は、通用しません。この点を、二つの判決を並べて、確かめていきましょう。実は、前回の最後に、一つだけ、名前を出した判決があります。覚えていますか。

前回、目的を二つに分けましたね。危険を防ぐための規制が消極目的、経済を回すための規制が積極目的です。この判決は、目的を、積極目的に読めるような形で認定しながら、明白の原則ではなく、厳しい基準を使って、違憲とした判決でした。お待たせしました。ここから、正面から見ていきます。

森林法共有林事件——前回架けた橋を受ける

森林法の事案の構造(共有者二人が持分各二分の一/管理をめぐる対立/一方が分割請求/森林法186条本文〔当時〕が拒否) 図:森林法の事案の構造

  • 共有者二人が持分各二分の一
  • 管理をめぐる対立
  • 一方が分割請求
  • 森林法186条本文〔当時〕が拒否

まず、前提になる条文を、確認しておきましょう。

条文民法256条1項

民法 第二百五十六条第一項 各共有者は、いつでも共有物の分割を請求することができる。ただし、五年を超えない期間内は分割をしない旨の契約をすることを妨げない。

二人以上で、一つの物を共有しているとき、各共有者は、いつでも、分割を請求できる——これが、原則です。ところが、当時の森林法には、この原則を、一部で否定する規定がありました。持分の価額が、二分の一以下の共有者は、この分割請求ができない、という規定です。この規定を巡って、争われた事件を見てみましょう。父から山林の贈与を受けた二人が、持分二分の一ずつで、共有していました。ところが、やがて、森の管理をめぐって、対立が生じます。一方が、共有関係を解消しようと、分割を請求しました。ところが、その人の持分は、二分の一。森林法の規定にちょうど当てはまり、分割請求は認められませんでした。

そこで、この規定が、財産権を保障する二十九条に違反すると主張して、争いました。最高裁は、まず、この規定の目的を、こう認定しました。

判例最大判昭和六十二年四月二十二日(民集41巻3号408頁・大法廷・事件番号昭和59年(オ)805号)

森林法共有林事件 — 目的認定と審査の枠組み 目的認定:「森林の細分化を防止することによつて森林経営の安定を図り、ひいては森林の保続培養と森林の生産力の増進を図り、もつて国民経済の発展に資することにあると解すべきである。」 審査の枠組み:「規制の目的、必要性、内容、その規制によつて制限される財産権の種類、性質及び制限の程度等を比較考量して決すべきものであるが、……立法の規制目的が……公共の福祉に合致しないことが明らかであるか、又は規制目的が公共の福祉に合致するものであつても規制手段が右目的を達成するための手段として必要性若しくは合理性に欠けていることが明らかであつて、そのため立法府の判断が合理的裁量の範囲を超えるものとなる場合に限り……効力を否定することができる」 結論:森林法一八六条本文について「憲法二九条二項に違反し、無効というべきである」

森林の細分化を防いで、経営を安定させ、国民経済の発展に資する。これが、認定された目的です。積極目的と、はっきり書いてあるわけではありません。ですが、そう読める認定です。ところが、ここからが、今日いちばん大事なところです。この判決は、明白の原則を使いませんでした。目的を積極目的と読むなら、本来は、そちらが使われるはずでした。代わりに、規制の目的、必要性、内容、制限される権利の性質と程度を比較する。そういう枠組みを使っています。見分けるのは、言い回しではなく、どこまで踏み込んだかです。明白でない限り違憲にしない、それだけで済ませるのなら、目的、必要性、内容、制限の程度を、わざわざ並べて比べる必要はありません。この判決は、その比較の枠組みを立てたうえで、手段の中身まで踏み込んでいます。

実質的には、ほぼ同じ、厳格な合理性の基準にあたる手法です。そして、最高裁は、共有森林の分割を制限することが、目的の達成に本当に必要か、合理的か、実質的に審査しました。その結果、まず、森林の共同経営という発想自体、関連性が薄いと判断しました。分割を禁じても、対立している共有者が、そろって森の経営を始めるわけではありません。この事件が、まさにそうです。管理をめぐって対立した二人の共有者が、共有のまま、取り残されます。手入れの行き届かない森が残るのでは、経営の安定という目的には、近づきません。そのうえ、分割を禁止する範囲や期間にも、限定がありませんでした。これらを理由に、必要性・合理性を否定しました。

ここで、前回の終わりに架けた橋を、思い出してください。「積極目的に読めるような形で認定しながら、厳格な基準を使って、違憲とした判決がある」。これが、その判決です。目的にレッテルを貼るだけでは、結論は決まりません。規制の中身を、実質的に見なければならない。今日の話と、同じ現象が、ここでも起きています。なお、この規定は、後の法改正で、削除されています。今の森林法には、この分割制限の規定は、もうありません。

証券取引法インサイダー取引規制事件——同じ枠組みで、なぜ結論が分かれたか

証券取引法事件の事案概要(上場会社の主要株主が短期間に自社株を繰り返し売買/会社が短期売買利益の提供を請求) 図:証券取引法事件の事案概要

  • 上場会社の主要株主が短期間に自社株を繰り返し売買
  • 会社が短期売買利益の提供を請求

もう一つ、似た枠組みを使いながら、結論が分かれた事件を見てみましょう。ある上場会社の主要株主が、短い期間のうちに、自社の株式を何度も売買しました。そして、利益を得ました。当時の証券取引法には、こうした短期売買で得た利益を、会社に提供させることができる。そういう規定がありました。会社は、この規定に基づいて、利益の提供を求め、主要株主が、これを争いました。最高裁の判断は、こうです。

判例最大判平成14年2月13日(民集56巻2号331頁・大法廷・裁判官全員一致)

証券取引法インサイダー取引規制事件 — 積極・消極のラベルを使わない合憲判断 「法164条1項は証券取引市場の公平性、公正性を維持するとともにこれに対する一般投資家の信頼を確保するという目的による規制を定めるものであるところ、その規制目的は正当であり、規制手段が必要性又は合理性に欠けることが明らかであるとはいえないのであるから、同項は、公共の福祉に適合する制限を定めたものであって、憲法29条に違反するものではない。」

証券取引市場の公平性・公正性を保ち、投資家の信頼を確保する。これが、規制の目的です。そして、この目的は正当であり、規制の手段が、必要性・合理性を欠くことが明らかとは言えない。そう述べて、合憲としました。ここで、注目してほしいことがあります。この判決の文章の中に「積極的」「消極的」という言葉が、出てきません。この判決は、目的にレッテルを貼ることを、していません。ただ、規制の目的、必要性、内容を、比較して見る、という同じ土台に立っています。その上で、目的は正当、手段も必要性・合理性を欠くとは言えない。そのように実質的に判断して、合憲という結論を出しています。

そこを、二つ並べて、比べてみましょう。

森林法事件と証券取引法事件の対比(目的の認定/積極・消極のラベルの有無/審査の枠組み/結論) 図:森林法事件と証券取引法事件の対比

  • 目的の認定
  • 積極・消極のラベルの有無
  • 審査の枠組み
  • 結論

どちらも、規制の目的、必要性、内容を、比較して決める、という同じ枠組みを使っています。目的の正当性も、どちらも認められています。人権の性質・重要性は、この枠組みの中の「制限される財産権の種類、性質」に当たります。ただ、二つの事件は、どちらも財産権への制限です。ここでは、差が出ません。分かれ目は、規制の手段が、目的を達成するために本当に必要か、合理的か、という、そこから先の中身です。森林法の事件では、共有森林の共同経営という発想自体、目的とのつながりが薄いものでした。しかも、分割を禁止する範囲や期間に、限定がありませんでした。だから、手段として、必要性・合理性を欠く、と判断されました。

短期売買で得た利益を、会社に提供させる、という手段。これは、目的とのつながりも強く、規制の範囲も、限定的でした。だから、必要性・合理性を欠くとは言えない、と判断されたのです。目的二分論というラベルを外しても、裁判所は、ちゃんと結論を出せる。このことを、この二つの判決が、よく示しています。

今日の地図(保存版)

二十九条の完成地図(一項=現状保障+制度的保障/二項=形式面〔条例〕+実質面〔総合考慮〕)+三項への矢印(問いのみ) 図:二十九条の完成地図

  • 一項=現状保障+制度的保障
  • 二項=形式面〔条例〕+実質面〔総合考慮〕
  • 三項への矢印(問いのみ)

それでは、今日の内容を、まとめましょう。最初の一問に、戻ります。「法律で内容を決められるなら、一項は、何を守っているのか」でしたね。答えは、こうでした。一項は、二階建てで、財産権を守っています。一階は、現状保障。今持っている中身を、あとから法律で変えるな、という歯止め。ただし、公共の福祉に適合すれば、変更してよい、という抜け道があります。二階は、私有財産制の制度的保障。生産手段の私有という核心は、法律でも侵せません。こちらには、抜け道がありません。そして、二項は、その中身を、これから決める側のルールです。形式の面では、条例による制限も、通説は認めています。ただし、奈良県ため池条例事件は、まず「保障の範囲外」という理路で決着させました。実質の面では、前回学んだ三つの手がかりを、そのまま使います。目的にレッテルを貼るだけでは、結論は決まらない。森林法事件と、証券取引法事件が、それを示しました。

最後に、一つだけ、問いを残しておきます。二項が「公共の福祉に適合するやうに」制限してよい、と定めているとして、その制限が、どこまで進むと、ただの制限では済まなくなるのでしょうか。補償が必要になる境目は、どこにあるのでしょうか。実は、二十九条には、もう一項あります。三項です。

参照条文

  • 民法256条1項

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