刑法ゼロから刑法#99

自殺関与罪と同意殺人罪の4類型

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第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

同じ「受け取って飲んだ」でも、結論が割れる

3つの場面、どれが軽い罪で、どれが普通の殺人罪か 図:3つの場面、どれが軽い罪で、どれが普通の殺人罪か

本人が同意していても犯罪は消えず、刑が軽くなるだけ、というところでしたね。今日はその202条を正面から扱います。まず3つの場面を並べます。どれも、本人か、本人に見える相手が、自分の意思で受け取って飲んでいます。形はよく似ています。同じにはなりません。ここには、199条とは別に、202条というもっと軽い犯罪類型が用意されています。ただし、3つの場面のうちどれが202条にあたるのかは、今の時点ではまだ言いません。まずは、202条という枠そのものの形を、今日1本かけて作ります。この枠がどこまで広がり、どこで区切られるのかが分かって初めて、3つの場面がどちらに落ちるのか、理由も込みではっきり言えるようになります。同意は、刑を軽くすることはできますが、犯罪そのものを消すことはできません。そこが今日1本の背骨です。

202条を読む——4つの類型

条文刑法202条

刑法202条(自殺関与及び同意殺人) 「人を教唆し若しくは幇助して自殺させ、又は人をその嘱託を受け若しくはその承諾を得て殺した者は、六月以上七年以下の拘禁刑に処する。」

関与の形×手を下す主体——4つの類型 図:関与の形×手を下す主体——4つの類型

202条を読みます。1つの文の中に、実は4つの類型が入っています。「教唆し」「幇助して」「自殺させ」という前半と、「嘱託を受け」「承諾を得て」「殺した」という後半に分かれます。前半は、本人がそそのかされて、あるいは手を貸されて、自分の手で死ぬ形です。後半は、本人の依頼や同意を得て、行為者が手を下す形です。関与の形が2つ、手を下す主体が2つ、掛け合わせて4つの類型になります。

自殺関与罪と同意殺人罪の対比 図:自殺関与罪と同意殺人罪の対比

1つめと2つめをまとめて自殺関与罪、3つめと4つめをまとめて同意殺人罪と呼びます。この先も、この2つのグループ名を使って話を進めます。自殺関与罪は本人が自分の手で死に、同意殺人罪は行為者が手を下す——手を下す主体は違いますが、どちらも被害者の意思に関与した行為だという点で共通し、法定刑も同じ6か月以上7年以下です。後半でまとめて扱います。まずは、この4つが入っているという骨格だけ押さえてください。

199条との落差——数字で見る「軽さ」

死刑・無期・5年以上、対、6月以上7年以下 図:死刑・無期・5年以上、対、6月以上7年以下

数字を並べて見てください。199条は死刑、無期、または5年以上の拘禁刑でした。202条は6か月以上7年以下の拘禁刑です。下限で言えば5年以上と6か月以上、上限で言えば無期・死刑まであるものと7年以下。同意という一言が、これだけの落差を生みます。なぜ、ここまで差が開くんですか。理由を一言でいえば、本人が望んだという事情が、行為の違法性をそれだけ大きく減らすからです。たとえば、見ず知らずの相手を無理やり殺す場合と、本人が心から望んで頼んだ場合とでは、結果としては同じ「人が死んだ」でも、行為の悪質さはまるで違います。この差が、6か月以上7年以下という軽さに表れています。

軽くなるならいっそ無罪にしてもいいのでは、という疑問はもっともです。そこが今日いちばん大事な分かれ道です。次に進みましょう。

なぜ罰せられるのか——自殺関与罪の処罰根拠

自殺は違法ではない。では、なぜその手助けは罰せられるのか 図:自殺は違法ではない。では、なぜその手助けは罰せられるのか

自殺そのものは罰せられません。犯罪ではないからです。総論で立てた制限従属性説では、共犯が成立するには、正犯の行為が違法であることが必要でした。ところが自殺そのものには違法性がありません。だとすると、素直に考えれば、自殺への関与も処罰できないはずです。ここに理屈の谷間があります。2つの埋め方があります。1つは、自殺という行為自体を違法だとみてしまう考え方です。これなら、正犯の行為に違法性があることになるので、共犯の理屈をそのまま持ってこられます。自殺そのものは処罰されないのに、正犯の違法性に従属させて説明するのは、たしかに座りが悪い。そこが弱点です。もう1つの考え方は、自殺そのものは違法とみないまま、関与する行為自体に独自の違法性を認める、というものです。他人の生命の存在を、その意思に働きかけて否定する方向へ関与する行為自体が、正犯の違法性とは別に、独自の法益侵害を持つと考えます。

202条は、共犯の従属性の理屈からではなく、独立した犯罪類型として置かれている、と読みます。結論はこちらで通します。

論文で書く規範:【論文で書く規範】自殺に関与する行為は、正犯である自殺行為の違法性に従属するのではなく、関与行為自体が独自に他人の生命侵害という違法性を持つことから処罰される。 (規範(通説で立てる))

たとえば、自殺を望むBに、Aが「死ぬなら今のうちだ」と繰り返しそそのかし、ナイフを渡した場面を考えてください。Bの自殺そのものは違法ではありませんが、Aがそうやって他人の生命の存在を否定する方向へ働きかけた行為自体に、独自の悪さがある、と説明します。総論で作った制限従属性説の射程が、ここでは働きません。202条は、共犯類型ではなく独立の犯罪類型として理解する——この結論を持って、次の話に進みます。

どこからが未遂か——自殺関与罪の着手

関与した時点か、本人が死のうとし始めた時点か 図:関与した時点か、本人が死のうとし始めた時点か

もう1つ、論文でよく問われる論点があります。自殺関与罪の実行の着手は、どこにあるでしょうか。着手というのは、総論で見た、結果発生の現実的な危険が生じた時点、という話でした。候補は2つあります。1つは、Aがそそのかした、あるいは道具を渡した——関与行為そのものが始まった時点。もう1つは、渡された本人であるBが、実際に自殺行為を始めた時点です。関与行為が始まった時点ではなく、本人が自殺行為を開始した時点に着手が認められます。理由は2つ重なります。1つは、未遂犯の処罰根拠から。結果発生の現実的な危険が生じたといえるのは、Aが道具を渡しただけの段階ではなく、Bが実際に毒を飲もうとした、あるいは崖から飛び降りようとした段階です。

もう1つの理由は、同じ202条の中にある釣り合いから来ます。202条には、自殺関与罪だけでなく同意殺人罪も並んで置かれています。同意殺人罪の着手は、行為者が現実に殺害行為を始めた時点で認められます。もし自殺関与罪だけ、それより手前の、関与行為が始まった段階で着手を認めてしまうと、同じ条文の中に並ぶ2つの罪のあいだで、着手の重さの釣り合いが崩れてしまいます。2つの理由が、同じ結論を指しています。

論文で書く規範:【論文で書く規範】自殺関与罪の実行の着手は、関与行為が開始された時点ではなく、これを受けた本人が自殺行為を開始した時点に認められる。 (規範(通説で立てる))

たとえば、Aが毒薬をBに手渡しただけの段階では、まだ着手ではなく予備です。Bがその毒薬を実際に口に運ぼうとした瞬間から、着手にあたります。Aが道具を渡しただけでBがまだ動いていない段階では、自殺関与罪の予備にとどまります。そして202条には、予備を処罰する規定が置かれていません。つまり、Aが道具を渡しただけの段階では、そもそも処罰されないということです。Bが実際に自殺行為に出て初めて、203条の未遂の話に入ります。覚えておいてください。

軽くなる理由、消えない理由

「減る」理由と「消えない」理由は、別の問いへの答え 図:「減る」理由と「消えない」理由は、別の問いへの答え

ここで、さきほどの「いっそ無罪でもいいのでは」という疑問に戻ります。同意があると、なぜ刑は軽くなるのに、消えてなくならないのか。この2つは、実は別の問いに対する、別々の答えです。まず、軽くなる理由。被害者本人が同意している分だけ、行為の悪さ、つまり違法性が小さくなります。本人の意思をまったく無視して命を奪う場合に比べれば、悪質さが下がる——これが被害者の同意による違法性減少です。以前、同意が違法性に与える影響という一般の枠組みを見た回を思い出してください。ただし、そこで見た枠組みは、財産のような処分できる利益であれば、同意によって違法性がゼロになる場合もある、という話でした。生命では、そうはなりません。

生命という利益は、本人が同意したからといって他人に奪わせてよいものとして、刑法は扱っていません。たとえるなら、生命は、名義は本人にあっても、本人の一存だけで他人に壊させることはできない共有名義の財産のようなものです。町内会が管理する共有の倉庫を思い浮かべてください。鍵の名義人は本人だとしても、他人がその倉庫を壊す行為が適法かどうかは、本人1人の意思だけでは決まりません。これが自分ひとりで持っている物置なら、本人が「壊していい」と言った以上、頼まれた人が壊しても問題にはなりません。共有の倉庫は、そうはいかない——生命はこちら側です。

共有の倉庫を、本人の一存だけで他人が壊せないのと同じで、そのたとえのとおりです。生命も、誰の命かという名義は本人にあっても、本人が同意していても、他人がそれを断つ行為そのものが適法になるわけではありません。だから同意は、刑の重さを動かす材料にはなっても、犯罪そのものを消す鍵にはなりません。これが、202条という条文がわざわざ用意されている理由です。無罪ではなく、軽い犯罪類型として置かれている——そこにこの2つの理由が両方効いています。安楽死や尊厳死という言葉が出てくるのも、生命という利益だからこそです。そこは今日は深入りしません。安楽死・尊厳死が問題になる場面も、この202条の枠の中で違法性が阻却されうるかどうかが争われます。その要件は、別の回で正面から扱います。今日はまず、202条という枠そのものの形を作ることに集中しましょう。

嘱託・承諾とは何か、気づかずに殺していたら

頼まれたのか、申し出に同意しただけなのか 図:頼まれたのか、申し出に同意しただけなのか

後回しにしていた「嘱託」と「承諾」の意味です。嘱託は、被害者の側から、殺害してほしいと依頼することです。承諾は、行為者の側からの殺害の申し込みに、被害者が同意することです。Aが「私を殺してほしい」とBに頼めば嘱託、Bが「殺してあげようか」と持ちかけてAが同意すれば承諾です。言い出した側が違うだけで、成立するのはどちらも同意殺人罪です。行為者の側に、殺してほしいと頼まれたことへの認識は必要ですか。必要です。同意殺人罪の故意には、嘱託・承諾があったことの認識が要ります。ここで1つ、気になる場面が出てきます。

気づかずに殺したら、何罪になるのか 図:気づかずに殺したら、何罪になるのか

Aの主観は、普通殺人罪の故意です。ところが客観的に実現したのは、嘱託を受けての殺害、つまり同意殺人罪の中身です。主観と客観がずれています。あのときは、保護法益と行為態様が実質的に重なり合う限度で、軽い方の罪の成立を認める、という考え方でした。ここでも一から組み立て直す必要はありません。同じ枠組みをそのまま当てはめます。殺人罪と同意殺人罪は、重なり合うんですか。重なり合います。判例も、殺人罪と同意殺人罪が重なり合うこと自体は認めています。保護法益はどちらも人の生命で共通していますし、行為態様も殺害という点で共通しています。そのうえで、どちらの罪が成立するかという先の当てはめは、重い方の殺人罪ではなく、軽い方である同意殺人罪の限度で認められる、という処理になります。

論文で書く規範:【論文で書く規範】嘱託・承諾の認識を欠いたまま殺害した場合は、殺人罪と同意殺人罪が構成要件的に重なり合う限度で、軽い同意殺人罪の限度で犯罪の成立が認められる。 (規範(通説で立てる/重なり合うこと自体を認めた判例=最決昭28・9・30))

判例が認めているのは重なり合うこと自体で、どちらの罪が成立するかの処理は一般論の当てはめです。そこは分けて覚えてください。殺人罪と同意殺人罪が重なり合うこと自体は判例が認めています。そのうえでどちらの罪が成立するかという処理は、重なり合いの限度で軽い罪を認めるという一般の考え方を当てはめた帰結です。

今日の地図(保存版)

今日の到達点——202条という枠 図:今日の到達点——202条という枠

今日を振り返ります。202条には4つの類型がありました。教唆と幇助で本人が自分の手で死ぬ自殺関与罪、嘱託と承諾で行為者が手を下す同意殺人罪。法定刑は6か月以上7年以下の拘禁刑で、199条よりはるかに軽いものでした。自殺そのものは違法ではありませんが、関与する行為自体が独自の違法性を持つ独立の犯罪類型として、202条は処罰しています。着手は、本人が自殺行為を開始した時点でした。軽くなるのは、被害者の同意による違法性の減少。消えないのは、本人が同意していても、他人が命を奪う行為そのものが適法にならないからです。同意は刑を軽くすることはできても、犯罪そのものを消すことはできません。嘱託・承諾に気づかずに殺した場合も、重なり合う限度で同意殺人罪が成立する、というところまで見ました。

今日で、202条という枠の形はできました。では、どこまでが「同意した」といえるのか。

参照条文

  • 刑法202条

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