刑法ゼロから刑法#106

遺棄の罪

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第12章 個人的法益①|生命・身体に対する罪 ⑩/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

殺人罪の回の宿題——遺棄の罪への入口

同じ「見捨てた」でも、扱いが違う2つの場面 図:同じ「見捨てた」でも、扱いが違う2つの場面

殺人罪の回を思い出してください。不作為犯が成立するために何が必要だったか、覚えていますか?結果を防ぐべき立場、つまり法律上の作為義務が必要でした。そしてその回で、もう1つの問いを残しました。防ぐべき立場にある人が放置した場合、それは殺人罪になるのか、それとも人を保護すべき者が遺棄した場合の罪にとどまるのか、という切り分けです。境目そのものの当てはめは、遺棄の罪の中身が固まってからでないと意味を持ちません。今日はまず、殺人罪との境目には踏み込まず、遺棄の罪そのものの中身を固めます。例えば、登山ガイドのAが、料金をもらって客のBを案内しているとします。Aは契約でBの安全を引き受けている立場です。標高の高い場所で、Bが体調を崩して動けなくなりました。

ここで、Aが取りうる行動は大きく2つに分かれます。1つは、動けなくなったBをその場に残したまま、A一人で下山してしまうこと。もう1つは、Bを無理やり動かして、誰にも見つからない崖の下まで引きずり下ろし、そこに放置してしまうことです。どちらもBを見捨てている点では同じですが、法律上の扱いは違ってきます。同じように見捨てているのに、何が違うんですか。そこを今日、1本の筋で持ち帰ってもらいます。遺棄の罪には217条、218条、219条の3つがありますが、丸暗記する必要はありません。2つの軸を立てれば、どの条文がどの場面に対応するか、導き出せるようになります。先に答えを言っておきます。軸は、相手との間に距離ができたかどうか、そして相手を自分の手で動かしたかどうか、の2つです。この2つで、その場に残して立ち去るのを罰せるのは218条だけ、という結論まで導けます。

217〜219条の地図

まず、3つの罪の役割だけを見ておく 図:まず、3つの罪の役割だけを見ておく

遺棄の罪には、217条から219条まで、3つの罪があります。217条は単純遺棄罪。主体を問わず、誰であっても、要扶助者、つまり年齢や病気のために、人の助けが無ければ生きていけない人を、遺棄すれば成立しうる罪です。218条は保護責任者遺棄等罪。こちらは主体が、要扶助者を保護する責任のある者に限られます。その代わり、遺棄だけでなく、必要な保護をしないことも処罰の対象に入ります。そして219条は遺棄等致死傷罪。217条・218条の罪を犯し、それによって人を死傷させた場合に、重く処罰する規定です。今日はこの3つの役割だけを頭に入れてください。今日固めるのは、この3つの条文がどう住み分けられているのか、という土台の部分です。

保護法益——生命・身体の安全

遺棄の罪が守っているのは、生命だけか、身体もか 図:遺棄の罪が守っているのは、生命だけか、身体もか

まず、遺棄の罪がそもそも何を守るために存在するのか、保護法益を確認します。ここには対立があります。判例・通説は、要扶助者の生命及び身体の安全を守る罪だと解しています。これに対して、生命の安全に限られるという見解もあります。違いが出るのは、命までは危なくないが、体が傷つくおそれはある、という場面です。たとえば山で、動けないBを、命に別状はないが凍傷になりかねない場所に置いていく場合。生命に限る見解なら対象外になりえ、生命・身体説なら対象に入ります。生命に限定する見解は、218条が「生存に必要な保護」という言葉を使っていることや、身体の安全まで含めると成立する範囲が無限定に広がってしまうことを理由にしています。ですが、219条を見てください。219条は、遺棄によって人を死亡させた場合だけでなく、負傷させた場合も遺棄等致死傷罪として規定しています。死亡だけでなく傷害という結果まで条文に置かれているということは、この罪が身体への危険も想定していることの表れだと考えられます。

219条が傷害の結果まで規定していることを根拠に、判例・通説である生命・身体説が妥当だとされています。今日はこの結論だけ押さえてください。

危険犯——抽象的危険犯

結果が出る前の行為だけで、罪になる 図:結果が出る前の行為だけで、罪になる

次に、遺棄の罪の法的な性質です。遺棄の罪は、要扶助者が実際に死傷するという結果の発生を必要としない危険犯だ、という点には争いがありません。問題はその先で、現実に具体的な危険が生じたことまで要求する具体的危険犯と見るか、それを要求しない抽象的危険犯と見るか、というところで見解が分かれます。遺棄の罪の条文には、危険が発生したことを書く一文があるんですか。ありません。条文の文言上、具体的な危険の発生が要求されていないことから、判例・通説は抽象的危険犯だと解しています。要扶助者を遺棄したという行為があれば、それだけで一律に危険が認められる、という立場です。冒頭の登山の例で言えば、Aが動けなくなったBを崖の下に放置した時点で、Bがまだ死んでも怪我をしてもいなくても、危険は生じたと評価されます。

準抽象的危険犯説

荷物で非常口を塞ぐ行為と同じ発想 図:荷物で非常口を塞ぐ行為と同じ発想

ただし、抽象的危険犯だからといって、遺棄したという事実さえあれば機械的に危険を認めてよいわけではありません。ここで1つ、喩えを挟みます。建物の非常口の前に荷物を積み上げて塞ぐ行為は、実際にまだ火事が起きていなくても、それ自体が消防法上の規制の対象になります。荷物を置いたという行為そのものが、いざというときに命に関わる危険を生みうるからです。遺棄の罪も同じ発想で、遺棄した時点で処罰の対象になります。遺棄の罪でも同じことが起きます。例えば、母親が乳児を道に捨てたものの、木の陰から見守り続け、すぐに第三者に保護されるのを見届けてから立ち去った場合や、新生児を産院のベッドに置いて逃げた場合のように、生命・身体への具体的な危険が実質的に生じなかったと言える事案にまで、一律に処罰を及ぼすのは行き過ぎだと考えられています。

決め手は、この罪を罰する理由そのものです。遺棄の罪を罰するのは、生命・身体を危険にさらすからでした。危険が生じようのない事案では、罰する理由がありません。一方で、条文に危険の発生は書かれていないので、検察官が毎回、現実の具体的な危険を証明しなければならない具体的危険犯には戻りません。そこで、危険は通常あるものとして扱いつつ、ある程度の具体的な危険すら無いと言える事案だけを外に出す。これが準抽象的危険犯説です。純粋な抽象的危険犯説なら、遺棄した時点で成立が確定し、見守っていた事実は関係ありません。準抽象的危険犯説なら、具体的な危険すら生じなかったと言えるので、不成立になります。

「遺棄」と「不保護」の区別——場所的離隔

距離ができるかどうかで、「遺棄」と「不保護」が区別される 図:距離ができるかどうかで、「遺棄」と「不保護」が区別される

条文刑法217条

刑法217条(遺棄) 「老年、幼年、身体障害又は疾病のために扶助を必要とする者を遺棄した者は、一年以下の拘禁刑に処する。」

条文刑法218条

刑法218条(保護責任者遺棄等) 「老年者、幼年者、身体障害者又は病者を保護する責任のある者がこれらの者を遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったときは、三月以上五年以下の拘禁刑に処する。」

ここからが本題です。2つの条文の文言を、実際に比べてみましょう。217条が定めているのは、「遺棄した者は」という一文だけです。これに対して218条は、「遺棄し、又はその生存に必要な保護をしなかったとき」と、2つの行為を並べています。この「又は」の前半が「遺棄」、後半が「生存に必要な保護をしなかった」、つまり不保護です。217条と218条前段が「遺棄」、218条後段が「不保護」にあたります。両者を分けるのは、行為者と要扶助者のあいだに、場所的な距離、つまり場所的離隔ができるかどうかです。遺棄という言葉は、もともと相手を置いて離れること、つまり距離を作ることを指すからです。そばにいて世話だけしない場合は、後段の『保護しなかった』で受け止める、という役割分担になっています。

もう一度、登山の場面を思い出してください。冒頭の2つのパターンは、どちらもAがBのもとを離れています。場所的離隔があるので、どちらも「遺棄」の側に入ります。ここに3つ目のパターンを加えます。例えば、Aは下山も移動もせず、Bのそばに留まり続けたまま、一晩一緒に過ごしたとします。ただし、Aは水も防寒具も与えず、体温が下がっていくBを、ただ見ているだけで、必要な手当てを一切しませんでした。Aは終始Bのそばにいるので、場所的離隔はありません。この場合は「遺棄」ではなく、「不保護」にあたります。218条の言葉で言えば、後段の「生存に必要な保護をしなかった」場合です。

感覚としては近いです。そばにいながら、必要な世話をしないという不作為が、不保護の中身です。そして、217条には不保護に対応する文言がありません。不保護が成立しうるのは、218条後段だけです。

遺棄の2類型——移置と置去り

「遺棄」はさらに、動かしたか動かさなかったかの違いで分かれる 図:「遺棄」はさらに、動かしたか動かさなかったかの違いで分かれる

「遺棄」の側は、実はさらに2つに分かれます。要扶助者を場所的に動かすことで、新しい危険を作り出す「移置」と、要扶助者を動かさずにその場に残して立ち去る「置去り」です。移置は作為、置去りは不作為にあたります。整理しましょう。Aが動けなくなったBを無理やり崖の下まで引きずり下ろして放置したパターンは、Bを実際に動かしています。これが移置です。一方、Aが動けなくなったBをその場に残し、自分だけ下山したパターンは、Bの場所は変わっていません。Aが離れることで場所的な距離ができただけです。これが置去りです。

移置は行為者が能動的に危険な状況を作り出す作為、置去りは行為者が何もしないことで危険を放置する不作為です。ここでの物差しは、Bの側を動かしたかどうかです。刑法が問題にしているのは、Bを守る手当てをしなかったことのほうなので、立ち去ること自体は作為として数えません。ここまでで、遺棄の罪の行為は、移置・置去り・不保護という3パターンに整理できました。あとは、この3パターンが217条から219条のどこに対応するのかを見れば、地図が完成します。

条文対応の導出——なぜ217条の「遺棄」は移置に限られるのか

保護する責任のある者が、218条の主体そのものになる 図:保護する責任のある者が、218条の主体そのものになる

ここが今日の核心です。なぜ、217条の「遺棄」は移置しか含まず、218条の「遺棄」は移置と置去りの両方を含むのか。この違いは、条文の主体の限定にあります。217条は、遺棄する者を誰であるかで限定していません。これに対して218条は、主体を「保護する責任のある者」に限っています。主体の範囲が違うのは分かります。でも、それがなぜ、遺棄の中身、つまり移置か置去りかという話につながるんですか。そこが導出のポイントです。置去り、つまり不作為によって「遺棄した」と言えるためには、不作為犯の回で学んだ、法的な作為義務が必要になります。あの回では、法的な作為義務と、作為の可能性・容易性とを総合して、作為と同じに見られるかという同価値性を判断する、という枠組みでした。今日の導出で効いてくるのは、このうち作為義務のほう、つまり、その人に結果を防ぐべき法律上の立場があるかどうかです。

ここで、置去りで問われる作為義務が、何を守る義務なのかを考えてください。目の前の要扶助者の生命・身体を、危険から守るために手を尽くすべき法律上の義務です。218条が「保護する責任」と呼んでいるのは、まさにこの義務のことです。守る相手も、守るべき中身も同じなので、置去りが「遺棄」にあたるために必要な作為義務を持つ人と、218条が主体として限定している「保護する責任のある者」は、同じ人を指すことになるのです。

ガイドのAと通りすがりのA——同じ置去りでも結論の違いが出る 図:ガイドのAと通りすがりのA——同じ置去りでも結論の違いが出る

まず、本来のAはガイドで、契約によってBの安全を引き受けていました。つまり保護する責任のある者です。だから、AがBを残して下山した置去りは、218条前段の遺棄にあたります。ここで、もう一段考えてみましょう。もしAが、Bとは契約も関係もない、通りすがりの登山者だったとします。この場合、Aには法的な作為義務がありません。Aがその場を離れて下山しただけなら——つまり置去りの形なら——法的な作為義務が無い以上、遺棄にはあたらず、犯罪は成立しません。道徳的には見捨てていても、通りすがりのAがその場に残して立ち去るだけなら、遺棄の罪にはなりません。ですが、もしその通りすがりのAが、Bを自分の手で崖の下まで引きずり下ろして放置したなら、話は別です。これは移置であり、契約や関係の有無にかかわらず、Aが自分の行為で新しい危険を作り出しています。移置は、保護する責任の有無を問わず、誰がおこなっても217条の対象になりうる作為だからです。

つまり、置去りで処罰できる者は、全員が218条の主体に入ってしまいます。217条に置去りを読み込んでも、217条だけで処罰できる者は一人も残らないのです。ここから、217条の「遺棄」は移置だけを意味し、218条前段の「遺棄」は移置と置去りの両方を意味する、という帰結が導き出せます。217条は主体を限定しない代わりに、行為を作為である移置に絞り、218条は主体を保護責任者に限定する代わりに、不作為である置去りまで取り込んでいるのです。丸暗記ではなく、作為義務の所在から論理的に出てくる結論だと理解してください。

判例の到達点

判例も、この立場に沿って積み上がっている 図:判例も、この立場に沿って積み上がっている

この帰結は、判例の積み重ねとも一致しています。218条の「遺棄」に、置去りという不作為が含まれるとした判例はあります。一方で、217条の不作為による単純遺棄を認めた判例は存在しません。このことから、判例も、先ほど導いた通説と同じ立場に立っていると解されています。今日はこの判例を、「218条の遺棄には置去りが含まれる」という一点だけで押さえてください。

今日の地図(保存版)

2つの軸で、条文の守備範囲が決まる 図:2つの軸で、条文の守備範囲が決まる

今日の内容を、冒頭の登山の場面に戻して整理します。場所的離隔の有無で「遺棄」か「不保護」かが決まり、遺棄はさらに、作為か不作為かで「移置」か「置去り」かに分かれます。Bを崖の下まで動かして放置すれば移置、Bをその場に残して立ち去れば置去り、Bのそばに留まりながら世話をしなければ不保護です。そして、置去りが「遺棄」にあたるには法的な作為義務が必要で、その作為義務を持つ人こそが、218条の言う保護する責任のある者だった、という話でしたね。だからこそ、主体を限定しない217条の「遺棄」は移置だけを意味し、主体を保護責任者に限る218条前段の「遺棄」は移置と置去りの両方を意味します。217〜219条を個別に丸暗記するのではなく、この2つの軸から条文の守備範囲を導き出せるようになれば、今日の目的は達成です。そして、殺人罪の回で残した、殺人罪と遺棄の罪の境目という問いにも、そこで初めて答えが出せるようになります。

参照条文

  • 刑法217条
  • 刑法218条

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