110条の第三者と日常家事代理
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第1章 民法総則 #66/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
夫の借金、妻は払う?
図:冒頭設例板。夫Bが、妻Aの名前で、Aに黙ってCからお金を借りた。
夫Bが、妻Aの名前で、Aに何も言わずにCからお金を借りました。夫婦なのだから、妻Aも返さなければならない。そう思うかもしれません。実際、民法には、夫婦が互いを代理できるという規定があります。それなら、Aは払わなければならないように見えます。でも、実際にはほとんどの場合、CはAに請求できません。今日は、なぜそうなるのかを見ていきます。その前に、前回のおさらいを1つだけします。110条の3要件は、①基本代理権、②権限外の行為、③でしたね。③で相手方が信じていたのは、何だったでしょうか?代理人に代理権があると信ずべき正当な理由、つまり無過失で信じたこと、でした。今日の話は、この「何を信じたか」という物差し1本で、全部つながります。
「第三者」は誰を指すのか
図:転得者の関係図
設例です。Aが息子Bに、銀行でのローン契約の代理権を与え、実印を預けました。Bはその実印を使って、Aの土地をCに売ってしまいました。ここまでは前に見た場面と同じです。今日はもう1人加えます。Cは、Bに代理権が無いことを知りながら土地を買った、悪意の人だとします。そのCから、事情を知らないDが、その土地を買いました。
条文民法110条
民法第百十条(権限外の行為の表見代理) 前条第一項本文の規定は、代理人がその権限外の行為をした場合において、第三者が代理人の権限があると信ずべき正当な理由があるときについて準用する。
110条の言う「第三者」に、Dは入るでしょうか。答えは、入りません。ここがこの回の核心です。110条が守るのは、代理人に代理権があると信じた人です。Dが信じたのは何でしょうか。Dが信じたのは、Bの代理権ではなく、Cの所有権です。Dは、Bが誰の代理人であったかなど、そもそも知りません。だから、110条の「代理権があると信じた」という要件に、Dはそもそも当てはまらないのです。反対に、もしCがBの代理権を信じていて、そう信じるのに正当な理由もあったなら、Cは直接の相手方として、110条の「第三者」に入ります。入るかどうかは、Bの代理権を信じて、Bと直接取引した相手方かどうかで決まります。
⭐ 論文で書く規範:110条の「第三者」の範囲 判例・多数説:110条の「第三者」は、無権代理行為の直接の相手方に限られ、転得者は含まない。理由=Dが信じたのは前主Cの所有権であって、代理人の代理権ではないから。 反対説(少数説):直接の相手方からの転得者も含まれる。理由=取引の安全を守る必要は、転得者にも及ぶから。 (判例・多数説と反対説)
反対に、取引の安全は転得者にも及ぶはずだ、という反対の考え方もあります。ですが、判例・多数説は、直接の相手方に限る、という立場です。
表見代理が成立した後の転得者
図:転得者の関係図(Cが善意無過失の場合)
今度は設定を変えます。直接の相手方Cが善意無過失で、Cの時点で110条の表見代理が成立していました。つまりCは、もう有効に土地を手に入れています。そのCから、今度は悪意のDが土地を買いました。さっきは、Cが悪意だったので、Cの段階では権利は確定していませんでした。今回は、Cの段階で権利がすでに確定しています。この場合、Dが悪意でも関係ありません。Dは有効に権利を取得します。一度確定した権利を、後から来た人の心の中身で動かすことはしません。以前、失踪宣告の取消しのところでも見た考え方です。理由は、法律関係を早く、簡明に確定させるためです。Cの段階で終わっている話を、Dの善意・悪意でひっくり返さない、ということです。
夫婦の場面へ
図:場面転換板
- 父子の設例はいったん閉じる
- ここから記号を置き直す
- A=妻(本人)、B=夫(行為者)、C=貸主(相手方)
ここで、父子の設例はいったん閉じます。冒頭の話に戻りましょう。ここからは、A・B・Cという同じ記号を、別の人として使います。A=妻(本人)、B=夫(行為者)、C=貸主(相手方)です。夫Bが、妻Aの名前で、Cからお金を借りました。
なぜ夫婦に代理権が出てくるのか
図:761条の意味を示す板
- 夫が明日の朝食用にパンを買った場合、その代金を妻も支払う債務を連帯して負う
- 761条はまず、この連帯責任を定めた規定
761条は、まず連帯責任の規定です。例えば、夫が明日の朝食用のパンを買ったとします。その代金を、妻も連帯して支払う義務を負う。これが761条の本来の意味です。
条文民法761条
民法第七百六十一条 夫婦の一方が日常の家事に関して第三者と法律行為をしたときは、他の一方は、これによって生じた債務について、連帯してその責任を負う。ただし、第三者に対し責任を負わない旨を予告した場合は、この限りでない。
ここで、1つの最高裁判決を、3つに分けて見ていきます。1つ目は、761条から代理権が出てくること。2つ目は、日常の家事の範囲の決め方。3つ目は、その範囲を超えたときに110条をどう使うかです。まず1つ目です。761条は連帯責任の規定ですが、判例はこの規定を、もう一歩進めて読みます。761条の効果、つまり連帯責任が生じるためには、その前提として、夫婦は日常の家事について、互いを代理する権限を持っている、と解するのが相当だとしています。
判例最高裁判所第一小法廷判決 昭和44年12月18日(民集23巻12号2476頁)
761条は夫婦相互の代理権も規定している 民法761条は……その明文上は、単に夫婦の日常の家事に関する法律行為の効果、とくにその責任のみについて規定しているにすぎないけれども、……その実質においては、さらに、右のような効果の生じる前提として、夫婦は相互に日常の家事に関する法律行為につき他方を代理する権限を有することをも規定しているものと解するのが相当である。
夫婦が互いに代理できないと、日常の家事の処理に不便が生じるからです。買い物のたびに一方が必ずその場にいなければならないのでは、生活が成り立ちません。そこで、761条から日常の家事に関する法定代理権が認められています。前に見た「法定代理権も110条の①基本代理権に入る」という判例の筋でいけば、761条の代理権も法定代理権ですから、110条の①基本代理権になりそうに見えます。では、この代理権を足場にして、そのまま110条を使い、Cを守ることはできるでしょうか?その答えは、少し先で出します。
「日常の家事」とはどこまでか
図:日常家事の範囲を示す板
- 入る方向=食料・衣服の購入、家賃、子の教育費など生活費レベルの支出
- 入らない方向=不動産の売却のような高額・恒常性の低い取引
その前に、761条の言う「日常の家事」がどこまでを指すのかを見ます。食料や衣服の購入、家賃の支払い、子の教育費といった、生活費レベルの支出は、日常の家事に入ります。反対に、不動産の売却のような、金額が大きく、頻繁には行わない取引は、日常の家事には入りにくい方向です。
判例最高裁判所第一小法廷判決 昭和44年12月18日(民集23巻12号2476頁)
日常家事にあたるかどうかの判断基準 ……問題になる具体的な法律行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属するか否かを決するにあたっては、同条が夫婦の一方と取引関係に立つ第三者の保護を目的とする規定であることに鑑み、単にその法律行為をした夫婦の共同生活の内部的な事情やその行為の個別的な目的のみを重視して判断すべきではなく、さらに客観的に、その法律行為の種類、性質等をも充分に考慮して判断すべきである。
夫婦の内側の事情や、その行為の個別の目的だけで決めてはいけない、客観的に、行為の種類や性質も十分に考えて判断する、としています。761条は、夫婦の一方と取引をする相手方を守るための規定だからです。相手方には、この夫婦の内側の事情は見えません。見えるのは、行為の種類や性質といった、外から分かる部分だけです。だから、そこを基準にするのです。今日の設例に当てはめます。BがCから借りたのは、事業資金としての借入れでした。額が大きく、外から見ても生活費とは性質が違います。この設例では、日常の家事の範囲外だと評価できます。範囲外である以上、Bのしたことは無権代理にあたります。
条文民法113条1項
民法第百十三条第一項 代理権を有しない者が他人の代理人としてした契約は、本人がその追認をしなければ、本人に対してその効力を生じない。
代理権があるのに、なぜそのまま110条を使えないのか
図:762条の板
- 夫婦の一方が婚姻前から持つ財産、婚姻中に自分の名前で得た財産は、それぞれの特有財産となる
- 夫婦の財産は独立している
ここで、さっきの問いに戻ります。761条の代理権は法定代理権なので、110条の①基本代理権になりそうに見えます。それなら、この代理権を足場にして、そのまま110条を使えばよいはずです。ですが、判例は、この代理権を足場に110条を広く使うこと自体を認めません。
条文民法762条1項
民法第七百六十二条第一項 夫婦の一方が婚姻前から有する財産及び婚姻中自己の名で得た財産は、その特有財産(夫婦の一方が単独で有する財産をいう。)とする。
民法は、夫婦の財産をそれぞれ独立させています。もし761条の代理権を足場にして、110条をそのまま広く使えるとしたら、Bが日常の家事の範囲を超えたことをしても、Cが善意無過失でありさえすれば、Aの財産が動いてしまいます。これでは、762条が定める夫婦の財産的独立が、事実上崩れてしまいます。だから判例は、761条の代理権を足場にした110条の直接適用は、認めない立場です。
判例最高裁判所第一小法廷判決 昭和44年12月18日(民集23巻12号2476頁)
110条の趣旨を類推適用する場面 ……夫婦の一方が右のような日常の家事に関する代理権の範囲を越えて第三者と法律行為をした場合においては、その代理権の存在を基礎として広く一般的に民法110条所定の表見代理の成立を肯定することは、夫婦の財産的独立をそこなうおそれがあつて、相当でないから……当該越権行為の相手方である第三者においてその行為が当該夫婦の日常の家事に関する法律行為の範囲内に属すると信ずるにつき正当の理由のあるときにかぎり、民法110条の趣旨を類推適用して、その第三者の保護をはかれば足りるものと解するのが相当である。
代理権の存在を足場にして直接110条を使うのではなく、110条の趣旨だけを、限られた場合に類推します。その場合とは、相手方が、その行為がその夫婦の日常の家事の範囲内だと信じたことに、正当な理由があるときです。
信じる対象が入れ替わっている
図:差し替え板
- ×「Bにこの取引をする代理権がある」と信じた/○「このA・Bという夫婦では、この行為も日常の家事の範囲内だ」と信じた
- いずれも正当な理由(無過失)が必要
ここで、何を信じたかという今日の物差しを、もう一度当てます。普通の110条なら、相手方が信じるのは「この人に代理権がある」ということでした。でも夫婦の場面で類推適用される110条の趣旨では、相手方が信じるのは、「この夫婦では、この行為も日常家事の範囲内だ」ということです。これは、かなり特殊な信頼です。しかも、それを無過失で信じていなければなりません。この2段構えのせいで、この類推適用は、ほとんど認められません。ちょっと想像してください。合鍵を持っている家族が、「うちの家族なら、冷蔵庫のビールを1本飲んでもいい」と言われていたとします。合鍵を持っているという手がかりは、冷蔵庫のビールという日常のレベルでしか信頼の根拠になりません。同じ合鍵を根拠に、「友人の車を売る契約までできる」とは、誰も思わないはずです。761条の代理権も同じで、日常家事という枠の中でしか、信頼の足場になりません。答案では、「110条の趣旨を類推適用する」という判例の表現どおりに書きます。
代理人を本人だと思い込んだ場合
図:本人誤信の関係図
もう1つ、別の場面を見ます。Aの建物を売る代理権を持つBが、「自分がAだ」と名乗って、CにAの土地を売りました。建物の代理権はあっても、土地を売る権限はありませんから、権限外の行為です。Cは、Bの代理権を信じてはいません。だから、110条をそのまま直接使うことはできません。ですが、Cが信じたことをよく見てください。Cは、「この契約の効果は、A本人に帰属する」と信じています。これは、代理権を信じた場合と、実は同じ構造です。代理権を信じて契約する人も、本当に当てにしているのは、この契約がA本人に効くことです。代理権は、そこへ至る通り道です。Cは通り道を見誤っていますが、当てにしている中身は同じです。だから、同じように守る価値がある、というわけです。
判例最高裁判所第二小法廷判決 昭和44年12月19日(民集23巻12号2539頁)
本人誤信への110条類推適用 代理人が本人の名において権限外の行為をした場合において、相手方がその行為を本人自身の行為と信じたときは、代理人の代理権を信じたものではないが、その信頼が取引上保護に値する点においては、代理人の代理権限を信頼した場合と異なるところはないから、本人自身の行為であると信じたことについて正当な理由がある場合にかぎり、民法110条の規定を類推適用して、本人がその責に任ずるものと解するのが相当である。
代理権を信じたのではないが、その信頼は、代理権を信じた場合と同じように保護に値する。だから、本人自身の行為だと信じたことに正当な理由があるときは、110条を類推適用する、としています。Bが自分の名前を示さずA本人のように振る舞うのは、署名代理のことですね。あちらは、Bが権限内でAの名前だけを示すやり方でした。今日の場面は逆で、Bが権限の外の行為をしながら、A本人だと名乗っています。権限内か権限外かで、場面が違うということです。
3つの場面を並べる
図:弁別の対比板
- 転得者=信じたのは前主の所有権→110条の趣旨は及ばない(×)
- 夫婦=信じる対象を「日常家事の範囲内」に差し替え→趣旨の類推(○)
- 本人誤信=信じたのは本人への効果の帰属→類推(○)
ここまでの3つの場面を並べます。転得者Dは、前主の所有権を信じただけなので、110条の趣旨は及びません。夫婦の場面は、信じる対象を「日常家事の範囲内だ」に差し替えて、110条の趣旨を類推します。本人誤信の場面は、代理権ではなく「本人への効果の帰属」を信じたことが、110条と同じ構造だとして類推されます。転得者と本人誤信は、どちらも「代理権を直接は信じていない」のに結論が逆で、そこが混同しやすいところです。分かれ目も、何を信じたかです。本人誤信のCは、目の前のBとの契約が、A本人に効くと信じました。代理権を信じた人と、当てにしている中身が同じです。転得者のDが信じたのは、Cとの別の売買での、Cの所有権です。Bの契約がAに効くかどうかは、Dの信頼の中身に入っていません。
答え合わせ
図:保存版板
- 110条が守るのは何を信じた人か
- 転得者=前主の所有権を信じた(対象外)
- 本人誤信=本人への効果の帰属を信じた(類推)
- 夫婦=日常家事の範囲内だと信じた(趣旨の類推)
今日の内容をまとめます。110条が守るのは、代理権があると信じた人です。転得者は、前主の所有権を信じただけなので、110条の趣旨は及びません。表見代理が成立した後の悪意の転得者は、確定した権利を取得します。夫婦の場面では、761条の代理権を足場にした110条の直接適用は認められませんが、日常家事の範囲内だと信じたことに正当な理由があれば、110条の趣旨が類推適用されます。無権代理人を本人だと誤信した場面でも、同じように110条が類推適用されます。冒頭の問いに戻ります。夫Bが妻Aの名前で借りたお金は、Aが返さなければならないでしょうか。答えは、原則として返さなくてよい、です。事業資金の借入れは、日常の家事の範囲外です。761条の代理権はそこまで及びません。CがAに請求できるのは、この取引がその夫婦にとって日常家事の範囲内だと、無過失で信じていた場合に限られます。それはかなり稀な場合です。
夫婦の財産は、762条によって独立しています。761条の代理権を足場に110条をそのまま使うと、この財産的独立が崩れてしまうからです。そこで、信じる対象を「日常家事の範囲内だ」に差し替えて、110条の趣旨だけを類推する、という形になっています。この場面は、論文でも論点になりえます。今日はここまでにします。
参照条文
- 民法110条
- 民法761条
- 民法113条1項
- 民法762条1項