憲法ゼロから憲法#76

違憲審査制——裁判所はなぜ法律を退けられるのか

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第4章 統治 #76/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

「最高法規」を、誰が言うのか

98条1項は、誰に効くのか(98条1項=憲法は国の最高法規、これに反する法律・命令等は効力を有しない/でも、効力が無いことを「誰が」言うのか、98条は何も定めていない/言う機関が無ければ、この宣言は祈りのままで終わる) 図:98条1項は、誰に効くのか

  • 98条1項=憲法は国の最高法規、これに反する法律・命令等は効力を有しない
  • でも、効力が無いことを「誰が」言うのか、98条は何も定めていない
  • 言う機関が無ければ、この宣言は祈りのままで終わる

まず、九十八条一項を見てみましょう。この憲法は、国の最高法規であって——その条規に反する法律、命令等は、その効力を有しない。おおよそ、そういう内容です。ただ、ここで一つ聞いてみます。効力が無いと、誰が言うんでしょうか。九十八条は、憲法に違反する法律は無効だと宣言しています。でも、その違反を実際に見つけて無効だと言い渡す機関を、九十八条自身は決めていません。言う機関を決めておかないと、この宣言はただの願い事で終わってしまいます。憲法に反する法律を誰も止められないなら——「最高法規である」という言葉は、実現されないまま残ります。だからこそ、審査して現実に確保する装置が必要です。それが、違憲審査制です。

論文で書く規範:違憲審査制の意義と根拠 ある法律や国の行為が憲法に反していないかを、決められた国家機関——多くは裁判所——がチェックする仕組み。根拠は三つ——①最高法規性(98条1項を現実に確保する)②人権尊重(侵害の救済)③権力分立(国会・内閣への抑制と均衡)。 (整理(意義と根拠3本))

根拠は三つあります。一つ目は、最高法規性です。今、見たとおりです。九十八条一項の宣言を、現実のものにする装置が要ります。二つ目は、人権尊重です。憲法に反する法律で、誰かの人権が侵害されているなら、それを救済しなければなりません。三つ目は、権力分立です。国会が法律を作り、内閣がそれを執行する。この二つを、外からチェックする目が要ります。八十一条は、この「誰が」の答えです。ただ、この「誰が」を憲法の条文に書いておくこと自体は、実は当たり前ではありません。

母国アメリカには、明文が無い

沿革の対比(アメリカ=憲法に明文の規定は無い。判例の積み重ねで確立した/日本=81条で、最初から明文を持って生まれた/だから日本では「できるか」ではなく、「どこまで・どの場面で」が最初から論点になる) 図:沿革の対比

  • アメリカ=憲法に明文の規定は無い。判例の積み重ねで確立した
  • 日本=81条で、最初から明文を持って生まれた
  • だから日本では「できるか」ではなく、「どこまで・どの場面で」が最初から論点になる

さて、違憲審査制には生まれ故郷があります。アメリカです。実は、アメリカの憲法に、明文の規定はありません。合衆国憲法には、裁判所が法律を無効にできる、という条文が一つもありません。1803年、ある裁判の判決の中で、一人の裁判官が理屈を打ち立てました。マーシャル判事です。憲法に反する法律は無効であり——それを判断するのは裁判所の仕事だ、という理屈です。

論文で書く規範:マーベリー対マディソン事件 憲法に反する法律は無効であり、それを判断するのは裁判所の職責である——マーシャル判事が判決の中で示した理屈。以後、判例の積み重ねによって、アメリカの違憲審査制が確立した。 (沿革(1803年・アメリカ))

この一つの判決だけでは終わりません。以後200年かけて、判例が積み重なっていきました。「憲法に書いていないのに、裁判所が法律を無効にできるのか」——この問いに、アメリカは200年かけて、判例で答えたんです。一方、日本国憲法は、生まれたときから八十一条を持っていました。アメリカが200年かけてたどり着いた答えを、日本は最初から条文として輸入したんです。悩む場所が変わります。日本では「できるか、できないか」ではなく——「どこまで、どの場面でできるか」が、最初から論点になります。もう一つ、押さえておきたいことがあります。違憲審査を「誰がやるか」には、国によっていくつかの型があります。

類型――誰が審査するか(政治機関型=フランス、独立の機関(憲法院)が判断/議会型=イギリス、議会が判断/憲法裁判所型=ドイツ、特別に設けられた憲法裁判所が判断/司法裁判所型=アメリカ・日本、通常の裁判所が判断) 図:類型――誰が審査するか

  • 政治機関型=フランス、独立の機関(憲法院)が判断
  • 議会型=イギリス、議会が判断
  • 憲法裁判所型=ドイツ、特別に設けられた憲法裁判所が判断
  • 司法裁判所型=アメリカ・日本、通常の裁判所が判断

フランスは、憲法院という独立の機関が判断します。政治機関型です。イギリスは、議会自身が判断します。議会型です。ドイツは、特別に設けられた憲法裁判所が判断します。憲法裁判所型です。そして、アメリカと日本は、普通の裁判所が判断します。司法裁判所型です。ここで、一つ注意してください。今見た4つの型は、「誰が審査するか」という軸です。これから見る、もう一つの分け方とは、別の軸です。次に見ていきましょう。

2つの型――抽象的審査制と付随的審査制

審査制の種類――どの場面で審査するか(抽象的審査制=特別な憲法裁判所が、具体的な争訟と関係なく審査/付随的審査制=通常の裁判所が、訴訟の前提として必要な限度で審査/抽象的=憲法保障と親和的、付随的=個人の人権保障と親和的) 図:審査制の種類――どの場面で審査するか

  • 抽象的審査制=特別な憲法裁判所が、具体的な争訟と関係なく審査
  • 付随的審査制=通常の裁判所が、訴訟の前提として必要な限度で審査
  • 抽象的=憲法保障と親和的、付随的=個人の人権保障と親和的

「誰が」ではなく、「どの場面で」審査するか、という分け方です。2つあります。抽象的審査制と、付随的審査制です。特別に設けられた憲法裁判所が——具体的な争いとは関係なく、抽象的に違憲審査を行う方式です。たとえば、法律が成立した直後に、誰も訴えていなくても——憲法裁判所がその法律を審査できます。主に、ヨーロッパ大陸の国々が、この型を採っています。普通の裁判所が——目の前の事件を解決するために必要な範囲だけ、その事件に使う法律の憲法適合性を判断する方式です。アメリカが、この型です。この2つの型には、それぞれ得意な役割があります。

論文で書く規範:違憲審査制の役割2つ 違憲審査制には二つの役割がある——個人の人権保障(裁判を通じて各人の人権を実現する)と、憲法保障(憲法に反する法令を否定して、最高法規たる憲法を保全する)。抽象的審査制は憲法保障と、付随的審査制は個人の人権保障と、それぞれ親和的である。 (整理(役割2つ))

誰かの事件を待たずに、法律そのものを点検できますから、一方、付随的な方は、目の前の人の人権が侵害されていないか、という場面に強い。付随的審査制は、憲法保障という役割では、弱くなりがちです。でも——ここが、今日何度も出てくる伏線なんですが——今日では、どちらの審査制を採っていても、両方の目的が目指される傾向にあります。この一言を、覚えておいてください。あとで効いてきます。

81条はどちらか

81条はどちらか(①81条の置き場所=第六章「司法」に規定されている/②司法権の意味=具体的な争訟を裁定する国家の作用/③帰結=81条は、付随的審査制を定めた規定と解される/警察予備隊違憲訴訟も、同じ結論) 図:81条はどちらか

  • ①81条の置き場所=第六章「司法」に規定されている
  • ②司法権の意味=具体的な争訟を裁定する国家の作用
  • ③帰結=81条は、付随的審査制を定めた規定と解される/警察予備隊違憲訴訟も、同じ結論

では、日本の八十一条を見てみましょう。

条文日本国憲法 81条

日本国憲法 第八十一条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。

今日いちばん大事な問いを、ここで正面から置きます。明日いきなり、この法律を無効にしてください、と訴えられるか。八十一条が置かれている場所に、注目してください。八十一条は、「第六章 司法」という章の中にあります。条文が置かれた場所は、意味を持ちます。前の回で、司法権とは何をする作用だと言いましたか?具体的な争訟を裁定する国家の作用——これが司法権でしたね。八十一条が司法の章にある以上、八十一条が与えている権限も、司法権の一部です。司法権は、具体的な争訟が無ければ動きません。だから、八十一条が与える違憲審査権も、具体的な争訟の中でしか使えません。

これが、付随的審査制と呼ばれる考え方です。憲法審査のためだけの特別な手続きがあるわけではありません。普通の裁判の中に、付随して現れる権限です。「憲法違反だ」というだけでは、具体的な争訟になりません。誰かとの間で、具体的な権利義務が問題になっている必要があります。逆に、こういう場合なら、判断できます。ある法律にもとづいて営業の許可を取り消された人が、その取消しは違法だと裁判で争ったとします。その裁判の中で、そもそも根拠になっているこの法律が憲法違反だ、と主張する。だから、この裁判の中でなら、裁判所は法律が憲法に反していないかを判断できます。判例も、同じ結論に立っています。以前、法律上の争訟の回で見た判決、覚えていますか。

あの判決も、まさに違憲審査の場面で、同じ理屈を確認しています。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和27年10月8日

警察予備隊違憲訴訟――結論の位置づけ 「要するにわが現行の制度の下においては、特定の者の具体的な法律関係につき紛争の存する場合においてのみ裁判所にその判断を求めることができるのであり、裁判所がかような具体的事件を離れて抽象的に法律命令等の合憲性を判断する権限を有するとの見解には、憲法上及び法令上何等の根拠も存しない。」

この事件の中身は、以前しっかり見たので、繰り返しません。ここで押さえてほしいのは、結論だけです。具体的な争いが無ければ、違憲審査という権限そのものが、動きません。ただ、ここで、大事な注意があります。付随的審査制の下では、憲法保障という役割が、どうしても弱くなりがちです。でも、それは、憲法保障を軽視してよいという意味ではありません。今日この先ずっと見ていくのが、まさにそこです。場面という入口は、付随的審査制のまま動かしません。その代わり、審査できる中身や、審査できる窓口を、解釈で広げていきます。主体を広げ、対象を広げ、場面も少しだけ広げる——この先、同じ方向を向いた3つの動きが出てきます。この回のいちばん大事な軸は、ここです。「入口は狭いまま、中身は広げる」。覚えておいてください。この八十一条がどちらの型か、という論点は、論文でも問われうる題材です。

誰が審査できるのか――下級裁判所の違憲審査権

誰が審査できるのか――下級裁判所の違憲審査権(反対説の入口=81条が「最高裁判所は」としていることから、下級裁には無いとも読める/根拠①裁判官の職責=76条3項・99条で全ての裁判官の職責/根拠②条文の置き場所=81条は第六章司法にあり、司法権は下級裁判所にも属する〔76条1項〕) 図:誰が審査できるのか――下級裁判所の違憲審査権

  • 反対説の入口=81条が「最高裁判所は」としていることから、下級裁には無いとも読める
  • 根拠①裁判官の職責=76条3項・99条で全ての裁判官の職責
  • 根拠②条文の置き場所=81条は第六章司法にあり、司法権は下級裁判所にも属する〔76条1項〕

場面の話が終わったところで、次は「誰が」審査できるかです。ただ、これは類型のところで見た「誰が」——国ごとに、どの機関が審査するか——とは別の話です。ここからは、日本の裁判所の中で、という話になります。では、下級裁判所はどうでしょうか。あっ、八十一条、よく見ると「最高裁判所は」って書いてありますね。だから、こう考える人がいてもおかしくありません。「最高裁判所しかできない、下級裁判所には無い」と。でも、それは結論ではなく、疑問の出発点です。「最高裁判所しかできない」という理解は誤りです。下級裁判所にも、違憲審査権は認められます。根拠は二つあります。一つ目。裁判官はみな、憲法と法律に拘束されます。七十六条三項です。そして、憲法を尊重し擁護する義務も負っています。九十九条です。

最高裁の裁判官に限った話ではありません。全ての裁判官の職責です。法令が憲法に適合するかを判断することは——憲法を尊重し擁護する義務そのものから出てきます。八十一条が置かれている場所です。さっきと同じ発想を、もう一度使います。八十一条は「第六章 司法」の章にあります。そして、司法権は最高裁だけでなく、下級裁判所にも属しています。七十六条一項です。一つ目の根拠は、八十一条を読む以外の場所——裁判官の職責の条文——から来ています。二つ目の根拠は、八十一条自身の置き場所から来ています。別の系統の理由が、二本そろって、下級裁判所の違憲審査権を支えています。ここが、暗記と読み方の分かれ目です。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和25年2月1日

下級裁判所の違憲審査権 憲法は国の最高法規であつてその条規に反する法律命令等はその効力を有せず、裁判官は憲法及び法律に拘束せられ、また憲法を尊重し擁護する義務を負うことは憲法の明定するところである。従つて、裁判官が、具体的訴訟事件に法令を適用して裁判するに当り、その法令が憲法に適合するか否かを判断することは、憲法によつて裁判官に課せられた職務と職権であつて、このことは最高裁判所の裁判官であると下級裁判所の裁判官であることを問はない。憲法八一条は、最高裁判所が違憲審査権を有する終審裁判所であることを明らかにした規定であつて、下級裁判所が違憲審査権を有することを否定する趣旨をもつているものではない。

判例も、同じ結論です。一つ目の根拠は、判決の中でそのまま述べられています。裁判官は憲法及び法律に拘束され、憲法を尊重し擁護する義務を負う——だから、法令が憲法に適合するかを判断することは——最高裁の裁判官か下級裁判所の裁判官かを問わない、と、そのうえで、さっきの入口——「最高裁判所は」という書きぶり——にも、こう答えています。八十一条は最高裁が終審裁判所であることを明らかにしただけで——下級裁判所の権限を否定する趣旨ではない、と。最後に判断する裁判所、という意味です。下級裁判所も判断できますが、最終的な決着をつけるのは最高裁、という役割分担です。

「誰が」の窓口を広げる話は、これで一つ終わりです。ここも、論文で問われうる骨格です。次は、「何を」審査できるか、対象の話に移ります。

何を審査できるのか①――条例

81条の対象の拡張(法律・命令・規則・処分=81条に列挙、対象/条例=94条の自主法=法律に準ずる、対象/条約=結ばれれば国内でも法律と同じように働く、国内法としての側面のみ対象) 図:81条の対象の拡張

  • 法律・命令・規則・処分=81条に列挙、対象
  • 条例=94条の自主法=法律に準ずる、対象
  • 条約=結ばれれば国内でも法律と同じように働く、国内法としての側面のみ対象

八十一条は、「一切の法律、命令、規則又は処分」を対象として挙げています。ここに書かれていないものが、実は残っています。八十一条に書かれていないもの、それが条例です。条例は、地方公共団体が自分たちの自治権にもとづいて作る、自主的な法です。九十四条に根拠があります。国会が作る法律そのものではありませんが——「法律に準ずるもの」として、違憲審査の対象になると解されています。条例も、国民の権利義務を直接動かす、法規範だからです。法律と同じような働きをする以上、法律と同じように——憲法に反していないか点検できないと、都合が悪いですよね。

たとえば、ある市が条例で、河川敷での火の使用を禁止したとします。それに違反したとして取り締まられた人にとって、自分の行動を縛っているのは、その条例です。だから、その裁判の中で、この条例は憲法違反だ、と主張できますし——裁判所も、その条例を点検できます。「法律の範囲内」という、もう一つの論点は、また別の機会に扱います。今日は、対象に入る、という一段だけ押さえてください。

何を審査できるのか②――条約

81条の対象の拡張(法律・命令・規則・処分=81条に列挙、対象/条例=94条の自主法=法律に準ずる、対象/条約=結ばれれば国内でも法律と同じように働く、国内法としての側面のみ対象) 図:81条の対象の拡張

  • 法律・命令・規則・処分=81条に列挙、対象
  • 条例=94条の自主法=法律に準ずる、対象
  • 条約=結ばれれば国内でも法律と同じように働く、国内法としての側面のみ対象

条例が対象に入るなら、条約はどうでしょうか。実は、条約は3段階の階段を登らないと、対象になるかどうかが決まりません。順番に見ていきましょう。

条約の国内法的効力(①根拠=98条2項〔誠実遵守〕+61条・73条3号ただし書〔民主的コントロール〕/②帰結=原則として、新たに法律を作らなくても国内で効力を持つ/③∴条約と憲法の矛盾抵触が生じうる) 図:条約の国内法的効力

  • ①根拠=98条2項〔誠実遵守〕+61条・73条3号ただし書〔民主的コントロール〕
  • ②帰結=原則として、新たに法律を作らなくても国内で効力を持つ
  • ③∴条約と憲法の矛盾抵触が生じうる

一段目。そもそも条約に、国内法としての効力があるのか、という問題です。そう思いたくなりますが、否定する見解もあります。ただ、二つの理由から、原則として効力があると考えられています。一つ目。九十八条二項です。日本が締結した条約は、誠実に遵守しなければならない、と定めています。二つ目。条約には、国会からの民主的コントロールが及んでいます。六十一条、そして七十三条三号のただし書です。この二つから、条約は特別な法律を作らなくても——原則として国内法としての効力を持つ、と解されています。効力があるとなると、初めて次の問題が生まれます。条約と憲法が矛盾したらどうなるか、です。

条約と憲法の形式的効力の優劣(①問題の所在=98条1項に条約の記載が無いことから問題となる/②根拠1=条約締結権は憲法に根拠を有する〔73条3号〕→締結も承認も憲法の枠内でのみ許される/③根拠2=条約優位だと96条の厳格な改正手続によらない改正を認めることになりかねない/④結論=憲法優位説) 図:条約と憲法の形式的効力の優劣

  • ①問題の所在=98条1項に条約の記載が無いことから問題となる
  • ②根拠1=条約締結権は憲法に根拠を有する〔73条3号〕→締結も承認も憲法の枠内でのみ許される
  • ③根拠2=条約優位だと96条の厳格な改正手続によらない改正を認めることになりかねない
  • ④結論=憲法優位説

二段目。憲法と条約、どちらが優先するか、という問題です。多くの人が、最初はそう感じます。でも、結論は逆です。憲法が、条約に優位します。まず、問題の立て方を確認しましょう。憲法が国の最高法規だと定めた、九十八条一項を見ると——そこに、条約という言葉が挙げられていません。ここは、間違えやすいところです。九十八条二項は、条約を守れという条文。九十八条一項は、憲法が一番強いと定めた条文——そこに条約の名前が無いことが、問題の入口です。条約優位説という考え方もあります。でも、二つの理由から、憲法優位説の方が妥当です。一つ目。条約を結ぶ権限そのものが、憲法にもとづいています。七十三条三号です。憲法があってはじめて、条約を結ぶ権限が生まれます。

条約を結ぶ権限の出どころこそ、一つ目の理由の要です。一歩、間に入れましょう。ある権限が、ある決まりにもとづいて与えられているとき——その権限を使ってできたものは、もとの決まりの枠を超えられません。だから、条約を結ぶことも、国会が承認することも——憲法の枠の中でだけ、許されます。二つ目。もし条約が憲法に優位するとしたら、どうなるでしょう。憲法改正には、重い手続きが要ります。各議院の総議員の三分の二以上の賛成で発議して、さらに国民投票にかける——九十六条の定める手続きです。一方、条約は、内閣が締結して、国会が承認すれば成立します。

もし条約が憲法に勝つとしたら、この軽い手続きで——実質的に、憲法を書き換えられてしまいます。国民が主権者として憲法を作り、変えるという建前——国民主権原理が、崩れかねません。だから、憲法が条約に優位する、と解されています。

条約の違憲審査の対象性(①問題の所在=条約は81条に列挙されていない/②論理=結ばれれば国内でも法律と同じように働く以上、国内法としての側面は81条の「法律」に準ずる→対象/③判例=砂川事件も対象となる余地を認めたにとどまる) 図:条約の違憲審査の対象性

  • ①問題の所在=条約は81条に列挙されていない
  • ②論理=結ばれれば国内でも法律と同じように働く以上、国内法としての側面は81条の「法律」に準ずる→対象
  • ③判例=砂川事件も対象となる余地を認めたにとどまる

三段目です。では、条約は違憲審査の対象になるのでしょうか。確かに、条約は八十一条に列挙されていません。そう単純には言えません。条約は、結ばれれば、そのまま国内で法律と同じように働きます。だから、その国内で働く部分——「国内法としての側面」——を取り出すと——八十一条の「法律」に準ずると考えられます。条約そのものではない、という意味です。条約は、相手国のある国際法上の合意です。日本の裁判所が、その国際法上の効力そのものを失わせることはできません。でも、その条約が日本の国内でどう働くか、という側面だけは——日本の裁判所が点検できます。

この限定を、外して覚えないでください。判例にも、これに関わるものがあります。安全保障条約が争われた事件です。

判例最高裁判所大法廷判決・昭和34年12月16日

砂川事件――対象となる余地 「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外」であり、その判断は「第一次的には……内閣および……国会の判断に従うべく、終局的には、主権を有する国民の政治的批判に委ねらるべきもの」

この事件で問題になった安全保障条約について——判決は、高度に政治的な問題だから——一見極めて明白に違憲無効と認められない限り、裁判所の審査権の範囲外だ、としました。「範囲外」という言葉の読み方こそが、分かれ目です。「一見極めて明白に違憲無効であると認められない限り」という、条件が付いています。条件が付いているということは、逆に言えば——この留保があること自体が——条約が違憲審査の対象となる余地を、判例が認めていることの証拠です。「対象になりうる」ことと「違憲と判断された」ことは別です。そこは、はっきり区別してください。この判決は、条約を違憲だと判断してはいません。対象となる余地を認めた、それだけです。統治行為と呼ばれる、この判決の枠組み自体は、別の回で扱いました。今日は、「条約も対象になりうる」という一点だけ、持ち帰ってください。この条約の3段階も、論文で問われうる骨格です。

客観訴訟における違憲審査

客観訴訟とは(具体的な権利義務のもめごとではないのに、法律が特別に訴えを認めている訴訟/民衆訴訟(選挙訴訟・住民訴訟など)/機関訴訟/事件性の要件(法律上の争訟性)を前提としない) 図:客観訴訟とは

  • 具体的な権利義務のもめごとではないのに、法律が特別に訴えを認めている訴訟
  • 民衆訴訟(選挙訴訟・住民訴訟など)
  • 機関訴訟
  • 事件性の要件(法律上の争訟性)を前提としない

最後に、もう一つだけ、場面の話に戻ります。客観訴訟です。具体的な権利義務のもめごとではないのに、法律が特別に訴えを認めている訴訟です。以前、選挙訴訟や住民訴訟として見ましたね。では、その客観訴訟の中で——裁判所は違憲審査権を使えるでしょうか。客観訴訟が付随的審査制に反しないか、それは鋭い疑問です。客観訴訟は、具体的な争訟ではありません。だとすると、その中で違憲審査をすることは——抽象的な審査にあたり、付随的審査制に反するのではないか、という疑問が出てきます。でも、以前、同じ形の疑問を、一度解決していますよね。

客観訴訟が、そもそもなぜ裁判所に扱わせてよいのか、という疑問です。覚えていますか。具体的な事実に法令をあてはめる作業は、通常の訴訟と変わらない——だから法律上の争訟に実質的に近い、という説明でした。今日の疑問にも、同じ理屈がもう一度効きます。そのうえで、今日はその「変わらない」を、もう一歩だけ詰めます。あてはめる作業が同じだと言えるのは——あてはめる相手、つまり国や地方公共団体の具体的な行為が、現にあるからです。

論文で書く規範:客観訴訟における違憲審査 客観訴訟は、現行法上、いずれも国や地方公共団体が現に行った具体的な行為を土台にして争われるものであり、この点で法律上の争訟と実質的な差は無いといえる。∴ 客観訴訟であっても、違憲審査権の行使は妨げられない。 (整理(客観訴訟が対象になる理由))

問いが一段、進んでいます。でも、答えの理屈は同じです。具体的な行為があるから、法律上の争訟にかなり近い。ある選挙の効力を争う訴訟なら、現に行われた選挙という、公の機関の行為があります。その選挙のしくみを定めた法律が憲法に違反しないかを、その訴訟の中で判断する。抽象的に法律だけを点検しているのとは、違います。だから、客観訴訟でも、違憲審査権の行使は妨げられない、と解しておけば足ります。

今日の到達点

今日の到達点(81条の場面は狭い(付随的)=具体的な訴訟の中でしか動かない/81条の対象は広い=条例も条約も、客観訴訟の中でも審査できる/この非対称は矛盾ではない=憲法保障も実現しようとする「拡げる側」の解釈が積み上がった結果/対象になれば、裁判所は必ず憲法判断をするのか——実は、しないで済ませる道具もある) 図:今日の到達点

  • 81条の場面は狭い(付随的)=具体的な訴訟の中でしか動かない
  • 81条の対象は広い=条例も条約も、客観訴訟の中でも審査できる
  • この非対称は矛盾ではない=憲法保障も実現しようとする「拡げる側」の解釈が積み上がった結果
  • 対象になれば、裁判所は必ず憲法判断をするのか——実は、しないで済ませる道具もある

ここまでの話を、一枚にまとめましょう。八十一条の場面は、狭いままです。具体的な訴訟の中でしか、動きません。でも、八十一条の対象は、広いんです。条例も、条約の国内法としての側面も、客観訴訟の中でも、審査できます。矛盾ではありません。付随的審査制という入口は、動かしません。その代わり、審査できる中身と窓口を、解釈で広げてきた——それが今日の答えです。主体を広げ、対象を広げ、場面も少しだけ広げる——この3つの動きは、全部、同じ方向を向いています。憲法保障を、諦めないための動きです。「付随的だから、全部狭い」と丸めないことです。場面は狭く、対象と窓口は広い——この非対称そのものを、覚えてください。

では、最後に一つ、聞いてみましょう。対象になりさえすれば、裁判所は、必ず憲法判断をするのでしょうか。実は、しないで済ませるための道具が、裁判所にはあります。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 81条

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