権力分立と政党——わざと、動きにくくしてある理由
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第4章 統治 #58/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
分立の中身は三つの動詞——区別し、分離し、抑制と均衡を保たせる
図:区別から分離、抑制と均衡へ
- 区別=仕事の性質で立法・行政・司法に分ける
- 分離=別々の機関に担当させる
- 抑制と均衡=互いに止め合う力を持たせる
- 三段そろって初めて権力分立と呼べる
まず、権力分立という言葉の中身を、正確に見ましょう。三つに分けると言うだけでは、足りません。三つの動詞で理解する必要があります。一つ目は、区別です。国家の仕事を、性質によって立法・行政・司法に分けます。二つ目は、分離です。その三つの仕事を、別々の機関に担当させます。区別しただけでは、だめです。仕事の種類を分けても、同じ人が担当したら意味がありません。だから、担当する機関も分けます。区別と分離だけで十分だと、思われがちです。ですが、まだ足りません。三つ目が、いちばん大事です。抑制と均衡です。区別して分離しただけでは、三つの機関はただの分業になります。
会社を思い浮かべてください。企画部が計画を立て、営業部がそれを売る。仕事を分けているという意味では、これも分業です。では、営業部が、計画にない方法で強引に売り込みを始めたら。止める権限は、企画部にはありません。仕事を分けただけの分業には、相手を止める手段がないんです。ここに、抑制と均衡が要ります。国会・内閣・裁判所は、仕事を分担しているだけではありません。互いに、相手の行為を止める力を持っています。
図:分業と権力分立の違い
- A=国会・B=内閣・C=裁判所
- 左=分業=A→Bの一方通行の指示だけで止める手段が無い
- 右=権力分立=A⇄B⇄C互いに止める力を持つ
- どんな力かの中身は国会・内閣・裁判所の各回で見る
図で確認しておきましょう。左は、ただの分業です。Aから、Bへ一方的に指示するだけです。右が、権力分立です。A、B、Cが、互いに止める力を持っています。どんな力で止め合うのか、具体的な中身は、国会や内閣、裁判所の回で一つずつ見ていきます。今日は、区別と分離だけでは何が足りないか、押さえておいてください。この三段階を、覚えておいてください。
目的は一つ——国民の自由を守ること
図:人権は目的、統治は手段
- 人権保障という目的のために、統治のしくみという手段が用意される
- 権力分立はその手段の中心
- フランス人権宣言16条=権利の保障と権力の分立が無ければ憲法を持つとは言えない、という趣旨
では、なぜ、そこまでして止め合う仕組みを作るのでしょうか。それも近いですが、もっと正確に言うと、目的はただ一つです。国民の自由を守ることです。憲法とは何かを扱った回で、こう言いました。人権保障という目的のために、統治のしくみという手段が用意されている、と。権力分立は、その手段の中心にある仕組みです。国民の自由を守るために、権力の動き方そのものを、制限しているんです。たとえば、法律を作る機関と実行する機関と判断する機関が、全部同じだったとします。気に入らない相手を狙って法律を作り、自分でその人を捕まえ、自分で有罪だと決められます。
分けてあれば、法律を作った機関と判断する機関が別です。だから、そこで止まります。自由を守るというのは、こういう場面を作らせないということです。この考え方を、はっきり言葉にした文章があります。フランス革命のときの、人権宣言です。その十六番目の条文が、こう言い切ります。権利が守られる保証も無く、権力も分けられていない。そんな社会は、そもそも憲法を持っていない、と。権利を守る仕組みと、権力を分ける仕組み。この二つがそろって、初めて憲法と呼べる、というわけです。それだけ、権力分立が、自由を守るために不可欠だと考えられているんです。
この後も、それは結局、自由を守るためのどの部分の話なのか、確認していきましょう。
だから自由主義的・消極的・懐疑的——そして政治的中立性
図:三つの形容詞
- 自由主義的=守るのは国民の自由そのもの
- 消極的=何かを実現する原理ではなく、させないための原理
- 懐疑的=権力は必ず濫用されるという前提に立つ
目的が国民の自由だと分かると、権力分立には三つの性格が見えてきます。一つ目、自由主義的です。守っているのが、国民の自由そのものだからです。二つ目、消極的です。何かを実現するための原理ではなく、させないための原理という意味です。国民主権を思い出してください。誰が国の決定権を持つか、を積極的に決める原理です。権力分立は、決まった後に、それをどう止めるかの原理です。決める場面ではなく、決めた力が暴走しないか見張る場面で働きます。三つ目、懐疑的です。権力は、放っておけば必ず濫用される、という前提に立っています。性善説ではなく、性悪説に近い発想です。
自浄作用を信じません。だから、外側から仕組みで縛る必要がある、と考えます。すべて、権力を疑い、自由を守るという姿勢から出ています。
図:政治的中立性という反転
- 権力分立の有無×民主主義の有無の組み合わせ
- 権力分立あり・民主的=日本国憲法
- 権力分立あり・非民主的=明治憲法、外見的立憲主義のドイツ
- 権力分立なし・非民主的=絶対王政
- 三権分立があるからといって民主国家だとは言えない
ここで、一つ驚く話をします。権力分立という考え方そのものは、民主主義とは別の原理です。民主的でない体制にも、権力分立の形だけは、存在しえたということです。権力分立があれば必ず民主的だとは、実は言えません。ここで、明治憲法の話を思い出してください。明治憲法にも、帝国議会や内閣、裁判所という区分けは存在していました。形だけを見れば、権力は分かれています。明治憲法が、立憲主義的だったという意味ではありません。あくまで、権力を分けるという形だけが、そこにあった、ということです。ドイツにも、同じことが起きました。外見的立憲主義の体制の下で、権力の区分けという形式だけは整えられていたことがあります。
そこが、この節でいちばん伝えたかったことです。権力分立は、政治的に中立な道具です。形だけなら、非民主的な体制にも、載せることができます。分けた権力が、本当に互いを止める力を持っているか。そして、その目的が、本当に国民の自由を守ることに向いているか。この二つが、分かれ目です。この区別を、頭に入れておいてください。
日本国憲法はどう分けたか——三つの条文と、三つの性格
図:三つの機関と根拠条文
- 41条=立法権は国会に
- 65条=行政権は内閣に
- 76条1項=司法権は裁判所に
- 条文が、区別と分離、二つ目までの動詞の証拠
では、日本国憲法は、具体的にどの条文で権力を分けているんでしょうか。権力を分ける条文は、ちゃんとあります。三つの条文を、順番に見ていきましょう。憲法とは何かを扱った回で、権力の設計図にあたる条文だと触れた三つです。今日は、その全文を見ます。まず、四十一条です。
条文日本国憲法 41条
日本国憲法 第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。
国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。この条文が、立法権を国会に与えています。実は、この一文の中には、まだ二つ、答えていない言葉が残っています。「国権の最高機関」とは、どういう意味なのか。「唯一の立法機関」とは、何を指しているのか。この二つは、国会そのものを扱う回で、じっくり見ていきます。今日は、立法権が国会に属するという事実だけ、押さえてください。次は、六十五条です。
条文日本国憲法 65条
日本国憲法 第六十五条 行政権は、内閣に属する。
行政権は、内閣に属する。これだけの、短い条文です。シンプルですが、これで行政権の担い手が、内閣だと決まります。最後に、七十六条一項です。
条文日本国憲法 76条1項
日本国憲法 第七十六条第一項 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。
すべて司法権は、最高裁判所と、法律の定める下級裁判所に属する。司法権を担うのは、裁判所だ、ということです。これが、区別と分離、二つ目までの動詞の証拠です。国家の仕事を三つに区別し、それぞれ別の機関に分離する。この三つの条文が、それを実現しています。その証拠の一端も、実は近くにあります。たとえば、六十六条三項です。内閣は、国会に対して、連帯して責任を負う。そういう仕組みです。この条文の中身は、内閣を扱う回で、詳しく見ます。今日は、内閣が国会から見張られている、という一点だけ押さえてください。七十六条には、実は三項まであります。三項は、裁判官の独立を定めた条文で、司法権の独立と呼ばれます。こちらも、裁判所を扱う回に譲ります。
ここで、三つの機関の性格の違いも、押さえておきましょう。
図:機関×権限×性格の一覧表
- 国会=立法権、民主主義の性格=全国民の代表機関、選挙で選ばれた意思をそのまま映す
- 内閣=行政権、福祉主義の性格=国民の暮らしを支える役割を担う(専門性と迅速性はそのための道具)、国会に連帯して責任を負う
- 裁判所=司法権、自由主義と個人主義の性格=多数決に流されず個別の人権を守る
国会は、選挙で選ばれた代表の集まりです。だから、民主主義の性格を強く持ちます。内閣は、専門知識を持った組織を率いて、迅速に政策を実行します。国民の暮らしを支える仕事を、実際に引き受けて動かす。それが内閣の役割です。この役割から、内閣の性格は福祉主義と呼ばれます。専門性と速さは、そのための道具です。そして裁判所は、多数決では動きません。一人ひとりの人権を、個別の事件の中で守ります。自由主義であり、個人主義の性格を持ちます。全体の目的である自由主義を、三つの機関の中でいちばん強く担うのが裁判所です。
民主主義、福祉主義、自由主義と個人主義。三つの機関が、それぞれ違う原理を背負っています。これが、この後の統治の各回で見ていく、地図の骨格になります。
どこまで対等か——フランス型とアメリカ型
図:フランス型とアメリカ型
- フランス型=議会中心の立法権優位型、違憲審査権は否定される
- アメリカ型=三権対等型、違憲審査権は肯定される
- 日本国憲法=41条・66条3項はフランス型の要素、81条を持つ点でどちらかといえばアメリカ型に近い
ここまで、三つの機関に分けるという話をしてきました。では、この三つは、いつも対等なんでしょうか。三権が対等ではない場合も、あります。権力分立には、大きく二つの型があります。フランス型と、アメリカ型です。フランス型は、議会を中心に置く型です。国民を代表する議会が、いちばん強い立場に立ちます。だから、裁判所が法律を違憲だと判断する力、違憲審査権は否定されます。一方、アメリカ型は、三権が対等に向き合う型です。だから、裁判所にも、法律を違憲と判断する力が認められます。では、日本国憲法は、どちらの型でしょうか。
日本国憲法は、四十一条で国会を国権の最高機関としています。そして、六十六条三項で、内閣は国会に連帯責任を負います。
条文日本国憲法 66条3項
日本国憲法 第六十六条第三項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。
ここは、フランス型に近い要素です。日本国憲法をフランス型だと言い切ることは、できません。ここで、八十一条を見てください。
条文日本国憲法 81条
日本国憲法 第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。
最高裁判所は、法律や命令などが憲法に適合するかを決定する権限を持つ。この条文が、違憲審査権を認めています。そこより上に争う先が無い、最後の裁判所という意味です。だから、日本国憲法は、両方の性質を部分的に持っています。ただし、違憲審査権を持っている以上、どちらかといえばアメリカ型に近いと言われます。アメリカ型だと言い切ることは、しません。どちらかといえば、という言い方がいちばん正確です。違憲審査権そのものの中身は、専用の回で、じっくり見ます。今日は、型によって違憲審査権の有無が決まる、という骨組みだけ押さえてください。
現代的変容——三つの現象と、主眼の移動
図:三つの現象
- 行政国家現象=行政に力が集まり、国の基本政策を事実上主導するようになる
- 政党国家現象=政党が国家意思の形成を事実上主導する
- 司法国家現象=違憲審査によって裁判所が国会・内閣を事後チェックする
ここまで、権力分立の基本の形を見てきました。この仕組みは、十八世紀に作られたものです。今も、同じ形のまま効いているんでしょうか。そこに、現代的変容と呼ばれる動きがあります。三つの現象を、順番に見ていきましょう。一つ目、行政国家現象です。担任と学級会のたとえで、決める力が担任に集まっていく話をしました。今日は、同じ動きを権力分立の側から見直します。社会が複雑になるにつれて、国が国民の生活を支える仕事を、たくさん引き受けるようになりました。福祉、経済対策、災害対応。専門知識と、素早い判断が必要な仕事です。
その結果、国の基本的な政策を、事実上、行政が中心になって決める場面が増えました。これが、行政国家現象です。二つ目、政党国家現象です。中身は、あとで詳しく見ます。三つ目、司法国家現象です。違憲審査制が整えられたことで、裁判所が、国会や内閣の活動を事後的にチェックする役割を担うようになりました。一見、別の話に見えますが、実は一つのことを示しています。今の権力分立で、いちばん警戒すべき相手が、変わったということです。十八世紀の権力分立は、王様のような一人の絶対的な権力者を警戒して作られました。ですが今、いちばん力を持っているのは、行政です。
図:憲法が引いた線と、実際に効いている線
- A=国会・B=内閣・C=裁判所・D=政党
- 憲法の設計=A・B・Cを均等の太さで並べる三本の線
- 実際の姿=行政国家現象でBに力が集中し、政党国家現象でDが対立軸を書き換える
- 権力分立の主眼は行政権の抑制へ移動
行政国家現象が進んだ今、権力分立の主眼は、行政権をどう抑えるかに移っています。図で確認しましょう。憲法が、そもそも引いた線は、国会、内閣、裁判所という三本です。太さは、もともと均等のはずでした。ですが、実際に力が集まっているところを見ると、内閣のところに厚みが出ています。もう一つ、図には、憲法が線を引いていない相手が描いてあります。政党です。さっき名前だけ出した政党国家現象です。この続きは、このあと正面から扱います。このずれを意識しないと、権力分立をただの用語として覚えるだけで終わります。守るべきものが自由である以上、自由が脅かされる場所が動けば、見張る先も動く。ここが、今日いちばん大事な考え方です。
政党——書かれていないのに、中心にいる
図:政党と憲法の四段階
- ①敵視=政党を禁止・弾圧する段階
- ②無視=禁止しないが法律上は存在しないものとして扱う段階
- ③承認・合法化=政党の存在を前提にした法律を置く段階、日本はここ
- ④憲法への編入=憲法本体に政党の規定を置く段階、例はドイツ基本法21条
では、さっき名前だけにしておいた政党国家現象に、戻りましょう。行政国家現象と並ぶ、もう一つの大きな変化です。かつての対立の軸は、国会対内閣でした。ところが今は、対立の軸が、与党対野党に移っています。国会と内閣は、実質的には、多数派の政党によって一体化しています。政党こそが、実際に国家の意思を動かす、いちばんの主体になっているんです。ここが、この回いちばんの謎です。書かれていないものが、実際の仕組みの中心にいる。憲法と政党の関係を、段階で整理する考え方があります。国家が政党をどう扱ってきたかを、四つの段階で見ます。一段階目、敵視です。政党を、国家の統一を乱す存在として、禁止したり弾圧したりする段階です。
たとえば、市民革命の直後のフランスでは、結社の自由そのものが認められていませんでした。同じ時代です。政党を作ること自体が、まだ許されていなかった段階でした。二段階目、無視です。禁止まではしませんが、憲法や法律のうえで、存在しないものとして扱う段階です。選挙も議会の運営も、政党という単位ではなく、一人ひとりの議員を単位にしている段階です。存在してもいいが、制度のうえでは無いものとして扱われる段階です。三段階目、承認と合法化です。政党の存在を前提にした法律が、作られるようになる段階です。四段階目、憲法への編入です。憲法そのものに、政党についての条文が、書き込まれる段階です。
日本は、三段階目の、承認と合法化にいます。日本国憲法には、政党という言葉そのものが、出てきません。政党を前提にした法律は、あります。政治資金規正法、公職選挙法、政党助成法。どれも、政党の存在を当然の前提として作られています。ただし、ドイツの憲法のように、政党そのものについての条文を持つわけではありません。だから、四段階目の憲法への編入には、当たりません。結社の自由です。集会と結社の自由を扱った回で、この条文を見ましたね。
条文日本国憲法 21条1項
日本国憲法 第二十一条第一項 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
集会や結社、言論や出版といった表現の自由を、まとめて保障している条文です。政党を作り、加入し、活動する自由は、この条文が根拠になっています。さて、ここからが、今日いちばん厚く扱いたいところです。政党には、二つの顔があります。
図:政党の二つの顔
- 私的団体としての顔=結社の自由に基づく任意団体、自主性と自律性の尊重
- 公的な性格を持つ顔=国家の意思形成に事実上深く関わる、特別の規制がありうる
- 二面性から結論は一方向に決まらない
一つ目の顔、私的な団体としての政党です。政党は、結社の自由に基づいて、国民が自発的に作る団体です。だから、自主性や自律性が、尊重されなければなりません。二つ目の顔、公的な性格を持つ団体としての政党です。国家機関そのものではありませんが、国家の意思形成に事実上深く関わっています。党内の組織や運営を、民主的に行うよう求める法律のような、特別の規制がありえます。この二つの顔が、政党を法律で扱うときの、いちばんの難しさになります。この公的な性格を、正面から述べた判例があります。八幡製鉄事件です。あの回では、会社が政治献金をする自由を、法人の人権として見ました。今日は、同じ判決の、別の部分に注目します。政党の側から見た部分です。
まず、事案だけ簡単に触れておきます。ある製鉄会社が、自由民主党に政治資金を寄付しました。その寄付が、会社の目的の範囲内かどうかが、争われた事件です。今日、注目するのは、判決が政党について述べた部分です。
判例最高裁判所大法廷判決・昭和四十五年六月二十四日(八幡製鉄事件)
八幡製鉄事件——政党の公的性格の根拠 以上の理は、会社が政党に政治資金を寄附する場合においても同様である。憲法は政党について規定するところがなく、これに特別の地位を与えてはいないのであるが、憲法の定める議会制民主主義は政党を無視しては到底その円滑な運用を期待することはできないのであるから、憲法は、政党の存在を当然に予定しているものというべきであり、政党は議会制民主主義を支える不可欠の要素なのである。 そして同時に、政党は国民の政治意思を形成する最も有力な媒体であるから、政党のあり方いかんは、国民としての重大な関心事でなければならない。したがつて、その健全な発展に協力することは、会社に対しても、社会的実在としての当然の行為として期待されるところであり、協力の一態様として政治資金の寄附についても例外ではないのである。
判決は、まず、憲法には政党についての規定が無いことを、正面から認めています。そのうえで、憲法が定める議会制民主主義は、政党を抜きにしては動かない、と言います。国民が選んだ代表が集まる議会を通じて、国のことを決めていく仕組みです。この仕組みそのものの中身は、国会を扱う回で、あらためて見ていきます。だから憲法は、政党の存在を当然に予定しているはずだ、というのが判決の運びです。国民一人ひとりの意思を、まとめて国政に反映させる。その役割を、政党が担っています。だからこそ、政党の存在意義が大きいと、判決は認めているんです。
ここで、注意しておきたいことがあります。二面性から、いつも同じ結論が出るとは限りません。公的な性格を強調すれば、特別な規制が必要だ、という結論に向かいそうです。ですが、実は、逆の結論を導いた判例もあります。公的な性格を理由にしながら、むしろ政党の自主性や自律性を、強く尊重すべきだと述べた判例です。共産党袴田事件と呼ばれる事件です。政党の内部の運営に、裁判所がどこまで踏み込んでよいか。この判例の中身は、政党の内部自律を扱う回で、じっくり見ます。今日は、二つの顔があるからといって、結論が一方向に決まるわけではない、ということだけ押さえてください。
政党は、憲法に書かれていないからこそ、この二つの顔の間で、どう扱うかがいつも問い直されているんです。
今日の地図(保存版)
図:今日の到達点
- 権力を分けるのは国家を動かすためでなく、国民の自由を守るため
- 守るべきものが脅かされる場所が移れば分立の主眼も移る
- 今の主眼は行政権の抑制
- 実際に線を引き直しているのは、憲法に名前のない政党
- 誰が誰を何のために止めるのかを毎回問い直す
今日の内容を、まとめましょう。権力分立は、区別、分離、抑制と均衡という、三つの動詞でできていました。抑制と均衡が抜けたら、それはただの分業です。目的は、国民の自由を守ることでした。だから、自由主義的、消極的、懐疑的だと言われます。そして、この性格は、民主主義とは別の原理なので、非民主的な体制にも形だけは載りえます。日本国憲法は、四十一条、六十五条、七十六条一項で、三つの権限を三つの機関に分けています。フランス型とアメリカ型、両方の要素を持ちながら、八十一条の違憲審査権を持つ点で、どちらかといえばアメリカ型に近い形です。
そして、この仕組みは、十八世紀のまま止まっているわけではありません。行政国家現象によって、行政に力が集まり、権力分立の主眼は行政権を抑えることに移っています。その動きの延長に、政党国家現象があります。政党は、憲法に一言も書かれていないのに、実際には国家の意思を動かす、いちばんの主体になっています。政党には、私的な団体としての顔と、公的な性格を持つ顔があります。この二つの間で、どこまで自主性を尊重し、どこから規制を認めるか。答えは、一方向には決まりません。今日の到達点を、一文にします。権力を三つに分けているのは、国家を動かすためではありません。国民の自由を守るためです。だから、守るべきものが脅かされる場所が移れば、分立の主眼も移ります。今その主眼は、行政権の抑制にあります。そして、実際に線を引き直しているのは、憲法に名前のない政党です。三権という形を覚えるのではなく、誰が、誰を、何のために止めるのか。これを毎回問い直すことが、統治を読む姿勢になります。
この地図を持って、次は、統治の最初の機関を見ていきましょう。三つに分けた、その一つ目です。国会とは、いったい何者なのか。それでは、また、お会いしましょう。
参照条文
- 日本国憲法 41条
- 日本国憲法 65条
- 日本国憲法 76条1項
- 日本国憲法 66条3項
- 日本国憲法 81条
- 日本国憲法 21条1項