相当性判断の基礎事情——主観説・客観説・折衷説
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第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。
前回の宿題——2つのうち、材料のほう
図:前回の宿題——2つのうち、材料のほう
相当性——その結果が起きても「ありうる」「異常でない」といえるか、という絞りでしたね。残った宿題は2つ。1つは基準の曖昧さ、もう1つは判断の材料でした。前回の宿題ですが、そもそもなぜ材料が問題になるのでしょうか?
材料で結論が反転する——エレベーターの事案
図:エレベーターの事案
Aは、エレベーターの中で、ふざけてBの肩を軽く小突きました。Bはその場でよろけて、壁に軽くぶつかっただけです。ここで、1つ聞かせてください。この行為、危険でしょうか?では、続きをお伝えします。実はBは、重度の骨粗鬆症を患っていました。この程度の衝撃でも、骨折することがある身体だったんです。実際、Bはこの衝撃で肋骨を骨折し、療養中に生じた合併症により、死亡しました。では、もう一度聞きます。この行為、危険な行為だったでしょうか?行為そのものは、何も変わっていません。変わったのは、皆さんが前提に置いた事実、材料のほうです。
これが、今日いちばん体験してほしいことです。危険性の判断は、判断者が何を知っているかに、依存します。同じ動作でも、前提に入れる事実が変われば——別の行為に見えるんです。ここから先の3つの学説は、実はこの一点だけを争っています。材料に入れてよい範囲は、どこまでか。それだけです。材料の範囲の対立です。
材料を2つに分ける——行為時の事情と、行為後の事情
図:2つの軸——行為時の事情/行為後の事情
材料には、実は2種類あります。まず、行為の時点で、すでに存在している事情。そして、もう1つ。行為のあとに起きる事情——介在事情です。覚えていますか。前回の、鉄パイプの事案です。カルテの取り違えは、殴りかかったという行為の、あとに起きた出来事でした。骨粗鬆症は行為時の事情、カルテの取り違えは行為後の事情——2つの実例が、これでそろいました。この2つ、材料としての性質が違います。行為時の事情は、行為の瞬間に、もう存在しています。問うべきは、それを知っていたかどうか——認識です。行為後の事情は、行為の時点では、まだ起きていません。問うべきは、それを読めたかどうか——予見です。
ここで使う言葉が変わるのは、日本語の綾ではありません。既にある事実は”見えたか”の問題、まだ無い事実は”読めたか”の問題です。判断の構造そのものが違うからです。この2つの軸が、あとで出てくる比較表の、縦軸になります。先に軸を作っておけば、あとでマスを埋めるのは、そう難しくありません。
1つめの見解——主観説
図:主観説——結論と批判
では、材料の範囲について、3つの見解を順番に見ていきます。まず1つめ、主観説です。主観説は、行為者が現に知っていた事情と、行為者が知りえた事情、この2つだけを材料にします。言い分もあります。行為者が知りようもなかった事情で処罰するのは、おかしい。これは、責任主義の感覚に近い言い分です。ですが、批判もあります。処罰範囲が狭くなりすぎるんです。はい、狭くなりすぎる、です。ここ、逆に覚えている受験生が多いので、注意してください。エレベーターの事案で考えてみましょう。もしBの骨粗鬆症を、Aがまったく知らず、しかも一般人が見ても分からないほど、外見に兆候もなかったとします。
この場合、主観説では、骨粗鬆症は材料に入りません。深いところを、1つ足しておきます。主観説は、責任の話——行為者個人が非難できるかどうかという話です。それを丸ごと、構成要件の段階に持ち込んでいます。犯罪の成立要件は、3階建てでしたね。構成要件該当性、違法性、責任。前回、因果関係を切るかどうかは1階の話だ、と確かめましたね。主観説は、1階の判断のはずの因果関係に、3階の物差しを、そのまま使っています。その物差しとは、非難できるかどうか、です。だから、一般人なら誰でも気づく事情まで、行為者次第で落ちてしまう。これが、主観説が狭くなりすぎる、理由です。
2つめの見解——客観説
図:客観説——結論と批判2つ
続いて2つめ、客観説です。客観説は、行為の時点に存在した客観的な事情を、すべて材料にします。行為のあとの事情については、一般人が予見しえた事情に、絞ります。あとで、その理由にも触れます。まず、言い分から。因果関係は、客観的構成要件要素の1つでしたよね。客観的な要素なら、材料も客観的な事実で揃えるべきだ、という言い分です。この見解、軽く扱ってはいけません。答案でも紹介される可能性が高い見解です。ただ、批判は2つあります。1つめ。処罰範囲が、不当に拡張されるおそれがあります。行為時に存在した客観的事情を、全部入れてしまうと——あとから判明した、どんな特殊な事情も、常に材料になってしまいます。
だから、ほとんど何でも「危険な行為だった」と、言えてしまいます。前回、相当因果関係説が立てた”2段目の絞り”、覚えていますか。行為時の事情を無制限に取り込むと、その絞りが、効かなくなってしまうんです。結果的に、条件関係さえあれば何でも通ってしまう——それが、2つめの批判です。結論的に、条件説とほとんど変わらなくなります。だから、客観説には、この2つの批判が向けられます。はい、それも説明しておきます。行為後の事情まで、無制限に取り込んだらどうなるでしょうか。結果は、もう実際に起きています。行為後に何が起きたかを、全部材料にしていいなら——結果から逆算するだけの話になってしまいます。
それでは、判断が空っぽになってしまいます。だから、客観説でも、行為後だけは一般人が予見しえた事情に、絞りがかかっているんです。
3つめの見解——折衷説、結論だけ先に
図:3説を1本の軸に
では、3つめです。折衷説——これが、従来の通説です。結論だけ、先にお伝えします。一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を、上乗せします。イメージとしては、一般人基準に、行為者基準を足す形です。ここまでの3つの見解を、1本の軸に並べてみましょう。狭い側に主観説、広い側に客観説、その真ん中に折衷説が来ます。主観説は狭すぎる、客観説は広すぎて条件説に戻ってしまいます。折衷説はその中間——だから通説なんです。そこは、これから正面から見ていきます。
折衷説はなぜ二階建てなのか——構成要件の2つの顔
図:折衷説の二階建て
「なぜこの形になるのか」——答えを、体系から組み立てます。鍵は、構成要件が、2つの顔を持っている、ということです。1階の顔から見ていきましょう。前回、構成要件をこう定義しましたね。社会通念に基づいて、当罰的行為を類型化したもの。この顔から出てくる基準は、一般人です。型を切り出したのが社会通念なら、その型に当たるかを測る基準も、社会通念——つまり一般人の感覚でなければ、筋が通りません。これが、1階です。では、これだけで止めてよいでしょうか。エレベーターの事案で、AだけがBから骨粗鬆症のことを聞いていた、としましょう。Bの外見に兆候はなく、一般人には分かりません。この事情は、1階の基準だけだと、どうなるでしょうか?
そこで、2階です。構成要件には、もう1つの顔があります。犯罪の成立要件を学んだ回のことを、思い出してください。各条文は、こう定義しましたね。普通は違法で、普通は責任がある行為を、あらかじめ型にしたもの。その「普通は」が、ここで効いてきます。「普通は責任がある行為」の型——この部分に、名前をつけます。責任類型です。構成要件は、責任類型でもあるんです。はい、今日はじめて使う言葉です。中身は、いま渡した「普通は責任がある行為の型」、それだけです。犯罪の3階建てとは、別の数え方です。3階建ては、犯罪が成立するまでの順番でした。こちらは、その1階にあたる構成要件の中を、2つの顔で見ています。では、責任とは何だったか、覚えていますか。
行為者を非難できるかどうか——それが責任でした。だから、責任類型の顔から出てくる基準は、行為者になります。なぜ2階を足すのか、その理由も、もう見えていますね。1階だけだと、行為者だけが知っていた事情が、丸ごと捨てられてしまいます。責任——非難可能性という土台があるからこそ、2階の上乗せが、正当化されます。1階は社会通念に基づく類型だから一般人。2階は責任類型だから行為者。この2つの顔が、折衷説の二階建ての、正体です。責任能力や、故意責任の本質まで踏み込むと、長くなります。それは、責任そのものを扱う回で、正面から見ていきましょう。
⭐ 論文で書く規範:折衷説の基礎事情 一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を加えたものを、相当性判断の基礎事情とする (規範(通説で立てる))
いちばんの落とし穴——「しえた」と「現に していた」
図:折衷説の非対称
ここで、この回いちばんの落とし穴を、確認しておきます。一般人側の基準と、行為者側の基準、実は同じ形をしていません。一般人側は、「認識・予見しえた」——可能性があれば、足ります。ですが行為者側は、「現に認識・予見していた」——現実に、知っていたことが要ります。ここを対称に覚えてしまう受験生が、とても多いんです。「行為者が気づけたはずだ」というだけの事情は、基礎事情にはなりません。「気づけたはず」で足りるとしてしまうと、折衷説ではなくなります。そこにも、理由があります。根拠が違うからです。1階の根拠は、社会通念に基づく類型——一般人ならどう見えるか、という客観的な可能性の話でした。2階の根拠は、責任——非難可能性です。現に知っていたからこそ、非難できる。
根拠が違えば、基準も違います。丸暗記ではなく、導き出せるんです。
確かめてみましょう——「認識しえたが、現には認識していなかった」場合
図:非対称を確かめる
では、確かめてみましょう。次の場合、どの説で基礎事情になるでしょうか。「行為者が認識しえたが、現には認識していなかった事情」——これは、どうでしょうか?客観説では、どうでしょうか。では、折衷説は?主観説では入る、客観説でも入る、折衷説だけが入らない。一般人が認識しえた場合は別ですが、行為者本人が認識しえただけでは、折衷説では基礎事情になりません。
3説×2軸——1枚で復元する
図:3説×2軸の比較表
では、ここまでの内容を、1枚の表にまとめます。縦の軸は、さっき作った2つ——行為時の事情と、行為後の事情。横の軸は、3つの学説です。ただ、これは暗記する表ではありません。縦は時制の違いから、横は基準となる人の違いから、それぞれ導けます。主観説の欄は、行為時も行為後も、行為者が知っていた事情に、知りえた事情を加えます。客観説の欄は、行為時はすべての客観的事情、行為後は一般人が予見しえた事情です。折衷説の欄は、一般人が認識・予見しえた事情に、行為者が現に認識・予見していた事情を、上乗せします。ここが、いちばん混ざりやすいところなので、表でも色を分けています。
暗記ではなく、生成してください。
もう一度、1本の軸に戻る
図:3説を1本の軸に(振り返り)
さっきの、狭い側に主観説、広い側に客観説、この軸に、もう一度戻ります。では、言葉にしてみてください。1階で客観説の広さを絞り、2階で主観説の狭さを補う——だから真ん中に来ます。ただし、注意してほしいことがあります。「真ん中だから正しい」わけではありません。理由は、二階建てそのものにあります。位置は、結果にすぎません。
あてはめ——エレベーターの事案で、結論はどう割れるか
図:あてはめ——4つの場合分け
では、エレベーターの事案に、3つの学説を、あてはめてみましょう。場合を、4つに分けます。1つめ。Aが事前に、Bから骨粗鬆症のことを、直接聞いていた場合。この場合、3つの学説とも、骨粗鬆症を材料に取り込めます。3つの説の違いが、見えてきません。2つめ。Aは知らず、しかも外見にも、何の兆候もなかった場合。主観説は、認識も認識可能性も無いので、材料に取り込めません。客観説は、行為時の客観的事情として、無制限に取り込みます。折衷説は、一般人も気づけないので、取り込めません。3つめ。Aは知らないけれど、Bが杖をついていて、周囲にも骨粗鬆症だと分かる状態だった場合。
主観説は、Aが認識・認識可能でない限り、取り込めません。客観説は、当然に取り込みます。折衷説は——一般人が認識しえた場合にあたるので、取り込みます。そして4つめ。さっき確かめた場合を、もう一度この事案でやってみましょう。Aは、以前Bから「骨が弱くて」と聞いていたのに、聞き流していて、行為の時点では頭にありませんでした。Bの外見にも兆候はなく、一般人には分かりません。主観説は、認識しえた事情を含むので、取り込みます。折衷説は——一般人が認識しえた場合は別として、行為者本人が認識しえただけでは、足りません。だから、取り込めません。
では、材料が取り込めない場合、結論はどうなるでしょうか。ここで、大事な確認をしておきます。この事案、Aには殺意がありません。ふざけて肩を小突いただけです。だから、骨粗鬆症を材料に取り込めず、死亡までの相当性が否定されても——「無罪」にはなりませんし、「未遂」にもなりません。前回の鉄パイプの事案は殺意があったので、死亡が否定されれば、未遂が成立しました。でも、殺意のない事案で、死亡についての罪だけが未遂になる、ということは起きません。ここで、考え方を1つ渡しておきます。因果関係は、結果ごとに判断します。死亡について切れても、その手前の結果まで、当然にまとめて消えるわけではありません。
骨折の分も、残りません。ここが、今回の怖いところです。骨折そのものが、骨粗鬆症という材料の上に、初めて成り立っています。材料から骨粗鬆症を外すと、Bは健常な人として扱われます。そうなると、肩を軽く小突いて骨折させることは、もう「ありうる」とは言えません。骨折という結果自体が、危険性を失うんです。手前の結果が、死亡とは別の材料で成り立っているなら、そこだけ残ります。でも今回は、骨折も死亡も、同じ材料に丸ごと乗っています。だから、材料が取り込めない場合、骨折という結果も、Aの責任にはなりません。残るのは、肩を軽く小突いたという、暴行そのものだけです。
材料が取り込めれば重い結果まで、取り込めなければ暴行の限度まで——この違いを生むのが、今日見てきた3つの学説の対立です。
材料の問題は、片付いた
図:材料は片付いた。残るのは基準の曖昧さ
では、今日の内容を、閉じていきます。前回の宿題、2つのうちの1つ——判断の材料は、これで片付きました。ただ、もう1つの宿題、基準の曖昧さは、まだ残っています。そこは、判断の枠組みそのものを見る、次の回で扱います。そのあと、実際の判例が、材料と基準をどう使っているのかを、見ていきます。材料が決まらないと、基準を当てる相手が決まらないからです。何を前提に置くかが動いたままでは、「異常でない」といえるかどうかも、動いてしまいます。順番に、積み上げていきましょう。
今日の地図(保存版)
図:今日、持ち帰るもの
今日の内容を、まとめます。危険性の判断は、材料に依存する——これが、出発点でした。主観説は狭くなりすぎ、客観説は広すぎて条件説に近づき、折衷説がその中間として、通説になっています。1階は、社会通念に基づく類型——だから一般人。2階は、責任類型——だから行為者。責任とは、非難可能性のことでした。行為者が認識しえただけでは、足りません。材料が取り込めれば重い結果まで、取り込めなければ、暴行の限度まで——エレベーターの事案でも、それを確かめました。