使ったお金は、返さなくていい——失踪宣告の取消しと現存利益
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第1章 民法総則 ⑳/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
まず、全部失う——「直接」の線引き

まず、条文の言葉を、確かめましょう。32条2項が対象にするのは、宣告によって直接、財産を得た人です。前回と同じ言葉です。前回、後段が働くのは直接取得者と第三者のあいだの取引でしたね。32条2項は、その手前——直接取得者、自身の話です。直接取得者の一つ目は、相続人です。妻が、まさにこれに当たります。ほかにも、遺言で財産をもらった人や、生命保険金の受取人が、これに含まれます。理由は、同じです。どちらも、宣告そのものによって、直接、財産を手にしています。詳しい話は、また別の回で扱います。今日は、この三者が直接取得者側に立つ、とだけ押さえてください。
買った人は、妻からの取引で、手に入れただけです。宣告によって、直接手に入れたわけでは、ありません。だから、買った人は32条1項後段の側。妻は32条2項の側です。では、その2項の中身を、条文で確かめましょう。
条文民法32条2項
民法 第三十二条(失踪の宣告の取消し)第二項 失踪の宣告によって財産を得た者は、その取消しによって権利を失う。ただし、現に利益を受けている限度においてのみ、その財産を返還する義務を負う。
本文で、まず失う。ただし書で、現に利益を受けている限度だけ、返す義務が残る。前回の原則です。取消しで、宣告は最初から無かったことになりました。だから、宣告で得た権利も、さかのぼって失われます。考えてみてください。本文だけで終わるとしたら、どうなるでしょうか。妻は、もう手元に無いお金まで、全部かき集めて返さなければなりません。それでは、あまりに酷です。だから、ただし書があります。返す範囲を、現に残っている分だけに、絞っているんです。ここから、一緒に考えていきましょう。
現に、残っている分だけ
図:妻が相続した現金を五つの使い道で並べそれぞれ残っているのかを問いのまま置く板
妻の手元にあるのは、家を売ったお金と、もともとの預金です。今日、確かめるのは、この、お金の部分です。では、山場です。「現に利益を受けている限度」とは、何でしょうか。では、それが具体的に何を指すのか、確かめてみましょう。妻が、相続した現金、六百万円を、手にしていたとします。この六百万円を、五つの使い方で、それぞれ考えてみます。一つ目。家賃と食費に、充てました。二つ目。借りていたお金の返済に、充てました。三つ目。そのまま、口座に置いてあります。四つ目。友人との旅行で、使い切りました。五つ目。空き巣に入られて、盗まれました。
使ってしまった、という点では同じに見えます。何が違うのでしょうか?

実は、違います。基準は、一つだけです。そのお金が無くても、もともと出ていくはずだった出費だったか。家賃と食費は、遺産が無くても、いずれ自分の財布から出ていくお金です。その出費を、遺産が肩代わりしました。だから、自分の財布のほうに、その分が浮いて残っています。ここでいう利益は、お金そのものの見た目ではありません。妻の財産全体を見たとき、その分だけ目減りせずに済んでいる——それが利益です。だから、生活費に使った分も、現に利益を受けている、と言えます。少し贅沢な食材でも、基準は変わりません。もともと食費として出ていくはずだった範囲を超えた分は、浮いていません。
あくまで、出ていくはずだった範囲かどうかで、線を引きます。借金の返済も、同じです。いずれ自分のお金で返すはずでした。そのまま口座に残っている分は、言うまでもありません。形を変えず、そこにあります。旅行は、遺産が無ければ、そもそも行かなかった出費です。浮いた分が、ありません。思い出は残りますが、法律が見ているのは、財産としての利益です。妻の財布や預金という、目に見える財産だけを見ています。盗難も、同じです。遺産が消えただけで、妻の財布には、何も残っていません。この基準さえ持っていれば、初めて見る使い道でも、自分で答えを出せます。もう一つ、試してみましょう。通っていた習い事の月謝に使った、としたら?
月謝も、いずれ自分のお金で払うはずだった出費なので、浮いた分として残ります。では、遺産の一部を、慈善団体に寄付していたら、どうでしょうか。寄付は、遺産が無ければ、そもそもしなかった支出です。浮いた分はありません。基準はあくまで、浮いたかどうか、その一点だけです。では、数字でも、確かめてみましょう。六百万円のうち、二百万円を生活費に充てたとします。さらに百万円を旅行に使い、三百万円をそのまま残していたら——生活費の二百万と、残った三百万で、五百万円を返します。基準さえ分かれば、自分で導けます。
条文にない言葉を、足す理由

さて、ここまでの話には、実は、一つ前提が隠れています。妻が、夫の生存を、知らなかったという前提です。では、妻が「夫は生きている」と知りながら、受け取って使っていたら、どうでしょうか。もう一度、条文を、見てみましょう。32条2項には、善意という言葉は、一度も出てきません。条文には、善意と書いてありません。それでも足すべきでしょうか?

実は、通説は、ここに善意という要件を、解釈で足しています。理由を、考えてみましょう。もし、知っていた人まで、残っている分だけでいいとすると、どうなるでしょうか。生きていると知りながら使い切った人が、残っている分だけで済んでしまいます。それでは、帰ってきた夫に対して、あまりに不公平です。知っていながら、あえて派手に使い切ってしまえば——「もう残っていません」と、開き直れることになってしまいます。だから、知っていた人には、この抜け道を、そもそも与えません。だから、現に利益を受けている限度で足りるという扱いは——知らなかった人、善意の人だけに、限られます。この考え方を、善意者限定説と呼びます。
知っていた人は、全部と利息を付けて、返さなければなりません。もう一つ、確かめておきたいことがあります。ここで言う善意は、うっかり気づかなかった、という程度でも構いません。知らなかった、という事実さえあれば足ります。ここで問題にしているのは、知っていて使ったかどうかです。気づけたかもしれない、という程度の話までは、公平さを崩しません。さっきの抜け道は、生きていると知っていた人にしか作れないからです。知らずに使った人には、先回りして使い切るという手が、そもそもありません。知っていたかどうかが、分かれ目です。
何も知らない生活費なら仕方ないと思えても——生きていると知りながら使われていたのなら、話は別です。では、ここで、両方を組み合わせて、確かめてみましょう。もし、知っていながら、生活費に六百万円を使い切っていたら、どうなるでしょうか。知っていた以上、現に利益を受けている限度という絞りは、そもそも働きません。使い道にかかわらず、六百万円全部と、利息を、返さなければなりません。浮いたかどうかを見るのは、善意者だけの話なんです。

ただ、この善意者限定説には、反対の考え方もあります。一つ目。条文には、そもそも善意という言葉が書かれていない、という指摘です。二つ目。善意を要求すると、このただし書は独自の存在理由を失う、という指摘です。この二つ目の指摘、実は覚えておいてください。ここまで見てきた「全部と利息」という結論も、実は、32条2項自体には、そこまで書かれていません。その答えを、次に、確かめましょう。
ただし書は、何を言っているのか

では、先ほどの、二つ目の指摘を、確かめましょう。善意を要求すると、独自の存在理由を失う、という指摘です。実は、この指摘は、正しいんです。反対説は、正しいというより、ただし書の正体を、言い当てています。民法には、失踪宣告とは別に、もう一つ大きな原則があります。法律上の理由なく、利益を受けた人は、それを返す、という原則です。
条文民法703条
民法 第七百三条(不当利得の返還義務) 法律上の原因なく他人の財産又は労務によって利益を受け、そのために他人に損失を及ぼした者(以下この章において「受益者」という。)は、その利益の存する限度において、これを返還する義務を負う。
この703条にいう、善意の受益者は——残っている分だけ、返せば足ります。知っていた人については、703条には書かれていません。そちらは、すぐ次の704条が受け持ちます。
条文民法704条
民法 第七百四条(悪意の受益者の返還義務等) 悪意の受益者は、その受けた利益に利息を付して返還しなければならない。この場合において、なお損害があるときは、その賠償の責任を負う。
一方、知っていながら受け取った、悪意の受益者は——全部と利息を付けて、返さなければなりません。知っていながら手放さなかったのですから、返すのが遅れます。その遅れを、利息で埋め合わせます。条文の後半にある損害の賠償と、詳しい計算は、また別の回に譲ります。今日は、この結論の形だけ押さえてください。そっくり、ではありません。全く同じです。32条2項ただし書が導く結論は、703条と704条から当然に出てくる結論と一致します。遡及効を、特別に制限する規定では、ありません。当然のことを、念のため書いただけの、確認規定です。
独自の存在理由を失うという、さっきの指摘は——まさに、この正体を言い当てていたんです。反対の考え方は、悪意者包含説と呼ばれます。批判のつもりが、正体を暴いていました。

ここで、前回の話を、思い出してください。32条1項後段は、無権利者から買った人が、権利を得る、という結論でした。これは、一般原則からは、絶対に出てこない結論です。703条や704条をどう読んでも、無権利者から買った人が権利を得るとは出てきません。これらの条文だけで、買った人を守ることはできません。不当利得は、法律上の理由が無いことが前提です。でも、買った人には、代金を払って買ったという、れっきとした理由があります。だから、32条1項後段という、専用の規定が、別に必要だったんです。32条1項後段は、本物の例外。32条2項ただし書は、確認にすぎない。
今日、この違いに気づけたことが、いちばんの収穫です。最後に、全体を、通して確かめておきましょう。もし、妻が知らずに、六百万円を生活費と旅行に半分ずつ使っていたら——知らなければ、浮いた三百万円だけです。では、これがもし、知っていた場合なら——知っていれば、使い道を問わず六百万円全部と利息です。今日の話が、全部つながりましたね。善意者限定説を採る理由を書くとき、今日たどり着いたこの位置づけが、そのまま論証になります。今日の発見は、単なる豆知識では、終わりません。
今日の地図(保存版)

では、今日、見てきたことを、まとめましょう。32条2項は、まず本文で、権利を失います。そのあと、ただし書で、現に残っている分だけ、返す義務が残ります。もともと出ていくはずだった出費に充てた分は、形を変えて残っています。生活費や借金のように肩代わりされた分は残り、旅行や盗難は残りません。ただし、それが通るのは、知らなかった人だけです。そして、この区別は、703条と704条から、そのまま出てくる区別でした。だから、あのただし書は、当然のことを念のため書いただけでした。32条1項後段のほうは、一般原則からは出てこない、本物の例外でした。同じ32条の中に、性質の違う二つが、同居している。
相続人、受遺者、生命保険金の受取人——これが直接取得者でした。今日と前回、二つの条文がつながって、初めて全体が見えてきます。これが、今日、いちばん持ち帰ってほしいことです。取消しの話は、これで一周しました。この先は、生きていることが分かる、もう一つの場面に進みます。認定死亡、そして、同時死亡の推定です。少しずつ、積み上げていきましょう。
参照条文
- 民法32条2項
- 民法703条
- 民法704条