刑法の適用範囲(前編)
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第1章 刑法の基本原理 ④/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
この回では、刑法が「いつ」「どこで」の行為に届くのかを扱います。行為時法主義とその唯一の例外である6条、属地主義・旗国主義、そして遍在説による国内犯の判定を、順に確認していきます。
その法律は、いつ・どこ・誰に届くのか

ある人が、ある行為をした後で、その行為に対する法律が変わったとき、行為の時点の法律と、裁判の時点の法律、どちらで裁かれるのでしょうか。直感では「今の法律」のような気もしますが、前回見た罪刑法定主義を思い出すと、答えは違ってきます。
罪刑法定主義は、何が犯罪にあたるかをあらかじめ、成文の法律で決めておくという原則でした。「あらかじめ」ということは、行為の時点で、何が犯罪かがすでに決まっていなければなりません。行為の後になって決まった法律で裁くのだとすれば、それは「あらかじめ」の要請に反してしまいます。
今日は、この「法律がいつ・どこ・誰に届くのか」という境界線を、時間、場所、そして人、この順番で確認していきます。
時間の原則:行為時法主義

刑法の原則は、行為時法主義です。行為の時点で施行されていた法律だけを適用し、施行前の行為には及ばない、という原則です。
これは、前回見た遡及処罰の禁止——実行の時に適法だった行為は、あとから罰せられない、という原則——の裏返しにあたります。新しい独立した原則ではなく、遡及処罰の禁止を、刑法を適用する側から言い直したものです。行為の時点でまだ無かった法律で、あとから遡って罰することはできません。
たとえば、Aさんがある行為をした後で、その行為を新しく罰する法律ができたとしても、Aさんは遡って罰せられません。行為をした時点で予測できないことは罰せられない、という考え方です。
6条:唯一の例外――なぜ有利な変更だけ遡ってよいのか

ただし、この行為時法主義には、1つだけ例外があります。
条文刑法第6条(刑の変更)
犯罪後の法律によって刑の変更があったときは、その軽いものによる。
犯罪が終わったあとに法律が変わって刑が変わったとき、変更前と変更後で軽いほうの刑が適用される、という規定です。たとえば、Aさんが器物損壊にあたる行為をした後に、法改正でその罪の法定刑が軽くなったとします。この場合、Aさんは軽いほうの刑で裁かれます。重いままの法律を、律儀に適用する必要はありません。
逆に、あとから刑が重くなった場合は、6条の出番ではありません。行為の時点の、軽いほうの刑のままです。6条が動くのは、変更が被告人に有利な方向のときだけです。
なぜ、この場合だけ例外が許されるのでしょうか。遡及処罰の禁止は、国家が恣意的に処罰するのを防ぐため——国民を国家の「後出し」から守るための原則でした。では、被告人にとって有利な方向の変更まで拒む理由があるかといえば、それはありません。有利な変更は、後出しであっても被告人の自由を害さないからです。罪刑法定主義の自由保障機能——国家の手を縛って国民の自由を守るはたらき——を、有利な変更は害しません。原則を縛っている理由そのものが、そこでは働かないのです。原則の「なぜ縛るのか」を裏返すと、例外の輪郭が見えてきます。これが、6条が唯一の例外として許される理由です。「軽ければ何でもよい」のではなく、この理由づけを答案でも書けると強くなります。
「犯罪後」はいつからか:実行行為後

「犯罪後」とは、具体的にいつからを指すのでしょうか。実行行為が終わった後、というのが通説です。実行行為とは、その犯罪を実現する行為そのものを指します。人を殺す罪であれば、人を殺す行為そのものです。
実行行為の途中で法律が変わった場合は、6条の出番ではありません。行為の途中である以上、そもそも「行為の時点の法律」という発想自体が、まだ確定していないからです。終わった後でなければ、「犯罪後」とは呼べません。
ここは、長く続く犯罪——たとえば、人を監禁し続ける行為——で特に問題になります。監禁の途中で法律が変わったら、どちらが適用されるかで争いが生じます。この点は、実行行為そのものを学ぶ回で扱います。
刑が廃止されたら:原則は処罰できない、例外は経過規定

さきほどの6条は、刑が軽くなった場合でした。では、刑そのものが丸ごと廃止されたら、どうなるのでしょうか。この場合、原則として、もう処罰できません。
たとえば、ある行為を罰していた条文が、裁判の途中で、改正によって丸ごと削除されたとします。この場合、裁判所は有罪も無罪も判断せずに、手続を打ち切ります。罰する根拠が無くなってしまうからです。手続の上では、免訴という扱いになります。免訴とは、裁判を打ち切って、有罪も無罪も判断しないまま終わらせる手続で、根拠は刑事訴訟法にあります。
これには例外があります。廃止した法律の中に、「罰則の適用については、なお従前の例による」という一文——経過規定——が入っていれば、廃止した後でも、その行為はなお処罰できます。経過規定がある範囲では、廃止が無かったことになる、という扱いです。改正の実務では、よく使われる手当てです。逆に、経過規定がなければ、その行為は本当にもう罰せられません。
限時法の理論:通説は否定

ただ、経過規定は、いつも用意されているとは限りません。ここで、限時法の理論という考え方が出てきます。限時法とは、あらかじめ有効期間が決まっている法律のことです。たとえば、大規模なイベントの警備のために、期間限定で立入禁止区域を設け、そこに入った人を罰する、という法律があったとします。イベントが終われば、その法律も失効します。
ここで、イベント終了の直前に、駆け込みで立入禁止区域に入った人がいたとします。経過規定が無ければ、原則として、この人はもう罰せられなくなります。これは不都合な感じがするため、「限時法だから、経過規定が無くても処罰できる」という理論が主張されてきました。
しかし、通説はこの理論を否定します。刑の廃止は、6条が想定する「刑が軽く変更された場合」の、いちばん極端なかたちにすぎません。軽くなるどころか、ゼロになったということです。6条は、経過規定が無ければ廃止後は処罰できないという建て付けであり、限時法の理論は、経過規定なしにこれを覆すことになるため、6条の趣旨に反します。「不都合だから」という理由で、原則を曲げてはいけません。不都合を解消したいのであれば、あらかじめ経過規定を用意しておくべきだ、というのが通説の立場です。
場所の原則:属地主義と旗国主義

ここからは、場所の話に移ります。なぜ場所の線は、属地主義を原則にするのでしょうか。属地主義とは、その行為が行われた場所——国の領域——を基準にして決める、という考え方です。その国の領域の中の秩序は、その国が守るのが筋であり、証拠も関係者も現地にあるため裁判が現実的だという点にも理由があります。だから、場所の原則は属地主義です。
条文刑法第1条(国内犯)
1項 この法律は、日本国内において罪を犯したすべての者に適用する。 2項 日本国外にある日本船舶又は日本航空機内において罪を犯した者についても、前項と同様とする。
犯人の国籍も、被害者の国籍も、罪の内容も問いません。外国人同士が日本国内で犯罪を起こしても、日本の刑法が適用されます。これが1項、属地主義です。
2項には、間違えやすいポイントがあります。国外にある日本船舶や日本航空機の中は、国内と同じ扱いを受けます。国内にある船が国内犯になるのは1項で当然であり、わざわざ2項があるのは、国外にある船や航空機の中を国内扱いにするためです。公海上を航行中の日本籍の船の中で事件が起きた場合を考えてください。公海の上には、どの国の主権も及びません。日本籍の船の中を国内扱いにしておかないと、誰も裁けない空白ができてしまいます。これを旗国主義と呼びます。
国内犯の意義:遍在説

「日本国内で罪を犯した」とは、どういう意味でしょうか。実は、条文の中には、この「国内」の意味を定めた規定はありません。ここは、通説によって立てられた考え方——規範です。実行行為地でも結果発生地でも、どちらか一方が日本国内にあれば、国内犯として扱われます。これを遍在説と呼びます。
このような定義が必要になるのは、国境をまたぐ犯罪があるからです。たとえば、国外にいる人物が、日本国内の相手に嘘の情報を送り、それを信じた相手が日本国内で財産を渡してしまった、という場合を考えてみます。この場合、実行行為そのものは国外で行われていますが、被害という結果は日本国内で起きています。遍在説によれば、結果発生地が国内である以上、これは国内犯であり、1条1項がそのまま適用できます。
では、実行行為も結果も、両方とも国外で起きた場合はどうでしょうか。この場合は、国内犯には当たりません。どちらも国内に無い以上、1条1項では拾えないのです。だからこそ、そのような場合のために、別の規定——これから見る国外犯——が必要になります。
時間の線・場所の原則――ここまでで分かったこと

ここまでで、時間の線と、場所の線の原則を見てきました。時間は、行為時法主義が原則で、有利な変更のときだけ6条が例外を認めます。場所は、属地主義と旗国主義が原則で、遍在説によって「日本の中で起きたかどうか」を判定できるようになりました。これで、日本の中で起きたことについては、いつの法律で・どこの事件なのかを決められるようになりました。
ただ、大事な問いが1つ残っています。属地主義は、あくまで「日本の中」の出来事を拾う原則でした。日本の外で起きたことは、まだ何も見ていません。日本の外で起きたことに、日本の刑法は届くのか。
参照条文
- 刑法第6条(刑の変更)
- 刑法第1条(国内犯)