憲法ゼロから憲法#69

衆議院の解散権と内閣の責任——争われているのは「根拠」

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第4章 統治 #69/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

ニュースでよく見る「衆議院の解散」は、内閣が不信任だと言われたからするもの——とは限りません。不信任決議を受けていなくても、内閣は衆議院を解散できます。実際には、そちらのほうが多いくらいです。では、内閣は好きなときに自由に解散できるのか。そこも、そう単純ではありません。内閣が衆議院を解散できること自体は、できるのか、できないのか。できるとして、どこまで自由なのか。この二つを、条文をたどりながら確かめていきます。

今日の地図(保存版)

今日の地図(前回=73条以外の8つの権限のうち保留した一つを回収/今日=①解散の意義②根拠=論証47③7条説でも無限定でないこと④自律解散の可否⑤閣議⑥内閣の責任) 図:今日の地図

  • 前回=73条以外の8つの権限のうち保留した一つを回収
  • 今日=①解散の意義②根拠=論証47③7条説でも無限定でないこと④自律解散の可否⑤閣議⑥内閣の責任

まず、一つだけ思い出してみてください。七十三条以外の権限として、あと八つ挙げましたね。そのうち、とりわけ重要なものを一つ残したと言いました。前回残したそれが何だったか、思い出せますか?今日は、まさにそこから始めます。今日は、大きく二つのテーマを見ていきます。一つ目は、衆議院の解散権です。二つ目は、内閣の責任です。そこまで見終えたら、内閣というテーマが一区切りつきます。今日で、内閣パートの締めくくりです。中身を、もう少し具体的に見ておきましょう。まず、解散の意味から始めます。次に、解散権の実質的な決定権が、なぜ内閣にあるのかを見ます。そこには、対立する考え方がいくつかあります。続いて、内閣が自由に解散できるとしても限界はあるのか、を見ます。そのあと、衆議院自身が解散できるのか、という問いにも触れます。最後に、内閣の責任——連帯責任と政治責任、そして少し性質が違う場面まで進みます。

解散の意義——なぜ衆議院にしかないのか

解散の意義と民主的機能(解散=議員全員が任期満了前に身分を失う・衆議院のみ7条3号69条/解散→54条1項の総選挙→国民の審判、という一本道) 図:解散の意義と民主的機能

  • 解散=議員全員が任期満了前に身分を失う・衆議院のみ7条3号69条
  • 解散→54条1項の総選挙→国民の審判、という一本道

まず、解散とは何か、確認しましょう。解散とは、議員のすべてについて——任期が満了する前に、議員としての身分を失わせることをいいます。ここで、注意してほしい点があります。憲法が解散を定めているのは、衆議院についてだけです。参議院に、解散という制度そのものがありません。参議院の議員は、任期が六年あります。しかも、三年ごとに、半数だけが入れ替わります。

条文日本国憲法 46条

日本国憲法 第四十六条 参議院議員の任期は、六年とし、三年ごとに議員の半数を改選する。

解散で全員を一度に入れ替えなくても——三年ごとに、半分ずつ、民意が入ってきます。長い時間をかけて、民意を反映させる。参議院は、そういう作りになっています。参議院には解散がありませんが、そのかわり、三年ごとの改選で民意が入ってきます。その対応関係は、後半、内閣の責任のところで確かめましょう。今日は、まず、参議院と衆議院で任期の仕組みそのものが違う、と押さえてください。では、解散されると、その後どうなるのか。条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 54条1項

日本国憲法 第五十四条第一項 衆議院が解散されたときは、解散の日から四十日以内に、衆議院議員の総選挙を行ひ、その選挙の日から三十日以内に、国会を召集しなければならない。

四十日以内に総選挙、その選挙から三十日以内に国会召集。この流れが、決まっています。解散という行為そのものに、狙いがあるからです。解散は、それに続く総選挙を通じて——主権者である国民の審判を求める、という働きを持ちます。内閣の方針が正しいかどうかを、内閣自身が決めるわけではありません。決めるのは、選挙で投票する国民です。解散という行為そのものは、入口にすぎません。実際に判断を下すのは、総選挙を通じた国民です。この働きを、解散の民主的機能と呼びます。これから見ていく学説の対立も、解散の限界も——すべて、この民主的機能を物差しにして判定されます。

では、この解散を実質的に決めているのは誰なのか、という話に入りましょう。

解散権の根拠——争われているのは「所在」ではない

69条説とその批判(根拠=69条/解散できるのは69条所定の場合のみ/批判=解散の民主的機能を没却) 図:69条説とその批判

  • 根拠=69条
  • 解散できるのは69条所定の場合のみ
  • 批判=解散の民主的機能を没却

ここで、大事な前提を一つ、はっきりさせておきます。衆議院の解散を実質的に決める力——解散権が、内閣にあること自体には争いがありません。ここを、間違えないでください。「内閣に解散権があるかどうか」が争われているのではありません。争われているのは、その根拠です。なぜ内閣に、その決定権があると言えるのか、という理由づけです。まず、一つ目の考え方——六十九条説です。

条文日本国憲法 69条

日本国憲法 第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない

この六十九条は、内閣の総辞職のところで一度見た条文です。六十九条説は、この条文に、解散権の根拠を求めます。内閣が衆議院を解散できるのは、六十九条が定める場合に限られます。不信任決議が可決されたか、信任決議が否決されたとき、だけです。この考え方だと、範囲がかなり狭くなります。ここで、さっきの物差しを思い出してください。解散の民主的機能——国民の審判を求める働きです。六十九条所定の場合しか解散できないとすると——それ以外の場面では、国民に判断を仰ぐ機会が作れません。サークルで例えてみましょう。部長を交代させる方法が、部員全員の不信任が可決されたときだけ。そう限られていたら、どうなりますか。

それ以外のタイミングでは、部の方針を見直したくても——みんなの意見を聞き直す機会が、無いですね。同じように、六十九条所定の場合以外にも——国民の審判を仰ぐべき場面は、あるはずです。それなのに、六十九条説では、その機会を作れません。解散の民主的機能を、没却してしまう。台無しにしてしまう、という意味です。この批判があるため、六十九条説は妥当でないとされています。ここで登場するのが、通説の立場です。

7条説——天皇と内閣をつなぐ条文の連鎖

4条の謎(天皇は国政に関する権能を有しない/なぜ衆議院解散という政治性の強い行為ができるのか) 図:4条の謎

  • 天皇は国政に関する権能を有しない
  • なぜ衆議院解散という政治性の強い行為ができるのか

通説は、七条三号に、解散権の根拠を求めます。天皇の国事行為を定めた条文です。少し違和感がありませんか。憲法には、こういう条文もあります。

条文日本国憲法 4条1項

日本国憲法 第四条第一項 天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない

ここで、一つ聞かせてください。国政に関する権能を持たない天皇が——なぜ衆議院の解散という、これほど政治性の強い行為をできるのでしょうか。少し、考えてみてください。そこを、条文で確かめましょう。

条文日本国憲法 7条(柱書・3号)

日本国憲法 第七条(抜粋) 天皇は、内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。 …… 三 衆議院を解散すること。

天皇は、内閣の助言と承認を受けて、国事行為を行います。もう一つ、条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 3条

日本国憲法 第三条 天皇の国事に関するすべての行為には、内閣の助言と承認を必要とし、内閣が、その責任を負ふ

ここまでの三つの条文を、つなげてみましょう。衆議院の解散は、本来、政治性の強い行為です。それにもかかわらず、国政に関する権能を持たない天皇が——これを行うことができる。七条三号です。なぜそれが可能なのか。それは、内閣が「助言と承認」を行う際に——実質的に、解散を決定しているから、と解されます。身近な場面で、確認しておきましょう。結婚式で、司会者が「新郎新婦の入場です」とアナウンスする場面です。でも、いつ入場するか、どんな演出にするかを——実際に決めているのは、誰でしょうか。司会者自身には、式の進行方針を変える権限がありません。それでも、入場のアナウンスは、司会者の口から発せられます。

これが、天皇と内閣の関係と重なります。天皇は、解散という国事行為を「行う」立場にあります。七条三号です。しかし、その中身を実質的に決めているのは、内閣です。三条・七条柱書です。これが、七条説の論理です。

解散の根拠をめぐる条文の連鎖(A=内閣=3条・7条柱書の助言と承認で実質的に決定→B=天皇=7条3号の国事行為として解散・4条で国政の権能なし→C=衆議院=解散される対象→D=国民=54条1項の総選挙で審判を下す) 図:解散の根拠をめぐる条文の連鎖

この見解に立つと、どうなるか。六十九条にあたらない場面でも——内閣は、解散に踏み切れることになります。だからこそ、通説として支持されています。

論文で書く規範:解散権の根拠——7条説(通説) 衆議院の解散を実質的に決める力が内閣にあること自体には争いがない。天皇は国政に関する権能を有しない(4条)ため、7条3号の解散という国事行為も、天皇自身の判断で行われるものではない。天皇が国事行為として解散を行うには3条7条柱書助言と承認が要るところ、その助言と承認を差し出すのは内閣であり、そこで解散の中身を実質的に決定していると読み解かれる。したがって、7条3号が解散権の根拠条文となる。 (規範(通説で立てる))

65条説・制度説が退けられる理由

65条説・制度説とその批判(65条説の前提=控除説は国民との関係の議論であり国家機関相互の関係の議論ではない/制度説の前提=均衡本質説は議院内閣制の多様性と矛盾) 図:65条説・制度説とその批判

  • 65条説の前提=控除説は国民との関係の議論であり国家機関相互の関係の議論ではない
  • 制度説の前提=均衡本質説は議院内閣制の多様性と矛盾

七条説のほかにも、根拠を別に求める考え方があります。一つは、六十五条説。もう一つは、制度説です。六十五条は、行政権は内閣に属する、と定めた条文でした。六十五条説は、解散という作用が、立法でも司法でもない以上——行政作用にあたるとして、六十五条に根拠を求めます。制度説のほうは、議院内閣制という制度そのものに、根拠を求める考え方です。どちらも、妥当ではないとされています。ここで、一つ思い出してほしいことがあります。行政権とは何か、という話をした回を覚えていますか。引き算でしか定義できない、控除説でしたね。あのとき、大事な注意点を一つ添えました。控除説は、国民との関係で、どこまでが行政かを測る議論です。国家機関どうしの力関係を測る議論では、ありません。

もとをたどると、君主が国民を治めるために握っていた力があります。そこから立法と司法を切り出した残りが、行政でした。つまり、国民に向けられた力を、三つに分ける話だったんです。だから、国家機関のどちらが強いかを測る物差しには、なりません。解散権は、まさに国家機関どうしの関係の話です。内閣と衆議院、天皇のあいだで——誰が実質的に決めるかという問題ですよね。六十五条説は、国民に対する関係の議論である控除説を——そのまま、国家機関相互の関係の問題に持ち込んでいます。ここに、無理があります。では、制度説はどうでしょうか。こちらも、思い出してほしい話があります。議院内閣制に、本質と呼べるものがあるのか、を考えたときのことです。責任本質説、均衡本質説、そして本質なるものは無いとする見解。この三つを、見ましたね。このうち均衡本質説は、内閣の議会に対する責任に加えて——もう一つ、内閣による議会の解散権を、議院内閣制の本質だとしていました。

制度説は、まさにこの均衡本質説を前提にしています。議院内閣制の本質に解散権が含まれる以上、その制度自体が根拠になる。そういう理屈です。議院内閣制は、国や時代によって、かなり形が違います。だから、決まった本質など無い、という見解のほうが有力でした。前提が崩れているのに、その上の結論だけを信じるわけにはいきません。六十五条説も、制度説も、前提そのものに無理があります。だから、妥当でないとされています。では、その七条説に、限界はないのでしょうか。

7条説の限界——民主的機能が期待される場合に限る

7条説でも無限定ではない(民主的機能が期待される場合に限る/69条説批判との整合性) 図:7条説でも無限定ではない

  • 民主的機能が期待される場合に限る
  • 69条説批判との整合性

ここで、よくある誤解を、正しておきたいと思います。「七条説に立てば、内閣はいつでも自由に解散できる」という理解です。そこが、今日いちばん注意してほしいところです。七条説に立てば、六十九条所定の場合以外でも、解散権を行使できます。ですが、それは「無条件に、いつでも」という意味ではありません。条件は、あります。解散が認められるのは——解散の民主的機能が期待される場合に限られる、というのが通説です。同じ物差しを、七条説自身にも当てはめる必要があります。

一般的な限界・4類型(①重要案件の否決・審議未了②総選挙の争点でなかった新しい重大な政治的課題③基本政策の根本的変更④議員の任期満了時期の接近) 図:一般的な限界・4類型

具体的には、四つの場面に整理されています。一つ目、衆議院で内閣の重要案件が否決されたり、審議未了になった場合です。二つ目、総選挙のときには想定していなかった——大きな政治的課題が、新しく持ち上がった場合です。三つ目、内閣の基本政策が、根本から変わった場合です。四つ目、議員の任期満了の時期が、近づいている場合です。この四つ、それぞれに共通していることがあります。どの場面でも、改めて国民の判断を仰ぐ理由がある、という点です。予算案が否決されれば、その方針でいいのか、国民に聞く必要があります。想定外の課題が出れば、それについての意思を確かめる必要があります。方針が根本から変われば、同じことが言えます。任期満了が近ければ、前倒しで審判を仰いでも不自然ではありません。

逆に言えば、この機能が働かない場面にまで——解散を認めてよいでしょうか。たとえば、こんな場面です。内閣の方針は、何も変わっていない。新しい大きな課題も、持ち上がっていない。議員の任期も、まだたっぷり残っている。ただ、いまなら選挙で勝てそうだ——それだけの理由で、解散する。これは、国民に問うべきことが、何も無い解散です。四つのどれにも当たりません。民主的機能が期待される場面とは、言えないんです。では、そんな解散まで認めてしまうと、どうなるでしょうか。さっき、六十九条説を批判したときの理屈と、矛盾しますね。六十九条説を批判したのは——解散の民主的機能を没却するからでした。もし七条説を無限定に使ってよいとすると——今度は七条説自身が、同じ問題を起こします。

だから、七条説に立っても——解散が認められる場面は、この四つに限られます。そこを、しっかり押さえておいてください。

論文で書く規範:7条説の限界——民主的機能が期待される場合に限る 7条説に立てば、69条が定める場面に限られず解散権を行使できる。もっとも無制限に使えるわけではなく、解散のあとの総選挙(54条1項)で国民の審判を仰ぐという、解散が本来担う民主的機能が働く場面に限って認められる。 (規範(通説で立てる))

衆議院の自律解散と、内閣の意思決定の手続

衆議院の自律解散の可否(通説=否定/理由=多数派の意思による少数派議員の地位剥奪は45条の任期保障の趣旨に反する) 図:衆議院の自律解散の可否

  • 通説=否定
  • 理由=多数派の意思による少数派議員の地位剥奪は45条の任期保障の趣旨に反する

ここまでは、内閣が衆議院を解散する話でした。では、衆議院が、自分自身の意思で解散することはできるでしょうか。これを、自律解散と呼びます。数の力で決められそうに思えますよね。ですが、通説はこれを否定しています。理由を、考えてみましょう。サークルの総会で、多数派のメンバーが、こう決議しようとしたとします。「今のメンバー全員、任期の途中でも、資格を打ち切る」。会則にそんな定めがなければ、許されるはずがありません。衆議院の自律解散も、同じ構造です。憲法には、衆議院自身が解散を決議できる、という明文がありません。それにもかかわらず自律解散を認めると——多数派の議員の意思によって、少数派の議員の地位を——はく奪できることになってしまいます。

条文日本国憲法 45条

日本国憲法 第四十五条 衆議院議員の任期は、四年とする。但し、衆議院解散の場合には、その期間満了前に終了する。

衆議院と参議院を比べた回で、ただし書に注目しました。今日は、本文のほう——任期そのものを見てください。この条文は、議員の任期を保障しています。多数派の意思だけで、少数派議員の任期を勝手に終わらせられるとしたら——この四十五条の趣旨に、反することになります。解散を決める力は、あくまで内閣の側にある。この前提が、動きません。

論文で書く規範:衆議院の自律解散——通説は否定 衆議院自身の決議による解散(自律解散)は、認められない。憲法上、それを認める明文はなく、仮に許せば、数の上で優位な会派が、それだけの理由で少数派議員の身分を打ち切れてしまう。これは、議員の任期を保障する45条の趣旨と相いれない。 (規範(通説で立てる))

内閣の権限行使の手続=閣議(内閣法4条1項=閣議による/慣習上全員一致・条文自体には書かれていない)

では、次に、内閣が解散を含めて権限を行使する手続を見ておきましょう。

条文内閣法 4条1項

内閣法 第四条第一項 内閣がその職権を行うのは、閣議によるものとする。

いま引いたのは憲法ではなく、内閣法という別の法律です。憲法とは別物なので、注意してください。解散を含め、内閣の権限行使は、すべて閣議で決定されます。ここが、今日の一つの急所です。内閣の実務では、閣議での決定に全員一致を必要とする、という慣習が根づいています。そこを、間違えないでください。今読んだ内閣法四条一項に、「全員一致」という文字は、どこにもありません。条文には「閣議による」とあるだけです。全員一致というルールは、長年の実務が積み重ねてきた慣習です。条文に書いてあることと、運用されている慣習を混同しないでください。

慣習上は、大臣が一人でも反対すれば、その方針は決定できません。だからこそ、国務大臣一人ひとりの合意が、重い意味を持ちます。では、次に、内閣が国会に対して負う責任に進みましょう。

内閣の責任——なぜ「連帯して」責任を負うのか

明治憲法と日本国憲法の責任の対比(明憲55条1項「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」=各大臣が天皇に対して単独で責任/日本国憲法66条3項=内閣が国会に対して連帯して責任) 図:明治憲法と日本国憲法の責任の対比

  • 明憲55条1項「国務各大臣ハ天皇ヲ輔弼シ其ノ責ニ任ス」=各大臣が天皇に対して単独で責任
  • 日本国憲法66条3項=内閣が国会に対して連帯して責任

内閣は、国会に対して、どのような責任を負うのでしょうか。条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 66条3項

日本国憲法 第六十六条第三項 内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。

この六十六条三項は、内閣の組織を見た回で、一度確認しました。内閣は、行政権の行使について、まるごと国会に連帯して責任を負います。ここで、もう一度、明治憲法と比べておきましょう。明治憲法では、各国務大臣が、天皇に対して単独で責任を負っていました。五十五条です。前に、総料理長の話をしましたね。単独責任の体制だと、一人の大臣が問題を起こしても——ほかの大臣や、内閣全体は、無傷でいられます。日本国憲法は、そこを変えました。国会から内閣へ、民主的なコントロールを及ぼし——民主的責任行政を実現するために——内閣は、行政権全般について、国会に連帯して責任を負う。そういう仕組みを、採ったんです。

民主的責任行政は、独立行政委員会のところで出てきた言葉です。内閣を経由して、国会の統制が行政に届く、という発想でした。単独から連帯へ、天皇から国会へ。この変化が、日本国憲法における内閣の責任の出発点です。では、その「責任」の中身を、もう少し詳しく見ていきましょう。

政治責任と、69条だけが持つ強さ

66条3項と69条の対比(66条3項の責任=政治責任・質問と内閣不信任決議で問う/69条の不信任決議=解散か総辞職かの二者択一・応じなければ総辞職を義務付け・法的責任の要素が強い) 図:66条3項と69条の対比

  • 66条3項の責任=政治責任・質問と内閣不信任決議で問う
  • 69条の不信任決議=解散か総辞職かの二者択一・応じなければ総辞職を義務付け・法的責任の要素が強い

六十六条三項が言う「責任」とは、どのような責任でしょうか。法的な責任ではありません。通説は、これを政治責任だと解しています。法的な強制力を伴わない、政治的な評価としての責任、という意味です。もう一度、六十六条三項を見てください。責任を負う、とは書いてあります。ですが、どう責任を取らせるか——効果は、何も書かれていません。効果が定められていない以上、法的な強制力は出てきません。だから、この「責任」は、政治的な評価にとどまる、と解されます。内閣に政治的な責任を取らせる場面は、質問による追及だけではありません。もう一つの手段として、内閣不信任決議も残されています。

ここで、注意してほしいことがあります。六十六条三項の「責任」は、政治責任だと言いました。ですが、六十九条の内閣不信任決議だけは、少し性質が違います。もう一度、条文を見てみましょう。

条文日本国憲法 69条

日本国憲法 第六十九条 内閣は、衆議院で不信任の決議案を可決し、又は信任の決議案を否決したときは、十日以内に衆議院が解散されない限り、総辞職をしなければならない

六十九条は、内閣に「解散」か「総辞職」かの、二者択一を迫ります。しかも、解散しなければ、総辞職が義務付けられます。これは、単なる政治的な評価にとどまりません。一定の行動を、法的に義務づける効果を伴います。ここを、一言で言い切ってしまわないでください。六十六条三項の「責任」は、政治責任です。ただし、六十九条の不信任決議だけは、法的責任の要素が強い。この二つを、両方とも押さえておく必要があります。身近な例で確認しておきましょう。生徒総会で「その方針はおかしいのでは」と質問する場面を思い浮かべてください。

辞めさせる強制力までは無い——これが、政治的な圧力にとどまる場面です。一方、生徒会の規約に、こう定められていたとします。「不信任決議が可決されたら、十日以内に体制を刷新するか——さもなければ会長は辞任しなければならない」。この二者択一と強制効果こそが、六十九条の特徴です。

論文で書く規範:内閣の責任と、69条だけが持つ性質 66条3項が定める「責任」は政治責任であり、質問や内閣不信任決議を通じて問われる。ただし、衆議院が行う内閣不信任決議(69条)は性質が異なる。解散するか総辞職するかという二者択一を内閣に突きつけ、解散を選ばない場合には総辞職という効果が生じるため、単なる政治的評価にとどまらず、法的責任を追及する要素が強い。 (規範(通説で立てる))

69条・解散の対応関係(69条の不信任決議と解散は、どちらも衆議院の側にだけ置かれている/参議院に解散が無い理由は46条の任期・半数改選のほうであり、この対応関係とは別の話) 図:69条・解散の対応関係

  • 69条の不信任決議と解散は、どちらも衆議院の側にだけ置かれている
  • 参議院に解散が無い理由は46条の任期・半数改選のほうであり、この対応関係とは別の話

ここで、前半に預けた話を、片づけておきましょう。内閣に総辞職を迫れるのは、衆議院だけでした。六十九条です。憲法は、その衆議院の側にだけ、解散という場面を組み込んでいます。この対応関係と、参議院に解散が無い理由は、別の話です。参議院に解散が無いのは、前半で見た、任期が六年で三年ごとに半数改選という、仕組みのほうにあります。四十六条です。

個別責任の追及(66条3項は連帯責任を定める/個別責任は憲法上特に否定されていない/各議院は個別の国務大臣に不信任決議ができるが法的効力は無い) 図:個別責任の追及

  • 66条3項は連帯責任を定める
  • 個別責任は憲法上特に否定されていない
  • 各議院は個別の国務大臣に不信任決議ができるが法的効力は無い

最後に、個別責任の話をしておきましょう。六十六条三項は、内閣の連帯責任を定めています。ですが、特定の国務大臣が単独で責任を負うこと——個別責任——は——憲法上、特に否定されていません。ですから、各議院は——個別の国務大臣に対して、不信任決議をすることができます。六十九条と同じ効果は、ありません。個別の国務大臣に対する不信任決議には——法的な効力は認められていません。あくまで、政治的なメッセージにとどまります。連帯責任と個別責任、そして六十九条だけが持つ強さ。この三つを、混同しないようにしてください。

では、ここまでを、まとめておきましょう。

内閣パートの締めくくり

内閣パートの到達点(①争点は根拠②7条説=4条→7条3号→3条・7条柱書の連鎖③7条説でも4類型に限る④自律解散は否定・45条の趣旨⑤内閣の責任=政治責任だが69条は法的責任の要素が強い) 図:内閣パートの到達点

今日の内容を、一つにまとめましょう。一つ目。衆議院の解散権が内閣にあること自体には、争いがありません。争われているのは、その根拠でした。二つ目。通説である七条説は——四条から七条三号、そして三条・七条柱書という条文の連鎖で——内閣の実質的な決定を根拠づけます。三つ目。七条説に立っても、無限定ではありません。解散の民主的機能が期待される、四つの場面に限られます。四つ目。衆議院自身による自律解散は、否定されます。四十五条が保障する、議員の任期の趣旨に反するからでした。五つ目。内閣の責任は、原則として政治責任です。ですが、六十九条の不信任決議だけは、法的責任の要素が強い。この二面性がありました。

これで、内閣というテーマを、一区切りできました。位置づけ・組織・権限、そして解散と責任。四回かけて、内閣の姿を、一通り見てきました。最後に、一つだけ、宿題を残しておきます。内閣が衆議院を解散したとします。では、その解散が、本当に正しい手続きで行われたのかどうかを——裁判所は、判断できるのでしょうか。これは、次のテーマにつながる問いです。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 46条
  • 日本国憲法 54条1項
  • 日本国憲法 69条
  • 日本国憲法 4条1項
  • 日本国憲法 7条(柱書・3号)
  • 日本国憲法 3条
  • 日本国憲法 45条
  • 内閣法 4条1項
  • 日本国憲法 66条3項

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