憲法ゼロから憲法#47

制限と補償の境目——「特別の犠牲」と「正当な補償」

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第3章 人権各論 ㊼/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

三項の趣旨——なぜ「正当な補償」が要るのか

二十九条三項の趣旨(①財産価値の保障/②平等原則=損失を国民全体で分担)+図書館増築と駐車場の例 図:二十九条三項の趣旨

  • ①財産価値の保障
  • ②平等原則=損失を国民全体で分担
  • 図書館増築と駐車場の例

まず、なぜ、三項が「正当な補償」を要求しているのか、趣旨から考えましょう。理由は、二つあります。ひとつ目は、財産権の保障、そのものからの帰結です。一項が財産権を保障している以上、その財産が持つ経済的な価値そのものも、当然、保障の対象に含まれます。もし価値の裏づけがなければ、財産権の保障は、意味を失ってしまいます。そして、ふたつ目が、もっと大事です。平等原則です。公共のために、ある人の財産を使うとき、その利益を受けるのは、社会全体です。ところが、財産を失う痛みは、その人ひとりが背負うことになります。

それは、不公平です。だから、その人だけが背負った損失を、税金というかたちで、社会全体に広げて、分かち合う。それが、三項が「正当な補償」を求める、もうひとつの理由です。損失をみんなで割り勘にする、というのが、まさに、この平等原則です。この考え方こそ、今日の話全体を貫く、一本の軸になります。具体例に入る前に、一つだけ、言葉を確かめておきます。収用とは、公共のために、持ち主が同意していなくても、国や自治体が、その財産を強制的に取り上げることをいいます。同意がなくても、取り上げられる。だからこそ、埋め合わせが要るのかが、問題になります。具体例で、確かめておきましょう。ある市が、図書館を増築するために、隣接する個人の月極駐車場を、収用するとします。

もし、これを補償なしにやってしまったら、どうなるでしょうか。明らかに、不公平です。だから、土地の持ち主には、手放してもらう代わりに、その負担を、税金というかたちで、住民全体に分散させる。これが、平等原則の意味です。この後、出てくる論点は、すべて、この平等原則が形を変えたものだと思って、聞いてください。

「公共のために用ひる」とは——最高裁の答え

宅地買収計画取消請求事件の関係(国Aが元の所有者Bから宅地を買収/耕作していた特定の耕作者Cへ売渡し/Bが買収の公共性を争う) 図:宅地買収計画取消請求事件の関係

  • 国Aが元の所有者Bから宅地を買収
  • 耕作していた特定の耕作者Cへ売渡し
  • Bが買収の公共性を争う

次に、条文のもう一つの言葉、「公共のために用ひる」を見ましょう。これは、不特定多数の人の利益のために、私有財産を収用したりすることをいいます。ここで、一つ、争われた事件があります。戦後、自作農創設特別措置法という法律に基づいて、国が、農地の改革のために、土地を買収していました。ある宅地も、この法律に基づいて、国に買収されました。ところが、この宅地は、実際にそこを耕作していた、特定の四人に、あとで売り渡される予定になっていました。もとの持ち主は、これを、こう主張しました。「結局、特定の個人の利益になるだけで、公共のためとは言えないはずだ」と。

もっともな疑問です。最高裁の答えは、こうでした。

判例最高裁判所第二小法廷判決・昭和二十七年(オ)第六百七十九号・昭和二十九年一月二十二日

宅地買収計画取消請求事件 — 「公共のために用ひる」の意義 「自創法により買収された農地、宅地、建物等が買収申請人である特定の者に売渡されるとしても、それは農地改革を目的とする公共の福祉の為の必要に基いて制定された自創法の運用による当然の結果に外ならないのであるから、この事象のみを捉えて本件買収の公共性を否定する論旨は自創法の目的を正解しないに出た独自の見解であつて採用できない。」

買収された土地が、結果として、特定の耕作者に売り渡されるとしても——それは、農地改革という、公共の福祉のための必要から作られた法律の運用による、当然の結果にすぎない。だから、そのことだけを理由に、公共性を否定するのは、法律の目的を見誤っている——そう述べています。決め手は、そこです。収用の「目的」が公共的である限り、収用のあと、財産が誰の手に渡るかという「結果」だけを取り出して、公共性を否定するのは、筋が違います。自作農を増やして、農業の生産力を高める、という制度の目的そのものが公共的である以上、その制度を回した結果、特定の耕作者が土地を得ることになっても、それは制度の当然の帰結にすぎない、というわけです。ただし、この判決が見ているのは、あくまで、法律そのものの目的です。法律の目的自体が、特定の人に利益を与えることに向いているなら、公共のために用いる、とは言えません。そこは、この判決の外側です。

ここまでで、「公共のために用ひる」の意味は、確認できました。次は、いよいよ、今日いちばんのテーマ——「特別の犠牲」に入ります。

補償の要否——「特別の犠牲」とは何か

特別の犠牲の判断基準=形式・実質二要件説(形式的要件=対象が特定の個人・集団か/実質的要件=受忍限度を超えて本質的内容を侵すか)+境界ペア=送電線敷設の土地収用(該当)/耐震基準の一律適用(非該当) 図:特別の犠牲の判断基準

  • 形式・実質二要件説(形式的要件=対象が特定の個人・集団か/実質的要件=受忍限度を超えて本質的内容を侵すか)+境界ペア=送電線敷設の土地収用(該当)
  • 耐震基準の一律適用(非該当)

ここからが、今日の中心です。どんな場合に、三項の趣旨——さっきの平等原則が働き、補償が必要になるのでしょうか。この判断基準を、「特別の犠牲」と呼びます。基準が気になるのは、もっともです。通説は、二つの要件を、総合して判断します。ひとつ目は、形式的要件です。侵害の対象が、広く一般の人にかかるものか、それとも、特定の個人や集団にだけ、絞られているものか。ふたつ目は、実質的要件です。その侵害が、財産権にもともと内在する、社会的な制約として、受忍すべき限度内におさまっているか。それとも、その限度を超えて、財産権のいちばん大事な中身そのものを侵すほど、強いものか。

この二つを、両方とも満たしたときに——つまり、対象が特定の個人や集団であり、なおかつ、受忍限度を超えて本質的な中身を侵すとき——「特別の犠牲」にあたり、補償が必要になります。さっきの平等原則を、思い出してください。特定の誰かにだけ、重い負担が集中しているときこそ、その人だけが損をしないよう、平等原則が働くべき場面です。逆に、財産権を持つ人なら誰もが、性質上、甘受すべき一般的な制約であれば——そもそも、その人だけが特別に損をしているわけではないので、個別に埋め合わせる必要はありません。境目を、具体例で確かめておきましょう。送電線を敷設するために、特定の一区画の土地を、全面的に収用する場合を考えます。

その土地の所有者という、特定の個人に対して、所有権そのものを奪う、財産権の本質的な中身を侵すほど、強度の侵害です。だから、これは「特別の犠牲」にあたり、補償が必要です。一方で、全国一律の建築基準法の耐震基準によって、新築する建物の構造に、一定の制約がかかる場合はどうでしょうか。不特定多数の土地所有者に、一般的にかかる制約であり、建物の安全性という公共性に照らせば、受忍限度内の制約です。だから、これは「特別の犠牲」にあたらず、補償は不要です。この二要件説が、いちばんスタンダードな考え方です。ですが、これに対して、別の考え方も、有力に主張されています。

もう一つの考え方——実質要件説

実質要件説の3類型(剥奪=当然補償/内在的制約=不要/ほかの公益目的で偶然課される制限=要)+具体例=道路建設の全面収用/ため池条例事件(前回)/史跡指定に伴う発掘調査の制限 図:実質要件説の3類型

  • 剥奪=当然補償
  • 内在的制約=不要
  • ほかの公益目的で偶然課される制限=要
  • 具体例=道路建設の全面収用
  • ため池条例事件(前回)
  • 史跡指定に伴う発掘調査の制限

さっきの形式的要件——対象が一般人か、特定人か、という区別。これを疑う見解が、有力に主張されています。内在的制約なら補償は不要、というルールだけで、すべての場面を、説明できるでしょうか?もし、たまたまほかの公益目的のために、制限がかかってしまったら、どうなるでしょう?そこが、この見解の出発点です。全国一律の耐震基準なら、対象は、誰が見ても、一般です。ですが、対象が狭まるほど、一般か特定かの線は、揺れます。だからこそ、実質要件説は、この区別を、相対的なものだとして、退けます。代わりに、侵害の中身そのものを見て、三つに分けます。ひとつ目。財産権の「剥奪」、あるいは、それと同じくらい強度の侵害。これは、当然、補償が必要です。ふたつ目。その程度に至らない侵害のうち、財産権に「内在する制約」による制限。これは、補償が不要です。みっつ目。ほかの公益目的のために、「偶然に」課せられる制限。これは、補償が必要です。

具体例で、確かめましょう。ひとつ目、剥奪にあたる例は、道路建設のために、土地を全面収用する場合です。ふたつ目、内在する制約にあたる例は——前回、見た、あの事件です。ため池の堤とうを使う行為は、そもそも、財産権の行使の範囲に、入っていない。前回の結論は、そもそも保障の範囲外だ、という理路でした。もともと財産権の中身に入っていないのなら、奪われたものも、ありません。だから、埋め合わせも要らない。ここで、つながります。みっつ目、偶然の制限にあたる例を、考えてみましょう。ある土地に、史跡としての指定がかかったとします。近くで遺跡が見つかったという、偶然の事情から、発掘調査のために、一定期間、工事が制限されるとします。

財産権そのものに、もともと内在していた制約ではありません。たまたま、ほかの公益目的——遺跡の保護——のために、偶然に課せられた制限です。だから、これは補償が必要な場面にあたります。決め手は、三項の趣旨に、どちらが素直か、です。平等原則が問うているのは、特定の誰かだけが損をしていないか、でした。その問いに正面から答えるのは、対象の広さを最初に見る、二要件説の方です。だから、通説は、二要件説です。ただ、実質要件説が突いた、線引きの難しさは、残ります。対象が特定か一般かで迷う場面では、侵害の中身の強さを見る。そう補って使ってください。答案では、どちらの立場で書いてもかまいませんが、通説である二要件説の方が、書きやすいはずです。

制限の可否と、補償の要否は、別の問い

二十九条二項と三項の二段構え(二項=規制が許されるか判断/三項=補償が要るか判断)+二項の道具は補償の要否を測る道具ではない 図:二十九条二項と三項の二段構え

  • 二項=規制が許されるか判断
  • 三項=補償が要るか判断
  • 二項の道具は補償の要否を測る道具ではない

ここで、一度、整理しておきましょう。通説は、二項と三項の関係を、二段階で考えます。まず、二項で、その規制が、そもそも許されるか——合憲かどうかを判断します。次に、三項で、補償が必要か——特別の犠牲にあたるかどうかを判断します。ここで、注意してほしいことがあります。二項に照らして、その規制が適法だったとしても、それだけで、三項の補償が不要になるわけではありません。「規制してよいか」と、「補償が要るか」は、まったく別の問いです。前回、財産権への規制を判断する道具として、人権の性質・重要性、規制の態様・程度、そして、立法の目的、という三つを使いましたね。

あの三つの道具は、あくまで、「その規制が二項に照らして許されるか」を判断するための道具です。「補償が要るか」を判断する道具ではありません。具体的な場面で、確かめておきましょう。ある工場に、有害物質の排出を規制する、新しい法律ができたとします。まず、二項の段階では、経済的自由の規制として、その規制の目的や、手段の必要性・合理性を検討し、合憲かどうかを判断します。ここで、規制が合憲だと判断されたとしましょう。次に、三項の段階に進みます。この工場の操業停止が、特定の事業者にだけ、受忍限度を超える重い負担を強いているなら、合憲な規制であっても、別途、補償が問題になりうるのです。

この二段構えを、頭に置いたうえで、次に進みましょう。ここからは、補償が必要だと分かったとして、いくら払うのか——「正当な補償」の中身に入ります。

「正当な補償」とは、いくらのことか——完全補償説

正当な補償の内容——完全補償説(通説=客観的な市場価格の全額/具体例=時価3,200万円の商店用地の収用) 図:正当な補償の内容——完全補償説

  • 通説=客観的な市場価格の全額
  • 具体例=時価3,200万円の商店用地の収用

では、補償が必要だと分かったとき、その額は、いくらであるべきでしょうか。ここにも、対立があります。まず、通説である完全補償説から見ましょう。完全補償説は、客観的な市場価格の、全額を補償すべきだ、とする考え方です。なぜ、それが必要なのでしょうか。もう一度、平等原則を、思い出してください。補償の趣旨は、損失を、国民全体で分担することでした。もし、補償額が、市場価格を下回ってしまったら、どうなるでしょうか。市場価格に足りない分を、その人だけが被ることになる。それでは、損失を国民全体で分担するという、平等原則を、貫くことができません。だから、通説は、市場価格の全額を要求します。具体例で、確かめておきましょう。時価三千二百万円の、商店用の土地が、公共事業のために収用されるとします。完全補償説によれば、三千二百万円、そのまま、全額が支払われるべきだ、ということになります。

完全補償説がいう「客観的な市場価格」は、その人の思い入れや、主観的な事情を含みません。あくまで、その財産を、市場で売買したときに、客観的に成立するであろう価格が、基準です。主観的な価値まで補償の対象にしてしまうと、算定そのものが、できなくなってしまいます。だから、誰から見ても同じ基準で測れる、客観的な市場価格が、物差しとして選ばれています。ところが、ここで、判例と、少しややこしい関係が出てきます。

判例は、なぜ、違う基準を使ったのか——相当補償説との対比

完全補償説と相当補償説の対立(通説は完全補償説/農地改革の判例は相当補償説に立った) 図:完全補償説と相当補償説の対立

  • 通説は完全補償説
  • 農地改革の判例は相当補償説に立った

完全補償説が、通説だと言いました。では、農地改革のときの判例は、本当に、この通説どおりに、判断したと思いますか?実は、そうではありません。まず、もう一つの立場、相当補償説を紹介します。相当補償説は、時価より安くても、きちんとした根拠に基づいて弾き出した金額であれば、それで「正当な補償」として足りる、とする立場です。そして、その判断が出たのが、戦後の農地改革を巡る事件です。ここで、一つだけ弁別しておきます。舞台は同じ農地改革でも、争われた中身は、それぞれ違います。今日の前半で見たのは、買収そのものが、公共のためと言えるか、という争いでした。前回見たのは、国から買い戻すときの、値段の話です。

こちらで問われたのは、国が農地を買い上げるときに、もとの持ち主へ支払う対価です。その額が、正当な補償と言えるのか。そこが、争われました。そして、最高裁は、まさに、相当補償説の立場に立ちました。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和二十五年(オ)第九十八号・昭和二十八年十二月二十三日

農地買収対価事件(農地改革) — 相当補償説 「憲法二九条三項にいうところの財産権を公共の用に供する場合の正当な補償とは、その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基き、合理的に算出された相当な額をいうのであつて、必しも常にかかる価格と完全に一致することを要するものでないと解するを相当とする。」

「その当時の経済状態において成立することを考えられる価格に基づいて、合理的に算出された相当な額」であればよく、市場価格と、完全に一致することまでは、必要としない——そう述べています。この事件で争われた、農地の買収の対価は、田は賃貸価格の四十倍、畑は四十八倍を超えない額、と法律で一律に定められていました。この額は、当時の市場での取引価格を、大きく下回るものでした。ところが、その後、まったく違う分野の事件で、最高裁は、逆の基準を採用します。土地収用法に基づく、都市計画事業のための収用が争われた事件です。

判例最高裁判所第一小法廷判決・昭和四十六年(オ)第百四十六号・昭和四十八年十月十八日

土地収用補償金請求事件 — 完全補償説 「土地収用法における損失の補償は、……完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償をなすべきであり、金銭をもつて補償する場合には、被収用者が近傍において被収用地と同等の代替地等を取得することをうるに足りる金額の補償を要するものというべく」

「完全な補償、すなわち、収用の前後を通じて、被収用者の財産価値を等しくならしめるような補償」を要する——そう述べています。同じ二十九条三項なのに、農地改革では相当補償説、土地収用法では完全補償説。一見、判例が、理論をぶれさせているように見えます。もっともな疑問です。ですが、これは、判例変更ではありません。決め手は、農地改革という事件が持っていた、特殊な事情です。農地改革は、戦後、占領政策のもとで進められた、極めて特殊な国策でした。一部の地主だけが土地を持つ、という戦前からの状態そのものを、一律に、根本から作り替える改革です。

対価の上限を、田は四十倍、畑は四十八倍、と一律に定めたことも、この極めて特殊な国策のもとで、初めて成り立つ話です。だから、この農地改革の判例は、戦後の占領政策という、特殊な事情に基づく判例として、限定して理解するのが妥当です。そして、その後の、通常の収用の事件——土地収用法の事件では、判例自身が、完全補償説に転換しています。原則は完全補償説、例外は農地改革という特殊な事情——この整理が、いちばん正確です。

完全補償説と相当補償説の使い分け(農地改革=相当補償説・戦後の占領政策という特殊事情/土地収用法=完全補償説・原則)+判例変更ではなく限定 図:完全補償説と相当補償説の使い分け

  • 農地改革=相当補償説・戦後の占領政策という特殊事情
  • 土地収用法=完全補償説・原則
  • 判例変更ではなく限定

ここで、二つの判例を、一枚の表にして、対比しておきましょう。農地改革の判例は、戦後という、特殊な一時期の、極めて限定された事情に基づいています。土地収用法の判例は、通常の収用の場面での、原則的な判断です。答案では、完全補償説を、原則として書き、農地改革の判例を、「特殊な事情に基づく、限定的な判例」として、位置づけて説明できれば十分です。

補償は、いつ払われるべきか

補償の支払時期(食糧管理法事件=供出米の代金は収用と同時でなくてよい/緊急裁決制度=仮補償金と後日の差額清算も合憲) 図:補償の支払時期

  • 食糧管理法事件=供出米の代金は収用と同時でなくてよい
  • 緊急裁決制度=仮補償金と後日の差額清算も合憲

次は、額ではなく、タイミングの話です。補償は、財産を収用するのと、同時に、支払われなければならないのでしょうか。もっともな感覚です。ですが、判例は、そうは考えていません。戦後まもない頃、食糧管理法という法律に基づいて、政府が、農家からお米を買い上げる制度がありました。このとき、買い入れの代金が、お米を供出したあとに、支払われました。これが、憲法違反にあたるかが、争われました。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和二十三年(れ)第八百二十九号・昭和二十四年七月十三日(刑集3巻8号1286頁)

食糧管理法違反事件 — 補償の支払時期 「憲法は『正当な補償』と規定しているだけであつて、補償の時期についてはすこしも言明していないのであるから、補償か財産の供与と交換的に同時に履行さるべきことについては、憲法の保障するところではないと言わなければならない。」

「憲法は『正当な補償』と規定しているだけで、補償の時期については、少しも触れていない」——そう述べています。だから、財産の供与と、交換的に、同時に履行される必要はない、というのが、結論です。三項の文言を、よく見てください。「正当な補償の下に」とあるだけで、支払いの時期には、一言も触れていません。条文が要求していない以上、同時である必要はない、という理屈です。この考え方は、近年の判例でも、引き継がれています。

判例最高裁判所第一小法廷判決・平成5年(行ツ)第50号・平成15年12月4日

事業認定処分取消請求事件 — 緊急裁決と補償の時期 「憲法二十九条三項は、補償の時期については何ら規定していないのであるから、補償が私人の財産の供与に先立ち又はこれと同時に履行されるべきことを保障するものではないと解すべきである。」

公共用地の取得に関する特別措置法には、緊急裁決という制度があります。まず、仮の補償金を先に支払い、あとで確定した補償額との差額を、清算する仕組みです。この制度が争われたときも、最高裁は、同じ理由で、合憲としました。補償の時期について、憲法は何も規定していないのだから、同時に払う必要はない——先ほどの判例を、そのまま引用しています。ただし、これは無限定というわけではありません。支払いが、著しく遅れた場合には、その遅れによる損害を、埋め合わせる必要が出てくることも、ありえます。あくまで、憲法が同時履行を求めていない、というだけの話です。

法律に補償の規定がなかったら、どうなるのか——河川附近地制限令事件

河川附近地制限令事件の関係(県知事Bが河川附近地を指定し使用を制限/業者Aが無許可で砂利を採取し起訴) 図:河川附近地制限令事件の関係

  • 県知事Bが河川附近地を指定し使用を制限
  • 業者Aが無許可で砂利を採取し起訴

もう一つ、大事な論点があります。財産権に特別の犠牲を課す法律なのに、その法律自体には、補償の規定が置かれていない場合があります。ここで、二つの問いが立ちます。ひとつ目。補償の規定がなくても、補償を請求できるのか。ふたつ目。補償の規定を欠くことを理由に、その法律は、無効になるのか。実際に争われた事件を、見てみましょう。名取川という川の、堤防の外側にある民有地を借りて、砂利採取業を営んでいた人がいました。この土地が、河川附近地に指定され、県知事の許可がないと、砂利を採ることができなくなりました。この人は、無許可で、砂利の採取を続けたため、起訴されました。そして、こう主張しました。「補償の規定がない、この制限令の規定は、二十九条三項に違反して、無効だ」と。最高裁は、こう答えました。

判例最高裁判所大法廷判決・河川附近地制限令四条二号、十条違反・昭和四十三年十一月二十七日(上告棄却・裁判官全員一致)

河川附近地制限令事件 — 三項を直接の根拠にした請求 「本件被告人も、その損失を具体的に主張立証して、別途、直接憲法二九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではないから、……同令四条二号およびこの制限違反について罰則を定めた同令一〇条の各規定を直ちに違憲無効の規定と解すべきではない。」

まず、一般的な河川附近地の制限としては、通常、受忍すべき範囲だとしました。ただ、これで終わりではありません。一般には受忍すべき範囲でも、その人にだけ、特別に重い損失が出ることは、ありえます。そこまで具体的に示せたなら、受忍限度を超えた、特別の犠牲だと言える余地が残ります。そのうえで、「被告人も、その損失を具体的に主張立証して、直接、憲法二十九条三項を根拠にして、補償請求をする余地が全くないわけではない」と述べています。ここが、ひとつ目の問いへの答えです。三項自体が、「正当な補償の下に……用ひることができる」という、直接の請求根拠を定めています。だから、下位の法律に補償規定がなくても、それだけで、救済の道が閉ざされるわけではありません。

この立場——請求は可能だ、という立場からは、補償規定を欠くこと自体を理由に、法律をすぐに無効とする必要はありません。三項を直接根拠に請求できるなら、法律の側に規定がなくても、救済の道は確保されているからです。だから、この最高裁も、補償規定を欠くことをもって、この制限令の規定を、無効とはしませんでした。無許可での採取自体は、犯罪ですから、有罪の判決は、維持されました。もっとも、法律を有効としてしまうことには、実は、緊張関係もあります。「請求できるから、法律は有効だ」という理屈だけで押し切ると、立法する側が、最初から補償の要否を、十分に検討しなくても済んでしまう。そういう懸念があります。だから、補償規定を欠く法律は、違憲無効だと解する見解も、有力に主張されています。もっとも、判例・通説は、有効説の立場を取っています。

法律に補償規定がない場合の二つの問い(①請求の可否=二十九条三項を直接根拠に請求できる/②法律の効力=それでも法律は有効・有力説は違憲無効も主張) 図:法律に補償規定がない場合の二つの問い

  • ①請求の可否=二十九条三項を直接根拠に請求できる
  • ②法律の効力=それでも法律は有効・有力説は違憲無効も主張

なお、この判決の結論——法律に規定がなくても、三項を直接根拠に補償を請求できる、という考え方は、三項が、それだけで具体的な権利を定めている、という位置づけを意味します。この、生存権との対比は、また別の回で、詳しく扱います。

二つの網から漏れる問題——予防接種禍という谷間

予防接種禍という谷間(二十九条三項の射程=財産権のみ/十七条・国家賠償法の射程=故意過失の違法行為のみ/生命・身体への適法な侵害はどちらにも届かない) 図:予防接種禍という谷間

  • 二十九条三項の射程=財産権のみ
  • 十七条・国家賠償法の射程=故意過失の違法行為のみ
  • 生命・身体への適法な侵害はどちらにも届かない

ここまで、財産権への侵害を、前提に話してきました。では、財産ではなく、生命や身体が、公共のために侵害されたら、どうなるでしょうか。そこに、深刻な問題が、生じます。予防接種を受けた人の中には、統計上、ごくまれに、しかし、避けられない形で、重篤な健康被害が生じる人がいます。死亡に至ることも、あります。ここで、国が行った予防接種による健康被害を、救済する根拠として、二つが考えられます。ひとつは、三項による損失補償。もうひとつは、十七条・国家賠償法による、国家賠償です。ですが、どちらも、うまく届きません。

まず、三項です。三項は、財産権への侵害を前提にした規定です。生命や身体という、財産ではないものへの被害には、本来、届きません。次に、十七条・国家賠償法です。こちらは、公務員の故意や過失を要件とします。ところが、予防接種を実施した公務員に、故意や過失があった、と言えるかは、簡単ではありません。二十九条と十七条は、それぞれ、別の場面を想定して、作られた規定です。「適法な財産権の侵害」と、「違法な公務員の行為」——この二つの箱のどちらにも、「生命・身体への、適法な侵害」という事態は、きれいに収まりません。

これが、憲法が予定している制度の、「谷間」と呼ばれる問題です。予防接種法という法律に基づいて、伝染病を防ぐために、広く義務づけられた予防接種によって、ごく一部の被接種者に、脳炎や脳症といった、重篤な副反応が生じた場合を、考えてみましょう。この谷間を、実際の事件で、どう埋めようとしたのかを、見ていきます。

第一審の答え——三項を、生命・身体にも使う

予防接種禍・第一審の構成(判決の言葉=類推適用/学説の呼び名=勿論解釈/根拠=生命身体を財産より軽く扱う理由はない) 図:予防接種禍・第一審の構成

  • 判決の言葉=類推適用
  • 学説の呼び名=勿論解釈
  • 根拠=生命身体を財産より軽く扱う理由はない

昭和四十年代の後半から、東京地裁に、次々と、訴えが提起されました。種痘などの予防接種による副反応で、死亡したり、重い後遺障害を負ったりした、六十二人の被害児をめぐって、本人や家族らが、国に対して、損害賠償や、損失補償を求めた事件です。第一審は、こう考えました。財産を奪われた人には補償があるのに、命や身体を損なわれた人には無い。そちらだけを軽く扱ってよい理由など、どこにも無いはずだ、と。

判例東京地方裁判所判決・昭和五十九年五月十八日

予防接種禍事件・第一審 — 三項の類推適用 判断枠組み:財産上の犠牲と、生命・身体への犠牲とで、後者だけを不利に扱うべき理由はない、とした(要約) 結論:生命・身体に特別の犠牲が課せられた場合にも、憲法二十九条三項を類推適用して、国に正当な補償を請求できる、とした(要約)

判決自身が使った言葉は、「類推適用」です。この考え方は、財産よりも重い、生命や身体が、保護されないのはおかしい、という当然さを、強く意識したものです。この当然さを強調する構成は、学説の上では、「勿論解釈」と呼ばれています。ただし、注意してほしいのは、「勿論解釈」という呼び名は、学説がつけたものだ、ということです。判決自身の言葉は、あくまで「類推適用」です。この構成には、しかし、根本的な批判もありました。お金さえ払えば、国は、公共のためという理由で、人の命や健康まで取り上げてよいことになる。そういう批判です。

財産権への収用と、同じ枠組みで語ることには、そういう危うさが、つきまといます。この批判が、その後の裁判所の判断を、大きく変えることになります。

控訴審は、なぜ、構成を変えたのか

予防接種禍・控訴審の転換(二十九条三項構成を否定した理由/厚生大臣の過失=禁忌該当者を識別する体制の不備/十七条・国家賠償法構成へ) 図:予防接種禍・控訴審の転換

  • 二十九条三項構成を否定した理由
  • 厚生大臣の過失=禁忌該当者を識別する体制の不備
  • 十七条・国家賠償法構成へ

控訴審——東京高裁は、第一審の三項構成を、明確に退けました。控訴審が述べたことは、大きく、二つあります。ひとつは、なぜ、三項では救えないのか。もうひとつは、では、何によって救うのか、です。まず、三項は、どんな規定だと言っているのか、見てみましょう。

判例東京高等裁判所判決・昭和五十九年(ネ)第千五百十七号・平成4年12月18日

予防接種禍事件・控訴審 — 三項構成の否定 「憲法二九条三項を、公権力の行使が適法か違法かを問わず、特別の犠牲が結果として生ずれば損失補償を命じた規定と解した上、予防接種被害も同様に特別の犠牲と観念し得るが故に、損失補償請求ができると解釈することはできないものといわなければならない。」

三項は、「財産権を、法に基づいて、適法かつ意図的に侵害する場合」を対象とする規定だ、と述べています。控訴審の整理では、三項が引き受けているのは、国が、狙って取り上げる場面の埋め合わせです。予防接種の制度そのものは、法に基づく、適法なものです。ですが、重篤な副反応という結果まで、法が引き受けたわけではありません。そして、予防接種による重篤な副反応は、法がそもそも容認していない被害であって、「違法な」侵害というべきだ、としました。だから、類推解釈によっても、もちろん解釈によっても、三項を、生命・身体の被害に及ぼすことはできない——そう判示しました。

では、控訴審は、なぜ、このように、構成を変えたのでしょうか。控訴審は、憲法が、公権力の行使による国民の利益侵害への埋め合わせを、体系的に定めていると整理しました。十七条は、違法な公権力の行使による損害。三項は、適法な財産権の侵害。四十条は、適法な刑事手続による、身体の拘束です。予防接種による重篤な被害は、法がそもそも許容していない以上、「適法な侵害」とは言えません。だとすると、三項の射程には、そもそも入らない。残るのは、十七条——違法な行為に対する国家賠償だけだ、という、消去法的な理由づけです。

加えて、三項構成には、もう一つ、根源的な批判がありました。「子供は、財産なのか」という批判です。財産権の枠組みで、子供の生命や健康を語ること自体への、違和感です。この批判の背景もあって、控訴審は、まったく違う道を選びました。そして、厚生大臣が、接種してはいけない体質の人——禁忌該当者を、的確に見分けて、除外するための、十分な措置を取らなかった。この過失を認めて、十七条・国家賠償法一条に基づく、国家賠償請求を、広く認めました。控訴審は、厚生大臣が、接種を担当する医師に対して、禁忌該当者を見分けるための、十分な予診の体制や、情報提供の仕組みを、整えていなかったことを、具体的に認定しました。そのうえで、被害を受けた子どもたちの一部について、原判決を取り消して、新たに、国家賠償請求を認めています。

この谷間の問題は、財産権の枠組みだけでは、生命・身体の被害を、うまく救済できないことを、私たちに教えてくれます。

今日のまとめ——二十九条、完成の地図

二十九条の完成地図(一項=現状保障+制度的保障/二項=形式面〔条例可否〕+実質面〔総合考慮〕/三項=特別の犠牲〔補償の要否〕+正当な補償〔補償の中身〕) 図:二十九条の完成地図

  • 一項=現状保障+制度的保障
  • 二項=形式面〔条例可否〕+実質面〔総合考慮〕
  • 三項=特別の犠牲〔補償の要否〕+正当な補償〔補償の中身〕

それでは、今日の内容を、まとめましょう。最初の問いに、戻ります。「補償が必要になる境目は、どこにあるのか」でしたね。答えは、こうでした。境目は、「特別の犠牲」にあたるかどうかです。対象が、特定の個人や集団に絞られていて、受忍限度を超えて、財産権の本質的な中身を侵すとき——そこが境目です。そこに至れば、「正当な補償」が必要になります。そして、その中身は、原則として、完全補償説——客観的な市場価格の全額です。ただし、農地改革のような、極めて特殊な事情のもとでは、市場価格を下回る、相当な額でも足りる、とされました。

今日、ずっと使ってきた考え方を、思い出してください。損失を、特定の誰かひとりに負わせず、国民全体で分かち合う——平等原則でした。特別の犠牲の判断も、正当な補償の中身も、支払いの時期も、法律に規定がない場合の請求も——すべて、この一本の糸でつながっていました。そして、この財産権への補償の考え方は、生命や身体には、そのままでは届きません。予防接種禍という谷間の問題が、そのことを、よく示していました。最後に、二十九条全体を、一枚の地図に、まとめておきましょう。一項は、現状保障と、私有財産制の制度的保障。二項は、制限の可否——形式面と実質面。三項は、補償の要否と、その中身。二項で「制限してよいか」を判断し、三項で「補償が要るか」を判断する。この二段構えで、財産権の章は、完結します。

財産をめぐる話から、今度は、身体の自由をめぐる話に、変わります。

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