死者の占有
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第15章 個人的法益④|財産に対する罪①(総論・窃盗・強盗) ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前回の受けから
図:腕時計に気づいたのは、殺す前か、後か
前回、占有の意義と、占有の帰属を固めました。今日は、その占有の考え方を、特殊な場面に当てます。被害者が、すでに死亡している場面です。1つ、考えてみてください。Qが、Pを殺害してしまいました。そのあとになって初めて、Pの腕時計に気づき、持ち去りました。これは、窃盗罪になるでしょうか。死んだ人からはもう盗めない、落ちている物を拾うのと同じではないか。多くの人が、最初はそう感じます。実は、答えは、誰が、いつ奪ったかで変わります。今日は、そこを一緒に確かめていきます。
死者の占有という論点の所在
図:死者にも「占有」はあるのか
前回の2つの要件は、何でしたか?占有には、事実上の支配と、支配する意思が要りました。では、死んでしまった人には、その2つが成り立つでしょうか?死んでいたら、支配する意思なんて、持ちようがない気がします。そこが今日の入り口です。もう一度、235条を確認しましょう。
条文刑法235条
刑法235条(窃盗罪) 他人の財物を窃取した者は、窃盗の罪とし、十年以下の拘禁刑又は五十万円以下の罰金に処する。
前回見たとおり、「窃取」の定義には「他人の占有」が組み込まれていました。ここが今日の出発点です。人が死亡したあと、生前占有していた財物を持ち去る行為を、どう扱うか。これが、今日のテーマです。実は、この問いは3つの場合に分けて考える必要があります。1つ目、最初から奪うつもりで殺した場合。2つ目、殺したあとになって初めて奪う気になった場合。3つ目、殺した本人ではない第三者が奪う場合です。冒頭のQとPの例は、2つ目にあたります。順番に見ていきましょう。
場合分け ①——最初から奪うつもりだった場合
図:最初から奪うつもりなら、争いはない
まず1つ目、最初から奪うつもりで人を殺し、財物を奪った場合です。この場合は、強盗殺人罪が成立します。財物を奪う意思で人を殺害する罪です。殺す時点で、もう奪う意思があるので、この定義にそのまま当てはまります。ここに争いはありません。どの学説を採っても、結論が変わらないという意味です。強盗殺人罪の中身は、また別の回でじっくり扱います。今日は、これが中心ではない、ということだけ押さえてください。冒頭のQとPのように、殺したあとで奪う気になった場合です。ここから、対立が始まります。
場合分け ②——殺害後に奪う気になった場合
図:なぜ強盗殺人罪にならないのか
冒頭のQとPの例に戻りましょう。Qは、殺害の時点では、財物を奪うつもりはありませんでした。強盗殺人罪は、財物を奪う意思で人を殺害する罪でした。Qには、殺害の時点でその意思がありませんでした。だから、強盗殺人罪は成立しません。何の罪にもならないわけではありません。窃盗罪が成立するかが、次の問題です。ただ、Pはすでに死亡しています。窃取には、「他人の占有」が必要でした。死亡したPに、事実上の支配と支配する意思が、なお認められるのか。これが、今日の中心です。死者の占有をどう扱うかで、学説が分かれます。3つの考え方を、順番に見ていきましょう。
占有離脱物横領罪説
図:死者の占有はゼロ
1つ目は、占有離脱物横領罪説です。結論が、そのまま名前になっています。この説は、シンプルです。死者には、財物への事実上の支配も、支配する意思も、もう存在しません。だから、死者の占有は一切認められない、と考えます。占有がゼロなら、窃取の前提になる「他人の占有」がありません。235条の要件を満たさない以上、窃盗罪は成立しません。Qの行為は無罪になるんですか。違います。窃盗罪ではなく、別の罪が成立します。占有を離れた財物を横領する、占有離脱物横領罪です。
条文刑法254条
刑法254条(遺失物等横領) 遺失物、漂流物その他占有を離れた他人の物を横領した者は、一年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金若しくは科料に処する。
条文にある「占有を離れた他人の物」、ここが今日の対立の分かれ目です。イメージとしては、道に落ちている財布を拾うのと、法律上は同じ扱いです。この説は、まさにその直感を、そのまま法律の言葉にした考え方なんです。
判例・多数説——生前の占有をなお保護する
図:出発点は同じ、そのあとが違う
ところが、判例と多数の学説は、違う結論を採ります。出発点は、実は同じです。死者に事実上の支配も意思も無い、死者の占有そのものは否定する。ここまでは、占有離脱物横領罪説とまったく同じです。判例・多数説はここでもう1歩、踏み込みます。死者の占有ではなく、被害者が生きていたときの占有に注目するんです。死亡した瞬間に、占有はいったん消えます。ここは同じです。ただ、一定の条件のもとでなら、その生前の占有をなお保護してよい。判例・多数説は、そう考えます。
図:規制線が、まだ揺れているうちに
イメージしやすいように、たとえで考えましょう。占有を、立入禁止のテープが張られた陣地だと考えてください。Pが死亡した瞬間、そのテープはいったん切れます。もう、誰の陣地でもなくなるのが原則です。ただ、そのテープを自分で切った本人がいます。Q自身が、揺れがおさまる前に内側へ踏み込んだら、どうでしょうか。切った本人が、切った直後に、ということですね。この場合だけは、法はまだ「侵入」があったとみなします。自分がたった今切った規制線の内側に、そのまま踏み込んでいるからです。もし、しばらく経ってから踏み込んだのなら、もう保護されません。テープはすっかり外れ、そこはただの空き地になっています。この2つの条件を、判例・多数説は明確に示しています。1つ目、財物を奪ったのが、被害者を死亡させた犯人自身であること。2つ目、その死亡と、時間的にも場所的にも近い範囲内であること。
両方を満たす場合を考えましょう。犯人が、被害者を死亡させたことを利用して財物を奪う。その一連の行為を、1つのまとまりとして見ます。そして、生前の占有を侵害したと考えます。
⭐ 論文で書く規範:死者の占有——判例・多数説の規範 「死者の占有それ自体は否定されるが、被害者が生前有していた占有は、①被害者を死亡させた犯人との関係では、②死亡と時間的・場所的に近接する範囲内にある限り、なお刑法的保護に値する。犯人が被害者を死亡させたことを利用して財物を奪取した一連の行為を全体的に観察して、生前の占有を侵害したと解し、窃盗罪が成立する。」 (規範(判例・多数説))
例えば、冒頭のQとPの例で確認しましょう。Qは、Pを死亡させた本人で、犯行直後、その場で奪っています。1つめも2つめも満たすので、窃盗罪が成立します。一方、奪ったのが、まったく無関係の別の人だったらどうでしょうか。それなら、1つめの条件を欠きます。その場合は、窃盗罪は成立しません。この考え方の決め手は、法益の保護です。犯人自身が、自分の作り出した状況を利用して、その場で財物まで奪う。これを、落ちている財布を拾ったのと同じ軽い罪で済ませてよいか。それでは、財産を守るという窃盗罪の役割にそぐいません。
だから、判例と多数の学説は、この場合に窃盗罪を認めるんです。
死者の占有肯定説
図:死者にも占有を認める
もう1つ、少数説も紹介しておきます。死者の占有肯定説です。この説は、そもそも死者にも占有を認めてしまいます。死者にも占有を認めれば、端的に窃盗罪が成立する、という考え方です。ここまでの2つの説が共有する出発点、その前提そのものを否定しているわけです。ここが、肯定説への一番の批判になります。人が死亡すれば、意思能力そのものが失われます。占有の要件である支配する意思を、死者に認めるのは無理があります。だから、肯定説は少数にとどまっています。
3つの説を並べる
図:3説の比較——分かれ目は、生前の占有の残し方
ここで、3つの説を並べてみましょう。死者の占有そのものは、占有離脱物横領罪説と判例・多数説が否定し、肯定説だけが認めます。冒頭のQの行為は、占有離脱物横領罪説なら占有離脱物横領罪。判例・多数説と肯定説なら、窃盗罪です。分かれ目は、死者の占有そのものではなく、生前の占有をなお保護するかどうかです。判例・多数説は、①犯人との関係、②時間的・場所的近接。この2つの条件でだけ、生前の占有を残します。この2条件が、今日いちばんの軸です。しっかり押さえてください。
判例の確認——腕時計を奪った事案
図:冒頭の例そのものの判例です
実は、この考え方は、実際の最高裁の判決から来ています。野外で人を殺害したあと、その場で初めて奪う気になった。犯行直後、その現場で、被害者が身につけていた時計を奪い取った。そういう事案です。最高裁は、この行為に、窃盗罪が成立すると判断しました。
判例最高裁判所第二小法廷判決(昭和41年4月8日・刑集20巻4号207頁)
最高裁判所判決——野外で人を殺害した直後、その現場で被害者の時計を奪った事案 被告人は、当初から財物を領得する意思は有していなかつたが、野外において、人を殺害した後、領得の意思を生じ、右犯行直後、その現場において、被害者が身につけていた時計を奪取したのであつて、このような場合には、被害者が生前有していた財物の所持はその死亡直後においてもなお継続して保護するのが法の目的にかなうものというべきである。そうすると、被害者からその財物の占有を離脱させた自己の行為を利用して右財物を奪取した一連の被告人の行為は、これを全体的に考察して、他人の財物に対する所持を侵害したものというべきであるから、右奪取行為は、占有離脱物横領ではなく、窃盗罪を構成するものと解するのが相当である。
この判決の言う「所持」は、今日の「占有」と同じ意味です。判決の言葉をたどってみましょう。①占有を離脱させた自分の行為を利用して、②犯行直後、その現場で、その占有を離脱させた行為とは、殺害のことです。この2つの条件が、ちょうど重なっているのが分かります。理由も、はっきり書かれています。生前の占有を、死亡直後もなお保護するのが法の目的にかなう。そういう一文です。そして、一連の行為を全体として見て、所持を侵害したと結論づけています。だから、冒頭のQには窃盗罪が成立します。ここで、少し考えてみてください。もし、Qが殺害する場面を、物陰から偶然見ていたRという人がいたとします。Qが立ち去ったあと、Rが、遺体から腕時計を持ち去りました。
この場合、①と②のどちらの条件が欠けるでしょうか。考えてから、答え合わせをしましょう。①の条件は、被害者を死亡させた犯人自身であることでした。
場合分け ③——無関係の第三者が奪う場合
図:犯人ではない者が奪うと
Rは、Pを死亡させた犯人ではありません。ですから、①の条件を満たしません。判例・多数説の2つの条件は、両方そろって初めて、生前の占有をなお保護します。1つでも欠ければ、保護は及びません。判例・多数説からも、Rには窃盗罪は成立しません。占有離脱物横領罪が成立するにとどまります。Rの持ち去りは、Qの殺害とは別の行為です。一連の行為として見られないので、生前の占有を侵害したとは言えないんです。
時間・場所が離れている場合
図:半年後に戻ってきたら
もう1つ、別の場合も考えてみましょう。今度は、Qが犯人自身だとします。ただし、その場ですぐには奪わず、半年経ってから改めて戻って持ち去ったとします。①は満たします。では、②はどうでしょうか。半年も経っていたら、時間的に近いとは言えない気がします。②の時間的・場所的近接を欠きます。生前の占有を保護できるのは、死亡の直後だけです。テープは、もうすっかり外れています。①だけを満たしても、②を欠けば、生前の占有は保護されません。この場合も、占有離脱物横領罪にとどまります。2つの条件は、どちらも欠かせません。
図:欠ける条件は違っても、結論は同じ
2つの場合を、並べてみましょう。第三者Rが奪う場合は、①の条件を欠きます。犯人Q自身が、時間を置いて奪う場合は、②の条件を欠きます。Rの場合も、半年後のQの場合も、殺害と一連の行為として奪った、とは言えません。この2つの条件を両方満たすときだけ、例外的に窃盗罪が成立する。これが、判例・多数説の骨格です。
今日の地図(保存版)
図:今日のまとめ
今日の内容を整理しましょう。死者の占有をめぐっては、3つの場合分けがありました。最初から奪う意思があった場合は、強盗殺人罪で争いなし。殺害後に奪う意思を生じた場合が、今日の中心でした。無関係の第三者が奪う場合は、また別の帰結でしたね。死者の占有そのものは、どちらの説も否定します。分かれ目は、生前の占有をなお保護するかどうかでした。判例・多数説は、①犯人自身であること、②時間的・場所的近接。この2条件がそろったときだけ、生前の占有を保護し、窃盗罪の成立を認めます。1つでも欠ければ、占有離脱物横領罪にとどまる。冒頭の問いにも、これで答えが出ましたね。QとPの例は、①も②も満たしていたので、窃盗罪が成立します。
参照条文
- 刑法235条
- 刑法254条