憲法ゼロから憲法#45

目的二分論はなぜ壊れたか——居住・移転と海外渡航の自由

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第3章 人権各論 ㊺/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じお風呂屋さんの距離制限が、三十年で読み替えられた

三判決の並び(判決/目的の認定/使った基準/結論/キーフレーズの5列比較) 図:三判決の並び(判決/目的の認定/使った基準/結論/キーフレーズの5列比較)

まず、公衆浴場の距離制限を巡る、三つの判決を見ましょう。公衆浴場——銭湯を新しく開くには、都道府県知事の許可が必要で、既存のお風呂屋さんから、一定の距離を置くことが、許可の条件にされていました。同じ「距離制限」という規制です。ところが、この規制を巡って、最高裁は、三十年の間に、三つの判断を出しています。しかも、その三つで、規制の目的の読み方が、少しずつ違うのです。一つずつ見ていきましょう。一つ目は、まだ戦後まもない時期の判決です。ここでは、目的は、国民保健及び環境衛生を守ることだ、とされました。

判例最大判昭和三十年一月二十六日(刑集九巻一号八九頁)

公衆浴場距離制限事件① — 消極目的と解される認定 「公衆浴場は、多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である。……国民保健及び環境衛生の上から、出来る限り防止することが望ましいことであり、……公共の福祉に反するものであつて、この理由により公衆浴場の経営の許可を与えないことができる旨の規定を設けることは、憲法二二条に違反するものとは認められない。」

公衆浴場が乱立すると、環境衛生が保てなくなる——そう読める判断です。危険を防ぐための規制、つまり、消極目的規制と解される認定です。結論は、合憲でした。ここまでは、前回見た物差しのとおりです。ところが、それから三十年以上たって、二つの判決が続けて出ます。一つ目は、経営が苦しい業者が、廃業や転業をしないで済むように、健全で安定した経営ができるようにする——そういう目的だと述べました。これは、積極的、社会経済政策的な規制目的だとされました。だから、この判決は、明白の原則を使って、合憲としました。そして、その約一か月後に、もう一つ判決が出ます。ここでは、少し違う書き方がされました。積極、消極という言葉を、あえて使わずに、両方の目的を認定したのです。

判例最判平成元年3月7日(判時1308号111頁)

公衆浴場距離制限事件③ — 両目的の併有 「国民保健及び環境衛生の確保にあるとともに、……既存公衆浴場業者の経営の安定を図ることにより、自家風呂を持たない国民にとつて必要不可欠な厚生施設である公衆浴場自体を確保しようとすることも、その目的としている」

この判決は、国民の健康を守ることと、自分の家にお風呂がない人のために、施設を確保することの、両方を目的として認めました。結論は、こちらも合憲でした。さて、ここで、一度立ち止まりましょう。同じ条文、同じ距離制限という規制なのに、目的の認定が、三十年で動きました。しかも、後の二つは、約一か月しか離れていないのに、書き方まで違います。ここで、大事なことに気づいてほしいのです。目的というのは、事件の中に、あらかじめ書かれているものではありません。裁判所が、その都度、認定するものなのです。だとすると——「目的で物差しが決まる」という言い方は、実は、あまり多くを決めていない、とも言えます。目的をどう読むかを決めた時点で、実質的に、結論も決まっているからです。では、なぜ、目的の認定が動いたのでしょうか。これは、世の中の変化で説明できます。最初の判決が出た頃は、自分の家にお風呂がある家庭は、まだ少数でした。銭湯が減ることは、そのまま、体を洗う場所を失う人が増える、という意味だったのです。

ところが、時代が進んで、自分の家にお風呂がある家庭が、当たり前になります。すると、銭湯は、衛生上の危険のもとというより——自分の家にお風呂がない人のための、大事な施設だ、という顔の方が、前に出てきます。ここで、一つ、注意しておきたいことがあります。

なぜ動いたか(自家風呂の普及による目的認定の変化)+判例変更ではない理由(大法廷・小法廷の違いと裁判所法10条3号) 図:なぜ動いたか

  • 自家風呂の普及による目的認定の変化
  • 判例変更ではない理由(大法廷・小法廷の違いと裁判所法10条3号)

三十年で判断が動いた、と聞くと、判例が変更された、と思うかもしれません。違います。最初の判決は、大法廷が出したものです。後の二つは、どちらも小法廷が出したものです。大法廷は、裁判官全員が加わる、いちばん重い審理体制です。そして、小法廷は、大法廷が示した判断を、変更することができません。事情の変化を踏まえて、同じ規制の目的を、別に認定し直した——そう理解するのが正確です。もう一つ言うと、後の二つの判決も、互いに「変更」の関係ではありません。約一か月違いで、別の小法廷が、別の書き方をした、というだけです。

ここまでで、大事な一段が見えてきました。同じ規制の目的が、事件から一義的に決まるわけではない、ということです。では、次に、もう一段進んだ現象を見てみましょう。同じ条文、同じ距離制限なのに、目的の認定が三十年で動きました。では、この物差しに、そもそも入らない目的が出てきたら、どうなるでしょうか。

二つに分けられない目的が現れる

財政目的という第三の箱+二本の物差しの目盛りの間に位置する基準 図:財政目的という第三の箱+二本の物差しの目盛りの間に位置する基準

続いて、お酒の販売免許を巡る事件を見ましょう。酒類の販売業を営むには、免許が必要とされていました。ある会社が、この免許の交付を拒否され、争いました。争点は、この免許制そのものが、二十二条一項に違反しないか、という点でした。まず、最高裁は、この規制の目的を、こう認定しています。

判例最判平成4年12月15日(第三小法廷)

酒類販売免許制事件 — 財政目的の認定 「……租税の適正かつ確実な賦課徴収を図るという国家の財政目的のための職業の許可制による規制については、その必要性と合理性についての立法府の判断が、右の政策的、技術的な裁量の範囲を逸脱するもので、著しく不合理なものでない限り、これを憲法二二条一項の規定に違反するものということはできない。」

判決文の「右の」は、前に書いた、という意味です。前回も出てきましたね。ここで、一度、考えてみてください。この目的は、消極目的でしょうか、積極目的でしょうか。国民の生命・健康を守る話でもなく、社会的に弱い立場の人を守る、社会経済政策でもない。国の財布を守るための規制——第三の目的が、ここに出てきました。しかも、注目してほしいのは、基準の書き方です。「著しく不合理なものでない限り」違反しない、と述べています。似ていますが、同じではありません。「明白である」場合に限る、とまでは言っていないのです。学説は、これを、明白の原則よりは、やや厳格な基準だと位置づけます。

無理に、どちらかの名前で呼ぼうとしないほうがいい場所です。結論は、合憲でした。ここで、もう一段、整理しておきましょう。目的の側からも、基準の側からも、二分論は、はみ出されています。目的は、消極でも積極でもない、財政目的という第三の箱に入るものが現れました。基準も、厳格な合理性の基準でも、明白の原則でもない、目盛りの間に位置しています。一つ、注意しておきます。この事件で問われた仕組みそのもの——税金の集め方のルール自体は、また別の回で、正面から扱います。今日は、目的の分類のところだけを見ています。

二分論への批判——理屈の側から

二分論への二つの批判(消極目的規制ほど厳しく審査される逆説/併有・振り分け不能) 図:二分論への二つの批判(消極目的規制ほど厳しく審査される逆説/併有・振り分け不能)

ここまでで、判例の側から、二分論がはみ出す場面を見てきました。実は、理屈の面からも、二分論には、批判があります。まず、一つ目の批判です。前回、消極目的規制の方が、厳格な合理性の基準で、厳しく審査される、と見ましたね。ここで、一度、考えてみてください。消極目的規制とは、何を守るための規制でしたか。命や健康という、最も重要な利益を守るための規制の方が——かえって、違憲になりやすい。これは、おかしくないでしょうか。具体的に、考えてみましょう。人の命や健康を守るための、薬局の距離制限は、裁判所に厳しく見られました。一方、既存業者の経営を守るための、小売市場の距離制限は、緩やかに見られました。守ろうとしているものの重さで比べると、逆転しているように見えます。

これは、判例の展開とは、独立に成り立つ批判です。もう一つの批判は、これまで見てきたことの、まとめでもあります。そもそも、規制の目的というのは、きれいに二つに分けられるとは限りません。危険を防ぐ目的と、経営を守る目的の、両方を併せ持つ規制がありました。そして、酒類販売のように、どちらにも振り分けられない目的も、出てきます。理屈の面からも、判例の面からも、二分論には、無理があります。では、いよいよ、この回でいちばん大事な話に入ります。

最高裁は、もともと二分論に立っていなかった

薬局距離制限事件の続きの段(規制の目的・対象・方法等の性質と内容に照らして決する)+前編の橋への答え 図:薬局距離制限事件の続きの段

  • 規制の目的・対象・方法等の性質と内容に照らして決する
  • 前編の橋への答え

前回、薬局の距離制限事件を見ましたね。実は、あの判決には、もう一つ、別の段があります。前回は、判決文のカードで、職業の意味と、使う基準を、確認しました。今日、見るのは、前回見た、あの判決の続きの部分です。

判例最大判昭和五十年四月三十日

薬局距離制限事件 — 合理的裁量の範囲を決するもの 「規制措置の具体的内容及びその必要性と合理性については、立法府の判断がその合理的裁量の範囲にとどまるかぎり、立法政策上の問題としてその判断を尊重すべきものである。」「合理的裁量の範囲については、事の性質上おのずから広狭がありうるのであつて、裁判所は、具体的な規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして、これを決すべきものといわなければならない。」

ここで、注目してほしい言葉があります。「規制の目的、対象、方法等の性質と内容に照らして」という部分です。目的だけではありません。誰に対する規制か、どんな方法の規制か、その規制がどんな性質を持つのか——全部を照らし合わせて、決めるべきだと述べています。つまり、この判決は、最初から、目的だけを見ていたわけではありません。目的も、対象も、方法も、性質も、内容も、全部まとめて見る——総合的に考える、という立場を、もともと取っていたのです。そう読むのが、いまでは有力です。誤解しないでほしいのですが、判決自身が「私は二分論ではない」と言っているわけではありません。後から、この判決を読む側が、「目的で分けている」というラベルを貼った——そう見るのが、いまの学説の読み方です。ここで、前回の終わりを、思い出してください。前回、最後に、こう言いましたね。最高裁自身が、この物差しどおりに動かなかった事件がある、と。

答えは、こうです。最高裁は、この物差しを、使わなかったのではありません。そもそも、最高裁は、目的だけを見る物差しを、持っていなかったのです。ここで、一つ、はっきりさせておきたいことがあります。だからといって、前回学んだことが、間違いだったわけではありません。前回の知識は、これからも使います。目的二分論は、判例の展開を整理する、ラベルとしては、いまでも使えます。実際、消極目的なら厳しく、積極目的なら緩やかに、という対応は、多くの判例で、確かに見られる傾向です。ただし、答案で、「目的が積極だから、この基準」と、機械的に直結させるのは、危険です。

目的は、大事な手がかりの一つですが、唯一の手がかりではありません。では、目的だけに頼らないとすると、何を手がかりにすればいいのでしょうか。いよいよ、いま使われている道具を、確認しましょう。

いま使う道具——三つの手がかりと、規制の強さの目盛り

違憲審査基準を選ぶ三つの手がかり(人権の性質・重要性/規制の態様・程度/立法の目的) 図:違憲審査基準を選ぶ三つの手がかり

  • 人権の性質・重要性
  • 規制の態様・程度
  • 立法の目的

違憲審査基準を選ぶとき、いま重視されているのは、三つの手がかりです。一つ目は、問題となっている人権の、性質や重要性。二つ目は、規制の態様や、程度。三つ目は、立法の目的。これは、実は、新しい考え方ではありません。平等の回で、事情を総合考慮して、審査の密度を決める、という話をしましたね。同じ考え方が、ここでも働いています。一つ目の、人権の性質も、初めて出てきた考え方ではありません。以前見た、二重の基準論——精神的自由か、経済的自由かで、物差しの厳しさを変える、あの振り分けです。三つのうち、一つ目——人権の性質は、また後で、実際に使ってみます。ここでは、二つ目の、規制の態様について、詳しく見ましょう。実は、規制の強さにも、目盛りがあります。

まず、許可制の方が、届出制よりも、強い規制です。そして、事前に規制をかけるタイプの中でも、強さに違いがあります。本人の努力では、どうにもならない条件を課すもの——たとえば、世襲制や、距離制限のような条件です。これが、いちばん強い規制です。次に強いのが、本人の努力で満たせる条件を課すもの——たとえば、資格や、衛生基準のような条件です。そして、いちばん弱いのが、始めた後で規制をかける、事後規制です。学説は、この強さの並びを、段階理論と呼びます。本人の努力では越えられない条件が、客観的条件。努力で満たせる条件が、主観的条件です。

別の話です。三段階審査は、審査基準の回で見た、保障、制約、正当性という順番でした。こちらは、規制する側の強さの並びです。

段階理論の梯子(客観的条件が最も強く、主観的条件、事後規制の順に弱くなる) 図:段階理論の梯子(客観的条件が最も強く、主観的条件、事後規制の順に弱くなる)

ここで、自分の言葉で、整理してみましょう。同じ職業への規制でも、試験に受かればできる、という条件と、生まれた場所で決まる、という条件とでは、当たり方が、まるで違います。でも、生まれた場所や、生まれた家は、努力ではどうにもなりません。だから、そういう条件を課す規制の方が、より強く人を縛ることになります。これが、二つ目の手がかり、規制の態様の中身です。そして、三つ目の手がかりが、立法の目的です。ただし、目的は、決め手ではありません。三つのうちの一つとして、他の二つと一緒に見る、という位置づけです。「積極目的」「消極目的」というラベルは、書くとしても、それだけで結論を決めない——そう考えるのが、安全です。さて、ここで、今日の一問に、戻りましょう。

答えは、もう出ています。目的だけで、物差しを決めようとするから、困るのです。人権の性質と、規制の態様も、一緒に見れば、目的が読みにくい規制でも、審査の厳しさを、判断することができます。さっきの、お酒の販売免許を、思い出してください。目的の箱は、決まりませんでした。でも、免許がなければ始められない、という点で、事前に止めるタイプの規制だということは、目的とは別に読めます。だから、目的が読めなくても、規制の態様の方から、厳しさを測れます。では、この道具を、さっそく使ってみましょう。今日の後半は、二十二条の残り半分——居住・移転の自由からです。

二十二条の残り半分へ——移る自由は、三つの顔を持つ

二十二条の残り半分へ(前回は職業選択の自由だけ・今日は残りの四つを全部やる) 図:二十二条の残り半分へ(前回は職業選択の自由だけ・今日は残りの四つを全部やる)

もう一度、条文を確認しましょう。

条文日本国憲法 22条1項・2項

日本国憲法 第二十二条 1項 何人も、公共の福祉に反しない限り、居住、移転及び職業選択の自由を有する。 2項 何人も、外国に移住し、又は国籍を離脱する自由を侵されない。

前回、この条文には、五つのことが書かれている、と確認しましたね。前回は、1項の職業選択の自由だけを、扱いました。今日は、残りの四つを、全部やります。まず、1項に戻って、居住の自由と、移転の自由です。ここで、質問です。居住・移転の自由は、経済的自由でしょうか、それとも、別の性質も持つでしょうか。実は、居住・移転の自由も、同じように、はみ出します。沿革をたどると、好きな場所へ行って、商売をする自由——だから、まずは、経済的自由に分類されます。ただ、それだけでは終わりません。自由に移動できる、ということは、体を自由に動かせる、ということでもあります。

これは、人身の自由の側面です。さらに、広く知的な接触の機会を得るためにも、移動は欠かせません。だから、精神的自由の側面も、持っています。ここで、大事なことを言います。どの側面への制約なのかによって、審査の厳しさは、変わりえます。

居住・移転の三側面と、職業の二側面の弁別(違いは人身の自由の有無) 図:居住・移転の三側面と、職業の二側面の弁別(違いは人身の自由の有無)

これは、さっき手に入れた道具の、一つ目——人権の性質を見る、という考え方そのものです。総合考慮を、いま、実際に使っているところです。ここで、前回の話と、比べてみましょう。前回、職業選択の自由も、複合的な性質を持つ、と言いました。ただ、注意してください。職業選択の自由は、経済的自由と、精神的自由——二つの顔でした。居住・移転の自由は、経済的自由、人身の自由、精神的自由——三つの顔です。違いは、人身の自由が入るかどうかです。居住・移転は、体そのものが動く自由だから、人身の自由の側面が加わります。職業選択には、その側面が、ありません。

ここまでが、居住・移転の自由の、基本の理解です。では、この考え方を使う、具体的な事件を見てみましょう。

市営住宅から出ていけ、と言えるか

事案の構造(市営住宅の入居者・入居後に暴力団員と判明・市が明渡しを請求) 図:事案の構造(市営住宅の入居者・入居後に暴力団員と判明・市が明渡しを請求)

市営住宅に入居していた人が、後になって、暴力団員だと分かった場合——市が、明け渡しを求めることができるか、が争われた事件があります。ある市の条例は、暴力団員であることが分かったときは、住宅の明け渡しを求めることができる、と定めていました。この条例が、憲法に違反しないか、争われました。最高裁は、まず、こう述べています。

判例最判平成27年3月27日(第二小法廷)

暴力団員市営住宅明渡し事件 — 居住制限の合憲性 「暴力団員が市営住宅に入居し続ける場合には,当該市営住宅の他の入居者等の生活の平穏が害されるおそれを否定することはできない。」 「本件規定による居住の制限は,公共の福祉による必要かつ合理的なものであることが明らかである。したがって,本件規定は,憲法22条1項に違反しない。」

他の入居者の、平穏な暮らしが脅かされるおそれがある——これが、理由の一つです。もう一つ、暴力団から抜けることができる、という点も、考慮されています。人権の性質、規制の態様、そして規制の目的——これらを合わせて見て、必要かつ合理的だと判断しています。どれが、どの手がかりに当たるか、見ておきましょう。制限されるのは、居住の自由——三つの顔を持つ、あの自由です。これが、人権の性質。暴力団員であることは、本人が変えられる事情です。本人にコントロールできるかで測る——あの目盛りが、ここで効いています。これが、規制の態様。

目的、人権の性質、規制の態様——三つの手がかりが、すべてそろいました。ただ、どこまで通る理屈かは、確かめておきましょう。ここで効いたのは、抜けようと思えば抜けられる、という点でした。生まれや、自分では変えようのない事情を理由にした明渡しまで、同じ理屈で通るわけではありません。なお、この事件では、法の下の平等——十四条一項も争われましたが、そちらについても、違反しない、と判断されています。判断の中身は、平等の回で扱った考え方と重なるので、今日は深入りしません。結論だけ、押さえておいてください。合憲でした。

海外に行く自由は、一項ではなく二項だった

22条の切り分け(1項=国内の関係、2項=海外の関係) 図:22条の切り分け(1項=国内の関係、2項=海外の関係)

続いて、海外に行く自由の話に移ります。国内を旅行する自由は、二十二条一項の、居住・移転の自由に含まれます。では、海外を旅行する自由——海外渡航の自由は、どうでしょうか。海外渡航の自由は、一項ではなく、二項前段の、外国に移住する自由によって保障されます。二十二条は、一項が国内の関係、二項が海外の関係、という切り分けで読みます。ただ、ここで、引っかかる人が、いるかもしれません。とても良い疑問です。実は、この点、最高裁自身の判決文でも、正面から扱われています。

判例最大判昭和三十三年九月十日

帆足計事件 — 外国旅行の自由の位置づけ 「憲法二二条二項の『外国に移住する自由』には外国へ一時旅行する自由をも含むものと解すべきであるが、外国旅行の自由といえども無制限のままに許されるものではなく、公共の福祉のために合理的な制限に服するものと解すべきである。」 「旅券法一三条一項五号が『著しく且つ直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行う虞があると認めるに足りる相当の理由がある者』と規定したのは、外国旅行の自由に対し、公共の福祉のために合理的な制限を定めたものとみることができ、……漠然たる基準を示す無効のものであるということはできない。」

この事件は、国際経済会議への出席のため、旅券の発給を申請した人が、発給を拒否されたことを、争ったものです。判決文自体が、「移住する自由には、一時旅行する自由も含む」と述べています。文字どおりに読めば、「移住」は、一時的な旅行とは違います。ですが、住む場所を海外に移す自由が保障されているのに、一時的に行く自由だけが保障されない、というのは、不自然です。だから、二項の中に、一時旅行の自由も含めて読む——そう考えられています。そのうえで、判決は、この自由も、無制限ではない、と述べます。公共の福祉のために、合理的な制限を受ける、ということです。そして、当時の旅券法の規定を、その合理的な制限として、合憲としました。現在の条文で、確認しておきましょう。

条文旅券法13条1項柱書・7号

旅券法 第十三条第一項 外務大臣又は領事官は、一般旅券の発給又は渡航先の追加を受けようとする者が次の各号のいずれかに該当する場合には、一般旅券の発給又は渡航先の追加をしないことができる。 七 前各号に掲げる者を除くほか、外務大臣において、著しく、かつ、直接に日本国の利益又は公安を害する行為を行うおそれがあると認めるに足りる相当の理由がある者

判決文にあった規定は、現在は、十三条一項七号にあたります。事件が起きた当時は、五号でした。号の番号は、途中で動いています。中身は、実質的に受け継がれています。

学説の批判(海外渡航の自由は精神的自由の側面を持つ・不明確な法文による規制は違憲とする見解が有力) 図:学説の批判

さて、この結論には、学説から批判もあります。海外渡航の自由は、精神的自由の側面も持っています。だとすると、輪郭のはっきりしない条文で、精神的自由の側面を持つ自由を制限するのは、問題だ——そう考える見解が、有力です。以前、法律の文言は、はっきりしていなければならない、という原則を見ましたね。その考え方が、ここでも、効いてくるわけです。なお、この自由は、海外渡航の自由と呼ぶのが一般的ですが、海外旅行の自由と呼ばれることもあります。以後は、海外渡航の自由で統一します。最後に、一つ、線を引いておきます。今日の話は、日本国民が、外国へ出ていく自由の話です。外国人が、日本に入ってくる話とは、別の場面ですので、混同しないでください。そちらは、外国人の人権の回で見たとおり、日本に入る自由そのものは、憲法では守られていません。

国籍を捨てる自由——ただし、無国籍にはなれない

国籍法13条1項の全文(「外国の国籍を有する日本国民は」の要件が無国籍を認めない根拠) 図:国籍法13条1項の全文

二十二条を、最後まで見ましょう。二項の後段は、国籍を離脱する自由です。日本国籍を、自分の意思で離れることができます。ただ、一つ、大事な制限があります。無国籍者になる自由までは、含まれていません。これは、条文の文言そのものから、確認できます。

条文国籍法13条1項・2項

国籍法 第十三条第一項・第二項 1項 外国の国籍を有する日本国民は、法務大臣に届け出ることによつて、日本の国籍を離脱することができる。 2項 前項の規定による届出をした者は、その届出の時に日本の国籍を失う。

ここで、注目してほしいのは、「外国の国籍を有する日本国民は」という部分です。外国籍を持っていない人は、この条文で、日本国籍を離脱できません。だから、日本国籍を離れることはできても、無国籍にはなれない、という結論が出てきます。なお、日本国民が、自分の意思で外国籍を取得したときに、自動的に日本国籍を失う、という別の規定もあります。こちらは、本人の届出による「離脱」とは違い、自動的な「喪失」です。今日、条文で確認したのは、あくまで、届出による離脱を定めた、十三条一項の方です。さて、ここで、一段、深く考えてみましょう。なぜ、無国籍になる自由は、認められないのでしょうか。

ここで、国籍が何のためにあるのか、考えてみましょう。国籍は、その人を、どこの国が保護するのかを決めるものです。もし、無国籍になる自由を認めてしまうと、どの国からも、保護されない人が、生まれてしまいます。自由の限界の、面白い型の一つです。認めることが、必ずしも、その人のためになるとは限らない——国籍離脱の自由は、そのことを、よく示しています。

今日の地図(保存版)

五段のまとめ(目的が読み替えられる→箱に入らない目的が出る→そもそも二分論ではなかった→いまの道具→道具を使う)+答案での使い道 図:五段のまとめ

  • 目的が読み替えられる→箱に入らない目的が出る→そもそも二分論ではなかった→いまの道具→道具を使う
  • 答案での使い道

それでは、今日の内容を、まとめましょう。五段で、振り返ります。一段目、同じ規制の目的が、読み替えられる。公衆浴場の距離制限で、目的の認定が、三十年で動きました。二段目、どちらの箱にも入らない目的が出る。酒類販売免許制で、財政目的という、第三の目的が現れました。三段目、そもそも、二分論ではなかった。薬局判決を読み直すと、最初から、目的・対象・方法等を、総合して見ていました。四段目、だから、いまの道具はこれ。人権の性質、規制の態様、立法の目的——三つの手がかりで、物差しを選びます。五段目、その道具を、さっそく使う。居住・移転の三つの顔と、海外渡航——ここで、人権の性質という手がかりが、そのまま効きました。国籍離脱は、条文の文言から、無国籍にはなれない、という線を引きました。

答案で使うときは、こう考えてください。経済的自由の問題を見たら、目的だけを見て、物差しを決めない。人権の性質、規制の態様、立法の目的——三つを並べてから、基準を選ぶ。「積極目的」「消極目的」というラベルは、書くとしても、決め手にはしない。

22条の完成地図(1項=居住・移転・職業選択/2項前段=外国移住/2項後段=国籍離脱) 図:22条の完成地図

  • 1項=居住・移転・職業選択
  • 2項前段=外国移住
  • 2項後段=国籍離脱

さて、二十二条の全体を、地図で振り返りましょう。一項には、居住の自由、移転の自由、職業選択の自由。二項には、外国に移住する自由、国籍を離脱する自由。この五つを、前回と今日とで、全部見終えました。財産権を扱った判例の一つに、森林法という法律の、共有林の分割を巡る事件があります。この判決は、目的を、積極目的に読めるような形で認定しながら、明白の原則ではなく、厳格な合理性の基準を使って、違憲としました。今日の話と同じ現象が、財産権のところでも起きています。

参照条文

  • 日本国憲法 22条1項・2項
  • 旅券法13条1項柱書・7号
  • 国籍法13条1項・2項

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