時効利益の放棄と完成後の承認
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第1章 民法総則 #75/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
放棄すると言っていないのに
図:冒頭の問い板
- 今日の問いは、時効の利益をいつ、どうやって手放すことになるのか
- 先に答え=完成前は手放せず、完成後は手放せる
- 知らずに認めた場合は放棄ではなく信義則で援用できなくなる
今回もその続きです。主債務の消滅時効は、もう完成しています。Bは、時効が完成していることを知らないまま、Aに電話をして、「もう少し待ってください、必ず払います」と伝えてしまいました。放棄の意思も、一言もありません。それなのに、後で時効に気づいたBは、あらためて時効を援用できません。今日の問いは、時効の利益は、いつ、どうやって手放すことになるのか、です。先に答えを言うと、完成前は手放せず、完成後は手放せます。そして、知らずに認めてしまった場合は、放棄ではなく、信義則によって援用できなくなります。今日は、この3つの線がどこから引かれているのかを、順番にほどいていきます。
146条——あらかじめ、は放棄できない
図:146条の事案要約板
- 今日も同じA・B・Cの場面
- Bは主債務の消滅時効の利益を、貸し借りの契約の時点で、前もって手放すと約束できるか
まず、条文を1枚置きます。
条文民法146条
民法 第百四十六条(時効の利益の放棄) 時効の利益は、あらかじめ放棄することができない。
あらかじめとは、時効が完成する前、という意味です。つまり、貸し借りの契約をする時点で、Bが「将来、時効の利益を主張しません」と約束しても、その約束は無効です。
図:今日の地図
- 前半=146条(事前は禁止)から、放棄の性質(意思表示・単独行為)へ演繹し、完成の認識・行為能力という要件を導く
- 中盤=放棄の効果は相対効
- 後半=知らずに承認した場合の扱い(信義則・援用権の喪失)と、援用権を失った後の新たな時効の進行、そして「承認」の3場面の弁別
今日の地図はこの流れです。まず、なぜ完成前だけ禁止されるのかを見て、そこから放棄という行為の性質を確かめます。その性質から、放棄に必要な2つの要件が自然に出てきます。後半は、その要件を崩さないまま、知らずに認めてしまった場合をどう扱うかという、今日一番の見せ場です。
なぜ事前の放棄だけ禁じるのか
図:趣旨の設例板
- 銀行Aが融資契約書の隅に「借主は時効の利益を主張しない」という一文をあらかじめ入れておく
- Bは1000万円を借りたい以上、断れずに判を押してしまう
具体的に考えてみましょう。Aが、融資の契約書の隅に、「借主は時効の利益を主張しません」という一文をあらかじめ入れておいたとします。1000万円を借りたいBに、その一文だけ断る力はありません。断れば、貸してもらえないからです。もし事前の放棄を認めてしまうと、この一文はすべての融資契約書に入るようになります。時効という制度が、契約書の定型文ひとつで、事実上、丸ごと消えてしまうんです。単に「Bがかわいそう」だから禁止する、という話ではありません。時効制度が空洞化してしまうことを防ぐための禁止です。
では完成後はなぜ許されるのか
図:一言板
- 146条は「完成前は放棄できない」としか書いていない
- 完成後に放棄できることは、この条文には書かれていない
- 反対解釈によって導かれる
完成した後は、放棄が許されます。ただし、ここで注意してほしいことがあります。146条は、「完成前は放棄できない」としか書いていません。「完成後は放棄できる」とは、条文のどこにも書かれていないんです。書いていないのに、許されるんですか。これは反対解釈という考え方です。事前の放棄を禁じた趣旨は、押しつけを防ぐことでした。完成してしまえば、もう債権者に押しつけられる場面ではありません。だから、禁止する理由が無くなり、自分の判断で「使わない」と決めてよい、ということになります。この反対解釈という発想は、今日この後も、何度か効いてきます。
放棄とは何をする行為か
図:問いの板
- 時効の完成だけでは、権利は自動的に動かない
- 援用があって初めて確定する、という考え方だった
- では放棄は、それと比べてどういう行為か
以前見たとおり、時効は、期間が満了しただけでは、権利の得喪は確定しません。援用があって初めて確定する、という考え方でした。確定させるスイッチを、自分で押す行為、という感じでした。では、今日の主役である放棄は、どんな行為でしょうか。放棄とは、時効によって権利の変動を、あえて起こさせないと決める意思表示です。援用が「スイッチを押して確定させる」行為だったのに対して、放棄は「もうこのスイッチは押さない」と自分で決めてしまう行為です。援用と逆向きの行為だと考えてください。なぜここで性質を確かめたかというと、放棄が意思表示だという一点から、あとで2つの要件が出てくるからです。
たとえば、Bが「時効は使いません」と言うためには、自分が何を手放すのかを分かっていなければなりません。そういう話が、この一点から出てきます。この「意思表示である」という一点が、今日この先ずっと効いてきます。
放棄の要件①——完成の認識が必要
図:要件板
- 前半
- 放棄は意思表示。意思表示である以上、何を手放すのかを分かっていなければ、意思表示にならない。だから放棄には、時効の完成を認識していることが必要になる。
ここで、意思表示という一点から、要件を1つ引き出します。意思表示というのは、自分が何をするか分かった上で、それをすると表明する行為です。何を手放すのか分かっていなければ、「手放します」という意思表示に、そもそもなりようがありません。ですから、放棄をするには、時効が完成したことを認識していることが必要になります。条文には書かれていません。意思表示という性質から、通説が導いている要件です。ここは、丸暗記するのではなく、なぜ要るのかという理屈で持ち帰ってください。この一点は、今日の後半で、もう一度そのまま使います。
放棄の要件②——行為能力が必要
図:要件板
- 後半
- 放棄は、せっかく得られるはずの時効の利益を、自分で手放す処分行為でもある。だから、放棄をするには行為能力が必要になる。制限行為能力者の細かい場合分けは別の回で扱う。
もう1つあります。放棄は、時効によって得られるはずの利益を、自分で手放す行為でもあります。これは、権利の処分行為にあたります。処分行為をするには、行為能力が必要です。ですから、放棄をするには、行為能力も必要になります。できません。判例も、放棄には行為能力が必要だとしています。制限行為能力者の細かい場合分けは、すでに扱った別の回に委ねます。ここでは、「処分行為だから、行為能力が要る」という一本の筋だけ押さえてください。この2つの要件を、次はしっかり覚えておいてください。
放棄の効果も相対効
図:Cが放棄した場合の関係図
- 保証人Cが「私は時効を主張しません」と放棄しても、A-B間の主債務の消滅時効は、なお残る
- Bはなお主債務の時効を援用できる
以前見たとおり、Cが主債務の消滅時効を援用すると、AC間では主債務が消えたものとして扱われます。では、逆にCが放棄したら、どうなると思いますか。Cが「時効は主張しません」と放棄したら……Bには関係ないような気がします。放棄の効果も、援用と同じように、放棄した者との関係でのみ生じます。これを相対効と呼びます。たとえば、Cが放棄したという事実は、AC間の話であって、AB間には持ち込まれません。
⭐ 論文で書く規範:時効の利益の放棄の効果の相対効 時効の利益の放棄の効果は、援用と同様に、放棄をした者との関係においてのみ生じる。 (規範(最判昭和42年10月27日 民集21巻8号2110頁)——押しつけを防ぐ趣旨から、放棄した本人の判断を超えて及ばせない)
Cが放棄しても、AB間の主債務の消滅時効は、何も動きません。Bはなお、主債務の消滅時効を援用できます。
図:Bが放棄した場合の関係図
- 主債務者Bが「借りたものは返す」と放棄すると、AB間の主債務は消えないと確定する
- しかしA-C間の線は何も変わらない
- Cはなお主債務の消滅時効を援用できる
Bが「借りたものは返す」と放棄すると、AB間では、主債務が消えないことが確定します。しかし、AC間の線は、何も変わりません。判例も、主債務者が放棄しても、保証人はなお援用できるとしています。放棄は、放棄した本人の関係でしか確定しないので、Cの足場は何も変わらないんです。
図:対比図
- この回の主役・1枚目
- #1-61で見た援用。Bが主債務を援用すると、主債務が消え、付従性によってCの保証債務も一緒に消える。連鎖する。
矛盾ではありません。図を並べて見比べましょう。前回、Bが援用すると何が起きたか、思い出してください。あのとき動いたのは、主債務そのものです。主債務が消えたから、支えを失った保証債務も、付従性によって一緒に消えました。
図:対比図
- この回の主役・2枚目
- 今日の放棄。Bが主債務を放棄しても、主債務そのものは消えない。だからCの保証債務を支える足場は変わらない。連鎖しない。
今日の放棄は、主債務を消さない行為です。Bが放棄しても、AB間の主債務は、消えないことが確定するだけで、消える方向には何も動きません。援用は主債務を消す行為だから、付従性で連鎖します。放棄は主債務を消さない行為だから、連鎖する先がそもそも無いんです。相対効そのものは、どちらの場面でも崩れていません。
完成を知らないでした承認——本題
図:本題の設例板
- Bは、時効が完成していることを知らないまま、Aに「もう少し待ってください、必ず払います」と伝えた
- 放棄の要件①(完成の認識)に、この承認は当てはまるか
ここで、冒頭のBに戻ります。放棄には何が必要でしたっけ。冒頭のBは、時効の完成を知らないまま、「もう少し待ってください、必ず払います」と伝えました。これは放棄にはなりません。放棄の要件①、完成の認識が無いからです。ここで、判例が出てきます。
判例最大判昭和41年4月20日 民集20巻4号702頁
完成を知らない承認は、援用を許さなくなるか 時効の完成を知らないでした債務の承認は、時効の利益の放棄にはあたらない。しかし、いったん支払いの意思を示した後になって、あらためて時効を援用することは、信義則上、許されない。
放棄という道は通っていません。しかし援用は、別の理由で許されなくなります。これを援用権の喪失と呼びます。
なぜ放棄でなく信義則なのか
図:反実仮想の板
- もし「知らなくても放棄になる」と考えると、放棄には認識が要るという、たった今立てた要件そのものが崩れる
- 判例は、その要件を崩さないまま、別の根拠(信義則)で結論だけを持ち込んだ
判例が放棄という道を選ばなかった理由こそ、今日いちばん考えてほしいところです。もし「知らなくても放棄になる」と考えたら、何が起きるでしょうか。さっき、放棄には認識が必要って、要件を立てたばかりです。知らなくても放棄になる、というルールを作ってしまうと、たった今立てた「放棄には認識が要る」という要件そのものが、崩れてしまいます。意思表示には認識が要る、という理屈全体に波及しかねません。だから判例は、放棄という民法典のルートを通らず、別のルートで出口を作ったんです。
条文民法1条2項
民法 第一条(基本原則)第二項 権利の行使及び義務の履行は、信義に従い誠実に行わなければならない。
Bは、いったん「払います」と示して、Aに支払いを期待させました。その後で、時効を主張して援用するのは、自分の言ったことと矛盾する態度です。これを矛盾挙動と呼びます。相手の信頼を裏切る行為だから、信義則上許されない、という理由づけです。今の矛盾挙動は、禁反言とも呼びます。同じことを指す、別の呼び名です。以前、その禁反言の例として見たのが、この判決でした。今日は、同じ判決を、時効制度の側から見直しています。禁反言そのものの説明は、そちらの回に譲ります。今日は「なぜ放棄という道を選ばなかったのか」に絞って考えてください。
「承認」の3場面を1枚で見分ける
図:弁別の設例板
- 同じBの同じ電話を、時期と認識だけ変えて3回再生する
- ①完成の半年前に「必ず払います」②完成後、知りながら「それでも払います」③完成後、知らずに「待ってください」
ここまでの話を、Bの同じ電話で3回、時期と認識だけ変えて確かめてみます。まず①、時効が完成する半年前に、Bが「必ず払います」と電話をしたとします。この場合、Bの承認によって、時効は更新されます。152条の制度です。それまで進んでいた時効の期間はリセットされ、その時から新しく進み始めます。この本体は、別の回で扱います。今日は「更新」という言葉と、152条という条文番号だけ押さえてください。②は、完成した後に、時効が完成していると知りながら、Bが「それでも払います」と電話した場合です。
これは放棄です。放棄の要件①、完成の認識があるので、放棄にあたります。完成した後に、知らずに「待ってください」と電話した場合です。放棄の要件①に当てはまらないので放棄ではなく、信義則によって援用が許されなくなります。②は認識があるから放棄、③は認識が無いから放棄ではない。この境目を崩さずに済んだからこそ、③のBを信義則という別の道で止める必要があったんです。
図:「承認」3場面の一覧板
- 列=いつ・認識/結論と根拠
- ①完成前の承認=時効の更新(152条・条文の制度)
- ②完成後・知って承認=放棄(146条の反対解釈・認識ありで要件を満たす)
- ③完成後・知らずに承認=信義則で援用権を失う(1条2項・放棄の要件を満たさない)
この3つを、1枚にまとめておきます。1つめだけは条文そのものが定める制度で、2つめと3つめは判例・解釈の話です。2つめと3つめのように、自分に債務があると認めてしまう行為は、自認行為と呼ばれることもあります。名前は増えますが、中身はこの表のままです。
援用権を失った後、新たな時効はまた進むのか
図:新たな時効の進行の板
- 援用権を失った後も、その承認の時から新たに10年の時効が進行を始める
- それが完成すれば、今度は援用できる
さっきの③のBは、もう一生、時効を主張できないんですか。違います。判例は、援用権を失った後も、承認の時から新たに時効が進行するとしています。なぜまた進むのか。信義則が封じているのは、承認と矛盾するその時点での援用だけです。時効の趣旨として見た、長く続いた事実状態を尊重するという考え方は生きたままですから、承認の後にAがまた請求しないまま時間が経過すれば、時効を認める理由が改めて積み上がります。たとえば、Bが令和2年に電話で承認したとすると、その時から新しい10年が走り始めます。令和12年に、その新しい時効が完成すれば、今度こそBは援用できます。
判例最判昭和45年5月21日 民集24巻5号393頁
援用権を失った後、新たな時効はまた進むのか 援用権を喪失した後であっても、その承認の時から新たに時効が進行し、新たな時効が完成した後は、債務者はこれを援用することができる。
「もう一生使えない」ではなく、「新しい10年をまた最初から歩き直す」というイメージです。
図:判例と通説の別を明示する一言板
- 援用権喪失後、新たな時効が進行することには判例がある(最判昭45.5.21)
- 放棄の後も同様に新たな時効が進行することは、判例は無く、通説が肯定している
ここで、言い間違えやすい点を1つ、はっきりさせておきます。今、見た「新たに時効が進行する」という結論には、判例があります。放棄の後も、同じように新たな時効が進むと考えるのが通説です。ただし、そちらには判例はありません。理由は今の判例と同じです。放棄で手放したのは、そこまでに完成した時効の利益だけで、その後に積み上がる事実状態まで手放したわけではないからです。「判例」と「通説」を入れ替えて覚えないよう、注意してください。
今日の地図(保存版)
図:まとめ板
- 1枚目=146条は事前×、完成後○は反対解釈
- 2枚目=放棄は意思表示だから認識と行為能力が要る
- 効果は相対効
- 3枚目=知らずに承認しても放棄ではないが、信義則で援用権を失う
- 新たな時効はまた進む
今日のポイントをまとめます。時効の利益は、完成前は放棄できません。押しつけを防ぐためです。完成後は、146条の反対解釈によって、放棄が許されます。放棄は意思表示だから、完成の認識と、行為能力が必要でしたね。効果は相対効でした。そして、知らずに承認しても、それは放棄にはなりません。ただし、その後の援用は、信義則によって許されなくなります。そして、その状態も永久には続きません。承認の時から新たな時効が進行し、それが完成すれば、今度こそ援用できます。冒頭のBに戻ります。Bは、あらためて時効を援用することはできません。ただし、電話で「もう少し待ってください」と言った、その時から、新しい時効がすでに走り始めています。
「時効を手放す行為は、何を知っていたかで名前が変わる」。この1本の軸を持ち帰れば、放棄も信義則も混ざらなくなりますね。その軸を、ぜひ持ち帰ってください。
参照条文
- 民法146条
- 民法1条2項