刑法ゼロから刑法#15

相当因果関係説の登場

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第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の宿題——条件関係だけでは、まだ足りない

前回の宿題——2段目の絞り 図:前回の宿題——2段目の絞り

前回の、軽く突き飛ばしただけの相手が、遠くの電車事故で亡くなってしまう例、思い出せますか?引き算は、どこまでも遡れてしまう。だから、条件関係を通っただけでは、まだ足りません。今日は、その2段目に、正面から取り組みます。

ひとつの事案から——鉄パイプと、夜の救急外来

鉄パイプの事案——Aがしたことと、Bに起きたこと 図:鉄パイプの事案——Aがしたことと、Bに起きたこと

Aは、殺意をもって、資材置き場にあった鉄パイプでBに殴りかかりました。ところがBは、とっさに身をかわしました。負ったのは、腕の軽い打撲だけです。それでも念のため、Bはその晩、夜間の救急外来を受診しました。当直の医師は、疲労と混雑のなか、別の患者のカルテと取り違えてしまいます。Bに、アレルギーの既往がある薬剤——禁忌薬を、投与してしまいました。Bは重篤な急性アレルギー反応を起こし、死亡しました。ここで、1つ確かめさせてください。Aが殴りかからなければ、Bは病院に行きましたか。条件関係は、成立しているでしょうか。

Aが殴りかからなければ、Bはその晩、病院に行きませんでした。禁忌薬を投与されることもなかった。だから、条件関係は文句なく成立します。この事案、これから何度か戻ってきます。「鉄パイプの事案」と呼ぶことにしましょう。

条件関係だけで足りるとする見解——条件説

条件説——言い分と、批判 図:条件説——言い分と、批判

この、鉄パイプの事案で、Aは何罪になるでしょうか。条件関係が成立している以上、殺人罪の既遂だ——もし、「条件関係があれば、それだけで刑法上の因果関係も認めてよい」と考える見解に立てば、そうなります。この見解には、名前があります。条件説と呼びます。ここで、条件関係と条件説を区別してください。条件関係は、実行行為と結果のあいだの、事実としてのつながりです。法益侵害の現実的危険性を有する行為——前の章で渡した定義でしたね。条件説は、その条件関係だけで、刑法上の因果関係を認めてよいとする見解です。条件説にも、言い分があります。因果関係の有無を、判断者の価値判断を挟まず、純粋に事実の問題として扱えるんです。

誰が判断しても結論がぶれない、ということです。ではなぜ、ぶれないのか。条件関係は、引き算の手順だけで決まるからです。「その行為が無かったら、その結果は起きなかったか」——これを引くだけです。事実の問題として扱える——これが、条件説の言い分です。ただ、それには裏があります。条件関係は、どこまでも遡れるんでしたね。そこが裏です。引き算そのものには、止まる場所が無いからです。ですから条件説に立つと、その連鎖の先まで、因果関係が認められてしまいます。処罰される範囲が、広すぎるんです。次は、そこを確かめましょう。

行きすぎの確定——既遂のままでよいか

既遂のままでよいか——数字で見る落差 図:既遂のままでよいか——数字で見る落差

鉄パイプの事案に戻りましょう。条件説に立つと、Aは殺人罪の既遂です。しかしAがしたのは、鉄パイプで殴りかかって、軽い打撲を負わせただけです。死亡という重い結果は、医師の重大な過誤が挟まって、初めて起きています。それでも既遂だというのは、さすがに行きすぎな気がする——その直感を、大事にしてください。数字で見ても、その落差は分かります。殺人罪の既遂は、前回見たとおり、死刑や無期を含む重い法定刑でした。未遂であれば、刑を減軽できます。必ず減るのではなく、減らせる、という意味です。罪名は殺人罪のままで、減軽できる余地が生まれるかどうか——前回、そこまで見ました。ここまでが、前回の確認です。Aを既遂として問うのは、行きすぎだ——これが、この回の出発点です。

ただし、ここで急いで確認しておきたいことがあります。未遂止まりというのは、無罪という意味ではありません。実行行為も、故意もある。欠けるのは、既遂の結果とのつながりだけです。だから、殺人未遂罪として、責任を問われます。そこに、答えを出すのが、これからの話です。

なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出

なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出 図:なぜ社会通念で絞るのか——4段の導出

では、その答えを、体系から組み立てていきます。4つの段階を、順番に見てください。まず1段目。因果関係は、構成要件要素のひとつです。構成要件は、成立要件の回で渡した、条文が定めている「型」です。実行行為、故意、そして結果とのつながり——これらはすべて、その型の一部です。では2段目です。だから、因果関係があるかどうかは、構成要件に当たるかどうかの問題になります。——「構成要件要素だから、構成要件該当性の問題」。これは当たり前のことを言っているだけに聞こえるかもしれません。そう感じたなら、いいところを突いています。そこで、いったん止まりましょう。ここで言いたいのは、同じ言葉を裏返しただけの言い換えではありません。犯罪の成立要件は、3階建てでしたね。構成要件該当性、違法性、責任、でした。

因果関係を切るかどうかは、そのうちの1階の話だ——ここが、2段目の実質です。違法性の話でも、責任の話でもありません。鉄パイプの事案で、確かめてみましょう。わたしたちがいま迷っているのは、Aを責められるかどうか、でしたか。迷っているのは、そこではありません。Aが殴りかかったことと、Bの死を、つないでよいかどうかでした。Aを責められるかは責任の階、その行為が許されるかは違法性の階。因果関係は、そのどちらでもない——1階で、つなぐか切るかを決めています。どの階で切っているかの宣言——それが2段目の中身です。では、3段目です。さっきの「条文が定めている型」を、もう一段、踏み込んで言い直します。社会通念に基づいて、当罰的行為を類型化したもの——それが、構成要件です。

噛み砕きましょう。「罰するに値する行為とは、こういうものだ」という型を、条文はあらかじめ作っています。そして、その型を切り出す物差しは、法律家だけの特殊な感覚ではありません。社会一般の常識、社会通念です。外から見れば「条文が定めている型」。中身から言えば「社会通念による類型」。同じものの、別の言い方です。これが、構成要件の意義です。そして、いよいよ4段目です。だから、社会通念上相当といえる場合にのみ、因果関係を認めます。——3段目から4段目に、どうしてつながるのか。ここでも、止めましょう。ここが、相当因果関係説の全体重です。考えてみてください。類型化の基準が社会通念なら、その型に当たるかどうかを判断する基準も、何であるべきでしょうか。

答えは、同じ社会通念です。物差しと目盛りを揃える、という発想です。構成要件という型を切り出したのが、社会通念だったからです。だとすれば、ある事案がその型に当てはまるかを測るのも、同じ社会通念でなければ、筋が通りません。だから、因果関係も——社会通念で測ります。この4段が、今日いちばん大事な背骨です。

相当因果関係説の結論——社会通念上相当

条件説 vs 相当因果関係説 図:条件説 vs 相当因果関係説

この4段の結論に、名前をつけましょう。相当因果関係説です。条件関係に加えて、行為から結果が生じることが社会通念上相当といえる場合。そのときにのみ、因果関係を認める見解です。条件説は、条件関係だけで足ります。相当因果関係説は、条件関係に加えて、もう1つのフィルター——社会通念上の相当性を通します。

論文で書く規範:相当因果関係説の結論 条件関係があることに加えて、その行為からその結果が生じることが社会通念上相当といえるときに限り、刑法上の因果関係を認める (規範(通説で立てる))

整理すると、こうなります。条件説は、結論=条件関係だけで因果関係を認める。理由=判断者の価値判断を挟まない、純粋な事実の問題として扱えること。批判=どこまでも遡れて、処罰範囲が広すぎること。

相当因果関係説は、結論=社会通念上相当な場合にのみ認める。理由=構成要件が社会通念に基づく類型だから——さっきの4段です。そして、この説にも批判があります。「社会通念上相当」がどれくらいのことを指すのか、まだ曖昧だ、という批判です。

まず、その「相当」がどれくらいのことなのか。それを、このあとすぐ確かめます。その前に、鉄パイプの事案です。相当因果関係説なら、Aはどうなるでしょうか。

その判断は、「相当」の意味を決めてから、この事案に戻って着けます。結論だけ先に言うと、未遂です。だから、この絞りに意味があるんです。

「相当」の意味を取り違えない——高度の蓋然性ではない

「相当」の意味を取り違えない 図:「相当」の意味を取り違えない

ここで、確認しておきたいことがあります。「相当」という言葉を聞いて、どんなイメージを持ったでしょうか。日常の感覚だと「かなりの」とか「よくあること」——そこが、まさに引っかかるところです。法律用語の「相当」は、日常語の「相当」とは違います。「相当」の中身は、当然にその結果が生ずる、あるいは通常その結果が生ずるという、高度の蓋然性のことではありません。ここが肝心です。「通常起きること」だと考えるのは、誤りです。求められるのは、もっと低いハードルです。ある程度の可能性——「ありうることだ」「異常でない」「稀有でない」といえる程度で足ります。

鉄パイプの事案に、この目盛りを当ててみましょう。もしBが、殴られた勢いで転んで、頭を打って亡くなっていたら、どうでしょうか。よくあることではありませんが、異常でもない。だから、相当性は認められます。では、実際に起きたほうです。当直の医師が、別の患者のカルテと取り違え、禁忌薬を投与した。そこまで来ると、異常です。だから相当性が否定され、Aは未遂にとどまります。

なぜハードルを低くするのか

なぜハードルを低くするのか 図:なぜハードルを低くするのか

では、なぜそんなに、ハードルを低くするのか。そこが、この説のいちばん誤解されやすいところです。もし、「相当」のハードルを高く設定したらどうなるでしょうか。少しでも珍しい経過が挟まれば、その時点で因果関係が切れてしまいます。考えてみてください。現実に起きる事件は、ほとんど何かしら珍しいんです。まったくの想定どおりに進む事件のほうが、むしろ稀です。さきほどの、殴られた勢いで転んで頭を打つ——あれも、狙ってできることではありません。ハードルを高くすると、そういう経過まで「珍しい」として切れてしまいます。異常とまでは言えないのに、切れてしまう。絞りが、効きすぎるんです。それでは、フィルターとして機能しません。相当性は、「よくあることだけを通す」フィルターではなく、「異常でなければ通す」フィルターなんです。

ただし、具体的にどこまでが異常か、というあてはめは、別の回で扱います。まずは、意味を取り違えないことが、いちばん大事です。

条件説を”敵”にしない——学説対立の読み方

良いところの裏返しが、弱点になる 図:良いところの裏返しが、弱点になる

ここで、少し立ち止まって、学説の見方を確認しておきます。条件説は、批判されて、退けられる見解でした。でも、条件説を”間違った説”のように扱うのは、正確ではありません。条件説には、条件説なりの言い分がありました。判断者の価値判断を挟まず、純粋に事実の問題として扱える、というものでしたね。その長所があるからこそ——批判は「広すぎる」という、たった1点に集中するんです。そういう読み方をしてください。学説の対立は、いつもこの形です。どちらの説にも言い分があり、その言い分の裏返しとして、弱点が出ます。

相当因果関係説が残した2つの宿題——基準と材料

相当因果関係説が残した、2つの宿題 図:相当因果関係説が残した、2つの宿題

では、今日の内容を、閉じていきます。相当因果関係説は、条件説の”広すぎる”という弱点を、社会通念という物差しで絞りました。ただ、この絞りには、2つの宿題が残っています。1つ目。「ありうる」「異常でない」も、突き詰めれば程度問題です。まだ、測る道具として十分ではありません。だから近時は、行為の危険性が結果として現実化したといえるかで判断する見解が、有力になっています。これを、危険の現実化と呼びます。前回、2段目の絞りを「相当因果関係、あるいは危険の現実化」と呼んでいました。あのときは、名前を2つ並べただけでした。この2つの関係には、2通りの見方があります。1つは、相当因果関係説に立ちつつ、その物差しをより具体的にする——内側からの深掘りだ、という見方。

ただ、もう1つあります。危険の現実化を、相当因果関係説とは別の判断枠組みとして使う見方です。そこが、次々回の中心です。判例が実際に何をしているのかを見ると、答えが出ます。今日は、「危険の現実化という名前がある」「相当因果関係説との関係は、まだ決着していない」——ここまでにします。2つ目の宿題です。相当性を判断するとき、何を前提に置くか——つまり、判断の材料です。同じ事案でも、何を前提として見るかで、結論が変わることがあります。この、相当性判断の基礎事情——判断の材料は、まだ決めていません。

相当性を測る前提——材料が決まらないと、基準の話も、具体的になりません。だから、材料が先です。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。条件関係だけでは、まだ広すぎました。だから、因果関係は構成要件要素、構成要件該当性の問題。構成要件は社会通念に基づく類型、社会通念上相当——この4段で、絞りを立てました。そして、「相当」の中身は、高度の蓋然性ではありません。「ありうる」「異常でない」「稀有でない」で足りる、低いハードルでした。そして、相当因果関係説には、まだ2つの宿題が残っています。基準の曖昧さは次々回、判断の材料は次回です。次回は、その材料——相当性判断の基礎事情から、扱っていきます。

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