民訴ゼロから民訴#52

証拠保全と唯一の証拠方法の法理

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第2章 訴訟の審理 #52/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

証拠調べは、まだ始まっていない

冒頭事案の関係図(患者Aがついに病院Bを提訴した・訴状は受理されたが本裁判の証拠調べはまだ始まっていない・その間にカルテが書き換えられたらAの手元には証拠が残らない) 図:冒頭事案の関係図

前回、Aさんは、弁護士会照会や当事者照会、調査の嘱託や文書送付の嘱託を使って、証拠を集めました。訴状も受理されました。始まりましたが、まだ本裁判の証拠調べは始まっていません。裁判所がカルテを実際に取り調べるのは、もう少し先の話です。証拠調べが始まる前にカルテを書き換えられてしまったら、証拠は失われてしまいます。そこに、今日の出発点があります。証拠調べという手続そのものが始まるのを待っていたら、証拠が先に消えてしまうかもしれない。今日は、その証拠調べが、どうやって始まり、裁判所がどう扱うのかを、順番に見ていきます。

証拠保全——「集める」のではなく「残す」制度

証拠保全の位置づけの板(裁判所による本来の証拠調べを待っていると相手や第三者の故意過失で証拠そのものが消えてしまう場合がある・証拠保全は新しく証拠を探し集める制度ではなく既に存在を知っている証拠が消える前に先に調べて残す制度) 図:証拠保全の位置づけの板

まず、証拠保全です。ここで、初学者がいちばん引っかかりやすい誤解を、先につぶしておきます。証拠保全という言葉を聞くと、証拠を新しく探して集める制度だと思ってしまいがちですが、違います。証拠保全は、当事者がすでに存在を知っている証拠が、裁判所による本来の証拠調べが始まるのを待っている間に、相手方や第三者の故意や過失で消えてしまい、証拠調べ自体ができなくなってしまうのを防ぐための制度です。新しく探すのではなく、今ある証拠を先に押さえておく。「集める」のではなく「残す」制度だと、まず区別してください。

条文民事訴訟法234条

民事訴訟法234条(証拠保全) 裁判所は、あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情があると認めるときは、申立てにより、この章の規定に従い、証拠調べをすることができる。

消えかけている足跡に、先に石膏を流し込んで固めておく作業を思い浮かべてください。本番の証拠調べという型取りが始まるのを待っていたら、足跡は風で消えてしまう。だから本番の前に、先に型だけ取って保存しておくんです。冒頭のAさんの事件で言えば、病院Bのカルテがまさにこれにあたります。訴訟の本番が始まるのを待たずに、先にカルテの内容を裁判所に調べてもらい、記録として残しておくことができます。

証拠保全の要件——改ざんの具体的なおそれ

境界ペアの板(該当する例=診療録の改ざんについて具体的なおそれを疎明できた・保全の申立てが認められる/該当しない例=単に内容を確認したいというだけで具体的なおそれの疎明が無い・保全の申立ては認められない) 図:境界ペアの板

  • 該当する例=診療録の改ざんについて具体的なおそれを疎明できた・保全の申立てが認められる
  • 該当しない例=単に内容を確認したいというだけで具体的なおそれの疎明が無い・保全の申立ては認められない

では、どんな場合に証拠保全が認められるのか。234条の要件は「あらかじめ証拠調べをしておかなければその証拠を使用することが困難となる事情」、つまり証拠保全の必要性です。そこで、実際の判断を見てみましょう。診療録、カルテの保全が問題になった事件です。

判例広島地決昭61・11・21〈百選72〉(広島地方裁判所の決定)

診療録の保全に必要な疎明の中身 診療録の改ざんについて、具体的なおそれがあることの疎明を要する

「決」は決定、しかも広島地方裁判所という下級審の決定です。最高裁判例ではありません。この点はよく取り違えられるので、名前をそのまま覚えてください。中身に戻ると、裁判所は、診療録の改ざんについて、具体的なおそれがあることの疎明を必要としました。疎明というのは、以前、訴状の回で見たとおり、一応確からしいと裁判所に思ってもらう程度の証明です。証拠が消える前に急いで押さえる手続なので、本格的な証明までは求めていません。「なんとなく心配だから見ておきたい」では足りないんですか。足りません。単に内容を確認したいというだけでは、具体的なおそれの疎明にはなりません。改ざんされる具体的な兆候や事情まで示して、初めて保全の必要性が認められます。冒頭のAさんの場合であれば、たとえば、病院側の対応に不自然な遅れがある、担当医が異動や退職を控えているといった、具体的な事情まで示して初めて、カルテの証拠保全が認められる見込みが出てきます。

証拠保全の証拠開示的運用

証拠開示的運用の板(現代型訴訟=医療過誤や公害等では証拠が病院企業側に偏在している・必要性を緩やかに解して証拠の探索発見収集を目的とする申立てを許す運用が期待された歴史/提訴予告通知と提訴前証拠収集処分の導入で役割は縮んだが各証拠調べに備わる制裁規定を利用できる点で開示的運用の余地は今も残る) 図:証拠開示的運用の板

  • 現代型訴訟=医療過誤や公害等では証拠が病院企業側に偏在している・必要性を緩やかに解して証拠の探索発見収集を目的とする申立てを許す運用が期待された歴史
  • 提訴予告通知と提訴前証拠収集処分の導入で役割は縮んだが各証拠調べに備わる制裁規定を利用できる点で開示的運用の余地は今も残る

証拠保全には、もう1つ押さえておきたい歴史があります。医療過誤や公害のような現代型訴訟では、証拠が病院や企業といった一方の当事者に偏って存在しています。この偏りを踏まえて、証拠保全の必要性を緩やかに解釈し、証拠を探し出して発見し、収集すること自体を目的とする申立てまで許す運用が、かつて期待されてきました。これを証拠保全の証拠開示的運用と呼びます。本来の趣旨は「残す」制度です。ですが、実務の運用の中で、事実上「探して集める」役割まで期待された時期があった、ということです。もっとも、前回見た提訴予告通知や提訴前証拠収集処分が導入されたことで、この開示的な運用が果たしていた役割は、かなり縮みました。

完全には無くなっていません。証拠保全を含む各証拠調べの手続には、正当な理由なく協力を拒んだ相手に不利益を課す、といった制裁規定が備わっています。たとえば、提出を命じられた文書を、正当な理由なく出さなければ、その文書についての相手の主張を真実と認めてよい、という不利益です。この制裁を使える点で、開示的な運用の余地は、今もなお残っていると考えられています。

証拠の申出——誰が、何を、裁判所に出すのか

境界ペアの板(証拠調べが実施される前=証拠の申出はその性質上撤回できる/証拠調べが実施された後=裁判所の心証がすでに形成されているため撤回できない) 図:境界ペアの板

  • 証拠調べが実施される前=証拠の申出はその性質上撤回できる
  • 証拠調べが実施された後=裁判所の心証がすでに形成されているため撤回できない

証拠が残ったら、次は、それを実際に裁判所に出す場面です。証拠の申出といいます。提出する側には選ぶ権利がある、というところが大事です。当事者は、提訴の前後を問わず自分で集めた証拠の中から、自分に有利になるものを選んで、裁判所に提出します。冒頭のAさんで言えば、別の病院の診断書を出すのか、照会で名前が分かったとして、手術に立ち会った看護師の証人尋問を申し出るのか、どれを出すかを選ぶのはAさん自身です。

条文民事訴訟法180条1項

民事訴訟法180条1項(証拠の申出) 証拠の申出は、証明すべき事実を特定してしなければならない。

弁論主義の3つ目のテーゼ、職権証拠調べの禁止です。裁判所は、当事者が申し出ていない証拠を、勝手に取り調べることはできません。証拠を出すか出さないかは、当事者の権能なんです。申出は当事者の判断でした行為なので、その性質上、撤回することができます。たとえば、看護師の証人尋問を申し出たあとで、やはり要らないと考え直したなら、尋問が実施される前であれば取り下げられます。ただし、1つだけ限界があります。

判例最判昭32・6・25〈百選A21〉

証拠の申出の撤回ができなくなる時点 証拠調べが実施された後は、証拠の申出を撤回することができない

証拠調べが実施された時点で、裁判官の心証は、もうその証拠を踏まえた形で形成されています。撤回を認めてしまうと、いったんできあがった心証を、都合よく無かったことにできてしまいます。だから、実施前は撤回自由、実施後は撤回不可、と時点で区切られているんです。

採否は裁判所の自由裁量——ただし無制約ではない

レストランの喩えの板(客=当事者がメニュー=手元の証拠から選んで注文する=申出・店=裁判所は注文が来ても全部作るとは限らない・十分な量が出ていれば断れる=181条の裁量・ただし理由なく一方的に断るのは許されない) 図:レストランの喩えの板

証拠の申出があったからといって、裁判所は、その全部を取り調べる義務があるわけではありません。

条文民事訴訟法181条1項

民事訴訟法181条1項(証拠調べを要しない場合) 裁判所は、当事者が申し出た証拠で必要でないと認めるものは、取り調べることを要しない。

レストランで言えば、客である当事者が、メニューにあたる手元の証拠から選んで注文するのが申出で、店にあたる裁判所は、注文を全部作るとは限りません。すでに他の証拠で十分に心証が形成できていれば、裁判所は「これはもう必要ありません」と、取調べを断ることができます。この採否の判断は、裁判所の自由な裁量に委ねられている、というのが判例の立場です。自由な裁量イコール何をしてもよい、ではありません。そこが、今日いちばん注意してほしい点です。裁判所が、自分の好みや思いつきだけで、証人を調べるかどうかを決めるのは許されない、とする判例もあります。証拠を出すかどうかは当事者の権能だと、さっき見ました。理由も無く断ってよいなら、その権能は名前だけのものになってしまいます。

すでに十分な証拠が出ていて、その証人を調べても心証が変わらないと合理的に判断できるなら、断ってよい。しかし、特に理由も無く、面倒だから、争点と関係が薄いように見えるからといった、ただの思いつきで一方的に断るのは、専恣・独断にあたります。「自由な裁量」の中身には、この歯止めがあることを、必ず押さえてください。さらに、181条2項には、不定期間の障害があるときに証拠調べをしないことができる、という規定もあります。たとえば、証人が長く入院していて、いつ出頭できるか見通しが立たない場合です。

唯一の証拠方法の法理——条文に無い判例法理

唯一の証拠方法の設例の関係図(貸主Aが借主Bに貸金返還を請求・Bの返済の唯一の裏付けは返済時に立ち会っていた友人Cの証言のみ・裁判所は証人が1人だけでは心証が固まらないという理由だけでこの証拠調べ自体を却下できない) 図:唯一の証拠方法の設例の関係図

採否の自由裁量には、もう1つ、判例が付け加えた特別な歯止めがあります。1つ、設例で考えてみましょう。貸主のAさんが、借主のBさんに、貸したお金を返してほしいと請求しました。Bさんは「もう返した」と主張していますが、その唯一の裏付けが、返済のときにその場に居合わせた友人Cさんの証言だけだったとします。証人が1人だけだからといって、証人尋問自体を断れるわけではありません。そこに、判例が歯止めをかけました。

⭐ 論文で書く規範:唯一の証拠方法の法理 申し出た証拠がそれ1つしか無いなら、特段の事情が無い限り、裁判所は、その証拠調べを断れない (最判昭53・3・23(条文には根拠が無い判例法理))

原則として、断れません。Bさんにとって、証拠方法、つまり証人や文書のように裁判所が取り調べる対象が、友人Cさん1人しかいない以上、裁判所は、証拠調べそのものを却下することはできません。ここで1つ、立ち止まって考えてほしい問いがあります。この法理は、民事訴訟法の何条に書いてあるでしょうか。実は、どの条文にも書かれていません。181条は「必要でないと認めるものは取り調べることを要しない」としか定めていません。唯一の証拠方法だから却下できない、という部分は、条文には一切根拠が無く、判例が独自に付け加えた歯止めなんです。取り調べる前に「どうせ信用できない」と決めてしまうのは、中身を見ずに結論を先に決めることです。しかもBさんには他に立証する手段が無いので、ここで断られれば、返済を証明する機会そのものを失い、それだけで負けてしまいます。ただし、絶対に取り調べなければならないわけではなく、さっき見た181条2項のように、証人が長期入院していて出頭の見通しが立たないなど、取り調べること自体が不可能な特段の事情があれば、話は別です。ここは論文でも問われる論点です。

もしBさんが、友人Cさんの証言に加えて、返済のときに受け取った受領書も持っていたとします。この場合、友人Cさんの証言は、受領書を補強する立場に過ぎず、唯一の証拠方法ではありません。裁判所は、受領書だけで十分に心証が形成できると判断すれば、証人尋問を断ることができます。証拠が1つしか無いか、他にも裏付けがあるかで、結論が変わる境目になっています。裁判所は却下できず、いったんは取り調べなければなりませんが、取り調べた証言をどこまで信用するかは、また別の問題です。それは自由心証主義という、別の回で扱うテーマです。今日は、却下できるかどうかという、入口の話に絞ってください。

183条——採用後は、当事者主義から職権進行主義へ

当事者主義と職権進行主義の交錯の板(証拠を出すか何を出すか=当事者主義・弁論主義③証拠の申出は当事者の権能/採用後の実施183条=職権進行主義・当事者の出欠に左右されない/採用の前後で主導権が入れ替わる) 図:当事者主義と職権進行主義の交錯の板

  • 証拠を出すか何を出すか=当事者主義・弁論主義③証拠の申出は当事者の権能
  • 採用後の実施183条=職権進行主義・当事者の出欠に左右されない
  • 採用の前後で主導権が入れ替わる

最後は、証拠が採用された後の話です。

条文民事訴訟法183条

民事訴訟法183条(当事者の不出頭の場合の取扱い) 証拠調べは、当事者が期日に出頭しない場合においても、することができる。

さっきのレストランで言えば、注文が通った後の厨房は、注文した客がその場に居合わせているかどうかに関わらず、調理を進めます。注文するかどうかは客の意思ですが、通った注文を作るかどうかは、もう客の出欠に左右されません。もし当事者が欠席しただけで取調べが止まるなら、不利な証言を聞かれたくない側は、期日を休むだけで手続を止められてしまいます。Aさんの事件でも、病院B側が欠席したからといって、採用が決まった看護師の尋問は予定どおり行われます。証拠を出すかどうかを当事者が決める場面と、採用された後は当事者の出欠に左右されず進む場面——そこに、今日の一本の軸がそのまま表れています。証拠を出すかどうか、何を出すかは、当事者の権能、当事者主義です。しかし、いったん採用された証拠の実施は、当事者の出欠に左右されません。以前見た職権進行主義、つまり手続を進める主導権は裁判所にある、という原則が働く場面です。何を証拠にするかまで裁判所が決めるわけではありません。証拠調べという1つの手続の中に、当事者主義と職権進行主義が交錯しているんです。

Aさんの事件で振り返る、証拠調べの入口

まとめの板(Aの事件に当てはめる一本の流れ・カルテが消える前に証拠保全234条で残す・集めた証拠の中から選んで申出180条1項・裁判所が採否を判断181条・唯一の証拠方法なら原則として却下できない・採用されたら183条で当事者の出欠に関わらず取り調べる) 図:まとめの板

今日見てきた流れを、冒頭のAさんの事件に当てはめて振り返りましょう。まず、カルテが書き換えられる前に、証拠保全でその内容を残します。次に、Aさんは、集めた証拠の中から、自分の主張に必要なものを選んで、裁判所に申出をします。この申出は、証拠調べが実施される前なら撤回もできます。必要でないと判断すれば、断ることができます。ただし、恣意的な却下は許されず、その証拠が唯一の証拠方法であれば、特段の事情が無い限り、そもそも断ることができません。そして、いったん採用されれば、当事者の出欠に関わらず、取調べは進みます。

証拠が消えないように残し、選んで出し、裁判所が要るかどうかを見極め、採用されたら進めていく。この一本の流れが、証拠調べの入口です。

参照条文

  • 民事訴訟法234条
  • 民事訴訟法180条1項
  • 民事訴訟法181条1項
  • 民事訴訟法183条

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