憲法ゼロから憲法#59

国会の地位——いちばん立派な肩書きに、法的な意味はない

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第4章 統治 #59/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

三つの地位——どれが法的な肩書きで、どれが呼び名か

進み方(まず最高機関を片づける/次に全国民の代表を深く見る/最後に唯一の立法機関の中身を見る/呼び名を先に、法的に効く二つに時間を使う) 図:進み方

  • まず最高機関を片づける
  • 次に全国民の代表を深く見る
  • 最後に唯一の立法機関の中身を見る
  • 呼び名を先に、法的に効く二つに時間を使う

まず、条文を正確な形で確認しておきましょう。

条文日本国憲法 41条

日本国憲法 第四十一条 国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。

国会は、国権の最高機関であって、国の唯一の立法機関である。前回は、立法権が国会に属するという事実だけを見ました。今日は、この一文の意味そのものを、分解していきます。主権を扱った回で、名前だけ出てきましたね。国権とは、統治権全体を指す言葉です。今日は、その中身よりも、最高機関という形容のほうを見ていきます。

条文日本国憲法 43条1項

日本国憲法 第四十三条第一項 両議院は、全国民を代表する選挙された議員でこれを組織する。

選挙で選ばれた議員が両議院をつくる。そしてその議員は、特定の誰かではなく国民全体を代表する。そういう組み立てです。あのときは、選挙された議員という側に注目しました。直接選挙が求められる根拠として、使いましたね。今日は、全国民を代表するという側から、この条文を読みます。では、今日の進み方を先に言っておきます。まず、国権の最高機関を片づけます。次に、全国民の代表を深く見ます。最後に、唯一の立法機関の中身を見ます。気づきましたね。なぜ、この順番にするか。国権の最高機関は、実は呼び名にすぎません。だから、先に片づけてしまいます。残りの二つに、たっぷり時間を使うためです。

では、その空っぽな肩書きから見ていきましょう。

「国権の最高機関」——統括機関説はなぜ採れないのか

抑制関係(A=国会・B=内閣・C=裁判所/B→A=内閣の解散権・69条と7条3号/C→A=裁判所の違憲審査権・81条/国会は上位の統括機関ではなく、抑えられる側にいる) 図:抑制関係

  • A=国会・B=内閣・C=裁判所
  • B→A=内閣の解散権・69条と7条3号
  • C→A=裁判所の違憲審査権・81条
  • 国会は上位の統括機関ではなく、抑えられる側にいる

「国権の最高機関」という言葉を、そのまま読むとどうなるでしょうか。国政全体をまとめて統括する機関だと読む見解が、実際にあります。統括機関説と呼ばれます。この見解は、四十一条前段の文言に、しっかり法的な意味を認めます。国会を、内閣や裁判所より上に立つ、国政全般の統括機関だと解します。ここで、前回の道具を使います。前回、権力分立の下で、国会も止められる側にいると確認しましたね。まず、内閣との関係を見てみましょう。

条文日本国憲法 69条

日本国憲法 第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り総辞職をしなければならない。

衆議院が内閣を信任しなかったとき、内閣は総辞職しなければなりません。ただし、十日以内に衆議院を解散するという道も、残されています。七条は、天皇の国事行為を定めた条文です。国事行為とは、天皇を扱った回で見た、形式的で儀礼的な行為のことです。その七条にも、衆議院を解散すること、という項目があります。この解散権の細かい所在論には、今日は立ち入りません。今日は、内閣にも国会を止める力がある、という一点だけ押さえてください。もう一つ、裁判所との関係もあります。前回見た、八十一条です。裁判所には、法律が憲法に適合するかを決める権限があります。

内閣にも裁判所にも止められる立場にある機関を、上位の統括機関と呼ぶのは無理があります。だから、統括機関説はあまり採られません。この解散権の所在や、違憲審査権の中身は、それぞれ内閣と裁判所の回で見ていきます。今日は、国会も抑えられる側にいる、という事実だけで十分です。では、この文言を通説はどう読んでいるのでしょうか。

政治的美称説——「特段の法的意味はない」とは何を言っているのか

権限×条文の一覧表(憲法改正の発議=96条1項/法律の制定=41条・59条/条約の承認=61条/予算の議決=60条・86条/この一覧はすべて41条前段そのものからは出てこない) 図:権限×条文の一覧表

  • 憲法改正の発議=96条1項
  • 法律の制定=41条・59条
  • 条約の承認=61条
  • 予算の議決=60条・86条
  • この一覧はすべて41条前段そのものからは出てこない

通説は、政治的美称説と呼ばれる見解を採ります。褒め言葉という感覚に近いです。政治的美称説は、国権の最高機関という文言に、特段の法的意味はないと考えます。国会が弱い、と読んでしまうのが、いちばんの誤解です。特段の法的意味がないというのは、この言葉そのものから、独立した権限や効果を導けない、という意味です。国会の権限が小さい、という意味では、まったくありません。実は、政治的美称説自身が、こう言っています。国会には、国政における最も重要な、いくつもの権限が与えられている。その地位をまとめて呼んだ言葉が、国権の最高機関である、と。

実際に、一覧で確かめてみましょう。憲法を改正するかどうか国民に提案する力は、九十六条一項が与えています。法律を作る力は、四十一条と五十九条が与えています。条約を承認する力は、六十一条が与えています。予算を決める力は、六十条と八十六条が与えています。そして、この一覧に並んだ権限は、どれも四十一条前段そのものからは出てきません。それぞれ別の条文が、それぞれの手続きで与えているものです。肩書きは空洞でも、権限は本物です。この一覧に出てきた、法律を作る手続きや、条約と予算の中身は、それぞれの回で見ていきます。今日は、国権の最高機関という言葉は、これらの権限をまとめた呼び名にすぎない、ということまでにします。さて、ここからが今日の本題です。法的に効いているもう一つの肩書き、全国民の代表を見ていきましょう。

「全国民の代表」——選んだ人の言うとおりにしなくてよい、という意味

代表概念の三段階(近代以前=命令的委任=代表者は選出母体の意思に法的に拘束される/近代=純粋代表・自由委任=国家意思を作る側に回ったので拘束を外す/現代=半代表・社会学的代表=有権者が広がり民意の事実上の反映が重視される) 図:代表概念の三段階

  • 近代以前=命令的委任=代表者は選出母体の意思に法的に拘束される
  • 近代=純粋代表・自由委任=国家意思を作る側に回ったので拘束を外す
  • 現代=半代表・社会学的代表=有権者が広がり民意の事実上の反映が重視される

選挙区の意見を代弁する人だ、と多くの人が最初は考えます。ですが、憲法が言う代表は、それとは違います。「全国民の代表」というのは、選んだ人の言うとおりに動かなくてよい、という意味です。法的には、そうです。ただ、これは決して投げやりな話ではありません。なぜそうなるのか、順を追って見ていきましょう。学園祭の実行委員会を、思い浮かべてください。各クラスから、一人ずつ実行委員を出すとします。各クラスが、委員にこう命じたとします。「必ず、この案だけを主張しろ」と。すべてのクラスが、そう固く縛っていたら、どうなるでしょうか。

委員会で話し合っても、誰も譲れませんね。新しい提案が出ても、委員は自分のクラスの指示から動けません。だから、委員会はいつまでも話がまとまりません。これが、代表概念の歴史でいう、近代以前の姿です。昔のヨーロッパでは、代表者が選んだ集団の意思に法的に縛られていました。これを、命令的委任と呼びます。命令的委任でも、当時は困りませんでした。なぜなら、当時、国全体の意思を作っていたのは王様だったからです。議会は、まとまった意思を作る場所ではなかったので、代表が縛られていても不都合がなかったんです。ところが、近代の市民革命を経て、事情が変わります。国家の意思を作る役割が、王様から議会に移りました。

ここで、さっきの実行委員会の話が、そのまま効いてきます。議会が国の意思をまとめる場所になったのに、代表が選出母体に縛られていたら。統一した意思を、作れません。代表は、選出母体の指示に法的に縛られない。この考え方を、自由委任と呼びます。そして、この段階の代表を、純粋代表と呼びます。ですが、話はここで終わりません。現代に入って、選挙権を持つ人の範囲が大きく広がりました。普通選挙です。有権者が広がると、代表にはもう一つ期待がかかります。法的な縛りはなくても、事実として民意を反映してほしい、という期待です。

この段階の代表を、半代表、あるいは社会学的代表と呼びます。命令的委任の禁止は、そのまま維持されます。そのうえで、民意を事実上映すことが、重視されるようになったんです。命令的委任、純粋代表、自由委任、半代表、社会学的代表。なぜこの順で変わったのか、順を追って言えるようにしておいてください。では、日本国憲法は、この歴史のどこに立っているのでしょうか。

日本国憲法の答えと、代表の三分類

二階建ての代表(一階=法的には選出母体に拘束されない、自由委任/二階=事実上は民意に拘束される、社会学的代表/二つが積み重なって「全国民の代表」になる) 図:二階建ての代表

  • 一階=法的には選出母体に拘束されない、自由委任
  • 二階=事実上は民意に拘束される、社会学的代表
  • 二つが積み重なって「全国民の代表」になる

もう一度、四十三条一項を見てみましょう。両議院は、全国民を代表する選挙された議員で、これを組織する。この条文、よく見ると「国会議員は全国民の代表である」とは書いていません。両議院の組織のしかたを定める中で、その議員は全国民を代表する、と読み取っています。この一段を、飛ばさないでください。そのうえで大事なのは、各選挙区の代表ではなく、全国民の代表だと書かれている点です。これは、命令的委任を禁じている、と読めます。さらに、日本国憲法も、成年者による普通選挙を保障しています。選挙の五原則を見た回で、確かめましたね。だとすれば、さっきの歴史でいう現代の段階に立っています。この「代表」は、半代表や社会学的代表だと解するのが妥当です。ここで、二階建ての構造を、はっきりさせておきましょう。一階部分は、法的には選出母体に縛られない、ということです。二階部分は、事実上は民意に縛られる、ということです。

さっきの実行委員会で、考えてみてください。委員は、クラスの指示に法的には縛られません。ですが、クラスの声を無視し続ければ、次はその委員に任せてもらえません。議員も同じで、民意から離れれば、次の選挙で選ばれません。この二階建てを崩さないでください。自由委任だからといって、議員は何をしてもいい、という意味では、まったくありません。

代表の三分類——別の切り口(法的代表=国会の意思を国民の意思とみなす、批判=国民主権に反する/政治的代表=国民は国会を通じて行動し、国会は国民意思を反映するとみなされる、批判=民意と食い違ってもみなしで済んでしまう/社会学的代表=国民意思と代表者意思の事実上の類似をもって代表とする、通説) 図:代表の三分類——別の切り口

  • 法的代表=国会の意思を国民の意思とみなす、批判=国民主権に反する
  • 政治的代表=国民は国会を通じて行動し、国会は国民意思を反映するとみなされる、批判=民意と食い違ってもみなしで済んでしまう
  • 社会学的代表=国民意思と代表者意思の事実上の類似をもって代表とする、通説

ここで、もう一つの整理も紹介しておきます。さっきの三段階は、歴史がどう動いたか、という時間の流れで見た整理でした。これから見るのは、「代表」という言葉そのものを、三つに分ける整理です。この二つを、混ぜないでください。一つ目は、法的代表です。国会の意思を、そのまま国民の意思だとみなす考え方です。この法的代表には、たしかに強すぎるという批判があります。国会が決めたことが、そのまま国民の意思になるなら、国民主権とは言えなくなってしまいます。二つ目は、政治的代表です。国民は国会を通じて行動していて、国会は国民の意思を反映しているとみなす、という考え方です。

ただ、この考え方にも弱点があります。「反映しているとみなす」で済ませると、国会が決めたことが実際の民意と食い違っていても、それでも代表だ、ということになってしまいます。たとえば、多くの国民が望んでいない増税を国会が決めたとします。それでも、国民の意思が反映された、とみなされてしまいます。そこで、みなすだけでは足りない、という考え方が出てきます。三つ目が、社会学的代表です。国民の意思と、代表者の意思とが事実として似ている。この事実上の類似をもって、代表と呼ぶ考え方です。三つの分け方の中で、この社会学的代表が通説です。

国民の意思が国会に映るのと、国会の意思を国民の意思とみなすのとは、逆向きです。歴史の三段階でたどり着いた場所と、この三分類で通説とされる場所が、同じ言葉で一致しています。そして、社会学的代表という考え方は、もう一つ大事な要求をします。事実上、民意を映すには、選挙のしくみ自体が、公正で民意を忠実に反映するものでなければなりません。あのとき見た投票価値の平等という論点は、実はここにつながっていたんです。立派に聞こえた最高機関という肩書きは空っぽで、地味なこちらの肩書きのほうに、法的な中身がありました。

では、この二階建ての構造が実際にどう働くか。党議拘束という具体的な場面で確かめてみましょう。

党議拘束と党籍変動——自由委任は、どこまで生きているか

自由委任の枠外(自由委任の原則=議員は選出母体の法的指示に拘束されない/党議拘束=政党が所属議員の表決を拘束する、一見すると自由委任に反する/実際は、政党を通じてはじめて「全国民の代表」の実質が出る、自由委任の枠外にある正当化) 図:自由委任の枠外

  • 自由委任の原則=議員は選出母体の法的指示に拘束されない
  • 党議拘束=政党が所属議員の表決を拘束する、一見すると自由委任に反する
  • 実際は、政党を通じてはじめて「全国民の代表」の実質が出る、自由委任の枠外にある正当化

政党が所属議員の表決を拘束すること、党議拘束は、一見自由委任に反するように見えます。ですが、前回、政党について一つ大事な判断を見ましたね。政党は、議会制民主主義を支える不可欠の要素である。国民の政治意思を形成する、最も有力な媒体である、というものでした。この理解に立つと、党議拘束の見え方が変わります。個々の議員は、所属政党の方針に従って動くことで、代表の実質を発揮できる。そう考えられます。国民の多様な意思は、まず政党という単位にまとまります。議員は、その政党を通じて動くことで、国民の意思を国政に反映させることができます。

自由委任が何を防ぐためのものだったか、思い出してください。バラバラの指示に縛られて、議会が意思をまとめられなくなる。それを防ぐための仕組みでした。党議拘束は、逆に意思をまとめる側に働きます。禁じたかった事態を、起こす縛りではありません。だから、党議拘束は自由委任が禁じる範囲の外にある、と考えられています。ただし、ここにははっきりした歯止めもあります。党の方針に従わず除名されたとしても、議員としての資格そのものは失いません。自由委任は、選出母体からの法的な責任追及を禁じるものでした。この歯止めは、その中身が、そのまま裏返って出てきているものです。さて、もう一つ党にまつわる制度を、簡単に見ておきましょう。

比例代表で選ばれた議員が、当選した後に別の党へ移った場合の扱いです。現行法には、この場合を扱う規定があります。ただし、対象はかなり狭く絞られています。当選したときの所属政党とは別の政党に移った場合が対象です。しかも、その政党が、同じ選挙で候補者名簿を出していた競合政党である場合に限られます。この場合に限って、議員としての資格を失います。単なる離党や、無所属になること。当選後に結成された新党への移動では、資格を失いません。この制度が自由委任とどこまで整合するかは、学説のうえで、なお議論があります。

今日は、この制度がどんな要件で組まれているか、という事実まで押さえておいてください。さて、ここまでで全国民の代表という肩書きを、確かめてきました。残るは、唯一の立法機関です。国会だけが作れる「立法」とは、何でしょうか。

「唯一の立法機関」の「立法」——法律のことではない

41条後段の趣旨(国民代表機関である国会に立法権を独占させる/立法に民主的コントロールを及ぼす/それによって国民の権利・自由をできる限り保障する) 図:41条後段の趣旨

  • 国民代表機関である国会に立法権を独占させる
  • 立法に民主的コントロールを及ぼす
  • それによって国民の権利・自由をできる限り保障する

もう一度、四十一条を見てください。国会は、国の唯一の立法機関である。今日は、後段のこの部分です。国会が作る法律のことだ、と多くの人が最初は考えます。ですが、それでは答えになりません。まず、なぜこの条文があるのか、趣旨から考えましょう。国民の代表機関である国会に、立法権を独占させます。そうすることで、立法という作業に、民主的なコントロールを及ぼします。その結果として、国民の権利や自由をできる限り保障しようとしているんです。この趣旨を頭に置きながら、「立法」の意味を考えていきましょう。ここは、学説が批判し合いながら進んでいく場所です。

「立法」をめぐる学説の批判の連鎖(形式的意味の立法説=国会が法律の形式で定めたもの全部/批判=同語反復になる、国会以外が法律の形式で定めることを禁じるだけになる/法規説=国民の権利を制限し義務を課す規範/批判=立憲君主政の前提、国民主権の下では狭すぎる/一般的・抽象的法規範説=通説) 図:「立法」をめぐる学説の批判の連鎖

  • 形式的意味の立法説=国会が法律の形式で定めたもの全部
  • 批判=同語反復になる、国会以外が法律の形式で定めることを禁じるだけになる
  • 法規説=国民の権利を制限し義務を課す規範
  • 批判=立憲君主政の前提、国民主権の下では狭すぎる
  • 一般的・抽象的法規範説=通説

一つ目の考え方は、形式的意味の立法説です。国会が「法律」という形式で定めたものは、すべて立法だとする見解です。ですが、この読み方には大きな弱点があります。「国会が法律を作ることを立法と呼ぶ」と言っているだけで、同じことを繰り返しているにすぎません。これでは、四十一条後段が何を保障しているのか、中身が空っぽになってしまいます。せいぜい、国会以外の機関が「法律」という名前のものを作ることを禁じる意味しか持てません。そこで、二つ目の考え方が出てきます。法規説です。国民の権利を制限し、または義務を課す規範を、立法だとする見解です。

ただ、この考え方にも弱点があります。もともとこの読み方は、明治憲法のもとで育った考え方です。議会の役割を、君主の権力を制限することに置く、立憲君主政の発想が背景にあります。ですが、日本国憲法は国民主権を採っています。君主を抑えるという発想を前提にした読み方では、「立法」の範囲が狭すぎるんです。生活に困った人に給付を行う法律を、考えてください。この法律は、国民の権利を制限してもいませんし、義務を課してもいません。法規説だと、こういう法律は「立法」から外れてしまいます。そこで、通説が採るのが三つ目の考え方です。国民の権利や義務に関する、一般的で抽象的な法規範の定立を、立法だと考えます。

この二つは違います。「一般的」というのは、不特定多数の人を対象にする、という意味です。「抽象的」というのは、不特定多数の事案に、繰り返し適用される、という意味です。具体例で確かめておきましょう。たとえば、道路の制限速度を定める法律を考えてください。この法律は、その道を走る人なら誰にでも当てはまります。これが、一般的です。そして、今日だけでなく、明日も、あさっても、道を走るたびに繰り返し当てはまります。これが、抽象的です。逆に、特定の会社一社だけを名指しして規律する法律があったとします。対象が一社に限られている時点で、一般的とは言えません。

そして、大事なことがもう一つあります。この定義には、「国民の権利や義務に関する」という限定が必ずつきます。単に、一般的で抽象的な規範なら何でもいい、というわけではありません。この限定を忘れないでください。さて、この考え方に立つと、大事な帰結がもう一つ出てきます。国民の権利義務に関する、一般的で抽象的な法規範は、必ず国会が法律で定めなければなりません。これを、必要的立法事項と呼びます。逆に、この条件に当てはまらない規範は、任意的立法事項と呼ばれます。法律で定めてもいいですし、政令のような法律以外の形式で定めてもかまいません。

ここまでで、「立法」とは何かが、はっきりしました。では、この考え方を使って、一つ難しい問題を考えてみましょう。特定の人や、特定の事案だけを規律する法律は、そもそも作ってよいのでしょうか。

措置法——「立法」でなくても、作ってよいのか

措置法の二つの関門(措置法=特定の人や事案だけを規律する法律/一般的・抽象的ではない、必要的立法事項ではない/任意的立法事項として作れるか、①権力分立との関係②平等原則14条1項との関係、二つの関門を通れば合憲) 図:措置法の二つの関門

  • 措置法=特定の人や事案だけを規律する法律
  • 一般的・抽象的ではない、必要的立法事項ではない
  • 任意的立法事項として作れるか、①権力分立との関係②平等原則14条1項との関係、二つの関門を通れば合憲

特定の人だけを狙った法律は、実際にあります。措置法、あるいは処分的法律と呼ばれるものです。特定の人、または特定の事案だけを規律する法律のことです。この措置法は、不特定多数を対象にしていないので、一般的とは言えません。つまり、必要的立法事項には当たりません。では、必要的立法事項でないなら、そもそも作ってはいけないんでしょうか。作る意味がない、とはなりません。任意的立法事項として、国会が定めることは認められています。ただし、無条件ではありません。二つの関門を通る必要があります。一つ目は、権力分立との関係です。

特定の人や事案だけを規律するというのは、本来、行政が個別に判断する仕事に近いものです。さっきの、一社だけを対象にする法律で考えてください。どの会社をどう扱うかは、ふつうなら行政が個別に決める場面です。そこに国会が踏み込むと、権力分立に反しないか、という問題が出てきます。国会が内閣の仕事を奪うのではないか、という心配です。ここで、前回の到達点を思い出してください。行政権が肥大化した今の社会では、権力分立の主眼は、行政権を抑えることにあります。ここで効きます。いま止めるべき相手は、行政の側です。国会が行政の領域に少し手を伸ばしても、止めるべき相手を野放しにすることにはなりません。

国会と内閣の憲法上の関係そのものが、決定的に壊されるのでない限り。権力分立には反しません。二つ目は、平等原則との関係です。

条文日本国憲法 14条1項

日本国憲法 第十四条第一項 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない

すべて国民は、法の下に平等であって、不合理な差別を受けない。平等原則との関係も、当然問題になります。ここで、福祉国家という考え方が効いてきます。憲法がなぜ縛るのかを扱った回で、社会国家、積極国家とも呼ぶと触れましたね。国が、困っている人や地域に、積極的に手を差し伸べる側に回る。そういう国家のあり方です。その福祉国家にふさわしい、実質的で合理的な違いを設ける趣旨のものであれば、平等原則には反しません。たとえば、特定の被災地だけを対象にした復興のための法律を考えてみてください。被災地だけを特別扱いすること自体は、その地域の事情に応じた合理的な違いだと言えます。

権力分立との関係、そして平等原則との関係。この二つの関門を通れば、措置法を定立することは合憲だと考えられます。「立法にあたらない、だから作れない」と丸めてしまうと間違えます。もう一つ、似た話をしておきます。各省の設置法のような、行政組織の大綱を定める法律です。国民の権利義務に直接関係するとまでは言いにくく、一般的で抽象的な法規範とも言いがたいものです。だから、これも必要的立法事項ではなく、任意的立法事項だと考えるのが妥当です。ただし、これを必要的立法事項だとする見解も、実はあります。今日は、任意的立法事項と考えるのが妥当だ、というところまで押さえておいてください。さて、今日話してきたことを、まとめましょう。

今日の地図(保存版)

今日の到達点(国権の最高機関=法的な中身を持たない政治的な呼び名/全国民の代表=選出母体の法的な指示から切り離され、事実上は民意を映すことを求められる二階建て/唯一の立法機関の立法=国民の権利義務に関する一般的・抽象的法規範/国会の権限は「最高だから何でもできる」ではなく「この形の規範だけは国会でなければ作れない」という形で立つ) 図:今日の到達点

  • 国権の最高機関=法的な中身を持たない政治的な呼び名
  • 全国民の代表=選出母体の法的な指示から切り離され、事実上は民意を映すことを求められる二階建て
  • 唯一の立法機関の立法=国民の権利義務に関する一般的・抽象的法規範
  • 国会の権限は「最高だから何でもできる」ではなく「この形の規範だけは国会でなければ作れない」という形で立つ

今日の内容をまとめましょう。国会には、三つの肩書きがありました。国権の最高機関、全国民の代表機関、唯一の立法機関です。国権の最高機関は、法的な中身を持たない政治的な呼び名にすぎませんでした。通説である政治的美称説が言うとおり、この言葉自体からは何も出てきません。法的に効いているのは、残る二つの肩書きです。全国民の代表というのは、議員を選出母体からの法的な指示から切り離す。そのうえで、事実上は民意を映すことを求める、二階建ての仕組みでした。そして、党議拘束が合憲だとされる理由も、この二階建ての上に成り立っていました。もう一つ、唯一の立法機関の「立法」とは、何でしたか。

形式的意味の立法説から法規説を経て、通説にたどり着く流れも見ましたね。そして、その定義から必要的立法事項と任意的立法事項の区別が出てきました。だから、措置法にも答えが出せました。今日の到達点を、一文にします。国会の三つの肩書きは、飾りの度合いが違います。国権の最高機関は、法的な中身を持たない政治的な呼び名にすぎません。法的に効いているのは、全国民の代表と唯一の立法機関の二つです。全国民の代表とは、議員を選出母体の法的な指示から切り離す。そのうえで、民意を事実上映すことを求める、二階建ての仕組みです。唯一の立法機関の「立法」とは、国民の権利や義務に関する、一般的で抽象的な法規範のことです。だから、国会の権限は、最高だから何でもできる、という形では立っていません。この形の規範だけは国会でなければ作れない、という形で立っているんです。

国会だけが作れるものが、「立法」だと分かりました。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 41条
  • 日本国憲法 43条1項
  • 日本国憲法 69条
  • 日本国憲法 14条1項

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