民訴ゼロから民訴#41

主要事実・間接事実・補助事実と規範的要件

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第2章 訴訟の審理 ㊶/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

主張されていない「保管の不備」は使えるのか

冒頭事案の関係図(Xは定食屋を営むYの店で食事をし食中毒で入院した。XはYの過失の中身として仕入れた鶏肉の加熱が不十分だったと主張。証拠調べで裁判所は調理場の冷蔵庫が故障したまま放置されていたという心証を得る) 図:冒頭事案の関係図

Xさんは、Yさんが営む定食屋で食事をしました。その晩、Xさんは食中毒にかかり入院します。Xさんは、Yさんに過失があったとして、損害賠償を求めて訴えを起こしました。このとき、Xさんは過失の中身として、こう主張しました。仕入れた鶏肉の加熱が不十分だった。ところが、証拠調べが進むうちに、裁判所は別の事実に気づきます。調理場の冷蔵庫が、故障したまま数日間放置されていた。しかも、この保管の不備について——Xさんも、Yさんも、法廷で一度も主張していません。さて、ここで今日の問いです。裁判所は、この保管の不備を、Yさんの過失の中身として認定してよいのでしょうか。

前回、弁論主義という考え方を見ました。裁判所と当事者のあいだで、事実と証拠を出す役目をどう分担するか、という原則でした。ただ、前回の最後に、1つ宿題が残っていました。弁論主義が及ぶ「事実」とは、いったいどの事実を指すのか。言われてみれば、事実にもいろいろありそうです。鶏肉の加熱不足も、冷蔵庫の故障も、どちらも事実です。今日は、その事実の線引きを見ていきます。先に答えを言ってしまいます。裁判所は、この保管の不備を使えません。誰も主張していないからです。今日は、なぜそう言えるのかを、事実の線引きから確かめていきます。この線引きが分かれば、冒頭のXさんの事案にも、はっきり答えが出ます。

事実の3分類

3分類の板(主要事実=その権利が発生・消滅・変更したかを決める直接の決め手になる事実/間接事実=経験則をはさんで主要事実があったかどうかを推し測る手がかりになる事実/補助事実=証拠の信頼性に関する事実) 図:3分類の板

  • 主要事実=その権利が発生・消滅・変更したかを決める直接の決め手になる事実
  • 間接事実=経験則をはさんで主要事実があったかどうかを推し測る手がかりになる事実
  • 補助事実=証拠の信頼性に関する事実

訴訟に出てくる事実は、性質によって3つに分かれます。1つめが主要事実です。その権利が発生したか、消えたか、変わったかを決める、直接の決め手になる事実です。2つめが間接事実です。経験則によって、主要事実があったかどうかを推認するのに役立つ事実です。経験則というのは、要件事実の回で見たとおり、ふつうはこうだ、という一般的な経験に基づくものさしのことです。3つめが補助事実です。証拠そのものの信頼性に関する事実です。具体的な事案で見ると、はっきり違いが分かります。以前、Xさんが取引先のYさんに800万円を貸した事案を見ました。Yさんは、もらったものだと言い張っていましたね。

あの事案で考えてみます。「Xさんが800万円をYさんに交付した」という事実は、主要事実です。民法587条が定める貸金契約の成立に、直接必要な事実だからです。あの事案では、お金を受け取ったこと自体はYさんも認めていて、争いがありませんでした。ここでは、その受領そのものが争われたとしたらどう見分けるか、という形で考えてみます。では、「Yさんが、お金を受け取った時期と同じころ、急に高額な買い物をするようになった」という事実はどうでしょうか。それ自体が、お金の貸し借りを決める話ではないです。この事実は、お金を受け取ったことを推測させる材料にすぎません。間接事実です。さらに、「借用書はY本人が自分の手で書いて署名した」という事実はどうでしょうか。

これは、借用書という証拠が本物かどうかの話に聞こえます。証拠である借用書の信頼性を裏付ける事実ですから、補助事実です。

境界の対比板(800万円を交付した=主要事実・貸金返還請求権を直接基礎づける/Yが同じ時期に高額な買い物をした=間接事実・交付があったことを推測させるにすぎない) 図:境界の対比板

  • 800万円を交付した=主要事実・貸金返還請求権を直接基礎づける
  • Yが同じ時期に高額な買い物をした=間接事実・交付があったことを推測させるにすぎない

ここで、紛らわしい一組を並べてみます。「800万円を交付した」と、「Yさんが同じ時期に高額な買い物をした」です。見分け方は1つです。その事実が、請求を認めるか棄却するかという結論を、直接動かすかどうかです。前者は、結論を直接動かします。だから主要事実です。後者は、あくまで前者を推測させる材料にとどまります。だから間接事実です。

主要事実と要件事実の違い

要件事実と主要事実の対比板(要件事実=法律要件に該当する類型的・抽象的な事実/主要事実=個別の事件で法律要件に該当する具体的な事実/実務では同義に使うこともある) 図:要件事実と主要事実の対比板

  • 要件事実=法律要件に該当する類型的・抽象的な事実
  • 主要事実=個別の事件で法律要件に該当する具体的な事実
  • 実務では同義に使うこともある

以前、法律要件から判決に至る筋道を見たとき、要件事実という道具を立てました。あのとき立てた要件事実は、法律上の要件にあたる具体的な事実、という言い方で渡しました。今日はそこを一段だけ細かくして、条文が求める型のほうを要件事実、その型に当てはまる個別の事件の中身のほうを主要事実、と呼び分けます。例えば、「金銭の返還を約束して、金銭を受け取ったこと」というような、一般化された型です。それに対して主要事実は、個別の事件で、その法律要件に該当する具体的な事実です。「Xさんが800万円をYさんに交付した」というのは、今回の事件固有の、具体的な事実です。

あのとき立てた要件事実という物差しが、今日は弁論主義の対象を決める物差しとして、そのまま生きてきます。実務では、この2つを区別せずに使うこともあります。文脈で意味を汲み取れば足りることが多いので、厳密に使い分けないまま話が進むこともあります。ただ、抽象の型と、個別事件の具体という違いだけは、押さえておいてください。

弁論主義が及ぶのは主要事実に限る

主要事実限定の板(弁論主義の対象は主要事実に限られる) 図:主要事実限定の板(弁論主義の対象は主要事実に限られる)

ここからが、今日の本体です。前回見た弁論主義、当事者が主張していない事実を裁判所は判決の基礎にできない、というあの原則です。この原則が及ぶ「事実」は、主要事実に限られます。当事者が間接事実や補助事実を主張していなくても、裁判所は証拠から自由にそれを認定してよいのです。少し考えてみてください。間接事実や補助事実まで、当事者の主張が無いと使えないとしたら、裁判所にとって何が困るでしょうか。証拠から分かったことでも、そのまま判決の基礎にできなくなる——そこが問題の核心です。理由は3つあります。

理由①の板(間接事実・補助事実は証拠と同じ機能——主張責任は及ばない) 図:理由①の板(間接事実・補助事実は証拠と同じ機能——主張責任は及ばない)

1つめ、間接事実や補助事実は、証拠と同じ機能を営みます。主要事実を推し量ったり、証拠の信用性を判断したりするための材料である、という点で、証拠そのものと役割が変わりません。証拠をどう評価するかは、当事者の主張責任の対象にはなっていません。証拠と同じ機能のものにまで、主張責任を及ぼす理由がないのです。

理由②の板(自由心証主義・247条——裁判官の判断を窮屈にしない) 図:理由②の板(自由心証主義・247条——裁判官の判断を窮屈にしない)

2つめの理由が、まさにその窮屈さに関わります。裁判所には、自由な心証で事実を認定する権限が認められています。

条文民事訴訟法247条

民事訴訟法第247条(自由心証主義) 裁判所は、判決をするに当たり、口頭弁論の全趣旨及び証拠調べの結果をしん酌して、自由な心証により、事実についての主張を真実と認めるべきか否かを判断する。

この条文が定めるのは、裁判所が口頭弁論の全趣旨と証拠調べの結果を、自分の自由な判断でしん酌してよい、ということです。もし間接事実にまで主張が要るとすると、当事者が主張していない間接事実は、証拠から明らかでも推認の材料に使えなくなります。これでは、裁判官に不自然で窮屈な事実認定を強いることになってしまいます。この247条が保障する自由な心証を守るためにも、間接事実・補助事実にまで主張責任を及ぼすべきではない、ということです。

理由③の板(過大な負担の回避) 図:理由③の板(過大な負担の回避)

3つめの理由は、単純です。もし全部の事実に主張責任を認めるとすると、当事者に過大な負担を強いることになります。訴訟のたびに、ありとあらゆる周辺事情まで漏らさず主張しなければならないとしたら、当事者はとても対応しきれません。いま見た3つの理由から、弁論主義が及ぶ範囲は、権利関係そのものを決める主要事実にだけ、主張がいる、という結論が導かれます。

反対説の板(民事訴訟規則53条1項を根拠に間接事実も含め全部を対象とする見解) 図:反対説の板(民事訴訟規則53条1項を根拠に間接事実も含め全部を対象とする見解)

ただし、これに反対する見解もあります。訴状には、重要な間接事実についても、任意ではありますが記載を求める規定があります。民事訴訟規則53条1項です。この規則を根拠に、間接事実も含めて全部を弁論主義の対象とすべきだ、という見解もあります。重要な間接事実まで訴状に書かせるのは、それが当事者の主張として法廷に現れていることを前提にしているからだ、という読み方です。ただ、今日はここまでの理由から、主要事実に限るという立場で進めます。

自白との関係——どこまで効くのか

自白の効力の上書き板(審判排除効・証明不要効(179条)・不可撤回効はいずれも主要事実にしか及ばない。理由は自由心証主義の制限になるから) 図:自白の効力の上書き板

審判排除効、証明不要効、不可撤回効でした。審判排除効は、裁判所を拘束して、その事実と違う認定を禁じるもの。証明不要効は、179条どおり、その事実の証明が要らなくなるもの。不可撤回効は、一度した自白を原則として撤回できなくするものでした。答えを考えながら聞いてください。自白の効力も、実は今日の同じ線で切れます。主要事実について自白が成立すれば、3つの効力すべてが働きます。しかし、間接事実や補助事実について、当事者双方の陳述が一致していても、この3つの効力は及びません。

判例最判昭和41・9・22 民集20巻7号1392頁〈百選54〉

最高裁判決(間接事実の自白の拘束力が争われた事件) 間接事実について当事者双方の陳述が一致していても、裁判所はその存否について自白の拘束力を受けず、証拠調べの結果に基づき、これと異なる認定をすることができるとされた。

同じことは、補助事実についても言えます。

判例最判昭和52・4・15 民集31巻3号371頁

最高裁判決(文書の成立の真正についての自白の拘束力が争われた事件) 文書の成立の真正という補助事実について、当事者間に争いがない旨の陳述があっても、裁判所はこれに拘束されず、証拠調べの結果によって異なる心証を得ることができるとされた。

この事件で問題になったのは、ある文書が本人によって作られたものかどうか、という補助事実でした。当事者双方が争わないと言っていても、裁判所は別の心証を持てば、その心証に従って判断できます。2つの判例の理由は、別々ではありません。ここが今日の1つ目の山です。どちらも、理由は同じです。「重要でないから」ではありません。間接事実にも補助事実にも、証拠と同じ機能があります。そこに拘束力を認めてしまうと、247条が保障する自由心証主義を制限することになってしまう。この1つの理由から、2つの判例がどちらも出てきているのです。

理由が1本つながっていることを、ぜひ覚えておいてください。

権利自白——事実の自白とは別物

権利自白と裁判上の自白の対比板(対象・撤回・裁判所の判断権の3点で比較。権利自白は原則いつでも撤回できる) 図:権利自白と裁判上の自白の対比板

もう1つ、この線引きが効いてくる場面があります。権利自白です。権利自白は、事実についての自白ではありません。請求の当否を左右する前提となる、権利や法律関係の存否についての陳述です。例えば、ある土地をめぐる争いで、所有権がどう移ってきたかという経緯は争わず、「その土地はXさんの所有だった」と認める場合です。これが権利自白です。

判例最判昭和30・7・5 民集9巻9号985頁〈百選55〉

最高裁判決(権利関係の承認が自白にあたるかが争われた事件) 先決的な権利関係について、相手方の陳述と一致する陳述がされても、それは法律上の意見の陳述であって、事実の自白と同じに扱うことはできない。したがって、その陳述が後に変わったとしても、自白の撤回に関する法理をそのまま適用することは許されないとされた。

権利自白が裁判上の自白と真逆に見える——ここが今日の2つ目の山です。前回、裁判上の自白には不可撤回効があると学びました。原則として、撤回できないのでしたね。ところが権利自白は、原則いつでも撤回できます。なぜ、真逆になるんですか。権利自白は、そもそも主要事実についての自白ではないからです。今日の線引きに戻ってください。弁論主義や自白の効力が及ぶのは、主要事実そのものについての陳述に限られます。権利自白は、法律関係の存否という、事実そのものとは異なる次元の陳述です。だから、不可撤回効という強い拘束力を、最初から受けません。

裁判所は、権利自白があっても、必要なら自分で事実認定をやり直せます。だからこそ、当事者もいつでも撤回できるのです。

規範的要件と評価根拠事実

規範的要件と評価根拠事実の対比板(過失そのもの=抽象的な法的評価・そのままでは主要事実にならない/評価根拠事実=それを根拠づける具体的事実・こちらが主要事実になる) 図:規範的要件と評価根拠事実の対比板

  • 過失そのもの=抽象的な法的評価・そのままでは主要事実にならない
  • 評価根拠事実=それを根拠づける具体的事実・こちらが主要事実になる

ここで、冒頭のXさんの事案に戻ります。実体法には、「過失」や「正当事由」のように、抽象的な概念をそのまま法律要件にしている条文があります。具体的な事実に、法的な評価を下して初めて内容が定まる、こうした要件を、規範的要件と呼びます。ここで、少し考えてみてください。もし「過失」という言葉そのものを主要事実として扱ってよいとしたら、何が困るでしょうか。「過失があった」とだけ言われても何に反論すればよいか分からない——そこが問題です。規範的要件を、そのまま主要事実として扱ってしまうと、内容が漠然としたままになります。相手方にとっては、具体的に何を争えばよいのか分からず、不意打ちになってしまうのです。

論文で書く規範:【論文で書く規範】規範的要件における主要事実の特定 規範的要件は、それ自体が具体的事実に対する法的評価であるから、これを主要事実そのものとして扱うと、主張の内容が漠然とし、相手方にとって不意打ちとなる。そこで、規範的要件については、その評価を根拠づける具体的事実、すなわち評価根拠事実が主要事実になると解する。 (通説の定式(規範的要件論))

ここは、論文で論点になりうるところです。「過失」という評価そのものではなく、その評価を根拠づける具体的な事実、評価根拠事実のほうを、主要事実として扱います。これで、冒頭のXさんの事案に、はっきり答えが出せます。Xさんが過失の中身として主張したのは、「仕入れた鶏肉の加熱が不十分だった」という事実でした。これは評価根拠事実です。一方、裁判所が証拠調べから気づいた「冷蔵庫が故障したまま放置されていた」という保管の不備は、誰も主張していません。そして、評価根拠事実は主要事実そのものです。今日ずっと見てきたとおり、主要事実には弁論主義が及びます。主張されていない主要事実を、裁判所が判決の基礎にすることはできません。

裁判所は、この保管の不備を、過失の中身として認定することはできません。誰も主張していない主要事実だからです。

一般条項

一般条項の設例の関係図(賃借人Xが賃貸人Yに対し更新料の定めは公序良俗に反し無効だと主張する場面) 図:一般条項の設例の関係図

もう1つ、似た構造の場面があります。公序良俗や権利濫用、信義則のような一般条項です。例えば、賃貸借契約の更新料の定めが、著しく高額だったとします。借りている側のXさんが、この定めは公序良俗に反して無効だ、と主張する場面を考えてみます。ただ、規範的要件の場面と、まったく同じには扱われません。

判例最判昭和36・4・27 民集15巻4号901頁〈百選47〉

最高裁判決(公序良俗違反の主張の要否が争われた事件) 当事者が民法90条による無効の主張を特にしていなくても、同条違反にあたる具体的な事実の陳述さえあれば、裁判所はその有効無効を判断できるとされた。

一般条項の非対称板(法の適用そのものの主張=不要/それを基礎づける具体的事実=必要) 図:一般条項の非対称板

  • 法の適用そのものの主張=不要
  • それを基礎づける具体的事実=必要

一般条項には、高度の公益性が含まれています。だから、法律の適用そのものを、当事者が主張しなければならないとまでは考えられていません。公序良俗や信義則は、社会全体の秩序を守るための規定です。その規定を当てはめるかどうかまで当事者の主張に委ねてしまうと、当事者が言い出さない限り秩序違反が放置されることになるため、法の適用そのものは裁判所が主体的に判断してよいと考えられています。しかし、相手方が防御できるようにするためには、それを基礎づける具体的な事実だけは、当事者の主張に現れている必要があります。ただし、それは無条件ではありません。更新料の金額が、Xさんの年収に対してどれほどの割合になるか、といった具体的な事実は、当事者の主張の中に出ていなければなりません。

法の適用の主張は要らないが、それを支える事実の主張は要る——そこが、今日の3つ目の山です。両方要らない、でも、両方要る、でもありません。法の適用そのものの主張は不要、それを基礎づける具体的な事実は必要、という非対称な扱いです。

論文で書く規範:【論文で書く規範】一般条項と主張の要否 一般条項の適用については、その法的評価そのものを当事者が主張する必要はない。もっとも、相手方の防御の機会を確保するため、評価を基礎づける具体的事実は、当事者の主張に現れていなければならない。 (最判昭和36・4・27を踏まえた通説の定式)

ここも、論文で論点になりうるところです。規範的要件の場面では、評価根拠事実そのものが主要事実になりました。一般条項の場面でも、法の適用を基礎づける具体的な事実こそが、実質的に判決を左右する事実として扱われている、という点は共通しています。この基礎づける具体的な事実も、評価根拠事実と同じく、弁論主義が及ぶ主要事実そのものです。

今日の地図(保存版)

今日のまとめの板(①事実の3分類/②弁論主義は主要事実に限る/③自白の拘束力も同じ線/④権利自白は別物/⑤評価根拠事実が主要事実/⑥一般条項は非対称/⑦3分類の線=弁論主義が及ぶ範囲の線) 図:今日のまとめの板

  • ①事実の3分類
  • ②弁論主義は主要事実に限る
  • ③自白の拘束力も同じ線
  • ④権利自白は別物
  • ⑤評価根拠事実が主要事実
  • ⑥一般条項は非対称
  • ⑦3分類の線=弁論主義が及ぶ範囲の線

最後に、今日見てきた線を1本に束ねます。事実は、主要事実、間接事実、補助事実の3つに分かれます。弁論主義が及ぶのは、このうち主要事実だけです。証拠と同じ機能、自由心証主義、過大な負担という3つの理由からでした。自白の拘束力も、同じ線で切れます。間接事実や補助事実の自白は、自由心証主義を制約してしまうから拘束力を持ちません。権利自白は、そもそもこの主要事実の自白とは別物なので、いつでも撤回できます。そして、「過失」のような規範的要件では、評価そのものではなく評価根拠事実が主要事実になる。一般条項では、法の適用は不要でも、基礎づける事実は必要になる。

裁判所は、誰も主張していない保管の不備を、過失の中身として認定できません。3分類の中でも、それが主要事実だからです。3つに分かれた事実が、そのまま「弁論主義が及ぶかどうか」の線引きになっているんですね。ただ、ここで新しい疑問が浮かびます。もしXさんの弁護士が、保管の不備という評価根拠事実に、法廷で一度も気づかないまま、審理が進んでしまったらどうなるでしょうか。弁論主義を機械的に当てはめれば、主張していない以上、その事実は使えません。しかし、それでは、本人だけで訴訟を進めている当事者が、言うべきことを言えないまま負けてしまう場面も出てきます。そのとき、裁判所は黙って判決を書くだけなのでしょうか。

この問いは、次に持ち越します。

参照条文

  • 民事訴訟法247条

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