憲法ゼロから憲法#66

行政権と独立行政委員会——内閣とは何者か

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第4章 統治 #66/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

今日の地図——国会から内閣へ、そして内閣の4回

統治編の現在地(権力分立→国会の地位→国会・議院の権能→内閣、今日から4回に分けて扱う) 図:統治編の現在地

前回の最後に、こんな問いを残しました。国会が法律を作り、内閣総理大臣を指名する。では、その指名された総理が率いる内閣とは、何なのか。今日は、その問いに答えます。その前に、もう一つ確認させてください。前回の最後に、国会は法律を作り、もう一つ大事なことをすると言いました。それは何でしたか?これまで八回、権力分立から国会まで、法律を作る側を見てきました。今日から、法律を実行する側——内閣に移ります。図を見てください。権力分立、国会の地位、国会と議院の権能と進んできて、今日から内閣です。内閣も、四回に分けます。

内閣パート4回の予告(①今日=位置づけ→②組織→③権限→④解散と責任) 図:内閣パート4回の予告(①今日=位置づけ→②組織→③権限→④解散と責任)

今日は、内閣とは何者か、という位置づけだけを扱います。二回目は内閣の組織——誰がどう作るか。三回目は内閣の権限——何ができるか。最後は、内閣の終わり方——解散と責任です。

明治憲法と日本国憲法の対比・内閣の位置づけ(統治権の所在=天皇が総攬 と 行政権は内閣に・憲法65条/大臣の責任=天皇に対し各大臣が単独 と 国会に対し内閣が連帯・憲法66条3項/内閣の規定=明治憲法には無い と 第五章として規定) 図:明治憲法と日本国憲法の対比・内閣の位置づけ

  • 統治権の所在=天皇が総攬 と 行政権は内閣に・憲法65条
  • 大臣の責任=天皇に対し各大臣が単独 と 国会に対し内閣が連帯・憲法66条3項
  • 内閣の規定=明治憲法には無い と 第五章として規定

内閣の位置づけを見る前に、明治憲法と比べておきましょう。明治憲法では、天皇が統治権を総攬すると定められていました。全部を掌握する、という意味です。国務各大臣は天皇を輔弼し、単独でその責任を負っていました。助言する、という意味です。明治憲法には、内閣についての規定そのものが無かったんです。今の日本国憲法は、そこを大きく変えました。三つの柱で押さえましょう。一つ目、内閣に行政権の主体としての地位を認めたこと。二つ目、総理大臣を内閣のトップに据えて、強い権限をまとめて持たせたこと。内閣をまとめて率いる立場、という意味です。今日は、名前と位置づけだけにしておきます。三つ目、国会と内閣がどう向き合うかの形として、議院内閣制を採ったこと。

では、今日の一問を立てましょう。行政権は内閣に属すると条文にあるのに、なぜ内閣から独立した機関が行政をやってよいのか。この謎を解くために、まず「行政権」そのものの中身から見ていきます。

行政権の意義①——なぜ引き算でしか言えないのか

控除説の沿革(君主の包括的支配権→立法権が議会に→司法権が裁判所に→最後に残ったのが行政権) 図:控除説の沿革

まず、六十五条の全文を見てみましょう。

条文日本国憲法 65条

日本国憲法 第六十五条 行政権は、内閣に属する。

これだけです。行政権が何かは、書いていません。行政権の中身については、争いがあります。通説は、控除説と呼ばれる考え方です。引き算のことです。全ての国家作用のうち、立法作用と司法作用を除いた、残りの作用。これが控除説の定義です。「なぜ、そんな回りくどい定義しかないんだろう」とみんな思います。答えは、歴史にあります。図を見てください。もともと、国を動かす権限は、君主が丸ごと握っていました。そこから、まず立法権が議会に切り取られました。次に、司法権が裁判所に切り取られました。そして、最後に君主の手元に残ったもの。それが行政権です。

控除説は暗記事項ではありません。この引き算の順番そのものが、歴史なんです。身近な例で、確認しておきましょう。一人暮らしを始めた人が、最初は炊事も掃除も買い出しも、全部自分でやっていたとします。そこに、料理が得意な同居人が来て、料理の担当を引き受けます。次に、掃除が得意な同居人が来て、掃除の担当も引き受けます。名前のつかない、それ以外の全部です。ゴミ出し、電球の交換、急な水漏れの修理。強いて言えば「料理でも掃除でもない、残り全部」としか言えません。これが、行政権の姿とそっくりです。もう一つだけ、覚えておいてください。この控除説は、国民との関係でどこまでが行政か、という話であって、国家機関どうしの力関係を測る話ではありません。たとえば、内閣と国会のどちらが強いのか。そういう力関係は、控除説では測れません。それは権力分立の側で測る話です。この違いは、また別の回で、大事な意味を持ってきます。

では、控除説のもう一つの理由を見てみましょう。

行政権の意義②——もう一つの理由と、司法との違い

司法との対比(司法=①終局的=一度決まればそれ以上覆らない②受動的=訴えられて初めて動く/行政にはこの2つの縛りが無い) 図:司法との対比

  • 司法=①終局的=一度決まればそれ以上覆らない②受動的=訴えられて初めて動く
  • 行政にはこの2つの縛りが無い

控除説には、もう一つ理由があります。多種多様な行政活動を、まとめて捉えられることです。積極的に定義しようとすると、必ず取りこぼしが出る、ということです。少し考えてみましょう。道路を作ること、年金を払うこと、営業許可を出すこと、税金を集めること、災害への対応。この五つに、共通の積極的な定義をつけられますか。それだと、立法や司法にも当てはまってしまいます。積極的に定義しようとすると、必ずどこかで破綻します。だから、控除説のように、消極的にしか言えないんです。ここで、司法と比べておきましょう。司法には、二つの縛りがあります。一つ目、終局的であること。一度決まれば、それ以上は覆りません。二つ目、受動的であること。訴えられて初めて動きます。

行政には、この二つの縛りが、どちらもありません。行政は、誰かに訴えられなくても、自分から動きます。一度した処分を、自分で見直すこともできます。なお、行政を積極的に定義しようとする説もありますが、今日は深入りしません。通説である控除説で、先に進みます。

独立行政委員会——「内閣から独立した行政機関」という例外

通常の行政機関と独立行政委員会(通常=①内閣のコントロール下②独任制/独立行政委員会=①内閣から独立②合議制) 図:通常の行政機関と独立行政委員会

  • 通常=①内閣のコントロール下②独任制
  • 独立行政委員会=①内閣から独立②合議制

ここまでで、行政権が何かは見えました。ここからは、その行政権を持つのは内閣だけなのか、という話に移ります。さて、ここからが、今日の一問です。まず、通常の行政機関から。二つの特徴を持っています。一つ目、内閣のコントロール下にあること。二つ目、大臣が一人で決める、独任制であること。これに対して、独立行政委員会は、正反対の特徴を持ちます。一つ目、内閣から独立の地位で職権を行うこと。二つ目、複数の委員が話し合う、合議制であること。独立行政委員会の例は、人事院、公正取引委員会、国家公安委員会です。近いところでは、原子力規制委員会や、個人情報保護委員会もそうです。

どれも、内閣から一定の距離を置いて、活動しています。大きく、二つの理由があります。一つ目、政治的中立性です。選挙で多数を取った側の意向に、左右されてはまずい領域があります。独占禁止法の運用や、警察行政です。政権が代わるたびに判断基準が変われば、市場も治安も安定しません。二つ目、技術的専門性です。人事評価や原子力規制のように、専門知識がないと判断できない領域です。もう一つ、注意してほしい点があります。独立行政委員会は、規則を作ったり、審判をしたりもします。準立法権、準司法権と呼ばれます。だから、権力分立との関係でも問題になりうるんです。

なお、似た名前の「独立行政法人」とは、別物です。混同しないでください。さて、ここで、さっきの謎に戻りましょう。六十五条は「行政権は、内閣に属する」と言っています。内閣から独立して行政をやるのは、この条文に反しないのでしょうか。それが知りたいです。

論証43①——「内閣のコントロール下にある」で済ませられない理由

合憲説①を裁判所に当てはめる(内閣=A・独立行政委員会=B・裁判所=C/A→Bへ任命権・予算編成権があるからコントロール下という説明/同じ形の権限はA→Cにも及ぶ) 図:合憲説①を裁判所に当てはめる

  • 内閣=A・独立行政委員会=B・裁判所=C
  • A→Bへ任命権・予算編成権があるからコントロール下という説明
  • 同じ形の権限はA→Cにも及ぶ

この問いに答えるための、論証を見ていきます。まず、一つ目の考え方です。内閣には、委員の任命権と、予算の編成権があります。だから独立行政委員会も、結局は内閣の手の中にある。よって六十五条には反しない。そう思いますよね。ですが、ここで一度立ち止まってください。任命権と予算権があればコントロール下だ、という、この基準を、別の場面に当てはめてみましょう。同じ理屈を、裁判所に当てはめたら、どうなるでしょうか?最高裁判所の長官は内閣が指名し、裁判官も内閣が任命します。そして、裁判所の予算も、内閣が編成します。

この基準をそのまま当てはめると、どうなりますか。そうなると、何が困るでしょうか。司法権の独立が、消えてしまいます。それは、明らかに妥当ではありません。だから、任命権と予算権があればコントロール下だ、という基準は、使えないんです。この、裁判所の任命や予算の仕組み自体は、また別の回で詳しく見ます。今日は、比べる材料として使っただけです。これは、暗記ではなく、体験してほしいことです。一つの基準を思いついたら、別の場面に当てはめて壊れないか試す。この作法が、法律の勉強でずっと使えます。では、別の道を探しましょう。

論証43②——「すべて」が無いから、例外の余地がある

65条・76条1項・41条の書きぶり対比(65条=「すべて」も「唯一」も無い/76条1項=「すべて司法権は」/41条=「唯一の立法機関」) 図:65条・76条1項・41条の書きぶり対比

  • 65条=「すべて」も「唯一」も無い
  • 76条1項=「すべて司法権は」
  • 41条=「唯一の立法機関」

もう一度、条文の文字そのものに注目してみましょう。六十五条を、もう一度見てください。「行政権は、内閣に属する。」今度は、司法権の条文と、読み比べてみます。

条文日本国憲法 76条1項

日本国憲法 第七十六条第一項 すべて司法権は、最高裁判所及び法律の定めるところにより設置する下級裁判所に属する。

そこが、今日いちばんの急所です。七十六条一項には「すべて」とありますが、六十五条には「すべて」がありません。書き分けているということは、その差に意味がある、ということです。だから六十五条は、行政権のすべてを内閣が独占するとまでは言っていない。一定の例外を認める余地がある、と読めるんです。ちなみに、四十一条にも、似た言葉があります。「国の唯一の立法機関」という言葉です。「すべて」「唯一」「何も無し」。三つの型を、混同しないでください。六十五条には、その「無し」という型が当てはまります。だから、独立行政委員会を認める余地が、条文の書き方そのものから出てくるんです。

前提として、こういう機関を認める必要性も要ります。さっき見た、政治的中立性と技術的専門性が要求される領域だから、独立行政委員会を認める必要がある。この必要性と、条文の書き方が生む余地。この二つがそろって、初めて例外を検討する土俵に乗ります。なお、司法権の意義そのものは、また別の回で扱います。今日は、読み比べの材料として使うだけです。次に、その余地の広さを測る作業に入ります。

論証43②——65条の趣旨は2つ、処理も2つ

65条の趣旨2つ×処理(①権力分立→主眼は内閣の権限の抑制/②民主的責任行政→ⓐ国会のコントロールが直接及ぶ、またはⓑ性質上なじまないなら独立性を積極的に正当化できる) 図:65条の趣旨2つ×処理

  • ①権力分立→主眼は内閣の権限の抑制
  • ②民主的責任行政→ⓐ国会のコントロールが直接及ぶ、またはⓑ性質上なじまないなら独立性を積極的に正当化できる

例外を認めてよい範囲は、六十五条が何のためにある条文かで決まります。趣旨は、二つあります。一つ目、四十一条や七十六条一項とともに、権力分立を定めること。二つ目、民主的責任行政を実現することです。内閣が行うなら、行政権の行使にも、国会の民主的コントロールが及ぶ、という発想です。

条文日本国憲法 66条3項

日本国憲法 第六十六条第三項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

内閣は、国会に対して連帯責任を負っています。だから、内閣に行政権を担わせておけば、国会の統制が行政権にも届く、という仕組みです。では、この二つの趣旨に、独立行政委員会を当てはめてみましょう。まず、権力分立です。以前、権力分立を扱った回で、こう言いました。国の基本的な政策を、事実上、行政が中心になって決めるようになった。行政国家現象が進んだ今、権力分立の主眼は、行政権を抑えることに移っている、と。ただし、今日効いてくるのは、少し対象が違います。あの回で抑える相手は「行政権全般」でした。なぜ対象が変わるのか。理由は、六十五条そのものにあります。六十五条は行政権を内閣という一つの機関に集める条文です。だから六十五条の趣旨として権力分立を語るときは、抑えられる相手が「内閣」になります。

内閣を抑えることが主眼なら、内閣以外の機関が行政をやっても、権力分立には反しません。一つ目の趣旨は、これでクリアです。次に、民主的責任行政です。

趣旨②民主的責任行政の処理・二つの場合(ⓐ国会のコントロールが直接に及ぶ→趣旨に反しない/ⓑ直接には及ばないが職務の性質上なじまない→独立性を積極的に正当化できる) 図:趣旨②民主的責任行政の処理・二つの場合

  • ⓐ国会のコントロールが直接に及ぶ→趣旨に反しない
  • ⓑ直接には及ばないが職務の性質上なじまない→独立性を積極的に正当化できる

ここは、二つの場合に分かれます。一つ目は、独立行政委員会に国会のコントロールが直接に及ぶ場合です。この場合は、趣旨に反しません。二つ目は、直接には及んでいなくても、職務の性質上、コントロールになじまない場合です。この場合は、内閣からの独立性を、積極的に正当化できます。そこを、間違えないでください。「仕方ない」ではなく「積極的に正当化できる」です。境界線を、具体で確認しましょう。ある委員会が、国会への定期報告を義務づけられ、委員の解任も国会の決議でできるとします。この場合は、一つ目の場合に当たり、六十五条に反しません。逆に、報告義務も無く、解任への国会の関与も無く、専門性も中立性も要らない普通の事務だとしたら。

その場合は、六十五条に反する疑いが出てきます。この二つのどちらかに当てはまるときだけ、独立行政委員会は、六十五条に反しないと解されます。なお、準立法権を持つことが四十一条に反しないか、という問題もあります。四十一条後段というのは、さっき出てきた「唯一の立法機関」の部分です。どこまで任せるかを区切った、個別・具体的な委任なら、そこには反しない。それと同じ理由で許されます。今日はここまでにしておきます。これで、行政権をめぐる謎は解けました。

議院内閣制①——大統領制と並べて初めて分かる

大統領制と議院内閣制の4軸対比(①権力分立との関係②破綻時の手段③議会との関係④民主的正統性の取り方) 図:大統領制と議院内閣制の4軸対比

ここからは、内閣を支えているもう一つの制度——議院内閣制を見ていきます。ただ、議院内閣制は、単独で定義しようとしても頭に入りません。大統領制と並べます。大統領制で行政を預かるのは、大統領その人です。大統領も議会の議員も、それぞれ国民が直接選び、互いに任免権を持ちません。議会と政府が、完全に分離しています。一方、議院内閣制で行政を預かるのは、内閣という合議体です。そのトップに立つ総理大臣は、議会で多数を占めた側から出てきます。国会と内閣の分離は、一応の分離にとどまります。だから政府には、議会の側から民主的なコントロールが届くわけです。

四つの軸で整理しましょう。一つ目、権力分立との関係。議院内閣制は緩やかな分離と協力、大統領制は厳格な分離と抑制均衡です。二つ目、関係が破綻したときの手段です。議院内閣制には不信任決議と解散があり、大統領制には原則ありません。三つ目、議会との関係。議院内閣制の国務大臣は議員から選ばれ、議会に出席して発言する権利も義務もあります。大統領制の閣僚は、議員との兼職が禁止され、議会に出席する権利もありません。四つ目、民主的な正統性の取り方。議院内閣制の内閣は議会を経由して、大統領制の大統領は国民から直接、正統性を得ます。

ここで、いちばんよく間違えられる点を押さえます。

本当の対立軸は「議会 対 政府」ではない(議会の中の与党と政府はほぼ重なる→実際に対立するのは与党と野党/この状態が協働の関係) 図:本当の対立軸は「議会 対 政府」ではない

  • 議会の中の与党と政府はほぼ重なる→実際に対立するのは与党と野党
  • この状態が協働の関係

議院内閣制で、実際に対立しているのは、議会と政府ではありません。議会の中の与党と、政府は、ほぼ重なっています。実際に対立しているのは、与党と野党です。与党と政府がほぼ重なった状態で、議会と政府はお互いに協力し合って国政にあたります。この状態を、協働の関係と呼びます。分離しているのに、協力もしている。一応の分離だからこそ、協働もできるんです。今の話に、心当たりがあるかもしれません。権力分立の回で見た政党国家現象——対立の軸が国会対内閣から与党対野党へ移り、国会と内閣は多数派の政党で実質的に一体化している、という話です。今日の協働の関係は、その同じ動きを、議院内閣制という制度の側から見たものです。以前、四十一条前段の話をしたときに、国権の最高機関は法的な中身を持たない政治的な呼び名にすぎない、と言いました。実際には国会も、内閣の解散権などに抑制されている立場でした。

今日見た協働の関係は、その裏返しです。分離しているから抑制し合い、一応の分離だから協力もする。

議院内閣制②——日本国憲法のどこに書いてあるのか、本質はあるのか

議院内閣制の根拠規定一覧(憲法65条=行政権は内閣に/憲法67条=総理は国会が指名/憲法67条・68条=総理と国務大臣の過半数は国会議員/憲法66条3項=連帯責任=この制度の中核/憲法69条=内閣不信任決議権) 図:議院内閣制の根拠規定一覧

  • 憲法65条=行政権は内閣に
  • 憲法67条=総理は国会が指名
  • 憲法67条・68条=総理と国務大臣の過半数は国会議員
  • 憲法66条3項=連帯責任=この制度の中核
  • 憲法69条=内閣不信任決議権

では、議院内閣制は、憲法のどこに書いてあるんでしょうか。実は、「議院内閣制」という言葉そのものは、憲法のどこにも出てきません。議院内閣制は、複数の条文を読み合わせて、初めて読み取れる制度なんです。根拠条文を並べます。まず、六十五条。行政権は内閣に属する、という条文です。次に、六十七条。内閣総理大臣は、国会が指名します。そして、六十七条と六十八条。総理と国務大臣の過半数は、国会議員でなければなりません。そして、いちばん大事なのが、六十六条三項です。さっきも見た、連帯責任の条文です。責任を負う相手が誰か、で制度の性格が決まるからです。明治憲法では、各国務大臣が天皇に対して単独で責任を負っていました。日本国憲法では、内閣が国会に対して連帯して責任を負います。

単独から連帯へ、天皇から国会へ。この対比が、議院内閣制の急所です。そして、最後に六十九条です。

条文日本国憲法 69条

日本国憲法 第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない

今日は、条文だけ見ておきます。解散するのか、それとも総辞職するのか、その中身は、また別の回で扱います。さて、最後にもう一つ、道具を置いておきます。議院内閣制には、「これが無ければ議院内閣制と呼べない」という核はあるのか、という議論です。三つの説があります。

議院内閣制の本質論・三説(責任本質説=議会に対する責任/均衡本質説=責任+内閣の解散権/多様説=本質そのものが無い・近時有力) 図:議院内閣制の本質論・三説

  • 責任本質説=議会に対する責任
  • 均衡本質説=責任+内閣の解散権
  • 多様説=本質そのものが無い・近時有力

一つ目、責任本質説。内閣が議会に対して負う責任こそが、本質だとする説です。二つ目、均衡本質説。責任に加えて、内閣が議会を解散できることも本質だとする説です。三つ目、そもそも本質と呼べるものは無い、とする説です。議院内閣制は、国や時代によって、かなり形が違います。だから、決め打ちできない、という考え方です。近時は、この三つ目が有力になっています。ただ、なぜ三つ目なのかが効いてくるのは、今日ではありません。この対立が実際に効いてくるのは、また別の回だからです。内閣の解散権について、その根拠を議院内閣制という制度そのものに求める説があります。この三つの説の対立は、その説を否定する場面で、初めて実益が出ます。議院内閣制に決まった形が無いのなら、その制度そのものから解散権を導くこともできない——という形で効いてきます。今日は、三つの説の名前と形だけ、覚えておいてください。

使うのは、内閣の終わり方を扱う回になります。

今日の地図(保存版)

今日の到達点(①行政権は引き算でしか定義できない/②独立行政委員会は憲法65条の趣旨2つが別々の理由でクリアされるから許される/③議院内閣制は一応の分離と民主的コントロールででき、中核は憲法66条3項) 図:今日の到達点

  • ①行政権は引き算でしか定義できない
  • ②独立行政委員会は憲法65条の趣旨2つが別々の理由でクリアされるから許される
  • ③議院内閣制は一応の分離と民主的コントロールででき、中核は憲法66条3項

今日の内容を、一つにまとめましょう。一つ目、行政権は、引き算でしか定義できません。立法権が議会に、司法権が裁判所に切り取られたあと、最後に残ったものが行政権だからです。二つ目、独立行政委員会が許されるのは、六十五条の趣旨が、それぞれ別の理由でクリアされるからです。「すべて」が無いことで、例外の余地が生まれました。権力分立の主眼が、内閣の権限に移りました。そして、民主的コントロールが直接及ぶか、性質上なじまないかで、正当化されます。内閣のコントロール下だという説明だけでは足りず、裁判所に当てはめると壊れてしまう説明でした。三つ目、議院内閣制は、一応の分離と民主的コントロールでできています。中核にあるのが、六十六条三項の連帯責任です。

今日の謎は、全部解けましたね。内閣の位置づけが決まったところで、次に気になるのは、その中身です。内閣は、誰が、どうやって作るのか。総理大臣は、なぜ「首長」と呼ばれるのか。次は、そこに進むんですね。この続きは、次の回で扱います。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 65条
  • 日本国憲法 76条1項
  • 日本国憲法 66条3項
  • 日本国憲法 69条

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