不真正不作為犯(後編)
印刷のコツ
プリンターでは次の設定がおすすめです。
- 用紙:A4 / 向き:縦
- 拡大縮小:「実際のサイズ」(フィット縮小しない)
- 両面印刷:オン、とじ方は「長辺をとじる」(左綴じ)
- モノクロ印刷OK(強調は色でなく太字なので白黒でも読めます)
第2章 構成要件と実行行為 ⑤/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前編の骨組みを、1分で確認する
図:ここまでに立てた枠組み
前編の内容を、駆け足で確認しておきます。作為の形——自分から動く形——で書かれた条文を、不作為——動かないまま——で実現するのが、不真正不作為犯でした。「殺す」という言葉づかいは不作為も含むので、類推解釈にはならない。不作為にも、法益——法が守ろうとする利益——を侵害する現実的な危険性はある。ただし、それを全部認めると自由保障が壊れるので、絞りが要る——ここまでは、大丈夫ですね。では、1つ聞きます。前編で、その絞りに付けた名前を、思い出せますか?構成要件的同価値性——その下に、①法的な作為義務と、②作為の可能性・容易性がある、という階層でしたね。
では、前編の冒頭に出てきた二人にも、戻っておきましょう。Aは通りかかっただけの人で、Bは、プールで溺れかけていたCの父親でした。今日の問いは、その先です。作為義務は、どこから生まれるのか。そして、どこで線が引かれるのか、です。今日は、その2つの道具を、じっくり渡していきます。
発生原因①法令——民法が、刑法の教科書に出てくる理由
図:刑法の教科書に、民法の条文が出てくる理由
まず、①法令から見ていきます。Bには、法令に基づく作為義務があります。この条文です。
条文民法820条
民法820条(監護及び教育の権利義務) 親権を行う者は、子の利益のために子の監護及び教育をする権利を有し、義務を負う。
Bは、Cの親権者です。監護義務が、そのまま作為義務の根拠になります。同じ理屈で、もう1つ見ておきましょう。
条文民法752条
民法752条(同居、協力及び扶助の義務) 夫婦は同居し、互いに協力し扶助しなければならない。
夫婦にも、扶助義務があります。自宅で倒れている配偶者に、同居する相手が何もしなければ、同じように問題になりえます。そこに気づいてもらいたかったんです。さっきの「法的な」の意味を、思い出してください。法令に書いてあることを要する、という意味ではないと言いましたね。その法令は、刑法典の中にあるとは限りません。作為義務は、刑法典の外からもやって来ます。ちなみに、Aには、対応する根拠がありません。Aに法令上の根拠が無いことは、あとでもう一度、確認します。
発生原因②契約・事務管理/③慣習・条理と先行行為
図:契約や事務管理から生まれる義務
次は、②契約・事務管理です。ペットシッターとして、動物の世話を契約で引き受けたとします。この場合、世話をする法的な義務が生じます。もう1つ、契約がなくても義務が生じる場合があります。倒れている人を見つけて、自宅に運び入れ、介抱を始めたとします。でも、そこで投げ出せば、新たな義務違反になりえます。これを事務管理と呼びます。次は、③慣習・条理——ものの道理、という意味でしたね。ここは、判例を2つ見ていきます。まず1つ目。銀行口座への、誤った振り込みの事案です。誤った振り込みがあると知りながら、そのことを黙って払い戻しを受けた人がいました。この判決文を、そのまま見てみましょう。
判例最高裁判所第二小法廷決定(刑集57巻3号322頁)
最決平成15年3月12日——誤って振り込まれたと知りながら、黙って払戻しを請求した行為 ……自己の口座に誤った振込みがあることを知った場合には、銀行に上記の措置を講じさせるため、誤った振込みがあった旨を銀行に告知すべき信義則上の義務があると解される。社会生活上の条理からしても、……上記の告知義務があることは当然というべきである。
「上記の措置」というのは、銀行の側が取れる手続のことです。振込みを元に戻したり、間違いがないかを問い合わせたりする手続ですね。詳しくは、深追いしません。判決文は、「作為義務」という言葉を、一度も使っていません。「信義則上の義務」「社会生活上の条理」という、判決文自身の言葉で、義務を導いています。信義則は、相手の信頼を裏切らない、という民法の原則です。これを「条理に基づく作為義務」の例と呼ぶのは、判決文の「条理」という言葉を手がかりにした、教科書側の再構成です。それから、これは詐欺罪の事案です。
殺人の不作為犯の判例では、ありません。告知せずに払戻しを請求した行為を、人をだます行為——詐欺罪の欺罔行為だと判断した判決です。「義務」という発想が、財産犯でも問題になる、という広がりとして見てください。Bの話とは、混ぜないでください。2つ目です。自分の不注意で、火を出してしまった人の事案です。炭火の後始末を怠って、書類や机を燃やしてしまいました。消すのは簡単だったのに、消さずに立ち去り、建物が全焼しました。
判例最高裁判所第三小法廷判決(刑集12巻13号2882頁)
最判昭和33年9月9日——自分の火の不始末を、消さずに立ち去った行為 被告人は自己の過失行為により右物件を燃焼させた者(また、残業職員)として、……建物に燃え移らないようこれを消火すべき義務あるものといわなければならない。 ……その既発の火力により右建物が焼燬せられるべきことを認容する意思をもつてあえて被告人の義務である必要かつ容易な消火措置をとらない不作為により建物についての放火行為をなし、よつてこれを焼燬したものであるということができる。
判決文の「右物件」「右建物」の「右」は、「前に書いた」という意味の、古い言い回しです。この判決も、「消火すべき義務」とだけ言っていて、「作為義務」とは言っていません。「自己の過失行為により、右物件を燃焼させた者として」という、事実の描写だけで義務を導いています。先行行為に基づく作為義務、と呼びます。自分で危険を作った以上、それを片付ける義務がある、という理屈です。これも、教科書側が付けた名前です。判決文自体には、「先行行為」という言葉は出てきません。「残業職員として」——ここも重要です。判決文は、先行行為だけでなく、その場での立場にも触れています。教科書は、これを省いて、先行行為だけに絞って説明することが多いんです。簡略化されている、と頭の隅に置いてください。
図:発生原因の整理——2つの見かけ方
最後に、整理の仕方について、1つ触れておきます。先行行為を、③慣習・条理の中の一事例として説明する教科書もあります。一方で、①から③までと並ぶ独立の4番目として並べる教科書もあります。どちらも見かける整理です。どちらも知っておく価値があります。
排他的依存——答案の勝負どころ
図:発生原因が揃えば、それで十分か
ここで、もう1段、踏み込んだ問いを立てます。法令や契約、慣習・条理といった原因が揃えば、それだけでBの作為義務は認められるでしょうか。実は、それだけでは足りないことがあります。その法益の保護が、行為者にだけ懸かっている状況でなければ、義務は認めにくいんです。これを、排他的依存と呼びます。同じ状況を、排他的支配と呼ぶ本もあります。考えてみましょう。ほかに助けられる人がいる状況での「放置」は、作為と同じ重さでしょうか。これも、独立の新しい要件ではありません。同価値性という、上位の判断に戻って説明できるんです。
図:排他的依存——該当する例、しない例
自前の例で、確かめてみましょう。Dさんは、同居する家族です。要介護のEさんが、自室で倒れているのに気づきましたが、放置しました。この状況では、Dに作為義務が認められえます。ほかに気づいている人は、いないからです。では、条件を1つ変えます。ちょうどその時間、訪問介護のヘルパーが部屋にいたとします。すでにEさんの容体に対応していたら、どうでしょう。Eさんの安全は、ヘルパーに委ねられています。この場合、Dの排他的依存は否定されえます。これが、該当する例と、該当しない例の境目です。では、背骨に戻りましょう。Bのプールには、B以外に助けられる人はいませんでした。
この考え方が、いちばんはっきり出ている判例を見てみましょう。独自の治療をすると称する施術者が、信奉者の依頼で、重篤な患者を運び出させた事案です。病院からホテルへ移し、医師の警告に反して、必要な医療措置を受けさせないまま放置しました。淡々と、法的な構造だけを見ていきます。判決文です。
判例最高裁判所第二小法廷決定(刑集59巻6号403頁)
最決平成17年7月4日——独自の治療を理由に、必要な医療を受けさせなかった行為 被告人は、自己の責めに帰すべき事由により患者の生命に具体的な危険を生じさせた上、患者が運び込まれたホテルにおいて、被告人を信奉する患者の親族から、重篤な患者に対する手当てを全面的にゆだねられた立場にあったものと認められる。……直ちに患者の生命を維持するために必要な医療措置を受けさせる義務を負っていたものというべきである。 それにもかかわらず、未必的な殺意をもって、……放置して患者を死亡させた被告人には、不作為による殺人罪が成立し、殺意のない患者の親族との間では保護責任者遺棄致死罪の限度で共同正犯となると解するのが相当である。
同じ事件でも、故意の中身によって、罪名が分かれる実例です。ここは、名前だけ触れておきます。それより、見てほしいのは、義務を導いた理由です。「自己の責めに帰すべき事由により、危険を生じさせた」——これが、先行行為に近い理屈です。「手当てを全面的にゆだねられた立場」——これが、排他的依存に近い理屈です。そこです。判決文は、次の言葉を一つも使っていません。「排他的支配」「排他的依存」「作為義務」「先行行為」「事実上の引受け」。事実を描写して、「義務を負っていた」と結論しているだけです。これらの言葉でカテゴリーを作るのは、判決文そのものではなく、学説が理論化した作業なんです。なお、学説の中には、作為義務の発生根拠を、この排他的支配に一元化して説明する立場があります。これを、排他的支配説と呼びます。名前は似ていますが、さっきの排他的依存は「状況」の名前、排他的支配説は「その状況ひとつで作為義務を説明する立場」の名前です。
①から③までを総合考慮し、そこに排他性を加味する説明とは、組み立て方が違います。一元化は、していません。ここまでで、1つ確認させてください。なぜ、法的な作為義務が揃っているだけでは足りず、排他的依存も必要なのか。ご自分の言葉で言えますか。ほかに助けられる人がいるなら、その放置は、自分から手を下すのと同じ重さとは言えません。だからこそ、発生原因が揃っているかに加えて、排他的依存を見る必要があります。AとBを分けたのは、結局この一点です。作為と同じ重さと言えるだけの、法的な作為義務があったかどうか。
作為の可能性・容易性——できたか、どれだけ簡単だったか
図:作為の可能性・容易性
同価値性を支える、もう1つの物差しです。②作為の可能性・容易性を見ていきます。「法は、人に不可能を強いることはない」という考え方があります。ここで、同価値性の意味に、いったん戻ります。同価値性とは、その不作為を、作為と同じ重さだと言えることでしたね。同じ重さと言うには、結果を防ぐ道が開かれている必要があります。防ぐ道が無かったなら、動かなかったことを、手を下したことと同じ重さだとは言えません。だから、作為の可能性が無ければ、作為との同価値性は否定されます。しかも、可能性があっても、極めて困難であれば、同じく否定されます。
Bに当ててみましょう。浅い庭のプールで、Bはすぐそばの部屋にいました。では、条件を変えてみます。もし溺れていたのが、川の急流で、Bが泳げなかったら、どうでしょう。しかも、周囲に助けを呼べる人が誰もいなかったとしたら。その場合、Bにその場での救助を強制することはできません。
2つの物差しは、独立ではない——相関のシーソー
図:2つの物差しは、独立ではない
①法的な作為義務と、②作為の可能性・容易性、この2つは、実は独立のチェックリストではありません。作為が極めて容易であれば、作為義務が多少弱くても、同価値性は認められやすくなります。逆に、作為が困難であれば、それだけ強い作為義務がなければ、同価値性は認められません。たとえば、さっき見た川の急流。Bは父親ですから、義務としては強いほうです。それでも救助が極めて困難なら、同価値性は認められません。逆に、さっきの、倒れている人を介抱し始めた人。契約も法令もない、始めたことから生まれた義務です。それでも、電話1本で助けを呼べたのなら、認められる方向に傾きえます。
ここで、注意です。①を満たし、②も満たす、だから足りる——という機械的な足し算で覚えると、答案で破綻します。常に、総合して同価値性を判断するという、上位の視点に戻ってください。Bは、①作為義務があり、②容易さも高い。シーソーの両端が揃った、典型例です。
既発の危険を利用する意思は要るか
図:既発の危険を利用する意思は要るか
最後に、主観面の論点に、1つ触れます。客観面の絞り——同価値性に加えて、主観面でも何か特別な絞りが要るのでしょうか。故意とは別に、「既発の危険を利用する意思」という主観的要件が必要だ、とする見解があります。これを、必要説と呼びます。もう一方が、不要説です。作為との同価値性を要求することで、成立範囲は十分に絞れています。だから、それに加えて、主観面からさらに絞る必要はない、という立場です。さっきの、火の不始末の判例を、思い出してください。義務を導いた、あの判決です。あの判決文には、主観面についても、こう書いてありました。「その既発の火力により、右建物が焼燬せられるべきことを、認容する意思をもつてあえて」。
そこが、大事なところです。「利用する」という言葉は、あの判決文のどこにも登場しません。求めているのは、結果の発生を認容するという、通常の故意の水準だけです。つまり、この判決を不要説の根拠に引くのは、判決文と整合しています。この点は、断定してかまいません。ただし、1点だけ弱めておきます。「利用する意思を要求すべきか」という論点そのものは、この判決1つで決着する話ではありません。必要説を採る学説は、この判例とは別に、理論的な根拠から主張しています。
あてはめの手順——二人の分かれ道
図:あてはめの手順
ここまでの話を、1枚の手順にまとめます。まず、条文は作為の形か。次に、不作為に、法益侵害の現実的危険性があるか。そのうえで、法的な作為義務はあるか——発生原因と、排他的依存を見ます。さらに、作為は可能で、容易だったか。最後に、ここまでを総合して、作為と同価値かを見ます。Bは、この手順のどの段階も満たします。不真正不作為犯としての、殺人罪が成立しえます。Aには、そもそも法的な作為義務がありません。だから、殺人の実行行為が無いことになり——罪の入口の段階で絞られ、殺人罪には問われません。
最後に、1行だけ送っておきます。もしBに、死なせるつもりまでは無く、必要な世話を怠っただけだったら。保護責任者遺棄致死罪が、問題になることもあります。中身は、別の回に譲ります。
図:論文で書くときの流れ
今日見た同価値性は、論文でも書く規範です。事案から問題提起、規範、あてはめまでの流れは、専用の論文動画で、丁寧に渡します。最後に、今日の結論を、1行で確認します。同じ「動かなかった」でも、法的な作為義務があるかどうかで、線が引かれます。
参照条文
- 民法820条
- 民法752条