憲法ゼロから憲法#75

裁判の公開とレペタ事件——保障しないのに、尊重する

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第4章 統治 #75/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

対審・判決・公開――三つの言葉をほどく

裁判の公開――八十二条を読み解く(対審=当事者を対立関与させて行う審理の場面/判決=対審を経て裁判所が行う最終的判断/公開=一般人の自由な傍聴を認めること/2項本文=裁判官の全員一致と公序良俗を害する虞があれば対審だけ非公開にできる/ただし書=一定の刑事事件の対審は常に公開) 図:裁判の公開――八十二条を読み解く

  • 対審=当事者を対立関与させて行う審理の場面
  • 判決=対審を経て裁判所が行う最終的判断
  • 公開=一般人の自由な傍聴を認めること
  • 2項本文=裁判官の全員一致と公序良俗を害する虞があれば対審だけ非公開にできる
  • ただし書=一定の刑事事件の対審は常に公開

八十二条一項は、こう定めています。「裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。」対審とは、当事者を対立させて関与させる、審理の場面のことです。刑事訴訟では公判手続、民事訴訟では口頭弁論手続と呼ばれます。中身は、それぞれの手続を扱う回に譲ります。判決とは、対審を経たあとに裁判所が行う最終的な判断です。刑事なら有罪判決や無罪判決、民事なら請求認容判決や請求棄却判決が典型です。公開とは、一般の人が自由に傍聴できる状態を認めることです。裁判を受ける権利の回ですね。判例は、三十二条の「裁判」を——この八十二条の「裁判」と、同じ意味だとしていました。今日は、その八十二条の側を、正面から見ます。

趣旨は、こうです。裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し——ひいては、裁判に対する国民の信頼を確保しようとすること。

条文日本国憲法 82条

日本国憲法 第八十二条 1項 裁判の対審及び判決は、公開法廷でこれを行ふ。 2項 裁判所が、裁判官の全員一致で、公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には、対審は、公開しないでこれを行ふことができる。但し、政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件の対審は、常にこれを公開しなければならない。

一項が、今説明した三つの言葉です。二項は、あとで詳しく見ましょう。ここで、一つ聞いてみましょう。傍聴席の数には限りがありますよね。それでも、公開原則違反にならないのは、なぜだと思いますか?八十二条が命じているのは、一般人の傍聴を認める状態にしておくことです。特定の誰かを、必ず入れることではありません。そこが、あとで大事な伏線になります。傍聴券が抽選になっても、座席数に限りがあっても——「誰でも入れる状態」そのものが保たれている限り、公開原則には違反しません。

例外は、重い二つの条件

裁判の公開――八十二条を読み解く(対審=当事者を対立関与させて行う審理の場面/判決=対審を経て裁判所が行う最終的判断/公開=一般人の自由な傍聴を認めること/2項本文=裁判官の全員一致と公序良俗を害する虞があれば対審だけ非公開にできる/ただし書=一定の刑事事件の対審は常に公開) 図:裁判の公開――八十二条を読み解く

  • 対審=当事者を対立関与させて行う審理の場面
  • 判決=対審を経て裁判所が行う最終的判断
  • 公開=一般人の自由な傍聴を認めること
  • 2項本文=裁判官の全員一致と公序良俗を害する虞があれば対審だけ非公開にできる
  • ただし書=一定の刑事事件の対審は常に公開

一項の原則には、例外があります。二項本文を見てみましょう。裁判所が、裁判官の全員一致で——公の秩序又は善良の風俗を害する虞があると決した場合には——対審は、公開しないで行うことができる。そう丸めてはいけません。要件は、二つとも重いんです。一つ目は、全員一致。多数決では、足りません。二つ目は、公の秩序又は善良の風俗を害する「虞」があること。この二つが、両方そろって初めて、対審だけを非公開にできます。非公開は、公開という原則そのものを外す判断だからです。決め方は全員一致に、理由は公序良俗の虞に——どちらも、最も重い形に縛ってあります。

それは、次で確認しましょう。

例外の例外と、判決は動かないという線

八十二条の三段構造(①原則=対審も判決も公開法廷で行う/②例外=全員一致と公序良俗を害する虞で、対審だけ非公開にできる/③例外の例外=政治犯罪・出版の犯罪・国民の権利が問題の事件の対審は常に公開/判決は、①のまま一度も動かない) 図:八十二条の三段構造

  • ①原則=対審も判決も公開法廷で行う
  • ②例外=全員一致と公序良俗を害する虞で、対審だけ非公開にできる
  • ③例外の例外=政治犯罪・出版の犯罪・国民の権利が問題の事件の対審は常に公開/判決は、
  • ①のまま一度も動かない

二項には、続きがあります。ただし書です。「政治犯罪、出版に関する犯罪又はこの憲法第三章で保障する国民の権利が問題となつてゐる事件」——この対審は、常に公開しなければならない。原則に、戻ります。ここで一つ、注意が要ります。この「事件」とは、何を指すと思いますか。実は、これは刑事事件だけを指す、と解されています。「政治犯罪、出版に関する犯罪」という、刑事の罪名と並べて書かれているからです。罪名と並記されている以上、この「事件」も、刑事事件だと読むのが自然です。もう一つ、大事な確認があります。判決は、この二項の話に一度も出てきていません。

二項が非公開にできるのは、対審だけです。判決は、ただし書を待つまでもなく、最初から二項の対象外です。つまり、判決は、一切の例外なく、必ず公開されます。混ぜてはいけません。ここで、全体の構造を一枚で見ておきましょう。一段目、原則。対審も判決も、公開法廷で行う。二段目、例外。全員一致と公序良俗で、対審だけ非公開にできる。三段目、例外の例外。一定の刑事事件の対審は、常に公開。そして、判決だけは、一段目のまま、一度も動きません。

レペタさんが求めたもの

レペタ事件の事案(米国ワシントン州弁護士資格を持つ研究者=国際交流基金の特別研究員として証券市場を研究/東京地裁の所得税法違反事件を傍聴し、メモを取る許可を求めた/裁判長は許可しなかった/同じ裁判長は司法記者クラブ所属の記者にはメモを許可していた/国家賠償を求めて提訴) 図:レペタ事件の事案

  • 米国ワシントン州弁護士資格を持つ研究者=国際交流基金の特別研究員として証券市場を研究
  • 東京地裁の所得税法違反事件を傍聴し、メモを取る許可を求めた
  • 裁判長は許可しなかった
  • 同じ裁判長は司法記者クラブ所属の記者にはメモを許可していた
  • 国家賠償を求めて提訴

ここから、法廷でのメモの話に入ります。舞台になった事件を、確認しましょう。アメリカ、ワシントン州の弁護士資格を持つ、研究者がいました。国際交流基金の特別研究員として、日本の証券市場を研究していました。この人が、東京地方裁判所で行われていた、所得税法違反の裁判を傍聴しました。問題は、その先です。公判の期日ごとに——メモを取る許可を、裁判長に求めました。許可は下りませんでした。ところが、同じ裁判長は——司法記者クラブに所属する記者には、メモを許可していました。この扱いを不服として、国家賠償を求めて、提訴しました。これが、レペタ事件です。

保障の否定――八十二条の入口の答え

保障の否定(傍聴を権利として要求できることまでは認めていない/法廷でメモを取ることを権利として保障してもいない/八十二条の入口からは、メモを取る自由は出てこない) 図:保障の否定

  • 傍聴を権利として要求できることまでは認めていない
  • 法廷でメモを取ることを権利として保障してもいない
  • 八十二条の入口からは、メモを取る自由は出てこない

レペタ判決の判断は、大きく四つに分かれます。①、八十二条の答え。②、知る権利の派生。③、筆記行為の尊重。そして④、制限の可否です。この①から④の番号で、順に見ていきます。レペタ判決は、まず八十二条の趣旨をもう一度なぞるところから始まります。同じ文が、判決の中にそのまま出てきます。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――保障の否定(八十二条の答え) 憲法八二条一項の規定は、裁判の対審及び判決が公開の法廷で行われるべきことを定めているが、その趣旨は、裁判を一般に公開して裁判が公正に行われることを制度として保障し、ひいては裁判に対する国民の信頼を確保しようとすることにある。……右規定は、各人が裁判所に対して傍聴することを権利として要求できることまでを認めたものでないことはもとより、傍聴人に対して法廷においてメモを取ることを権利として保障しているものでない

判決は、この趣旨を確認したうえで、はっきり言い切りました。各人が裁判所に対して、傍聴することを権利として要求できることまでは、認めていない。傍聴人が法廷でメモを取ることも、権利として保障してはいない。八十二条の入口からは、そう言うしかありません。八十二条が縛っているのは、裁判所という組織の側だからです。主語は「裁判の対審及び判決」であって、傍聴人ではありません。さっき見た、「誰でも入れる」と「入れろと請求できる」は違う——あの線が、そのまま判決の答えになっています。地域の合唱団の申し合わせに、「練習は、団員なら誰でも自由に見学できる形で行う」とあったとします。

でも、それは運営する側を縛るきまりです。「あなたの椅子を必ず用意しろ」という、個人の請求権を作るものではありません。まして、その場でノートを取っていいかは、この申し合わせからは何も出てきません。でも、判決はここで終わりません。

知る権利の派生と、筆記行為の尊重――二十一条の入口の答え

二十一条一項の入口(②知る権利の派生=様々な意見・知識・情報に接し摂取する自由は、表現の自由の派生原理として当然に導かれる〔根拠〕/③筆記行為の尊重=情報摂取を補助する筆記行為の自由は、二十一条一項の精神に照らして尊重されるべき〔法廷メモへの当てはめ〕) 図:二十一条一項の入口

  • ②知る権利の派生=様々な意見・知識・情報に接し摂取する自由は、表現の自由の派生原理として当然に導かれる〔根拠〕
  • ③筆記行為の尊重=情報摂取を補助する筆記行為の自由は、二十一条一項の精神に照らして尊重されるべき〔法廷メモへの当てはめ〕

ここから、二十一条一項という、別の入口に移ります。知る権利の回で、ある判決を根拠に見ましたね?二十一条は「言う自由」だけじゃない、という話でした。レペタ判決も、同じ理屈をここで使っています。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――知る権利の派生 ……このような情報等に接し、これを摂取する自由は、右規定の趣旨、目的から、いわばその派生原理として当然に導かれるところである

さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取する自由は——二十一条一項の趣旨・目的から、いわばその派生原理として、当然に導かれる。ここは深追いしません。今日の重心は、次です。筆記行為、つまりメモを取ること自体は、どう位置づけられるでしょうか。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――筆記行為の尊重(法廷でのメモ) 筆記行為は、……さまざまな意見、知識、情報に接し、これを摂取することを補助するものとしてなされる限り、筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定の精神に照らして尊重されるべきである 傍聴人が法廷においてメモを取ることは、その見聞する裁判を認識、記憶するためになされるものである限り、尊重に値し、故なく妨げられてはならないものというべきである

メモを取る行為は、情報を摂取することを補助する行為です。だから、二十一条一項という規定の精神に照らして、尊重されるべきだ、と。言葉を選んでいます。保障とは、言っていません。そして、法廷でメモを取ることは——見聞きする裁判を、認識し記憶するためのものである限り——尊重に値し、故なく妨げられてはならない。正反対ではありません。判決の順番の意味を、整理しましょう。①は、八十二条の入口の答えでした。権利として保障はしていない。②と③は、二十一条の入口の答えです。尊重に値する、という答えです。ここが、今日いちばん伝えたい一点です。

厳格な基準がいらない理由と、そのゆくえ

制限の可否とその帰結(筆記行為の自由は、二十一条一項が直接保障する表現の自由そのものとは異なる=だから厳格な基準は不要/訴訟の運営を妨げる場合は制限できる/妨げるに至ることは通常あり得ない=特段の事情がなければ傍聴人の自由に任せるべき/一般的に禁止し個別に許可する取扱いも、裁判長の裁量の範囲内) 図:制限の可否とその帰結

  • 筆記行為の自由は、二十一条一項が直接保障する表現の自由そのものとは異なる=だから厳格な基準は不要
  • 訴訟の運営を妨げる場合は制限できる
  • 妨げるに至ることは通常あり得ない=特段の事情がなければ傍聴人の自由に任せるべき
  • 一般的に禁止し個別に許可する取扱いも、裁判長の裁量の範囲内

ここからが④、制限の可否です。では、この「尊重に値する」自由は、どこまで強いのでしょうか。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――厳格な基準は不要 右の筆記行為の自由は、憲法二一条一項の規定によつて直接保障されている表現の自由そのものとは異なるものであるから、その制限又は禁止には、……厳格な基準が要求されるものではない

二十一条で保障された表現の自由と、同じ強さではありません。判決は、はっきり線を引いています。この筆記行為の自由は、二十一条一項が直接保障する表現の自由そのものとは異なる。だから、制限や禁止に、厳格な基準は要求されない。理由は、さっき整理した二つの入口の構造にそのまま出ています。二十一条から直接出てくる権利ではなく——あくまで、派生原理から来る自由だからです。この「派生だから」の一言を、まず押さえてください。ここを飛ばすと、次の結論が、ただの丸暗記になります。では、実際にどう扱われるのか、三段で見ていきましょう。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――原則自由と裁量の範囲内 そのメモを取る行為がいささかでも法廷における公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げる場合には、それが制限又は禁止されるべきことは当然である 傍聴人のメモを取る行為が公正かつ円滑な訴訟の運営を妨げるに至ることは、通常はあり得ないのであつて、特段の事情のない限り、これを傍聴人の自由に任せるべき 傍聴人がメモを取ることをあらかじめ一般的に禁止し、状況に応じて個別的にこれを許可するという取扱いも、……裁判長の裁量の範囲内の措置として許容される

一段目。メモを取る行為が、いささかでも訴訟の公正・円滑な運営を妨げるなら——制限や禁止をするのは、当然です。二段目。ただし、メモが訴訟の運営を妨げるに至ることは——通常はあり得ない。だから、特段の事情がない限り——傍聴人の自由に、任せるべきだ。そして三段目、ここが実務に直結します。メモをあらかじめ一般的に禁止しておいて——状況に応じて、個別に許可する。この取扱いも——傍聴人がメモを取ることを、故なく妨げることにならない限り——裁判長の裁量の範囲内として、許されます。厳格な基準が要らない以上、その枠組みそのものは、否定されません。この①から④までの流れは、論点によっては、論文でも規範の骨格として使えます。

レペタの罠――結論と、判決が動かしたもの

結論と、判決が動かしたもの(判決の結論=上告棄却。レペタさんの敗訴。許可制も裁量の範囲内/判決が動かしたもの=「尊重に値する」という言葉が、その後の実務でメモの扱いを変えた) 図:結論と、判決が動かしたもの

  • 判決の結論=上告棄却。レペタさんの敗訴。許可制も裁量の範囲内
  • 判決が動かしたもの=「尊重に値する」という言葉が、その後の実務でメモの扱いを変えた

さて、ここで一つ聞いてみましょう。結局のところ、レペタさんの請求は、認められたと思いますか?主文を、確認しましょう。

判例最高裁判所大法廷判決・平成元年3月8日

レペタ事件――主文 本件上告を棄却する。

上告棄却。レペタさんは、負けています。許可制そのものは、裁判長の裁量の範囲内だとさっき確認しましたね。だから、この事件で問題になった許可制自体は、違憲とはされていません。「尊重に値する」という言葉の位置が、この回でいちばん壊れやすいところです。判決の結論と、判決が動かしたものは分けて考える必要があります。結論は、敗訴。許可制は、裁量の範囲内。でも、③で「尊重に値する」と述べたことが——その後の実務に、影響を与えました。この判決のあと、法廷でのメモの許可制は——実務上、ほとんど行われなくなった、と一般に知られています。

「メモの自由が人権として認められた」という要約は——正確ではありません。認められたのは、あくまで——尊重に値するという、中間の地位です。ここを混同しないでください。

北海タイムス事件――法廷での写真撮影

北海タイムス事件(新聞社の写真班員が、法廷で裁判所の許可なく被告人を撮影/「写真は駄目です」という制止を無視して撮影/法廷等の秩序維持に関する法律による制裁を受け、特別抗告/最高裁=写真撮影を裁判所の許可にかからしめても、憲法に違反しない) 図:北海タイムス事件

  • 新聞社の写真班員が、法廷で裁判所の許可なく被告人を撮影
  • 「写真は駄目です」という制止を無視して撮影
  • 法廷等の秩序維持に関する法律による制裁を受け、特別抗告
  • 最高裁=写真撮影を裁判所の許可にかからしめても、憲法に違反しない

報道の自由と、取材の自由は、扱いが違いましたよね?報道の自由は、二十一条の保障のもとにある。取材の自由は、二十一条の精神に照らして、十分尊重に値する。同じ判決の中で、言葉が選び分けられていました。今日は、その枠組みには触れません。ここで見るのは、法廷という同じ場所での、別の記録行為です。写真撮影です。

判例最高裁判所大法廷決定・昭和33年2月17日

北海タイムス事件――写真撮影の許可制 公判廷における写真の撮影等は、その行われる時、場所等のいかんによつては、前記のような好ましくない結果を生ずる恐れがあるので、刑事訴訟規則二一五条は写真撮影の許可等を裁判所の裁量に委ね、その許可に従わないかぎりこれらの行為をすることができないことを明らかにしたのであつて、右規則は憲法に違反するものではない。

事案は、こうです。新聞社の写真班員が、法廷で被告人を撮影しようとしました。裁判所は、あらかじめ、撮影は公判が始まるまでなら構わない、始まったら許さない、と告知していました。裁判長の「写真は駄目です」という制止も無視して、撮影しました。この件で制裁を受け、最高裁判所まで争いました。憲法違反などを理由に不服を申し立てる、特別抗告という手続です。結論は、今の引用のとおりです。写真撮影を裁判所の許可にかからせても——憲法に違反しない。同じ「法廷で記録する行為」なのに、扱いが違います。撮影は、法廷の状況そのものを変えてしまうからです。フラッシュ、シャッター音、機材を構える動作——訴訟関係人に、現実に影響が生じます。一方、メモは、静かにペンを動かすだけです。レペタ判決が言っていた、「妨げるに至ることは通常はあり得ない」——これが、ここで初めて具体的な姿を持ちます。

裁判員制度――構成と三つの関与

裁判員制度の構成と三つの関与(裁判官三名+裁判員六名で構成/対象=死刑・無期拘禁刑にあたる罪など、重い罪の事件/裁判員が関与するのは三つ=事実の認定/法令の適用/刑の量定/法令の解釈・訴訟手続に関する判断は、裁判官だけが行う) 図:裁判員制度の構成と三つの関与

  • 裁判官三名+裁判員六名で構成
  • 対象=死刑・無期拘禁刑にあたる罪など、重い罪の事件
  • 裁判員が関与するのは三つ=事実の認定
  • 法令の適用
  • 刑の量定
  • 法令の解釈・訴訟手続に関する判断は、裁判官だけが行う

後半に入ります。ここからは、裁判員制度です。平成二十一年から、実施されています。一定の重い罪の事件について——有権者の中から、くじで選ばれた裁判員六名と——職業裁判官三名で、裁判体を構成します。裁判員が何をするかが、いちばんの罠です。事実認定と量刑だけ、だと思っていませんか。裁判員が関与するのは、三つです。事実の認定、法令の適用、そして刑の量定。「事実認定と量刑だけ」ではありません。法令の適用も含まれます。法令の解釈は、裁判員の担当ではありません。解釈と、訴訟手続に関する判断は——裁判官だけが行います。

適用とは、法令を事実に当てはめること。解釈とは、法令の意味そのものを、確定することです。たとえば、「正当防衛にあたるか」を、事実に当てはめて判断するのは——裁判員も加わります。でも、「正当防衛の急迫性とは、そもそもどういう意味か」を決めるのは——裁判官だけの仕事です。刑法の言葉で、侵害が今まさに迫っている、という要件です。ここを取り違えると、短答で確実に引っかかります。二つの側から、説明ができます。まず、解釈の側です。法令の意味を確定させると、その意味は——この事件だけでなく、同じ条文を使う場面すべてに及びます。事件ごとに意味が揺れては、法に基づく裁判になりません。だから、法の専門家である裁判官を、裁判の基本的な担い手として残す。裁判官だけが解釈を担う、というこの位置づけは、このあと見る判決自身が言っています。

当てはめは、目の前の事実が、その意味に当たるかどうかの判断です。社会の常識に照らして考える場面が、多くあります。だからこそ、くじで選ばれた市民が加わる意味がある——そう説明できます。

陪審制・参審制・裁判員制度の対比(陪審制=市民だけで事実認定を行い、法の適用は裁判官が行う/参審制=市民と裁判官が一緒に、事実認定も法令の適用も量刑も判断する/裁判員制度=事件ごとにくじで選ばれる点は陪審制に近く、裁判官と一緒に三つの判断を行う点は参審制と共通する、日本独特の制度) 図:陪審制・参審制・裁判員制度の対比

  • 陪審制=市民だけで事実認定を行い、法の適用は裁判官が行う
  • 参審制=市民と裁判官が一緒に、事実認定も法令の適用も量刑も判断する
  • 裁判員制度=事件ごとにくじで選ばれる点は陪審制に近く、裁判官と一緒に三つの判断を行う点は参審制と共通する、日本独特の制度

この制度の特徴は、他の国の仕組みと比べると、よく分かります。陪審制は、市民だけで事実認定を行います。法の適用は、裁判官が行います。参審制は、市民と裁判官が、一緒に判断します。事実の認定だけでなく、法令の適用も、刑の量定もです。そこは、参審制と共通しています。違います。裁判員は、事件ごとに、くじで選ばれます。裁判官のような身分もありません。そこは、陪審制に似ています。判決自身が、こう言っています。陪審制に類似し、参審制とも共通する——我が国独特の、国民の司法参加の制度である。

裁判員制度は、なぜ合憲なのか

裁判員制度の合憲性(争点=裁判官が裁判員の判断に拘束されることは、七十六条三項〔職権行使の独立〕に反しないか/最高裁=裁判員法は憲法に適合するよう法制化された法律なので、拘束されても違反ではない/法令の解釈・訴訟手続の判断は裁判官の権限=公正中立な裁判の実現/結論=合憲・上告棄却) 図:裁判員制度の合憲性

  • 争点=裁判官が裁判員の判断に拘束されることは、七十六条三項〔職権行使の独立〕に反しないか
  • 最高裁=裁判員法は憲法に適合するよう法制化された法律なので、拘束されても違反ではない
  • 法令の解釈・訴訟手続の判断は裁判官の権限=公正中立な裁判の実現
  • 結論=合憲・上告棄却

この制度には、合憲性が争われた裁判があります。弁護人は、複数の憲法違反を主張しました。裁判を受ける権利や公平な裁判所、特別裁判所の禁止、意に反する苦役の禁止——どれも、最高裁は退けています。七十六条三項が保障するのは、裁判官の職権の独立でした。立法権や行政権はもちろん、裁判所の内部からの指示も受けずに——裁判官が一人ひとり独立して判断する、という意味でしたね。今日の中心の争点は、まさにそこです。裁判官が、裁判員の判断に拘束されることは——七十六条三項に反しないか。

判例最高裁判所大法廷判決・平成23年11月16日

裁判員制度合憲判決――三つの関与の確認 裁判員の権限は,裁判官と共に公判廷で審理に臨み,評議において事実認定,法令の適用及び有罪の場合の刑の量定について意見を述べ,評決を行うことにある。

まず、裁判員の権限を、判決自身がこう確認しています。裁判官と共に審理に臨み、事実認定、法令の適用、そして——有罪の場合の刑の量定について、意見を述べ、評決を行う。評議のあと、裁判官と裁判員が一緒に票を投じて、結論を決めることです。

判例最高裁判所大法廷判決・平成23年11月16日

裁判員制度合憲判決――七十六条三項との関係 憲法76条3項によれば,裁判官は憲法及び法律に拘束される。……法令の解釈に係る判断や訴訟手続に関する判断を裁判官の権限にするなど,裁判官を裁判の基本的な担い手として,法に基づく公正中立な裁判の実現が図られており,こうした点からも,裁判員制度は,同項の趣旨に反するものではない。

七十六条三項によれば、裁判官は、憲法及び法律に拘束されます。裁判員法自体が、憲法に適合するように作られた法律である以上——その評決制度に裁判官が従うのは、憲法に適合する法律に拘束される結果です。加えて、決め手はもう一つあります。法令の解釈や、訴訟手続に関する判断を——裁判官だけの権限としている、という点です。裁判官を、裁判の基本的な担い手として位置づけて——法に基づく公正中立な裁判の実現が、図られている。だから、裁判員制度は、七十六条三項の趣旨に反しません。結論は、合憲。上告棄却です。ただし、この判決が合憲だと言ったのは、いまある裁判員制度の形です。市民が法令の解釈まで担う制度が合憲かどうかは、ここからは出てきません。

司法権への民主的コントロール

司法権への民主的コントロール(国民の側から=裁判員制度/国民審査(七十九条二項)/裁判の公開(八十二条)/国民からの批判(二十一条一項)/他の国家機関から=弾劾裁判、内閣による指名・任命にとどまる/司法権の独立を確保するため) 図:司法権への民主的コントロール

  • 国民の側から=裁判員制度
  • 国民審査(七十九条二項)
  • 裁判の公開(八十二条)
  • 国民からの批判(二十一条一項)
  • 他の国家機関から=弾劾裁判、内閣による指名・任命にとどまる
  • 司法権の独立を確保するため

最後に、今日見てきたものを、一つにまとめましょう。国民の側から、司法権にかかる手綱は、四つあります。裁判員制度、最高裁判所裁判官の国民審査、裁判の公開、そして国民からの批判です。批判が禁じられない自由であることが、そのまま手綱にもなっています。国民審査は、主権者が人事の側で握る手綱でした。規則と法律の優劣は、手綱の掛かる先が違います。裁判官その人ではなく、最高裁判所が作るルールの側です。規則と法律がぶつかれば、民主的な基盤の薄い規則が譲る——ルールの側の手綱でした。一方、裁判官その人を外から縛れるのは、弾劾裁判と、内閣による指名・任命くらいしかありません。

司法権の独立を、確保するためです。

今日の到達点(八十二条から見れば、傍聴もメモも権利ではない/二十一条から見れば、メモは尊重に値する/同じ一つの行為でも、どの条文から見るかで守られ方の強さが変わる/裁判の公開は、いちばん常時作動している民主的コントロール) 図:今日の到達点

  • 八十二条から見れば、傍聴もメモも権利ではない
  • 二十一条から見れば、メモは尊重に値する
  • 同じ一つの行為でも、どの条文から見るかで守られ方の強さが変わる
  • 裁判の公開は、いちばん常時作動している民主的コントロール

この一覧の中で、今日扱った八十二条の公開は特別な位置にあります。いちばん素朴で、いちばん常時作動している手綱だからです。国民審査は、十年に一度。弾劾は、めったに起きません。でも、法廷は、毎日開いています。裁判所を公正に保つ、圧力になっている。これが、「制度として保障し、国民の信頼を確保する」という趣旨の、実質です。同じ一つの行為、法廷でメモを取ることでも——どの条文から見るかで、守られ方の強さが変わる。八十二条から見れば、権利ではない。二十一条から見れば、尊重に値する。条文の使い分けそのものが、答えになっている判決として、覚えてください。

裁判所パートは、これで一区切りです。この裁判所は、最後にもう一つ、強い武器を手にしています。法律を、憲法違反として退ける権限です。それでは、また、お会いしましょう。

参照条文

  • 日本国憲法 82条

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