自力救済の禁止と、国が用意した「取り返し方」
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第0章 序章 民事訴訟手続の全体像 ①/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
自分の力で取り返してはいけない理由

自分の力で、奪われた権利を取り戻すこと。これを自力救済と呼びます。自分の手で相手を罰することは、私的制裁と呼びます。近代社会では、このどちらも、原則として禁じられています。では、なぜ禁じられているのか。理由は、大きく3つあります。1つ目。力の強い者が勝つからです。「自分で取り返してよい」を認めると、勝つのは正しい人ではなく、腕力の強い人になってしまいます。権利があっても弱ければ取り返せず、権利がなくても強ければ奪える。それでは、何のための権利か分かりません。2つ目は、報復が連鎖して終わらないことです。パソコンを持ち帰られた側は、「取られた」と感じます。次は、その人が取り返しに来るかもしれません。どこかで止める人がいなければ、これは延々と続きます。1回のやり取りで、きれいに終わる保証がありません。3つ目は、いちばん大事な理由です。取り立てる側の言い分が、正しいとは限らないということです。「返してもらっていない」と思っているのは、あくまで、こちら側の認識です。相手は、「先月、現金で返した」と言うかもしれません。事実がどうだったかを、自分で決めて、自分で実行してしまう。これは、審判を兼ねた選手が、試合をするのと同じことです。自分に有利な判定を、自分で下してしまう危うさがあります。「事実を決める役」と、「決めたことを実行する役」は、分けなければいけません。
禁止と引き換えに、国が用意したもの

禁止だけでは、筋が通りません。自力で取り返すことを禁じておきながら、代わりの道を用意しなければ、権利を持つ人は、指をくわえて見ているしかなくなります。だから、禁止した側が、代わりの道を用意するという筋が必要になります。その代わりが、「裁判所で裁判を受ける権利」です。
条文日本国憲法32条
日本国憲法第32条 何人も、裁判所において裁判を受ける権利を奪はれない。
日本国憲法は口語体ですが、仮名遣いだけは、公布当時のままです。読み方も意味も、現代の言葉遣いとまったく変わりません。そこが、今日いちばん大事な読み方のポイントです。これは、単なる恩恵ではありません。自力救済を禁じたことの、対として読む必要があります。「自分で取り返すことは禁じる。その代わり、裁判所という場は、必ず開けておく」という交換です。さっきの3つの理由を、1つずつ思い出してください。この3つに、裁判所という場が、それぞれ答えを返します。力の強さではなく、法と証拠で決める。1回の手続で決着させる。そして、当事者のどちらでもない第三者が、事実を認定する。独立した審判を立てることで、自分に有利な判定を自分で下す危うさが、なくなります。
例外は、どこまで狭いのか

実は、極めて狭い例外を認めた最高裁の判断があります。
判例民集19巻9号2101頁・昭和40年12月7日
最高裁判所第三小法廷判決(占有回収等請求事件) 私力の行使は、原則として法の禁止するところであるが、法律に定める手続によつたのでは、権利に対する違法な侵害に対抗して現状を維持することが不可能又は著しく困難であると認められる緊急やむを得ない特別の事情が存する場合においてのみ、その必要の限度を超えない範囲内で、例外的に許されるものと解することを妨げない。
判決文にある「私力の行使」というのが、いま話してきた自力救済のことです。詳しい事実関係は、民法の領分なので深入りしません。形だけ言うと、その物を事実上支配している状態——占有——をめぐる争いでした。自分に権利があると考えた人が、裁判所を通さずに実力を使ったんです。物を撤去して、壊してしまいました。それが許されるかどうかが、問題になりました。しかも、もっと大事な点があります。この判決は、実際には、自力救済を認めなかった事例です。緊急の事情は認められず、実力で撤去・破壊した人は、その損害を賠償する責任を負う——前の裁判所がそう判断し、最高裁もそれを支持しました。「例外がある」というより、「入口が、極端に狭い」と理解してください。なぜ、ここまで狭いのでしょうか。広く認めてしまえば、さっきの3つ——力の強い者が勝つ、報復が終わらない、言い分が正しいとは限らない——が、そのまま戻ってきてしまうからです。普段の生活で、この例外に当てはまる場面は、ほとんどありません。判決文の言葉を借りると、法律で決められた手続によったのでは、「現状を維持することが不可能又は著しく困難」と認められる場面、ということです。自分の物が今まさに運び出されようとしていて、裁判所に申し立てていたら間に合わない——その程度に切迫した場面のイメージです。さっきのパソコンは、期限を過ぎて何度も催促したあとの話でした。急ぐ必要も、待てない事情もありません。だから、この入口には入りません。
そもそも、民事の紛争とは何か

では、国が用意したその場は、どんな争いを引き受けるのでしょうか。ここからしばらくは、その輪郭を見ていきます。まずは、「民事の紛争」とは何かです。一言でいえば、私人と私人のあいだの争いです。国や地方公共団体ではない、普通の個人や会社、という意味です。さっきのお金の貸し借りも、その一例です。賃貸アパートを借りている人に、大家さんが「出て行ってほしい」と言い、借りている側は「出て行きたくない」と対立する場合。あるいは、交通事故が起きて、損害をどちらが、どこまで負担するのかで対立する場合です。人が複数いれば、利害はどこかでぶつかります。ぶつかること自体は、責めても仕方がありません。大事なのは、ぶつかったときに、両者を突き合わせて、折り合いをつける”場”があるかどうかです。話し合いで済むなら、それがいちばんです。話し合っても相手が動かず、対立が煮詰まったとき、最後に出てくる場が、裁判所なんです。
1つの事故から、3つの訴訟が並走する

次は、少し規模を広げて考えてみましょう。交通事故を、1つ想像してください。実は、1つの事故から、独立した3つの裁判が、同時に走ることがあります。1つ目は、民事訴訟です。被害者が、加害者に、治療費や慰謝料などの損害の金銭賠償を求めます。当事者は、私人と私人です。2つ目は、刑事訴訟です。国家が、刑罰権を行使します。不注意で人にけがをさせた罪、過失運転致傷に問われます。当事者は、国家と個人です。3つ目は、行政訴訟です。事故を起こした加害者が、運転免許の停止処分を受けたとして、その処分を取り消してほしいと争います。当事者は、私人と行政庁です。行政庁というのは、処分をした役所の側のことです。処分というのは、役所が一方的に下す決定のことです。ここでは、免許を止めるという決定ですね。

それぞれに、根拠となる条文があります。民事は、民法709条と、自動車損害賠償保障法3条。刑事は、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律5条です。略さずに覚える必要はありません。今日は、それぞれの根拠が、別々の法律にある、というところを押さえてください。行政訴訟は、「広義では民事訴訟に含まれる」という整理があります。行政事件訴訟法7条が、その足場です。ただし、行政事件訴訟法に独自のルールがあって、そこに書いていないところだけ、民事訴訟のやり方が出張してくる、という関係です。「行政訴訟イコール民事訴訟」ではありません。切り口が違うんです。3つに分けたのは、目的と当事者で見たときの分け方です。「広義では含まれる」というのは、使う法律の話です。たとえば、期日の決め方や、控訴・上告のしかたは、行政事件訴訟法に書かれていません。そこは、民事訴訟のやり方が、そのまま使われます。種類としては別、進め方の土台は共通——二階建てになっているんです。ここが、今日いちばんの疑問です。理由は2つあります。1つ目、目的が違うこと。損害を埋め合わせるための裁判、罰するための裁判、行政処分の当否を決める裁判——それぞれ、ゴールが違います。2つ目は、当事者が違うことです。私人対私人、国家対個人、私人対行政庁——組み合わせが別々です。ある裁判所が「加害者に不注意があった」と判断しても、別の裁判所が、それに合わせる義務はありません。先に出た判決が、後の裁判所の手を縛ることはないんです。たとえば、刑事の裁判では「不注意があったとは言い切れない」として無罪になったのに、民事の裁判では賠償が命じられる——ということが、実際に起こります。目的も当事者も違う手続なので、判断がそろわなくても、制度としてはおかしくないんです。この一言だけ、今日は覚えておいてください。確定した判決の効力——これを既判力と呼びますが——既判力は、当事者どうし、同じ請求のあいだにしか働きません。だから、別の当事者、別の手続の判断は、縛られないんです。この中身は、また別の回でじっくり扱います。
民事訴訟と刑事訴訟は、どこが違うのか

ここからは、少し視点を変えて、民事訴訟と刑事訴訟の違いを見ていきます。この2つを比べると、民事訴訟がどういう手続なのかが、くっきり見えてきます。比べるポイントは、4つあります。まず共通点です。どちらも、権利義務そのものを決める法律ではなく、それを明らかにして実現する手続を決めた法律です。これを手続法と呼びます。そして、どちらもさっき見た憲法32条を、具体化したものです。ここからが、違いです。1つ目、目的が違います。刑事訴訟は、国家が刑罰権を行使するための手続です。無実の人を罰してはいけないので、厳格な手続で、真実を発見することを、徹底的に追求します。民事訴訟は、私的な紛争を解決するための手続です。私人どうしの話し合いに、国家はあまり口を出しません。これを私的自治と呼びますが、これが妥当する場面なので、当事者の意思を尊重します。当事者が「もういい、これで終わりにします」と言えば、そこで手続は終わります。だから、民事訴訟では、真実発見が、最優先の目的ではないんです。ただし、これは「嘘をついてよい」という意味では、絶対にありません。ここは、誤解しやすいので、はっきりさせておきます。
条文民事訴訟法2条
民事訴訟法第2条(裁判所及び当事者の責務) 裁判所は、民事訴訟が公正かつ迅速に行われるように努め、当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない。
この条文の後半、「当事者は、信義に従い誠実に民事訴訟を追行しなければならない」と、はっきり書かれています。「真実発見が最優先ではない」というのは、「嘘をついてよい」とは、まったく別の話です。誠実に手続を進める義務は、当事者に、ちゃんと課されています。2つ目の違いに進みます。主題です。刑事訴訟が扱うのは、「過去の事実」の有無です。あの日、その行為をしたかどうか。民事訴訟が扱うのは、「現在の権利」の有無です。今、この人に、この請求権があるかどうか。請求権というのは、相手に「これをしてほしい」と求められる権利のことです。お金を返してほしい、部屋を出て行ってほしい——さっきから出てきているのは、全部これです。民事訴訟でも、過去の出来事は出てきます。契約書に署名した、事故が起きた——こうした過去の出来事は、民事訴訟でも調べます。でも、それは、「今、権利がある」と言うための材料にすぎません。ゴールは、「あの日何があったか」を確定することではないんです。最後、4つ目。天秤です。刑事訴訟は、真実発見と、人権保障の天秤。真実だけを追うなら、疑われている人を長く拘束するのが、いちばん早いはずです。でも、それをやれば、やっていない人まで「やりました」と言うかもしれません。だから、真実のためなら何をしてもよい、とはしません。疑われている人の立場を守る側の要求——それが人権保障です。この2つが、引き合っているんです。民事訴訟は、適正・公平であることと、迅速・経済であることの天秤です。さっきの50万円で考えてください。関係者を全員呼んで、何年もかけて調べれば、より正確な判断に近づくかもしれません。でも、その判決が10年後に出たとして、今日そのお金が必要な人にとって、救いになるでしょうか。正確さと速さは、どこかで釣り合いを取るしかありません。それが天秤です。条文の文言そのものは「公正かつ迅速」です。「適正・公平 対 迅速・経済」という言い方は、学習のうえで対比を分かりやすくするための表現で、条文そのものの言葉ではありません。この4つ——共通点、目的、主題、天秤——は、バラバラの暗記項目ではありません。「民事は私人どうしの争いだから、私的自治から出発する」という、1本の筋でつながっています。
実体法と手続法——権利があることと、認めてもらうことは別

さっき、どちらも「手続法」だという話をしました。ここで、「実体法」と「手続法」という言葉を、丁寧に整理しておきます。難しくありません。実体法は、どういうときに、誰に、どんな権利や義務が生まれるかを決める法律です。民法、刑法、会社法などが、これにあたります。実物を、もう一度、丁寧に見てみましょう。
条文民法709条
民法第709条(不法行為による損害賠償) 故意又は過失によって他人の権利又は法律上保護される利益を侵害した者は、これによって生じた損害を賠償する責任を負う。
条文は、いつも要件と効果のセットです。要件は、「故意又は過失によって」「他人の権利、または法律上保護される利益を」「侵害した」こと。効果は、「これによって生じた損害を賠償する責任を負う」ことです。これが、実体法という条文の”顔”です。一方、手続法は、この権利を明らかにして、実現するための手続を決める法律です。民事訴訟法や、刑事訴訟法が、これにあたります。ここが、今日いちばんの落差です。実体法のうえでは正しくても、手続の中で主張しなければ、証拠が出せなければ、負けてしまうことがあります。具体例で考えましょう。本当に返済していても、領収書を無くし、振込でもなく、証人もいないなら、法廷では「返した」と認めてもらえないことがあります。「権利があること」と、「権利があると、認めてもらうこと」は別。この落差を埋めていくのが、これから民事訴訟法で学んでいく中身になります。
ここまでを、ひとつにつなぐ

ここまでの話を、3つに畳んでおきます。1つ目、禁止と用意の交換です。自分の力で取り返すことは禁じ、その代わりに国が、裁判所という場を用意する。これが、憲法32条でした。では、最初の問いに戻ります。持って帰ったら、どうなるでしょうか。もう、自分で答えられますね。そして、ただ禁止するだけでは終わりません。その代わりに、裁判所という場を、国が用意しています。これが、憲法32条の交換でした。2つ目、民事訴訟の輪郭です。同じ出来事からでも、民事・刑事・行政は独立に走り、お互いの判断に縛られません。民事訴訟が扱うのは、私人と私人のあいだの争いで、目的も主題も、刑事訴訟とは違いました。3つ目、権利があることと、認めてもらうことは別、ということです。実体法のうえで正しくても、手続の中で示せなければ、負けてしまうことがある。この落差を埋めていくのが、これから学ぶ民事訴訟法です。では、この手続を、誰が動かすのか。訴えるかどうかを決めるのは誰か。誰を相手取るかは誰が決めるのか。——次回は、そこから見ていきます。
参照条文
- 日本国憲法32条
- 民事訴訟法2条
- 民法709条