不真正不作為犯(前編)
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第2章 構成要件と実行行為 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
気づいていたのに、動かなかった二人
図:気づいていたのに、動かなかった二人
淡々と、法律の目で見ていきます。庭の小さなビニールプールで、子どものCが溺れかけていました。Aは、近くを配達で通りかかった宅配業者です。フェンス越しに気づきましたが、配達を優先してそのまま通り過ぎました。Bは、Cの父親です。すぐ近くの部屋の窓から気づきましたが、すぐには動きませんでした。うっかり見落としたのではありません。気づいた上で、動かなかった。そして、Cは亡くなりました。ここで、1つ目の問いです。AもBも、何もしなかった点では同じです。でも、殺人罪に問われうるのは、どちらでしょうか。なぜ、そう思いますか。
その感覚を、法律の言葉に翻訳するのが、今日の作業です。その前に、1つ思い出してください。前回、実行行為の定義を3つのブロックでお渡ししました。真ん中のブロックは、何だったか思い出せますか?覚えていましたね。それが、今日の2つ目の問いにつながります。Bが動かなかったことを、「殺した」と呼べるとして。それは、199条の実行行為だと言えるのでしょうか。この2つの問いを、最後まで一緒に追いかけます。
条文の形で見分ける——作為犯と不作為犯
図:何もしないことで犯罪になる型
まず、言葉を整理しましょう。積極的に何かをして犯罪を実現する類型を、作為犯と呼びます。反対に、積極的な動作をしないことで犯罪を実現する類型を、不作為犯と呼びます。たとえば、刃物で刺して死なせる。これが作為犯です。ただ、不作為犯は、さらに2つに分かれます。それを見分ける基準は、罪の重さでも、法益の重さでもありません。条文の書き方です。実物を見たほうが早いですね。
条文刑法130条
刑法130条(住居侵入等) 正当な理由がないのに、人の住居若しくは人の看守する邸宅、建造物若しくは艦船に侵入し、又は要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は、三年以下の拘禁刑又は十万円以下の罰金に処する。
この条文の後段に、「要求を受けたにもかかわらずこれらの場所から退去しなかった者は」とあります。条文が、最初から「しないこと」を罰の対象にしています。これが、真正不作為犯です。もう1つ、見てみましょう。
条文刑法107条
刑法107条(多衆不解散) 暴行又は脅迫をするため多衆が集合した場合において、権限のある公務員から解散の命令を三回以上受けたにもかかわらず、なお解散しなかったときは、首謀者は三年以下の拘禁刑に処し、その他の者は十万円以下の罰金に処する。
多衆不解散罪も、真正不作為犯のもう1つの実例です。では、199条はどうでしょうか。199条は、作為の形で書かれています。Bの不作為は、この作為の形の条文を、不作為で実現しようとしている場合です。これを、不真正不作為犯と呼びます。
図:論点が立つのは、どちらか
ここで、大事な整理をします。真正不作為犯には、実は、論点がありません。条文が最初から不作為を名指ししているので、疑う余地がないんです。論点になるのは、不真正のほうだけです。ここから先、ずっとBの話をしていきます。
「殺した」に含めてよいのか——罪刑法定主義との整合
図:「殺す」という言葉の範囲
何でしょう。動かなかっただけのBを「殺した」と呼ぶのは類推解釈ではないか——するどい引っかかりです。ここを通らないと、先に進めません。以前、言葉の可能な意味の範囲を、ゴムひもにたとえましたね。「殺す」という日常の言葉づかいを、思い出してください。刃物で刺すことだけを、指すでしょうか。日常の言葉づかいそのものが、不作為による死なせ方を含んでいます。だとすれば、「殺した」という言葉の枠の内側です。枠を外へ広げてはいません。解釈の範囲内です。枠の内側にとどまる限り、その禁止にはぶつかりません。ここで、Aを使って確かめてみましょう。Aも、Cが溺れかけているのに気づいて、通り過ぎました。Aが立ち去ったことを、日常の言葉で「Aがその子を殺した」と言うでしょうか。
普通は、言いません。同じ「動かなかった」でも、「殺した」に含められるかどうかには、違いがあるんです。そこが、これから見ていく線です。名前だけ先に言うと、構成要件的同価値性という絞りです。中身は、あとで丁寧に渡します。今日はまだ、その手前の話を1つ片付けます。
図:総則に、まとめの規定が無い
実は、日本の刑法には、不作為犯を一般的に処罰すると定めた条文——総則の規定が、ありません。総則にまとめて書いている国も、あります。たとえば、ドイツの刑法典には、不作為犯についての一般規定——13条が置かれています。条文で解決していない以上、線は解釈で引くしかない、という構図です。
不作為にも、現実的な危険はあるか
図:前回の物差しを、Bに当てる
前回の最後に、実行行為には引っかかる場面が2つある、と言いました。今日はその1つ目です。実行行為の定義を、思い出してください。特定の構成要件に該当する法益侵害の現実的危険性を有する行為——この定義は、一字も動かしません。構成要件は、条文をもとに、解釈も入れて決まる犯罪の型でしたね。この物差しを、Bの不作為に当ててみましょう。Bが動かなかったこと自体に、Cの生命という法益への、現実的な危険はあるでしょうか。あります。つまり、不作為も実行行為たりうるんです。前回渡した物差しを、そのまま当てただけです。ただし、ここまでは、まだ絞りの話が出ていません。
絞らないとどうなるか——自由保障
図:同じ物差しを、Aにも当てると
では、いまの物差しを、Aにも当ててみましょう。Aも、Cが溺れかけているのに気づいて、動きませんでした。Aの不作為にも、Cの生命への現実的な危険は、ありますよね。同じ物差しを当てるなら、Aも実行行為者になってしまうのでしょうか。どこがおかしいか、言葉にしてみましょう。しかも、この物差しのままだと、こぼれ方はAだけでは済みません。その場に居合わせて助けなかった人は、誰でも実行行為者になってしまいます。さらに広げれば、ニュースで危機を知って動かなかった人まで、際限なく広がります。そこで、絞りを1段、重ねます。作為と同じ重さと言える不作為だけに絞るんです。この絞りの名前を、構成要件的同価値性と言います。
同価値性が認められない不作為——Aのようなケースは、実行行為の段階で、そもそも切り落とされます。
図:どの関門で切るかで、Aの扱いが変わる
なぜ、わざわざこの段階で切るのか。以前見た、3つの関門を思い出してください。この絞りは、いちばん最初の関門——構成要件該当性で、Aを切り落とします。もし、ここでAを切らずに、違法性や責任の段階まで進めてから外すと、どうなるでしょう。通りかかっただけのAが、いったん殺人の構成要件に当たる人として扱われる、ということです。同じ不処罰でも、効き目がまるで違います。この絞りは、暗記させるための定義ではありません。Aのような人の自由を守るための線です。
同価値性の中身——階層と、用語の混乱
図:同価値性の中身——階層
この絞りに、正式な名前と定義を与えます。まず、階層を先に見てください。構成要件的同価値性が、上位の判断です。その下に、①法的な作為義務の存在、②作為の可能性・容易性、この2つがあります。そこが、今日いちばん間違えやすいところです。①と②が独立の要件として3つ並ぶのではありません。①と②は、同価値性という1つの判断を支える、2つの物差しです。作為と同じ重さだと言うには、動くべき立場にあったか——①、実際に動けたか、どれだけ簡単にできたか——②、その両方が要るからです。どちらかが欠けたままでは、自分の手を下した場合と同じだ、とは言えません。定義そのものは、こう置きます。
⭐ 論文で書く規範:構成要件的同価値性 その不作為を、作為による実行行為と同じものとして扱ってよいといえるだけの実質があること。 (規範(通説で立てる))
その中身を、①と②で具体化していく、という組み立てです。なお、判例も、①と②が必要と解しているようです。判例が、この2つをはっきり定式化して言っているわけではないからです。断定は避けます。もう1つ、大事な警告があります。本によっては、「作為義務」という言葉が、いま言った同価値性全体を指すことがあります。他の教材に移ったときに、ここで混乱する人がとても多いんです。この動画では、同価値性=上位、作為義務=その一部、という呼び方で統一します。
「法的な」とは何か——道徳では足りない
図:『法的な』とは、どういう意味か
①の法的な作為義務、その「法的な」の意味を、正確に押さえておきましょう。まず、道徳上の義務では足りない、という意味です。ただ、ここで裏返して読んでしまう人がいます。「法的な」だからといって、法令に規定されていることを要する、という意味ではありません。そう取ってしまうと、この先の話が崩れます。その①の作為義務は、どこから生まれるのか。原因は3つあります。法令、契約・事務管理、そして慣習・条理です。そこは区別が要ります。慣習を処罰の直接の根拠にしてはならないという原則が禁じたのは、慣習で犯罪と刑罰そのものを作ることです。ここは、199条という条文がすでにある上で、義務があったかどうかを判断する場面——別の話です。事務管理は、頼まれていないのに、他人のために世話を始めることです。条理は、ものの道理、という意味です。法令はその1つにすぎません。契約・事務管理と、慣習・条理は、法令に書いていなくても、法的な義務になりえます。
図:ここまでに立てた枠組み
それでは、ここまでの話を、冒頭の二人に一度、戻してみましょう。Aは、通りかかっただけの人でした。Bは、Cの父親でした。その違いを分ける線の名前は、作為との構成要件的同価値性でしたね。Bの不作為は、作為と同じ重さだと言えそうです。Aの不作為は、そうは言えなさそうです。感覚で「言えそう」と言うだけでは、答案では通用しません。なぜBに重さがあり、Aには無いと言えるのか——それを条文と判例で示す道具が、まだ2つ残っています。1つは、作為義務がどこから生まれるのか。もう1つは、どこで線が引かれるのか、です。
参照条文
- 刑法130条
- 刑法107条