刑法ゼロから刑法#17

危険の現実化——判例はどう判断しているのか

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第3章 因果関係 ②/動画の内容を見返し用にまとめたものです(動画には含みません)。

前回の宿題——残っていたのは、基準のほう

前回の宿題——残っていたのは、基準のほう 図:前回の宿題——残っていたのは、基準のほう

1つは、判断の材料。もう1つは、基準の曖昧さでした。材料のほうは、前回、片付きました。行為時の事情と行為後の事情——主観説、客観説、折衷説の違いを確認しましたね。では、前回の宿題——その基準を、判例はどう使うのでしょうか?ここからは、視点を変えます。学説ではなく、実際の裁判所が何を見て判断しているかを見ていきます。先に、今日の結論を置いておきます。違いは、たった2つだけです。判断の材料を限定するか、判断の時点を行為時に固定するか——この2つしかありません。しかも、その2つは、1つの根から出ています。その根まで見えたら、今日の内容は、自分のものです。

判例は、“説”を宣言しない——個別的判断の集積

判例は、"説"を宣言しない 図:判例は、“説”を宣言しない

まず、大事な前提を、確認させてください。因果関係についての判例は、数多くあります。ですが、そのどの判決も——「私はこの学説をとります」と、理論的な立場を直接に述べたことは、ありません。「判例は危険の現実化説だ」と言われがちですが、判例が学説の1つを選んだ、という意味では、正確ではありません。それぞれの判決は、目の前の事件を解決するために——必要な範囲で、個別の判断を示しているだけなんです。なぜそうなるのか、考えてみましょう。裁判所は、学説の論争に決着をつける場ではありません。目の前の事件を、解決する場です。

だから、必要な範囲を超えて、わざわざ理論を宣言する必要が、ないんです。ここは、法学の一般的な考え方として、そう言われることが多い、という程度に留めておいてください。ただ、個別の判断を、たくさん集めて見ていくと——次第に、共通する考え方が浮かび上がってきます。判例の「立場」は、宣言された言葉ではなく、積み重なった判断から読み取るものなんです。だから、正確に言うなら「判例は、こういう立場をとっているようだ」としか言えません。その歯切れの悪さこそ、正確さです。宣言していないことを言い切るほうが、かえって不正確なんです。

「判例は危険の現実化説をとる」と書くと——判例が、並んでいる学説の中から1つを選んだ、という話になります。でも、判例は説を選んでいません。目の前の事件を、解決しただけです。「判例は◯◯説をとる」と書くのと——「判例は◯◯と判断していると読める」とでは、引用の正確さが違います。そこを、次に見ていきましょう。

判例が見ている物差し——寄与度、そして言いかえ

寄与度の物差し、そして言いかえ 図:寄与度の物差し、そして言いかえ

判例が、個別の判断の中で、繰り返し見ているものがあります。行為が結果にどれだけ効いたか——これです。専門的には、事実的影響力、あるいは因果的寄与度と言います。行為が結果を生み出すのに、どれくらいの力を持っていたか、ということです。行為の”効き目”というイメージで、近いです。ただ、行為だけを単独で見るのではありません。行為の後に、介在事情が挟まっていれば、それとも比べます。前々回の鉄パイプの事案です。軽い打撲のはずのBが、医師の取り違えで禁忌薬を投与され、亡くなりました。あの投与が介在事情です。行為の寄与度と、介在事情の寄与度、どちらが結果に大きく効いたかを比べるんです。

綱引きのイメージで合っています。そして、行為のほうが——一定程度の重みをもって結果に寄与していたと言えれば、肯定します。「一定程度の重み」が曖昧だという点は、正直に認めなければなりません。これも、程度問題として残ります。ただ、前回の「相当」の曖昧さとは、質が変わっています。相当因果関係説の「相当」は、「ありうる」「異常でない」といえるか、という事前の予測でした。今回の寄与度は、実際にどれだけ効いたか、という、もっと事実に近い問いです。そして、この判例の立場には、もう1つ言い方があります。行為の危険性が、結果として現実化したといえるか——これを基準にしている、と言いかえることができます。

ただ、ここで1つ注意してほしいことがあります。「危険の現実化」という言葉が、先にあるわけではありません。先にあるのは、寄与度を比べるという手順です。「危険の現実化」は、その手順の結果を、後から言い表した標語にすぎません。標語だけを覚えると、答案で何を書けばいいか分からなくなります。書くべきは、寄与度の比較です。行為が結果に大きく効いた、ということは——その行為がもともと持っていた危険が、そのまま結果になった、ということだからです。しかも、この「危険」は、今日はじめて出てきた言葉ではありません。実行行為とは、法益侵害の現実的危険性を有する行為——前の章で渡した定義でしたね。

そのつながりで読んでください。

論文で書く規範:判例の基本的立場 因果関係を認めるかどうかは、行為がどれだけ結果に効いたか(因果的寄与度)を、介在事情の寄与度と比べて判断する。行為の寄与が軽視できない重みを持つといえれば、因果関係を肯定してよい——これを言いかえると、「行為の危険性が結果として現実化したといえるか」となる (規範(集積型/個別の判断の積み重ねから読み取る))

「寄与度」が中身、「危険の現実化」が呼び名——このセットで持ち帰ってください。

相当因果関係説とは、敵対しない

相当因果関係説とは、敵対しない 図:相当因果関係説とは、敵対しない

ここで、1つ確認しておきたいことがあります。判例のこの物差しと、相当因果関係説は、敵対する関係ではありません。前々回に見た相当因果関係説は、条件関係に加えて、結果が起きるのは「ありうる」といえるか——相当性という絞りを求める説でしたね。前々回、鉄パイプの事案の最後にこう言ったのを、覚えていますか。「近時は、行為の危険性が結果として現実化したといえるかで判断する見解が、有力になっている」と。あのとき置いておいた一言を、ここで回収します。相当因果関係説の立場に立っても——相当性の有無を「危険性が現実化したか」で判断する見解が、実は有力なんです。

だから、この点については、判例と相当因果関係説は、実質的に異なりません。どこで対立しているのか——そこが、大事なところです。対立は「危険の現実化 対 相当因果関係説」ではありません。同じ物差しを、共有しながら使っている。争っているのは、別の場所です。今日は、その一歩先です。言い分が分かれる場所——争点そのものを、先に特定します。

折衷説との相違点は、2つだけ

折衷説との相違点は、2つだけ 図:折衷説との相違点は、2つだけ

では、争点を、具体的に見ていきましょう。判例と、前回学んだ折衷説には、相違点があります。折衷説は、そうやって材料を限定する説でした。判例は、そこが違います。判例は、材料を限定しません。行為時の事情も、行為後の事情も、あとから分かったどんな事情でも、材料として使えます。一般人が知っていたか、行為者が知っていたかは、問いません。それが1つ目の相違点です。相違点は、実はもう1つあります。折衷説は、行為の時点に立って、相当性を判断します。判断時点を、行為時に固定しているんです。判例は、そこも固定しません。判断時点を、行為時にしばりません。

これが、判例と折衷説の、最大の相違点です。実は、たった2つだけです。もっと根本的に違うはずだ——そう思う受験生が多いところです。ここは、正確に2つと覚えてください。実は、この2つは、1つの根から出ています。折衷説の問いを、もう一度見てみましょう。行為の時点に立って「そういう結果はありうるか」——これは事前の予測です。予測という問題を成り立たせるには、決めなければならないことが、2つあります。誰が予測するのか、そして、いつの時点の情報で予測するのか、です。天気予報と同じです。予測である以上、その2つを決めないと、そもそも問いが立ちません。だから、折衷説は、材料と時点を、両方しばらざるを得ないんです。

判例が見ているのは、実際にどれだけ効いたか、という事後の測定でした。測定するだけなら、誰の目で見るかも、いつ判明した情報かも、関係ありません。実際に効いた、という事実そのものを見ればいいからです。台風のあとに、壊れた家を調べる人を、思い浮かべてください。強い風がどれだけ効いたのか、もともとの造りがどれだけ効いたのか——それを、あとから測ります。その人は、台風の前に何を知っていたかを、問われません。あとから出てきた資料を使っても、かまいません。予報士と査定人、という対比がぴったりです。予報は事前の予測、査定は事後の測定——判例がやっているのは、査定のほうです。

材料も時点もしばる必要が消える——そう理解すると、筋が通ります。2つの相違点は、別々の2つの主張というより——「問いの立て方が、予測から測定に変わった」ということの、2つの現れだと言えそうです。1つの根から2つの枝、そのイメージで持ち帰ってください。後付けで判断していい、という意味ではありません。そこは、注意が必要です。測っているのは、あくまで、行為が持っていた危険性が、結果に現実化したかどうかです。結果が起きたという事実から、逆算して理由をこじつけるのではありません。使える情報が、行為のあとまで広がる、というだけです。判断の中身まで、都合よく作ってよいわけではありません。

前回学んだことが無駄になるわけでは、まったくありません。「材料の範囲」という発想自体は、ここでも生きています。例えば、答案でどちらの立場に立つか、という話にもつながります。原則としては、判例の立場のほうが書きやすいことが多いです。材料を限定しないので、拾える事実が多いからです。あてはめで使える材料が多いほど、答案は厚く書けます。ただし、例外もあります。行為時の特殊な事情だけが問題の事案では——折衷説のほうが、かえって書きやすいことがあります。もう1つ、注意点があります。不能犯の論点が、同じ答案で同時に出ることがあります。

そもそも結果が起きる危険が無かったのではないか——それが問題になる論点です。中身は、また別の回で扱いますが——不能犯では、基礎事情を限定する考え方が使われることが多いんです。その場合は、因果関係のほうも、基礎事情を限定する折衷説で書いておくほうが、筋が揃って安全です。結局のところ、どちらの立場でも書けるように準備しておけば、困りません。そのうえで、今日の結論を、もう一度置きます。判例と折衷説が違うのは、材料と時点の2つだけ——その2つは、問いが予測から測定に変わったことの、2つの現れです。そこが、今日いちばん持ち帰ってほしいところです。

今日はここまで——あてはめの手順は次回

判例の枠組みは揃った。次は、あてはめの手順へ 図:判例の枠組みは揃った。次は、あてはめの手順へ

では、今日の内容を、いったん、ここで区切ります。判例が何を見ているか——その物差しは、これで揃いました。その2つが、1つの根から出ていることも、いま確かめたとおりです。次は、この枠組みを、実際の事案にどう当てるのか——あてはめの手順を見る回です。今日そろえた道具を、次の回で、実際に使ってみましょう。

今日の地図(保存版)

今日、持ち帰るもの 図:今日、持ち帰るもの

今日の内容を、まとめます。判例は、理論的な立場を、直接には宣言していません。個別の判断の積み重ねから、基本的な立場が見えてきます。だから「…と読める」という言い方をします。行為の寄与度と、介在事情の寄与度を比べて——一定程度の重みで寄与していれば、肯定する。これを言いかえたのが、「危険の現実化」でした。材料を限定しないこと、判断時点を固定しないこと——この2つです。根っこは、問いが予測から測定に変わったこと、でした。

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