詐欺罪の処分意思
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第16章 個人的法益⑤|財産に対する罪②(詐欺・恐喝・横領・背任・盗品・毀棄) ③/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
家具は渡した、でも中身は知らなかった
図:気づかれず持ち去ったのか、だまして手放させたのか
家具を渡す認識はあっても中の現金には気づいていなかった今回の場面が、詐欺罪になるか窃盗罪になるかは、だまされた店主の頭の中で何が分かっていれば足りるか、という物差しの取り方で割れます。今日は、前回立てた処分行為の定義の続き、その内側にある被欺罔者の認識、つまり処分意思の話に入ります。
処分行為の主観面——何を分かっていれば「手放した」と言えるか
図:処分行為とは何でしたか
前回学んだ処分行為の定義、覚えていますか?だまされた意思に基づいて、財物か利益の支配を、終局的に相手へ移す行為でしたね。前回は、この定義の外側、つまり「終局的かどうか」という客観面を見ました。今日はその内側、だまされた本人の頭の中、つまり主観面に入ります。冒頭の古道具屋の例で考えてみましょう。店主は、家具という物を客に渡す意思はありました。でも、家具の引き出しに現金が入っていることには気づいていません。
条文刑法246条
刑法246条(詐欺) 1項:人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の拘禁刑に処する。 2項:前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。
ここで条文を、もう一度確認しておきます。1項が財物、2項が財産上の利益です。今日は、この両方について、処分行為の主観面を見ていきます。
図:家具は渡す、現金は渡す気が無い
なお、客は嘘は言っていません。詐欺を問題にするなら、中身に気づいたのに黙って買う点を、前々回見た、告げるべき義務があるのに黙っている不作為による欺罔行為として見ることになります。それが処分行為に向けられた欺罔と言えるかどうかが、店主の頭の中で決まります。ここで問題になるのが、処分行為と言えるには、被欺罔者が何を分かっている必要があるか、という問いです。個々の中身、つまり現金まで分かっていないと処分行為とは言えないのか。それとも、家具という物が移ることさえ分かっていれば足りるのか。ここで、考え方が2つに分かれます。
意識的処分行為説——個々の中身までの認識を求める
図:意識的処分行為説
⭐ 論文で書く規範:意識的処分行為説 「処分行為があるといえるためには、被欺罔者において、特定の財物が相手方に移転することの認識まで必要である。」 (規範(対立型・判例=最決昭30・7・7))
1つ目は、意識的処分行為説です。処分行為があると言えるには、特定の財物、たとえば現金封筒そのものが相手へ移ることの認識まで必要だ、という考え方です。詐欺罪は、被欺罔者自身の意思に基づいて占有が移るという構造の犯罪です。だとすれば、その意思が向いている対象は、渡す物の個々の中身にまで及んでいなければならない、という理由です。この考え方を古道具屋の例に当てはめるとどうなるでしょうか。店主は、現金の存在に気づいていないので、現金を移すという認識はありませんね。この説からは、現金についての処分行為が無いことになります。処分行為が無ければ、そもそも現金に向けられた欺罔行為も考えられません。前回見たとおり、処分行為があれば詐欺、無ければ窃盗として検討する、ここが2つの罪の分かれ目でした。しかも前々回見た4つの輪のとおり、入口の欺罔行為が無ければ未遂にすらなりません。だから現金の部分は、窃盗罪として検討することになります。
無意識的処分行為説——何かが移る認識で足りる
図:無意識的処分行為説
⭐ 論文で書く規範:無意識的処分行為説 「処分行為があるといえるためには、被欺罔者において、財物が相手方に移転することの認識があれば足り、移転する財物の個々の内容についてまで認識している必要はない。」 (規範(対立型・自説=学説で立てる/判例は意識的処分行為説))
2つ目は、無意識的処分行為説です。処分行為があると言えるには、何らかの財物が相手へ移ることの認識で足り、個々の中身までは分かっていなくてよい、という考え方です。たとえば、安い商品の箱に高い商品をこっそり詰めて、そのままレジで会計させる場面を考えてください。店員は、箱が客の手に渡ることは分かっていても、中の高い商品が移ることには気づいていません。このように、移る物そのものに気づかせないのが、詐欺の典型です。それを理由に処分行為を否定してしまうと、詐欺の本質的な部分を外して考えることになり、妥当ではない、という理由です。古道具屋の例では、店主は家具という財物が移ることは、はっきり認識しています。
この説からは、家具という財物についての認識で足り、処分行為があったことになります。だまされて処分行為までしている以上、4つの輪はすべてつながり、現金の部分も含めて、詐欺罪が成立することになります。被欺罔者の頭の中の認識を、どこまで細かく見るか、その物差しの違いが、罪名そのものを分けているわけです。
誤解の予防——2段の物差し
図:認識には2段ある
ここで、誤解しやすい点を確認しておきます。無意識的処分行為説という名前だけを聞くと、認識はゼロでよいと誤解しがちです。実は、認識ゼロでは処分行為になりません。被欺罔者の認識は、2段に分けて考える必要があります。1段目は、何らかの財物が移ることの認識。2段目は、その個々の中身までの認識です。争いがあるのは2段目だけで、1段目は両説とも必要だという点で一致しています。少し止めて考えてみてください。この場合は、意識的処分行為説からも、無意識的処分行為説からも、処分行為はありません。1段目の認識すら欠けているからです。何かを手放しているという自覚すら無ければ、それは本人が渡したのではなく、知らないうちに持ち去られただけ、つまり窃盗の形そのものだからです。結論は、両説とも窃盗罪になります。無意識的処分行為説であっても、認識ゼロでは処分行為にならない、ということを確認しておいてください。
2項詐欺での処分意思——準占有を手放す認識
図:財物が無い場合、何を手放すのか
ここまでの物差しは、財物を対象にする1項詐欺の話でした。次は、財産上の利益を対象にする2項詐欺で、同じ物差しをどう当てはめるかです。財物の占有に当たるものは、代金債権の準占有です。事実上、弁済を求めたり促したりできる状態のことを、こう呼びます。この準占有を基準に、同じ2段の物差しを当てはめます。1段目は、準占有が終局的に移ることの認識。2段目は、相手の債務を免除することの認識です。設例で見てみましょう。深夜営業のバーで、会計前の客が「近くのコンビニでお金を下ろしてきます」と店員に告げ、店員が一人での外出を許可しました。実際には所持金があったのに、客はそのまま戻りませんでした。
図:一人での外出を許した店員の頭の中
外出を許してしまうと、相手はもう店の目の届かない場所にいて、いつ戻るか、戻るかどうかさえ店側には分かりません。事実上、支払いを求めたり促したりできる状態が、そこで失われてしまうんです。これが、代金債権の準占有が終局的に移る、という意味です。ここでも意識的処分行為説と無意識的処分行為説で結論が分かれます。意識的処分行為説からは、店員はあくまで一時的な外出だと思っていて、外出を許すことが、中身としては代金を諦めること、つまり相手の債務を免除することだという認識までは持っていません。1項の家具の中の現金に当たるのが、この「代金を諦める」という中身です。2段目の認識が無いので、処分行為なし。2項詐欺は成立せず、前回見た、利益だけをこっそり得る、いわゆる利益窃盗の形になります。窃盗罪の条文は「財物」しか書いていないので、利益窃盗を罰する条文は無く、結局は不可罰です。
無意識的処分行為説からは、店員は一人での外出を許可した時点で、代金債権の準占有が終局的に移ることは認識していると評価できます。1段目の認識があれば足りるので、処分行為が認められ、2項詐欺が成立します。なお、この後見る最高裁の決定は、バーの例とは別の、客が店先まで見送りに出たまま逃げた事件についてのものです。その決定は、債務免除の意思表示までを求めていて、意識的処分行為説に立つものと評価されています。ここは、対立の構造だけつかんでおいてください。
両説が揃って処分行為を否定する場面
図:まだ請求できると思っている、という状態
ここまでは、2説の結論が割れる場面を見てきました。最後に、両方の説が揃って処分行為を否定する場面を見ておきます。店内のトイレに行く、あるいは店先まで知人を見送る、というだけで、相手が姿を消してしまう場合です。バーの例では、店員は客が店の外に完全に出ることを許可していました。トイレや見送りでは、店員はあくまで、すぐそこに戻ってくるはずだと思っています。まだ請求できる状態にあると思っているわけです。同じ「外に出す」でも、店側がどこまでの支配の喪失を許容したか、そこが違うわけです。ここでは、準占有が終局的に移ることの認識、つまり1段目の認識すら欠けています。1段目が無い以上、意識的処分行為説からも、無意識的処分行為説からも、処分行為はありません。処分行為が無いまま利益だけを得ても、利益窃盗は不可罰でしたね。
実際にあった事件で、この場面が問題になったものがあります。客が料亭で宿泊と飲食を重ねたあと、「自動車で帰宅する知人を見送ってきます」と店の主人を欺いて店先まで出たまま、逃げてしまいました。
図:見送りのために店先まで出たまま逃げる
実は、この事件は、以前、無銭飲食で詐欺罪が既遂になる時点を確認したときと、同じ事件です。あのときは、支払う意思を装って宿泊・飲食させた時点そのものが問題でした。今日見るのは、その事件の別の場面、店先での見送りの部分です。
判例最高裁判所決定(昭和30年7月7日)
見送りを装った逃走と債務免除の意思表示 「相手方たる債権者を欺罔して債務免除の意思表示をなさしめることを要するものであつて、単に逃走して事実上支払をしなかつただけで足りるものではない」
最高裁は、財産上不法の利益を得たと言えるには、相手方の意思による場合でなければならないとしたうえで、相手方たる債権者を欺いて、債務免除の意思表示をさせることが必要であって、単に逃げて事実上支払わなかっただけでは足りない、としました。そのうえで、見送りを装った逃走だけをもって2項詐欺の既遂とした原判決を、失当だと判断しています。まだ請求できる状態だと思っている以上、準占有が終局的に移る認識すらありません。両説とも処分行為なし、という今日の整理と、そのまま重なる判断です。この判旨は、2段目まで求める意識的処分行為説に立つものと評価されています。ただ、この事案では1段目の認識すら欠けているので、どちらの説に立っても結論は同じになります。
この客は無罪になったんですか。違います。そこは分けて理解してください。この客は、見送りの前、すでに宿泊と飲食を受けている時点で、支払う意思が最初から無かったんです。最高裁は、その時点ですでに詐欺罪が既遂に達しているとして、結局は上告を棄却し、有罪を維持しました。今日学んだのは、あくまで「見送りだけでは2項の処分行為にならない」という部分の法理であって、事件全体の結論とは別の話だと考えてください。
今日の地図(保存版)
図:今日の比較表——2説×4場面の結論
今日は、処分行為の主観面、被欺罔者がどこまで分かっていれば足りるかを見てきました。物差しは常に2段。何らかの財物や利益が移ることの認識は、両説とも必要です。争いがあるのは、その個々の中身までの認識が必要かどうか、という2段目だけでした。意識的処分行為説は2段目まで求め、無意識的処分行為説は1段目で足りるとする、という違いでしたね。この対立は、財物を対象にする1項でも、利益を対象にする2項でも、同じ形で現れます。2項では、占有の代わりに代金債権の準占有という言葉に置き換えて考えるだけです。そして、1段目の認識すら無い場面では、両説の対立自体が生まれず、揃って処分行為が否定されました。
判例は、先ほどの最高裁決定のとおり、意識的処分行為説に立つと評価されています。もっとも、答案では無意識的処分行為説に立つとよいでしょう。移転させる客体を相手に気づかせないことこそ詐欺の最も典型的なやり口であり、それを理由に処分行為を否定してしまうと、詐欺の本質的な部分を外すことになるからです。しかも先ほどの決定は、1段目の認識すら欠けていた事案なので、無意識的処分行為説に立っても結論は同じでした。ここも、あてはめで結論が分かれる、論文で問われそうな論点ですね。ここは論文で論点になりうる部分です。
参照条文
- 刑法246条