自由心証主義と証明度
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第2章 訴訟の審理 #59/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
証人は「見た」と言い、カメラには何も映っていない
図:冒頭事案の関係図
Xさんは、ある夜、Yに殴られてけがをしたと主張して、損害賠償を求める訴えを起こしました。Xさんの側の証人Wさんは、法廷で「殴られる瞬間を見た」とはっきり証言します。Yさんは殴っていないと否認していて、現場付近の防犯カメラの映像を証拠に出します。その映像には、争いになっている時刻、何も映っていません。映像に映っていなければ証言が自動的に負ける、という決まりはありません。民事訴訟には、証拠の間に優劣の順位をあらかじめ付けておく規定が、原則として無いんです。今日はその理由と、それでも裁判官が好き勝手に決めていいわけではない理由を、最後まで見ていきます。
証明とは何か
図:証明の構造の板
証明とは、争いのある事実の存否に決着をつけるために、裁判所が向き合う手続です。Xさんの請求が認められるには、権利を基礎づける事実、つまり請求原因のすべてを、裁判官が確信できなければなりません。Xさんの事件なら、Yが殴ったこと、そのせいでけがをしたこと、損害が出たこと、といった事実です。このうち1つでも確信できなければ、請求は棄却されます。Yさんが、権利を消す事情、つまり抗弁の存在を裁判官に確信させることができれば、それだけで請求は斥けられます。今日の主役は、この「確信できる」かどうかを、裁判官がどうやって決めるかという話です。
証明の対象
図:証明の対象の板
まず、そもそも何が証明の対象になるかです。原則は、裁判官が自分の知識をそのまま使えない事項、つまり裁判所の外にある事実です。法律そのものは、原則として証明しなくていいんです。法規の中身を調べて当てはめるのは、裁判官固有の仕事だからです。裁判官は法を知っている、という前提に立つので、法規は原則として証明の対象になりません。ただ、日常的とは言えない特殊な法令、外国法、慣習法は例外で、これらは証明の対象になります。一般的な経験則は裁判官も心得ている前提です。しかし、専門的な経験則、たとえば特殊な医学的知見のように裁判官になじみのないものは、証明の対象になります。
不要証事実(179条)
図:不要証事実の板
条文民事訴訟法179条
民事訴訟法179条(証明することを要しない事実) 裁判所において当事者が自白した事実及び顕著な事実は、証明することを要しない。
証明の対象になる事実の中にも、証明そのものが要らないものがあります。179条が挙げる2つです。1つ目は、当事者が自白した事実。以前見たとおり、自白には審判排除効、つまり証拠調べ自体が禁じられる効力と、証明不要効があります。たとえばYさんが「殴ったこと自体は認める、ただし正当防衛だ」と言えば、殴ったという主要事実はもう証明しなくてよく、争いは正当防衛という抗弁に移ります。ここで自白の対象になるのは主要事実だけで、間接事実の自白は裁判所を縛りません。間接事実は証拠と同じ機能を営むので、その自白まで裁判所を拘束すると、247条の自由心証主義、つまり証拠から事実を認めるかどうかを裁判官の自由な判断に委ねる原則を、制限してしまうからでしたね。247条そのものは、このあと正面から扱います。
顕著な事実には2種類あります。公知の事実、つまり歴史上の出来事や有名な人物のように、一般に広く知れ渡っている事実。それに、職務上顕著な事実、裁判官が自分の職務を行う中で知った事実、たとえば自分が下した別の裁判の内容などです。ここで注意してほしいのは、裁判官が私生活で個人的に知っていることは含まれないという点です。裁判官がたまたま事件の夜に現場の近くを通りかかって見ていたとしても、それを判決に使うことはできません。公知の事実も職務上顕著な事実も、誰から見ても客観的に確かめられるからこそ、証明が要らないんです。
自由心証主義(247条)
図:247条の板
条文民事訴訟法247条
民事訴訟法247条(自由心証主義) 裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。
ここからが今日の主役、自由心証主義です。裁判所は、判決をするにあたって、口頭弁論の全趣旨、それに証拠調べの結果を総合して、自由な心証、つまり裁判官の頭の中にできあがる「この事実はあったらしい」という確信の度合いによって、事実の主張を真実と認めるかどうかを判断します。以前見た証拠方法、つまり証人や文書のように裁判所が取り調べる対象を、実際に取り調べた結果として得られる中身が証拠資料です。247条は、この証拠資料と、口頭弁論の全趣旨、つまり証拠には表れないけれど当事者の主張や態度から読み取れる事情の両方を、裁判官がしん酌して、自由な心証で判断すると定めています。以前見たとおり、いったん主張して撤回したことや、当事者照会に正当な理由なく答えなかった態度も、この弁論の全趣旨として考慮されることがあります。
証拠の値打ちを法律で先に決めておいたほうが、裁判官ごとのばらつきが出なくて公平なんじゃないですか。そう考えたくなりますよね。たとえば「契約があったことは、契約書が無ければ認めない」「証人が2人そろって同じことを言えば、証明されたことにする」と、法律が先に決めておくやり方です。でもそれだと、口約束で結んだ本当の契約は認められませんし、口裏を合わせた証人が2人いるだけで「証明された」ことになってしまいます。だから247条は、証拠の値打ちを法律が先に決めることをせず、目の前の証拠を見た裁判官の判断に委ねました。ここでの「自由」は、何でもありという意味ではありません。法律が証拠の値打ちをあらかじめ決めていない、という意味の自由なんです。
3つの自由
図:3つの自由の板
この「自由」の中身を3つに分けます。1つ目、証拠力、つまり証拠にどれだけの価値を認めるかの評価が、裁判官の自由な判断に委ねられます。冒頭のXさんの事件で言えば、証人Wさんの証言をどこまで信用するかは、裁判官が自分で決めていいということです。映像に何も映っていないことは、考慮しなくていいんですか。考慮していいんです。ただ、映像に映っていないことを、証人の証言よりも自動的に重く扱わなければならない、という決まりはありません。裁判官は、証人の話しぶりや一貫性、映像の撮影範囲や精度など、いろいろな事情を総合して、どちらをどれだけ信用するかを、自分の判断で決めます。
2つ目、法定証拠法則、つまり「この証拠が出たら必ずこう認定しなさい」という法律上のルールが、民事訴訟には原則としてありません。以前見た228条4項の二段の推定のような例外はありますが、それはあくまで例外です。前回見た224条の真実擬制、つまり当事者が提出命令に従わないとき、文書の記載に関する相手方の主張を真実と認めることができるという規定も、自由心証主義に手を加える例外の1つです。3つ目、証拠能力、つまりそもそも証拠として使えるかどうかも、原則として制限がありません。盗み取られた文書や、相手に無断で録音した音声でも、証拠方法になりえます。
判例最判昭32・2・8〈百選65〉
反対尋問の機会がなかった当事者尋問の証拠力 やむを得ない事由によって反対訊問ができなかった場合には、単に反対訊問の機会がなかったというだけの理由で当該本人訊問の結果を事実認定の資料とすることができないと解すべきではなく、結局、合理的な自由心証によりその証拠力を決し得ると解するのが相当である。
ある判例で、当事者本人の尋問が、病状の悪化でやむを得ず途中で打ち切られ、相手方に反対尋問の機会が与えられなかった事案が問題になりました。最高裁は、やむを得ない事由で反対尋問ができなかったというだけで、その尋問の結果を証拠から排除すべきではなく、裁判官の合理的な自由心証で証拠力を決めればよいとしました。反対尋問で確かめられなかった分は、裁判官が信用できるかどうかを割り引いて評価すれば足りる、という考え方です。この判断は、当事者本人の尋問で、しかも病状というやむを得ない事情があった事案に限られます。実はこの判決には反対意見もあって、反対尋問の機会がない供述は証拠として未完成だという立場もありました。反対尋問なしなら常に証拠になる、という一般化はしないでください。刑事訴訟の伝聞法則や違法収集証拠排除法則とは違って、民事訴訟には証拠能力を原則として制限するルールがありません。使える材料はひとまず受け入れたうえで、どこまで信用するかを証拠力の評価で調整する、という仕組みだからです。
自由心証主義の限界
図:限界の板
条文民事訴訟法252条
民事訴訟法252条(電子判決書) 裁判所は、判決の言渡しをするときは、最高裁判所規則で定めるところにより、次に掲げる事項を記録した電磁的記録(以下「電子判決書」という。)を作成しなければならない。 一 主文 二 事実 三 理由 四 口頭弁論の終結の日 五 当事者及び法定代理人 六 裁判所 2 前項の規定による事実の記録においては、請求を明らかにし、かつ、主文が正当であることを示すのに必要な主張を摘示しなければならない。
この自由は、無制限の自由ではありません。裁判官は、論理則、つまり筋道の通った推論のルールや、経験則、自然法則に反する事実認定をしてはいけません。証人が一貫して「見た」と言っていても、その日その場所にいたこと自体が物理的にありえないなら、経験則に反する認定として許されません。そこで252条です。裁判所は、電子判決書に、認定した事実とその理由を記録しなければなりません。理由を書かせることで、裁判官がどんな道筋で事実を認定したのかが外から見えるようになり、上級審がその過程を後から再審査できるようになります。つまり、証拠の値打ちを法律が先に決めることはしない。けれど、裁判官が好き勝手に決めてよいわけでもない。論理則・経験則という枠と、理由を書かせる仕組みが、その歯止めです。
証明度——高度の蓋然性
図:証明度の板
さっきから「確信できれば」という言い方をしていますけど、100パーセント確実じゃなくてもいいんですか。そこが今日のもう1つの山場です。証明とは、どの程度の確からしさに達したときに言えるのか。ある最高裁判例が、その基準を示しました。
判例最判昭50・10・24〈百選57〉
証明度の定式 訴訟上の因果関係の立証は、一点の疑義も許されない自然科学的証明ではなく、経験則に照らして全証拠を総合検討し、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認しうる高度の蓋然性を証明することであり、その判定は、通常人が疑を差し挟まない程度に真実性の確信を持ちうるものであることを必要とし、かつ、それで足りるものである。
訴訟の中での証明は、一点の疑いも許されない自然科学的な証明ではありません。経験則に照らして全証拠を総合的に検討し、高度の蓋然性、つまり高い確からしさを証明すれば足りる。その判定は、通常人が疑いを差し挟まない程度に真実だと確信できることが必要で、それで十分だとしています。この定式が示されたのは、3歳の子どもが髄膜炎で入院し、症状が落ち着いてきたところでルンバール、つまり腰に針を刺して髄液を取り薬を入れる処置を受けたら、15分から20分後にけいれんの発作を起こし、重い後遺症が残った事件です。処置と発作の因果関係が争われ、原審は因果関係を認めませんでした。
最高裁はこの定式を示して、原審を破棄しました。もし自然科学的な証明まで求めたら、医学でも原因を突き止めきれない事件では、被害を受けた側はほとんど勝てなくなってしまいます。経験則に照らして全部の証拠を見れば、通常人なら疑いを差し挟まない、という高さで足りるとした定式には、そういう意味があります。ちなみに、英米法の民事裁判では、証拠の優越、つまり50パーセントを少しでも超えれば足りるという、もっと緩い基準が使われることがあります。日本の民事訴訟は、高度の蓋然性を要求していて、そこまでは下げていません。
248条——額だけ下げる証明度
図:248条の板
条文民事訴訟法248条
民事訴訟法248条(損害額の認定) 損害が生じたことが認められる場合において、損害の性質上その額を立証することが極めて困難であるときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づき、相当な損害額を認定することができる。
倒れたときに壊れたカバンの中の私物のように、壊れたことは確かでも一つひとつの今の値打ちを証明しようがない、というときに使うのが248条です。損害が生じたこと自体は証明されている前提で、その額の証明が性質上極めて困難なときは、裁判所は、口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果から、相当な額を自分で認定してよいとされています。損害があったことは確かなのに、額が分からないというだけで何も認められないのでは、被害を受けた人の救済が閉ざされてしまうからです。損害が発生したことまでこの条文が推定してくれる、と読むのは誤解です。この条文が下げているのは、あくまで額の証明度だけです。損害が発生したこと自体は、通常どおり、高度の蓋然性まで証明しなければなりません。
判例最判平20・6・10
248条の適用は裁判所の義務 民訴法248条により、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果に基づいて、相当な損害額が認定されなければならない。
ある採石権侵害の事件で、違法な採石と適法な採石が混ざり合っていて、損害額を明確に区別できませんでした。最高裁は、それでも算定不能を理由に請求を棄却することは許されず、248条によって相当な損害額を認定しなければならないとしました。248条を使うかどうかは、裁判所の裁量ではなく、義務だということです。損害があったと認められている以上、額が出せないことを理由に棄却するのは、この条文を置いた意味を失わせるからです。入札談合による損害を争った事件で、248条を積極的に使って損害額を算定した例があります。それに、特許権侵害の訴訟には、これと同じ発想の規定として特許法105条の3が別に置かれています。額の証明だけは、性質上ぴったり出せないことがある、という発想は、民事訴訟のいろいろな場面に共通しています。
対象から証明度まで、一枚の地図
図:まとめの板
今日見てきた流れをまとめます。証明の対象は裁判所の外の事実が原則で、法規は原則として対象外でした。その中でも、自白された事実と顕著な事実は、179条で証明が要らない。残った事実は、247条の自由心証主義のもとで、証拠力・法定証拠法則の不存在・証拠能力という3つの自由によって裁判官が評価します。ただしその自由は、論理則や経験則に縛られ、252条で理由を書かせることによって、上級審の目に見える形にされています。そして、どこまで確からしければ証明されたと言えるかという証明度は、高度の蓋然性、通常人が疑いを差し挟まない程度という高さに固定されている。損害の額だけは、248条で例外的にその高さを下げられます。
証人Wさんの証言と、防犯カメラに何も映っていないこと、そのどちらを重く見るかは、裁判官の自由な心証に委ねられています。ただし、その判断は論理則や経験則から外れてはいけませんし、判決には理由が書かれるので、なぜそう判断したのかは後から検証できます。そして、最終的に「殴られた」という事実が、通常人なら疑いを差し挟まない程度に確信できる高さまで届いていれば、証明されたことになります。
参照条文
- 民事訴訟法179条
- 民事訴訟法247条
- 民事訴訟法252条
- 民事訴訟法248条