裁量統制の基準②(比例原則・基本的人権・審査の濃さ)
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第5章 行政裁量 #62/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
同じ施設を使わせない処分なのに、踏み込みが違う
図:今日の問い
- 市民会館の使用不許可
- 学校施設の目的外使用の不許可
- 同じ「施設を使わせない」処分でも裁判所の踏み込み方が違う
- 違いを決めているのは何か
施設を使わせない処分なら、どれも同じ扱いで、裁量があれば裁判所は同じように遠慮するのでしょうか。実は、裁判所の扱いは分かれています。市民会館の使用を不許可にした処分では、裁判所は条例の読み方そのものを厳しく絞りました。学校施設の使用を不許可にした処分では、役所の裁量を認めたうえで、判断の道筋を点検しました。同じ施設を使わせない処分なのに、踏み込みの深さが違います。今日の問いは、その違いを決めているのは何か、です。先に答えを言います。1つは、その処分が侵す権利や不利益の重さ。もう1つは、法律がその判断をどこまで行政に任せているか。この2つです。
図:今日の持ち帰り
- 1 比例原則は裁量を縛る物差しになる
- 2 人権が絡み不利益が大きいと行政に求める慎重さが上がる
- 3 審査の濃さを決める2つの軸
第5章の最初の回で、裁量の枠の中にも及ぶ統制として、比例原則、平等原則、信義則、基本的人権の尊重の4つを挙げました。前回は、このうち平等原則と信義則を、事実誤認や目的違反と並べて見ました。残るのが、比例原則と基本的人権です。前の方の回で、社会観念上著しく妥当を欠く、という文句を、比例原則の形として読む話は後に回しました。今回、それを受けます。持ち帰るものは3つです。比例原則が裁量を縛る物差しになること。人権が絡む処分では、行政に求める慎重さが上がること。そして、審査の濃さを決める2つの軸です。審査の濃さとは、裁判所が行政の判断にどこまで深く踏み込むか、ということです。今回は、その深さを決めるものを探します。
比例原則も裁量を縛る物差し
図:比例原則の呼び戻し
- 目的→適合性→必要性〔もっと軽い手段は無いか〕→均衡性〔失う利益と得る利益は釣り合うか〕
- 軽い手段で足りるのに重い処分を選ぶ=必要性で引っかかる
- 失うものが大きすぎる=均衡性で引っかかる
比例原則は、行政の一般原則の回で見ました。目的に対して、手段が適合し、必要で、均衡が取れているかを問う原則です。ここで1問です。軽い手段で足りるのに重い処分を選んだとき、4つの問いのどこで引っかかるでしょうか?もっと軽い手段は無いか、を問う、必要性だと思います。軽い手段で足りるのに重い処分を選べば、必要性で引っかかります。失うものが大きすぎる場合は、均衡性です。この比例原則が、裁量の統制にもなります。重すぎる処分は、裁量の逸脱・濫用になりうる。これが1つ目です。
図:免許取消しの事件の関係図
- A=公安委員会
- B=タクシーの運転手
- Bは転回禁止の場所で巡査の注意を無視して転回
- Bには過去にも違反を重ね免許停止を受けた経緯
- AがBの運転免許を取消し
- 1審・原審は比例原則違反として取消しを取り消した
古い判決から見ます。タクシーの運転手Bが、転回禁止の場所で、巡査の注意を無視して転回しました。Bは、過去にも違反を重ねて、免許停止も受けていました。公安委員会Aは、Bの運転免許を取り消しました。1審と原審は、この取消しは比例原則に違反して、著しく公正を欠く、として取り消しました。最高裁の判断は、2つに分かれます。公安委員会に裁量があるかと、下級審の判断が正しかったかです。
判例最判昭39・6・4 民集18巻5号745頁
運転免許の取消しと公安委員会の裁量 元来運転免許取消等の処分は道路における危険を防止し、その他交通の安全と円滑を図ることを目的とする行政行為であるから、これを行うについては、公安委員会は何が右規定の趣旨とするところに適合するかを各事案ごとにその具体的事実関係に照らして判断することを要し、この限度において公安委員会には裁量権が認められているものと解するのが相当である。
判例最判昭39・6・4 民集18巻5号745頁
比例原則違反を理由とした取消しの判断 されば、本件運転免許取消処分を「比例原則」に違反し、著しく公正を欠く裁量を行った瑕疵ある行政処分として取り消した第一審判決および同判決を正当として是認した原判決は、判決に影響を及ぼすこと明らかな法令の違背あるものというべく、論旨は理由がある。
読みます。1枚目。免許の取消しは、道路の危険を防いで交通の安全と円滑を図る目的の処分です。だから公安委員会は、事案ごとに具体的な事実に照らして判断する。その限度で、裁量が認められます。2枚目。取消しを比例原則違反として取り消した1審と原審の判断は、法令の違背がある、と言っています。最高裁の結論は、下級審と逆でした。比例原則違反を理由に免許の取消しを取り消した下級審の判断を、最高裁は誤りとしました。比例原則違反だから取り消す、という結論は認められなかったのです。ただし、比例原則という物差しそのものを否定したのではありません。Bは巡査の注意を無視したうえ、違反を重ねて免許停止も受けていました。最高裁は、こうした事情から、この取消しは裁量の範囲内だ、と判断しました。比例原則の問いで言えば、停止という軽い手段はもう試されていた事案です。比例原則も裁量審査の物差しになる、と言うときに根拠として挙げられる判例は、この判決です。ここを取り違えると、短答で逆の肢を選んでしまいます。
図:社会観念上著しく妥当を欠くは、重すぎるの言い直し
- 税関職員の懲戒免職の判決の文句
- 重すぎる、という判断を、世間の常識から見て著しくおかしい、と言い直した形
- 判決文に「比例原則」の語は出ない
- 軽い違反に最も重い処分を当てれば世間の目から見ても明らかな行き過ぎ
もう1つ、第5章の前の方で読んだ、税関職員の懲戒免職の判決です。判決の文句は、社会観念上著しく妥当を欠く、でした。判決文に、比例原則という言葉は出てきません。けれど一般には、この文句は、比例原則を判例が定式化したものだ、と整理されます。形は違いますが、狙いは重なります。比例原則が問うのは、目的に比べて手段が重すぎないか。社会観念上著しく妥当を欠く、は、世間の常識から見て、明らかに行き過ぎていないかを問います。重すぎるかどうかを、世間の目の高さで言い直した形です。軽い違反に最も重い処分を当てれば、4つの問いのどれかで落ちます。それは、世間の目から見ても明らかな行き過ぎです。ただし、この文句には弱点が2つあります。1つ目は、社会観念、という言葉の中身が見えにくいことです。何が世間の常識なのかがはっきり書かれていないので、原告は、どこが行き過ぎなのかを具体的に争いにくい。2つ目は、著しく、という言葉で敷居が高くなることです。重すぎる、では足りず、著しく重すぎる、でなければなりません。そのぶん、行政の判断に追随しやすくなります。実際に、重すぎるとして違法と結論した例は、多くありません。
例えば、営業停止30日が重すぎる、と言うために、15日が妥当だと示すだけでは足りません。30日が、誰が見ても明らかな行き過ぎだ、と言う必要があります。この差が敷居の高さです。次に見る判決は、この物差しを、もっと具体的な問いに言い換えて当てた例です。
⭐ 論文で書く規範:解釈(判例・一般的な整理):比例原則違反も、裁量の逸脱・濫用の判断基準になる。ただし免許取消しの判決は、物差しとしては使われたが、取消しは認められなかった。判例の定式は「社会観念上著しく妥当を欠く」で、重すぎる処分を言う物差しとして読める (短答・論文共通)
転機の判決を、裁量統制として読み直す
図:前に読んだ判決の呼び戻し
- 国歌斉唱の起立を命じる職務命令に従わなかった教員に減給処分
- 戒告を超えて減給を選ぶには、必要性と不利益の権衡から相当性を基礎づける具体的な事情が要る
次の判決に入る前に、思い出してください。以前、卒業式の不起立に対する減給の判決を読みました。戒告を超えて減給を選ぶとき、判決は、何が必要だと言っていたでしょうか?規律の必要性と、減給という不利益の釣り合いから、減給を選ぶ相当性を基礎づける具体的な事情が要る、でした。戒告を超えて減給を選ぶには、必要性と不利益の釣り合いから、相当性を基礎づける具体的な事情が要りました。事実や規範は、比例原則の回で読みましたので、もう一度は読みません。今日は、この判決を、裁量統制の基準として読み直します。見るのは3点です。
図:不起立の減給の判決の読み直し
- 枠組み=社会観念上著しく妥当を欠くかを見る〔取り替えていない〕
- 足した要求=戒告を超えて減給以上を選ぶなら、必要性と不利益の権衡から相当性を基礎づける具体的な事情が要る
- 結論=服装の戒告1回だけでは足りず減給は違法・戒告は適法
1点目。枠組みは、社会観念上著しく妥当を欠くか、のままです。新しい物差しに取り替えたわけではありません。2点目。その枠組みの中で、重い処分を選ぶなら、それを支える具体的な事情を行政が持っていなければならない、という要求を足しました。必要性と不利益の釣り合いを、判断の中に入れて具体化した例です。比例原則の回で見たとおり、この事件では処分歴が、入学式の服装に関する命令に違反した戒告1回だけで、減給は違法、戒告は適法とされました。多数意見は、比例原則という言葉を使いません。補足意見や反対意見には出てきます。
3点目は、審査が濃くなった理由です。比例原則という道具そのものは、審査を濃くも薄くもしません。必要性や均衡性を問う、という型があるだけです。この事件で踏み込みが深くなったのは、処分の不利益が重かったからです。減給は、給与が実際に減ります。しかも事案は、自分の歴史観や世界観から起立しなかった教員に、起立を命じたものでした。思想や良心に関わる面も持っていました。同じ道具でも、不利益が重い場面では、行政に求める説明が増えます。戒告は、不利益が軽いので、基本的に裁量の範囲内とされました。同じ道具を当てても、軽い不利益には、深く踏み込む必要が出ません。踏み込みの深さを決めるのは、道具ではなく、当てはめる場面の重さです。戒告を選ぶ場面では、重い処分を支えるような具体的な事情までは、行政に求められていません。
図:その後の最高裁
- 懲戒・分限の重さを争った例
- 消防職員の停職6月〔最判令4・6・14〕:原審の違法判断を破棄
- 消防職員の分限免職〔最判令4・9・13〕:原審を破棄し適法
- 教員の酒気帯び運転・退職手当の全部不支給〔最判令5・6・27〕:適法
- 共通=裁量の範囲内として行政判断を尊重する型の審査
その後の最高裁の例も、板に並べます。消防職員の停職6か月の事件、消防職員の分限免職の事件、教員が酒気帯び運転をして退職手当を全部支給されなかった事件です。どの事件も、最高裁は、行政の判断を尊重する型の審査で見て、処分を裁量の範囲内としました。前回見た、裁判所が最小限しか踏み込まず、明らかな行き過ぎだけを見る審査です。停職と分限免職の2件は、違法とした原審を破棄しています。比例原則の形で、処分を違法と結論した例は、多くありません。踏み込める典型は、不起立の判決のように、不利益が重いうえ、その重さを支える事情が示されていなかった場面です。逆に、非行の内容が重く、処分に見合うと見られる事件では、裁判所は行政の判断に任せます。
⭐ 論文で書く規範:解釈(判例):枠組みが社会観念審査のままでも、不利益が重い処分(減給以上)を選ぶ場面では、行政に、選ぶことの相当性を基礎づける具体的な事情が求められる(不起立に対する懲戒)。その後の判例は、多くが処分を適法としている (短答・論文共通)
条文に並ぶ選択肢でも、選んでよいとは限らない
図:設例ハの当事者
- A=県知事
- B=仕出し弁当を作る営業者
- 法律〔実在の法律ではない仮定〕「知事は、営業者が許可の条件に違反したときは、営業の許可を取り消し、又は期間を定めて営業の全部若しくは一部の停止を命ずることができる」
- 条文の選択肢=取消し・停止
- 条文の外にも指導という軽い手段がある
不起立の判決では、戒告と減給のどちらを選ぶかが問われました。選択肢が条文に並ぶ場面を、自分で作った事例で確かめます。設例ハで考えます。実在しない仮定の事例です。ある法律に、知事は、営業者が許可の条件に違反したときは、営業の許可を取り消し、又は期間を定めて営業の全部若しくは一部の停止を命ずることができる、という定めがあるとします。食品の営業を規制する法律には、こういう形の定めがあります。知事がA、仕出し弁当を作る営業者がBです。Bが、許可の条件のうち、調理場の記録の付け方に、1回だけ違反したとします。軽い違反です。Aは、指導も、短い停止も飛ばして、許可の取消しを選びました。取消しは、条文に書いてある選択肢です。それでも適法でしょうか?
この取消しは、重すぎて違法になりえます。条文に選択肢として並んでいることと、その選択が適法であることは、別の話です。物差しは、先ほどの4つの問いです。
図:設例ハの選択のはしご
- 上=許可の取消し〔営業の全部を失う〕
- 中=期間を定めた停止〔全部・一部〕
- 下=指導
- 違反=記録の付け方に1回だけ→指導で足りる→必要性〔もっと軽い手段は無いか〕で引っかかる
- 営業を丸ごと失う不利益に対して軽微な違反→均衡性で引っかかる
まず必要性です。もっと軽い手段は無いか。記録の付け方の1回の違反なら、指導で改まるはずです。軽い手段で足りるのに取消しを選んだので、必要性で引っかかります。次に均衡性です。取消しは、Bが営業の全部を失う処分です。軽微な違反に対して、失うものが大きすぎます。釣り合いません。ここで1問です。この違反でAが最初に選べるのは、指導と停止と取消しのうちどれでしょうか。そして、取消しが重いと言えるのは、どの問いからでしょうか?最初に選べるのは指導だと思います。取消しは、営業そのものを失うので、釣り合いが取れない、という均衡性の問いで重いと言えます。最初に選べるのは指導で、取消しは、必要性と均衡性の両方で引っかかります。仮にBが、同じ違反を何度も繰り返して、指導にも従わなかったなら、話は変わります。軽い手段では足りなくなるので、停止、場合によっては取消しが、必要性の問いを通ります。同じ取消しでも、事情によって、適法にも違法にもなります。
裁判所は、選び方の重さを点検できます。この場面は、効果裁量の中で、どの処分を選ぶか、という選択の場面です。前に見たとおり、選ぶ場面で心配なのは、やりすぎです。その幅を狭めるのが、比例原則でした。取消しは条文に書かれた選択肢ですから、法の定める枠を超えたわけではありません。それでも、重すぎれば、社会観念上著しく妥当を欠き、逸脱・濫用になります。ここは、論文で論点になりうる場面です。
⭐ 論文で書く規範:解釈(一般的な整理):条文が選択肢を並べていても、そのどれを選んでもよいわけではない。選び方が目的に対して重すぎれば(必要性・均衡性を欠けば)、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の逸脱・濫用として違法になる (短答・論文共通)
近時の例——ヒグマの駆除とライフル銃の所持許可の取消し
図:事案の関係図
- A=北海道公安委員会
- B=猟友会の支部長で市の鳥獣被害対策実施隊員
- C=市
- Cが出動を要請し市の職員と警察官が住民を避難誘導→Bがヒグマを1発で駆除〔距離18m前後〕→AがBのライフル銃の所持許可を取消し
- 1審は取消しを取り消し・原審は請求を棄却・最高裁は原審を破棄して取消しを違法とした
最近の判決です。猟友会の支部長で、市の鳥獣被害対策実施隊の隊員でもあったBが、ライフル銃の所持許可を取り消されました。鳥獣被害対策実施隊とは、市が設けて、鳥獣による被害を防ぐ活動をする隊で、民間から任命された隊員は非常勤の公務員です。事案です。市Cは、Bにヒグマの駆除を依頼しました。住民の避難誘導は、市の職員と警察官がしました。Bは、ヒグマを1発で駆除しました。推定0歳で、体長80センチほどの小さな個体でした。距離は18メートル前後です。弾丸は、ほかの隊員が持っていた猟銃の銃床に当たりましたが、死傷者は出ませんでした。法律は、弾が届くおそれのある人や建物に向けて撃つことを禁じています。公安委員会Aは、この発射がそれにあたり、銃刀法の違反だとして、Bの所持許可を取り消しました。1審はBの請求を認め、原審は棄却しました。最高裁は、原審を破棄して、取消しを違法としました。裁判官の全員一致です。
図:判断の3段①
- 1段目=取消しは「できる」規定→違反の態様・程度・社会への影響などを総合勘案する公安委員会の効果裁量
- 違反(取消事由)に当たることは前提で、取消すかどうかと取消しという重さが問題
判断は3段です。1段目。取消しは、できる、という形の規定です。違反の態様や程度、社会への影響などを総合して決めるので、公安委員会に効果裁量があります。この事件では、違反に当たることは、最高裁も前提にしました。問題になったのは、取り消すかどうかと、取消しという重い処分を選べるか、です。違反があれば取消しも適法、とは限りません。違反が認められることと、取消しという処分が適法であることは、別です。先ほどの設例ハと同じ形です。違反があるので、取消しができる要件は満たします。そのうえで、取消しを選ぶことが重すぎないかが、問われます。
図:判断の3段②
2段目です。判決は、危害を防ぐ観点から取消しが相当だと言えたとしても、考慮してよい事情がもう1つある、と言います。カードの、上告人は、取消しを受けたB、本件発射行為は、ヒグマへの発射、本件許可は、ライフル銃の所持許可のことです。特措法は、鳥獣の被害を防ぐための法律で、市が実施隊を置いて、隊員に駆除をしてもらう仕組みを定めています。
判例最判令8・3・27 令和7年(行ヒ)第25号
取消しの判断で考慮できる事情 そうすると、銃砲の使用等による人の生命、身体又は財産に対する危害を防止するとの観点からは、本件発射行為を理由とする処分として本件許可の取消しが相当であるといえたとしても、本件発射行為が市の鳥獣被害対策実施隊員であった上告人に対する出動の要請を契機として行われたものであることに照らし、上記取消しをすることが上記特措法の趣旨に沿わない事態を招くおそれを生じさせる場合には、そのことを上記取消しに係る判断において事情として考慮することができるものというべきである。
出動の要請を受けておこなった駆除を取り消すことが、その法律の趣旨に合わない事態を招くおそれがあるなら、それも事情として考えてよい、という意味です。なぜ、銃の許可の取消しで、別の法律の趣旨まで考えてよいのか。取り消す理由になった発射が、その法律の仕組みに乗った、要請を受けての駆除だったからです。要請に応えた駆除で許可を失うなら、市が隊員に駆除を頼む仕組みそのものが回りにくくなるおそれがあります。同じ1つの行為を2つの法律が見ている以上、取消しの重さを測るときに、もう一方の法律の狙いも、はかりに載せてよい、という筋です。何を考えてよいかを法の趣旨から読むこの見方は、判断の過程を見る審査の2回目で、詳しく見ます。
図:判断の3段③
3段目、当てはめです。弾が人に向かう危険はありました。一方で、市の要請があり、住民の避難誘導もされ、距離18メートルの緊迫した状況で、死傷者も出ていません。取消しは、Bに酷であるうえに、隊員が駆除を控えてしまう萎縮を招くおそれがあります。判決は、こう結びました。
判例最判令8・3・27 令和7年(行ヒ)第25号
取消しは違法 以上によれば、本件発射行為を理由として本件許可を取り消すべきとした北海道公安委員会の判断は、重きに失するものとして社会観念上著しく妥当を欠き、本件処分は裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法というべきである。
重きに失するものとして、社会観念上著しく妥当を欠く。税関職員の判決から続く、重すぎる処分を言う文句と、同じ形です。比例原則の問いと重なる当てはめです。補足意見は、均衡を失する、とはっきり述べて、不起立の減給の判決を参照しています。個人の許可の取消しで、隊員としての行為をどう見るかが問題になります。許可はB個人が受けたもので、駆除は、市の要請に応じた隊員としての活動でした。判決は、その活動の公益性や、取消しが隊員を萎縮させるおそれを、取消しの重さを考える事情に入れています。個人の許可の取消しでも、取消しの理由になった行為が公的な要請を受けたものなら、その背景を、重さの評価に入れられる、ということです。逆の場面を考えると輪郭が見えます。市の要請も無く、住民が現実の危険にさらされた無謀な発射なら、取消しは重すぎるとは言いにくくなります。同じ取消しでも、重いか重すぎるかは、目的に対する釣り合いで決まります。
⭐ 論文で書く規範:解釈(判例):違反があって取消しが「できる」場合でも、取消しという重い処分が目的に比べて重すぎるときは、社会観念上著しく妥当を欠き、裁量権の逸脱・濫用として違法になる(効果裁量)。要件を満たすことと、その処分を選ぶことの適法は別 (短答・論文共通)
基本的人権の尊重——剣道実技の判決
図:基本的人権の尊重
- 裁量があっても国民の権利・自由を不当に侵せない
- 人権への配慮は逸脱・濫用の判断で考慮される
- 生命・健康や重要な人権が侵される場面ほど密度の高い審査が求められる、と整理される
- 今日の見方=人権が絡み不利益が大きいと審査が濃くなる側面
残るもう1つが、基本的人権の尊重です。裁量があっても、行政は、国民の権利や自由を不当に侵してはなりません。人権への配慮が足りなければ、裁量の逸脱・濫用の判断に響きます。特に、生命や健康、重要な人権が侵される処分では、裁判所は、密度の高い審査を求められる、と整理されます。今日は、人権が絡むと審査が濃くなる、という側面だけを見ます。考慮すべき事項を考慮したか、という道筋の見方は、判断の過程を見る審査の2回目に回します。密度とは、裁判所が行政の判断に踏み込む深さのことです。普通なら、世間の常識から見て著しくおかしいかだけを見ます。人権が絡む場面では、行政が人権や不利益に十分に配慮したかを、より具体的に点検する。そういう違いです。
図:剣道実技の事件の関係図
- A=高専の校長
- B=信仰上の理由で剣道実技に参加しなかった学生
- 担当教員が代替措置を検討せず体育を不認定→校長Aが原級留置→2年続けて原級留置→退学処分
- 原級留置=進級させず同じ学年に留めること
- 高専=高等専門学校
事案です。高等専門学校、略して高専の学生Bが、信仰上の理由で、剣道の実技に参加しませんでした。担当教員が、代替措置を検討しないまま、体育を不認定にし、校長Aはそれを受けて、Bを原級留置にしました。原級留置とは、進級させず、同じ学年に留めることです。2年続けて原級留置になったので、校長Aはさらに退学処分にしました。最高裁は、これらの処分を違法としました。判断は2段です。処分の重さから求められる配慮と、結論です。まず、処分の重さについての部分です。カードの、D高専は、この学校のことです。
判例最判平8・3・8 民集50巻3号469頁
退学処分・原級留置処分と慎重な配慮 しかし、退学処分は学生の身分をはく奪する重大な措置であり、学校教育法施行規則一三条三項も四個の退学事由を限定的に定めていることからすると、当該学生を学外に排除することが教育上やむを得ないと認められる場合に限って退学処分を選択すべきであり、その要件の認定につき他の処分の選択に比較して特に慎重な配慮を要するものである(前掲昭和四九年七月一九日第三小法廷判決参照)。また、原級留置処分も、学生にその意に反して一年間にわたり既に履修した科目、種目を再履修することを余儀なくさせ、上級学年における授業を受ける時期を延期させ、卒業を遅らせる上、D高専においては、原級留置処分が二回連続してされることにより退学処分にもつながるものであるから、その学生に与える不利益の大きさに照らして、原級留置処分の決定に当たっても、同様に慎重な配慮が要求されるものというべきである。
読みます。退学処分は、学生の身分を奪う重大な措置で、退学事由も限定されています。だから、学外に排除することが教育上やむを得ない場合に限って選ぶべきで、他の処分を選ぶより、特に慎重な配慮が要る。原級留置も、1年間の再履修や卒業の遅れ、2回連続で退学につながることから、その不利益の大きさに照らして、同じように慎重な配慮が要る、と言っています。結論の部分です。
判例最判平8・3・8 民集50巻3号469頁
本件各処分は違法 以上によれば、信仰上の理由による剣道実技の履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別することなく、代替措置が不可能というわけでもないのに、代替措置について何ら検討することもなく、体育科目を不認定とした担当教員らの評価を受けて、原級留置処分をし、さらに、不認定の主たる理由及び全体成績について勘案することなく、二年続けて原級留置となったため進級等規程及び退学内規に従って学則にいう「学力劣等で成業の見込みがないと認められる者」に当たるとし、退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。
対比に注目します。信仰上の理由による履修拒否を、正当な理由のない履修拒否と区別しませんでした。代替措置が不可能でもないのに、検討しませんでした。たとえば、単に怠けて参加しなかった学生と、信仰上の理由で参加できなかった学生を、同じに扱った、ということです。判決は、これを、考慮すべき事項を考慮しておらず、評価が明白に合理性を欠く、として違法としました。判決は、処分が信教の自由を直接制約するものではない、としています。ただ、退学や原級留置という重大な不利益を避けようとすれば、教義に反する行動を取らざるをえなくなる、という性質があります。人権への間接的な制約が、不利益の大きさと重なって、慎重な配慮を求めた、という筋です。言い換えると、不利益の大きさと人権への関わりが、行政に求める慎重さを決めています。慎重さが求められるぶん、その判断を点検する裁判所の目も、深く入ります。これが、審査が濃くなる、ということです。
⭐ 論文で書く規範:解釈(判例):裁量処分でも人権への配慮が必要。処分の不利益が大きく(退学・原級留置)人権に関わる場面では、行政に特に慎重な配慮が求められ、代替措置を検討しないなど配慮を欠けば、社会観念上著しく妥当を欠くとして違法になる (短答・論文共通)
施設を使わせない処分——審査の型はなぜ違うか
図:3つの場面
- 公の施設の使用不許可=集会の自由が絡む
- 行政財産の目的外使用の不許可=施設の本来の用途の外
- 助成金の不交付=表現の自由の萎縮が懸念される
- 見る点=法律の書きぶりと侵される権利の重さ
ここからが、冒頭の問いです。同じ施設を使わせない処分でも、審査の型が違う。3つの場面を並べます。1つ目は、公の施設の使用不許可です。公の施設とは、住民の福祉のために設けた施設で、市民会館や体育館が典型です。公物の回で、目的に沿った使用の原則として見た、地方自治法244条です。その2項を、全文で読みます。
条文地方自治法244条2項
地方自治法第244条第2項 普通地方公共団体(次条第三項に規定する指定管理者を含む。次項において同じ。)は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない。
骨格は、正当な理由がない限り、住民が公の施設を利用することを拒んではならない、です。原則は、使わせる。拒めるのは、正当な理由があるときだけ、という形です。
図:公の施設の使用不許可の読み方
- 集会の自由を実質的に否定しないかを検討
- 条例の「公の秩序をみだすおそれ」を限定して解釈
- 危険の程度=明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されること
- 使用を許可するかを管理者の裁量の問題とはしていない
事件は、泉佐野市の市民会館の使用不許可です。憲法の回で詳しく見ました。条例は、公の秩序をみだすおそれがある場合は、使用を許可してはならない、と定めていました。最高裁は、この条例の読み方を、こう絞りました。
判例最判平7・3・7 民集49巻3号687頁
集会の自由を踏まえた解釈 したがって、本件条例七条一号及び三号を解釈適用するに当たっては、本件会館の使用を拒否することによって憲法の保障する集会の自由を実質的に否定することにならないかどうかを検討すべきである。
判例最判平7・3・7 民集49巻3号687頁
不許可事由の限定解釈 本件条例七条一号は、「公の秩序をみだすおそれがある場合」を本件会館の使用を許可してはならない事由として規定しているが、同号は、広義の表現を採っているとはいえ、右のような趣旨からして、本件会館における集会の自由を保障することの重要性よりも、本件会館で集会が開かれることによって、人の生命、身体又は財産が侵害され、公共の安全が損なわれる危険を回避し、防止することの必要性が優越する場合をいうものと限定して解すべきであり、その危険性の程度としては、前記各大法廷判決の趣旨によれば、単に危険な事態を生ずる蓋然性があるというだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要であると解するのが相当である。
1枚目。会館の使用を拒むことで、憲法の保障する集会の自由を実質的に否定することにならないかを、検討すべきだと言います。2枚目。公の秩序をみだすおそれ、とは、集会の自由を保障する重要性よりも、生命や身体、財産が侵害される危険を防ぐ必要性が優越する場合に限る。その危険は、危険が生ずる蓋然性、つまり起こる見込みがある、というだけでは足りず、明らかな差し迫った危険の発生が具体的に予見されることが必要だ、と読みました。注目してください。この判決は、使用を許可するかを、管理者の裁量の問題にはしていません。条例の言葉を、集会の自由を踏まえて、厳しく絞って読みました。裁判所が、言葉の意味を自分で決めています。行政の判断を尊重する余地が小さい、濃い審査です。この事件では、激しく対立するグループの衝突が具体的に予見されたとして、不許可は適法でした。厳しい枠組みは、違法にもなります。合同葬のために福祉会館の使用を申し込んで不許可にされた事件では、同じ枠組みのもとで、危険が客観的な事実に照らして具体的に明らかに予測されるとは言えない、として、不許可は違法と判断されました。厳しいのは枠組みで、結論は事案次第です。
図:行政財産の目的外使用
- 行政財産=公用・公共用に供する財産
- 施設の本来の用途の外で使わせる許可
- 地自法238条の4第7項「許可することができる」
- 管理者の裁量→裁量を認めたうえで判断要素の選択・判断過程の合理性を見る
2つ目は、行政財産の目的外使用です。行政財産とは、庁舎や学校のように、公用や公共用に供する財産です。ここで1問です。前に読んだ学校施設の使用許可で、学校教育上の支障が無ければ、管理者は当然に許可しなければならないでしょうか?当然には許可しなくてよい、という判決でした。管理者の裁量で、不許可にもできたと思います。支障が無くても、当然には許可しなくてよい、というのが、あの判決でした。根拠は、この条文です。
条文地方自治法238条の4第7項
地方自治法第238条の4第7項 行政財産は、その用途又は目的を妨げない限度においてその使用を許可することができる。
骨格は、行政財産は、用途や目的を妨げない限度で、使用を許可することができる、です。前に読んだ判決は、教職員の団体が、教育研究集会のために中学校の体育館などを借りようとして、不許可にされた事件でした。判決は、管理者の裁量を認めたうえで、判断要素の選択や判断過程に合理性を欠くところがないかを見て、結論としては不許可を違法としました。裁量を認めて、判断の道筋を点検する型です。理由は2つあります。1つ目は、法律の書きぶりです。公の施設は、正当な理由がない限り拒んではならない、と、原則は使わせると書かれています。拒めるかどうかは、正当な理由の有無という、言葉の解釈の問題になります。一方、行政財産は、許可することができる、と書かれていて、許可するかどうか自体が、管理者の判断に任されています。2つ目は、侵される権利の重さです。市民会館の事件は、集会の自由が正面から関わる場面でした。だから、拒める場合を、明らかな差し迫った危険が具体的に予見される場合まで絞って読みました。法律の任せ方と、侵される権利の重さが、審査の型を分けています。
図:助成金の不交付
- 映画の出演者が有罪判決→助成金を交付する団体の理事長が不交付
- 理事長の裁量を認める
- 一般的な公益が害されることを消極的事情として重視できるのは、その公益が重要で、害される具体的な危険がある場合に限る
- 薬物乱用防止の公益に具体的危険は無く、国民の理解という公益は抽象的で重要とは言えない→違法
3つ目は、助成金の不交付です。映画の出演者が薬物の事件で有罪判決を受けたことを理由に、その映画への助成金を、国の芸術文化の助成を担う独立行政法人の理事長が、不交付にした事件です。理事長は、公益性の観点から不交付としました。法人は、交付すれば薬物乱用の防止という公益や、助成への国民の理解という公益が害される、と主張しました。最高裁は、理事長の裁量を認めました。そのうえで、こう述べました。
判例最判令5・11・17 民集77巻8号2070頁
助成金の不交付で重視できる事情 そうすると、本件助成金の交付に係る判断において、これを交付するとその対象とする活動に係る表現行為の内容に照らして一般的な公益が害されるということを消極的な考慮事情として重視し得るのは、当該公益が重要なものであり、かつ、当該公益が害される具体的な危険がある場合に限られるものと解するのが相当である。
判例最判令5・11・17 民集77巻8号2070頁
本件処分は違法 (略)本件処分は、重視すべきでない事情を重視した結果、社会通念に照らし著しく妥当性を欠いたものであるということができる。以上によれば、本件処分は、理事長の裁量権の範囲を逸脱し又はこれを濫用したものとして違法というべきである。
読み方です。裁量は認める。けれど、作品の表現内容に照らして一般的な公益が害される、ということを、交付しない方向に働く事情、つまり消極的な考慮事情として重視してよいのは、その公益が重要で、かつ、害される具体的な危険がある場合に限る、と絞りました。理由は、表現活動への助成を、抽象的な理由で拒めるとすると、表現行為が萎縮するおそれがあるからです。当てはめです。薬物乱用を防ぐ公益が害される具体的な危険は認められず、国民の理解という公益は、抽象的で、重要とは言えません。つまり、重視すべきでない事情を重視した、として違法でした。裁量は認めたまま、重視してよい事情の範囲を絞った型です。
図:2つの想起
- 委任の趣旨を厳格に読んだ例=重い自由の制約ほど、命令に任せたと読める範囲を狭く見た〔最判平25・1・11〕
- 補償額には裁量を否定した例=裁判所が自分で正当な額を認定する〔最判平9・1・28〕
同じ軸の、別の例も思い出します。1つは、第3章で見た、医薬品のネット販売の判決です。郵便などでの販売を一律に禁じた省令について、その販売を事業の柱にしてきた人の職業の自由を大きく縛るので、法律がそこまで省令に任せたと、はっきり読み取れなければ認めない、としました。もう1つは、第5章の前の方で見た、収用の補償金の額の判決です。収用の前後で持ち主の財産価値を等しくする、完全な補償、という基準があるので、額は客観的に決まります。だから収用委員会に裁量を認めず、裁判所が自分で正当な額を認定しました。どちらも、法律がどこまで行政に任せたかを、厳しく読んだ例です。
図:審査の濃さの階段
- 軸=①処分が侵す権利・不利益の重さ②法律が行政に任せている度合い
- 最も濃い=裁量の問題にせず解釈で厳格に絞る〔公の施設の使用不許可・補償額・委任の趣旨〕
- 次=社会観念審査の枠のまま、重視してよい事情や求める配慮を絞る〔助成金の不交付・剣道実技・不起立の減給〕
- 基本=社会観念審査で明らかな行き過ぎだけを見る〔軽い不利益の懲戒〕
並べ直します。審査の濃さを決めるのは、2つです。1つ目は、処分が侵す権利や不利益の重さ。2つ目は、法律がその判断を行政にどこまで任せているか。この2つから、濃さの階段ができます。いちばん濃いのは、裁量の問題にせず、解釈で厳しく絞る型です。公の施設の使用不許可が代表で、いま思い出した2つの判決もここです。法律が行政に任せていない、と読むので、裁判所は行政の判断を尊重する必要が無く、自分で答えを出します。次は、裁量は認めるけれど、重視してよい事情や、求める配慮を絞る型です。助成金の不交付や、剣道実技、不起立の減給が入ります。この3つも、違法とした結論の文句は、社会観念上、あるいは社会通念に照らして、著しく妥当を欠く、でした。枠組みは社会観念審査のままで、その中の物差しを絞ったぶん、深く踏み込みます。基本は、その絞りを足さず、社会観念審査で、明らかな行き過ぎだけを見る型です。軽い不利益の懲戒が、こちらです。学校施設の使用許可は、この階段とは別に、判断の道筋を点検する型で、判断の過程を見る審査の回で扱います。階段を上がるほど、裁判所が自分で判断する、判断代置に近づきます。
⭐ 論文で書く規範:整理(講学上):審査の濃さは、処分が侵す権利・不利益の重さと、法律が行政に任せる度合いで決まる。重い権利の制約ほど、裁判所は踏み込む(解釈で厳格に絞る→社会観念審査の枠の中で重視してよい事情を絞る→社会観念審査で明らかな行き過ぎだけを見る)。判決の言葉ではなく整理の言葉 (短答・論文共通)
今日の地図(保存版)
図:場面ごとの整理表
- 場面
- 裁量の扱い
- 審査の型
- 代表例:重すぎる処分=裁量を認める・社会観念審査・不利益が重ければ具体的な事情を要求
- 人権が絡む重い不利益=裁量を認める・慎重な配慮を要求
- 公の施設の使用不許可=裁量にしない・条例の要件を厳格に限定解釈
- 学校施設の目的外使用=裁量を認める・判断要素と判断過程の合理性
- 助成金の不交付=裁量を認める・重視してよい事情を絞る
冒頭の問いに答えます。同じ施設を使わせない処分でも、踏み込みの深さが違うのは、侵される権利の重さと、法律が行政に任せている度合いが違うからです。市民会館は、集会の自由が絡み、法律は正当な理由を問う形でした。だから条例の読み方そのものが絞られました。学校施設は、許可することができる、という形で、管理者の判断に任されていたので、裁量を認めたうえで道筋が見られました。比例原則は、重すぎる処分を言う物差しです。判例の文句は、社会観念上著しく妥当を欠く。ただ、中身が見えにくく、敷居も高い。不起立の判決は、枠組みを保ったまま、不利益が重い処分には具体的な事情を求めました。ヒグマの判決は、違反があっても、取消しが重きに失すれば違法としました。条文に並ぶ選択肢でも、選んでよいとは限りません。人権が絡み、不利益が大きいときは、行政に求める慎重さが上がります。剣道実技の判決が、その例です。権利が重いほど、裁判所は深く踏み込む。解釈で絞る、重視する事情を絞る、明らかな行き過ぎだけを見る、という階段です。
図:今日の短答の誤り肢
- 免許取消しの判決は比例原則違反を理由に取消しを認めた〔誤り〕
- 不起立の判決は減給を常に違法とした〔誤り〕
- 公の施設の使用不許可は管理者の広い裁量に属し社会観念審査で足りる〔誤り〕
- ヒグマの判決は取消事由が無いとして取消しを違法とした〔誤り〕
- 助成金の判決は交付に裁量は無いとした〔誤り〕
最後に、短答の誤り肢です。免許取消しの判決は、比例原則違反を理由に取消しを認めた、は誤りです。比例原則違反として取り消した下級審の判断が、破棄されました。不起立の判決は、減給を常に違法とした、も誤りです。判決は、戒告は基本的に裁量の範囲内とし、減給を選ぶには相当性を基礎づける具体的な事情が要る、としました。服装の戒告1回だけを理由にした減給が、違法とされたのです。公の施設の使用不許可は、管理者の広い裁量に属し、社会観念審査で足りる、も誤りです。裁量の問題とはせず、条例の要件を、集会の自由を踏まえて厳格に読みました。ヒグマの判決は、取消事由が無いとして、取消しを違法とした、も誤りです。違反に当たることは前提にしたうえで、取消しという処分が重きに失するとして、違法としました。助成金の判決は、助成金の交付に裁量は無いとした、も誤りです。理事長の裁量を認めたうえで、重視してよい事情を絞り、重視すべきでない事情を重視したとして、違法としました。
参照条文
- 地方自治法244条2項
- 地方自治法238条の4第7項