罪刑法定主義(前編)
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第1章 刑法の基本原理 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
この回では、罪刑法定主義がどのような原則であり、なぜここまで国家を縛るのかを確認したうえで、根拠となる憲法の3条文を押さえ、そこから伸びる6つの派生原則のうち前半3つ――法律主義、遡及処罰の禁止、類推解釈の禁止――を「何が禁止で、何は許されるか」まで確認します。
もし「けしからん行為は罰する」だけの条文だったら

ある国の刑法を想像してみます。その国には、条文がたった一つしかありません。「公共の秩序に反する行為をした者は、これを罰する。」これだけで、国の刑法が成り立っているとします。
ある夜、一人の男性が、誰もいない公園で大声で歌っていました。誰にも迷惑をかけていなさそうですが、通りかかった人の一人が「秩序に反する」と通報しました。来た警察官が「けしからん」と思えば罰せられるかもしれませんし、別の警察官なら「元気があっていいね」で終わるかもしれません。つまり、罰せられるかどうかは、その場に来た人しだいであり、歌う前に自分では全く予測できません。極端な話、政府への批判発言も「秩序に反する」とされかねません。「けしからん」の中身を、誰も先に決めていないからです。
この予測できなさの対極にあるのが、罪刑法定主義という原則です。そこからは、6つの派生原則が枝分かれします。前編では、そのうち前半の3つを見ていきます。
意義:あらかじめ・成文の法律で

罪刑法定主義とは、どんな行為が犯罪で、どんな刑罰が科されるかを、あらかじめ、成文の法律で決めておく原則です。「あらかじめ」「成文の」「法律で」――この3つの言葉に、それぞれ意味があります。
「あらかじめ」は、行為をする前に、という意味です。罰せられるかどうかを、行為の後で決めるのではありません。「成文の」は、書かれた文章であることを指します。ただし、さきほどの「けしからん条文」も、一応は書かれていました。あの条文は「何が秩序に反するか」を具体的に書いていなかった点が問題であり、「成文の」には、中身が読み取れるという意味まで含まれます。書いてあれば何でもいいわけではなく、この点は後編で明確性の原則として扱います。
最後が「法律で」です。裁判官の一存や、行政の通達で決めていい話ではなく、誰が決めるかという話につながります。
なぜここまで国家を縛るのか

「悪いことをした人を罰する」というだけでも良さそうに思えますが、なぜここまで国家を縛る必要があるのでしょうか。
はじめの回で見た、法益保護機能と自由保障機能の綱引きを思い出します。広げる力が法益保護、絞る力が自由保障でした。罪刑法定主義は、この自由保障機能を制度として形にしたものです。あらかじめ何が犯罪かを決めておけば、書かれていない行為は自由だと保障されます。さきほどの「けしからん条文」の世界には、その保障がなく、どんな行為も後から「けしからん」と言われかねません。それでは、誰も安心して行動できません。
理由は、それだけではありません。前回見た、「危険な人だから罰する」という主観主義の考え方も関係します。前回は考え方の話でしたが、今日はそれを条文の形にした制度の話です。もう一つの理由は、民主的正統性です。何が犯罪かを決めるのは、国民の代表――つまり国会でなければならない、という考え方であり、裁判官や役所が勝手に決めていい話ではありません。国民の代表が、国民自身を縛るルールを作る。これなら、まだ納得ができます。
たとえば、さきほどの一文「公共の秩序に反する行為をした者は、これを罰する」を、選挙で選ばれた国会が議論して定めた場合と、その場の役所や警察官が自分たちだけで決めた場合とで比べてみます。同じ一文でも、誰が書いたかで受け入れられるかが変わり、一部の権力者が思いつきで決めるのとは大違いです。
自由保障機能の制度化と、民主的正統性。この2つが、罪刑法定主義がここまで国家を縛る理由です。さきほどの「けしからん条文」の世界は、この2つが両方とも欠けていました。誰が決めたかも分からず、何が犯罪かも予測できない、両方が欠けた最悪の状態だったのです。
では、この罪刑法定主義は、実際にどの条文が根拠になっているのでしょうか。3つあり、それぞれ担当が違います。
憲法の3本の柱:31条・39条・73条6号ただし書

1本目です。
条文日本国憲法第31条(法定手続の保障)
何人も、法律の定める手続によらなければ、その生命若しくは自由を奪はれ、又はその他の刑罰を科せられない。
これが、罪刑法定主義の一番大きな土台になる条文です。手続きだけでなく、内容の面でも、この条文が根拠になります。後編で扱う、明確性の原則と、内容の適正、この2つの根拠にもなります。
次の条文です。
条文日本国憲法第39条前段
何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。
行為をした時点で合法だった行為を、後から「違法だった」として罰することはできない、という条文です。これが遡及処罰の禁止です。「既に無罪とされた行為については」の部分は、同じ事件を蒸し返さないという別の原則の話であり、遡及処罰の禁止とは別物として扱います。この条文は、31条と違い、担当がはっきり一つに絞られています。時間の流れに関するルールです。
最後の1本です。
条文日本国憲法第73条6号ただし書
但し、政令には、特にその法律の委任がある場合を除いては、罰則を設けることができない。
政令とは、内閣が制定する命令のことです。73条6号は、本来、内閣が法律を実施するために政令を作ってよい、という条文ですが、ただし書がついています。政令に罰則――つまり刑罰を科す規定を置くには、法律による個別の委任が必要だという縛りです。委任がなければ、内閣が勝手に「これは犯罪だ」と決めることはできません。政令だけでなく、条例に罰則を置く場合にも、同じ発想が及びます。
3つ、それぞれ役割が違います。ここで一度整理しておくと、それぞれの持ち場がはっきり見えてきます。この地図を頭に入れておけば、この後6つの原則を見ていくときに迷いません。
派生原則①法律主義:慣習刑法はなぜダメか

1つ目は、法律主義――成文法主義とも呼ばれます。「法律で」の部分の具体化であり、中身はシンプルです。慣習を、処罰の直接の根拠にしてはならない、という原則です。
慣習とは、たとえば地域の言い伝えのようなものです。「この地域では昔からこういう行為は罰せられてきた」というものを根拠に、罰することはできません。慣習は、誰が決めたのか、はっきりしませんし、文章にもなっていません。誰が、いつ、何を決めたのかが不明確で、しかも国会を通っていない以上、「あらかじめ」も「成文の」も「法律で」も、全部満たさないことになります。だから、慣習を根拠に処罰することは、罪刑法定主義に反します。
ただし、裁判で「この業界の慣習では」という話が出てくることもあります。ここは区別が必要です。慣習を処罰の直接の根拠にすることと、条文の言葉の意味を解釈する材料にすることは、別の話です。たとえば、「水利権」という言葉が条文に出てきたとき、その地域に昔からある水の使用慣行を参考にする場合です。これは、慣習そのものを処罰の根拠にしているわけではなく、あくまで条文にすでにある言葉の意味を確かめているだけです。ここは、断定的に「一切ダメ」と言い切れる話ではありません。直接の根拠にするのはダメ、解釈の材料に使うのは別、ということです。
もう一つ、法律主義には大事な論点があります。委任立法の限界です。さきほどの憲法73条6号ただし書――政令に罰則を置くには法律の委任が必要、というルールを思い出してください。実は、条例にも同じ発想があります。条例に違反した人に罰則を科す規定を置くこと自体は認められており、地方自治法という法律に根拠があります。これは73条6号ただし書と矛盾しません。地方自治法という「法律」が、条例に罰則を置くことをあらかじめ委任しているからです。
個別の委任が要求されないのはなぜでしょうか。条例は、住民の代表である地方議会が作るという点で、国会に準じる民主的正統性を持っています。だから、政令ほど厳格な個別委任までは要求されないと理解されています。深入りはしませんが、地方自治法14条3項という条文があることだけ、名前を押さえておいてください。
慣習の話と、条例の話。法律主義の中には、この2つの側面がありました。「誰が決めるか」という一点を、2つの角度から縛っているのが、法律主義です。
派生原則②遡及処罰の禁止:あとから作った法律で罰せない

2つ目は、遡及処罰の禁止です。根拠は、さきほど見た憲法39条前段――「実行の時に適法であつた行為」は罰せられない、という規定でした。ある行為をした時点では適法だったのに、その後に法律が変わって犯罪とされたとき、変わった法律を、行為をした時点まで遡って適用してはいけない、ということです。行為の時点で予測できなかった処罰を、後出しで科すことになってしまうからです。これも、「あらかじめ」の話につながっています。
ここにも、対になる話があります。禁止されているのは、不利益な方向への遡及だけです。犯人にとって有利な方向の遡及は、むしろ許されます。ある行為をした後で、法律が改正されてその行為への刑が軽くなった場合、重い刑のままではなく、軽くなったほうを適用するということです。これは、刑法6条にはっきり定めがあります。条文の中身は、次回、時間的適用範囲を扱う回でじっくり見ることにして、今日は「有利な方向は許される」という対の関係だけ押さえておきます。
不利益はダメ、有利はOK――当たり前のようにも聞こえますが、シンプルであるだけに、ここを取り違えると答案では致命的な間違いになります。「遡及処罰は全面禁止」と書いてしまう人が、実は多いのです。
この禁止は、時効のようなルールにも関係してきます。事件を起訴できる期間――公訴時効を、後から延長したり、なくしたりする法律が問題になったことがあります。最高裁は、行為時点の違法性の評価や責任の重さを変えるものではない、として、合憲と判断しました。中身の重さは変えず、手続きの期間だけを扱っている、ということです。ここは訴訟法の話まで踏み込む論点なので、名前だけ知っておけば十分です。
派生原則③類推解釈の禁止:不利なほうだけがダメ

次は、類推解釈の禁止です。名前からして難しそうに見えますが、この原則は、法律主義や遡及処罰の禁止とは違って、特定の条文からは来ません。31条を土台にした、罪刑法定主義の考え方全体から出てくるものです。条文ができたあと、それをどう読むかという段階を縛ります。
先に、誤解を1つ正しておきます。「類推解釈の禁止」と聞くと、「解釈すること自体がダメ」だと思ってしまう人が、とても多いのですが、そうではありません。禁止されているのは、被告人に不利益な方向への類推解釈だけです。不利益な方向だけ、というのは、さきほどの遡及処罰の禁止と似た構造であり、ここが今日いちばんの本番です。
そもそも類推解釈とは、条文の言葉が持つ本来の意味の外側にある事柄に、その条文を当てはめることです。言葉の意味には、ある程度、伸び縮みできる範囲があります。ゴムひもを思い浮かべてください。ゴムひもは、ある程度までなら伸ばしても切れませんが、伸ばしすぎると、ぷつっと切れて、別の物になってしまいます。言葉の意味も、これと同じです。伸ばしても切れない範囲で、条文を広げて使うことを拡張解釈と呼び、これは許されます。一方、伸ばしきって、ゴムひもが切れてしまうところまで条文を広げるのが類推解釈です。こちらは、不利益な方向なら禁止されます。同じ「広げる」のに、切れる前と後で扱いが違うのです。
ここで、実際の事件で確認します。
判例大審院判決昭和15年8月22日(過失往来危険罪・刑法129条「汽車」の解釈)
往来の安全を守るという124条から129条までの趣旨からみて、動力の種類が違うだけで、線路上を走り多数の乗客・貨物を運ぶ点は汽車や電車と性質を同じくする。よって「汽車」に含めて処罰することは是認できる。
ガソリンカー事件と呼ばれるこの判例は、「汽車」にガソリンカーは含まれるかが争われたものです。拡張解釈が許された例であり、動力の種類という言葉そのものではなく、条文の趣旨――交通の安全を守るという目的から見て、汽車と同じ性質を持つと判断されました。言葉の意味の範囲内で、目一杯まで広げた、という判断です。
では、ここからさらに広げてみます。たとえば、「バイクを運転して人にケガをさせた者は、これこれの刑に処する」という規定があるとして、これを自転車を運転して人にケガをさせた人にまで当てはめることはできるでしょうか。バイクと自転車は、どちらも二輪車ですが、動力を持つ乗り物か、人の力で走る乗り物か、そこが本質的に違います。「バイク」という言葉を、どう頑張って伸ばしても、自転車までは届きません。ゴムひもが切れてしまう位置です。これを自転車の運転者に当てはめれば、拡張解釈ではなく類推解釈であり、不利益な方向なので禁止されます。ガソリンカーはOKで、自転車はダメ――大事なのは、「言葉の可能な意味の範囲内かどうか」という、一つの物差しです。
では、有利な方向の類推解釈はあるのでしょうか。あります。被告人に有利な方向であれば、類推解釈をしても、罪刑法定主義には反しません。たとえば、さきほどのバイクの規定に、「やむを得ない事情があったときは、刑を軽くすることができる」というただし書があったとします。似た事情にまで、条文の言葉を超えて及ぼす場合でも、有利な方向であれば、条文の言葉の外まで及ぼしても構いません。有利な方向に広げるぶんには、誰も困らないからです。罪刑法定主義が守ろうとしているのは、あくまで被告人の自由です。

整理すると、不利益な類推解釈だけがダメであり、有利な類推解釈と拡張解釈は、どちらも許されます。「類推解釈は全部禁止」と覚えてしまうと、試験で確実に失点します。今日、いちばん持ち帰ってほしい対比です。
前編のまとめ:3条文の上に3つの原則を置く

前編で見た3つを、憲法3条文の地図の上に、もう一度置いてみます。31条からは、慣習を排除する法律主義が伸びていました。誰が決めるか、という縛りです。39条前段からは、遡及処罰の禁止が伸びていました。不利益な方向だけが禁止で、有利な方向は許される、という対でした。73条6号ただし書からは、委任立法の限界――法律主義のもう一つの側面が伸びていました。類推解釈の禁止は、特定の1条文というより、31条を土台にした、罪刑法定主義の考え方全体から導かれるものでした。不利益な方向だけがダメで、拡張解釈は許される、という対です。
冒頭の「けしからん条文の国」も、これで説明がつきます。あの国には、この3つの縛りが、どれもありませんでした。だから、罰せられるかどうかを、誰も予測できなかったのです。
残り3つ――明確性の原則、刑罰法規の実体的適正、そして絶対的不定期刑の禁止――と、6つ全部をつなぐ系図は、後編で扱います。
参照条文
- 日本国憲法第31条(法定手続の保障)
- 日本国憲法第39条前段
- 日本国憲法第73条6号ただし書